2 ガウチョとの対決 2
「よかろう。ありきたりの剣の勝負じゃつまらないからな。しかし、俺の腕も知らずに挑むとは、馬鹿な奴だ」
男は相当なものを持っているらしい。ワイラはこの男の言葉だけでなく、他の者の(身の程知らずめ)と言うような、呆れ返った態度でそれを察した。
ギターの腕は、ワイラ自身も自負していたが、この男がどれほどのものなのか、いささか気にかかった。
「まずは、俺からだ」
男は自信たっぷりに言った。そして、ギターを構え一呼吸すると、中指を薬指の腰で、板の部分を太鼓を思わせるように激しく打ち、ラドミの和音とシレソの和音を交互に、かつ迅速に鳴らした。その和音は激しい熱情を物語っていた。音は、和音から単音のメロディーに変わる。滑らかに流れるが、キーが高くなるとまた、激しさを増した。
そして、クライマックスに和音が続いたが、一瞬止んだ。かと思うと、左手を指板上に滑らせるポルタメントという奏法を用い、終わりの部分を今にも弦が切れそうな勢いで、初めと同じ和音を交互に鳴らし、締めくくった。乱暴な奏法だが、細かいテクニックのいる奏法も的確にこなした。この男の奏する曲は、彼の力量とともに、内に秘める激しさと、ガウチョの荒々しさを物語っていた。今やガウチョは礼節を重んじた者ばかりではなかった。そういう者は少なくなっていた。
この曲は聞き応えがあったが、ワイラは好きにはなれなかった。この男の力ずく、強引さという生き方が象徴されているように思えたからだ。しかしワイラには、これ程までにインパクトの強い、激しさに対抗できるものは持ち合わせていなかった。
「何をしている。今度は、お前の番だ。早く聴かせろ!」
男は勝ち誇ったような目で、ワイラを睨みつけた。ワイラに対抗策はなかったが、とりあえず、自分にあるものを出し切ろうと思った。静かな単音で、メロディーは滑らかに流れ始めた。
ワイラは生誕地、コルドバを思い、父の死を思い出していた。父も牛車の頭領をしていたが、熱病にかかり、ワイラが八歳の時に亡くなってしまった。母もその後を追うようにして、過労のためすぐに亡くなった。一人残されたワイラは、この前まで旅を共にしていた頭領に育てられ、サミと出会い、今では二人きりの旅。サミも自分と同じ一六歳。彼女もまた大きな転機を二度迎えた訳だが、ワイラはこの二度目の転機で、ようやく自力で生きているんだと思うと嬉しかった。しかも、自分には守らなければならない者までいる。男にとって最高の喜びを手に入れつつあるんだ。
これは、冒険なんだ! と思えてくるとワイラの心は弾み、それが曲の中にも加わり、軽快なメロディーに変わった。この曲は在り来りの曲ではなかった。ワイラは即興で曲を奏でていた。しかし、曲は乱れることなく、いろいろな要素を複合しながら進行した。男の奏でた激しいが何もかも威圧しようとしている熱情に比べると、ワイラの奏でる曲は、明るく個性的でのびのびし、しかも、胸中に忘れかけていたものを呼び起こさせるようなものがあった。
ガウチョたちは、自分たちのボスよりもワイラの奏でる曲に快く耳を傾けていた。男は自分の負けを予感し、苛立った様子だった。だが、それ以上に何かする気配もなく、掴んでいたサミの手さえも放していた。
ワイラは曲を終わらせた。ワイラは男に勝った。他のガウチョたちは、男に遠慮して歓声は上げなかったが、尊敬の眼差しをワイラに送かった。しかし、男に対しても蔑視したりはしなかった。男はギターにかけては、誇りとこだわりを持っていたのだろう。先刻とは別人のように、ワイラに丁寧に頭を下げた。
「俺の負けだ。俺には、お前のような大地のメロディーは奏でられない」
男はサミを返すと、部下のガウチョに命じ、マテ茶を用意させた。
マテ茶とは、日本の緑茶に似たもので、アルゼンチンではそれが国民的な飲み物になっている。男は、瓢箪の上半分を切り取ったような形の銀の容器にはみ出した茶の粉を、ボンビージャと呼ばれる銀のストローで中に掻き入れながら、すすった。そして、それをワイラに回した。友好の印だった。
ワイラはそれがどういうことなのか分かっていたので、この男の豹変ぶりに信じられない思いだったが、拒むことなくボンビージャに口をつけた。緑茶とウーロン茶を合わせた味がした。ワイラは砂糖が入っていなくて良かったと思った。
人によってはこれに砂糖を入れる者もいて、以前勧められたこともあったが、ワイラは一口飲んで吐き出しそうになった。この場でそんなことをしたら、この男の気分を損ね、今度はどうなることやら分かったものじゃない。ワイラは一安心した。
男は、ワイラに旅のことや、ギターについて、次々に質問を浴びせた。男は打ち解けようとしていたが、見ず知らずの人に、自分たちのことを詳しく話すことは憚られた。
ワイラは失礼のないように、簡略に答えた。ギターに関しては、小さい頃に父から少し教わっただけで、自己流に、しかも気の向くままに弾いていただけなので、他人に教えようがなかった。ワイラは音取りも素早く、正確に自分のものにできたが、これも教えられたのではなく、気が付くとそうなっていた。
男は少し物足りない様子だったが、問いかけるのはやめにして最後にこう言った。
「クスコへ行くんだろう? だったら、これを持って行きな」
牛革の袋から、周囲がほころび日に焼けて茶色になった地図を取り出した。
「この先で、行き倒れが持っていたものだ。やっこさんは俺たちが葬ったが、役に立ちそうなものは、こちらで頂いた」
ワイラは地図を広げた。町と町を結ぶ路や、自分の地図にはなかった小さな宿場町が細かく書き込まれていた。この地図の持ち主は、クスコまでの道中を精通していたようだ。ワイラはサンチャゴ・デル・エステロまでの道程しか知らなかったので喜んだ。男は地図の他に、気前よく干し肉とパンと飲み物を分け与えた。そして、仲間とともに馬の大群を追って、太陽の照りつける平原の彼方に消えた。
ワイラは空腹と疲れと、緊張が緩んだのとで立っていられず、草の上に仰向けに寝そべった。まぶしかったが、快い風が頬をなでた。サミはブリキのコップに分けてもらった水を入れ、ワイラのところに持って行った。
「ありがとう、ワイラ……」
あの男とのやりとりを一部始終見ていたサミは感極まって、言葉に詰まったままワイラを見つめていた。ワイラは頬が熱くなるのを感じたので緊張をほぐして、優しく微笑み返した。
「ワイラ、私、10歳の時に、クスコから悪漢に追われて逃げてきたの。悪漢がどういう人たちなのか、私たちがどうして追われなければならないのか、父と母は最期まで教えてはくれなかった。
逃げる途中で、兄は悪漢に捕まって、助け出そうにも手立てがなかったの。兄は悪漢に抱えられ、足をバタバタさせていたわ。でも、私たちは後を振り向かずにひたすら走るししかなくて……。
追手から逃げると、父は、母と私を安全な洞窟に残して、兄を探しに出掛けたわ。それから一週間経って、父は全身傷だらけで戻ってきたの。兄の消息が分からないまま、父は母と私をあの沼地に連れてくると、力尽きてしまったの。それからあなたに出会うまでの六年間、私とお母さんは必死に隠れ住んできたわ。
でも、そのお母さんも病気で亡くなって、私は本当に一人ぼっちになってしまった……」
サミはこれ程までに自分のために一生懸命になってくれたワイラのことが信じられずにいた自分を責めるかのように、心底に沈めておいたものが、一気に口を突いて出た。ワイラはサミが心底からやっと自分を受け入れてくれたので嬉しくなった。そして、心を込めて言った。
「例え、もっと危険な目に遭うことがあったとしても、僕は決して、今のことは誰にも喋りやしない。だから、安心していいんだ」
サミはうなずいた。瞳には信頼のおける者を初めて得た安堵感がにじんでいた。
サミの瞳は、初めて出会ったあの時よりも、より一層輝きを増していた。一緒に旅をしていて分かったことだが、瞳に澄んだ輝きがあるのは、胸中が希望や喜びで満ちているためではなく、サミの場合、心の純粋さから来ているものだった。
親の中には、子供が幼い頃から、しきりに純粋であることを願い求める者もいるが、いざ成人してみても、それを武器にして生きて行くことなど机上の空論に過ぎなかったことに幻滅を覚えるだけである。心にある純粋さとは、地球上すべての物質の中で、最も硬いが熱にあっけない、ダイヤモンドに似ている。確かにそれは神が人間に与えた素晴らしい宝物に違いなかったが、取り扱いに細心の注意を払わねばならないものである。サミは純粋すぎるため、我が身を守るためには容易に人を受け入れようとはしなかった。
「今夜は、ここで野宿しよう」
そう言うとワイラはそのまま寝息を立てた。サミも近くに座り込み、頼もしいが子供っぽい寝顔のナイトをじっと見守っていた。
誤字脱字その他設定の修正はAIがしましたが、
この章も自力で書きました。




