2 ガウチョとの対決 1
牛車と別れて何日かが過ぎた。果てしなく続く大平原は、牛車で旅をしていた時より一層だだっ広く感じられた。
ワイラとサミ、簡素な荷物を積んだ馬、それらは、大海に浮かぶ一点の泡のようであった。ワイラたちは、コルドバを経てサンチャゴ・デル・エステロに向かっていた。
進むにつれ、日中の日差しがだんだん強くなり、途中で二、三時間休み、日がかげるころまた歩きだした。ワイラたちは、日中休んだ分、日が沈んでからも、星がくっきりと輝くころまで、足を速めた。
ゆうげの火を起こす材料には困らなかった。ちょうど乾期の頃で、乾いた草で一面が覆われ、旅人の野宿した火のあとがいい具合に所々に残されていた。ワイラたちはそれらを利用した。サンチャゴ・デル・エステロに近づくにつれ、沼地も多くなり、飲み水にも事欠かなかった。
サミとの旅は、はじめからほとんど無口のままであった。家族以外、ほとんど他者との交わりもなくあの沼地で沈黙を守りながら暮らしてきたせいなのだろうか、ワイラの方から口を利かない限り会話は流れなかった。
サミは無言のまま、馬の手綱を持ったワイラと並んで歩いた。それでもワイラは退屈したり、気遣ったりすることはなく自然体でいられた。ワイラも多弁ではなかったし、サミを見やりながら彼女の身の上をいろいろと空想した。
ワイラは空想家ではなかったが、サミに関しては、頭の中で、くるくると浮かんでは消えた。高貴な衣装をまとったサミを思い浮かべても何の違和感も感じなかった。控えめで何げない仕草、ケーナの調べ、奇妙な太陽の紋様、透き通った黒い瞳、ワイラがサミについて分かることは高貴という言葉だけだった。
二人旅になり間もない頃、ワイラはサミの境遇について尋ねたこともあったが、あまり触れようとはしなかった。サミはワイラの気持ちとは裏腹に、ワイラにさえもまだ用心しているようであった。それでも、ワイラは腹立たしく思ったりはしなかった。出会ってあまり時が経っていないし、道中を共にしても、あまり親しくなろうとしないのは、以前に余程ひどい目に遭わされたのかも知れないと思うと、ワイラは逆に不憫に思えた。
自分の境遇についてはあまり語ろうとはしないサミではあるが、ケーナに関しては、ワイラの問いかけに、そつなく答えた。ワイラは負担には思わなかったが、牛車より悪条件がそろうこの旅での慰みも、やはり楽器をおいてほかにはなかった。
夕食後、二人は必ず何曲か合奏した。ケーナとギター、この組み合わせは、個々に奏でているよりも、情感を醸し出すことができた。日を重ねるにつれ、曲の上では二人のハーモニーが微妙に絡み合い、一つのメロディを奏で、ワイラには琴線までが合致しているように思われた。
初めて出会った晩に聴いた曲も、幾度か披露された。ワイラが頼まなければ奏でてはくれなかった。そしてその曲を奏でる前には、いつも周囲を見渡し、何かに用心しているようだった。ワイラはこの曲を聴いていると心のしこりが洗い流されるような気がした。聴けば聴くほどこの曲の虜になっていく自分を感じた。
ある夜、ワイラはこの曲の名前について聞いてみた。サミはケーナの手入れをしながら何やら考えがちに答えた。
「『アンデスへの旅路』っていうの」
「……」
曲の感じとは違い、あまりにも平凡すぎる名前に、ワイラは少し拍子抜けした。(『アンデスへの旅路』どういう意味だろう)確かにこの曲は、アンデス山中の都に伝わっていたと聞いたが、ワイラは初めて出会った晩のことを思い出していた。そうなるとますます妙な名前に思えてくる。
「どうしてだい? あれはアンデスに伝わる曲だろう? だとするとおかしな名前だね」
ワイラは納得いかずに考え込んだ。サミはワイラの問いかけに言葉を選びながら、ゆっくりと答えた。
「あの曲が……伝わっていた町、クスコは……昔、インカの都だったところなの」
「インカ?」
ワイラはそんな国、聞いたことがなかった。
「インカは私たちインディオの王国だったわ。クスコが白い肌のスペイン人に占領された時、インカの人たちはそこから少し離れた険しい谷や山奥に逃れて行ったの。つまり、あなたや私たちの祖先よ」
サミは話をやめ、空を見上げた。南十字星が真上から見守っているように見えた。
「『アンデスへの旅路』は、この大平原に逃れてきたインディオたちが、再び、アンデスの地に戻れるようにって願いを込めてつけられたそうなの」
ワイラは自分の祖先について考えてみたこともなかった。インディオの祖先、インカの都クスコ。インディオでありながら今までそういうことを全く考えたことも意識したこともなかったワイラにとって、それらは新鮮な感じがした。そして、『アンデスへの旅路』という凡庸ではあるが、心の底まで染み渡る素晴らしいメロディーを生み出した祖先への敬意が高まった。
この時から、ワイラの中で、クスコへの旅は、サミの護衛役という名目から、自分にとっても意義のある旅になるような気がした。
雲ひとつなく真っ青に晴れ渡った日のことだった。太陽は真上から照り付け、ワイラたちには飲み水がほとんどなく、一休みできるような大きな木を重たい足取りで探していたが、それらしいものはどこにも見当たらなかった。見つからない時の避暑の手立てはあるにはあったが、木陰で休む方が涼しく、疲れも癒えるのが早かった。
ワイラは疲れた体を無駄に動かすこともないと思い、馬にくくりつけた一メートルほどの木を四本と毛布をおろし、テントを作りにかかった。
木は拳で握れるくらいの太さだが、固くて丈夫で、金槌で地面に叩きつけても折れたりすることはなかった。ワイラが杭を打ち付けている間、サミは荷物を整理し、不足しているものを確かめていた。水も食料もあまりなかった。まだ使ったことはなかったが、頭領からもらった小銃と銃弾があった。今夜はこれを使うことになりそうだ。獲物は鳥などがあった。
テントが出来上がった頃、遠くの方で、何人かが叫びながらやり取りしている声が、馬の蹄の音とともに聞こえてきた。向こうは、ワイラたちに気づいていないようだった。突進されると何もかも馬に蹴散らされてしまう。ワイラは慌てて馬に飛び乗り、それを止めにかかった。
馬を扱っている者に伝わっても、馬を止めるには時間がかかる。ワイラは大声で叫んだ。
「おい、この先に僕のテントがあるんだ。早く馬を止めてくれ!!」
ワイラに気づいた一人が駆け寄ってきた。
「おい、なんだって?」
「僕の連れとテントがあるんだ!!」
黒い馬に乗ったガウチョは、ワイラが言い終わるのを待たずに仲間へ伝え回った。テントまでの距離はあまりなかった。ワイラのところからでも、サミが馬から下ろした荷物をテントの周りにかき集めている様子が遠目でも分かった。
ほとんどの馬は、なんとか止めることができたが、残り十頭近くの馬は、勢いにまかせ、テントめがけて突進していた。ワイラはどうすることもできなかった。ガウチョたちは馬上からそれぞれ投げ縄を使い、馬の首にねらいを定めた。これですべての馬が足を止められたかのように思われた。しかし、その中の一頭が縄をかけられておらず、速度がゆるんだ馬の間を抜け、まるで闘牛のようにサミに突進した。サミは逃げることもできず、ただ茫然として立ちすくんだ。
「サミ、逃げろ!!」 ワイラは大声で叫ぶことしかできなかった。
ここで、この男が登場しなければ、サミはどのようになってしまっていたことか。その男は、後方から馬を飛ばし、寸前のところで立ちすくんでいたサミを拾い上げた。そして、暴れていた馬は、その男の縄に捕らえられ、落ち着きを取り戻した。サミはその男に抱き抱えられたまま、気絶していた。ワイラはすぐさま、その男に礼を言おうと駆け寄った。
「ありがとう、その娘を助けてくれて。何てお礼を言ったらいいのか」
男はワイラの礼に何も言わず、サミをじっと見つめていた。サミに気を奪われていたと言った方がいいかもしれない。
「この娘は何て名だ?」
「サミっていうのだけど……」
ワイラは男の目付きにいやなものを感じた。男はあまりいい風相をしてはいなかった。ガウチョたちの仲間に違いなかったが、中でも、一番タチが悪そうな風格をしていた。どうやらボスであるらしい。他の者たちは、畏敬を示しているようではあったが、牛車の頭領とは違い、怜悧な感じがした。
目を覚ましたサミと男の目が一瞬合った。サミは自分を抱き抱えている男の手がきつく締まったので叫んだ。
「ワイラ!!」
「その娘をどうする気だ? 馬から降ろしてくれないか!!」
男は恩人ではあるが、ワイラの口調は敵に対して使うものになっていた。男はサミをかかえたまま馬から降り、言った。
「この娘は、俺が助けた。俺がいなかったら、今頃はあの世に逝ってしまっていたはずだ。だから、俺が連れて帰る」
理屈も何もあったものじゃない。(この男は気が狂っている)ワイラは心の中で毒づいた。
「何言ってるんだ。確かにあんたが助けた。だけど、その娘は、僕と旅していたんだ。僕がさらってきた娘でもない」
ワイラはこれでも、できるだけ怒りを抑えた。感情的になり過ぎては、うまくいくものもいかなくなる。
「早く、その娘を返してくれないかい」
男はサミを離そうとせず、脇から短剣を抜き、もがいていたサミに突き付けた。
「剣を抜け!! この娘を返して欲しいならば、勝負だ!!」
ワイラはいきなり挑まれた勝負に面食らった。剣で勝負だなんて負けるに決まっている。ワイラは剣を交わしたことなど一度もなかった。
「そいつは駄目だ」
「なら、あきらめるんだな。この娘は連れて行くぜ」
男はサミを先に乗せ、自分も鐙に足をかけた。その拍子に、反対側にかけていたギターが落ちた。ワイラは焦り、咄嗟に言った。
「待て、こいつで勝負だ」
ワイラは落ちたギターを指した。ガウチョにとっても、ギターは慰みものだった。この男のほかに何人かが、ギターを携えていた。男はせせら笑ったが、思い直して言った。
この章も自力で書きました。
ガウチョとの対決、どうなるのでしょうか?……




