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アンデスへの旅路ーギターとケーナの出会いー  作者: 村松希美


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9 アクリャたち 1



 石壁のわずかな隙間から差し込む朝の光は、サミの瞳を刺すような鋭さを持っていた。それは、昨日までの過酷な旅路を終え、新しい一日の始まりを告げる祝福の福音などでは決してなかった。


 むしろ、逃れることのできない冷酷な籠の中へ、己の肉体と魂を永遠に繋ぎ止めるための、目に見えない重い鎖のようだった。


 サミが意識の底からゆっくりと目を覚ました瞬間、視界に飛び込んできたのは、見覚えのない殺風景な石壁だった。


 均一に切り出され、寸分の隙間もなく積み上げられた灰色の花崗岩。その冷徹な質感は、ここが個人の意思など一切通じない、強固な意志によって作られた空間であることを無言で主張していた。


 身体の下にあるのは、体温を容赦なく奪っていく固い石のベッドだった。薄い敷布一枚を隔てただけの岩肌から、容赦のない冷気が背中を伝って心臓へと染み込んでくる。


 隣室との境には、精緻な幾何学模様が織り込まれた、ずっしりと重い布が垂れ下がっていた。アルパカの毛で織られたその紋様は、どこか蛇のようでもあり、見る者の目を眩ませる奇妙な威圧感を放っている。


 頭上、およそ15センチ四方ほどの小さな正方形の窓からは、薄暗い青白い光が差しんでいた。それはまるで、外界とのつながりを完全に断絶された、牢獄の覗き窓のようだった。


(ここは……どこなの……? 私は、どうしてこんなところに……)

 意識の混濁の中から、断片的な記憶が、鋭いガラスの破片のように脳裏を突き刺しながら蘇ってくる。


 あの賑やかで華やかなラパスの街。女将さんの安産を祝い、みんなで参加したフィエスタ。カラフルなインディオたちの衣装が音楽に舞い、広場全体が大きな花を開かせたようだったあの瞬間。


 あのとき、確かにサミは背後に奇妙な視線を感じていた。街に着いてから何度も感じていた、あの訳の分からない嫌な視線。気のせいだと自分に言い聞かせ、ワイラがあたたかくその手を握ってくれたのに──ダンスの輪の混乱の中、熱狂する男の腕が当たり、彼の手が離れてしまった。


 一瞬のうちに二人の間に人波がなだれ込み、引き離された直後、耳元で聞こえた不気味な低い声。「お嬢さん」という無機質な響き。大声を上げようとした瞬間に、力強く口を塞がれたあの男の手の平の感触。


 後手でおぞましいロープに縛られ、人込みの裏へと引きずり回され、街道のはずれに停まっていたあの忌まわしい黒い馬車の中へと押し込められたのだ。


 「ワイラ……!」と叫んだ自分の声は、馬車の発車の轟音にかき消された。


 目隠しをされたまま、何日間も、果てしなく続く馬車の執拗で乱暴な揺れに耐えた。車輪が石を噛んで軋む音と、御座席から聞こえる男たちの荒々しい会話。その後、目隠しを外されたものの、今度は夜の冷気の中で半日近くも険しい山道を無理やり歩かされた。


 まぶたを透かす光の具合や、肌をなでる湿った風の冷たさから、この奇妙な建物に連れ込まれたのが真夜中だったことまでは分かった。しかし、そこから先は、深い闇の底に覆い隠されている。無理やり喉の奥へと流し込まれた、胸が焼けるような強い酒の香りが、今も不快な苦味を伴って口内にこびりついていた。あれは、ただの酒ではない。意識を遠のかせるための、何か妖しい薬草が混ぜられていたに違いない。


(ああ……あのとき、お母様の形見の、あの太陽の紋章をポケットから落としてしまったかもしれない……。アトゥックやブランカに見せて、みんなが一緒に探そうって手を重ねてくれた、私の一族の大切な証明なのに……)

 形見すら失ってしまったかもしれないという喪失感と悔恨が、サミの心をいっそう激しく痛めつけた。


「ワイラ……アトゥック……ブランカ……」

 愛する者たち、そして過酷な旅路を共にしてきた仲間の名を呼ぶ声は、乾ききった唇から漏れる、かすかな吐息にすぎなかった。


 自分を失ったあの変わり果てたラパスの広場で、今頃みんなはどれほど絶望し、自分を捜してくれているだろうか。考えれば考えるほど、呼吸が浅くなり、胸の奥が痛みのあまりに痙攣した。


 サミは、鉛のように重い身体を引きずるようにして、ふらつく足取りで小窓へと歩み寄った。冷たい床が足の裏から体温を奪う。

爪を石に立てるようにして身を乗り出し、外の景色を覗き見た。


 その瞬間、彼女は息を呑んだ。

 正面には、天を突く巨大な剣のように鋭く、神々しい峰がそびえ立っていた。その左側には、少し背の低い、ちょっこりとした尖った峰が、まるで親の背中に寄り添う子供のように並んでいる。

 そしてその手前、二つの峰に抱かれるようにして、山の急斜面に張り付くように作られた街並みがあった。


 それは、サミがこれまでの人生で見たことのない、恐るべき光景だった。幾重にも重なる段々畑が、まるで巨大な緑の階段のように谷底へと向かって伸びている。その上には、完璧な技術で組まれた石造りの宮殿や神殿、住居が、整然と、しかし不気味なほどの静寂を保って広がっていた。


 それは人間が穏やかに生活を営むための場所というよりは、外界のあらゆる侵入者を拒絶し、内部の者を絶対に逃がさないために築かれた、巨大な石の空中要塞そのものだった。


「お嬢さん、お目覚めですか?」

 背後からかかった唐突な声に、サミは心臓を激しく跳ねさせた。恐怖のあまり、全身の毛穴が逆立つのが分かった。


 勢いよく振り返ると、そこには、部屋の隅の薄暗がりに、まるで最初から影としてそこに存在していたかのように、黒い衣服を身にまとった男が静かに佇んでいた。ラパスで自分を襲った男たちの一人だ。


 その男の眼差しは、一人の生身の人間、一人の少女を見つめているものとは到底思えなかった。それは、骨董品の市で、極めて希少価値の高い、代わりの利かない宝物を鑑定し、その傷の有無を確かめているかのような、冷徹でありながらも不気味な熱を帯びた、歪んだ視線だった。


 「ここはどこなの!? ワイラたちは……私と一緒にいた人たちは、今どこにいるの!?」

サミは己の内に渦巻く恐怖を必死で押し殺し、精一杯の怒りと敵意を瞳に込めて、その男を射抜くように睨みつけた。ここで弱さを見せれば、二度と彼らのもとへ戻れなくなるという本能的な恐怖が、彼女の声を震わせながらも、激しく響かせた。


 しかし、男は表情ひとつ変えなかった。それどころか、憐れみすら感じさせない冷淡な笑みを口元にわずかに浮かべ、驚くほど恭しく、深く頭を下げた。

「ここはマチュピチュという街です。これまでの道中、あなた様に対して重ねてまいりました数々の無礼、まずは深くお詫び申し上げます」


「マチュピチュ……」

その名が男の口から漏れた瞬間、サミの身体を激しい戦慄が駆け巡った。


 それは、スペインの侵略者によって偉大なるインカ帝国が滅ぼされてから200年、生き残った王族の血を引く者たちが、敵の目を盗んで一族の子供たちにだけ密かに語り継いできた『決して外部の者に口にしてはならない聖地』の名だった。


 かつての皇帝たちが築き、キリストの十字架を掲げた残虐な侵略者の手すら届かなかった、深いジャングルの霧に隠された伝説の空中都市。父の古い語りでは、古都クスコからウルバンバ川の激流に沿って進んだ、険しい断崖の果てにあるという。幼い頃、まるでおとぎ話のように聞いていた一族の最高機密の場所が、今、目の前の圧倒的な石壁となって実在している。


(そんな……嘘でしょう? 一族の伝承は本当だったの? 私は、あの失われた聖地に連れてこられたの……!? でも、どうしてこの男たちがその名を知っているの?)

驚愕するサミをよそに、男は冷酷に言葉を続けた。


「……ワイラたちのところに、私を返して! お願い、ここから出して!」

「それはなりませぬ」

男の声は静かだったが、大岩を落としたかのような絶対的な拒絶の響きを含んでいた。


「あなたは、このマチュピチュに、我らの悲願のために、どうしても必要な方なのです。インカの栄光を取り戻すためにね」


「どういうこと? 私がなぜ……私には、そんな大層な場所に関わる理由なんてないわ!」

「今はまだ、多くを申し上げる段階ではありません。それよりも、まずはその薄汚れた旅装を脱ぎ、こちらの衣装にお召し替えください」

 男が、感情の籠らない手つきでパチリと指を鳴らした。


 すると、部屋の入り口を塞いでいた重い布が静かに上がり、サミと同い年くらいの一人の少女が、音もなく入室してきた。

 少女は、盆の上に一着の衣服を厳かに捧げ持っている。


「このお嬢さんが召し替えたら、すぐに私を呼びなさい」

 男は少女にそう命じると、サミに一度だけ冷たい一瞥をくれ、部屋を出て行った。


「かしこまりました」

少女の声には、一切の抑揚がなかった。サミは彼女の顔を必死に見つめたが、その瞳は人形のように無表情で、底が知れなかった。彼女の視線には、突然拉致されてきたサミに対する同情の欠片もなければ、かといって明確な敵意や悪意もない。ただ、上からの命令を完璧に遂行し、目の前の獲物を絶対に逃がさないという、冷徹な監視の意志だけがそこに張り付いていた。

サミは、怒りと恐怖で小さく震える手を伸ばし、差し出された衣装を広げた。


 それは、彼女が今まで着ていた、旅の埃にまみれた実用的な衣服とは、比べるべくもないほど上質で、贅を尽くした衣服だった。最高級のアルパカの毛を限界まで細く紡ぎ、信じられないほど密に織り上げられた生地。丈は足元まで美しく流れるように長く、鮮やかな、血を思わせるほどの深紅のワンピース。その襟元や袖口、長めの裾には、目の覚めるような鮮烈な黄色の布でバイヤスが施されており、緻密な幾何学模様の刺繍が施されている。


 そして、その上に羽織るように用意された、汚れひとつない純白のショール。その中央には、黄金の輝きを放つ太陽の紋章に似た、大きく重厚な金属製の留め具が据えられていた。留め具の周囲は、幾重にも重なる黄色の円環で囲まれており、まるで太陽の光が周囲を威圧しているかのような意匠だった。それは、自分が落としてしまったあの形見の紋章のデザインと、恐ろしいほど酷似していた。


「……後ろを、向いておいてもらえますか?」

サミが(かす)れた声で、せめてもの抵抗として問いかけると、少女は短く「そうね」とだけ答え、機械的な動作でくるりと背を向けた。その背中は、この場所の規律に完全に調教された人間のそれだった。

 衣服の紐を解き、新しい衣装を一枚ずつ身にまとうたび、サミは奇妙な、そしておぞましい感覚に囚われていた。


 自分の皮膚が、この衣服の繊維によって一枚ずつ剥ぎ取られ、自分という人間が、まったく別の不気味な『何か』へと無理やり塗り替えられていくような感覚。ワイラと笑い合い、共に音楽を奏でてクスコを目指していた「サミ」という少女の存在が、この深紅と純白の布によって押し潰され、消滅させられていくような恐怖。


「……着替え、終わりました」

 サミの声に、少女が静かに振り返った。その瞬間、人形のようだった少女の目が、一瞬だけ大きく見開かれた。彼女の瞳を過ったのは、言葉を失うほどの驚愕、あるいは、信じ難い高貴なものを見てしまったという畏怖(いふ)の念だった。


 だが、少女は驚くべき速さでその感情を心の奥底へと押し殺し、元の無表情な面を被ると、すぐに廊下に向かって黒服の男を呼んだ。


 戻ってきた黒服の男は、衣装をまとって佇むサミの姿を視界に収めた瞬間、その狂信的な瞳を限界まで見開き、喉の奥から這い出るような、恍惚とした声を上げた。


「素晴らしい……何と、何と素晴らしい『アクリャ』だ! 太陽神の眼は、二百年経っても狂っていなかった! お前こそが本物の太陽の乙女だ!」


(アクリャ……? 何なの、それは……私はサミよ! アクリャなんて名前じゃない!)

サミの胸の奥底に、得体の知れない、底なしの不気味な予感が黒い霧のように広がっていく。


 その時、男の狂気じみた歓声を聞いた、見張りの少女の表情が、ほんの一瞬だけ、強張ったように硬直した。サミはそれを見逃さなかった。少女のその表情は、衣服の美しさに対する羨望や嫉妬などでは決してなかった。それはむしろ、これから生きたまま祭壇へ捧げられる、死を目前にした哀れな生贄に対して、なす術もなく向ける、絶望的な哀れみに酷く似ていた。


 だが、あまりの混乱と恐怖の渦中にいたサミには、その変化の意味を深く考察し、警戒するだけの精神的な余裕など、どこにも残されていなかった。











この章からAIが書きました。


アクリャたちの原稿は少し書いていましたが、太陽の島へまでの原稿とこの章の自筆原稿を入力して、AIが書きました。

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