5 ポトシー鉱山ーブランカとの出会いー 3
翌朝、アンドレスはワイラたちの朝食に腕を振るっていた。
早起きしたワイラとサミも、テーブルに料理を運んだりして手伝っている。アトゥックはまだ隣の客間でいびきをかいていた。ブランカも二階の自分の部屋から降りてきていなかった。
突然、ドンドンドン! とすさまじく戸を叩く音が響いた。
「助けてくれ!」
アンドレスが料理の手を止め戸を開けると、一人のインディオの男が転がり込んできた。
「どうしたんだ、アンク?」
男は空気の希薄な高地に住んでいるせいか胸板が厚かったが、激しく咳き込んでいた。ワイラとサミは台所から外の様子を窺った。
「おいら、今朝、血を吐いたんだ。眠っている間も吐いたらしくって、机のあたりが血だらけだった……」
アンドレスは結核だと思ったが、口にはしなかった。鉱山労働者がよく罹る病気で、当時は不治の病であった。しかし、アンク自身も気づいているようだった。
「おいらもとうとう、あの悪魔の病に罹ってしまったんだ。そこへ奴らが家の中に入ってきて……」
間もなく、昨日レストランにいたあの男たちがやってきた。
「隠れるんだ」
ワイラは素早く、アトゥックが眠っていた部屋にサミを連れて行った。
その物音にアトゥックが目を覚ました。
「アトゥック、頼む」
そう言うとワイラはまた台所に戻った。外で男たちがわめいていた。
「アンドレス, そいつを寄越しやがれ!」
「こんなに激しい咳をしてるんだ、無理に連れて行くことはないだろう」
「お前が良くても、俺たちが困るんだよ! 俺たちはな、この十日間にどれだけの銀が採れるか競争してるんだ、隣組の奴らとな。昔のような、でっかい銀の塊を見つけたいじゃないか」
彼らが狙っているのは、「セロ・リコ(富の丘)」と呼ばれる、標高4000メートルを超えるひとつの巨大な銀山であった。
「君たちはあの血を見なかったのかね?」
「ふん、そんなもの。こいつらインディオは昔から野蛮な儀式をやっていたんだ。そいつはリャマの血かもしれないじゃないか。こいつが働くのが嫌になって、ただの風邪なのを大げさにしているだけさ」
ワイラは、アンクが本当に苦しそうにしているのに無茶なことを言う男たちに、激しい腹立たしさを覚えた。アンドレスも同じだった。
「とにかく、このような無茶な労働は、先だって発布された法令でも禁止されているはずだ。君たちはただ賭けをしているだけじゃないのかね。そんな身勝手な競争に病人を巻き込むのを、悪いと思わないのか」
「何を! 昨日も俺たちの邪魔をしやがって」
男たちの言葉遣いは、上司に対するものではなかった。アンドレスがこうやってインディオを庇うのを、良く思っていない者が大勢いたからだ。
「こいつが血を吐いたところを、俺たちは見たわけじゃない。とにかく、こいつは連れて行くぜ」
そう言って、アンクを引っ張っていこうと鞭を取り出した。
「そんなものを、まだ使っているのかね」
アンドレスは冷ややかな目で言った。
「俺たちはこいつらを統率しなきゃならないんだ。何を使おうと自由だろう!」
男たちは昨日のようには引き下がらなかった。余程、賭けに執着しているのだろう。アンドレスが男の鞭を奪おうと飛びかかっていった。男もアンドレスに殴りかかり、他の二人も男の加勢に入った。
ワイラも飛び出して行こうとしたが、自分が姿を見せると、またサミが狙われるのではないかと思い迷っていた。
その時、激しい咳の音が響いた。男たちが殴り合いをやめてアンクの方を見ると、彼は口の周りも服も、鮮烈な赤い血で染まっていた。
「大丈夫か、アンク!」
アンドレスが駆け寄った。アンクは今にも倒れそうだったが、必死で足を踏ん張った。
「見ろ、リャマの血なんかじゃないだろう」
インカ帝国征服後、スペイン人たちは自分たちの財宝略奪を正当化するために、インディオたちのワカ信仰(生贄の儀式)を野蛮とみなし、それを理由に彼らを虐待し続けたのであった。アンドレスは男たちに怒りの目を向けた。
男たちは、さすがにそこまで言われては引き下がるしかなかった。
「畜生、奴はいい労働力だったのによ……」
男たちは地団駄を踏んだ。そしてアンドレスを激しく睨みつけながら去っていった。男たちの姿が見えなくなると同時に、アンクは意識を失った。
「これはいかん」
アンドレスはアンクの左腕を自分の肩に回した。ワイラも飛んでいって手を貸し、客間へ運んだ。アトゥックとサミが心配そうに事情を聞いていた。様子を見ていたブランカが言った。
「あの人たち、本当に許せない……!」
アンクがようやく目を覚ました頃には、辺りは薄暗くなり始めていた。
「外はもう冷え込んでいる。今夜は泊まっていったらどうだね?」
激しく咳き込みながらも帰ろうとするアンクに、アンドレスが言った。
「いいえ、これ以上は面倒をかけられません。それに、かみさんも心配しているでしょうから」
そう言うと、アンクはマントを取った。アンドレスはアンクを気遣いながらも、彼の家族のことを考え、それ以上は引き止めようとしなかった。
「それなら、荷馬車で送っていおう」
「ありがとうございます……」
「ワイラ、アトゥック。君たちも一緒に来てくれないかい?」
アンドレスの荷馬車には屋根がなく、病床のアンクの体をみんなで温めるために、二人を呼んだのであった。
荷馬車は街道を行く。ワイラたちの目に飛び込んでくるものは、バロック様式の教会や、細やかな模様が刻まれた鉄のバルコニー、木製の鎧戸などスペイン風の建物で、夕日の中で美しく映えていた。
しかし、通りを進むにつれ、アドベ造りで寂れた屋根の家が密集する地域に入っていった。ここは、さっきまでの美しいスペイン風の建物とはまるで対照的だった。インディオの鉱山労働者たちは、この一角に押し込められるように住んでいた。
アンドレスがアンクの家の扉を開けると、暗がりの中から、ショールもまとっていない一人の女性が飛び出してきた。
「あんたーっ!」
女性はポロポロと涙を流した。
「無事でよかった……」
そして二人はアンドレスに何度も深く礼を言うと、彼らの荷馬車が見えなくなるまでいつまでも見送っていた。
帰途につく頃には、周囲はもうすっかり暗くなっていた。ワイラはランプに火をつけ、アンドレスの隣に座って言った。
「アンドレスさんが長官で、本当に良かったね」
「本当だぜ、全く。あの奥さんの喜びようったらなかったな」
後ろからアトゥックも言った。アンドレスは照れくさそうに頭をかいた。
「いや、私のやっていることなんてたかが知れている。このアルティプラーノは、元々はインディオたちのものんだ。それを私たちの祖先が彼らから奪った。本当に申し訳ないと思っている。彼らには、もっと自由があっていいはずなんだ」
アンドレスは力を込めて言った。そして、愛おしそうに遠くを見つめた。
その時――パーン! という鋭い銃声が夜の静寂を切り裂いた。
荷馬車が大きく揺れた。
「う、うう……」
ワイラが慌ててアンドレスの方へランプを照らすと、彼は左胸を強く押さえ、うずくまっていた。ワイラはアンドレスから手綱を奪い取ると、必死で荷馬車を止めた。
「アンドレスさん!」
「おじさん!」
ワイラとアトゥックがアンドレスの体を激しく揺すった。アンドレスは、
「か、かれらを……まもり……たい……」
と、途切れ途切れに言葉を残すと、静かに目を閉じた。
遠くの方から、二、三頭の馬の蹄の音が、冷酷にけたたましく響き去っていった。
誤字脱字、言い回しが変なところはAIで修正しました。
この章も自力で書きました。




