五話 知るほど、好きになる
それからしばらくの間、レオンとの関係は奇妙な均衡を保っていた。
彼は変わらず週に一度か二度、店に来た。薬草を買い、父と少し話し、私とも短く言葉を交わした。追及はしてこなかった。距離を詰めようともしてこなかった。ただ、いた。
私は私で、距離を置くことを諦めた。置こうとするほど意識してしまって、逆効果だと気づいたからだ。
だから普通にしようとした。普通に話して、普通に接して、心の中だけで処理する。前世でも似たようなことはあった。職場で好きな人ができても、仕事上の付き合いに徹するというやつだ。あれと同じだと思えば、できるはずだった。
……前世ではうまくいっていたんですが。今世は難易度が高い。
理由は単純で、前世の職場では相手も忙しかった。帰り際に少し話すくらいで、長時間二人でいる機会がなかった。でもレオンは非番の日に薬草屋に来て、配達を手伝って、雨が降れば一緒に雨宿りをした。距離が物理的に近すぎた。
さらに問題だったのは、知れば知るほど好きになるという事実だった。
レオンは口数が少ないが、観察力が高い。私が薬草の仕分けで迷っているとき、黙って手元を見てから「それは根の色が薄い」と一言だけ言う。合っている。父から聞いたのか、自分で覚えたのか聞いたら「両方」と返ってきた。
店の近くに住む老婆が足を悪くして配達に来られなくなったと話したら、次の週から彼がその分を届けるようになっていた。何も言わずに。聞いたら「通り道だ」と言ったが、騎士団の詰め所とは方向が逆だった。
こういう人なのだ、と思う。大きなことはしない。でも小さいことを、誰も見ていないところでやる。
……ずるい。本当にずるい人です。
◆
転機になったのは、聖女制度改革を巡る騒動だった。
王都の広場で、民衆が声を上げ始めた。「聖女は国のものではなく民のものだ」「聖女院の管理体制を見直せ」という主張で、穏やかなものだったが規模は日に日に大きくなっていた。騎士団も対応に追われていると、父が夕食のときに言っていた。
その夜、レオンが店に来た。珍しく夜の時間帯で、顔に疲れが出ていた。
「お茶、飲んでいきますか」
断られると思ったが、「もらう」と言って店の椅子に座った。私はお茶を淹れて、カウンター越しに置いた。
しばらく黙っていたレオンが、湯気を見ながらぽつりと言った。
「……昔、俺の村で流行り病が出た」
私は黙って聞いた。
「家族が死んだ。親父と、妹が。俺は十歳だった」
「……」
「そのとき聖女がいた。王国に登録された正規の聖女が。でも来なかった。王都の守りに使われてた。地方の村人より、王都の貴族の方が大事だったんだろう」
レオンはお茶を一口飲んだ。
「恨んでない。聖女本人は選べなかったんだろうから。……ただ、制度がおかしいと思った。だから騎士になった。自分の力でどうにかできるように」
少し間があってから、レオンが苦く笑った。珍しい表情だった。
「……なんで俺はお前にこんな話をしてるんだ」
「聞きたかったので」
言ってから、自分でも驚いた。
レオンが少し目を丸くした。それからまた、静かにお茶を飲んだ。
「……お前は不思議な娘だな」
「何がですか」
「こっちが話しやすくなる」
それ以上は何も言わなかった。私も言わなかった。しばらく二人で黙って夜の静けさの中にいた。
◆
その夜、私は一人で泣いた。
泣いた理由は、自分でもよくわからなかった。レオンの家族のことが悲しかった。当時の聖女が不憫だと思った。そして——自分が今まさに、同じ制度から逃げていることが、初めて胸に刺さった。
私には力がある。歴代最強と言われるほどの、治癒も浄化も何でもできる聖女の力が。それを隠して、自分だけ平和に生きている。
十歳のレオンが失った家族は、もしかしたら私の力で助けられたかもしれない。
もちろん、あのときの私はまだ生まれていなかった。どうにもできなかった。でも、この罪悪感は論理では消えなかった。
私は、何から逃げているんだろう。
前世では働きすぎて死んだ。今世では休もうとして逃げている。それはわかる。でも、逃げることと見て見ぬふりをすることは、本当に同じことなのだろうか。
答えは出なかった。ただ、この夜から何かが少しずつ変わり始めたのは確かだった。




