雨の日の攻防
問題が起きたのは、梅雨の季節のことだった。
王都では春が終わると雨季が始まる。一週間のうち半分は雨が降った。道がぬかるみ、薬草が湿気を吸う。配達の荷物が重くなる。それでも仕事は続く。
雨の日はレオンが来ないかと思っていた。さすがに雨の中わざわざ来ないだろう、と。
来た。
「……雨ですよ」
「見えている」
「傘はありましたか」
「なかった」
「なぜ持ってこなかったんですか」
「忘れた」
……副団長が傘を忘れます?
忘れたというのは、おそらく嘘です。でも証明する方法がないので黙っておきます。
濡れた上着を乾かしながら、私は呆れた気持ちと、なぜか少し嬉しい気持ちが混ざって困った。
お茶を出して、向かいに座った。雨の音が窓を叩いていた。
「アリア」
「はい」
「俺は、薬草の調合が少し得意になった気がする」
突然の話だった。
「……そうですね。最近は細かい作業も手慣れてきましたね」
「このまま覚えていけば、助手くらいにはなれるか」
「……助手?」
「お前の」
……この人は何を言っているんでしょう。
副団長が薬草屋の助手になるつもりなんでしょうか。
「騎士団はどうするんですか」
「両立できる」
「できませんよ」
「なぜ」
「副団長が薬草屋の助手を兼任したら、色々問題があると思います。上官の方がなんと言うか」
「上官には俺の方が強い」
「強さで解決する問題じゃないと思いますよ」
「では、副団長を辞めれば問題ない」
「……それはもっと問題が大きいです」
レオンがお茶を一口飲んだ。
「……冗談だ」
「全部冗談でしたか」
「全部ではない」
……全部ではない、という部分がとても気になりますが、今日は聞かないことにします。
◆
雨の音が続いていた。二人でしばらく黙っていた。
「……雨、好きか」
「嫌いではないです。薬草に水分が行き渡るので。でも採取には向かない」
「そうか」
「レオンはどうですか」
「嫌いだ」
即答だった。
「理由は」
「動きにくい」
「……それは、職業的な理由ですね」
「他に理由があるか」
「ありそうですけどね」
「……まあ」
「まあ?」
「昔、雨の中を一人で帰ることが多かった。嫌いになったのはそのころだ」
……そういう話を、さらっとします。
詳しくは聞けませんでした。でも少し、あの頃のレオンを想像してしまいました。
「今日みたいに、どこかに寄れるところがあれば、雨も悪くないかもしれないな」
レオンが窓の外を見ながら言った。
私は少し驚いて、それからお茶を一口飲んだ。
……今日みたいに、って。
ここに寄ることが、雨の日を悪くなくする。
……そういうことを、さらっと言うんです。この人は。
「……では、また雨の日は来てください」
「ああ。傘は忘れてくるかもしれないが」
「それは困りますが、貸します」
「そうか」
雨が少し強くなった。でも窓の中は温かかった。
二人でもう少しお茶を飲んで、雨が弱くなった頃に、レオンは帰った。今度は傘を持って。
……それは忘れていなかったんですね。
やっぱり最初から持っていたんじゃないですか。
◆
翌週も雨だった。
レオンが来た。今度は傘を持っていた。
「先週と違いますね」
「ああ」
「持ってきたんですか」
「持ってきた」
「先週は忘れたんじゃなかったんですか」
「……それはそれだ」
……やっぱり嘘でした。
わかっていましたけど。
でも、今日は傘を持って来た。それはどういう意味なのか、少し考えてから、考えるのをやめた。
「お茶、飲みますか」
「もらう」
雨の音を聞きながら、また二人でお茶を飲んだ。
先週と同じ景色だった。でも、少し違う気がした。
……何が違うのか、うまく言葉にできませんが。
先週より少し、ここに来ることが当たり前になっている気がします。
それは、悪いことじゃないと思っています。
「来週も雨かもしれないな」
レオンがぽつりと言った。
「梅雨ですから。しばらく続くと思います」
「そうか」
「……来週も来るつもりですか」
「ああ」
「雨でも」
「雨でも来る」
……それは、もう傘の話ではないですね。
雨の日にわざわざ来る人が、ここにいます。
前世では、雨の日は一人でした。帰り道、傘を差しながら、誰かと一緒に歩きたいと思っていた。
今は、一緒に歩く人がいます。
「……では、またお待ちしています」
「ああ」
レオンが出ていった後、私はしばらく窓の外の雨を見ていた。
雨の音は変わらなかった。でも、少し前まで一人で聞いていた音と、今日誰かと一緒に聞いた音は、同じ音でも違って聞こえた。
……こういうことを、「あたたかい」と言うんでしょうね。
前世では、よく知らないままでした。
翌日も雨だった。でも今日はレオンは来なかった。仕事が入ったのだろう。
それでも、作業場の窓から雨を見るとき、昨日と同じ音なのに、少し違って聞こえた。
誰かと一緒に聞いた雨の音が、耳の奥に残っていた。
……来週また来ると言っていました。
来週の雨が、少し楽しみです。
前世では、雨が楽しみになるとは思っていませんでした。
人がいると、そういうことが変わります。
うれしいです。




