裏路地の娘
あの夜のことは、よく覚えている。
魔物の討伐任務を終えた帰り道、不意打ちを喰らった。上位種が一体、民家の陰に潜んでいた。油断だった。副団長ともあろう者が、情けない。昼間は大人しかった場所だ。夜になって活性化したのか、それとも最初から潜んでいたのか。どちらにせよ、俺の確認不足だった。
深手を負ったまま裏路地に逃れて、壁に背を預けた。血が出続けていた。応援を呼ぶ余裕もなかった。声を上げれば魔物に位置を知らせることになる。じっとしているしかなかった。意識が遠のきかけたとき、足音が聞こえた。
小さな足音だった。
しゃがみ込む気配がして、手のひらが胸に当てられた。温かかった。それから、光が見えた。白い、柔らかい光だ。
傷が、塞がっていった。
……何が起きている。
目を開けた。暗い路地の中に、娘が一人いた。十代半ばか後半か。地味な格好で、背中に薬草の束を背負っていた。顔が見えた。落ち着いた顔をしていた。こんな状況で、驚いている様子がほとんどなかった。
立ち上がろうとした気配がして、反射的に手首を掴んだ。
「……何をした」
落ち着いた声が出た。自分でも驚いた。
娘は少し固まってから、笑って答えた。
「薬草を使って応急処置をしました。たまたま持ち合わせていたので。それではお大事に」
「……薬草で、こんな傷は塞がらない」
「良い薬草でした」
嘘だ。
薬草でこの速さで傷が塞がるわけがない。あの光は何だ。あの熱は何だ。腹の深手が数秒で消えた。薬草師の技術ではない。
「名前を聞かせろ」
娘は少し目を泳がせた。一瞬だけ迷って、それから適当な名前を言った。嘘だとわかった。目が少しだけ右上を向いた。作り話をするときの人間の目の動きだ。
手首を振りほどいて、走って消えた。
追える体ではなかった。
壁に背を預けながら、レオンはしばらく娘が消えた方向を見ていた。
……妙な娘だ。
助けておいて逃げる。嘘の名前を言う。あの光は何だった。
わからないことだらけだが、一つだけわかることがある。
あの娘は、俺を助けようとしてあの路地に来たわけじゃない。通りかかって、放っておけなかっただけだ。
……そういう人間が、いるものなんだな。
◆
翌日、調べた。
裏路地の位置から、夜間に通りかかれる場所を絞り込んだ。薬草を扱っている家を当たった。三軒のうち、十代の娘がいるのは一軒だけだった。
王都の外れにある、小さな薬草屋だった。
礼を言いに行くつもりだった。それだけのつもりだった。それ以外の理由はなかった。
店に入ると、薬草の匂いがした。棚に整然と並んだ薬草の束、几帳面に書かれた値札、磨かれた木の床。清潔な店だった。手入れが行き届いている。
奥から娘が出てきた。昨夜と同じ顔だった。
私を見た瞬間、一瞬だけ表情が固まった。すぐに笑顔を作ったが、その一瞬が見えた。
逃げたいと思っている。
「いらっしゃいませ。本日はどのような薬草をお求めでしょうか」
よく訓練された笑顔だった。でも目が、少し泳いでいた。
本当は詰問するつもりだった。あの光は何だ、正体を明かせ、と。でも、向かい合って話していると、何か別のものが見えた気がした。
……この娘は、隠している。
でも、悪意があって隠しているわけじゃない。怯えている。追い詰められている。それが、目の奥に見えた。
問い詰めるのは、やめた。
礼を言って、帰った。
帰り道、なぜ問い詰めなかったのか自分でも説明できなかった。
……まあ、またくれば聞けばいい。
そう思っていた。今思えば、それが最初の間違いだった。




