十八話 私のものです
遺跡から出ると、夜明けが始まっていた。
東の空が薄く白んでいた。星が消えていくところだった。遺跡の周囲に集まっていた魔物はすべていなくなっていた。地面には魔物が消えたあとの黒い痕だけが残っていた。
騎士たちが遠巻きに立っていた。全員がこちらを見ていた。誰も何も言わなかった。朝の光の中で、彼らの顔に疲労と、安堵と、困惑が混じっていた。
サイラス調査官がいた。
「……アリア・ヴェルメール」
「はい」
「あなたが聖女ですか」
「さあ、どうでしょう」
「今夜の光を見ました。あれほどの聖力は、登録された聖女の中にはいません。あなたは聖女院に——」
「登録するつもりはありません」
サイラスが表情を硬くした。周囲の空気が、少し張り詰めた。
「それは……法律上、聖女の資質を持つ者は——」
「私のものです」
きっぱりと言った。声が震えなかった。自分でも驚いた。十二年間、ずっと怯えていた言葉が、今夜は自然に出てきた。
「私の力は、私のものです。国のものでも、制度のものでもない。私が自分の意志で動きました。命令でも義務でもありません。これからもそうします。制度に縛られるつもりはない」
「しかし、あなたの力は国にとって——」
「国の危機に際して協力はします。今夜がそうでした。でも、管理されて使われる道具にはなりません。それが私の答えです」
サイラスが何か言おうとした、そのとき。
「調査官」
レオンが前に出た。鎧に汚れがついていた。一晩中戦い続けてきた体で、それでも声は静かで、確かだった。
「今夜、この市民が自らの意志で王都を救った。それは事実だ。その市民を、今ここで拘束しようというなら、騎士団は黙っていない」
静寂があった。
エミリアも、レオンの隣に並んだ。
「私も同じ意見です。アリアさんは今夜、自分の意志で動きました。それを否定することは、私にはできません」
サイラスはしばらく二人を見て、それから私を見た。何かを測るような目だった。長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「……今夜のことは、持ち帰って検討します。ただし、今後同様の事態が起きた際には、改めて協議の場を設けたい」
「それなら応じます」
サイラスが踵を返した。周囲の緊張が、ほどけていった。
◆
三人で、王都へ戻る道を歩いた。
夜が終わって、朝が始まろうとしていた。空の色が橙から青へ変わっていった。鳥の声がどこかから聞こえてきた。道端の草に、朝露が光っていた。
エミリアが口を開いた。
「……かっこよかったです」
「そうですか」
「あんな風に言えるの、すごいと思います。私には無理だから」
「あなたには、あなたの戦い方があります。今夜、ここまで来てくれたこと、本当に助かりました。あなたがいなければ、私一人では近づけなかった」
エミリアが少し目を伏せて、それから笑った。初めて、柔らかく笑った顔を見た。緊張が解けると、年相応の顔になった。
「……友達になってもらえますか」
「もうなってますよ」
エミリアが目を丸くして、またすぐに笑った。レオンは二人の会話を黙って聞いていた。
◆
王都の門をくぐったとき、夜明けの光が石畳を照らしていた。
エミリアと別れて、二人になった。しばらく並んで歩いた。言葉はなかった。でも、沈黙が苦しくなかった。この人との沈黙は、ずっとそうだ。
店の前まで来たとき、レオンが立ち止まった。
「アリア」
「はい」
「さっきの言葉。本心か」
「どれですか」
「制度に縛られない、自分の意志で動く、という話だ」
「本心です」
レオンが少し間を置いた。朝の光の中で、彼の顔はいつもより少し穏やかに見えた。
「それなら——俺の隣にいろ」
「……それは、どういう意味ですか」
「そのまんまの意味だ。国に縛られるなら言わない。俺の隣に、お前の意志で、いてくれるかと聞いている」
朝の光の中で、レオンがまっすぐに私を見ていた。飾りのない目だった。騎士でも副団長でもなく、ただのレオン・アシュフォードという人間の目だった。
私はしばらく黙っていた。
……前世では、こういう瞬間を、ずっと逃し続けてきました。
忙しかったから。疲れていたから。タイミングが悪かったから。
今世では。
「……いいですよ」
「いいですよ、とはどういう意味だ」
「そのまんまの意味です」
レオンが少し、本当に少しだけ、表情を緩めた。目の端が和らいで、口の端が上がった。それだけだったが、私にはその変化がよくわかった。
私はそれを見て、前を向いた。店の扉を開けた。
朝の光が、薬草の並ぶ棚を照らしていた。薬草の香りがした。いつもと同じ香りだった。
何も変わっていないようで、全部変わっていた。
……逃げなくていい場所を、見つけました。
遅くなりましたけど。前世も含めると、かなり遅くなりましたけど。
……まあ、いいですね。今からで。
――――◆――――
エピローグへ続く




