十六話 自分の意志で、行く
魔瘴が、本格化した。
エミリアの予言通り、それから十日で状況は急変した。王都の四方で同時に魔物の大規模な出没が報告され、騎士団は全員が出動体制になった。レオンも朝から晩まで動き続け、店に来る時間もなくなった。
城壁の外から聞こえる爆音と、遠くに見える黒煙が、日常の風景になった。市場が閉まった。夜は人が出歩かなくなった。子どもたちの笑い声が、路地から消えた。王都がじわじわと息を詰めていくのが、肌でわかった。
私は薬草屋を続けた。むしろ需要が増えた。負傷した市民が来る。騎士団の使いが来る。ヒール草も魔力草も、在庫が追いつかないほど出ていった。調合しては売り、採取しては調合した。それが今の私にできることだった。でも、それだけでは足りない、という感覚が、日に日に強くなっていった。
夜、一人で作業場にいると、外から遠い爆音が聞こえてくることがあった。その音がするたびに、手が止まった。レオンは今、どこにいるのか。エミリアは。街の人たちは。
……見て見ぬふりは、もう私にはできない。
それはわかっています。わかっていて、でも、どこまでやるかを決めていなかった。
決める時が来た、ということですね。
父と母には、今度こそ安全な場所へ移ってもらった。二人は最初渋ったが、私が「必ず合流します」と言ったら、信じて行ってくれた。
……嘘はついていません。必ず合流します。
ただ、その前にやることがあるだけで。
店に一人残って、私は荷物をまとめた。
必要な薬草と調合道具。魔力抑制の補助になる特製の指輪——ガイウスという老魔術師が昔くれたものだ。「いつかこれが必要になる日が来る」と言って渡してくれた。そのときは意味がわからなかったが、今ならわかる。この指輪があれば、力を絞りながら長時間戦える。消耗を抑えつつ、必要なところで力を出す、そのための道具だ。
荷物を背負いながら、私は静かな店内を見回した。薬草の棚。磨かれた木のカウンター。父の字で書かれた値札。母が飾った小さな花瓶。何年もかけて作り上げた、ここの日常。
……守りたいのは、これです。
この街の朝が、また来るように。子どもたちの声が路地に戻るように。
それが、私の「自分の意志」です。
準備を終えたとき、扉が開いた。
「……やっぱりここにいた」
レオンだった。鎧姿で、少し息が上がっていた。額に汗が光っていた。昨日から出動が続いているはずなのに、こちらに来た。
「なぜここに」
「お前が避難していないと父上から連絡があった」
「情報が早いですね」
「行くつもりか」
問いというより、確認だった。私はレオンを見た。疲れているのに、目が真剣だった。一晩中戦い続けてきた体で、それでもここに来た。
「行きます。自分の意志で」
レオンは少し間を置いた。止めるかと思った。でも彼は、止めなかった。
「……わかった」
「止めないんですか」
「お前が決めたことだ。俺が止める筋合いはない」
「でも——」
「ただ」レオンが言った。「一人で行くな」
私は少し笑った。
「護衛ですか」
「当たり前だ」
……この人は、いつもこうです。
止めない。でも、一人にはしない。
それが、この人の隣にいたいと思った理由かもしれません。
二人で店を出た。石畳の上を、並んで歩いた。空は暗く、遠くで爆音がした。でも足取りは、揺れなかった。




