十四話 調査官、現れる
問題が持ち上がったのは、そんな平和な日々が二週間ほど続いたある朝のことだった。
店に見慣れない人物が来た。
年の頃は三十代半ば。整った身なりに、胸元に聖女院の紋章をつけている。柔らかな笑顔だったが、目が笑っていなかった。こういう目をしている人間を、私は前世で何度か見たことがある。仕事ができて、感情を切り離すことに慣れている人の目だ。優秀な官僚や、熟練の交渉人がしている目だ。
「アリア・ヴェルメールさんですね。聖女院から参りました。少しお話を伺えますか」
……来ましたか。
来ると思っていました。遅いくらいです。
私は穏やかに笑って答えた。
「もちろんです。どうぞお掛けになってください」
男の名前はサイラス・ウェインといった。聖女院の調査官だという。
用件は単刀直入だった。先日の北側防衛戦で、正体不明の聖光が目撃されている。複数の騎士と市民が証言している。調査の結果、発生源がこの界隈であると絞り込まれた。心当たりはないか、というものだった。
私は落ち着いて首を振った。
「その夜は避難していましたので、詳しいことはわかりません」
「そうですか。では、お宅に魔力の素質を持つ方は」
「私は魔力がほとんどないんです。昔、教会で測ってもらったときに言われました」
これは嘘だった。正確には、測定器を破壊する前に素早く手を離したので、正確な数値が出なかっただけだ。でも記録上は「微弱」になっている。子どもの頃から用意しておいた保険だ。
サイラスはしばらく私を見ていた。値踏みするような目ではなかった。もっと静かな目だった。答え合わせをしているような、あるいはすでに答えを知っていて、私がどう答えるかを見ているような、そういう目だ。
「……そうですか」
「はい」
「では、お近くに最近出入りされている方で、魔力をお持ちの方は」
……レオンのことを聞いている。
「さあ。薬草屋ですので、いろいろなお客様がいらっしゃいますが、特に気になった方は」
「騎士団の方が最近よくいらっしゃると聞きましたが」
「薬草をお求めになるお客様は多いですよ。特に最近は魔物の被害も多いですし、騎士団の方がいらっしゃることも増えました。ヒール草の在庫がずいぶん減って困っているくらいです」
サイラスが少し表情を変えた。探っているのか、感心しているのか、判断がつかなかった。話の切り返し方が流れるように自然すぎる、と思っているのかもしれない。
「……わかりました。ご協力ありがとうございます。もし何か気づいたことがあれば、こちらまでご連絡を」
名刺のようなものを置いて、出ていった。
父が不安そうな顔でこちらを見ていた。私は「大丈夫ですよ」と笑って見せた。
……大丈夫、かどうかはわかりません。でも今は笑うしかないです。
◆
その夜、レオンに知らせた。
話を聞いたレオンは少し表情を険しくしたが、すぐに落ち着いた顔に戻った。普段から感情を表に出さない人だが、今夜は特に静かだった。何かを頭の中で整理しているときの、あの沈黙だ。
「……聖女院が動いたか」
「調査官でした。まだ確証はないみたいでしたけど、絞り込んではいるようで。あの人、かなり優秀です。時間の問題だと思います」
「どうするつもりだ」
「逃げません」
即答したら、レオンが少し目を細めた。
「逃げないとは」
「どこかに逃亡するつもりはないという意味です。ここに居ます。ただ、登録はしません。聖女院の管理下に入るつもりもない」
「捕まえに来たら」
「……そのときはそのときで考えます。でも、正当な理由なく市民を拘束することは、騎士団が許しませんよね」
レオンが少し間を置いて、頷いた。静かだが、確かな頷きだった。
「……許さない」
「では当面は問題ないですね」
私は努めて明るく言った。レオンはまだ何か言いたそうだったが、結局黙った。その代わり、帰り際に「何かあれば、すぐ言え」と短く言った。
「わかりました」
「……怖くないのか」
珍しかった。レオンがこういう聞き方をするのは。
「怖いですよ。少し」と私は答えた。「でも、怖いからといって逃げることと、必要だから動くことは、やっぱり違う。それはもうわかっています」
レオンが何も言わずに私を見た。しばらく、そのまま見ていた。
「……そうだな」
それだけ言って、帰っていった。
……何かあれば、すぐ言えと言ってくれる人が、いる。
それだけで、ずいぶん違います。十二年間、一人で抱えてきたものの重さが、今更わかる気がします。




