交錯する運命
「――私はシズク。デュミナス教の教皇様に仕える身です」
フロントに現れた黒いマントの少女――シズクは、警戒を崩さないまま、けれどどこか切迫した様子でそう名乗った。
奥の作業場からオイルまみれで出てきた俺とニコラ、そしてお茶を持ってきたセイラを冷徹な赤い瞳で見据え、彼女はここへ来た理由を静かに語り始めた。
「現在、私はとある重大な件……『教皇エレオノーラ様の暗殺計画』を極秘裏に調査しています」
「教皇の、暗殺計画……っ!?」
セイラが息を呑み、シズクの言葉を繰り返す。
シズクは小さく頷き、さらに言葉を続けた。
「ええ。教会内部の裏切り者を追って調査を進めていたのですが……その過程で、莫大な資金を使って『外部の暗殺者』に大量の依頼を出している不穏な神父の存在を突き止めました。ですが奇妙なことに、その神父が放った刺客たちの現在の標的は、教皇様ではなく、なぜかこのジャンク屋にいる『カイト』という男だという情報を掴んだのです」
シズクの視線が、真っ直ぐに俺へと向けられる.
「これが教皇様の暗殺計画とどう関係しているのかは、まだ分かりません。ですが、裏で凶悪な暗殺者組織と繋がっているような神父を、このまま放っておくわけにはいかない。そこで、命を狙われている当事者である君たちなら、何か事情を知っているのではないかと思い、話を聞きに来たのです」
シズクの整然とした、けれど緊迫感のある説明を聞いて、俺は完全にフリーズしていた。
「……え? 俺、暗殺者に狙われてんの? 全然気づかなかったんだけど」
魔法も戦闘力も皆無な俺だ. ニコラと四六時中、科学ギミックのレクチャーと魔導具作りに没頭していたせいで、命を狙われている危機感など微塵も感じていなかった。
するとその時、俺の隣で、セイラが「あ、あの……」とおずおずと控えめに手を挙げた。
「す、すいません……。カイトさんを狙って街に潜んでいた暗殺者の方たちなら……全員、私が裏で静かに撃退して、ゴミ箱とかに縛って転がしてました……」
セイラは本当に申し訳なさそうに、ペコリと頭を下げた。
「「「…………え?」」」
俺とニコラ、そして調査のプロであるはずのシズクの思考が同時に停止し、工房の中に何とも言えない奇妙でシュールな空気が漂った。
シズクにいたっては「え? 精鋭暗殺者たちが全滅……? この子一人に……?」と言いたげに、驚愕で赤い瞳を点にしている。
だが、俺はすぐに頭を切り替え、ポンと手を叩いてその妙な空気をピシャリと断ち切った。
「――なるほどな。話が繋がったぜ。シズクさん、その外部の暗殺者を雇ってるクソ神父の名前……『グレゴリー』だろ?」
「なっ……!? なぜその名前を……」
シズクが目を見張る。俺はフッと口元を不敵に歪め、ニコラに椅子を借りてシズクに向き直った。
「あのクソ神父なら、裏で教皇の暗殺を企んで権力を乗っ取ろうとしてても、何一つおかしくねえよ。外面だけは最高に良い最悪の悪党だからな」
俺はシズクの警戒を解くため、セイラがかつて神父に騙され、暗殺道具として利用されていた過去の事情をかいつまんで話した。
もちろん、今は神父と完全に決別し、誰も殺していないことも含めてだ。
すべてを聞いたシズクは、驚きと共に、目の前の可憐なシスターが神父の「最高の手駒」であった事実に冷や汗を流していた。
「……セイラ。お前、神父の元にいた時、その『教皇暗殺計画』について何か聞いてたりしなかったか?」
俺が優しく尋ねると、セイラは悲しげに首を横に振った。
「いえ……。私はいつも、神父様から直接『この者を処分しろ』とターゲットの書かれた書状を渡されるだけでしたので、大きな計画の全体像までは知りませんでした……. でも、あの神父様の冷酷な本性を知った今ならわかります。あの人なら……教皇様を暗殺して教会を奪うことくらい、やりかねません」
セイラの言葉は紛れもない彼女の本心だった。
神父への復讐を誓う俺たちと、教皇を守るために命をかけるシズク。
偶然か、あるいは神の悪戯か――ジャンク屋の片隅で、グレゴリー神父という共通の敵を巡り、それぞれの運命が急速に一つへと交錯し始めていた。
「シズクさん、その神父の調査ってのは、今どの程度まで進んでるんだ?」
俺は作業机の椅子に深く腰掛け、真剣な眼差しでシズクに問いかけた。
シズクは悔しげに小さく唇を噛み、首を横に振る。
「……正直に言って、全く進んでいません。かろうじて掴めたのは、暗殺の仕事から足を洗おうとしていた一人の男から、裏で神父が関わっているという証言を力尽くで引き出せたことくらいです。その男の証言から、標的にされていたあなたに会いにこの町へ来たのですが、神父自身の調査に関しては完全に手詰まりでした」
その言葉を聞いたセイラが、ハッとして小さく手を挙げる。
「あの、シズクさん……その足を洗おうとしていた暗殺者の方って、もしかして路地裏で私に……その、ゴミ箱に転がされていた方でしょうか……?」
「え……? ああ、確かに、見つかった時は酷く怯えて、もう二度と暗殺なんてやめる、田舎に帰るんだと泣き叫んでいましたが……」
シズクが呆然と答える。
俺は思わず納得したように顎を撫でた。
(なるほどな。セイラに手も足も出ずにボコボコにされたから、その男は恐怖のあまり暗殺者を辞めようとしてたんだな……。間接的にセイラが情報を引っ張り出してくれたわけだ)
「とにかく、分かったのはグレゴリー神父が極めて用心深く、絶対に表に尻尾を出さない人物だということだけです。……私の固有魔法が、もう少し使いやすければ調査も捗るのですが」
シズクは自嘲気味にため息をついた。その言葉に、俺のアンテナがピクリと反応する。
「使いにくい? シズクさんの固有魔法って何なんだ?どんな欠陥があるんだ?」
「……私の固有魔法は、『インビシブル』姿を完全に透明化できます。ですが、透明化している間は、自分自身も周囲の景色が何も見えなくなるという致命的な欠陥があるのです。暗闇の中を盲目で歩くようなものですから、動くことすら困難になります」
固有魔法は誰にも明かさないのがこの世界の常識だが、共通の敵を前にしたシズクは、信頼の証としてその秘密を打ち明けた。
「なるほど、光が透過しちまうのか……」
俺はポンと手を叩き、科学の知識からその現象の理屈を紐解いて納得する。
「シズクさん、それさ、君の身体が完全に透明になるってことは、本来なら君の眼球の奥――『網膜』に当たって像を結ぶはずの光まで、全部後ろに通り抜けてるってことだ。光を感知する網膜に像が結べなくなってるから、脳に視覚情報が届かなくて見えなくなる。理屈としては完璧に説明がつくぜ」
「モウマク……ゾウを結ぶ……? 詳しい理由は分かりませんが、そういう原理なのですか……?」
シズクが驚きに目を丸くする。科学的な解説に、作業場の奥で聞き耳を立てていたニコラも「へえ!」と感心したように声を上げた。
俺は腕を組み、うーむと唸りながら思考を走らせる。
「……なぁ、俺の『イリュージョン』を使えば、その欠陥を補えるかもしれないぞ」
「カイトさんの魔法で、ですか……?」
セイラが不思議そうに首を傾げた。
「ああ。シズクさんが透明化して目が見えなくなっても、俺が魔法で『周囲の光景の幻覚』を君の脳内に直接見せてやれば、目が見えているのと同じ状態で動けるはずだ。……ただ、この魔法は、俺自身が認識している映像しか見せてやれないって制約がある。君が俺の見えない壁の向こうとかに行っちまったら、映像を正しく届けてやれないんだよな」
「そうなのですか……。では、やはり遠くの密偵には使えませんね」
少し落胆した様子のシズクに対し、俺はニヤリと、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「いや、諦めるのは早いぜ。なぁニコラ、今俺たちが開発してる『アレ』……小型のビデオカメラとプロジェクターの機能を持たせた、あの新しい魔導具。アレを使えば、めちゃくちゃ面白いことになるんじゃないか?」
「あ……! 確かに!」
ニコラが工具を放り出し、狂喜乱舞の笑みを浮かべて設計図を引っ掴んだ。
俺の頭の中では、異世界の魔法技術と前世の科学知識が完璧に融合し、用心深いクソ神父の化けの皮を完全に剥ぎ取るための、最凶の『隠密偵察システム』の図面が完成しつつあった。
「よし……完成だ! 魔法の『光の収縮と拡散』、それに器への『貯蔵』の理屈を応用した、世界初の映像中継型魔導具だ!」
ニコラが油まみれの顔で、二つの奇妙な機械を掲げた。一つは頭部へ装着する小型の筒状レンズ――前世の『ビデオカメラ』に該当する魔導具。もう一つは、そこから送られる魔力の電波を受信し、光として壁に投射する『プロジェクター』の魔導具だ。
「早速、実戦テストといくか。この部屋にセイラがいない今がチャンスだ」
俺はニヤリと笑い、シズクの頭に小型カメラを装着した。
そして、部屋の壁に向けてプロジェクターを起動する。
「シズクさん、まずはカメラの電源を入れるぞ。……よし、映った」
プロジェクターから放たれた光が、壁にシズクの視点通りの部屋の景色を映し出す。
「では、行きます。――『インビシブル』」
シズクが静かに呟くと、彼女の身体が瞬時に掻き消え、完全な不可視となった。
同時に、透明化した彼女の赤い瞳からは一切の光景が消え去り、完全な闇に包まれる。
しかし、頭部に付けたカメラの映像は、魔力の流れを維持したまま、問題なくプロジェクターへと電波を送り続け、壁に景色を映し出し続けていた。
「よし、映像は途切れてない。そこへ――」
俺はパチンと指を鳴らす動作を挟みながら、壁の映像を逆算して、透明化したシズクの脳内へと『イリュージョン』を走らせた。
「っ……!? 見える……! 姿は消えているのに、周囲の景色が完璧に見えています……!」
シズクの驚愕と歓喜の声が響く。
不可視の欠陥を、科学と幻覚のコンビネーションが完全に克服した瞬間だった。
「実験は成功だな。じゃあシズクさん、そのまま隠密行動のテストだ。今この建物内のどこかにいるセイラを探し出して、彼女に見つからないようにここまで帰ってきてくれ。俺は今あいつが何をしてるか知らないし、勘の鋭いセイラに見つからずに接近できれば、隠密の合格ラインとしても文句なしだろ?」
「分かりました。テスト、行ってきます」
気配を消したシズクは、音もなく扉から廊下へと滑り出していった。
シズクはカメラを通じて送られてくる脳内の視覚に頼りながら、静かに廊下を進み、セイラの部屋の前へとたどり着いた。
人の気配はある。
シズクは慎重に、数ミリだけ扉を押し開けて中を覗き込んだ。
だが、脳内に送られてきたその光景に、シズクは思わず息を呑んだ。
扉の向こうにいたセイラは、ちょうど着替えをしている最中で、布切れ一枚を辛うじて身に纏っただけの、ほぼ裸に近い状態だったのだ。
白く滑らかな背中や、豊満な肢体が容赦なくカメラのレンズに捉えられ、プロジェクターを通じてカイトの待つ部屋の壁へと大画面でリアルタイム中継されていく。
「――? 誰かいるの?」
かすかな扉の音を敏感に察知したセイラが、訝しげな表情で振り返り、露わな裸体のまま廊下を鋭く睨みつけた。
心臓が跳ね上がるシズク。
しかし、インビシブルの隠密性は完璧だった。
セイラは数秒間、誰もいない廊下の空間を見つめていたが、やがて視線を外した。
「……気のせい? 風でも吹いたのかしら」
セイラは首を傾げると、再び部屋の奥へと戻り、無防備に着替えの続きを始めた。
その光景を脳内で共有したシズクは、猛烈に顔を真っ赤に染めながら、大急ぎでカイトのいる作業場へと足早に戻っていった。
「カイト……っ!!」
部屋に戻ると同時に魔法を解いたシズクは、湯気が出そうなほど顔を紅潮させ、カイトの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「貴方、わざとですか!? 何がテストですか、破廉恥な! 訴えますよ!?」
「待て待て待て! 弁明させてくれ、俺だってセイラが今まさに着替え中なんて夢にも思ってなかったんだって! 完全に不慮の事故だ!」
俺が冷や汗を流しながら必死に両手を振って弁明している、まさにその時。
ガラリと扉が開き、着替えを終えたセイラが、いつも通りのシスター服姿で不思議そうに部屋に入ってきた。
「あの……皆さん、さっきから奥で何を騒いでいるんですか? 私、お茶のお代わりを淹れてきたのですが……」
「「――っ!?」」
俺とシズクの背筋に、同時に凍りつくような戦慄が走った。
もし今、さっきまでこの部屋の壁一面に「彼女のほぼ全裸の着替えシーン」が投影されていたことがバレれば、一体どうなるか。
「い、いやぁ! なんでもない、なんでもないんだぜセイラ! ニコラの作った機械がちょっと爆発しそうになってさ、あははは!」
「そうそう! あたしの改造がちょっと尖りすぎちゃってさ!」
俺とニコラが必死になってプロジェクターの機械を身体で隠し、冷や汗交じりの笑顔で誤魔化す。
セイラの耳にノイズが走り、二人が嘘を吐いている事はわかる。だが不思議そうにジト目を向けながらも、それ以上は追及せずに「そうですか?」とお茶を並べ始めた。
その日の夜。
完全に静まり返ったジャンク屋の工房に、俺はセイラに決して気づかれないよう、細心の注意を払ってシズクとニコラの二人だけを密かに呼び出した。
薄暗いランプの光の下、三人は顔を突き合わせ、声を極限まで潜めて、何やら極めて深刻で不穏な会議を開始したのだった。
(この件はセイラには内緒だ)
(俺が殺される……)




