命の重さ
新しい町に到着した俺たちは、ひとまずそれぞれの行動をとることにした。
この世界にはいわゆる異世界テンプレの冒険者ギルドは存在しないらしく、ギルドで斡旋されそうな仕事は全て教会がやっているとの事だ。
そして現状俺達の収入源はそれしかない。
なのでセイラは町の教会へと仕事の斡旋――民間の困りごとがないか聞きに向かった。
俺はその間、一人で町を見て回ることにした。
活気のある中央通りから一歩外れ、少し薄暗い路地へと迷い込んだ時のことだ。
鉄格子が嵌められた怪しげな店舗。
その奥で、虚ろな目をした人々が鎖で繋がれている光景が目に飛び込んできた。
(……奴隷商、か)
看板に書かれた生々しい金額を眺めながら、俺は胸の奥に苦いものを感じてため息をついた。
(まったく、こういう嫌なところだけライトノベルのテンプレ通りなんだよな。現代の倫理観からすりゃ、胸糞悪いことこの上ねえよ)
だが、戦闘力皆無の俺がここで正義の味方を気取ったところで、返り討ちに遭って一緒に檻に入れられるのがオチだ。俺は自分の無力さを冷静に受け止め、足早にその場を離れた。
しばらくして、約束の広場でセイラと合流すると、彼女はどこか引き締まった表情で俺に駆け寄ってきた。
「カイトさん、教会で新しいお仕事を受けてきました。この町で、最近行方不明になった男の子を探してほしいそうなんです」
「迷子探し、か。へえ、デュミナス教のシスターってそんなことまでやってんのか」
治安維持は騎士団の仕事じゃねえのかと思いつつも、教会の守備範囲の広さには改めて驚かされる。
「よし、それじゃあ俺も手伝うよ」と引き受け、俺たちは子供の行方を追って町をウロつき始めた。
だが、捜索を始めて一時間ほど経った頃。中央広場の喧騒の中、俺たちの目の前でとんでもない事件が発生した。
「おい、静かにしろ! 騒ぐと刺すぞ!」
「いやだ! 放して!」
ガラの悪い男たちが数人、白昼堂々、若い女性の口を塞いで無理やり馬車へと押し込もうとしていた。明らかな人攫いだ。
あまりの大胆さに俺は硬直したが、それ以上に驚いたのは周囲の反応だった。
広場にいる商人や住人たちは、一瞬だけそちらに目を向けるものの、すぐに怯えたように顔を背け、何事もなかったかのように歩き去っていく。
関わらないように、全員が見て見ぬふりを決め込んでいるのだ。
(おいおい、どうなってんだこの町の奴らは……。騎士団は何してんだ?)
俺がそんな周囲の異様な空気に気を取られていた、ほんの数秒の間のことだった。
「待ちなさい! 昼間からそんな乱暴なことをして、恥ずかしくないのですか!」
「――って、おい!?」
俺の隣から、聞き馴染んだ凛とした声が響いた。
見ると、案の定というか何というか、セイラが人攫いの集団の真ん前に堂々と割って入り、腰に手を当てて怒鳴りつけていた。
(あの子、あんなんで何で今まで無事に生きてこれてんの!? 人を見る目があるから大丈夫とかそういう次元じゃねえだろ!)
あまりの危機感のなさに俺の心臓は飛び出そうだった。
ただの無鉄砲な自殺志願者にしか見えない。
「あァ? なんだこのシスター。……おい、ちょうどいい。上玉だ、こいつも一緒に連れて行け!」
「きゃっ!?」
案の定、男たちに囲まれたセイラは、大した抵抗もできない様子で腕を掴まれ、そのまま馬車へと押し込まれてしまった。
「カイトさん――!」
馬車の窓から、セイラが俺に助けを求めるような視線を送ってくる。
助けに入るべきか? いや、無理だ。相手は武器を持ったプロの人攫いが複数。
対する俺は固有魔法一つしか使えない戦闘力ゼロの男。
ここで俺が『イリュージョン』を一人に使って飛び込んだところで、残りの奴らに一突きにされて終わりだ。
(ここで下手に無理をするより、泳がせて拠点を突き止めてから、捕まった場所から確実に助け出す方が現実的だ――!)
瞬時にそう判断した俺は、あえて動かず、セイラが連れて行かれる馬車をじっと黙って見送ることにした。
(……あ、やっぱり追ってきてはくれないんですね)
馬車の中に放り込まれた私は、遠ざかっていくカイトさんの姿を窓越しに見つめていた。
私はわざと大人しく捕まっていた。
人攫いの現場に遭遇した瞬間、ピンときたのだ。
もしかしたら、私たちが探している行方不明の子供も、この人たちに攫われてどこかに監禁されているのではないか、と。
だったら、ここで男たちを全員殴り倒してしまうより、大人しく捕まってアジトの場所を突き止めた方が、一網打尽にできて確実だろうという、冷徹な計算だった。
だから、カイトさんが助けに飛び込んでこないこと自体は、私の作戦にとって好都合だった。
だけど。
周囲の目を気にして、何一つ行動を起こさずに私を見送ったカイトさんの姿を見た時、私の胸の奥が、ほんの少しだけチクリと痛んだ。
(……『俺が護衛としてついて行ってやる』って言ったの、『嘘』でしたもんね)
カイトさんの言葉に走る、完全な嘘を示すノイズ。
守れる力なんてないのに、格好をつけて私を安心させようとしてくれた、あの嘘。
頭では分かっている。カイトさんは戦えない普通の人だから、これで正しいのだと。
それでも、少女としての私がどこかで、あの「嘘つきな私の護衛さん」が、無茶をしてでも手を伸ばしてくれるんじゃないかと、ほんの少しだけ期待してしまっていたのだ。
「おい、大人しくしてろよ、シスターちゃん」
男たちの下卑た声を無視しながら、私は小さく息を吐いた。
(いいです。アジトに着いたら、さっさと子供を助けて、自力でここを脱出しましょう。……カイトさんには、後でちょっとだけお仕置きですね)
胸の小さな痛みをかき消すように、私は暗殺者としての冷たい思考に意識を切り替えた。
遠ざかっていく馬車の轍を、俺は物陰から慎重に追跡した。
やがて馬車が吸い込まれていった大きな門構えを見て、俺は思わず小さく口笛を鳴らした。
(なるほどな。そりゃあ町の奴らも全員、見て見ぬふりをするわけだ)
馬車が到着したのは、この町を治める領主の屋敷だった。
国家の治安維持を担う騎士団に睨まれるリスクを冒してまで、白昼堂々人攫いができる理由がこれだ。
権力者が後ろ盾なら、民間の駆け込み寺であるデュミナス教の教会に迷子探しを頼むしかなかったのも納得がいく。
場所は特定した。だが、感心している暇はない。
(時間が経てば経つほど、セイラが何をされるかわかったもんじゃないからな。即、仕掛ける!)
俺が正面から乗り込んでも犬死にするだけだ。
なら、どうするか。
俺は近くの露店からくすねた松明に火を灯すと、領主の屋敷の裏手へと回り込み、乾燥した薪が積まれた倉庫に容赦なく投げ込んだ。
火は一気に燃え広がり、屋敷の鐘がけたたましく鳴り響く。
「火事だァー! 裏の倉庫が燃えてるぞ!」「水を持ってこい!」と、屋敷内は一瞬で大パニックに陥った。
俺は騒ぎに乗じて、堂々と屋敷の勝手口から内部へと侵入した。
こういう極限状態のパニックの時は、下手にコソコソするよりも「堂々とした態度」で歩いている方が、案外怪しまれず見咎められないもんだ。
慌ただしく走り回る男たちの一人を呼び止め、俺はあえて焦ったような大声を出した。
「おい! 今日攫ってきた女はどこだ! 早く避難させねえと火が回るぞ!」
「あ、アンタ誰だっけ……!? ああクソ、いつもの地下室だよ!」
ビンゴだ。
男は疑問を抱く余裕すらなく、そう吐き捨ててバケツを持って走っていった。
教えてもらった地下への階段へ向かうと、そこにはおあつらえ向きに、見張りの兵士が一人だけポツンと立っていた。
周囲の喧騒にキョロキョロと落ち着かない様子だ。
俺はフッと笑みを浮かべ、親指と中指を合わせてパチンと指を鳴らした。
発動するのは固有魔法『イリュージョン』。見張りの兵士の『視覚』を上書きし、俺の姿を「彼の上司(門番の兵士長)」へと錯覚させる。
「おい、お前! ここは俺が代わる! お前は今すぐ火事の消火を手伝いに行け! 捕まえた女どもは俺が責任を持って避難させる!」
「は、はい! わかりました! よろしくお願いします!」
兵士長(に見えている俺)の剣幕に押された見張りは、なんとご丁寧に腰から牢の鍵を外して俺に手渡すと、一目散に消火に向かってしまった。
「……ハッ、ラッキー。チョロすぎて笑えてくるな」
手に入った鍵をジャラリと鳴らし、俺は暗い地下室への階段を足早に下りていった。
地下の最奥にある大きな鉄格子の檻を見つけると、そこには案の定、不安そうに身を寄せ合う子供たち――そして、その中心に静かに座り込んでいるセイラの姿があった。
「カイトさん……!?」
俺の姿を見たセイラは、驚きと、どこか「まさか」と言いたげな意外そうな顔をして目を丸くした。
さっき、広場で黙って見送った俺が、まさかこんな短時間で鍵まで持って助けに現れるとは思っていなかったのだろう。
俺は檻の鍵を開けながら、口元をニヤリと歪めて見せた。
「言っただろ? 俺が頼れる『護衛』としてついて行ってやるってさ。ちょっと手間取ったけどな」
「――っ」
セイラが一瞬、息を呑むような気配がした。
まだあまり信用されていなかったのだろう、俺が実際に助けにきたことで、彼女は完全に虚を突かれたような表情をしていた。
「さあ、お喋りは後だ。屋敷に火を放ってパニックを起こしてある。今のうちに全員ここから逃げるぞ!」
怯える子供たちを促し、檻から連れ出していく。
だが、捕まっていた人々を地上へと逃がそうとしたその時、セイラが急に足を止め、屋敷のさらに奥へと続く通路に視線を向けた。
「カイトさん、すみません! 別の場所に、まだ捕まっている子がいるみたいなんです。私、ちょっと助けに行ってきます!」
「おい、ちょっと待て、セイラ!」
俺の制止も聞かず、セイラは驚くほどの身軽さで通路の奥へと駆けていってしまった。
確かに、広場で彼女と一緒に攫われたはずの若い女性の姿が、この地下室にはいなかった。別室に隔離されているのだろう。
「クソッ、あいつ本当に無鉄砲すぎるだろ……!」
今すぐ追いかけたかったが、俺の後ろには怯えて震える子供たちが何人も残されている。この子たちを放り出して追いかけるわけにもいかない。
「頼むから無事でいてくれよ、おてんばシスター……!」
俺はセイラの無事を心から祈りながら、まずは子供たちを安全な外へと誘導するため、地上へと走り出した。
通路の奥へと走り出したセイラの動きは、カイトの想像を遥かに超えて迅速かつ無駄がなかった。
(まさか、私がこの町で神父様から命じられていた暗殺のターゲットが……この領主だったなんて)
人攫いの被害者を助けるという大義名分のもと、偶然にも暗殺の標的の懐へと完璧な形で潜り込めた。
カイトが起こしてくれた火事による大パニックの中、セイラは冷静に屋敷の状況を観察する。
誰もが逃げ惑う中で、唯一、数人の護衛が厳重に守っている部屋があった。
(あそこが、領主の執務室ですね)
セイラは足音を完全に消し、夜の闇に溶け込むように接近した。護衛の男たちが煙に巻かれて動揺した一瞬の隙。彼女の放った鋭い打撃が男たちの首筋を捉え、声を上げる暇すら与えずに一瞬で見張りを気絶させる。
その手から素早く剣を一本奪い取り、セイラは音もなく部屋の扉を開けた。
部屋の中には、目隠しをされ、椅子に固く縛り付けられた若い女性。
そして、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら彼女に近づこうとしていた、この町の領主の姿があった。
「ひっ――!? な、誰だ貴様は! 護衛はどうした!」
突如現れたシスターの姿に領主は驚愕し、声を荒らげようとする。
しかし、セイラが床を蹴った瞬間には、冷たい剣先が領主の喉元を正確に貫いていた。
「が、あ……」
領主は悲鳴を上げることすら許されず、そのまま床へと崩れ落ち、死亡した。
完璧な一撃。
これで行方不明の子供たちを攫った元凶を断ち、神父様からの任務も完了した。
セイラはすぐに女性の元へ駆け寄ると、まずは彼女の目隠しを外さずに優しく肩を抱き寄せ、領主の凄惨な死体が視界に入らない位置まで静かに部屋の外へと連れ出した。
安全な通路まで移動してから、ようやく女性の目隠しと縄の拘束を解く。
「もう大丈夫ですよ。さあ、一緒に逃げましょう」
怯える女性を安心させるように、いつもの聖女のような微笑みを浮かべ、セイラはカイトの待つ地上へと急いだ。
屋敷の外では、子供たちを安全な場所に避難させていたカイトが、今か今かと焦った様子で裏手を凝視していた。
「カイトさん!」
「セイラ! ……よかった、無事だったか!」
奥から女性を連れて戻ってきたセイラの姿を見て、カイトは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
連れ出された女性も、先に脱出していた子供たちと無事に再会を果たす。屋敷の火の手がさらに激しくなる中、二人は混乱に紛れて、速やかにその場から脱出した。
翌朝。町は昨日以上の騒然とした空気に包まれていた。
宿の食堂で朝食をとっていたカイトたちの耳に、周囲の住人たちのひそひそ話が飛び込んでくる。
「おい、聞いたか? ゆうべの領主の屋敷の火事……」
「ああ、領主の旦那、逃げ遅れて火事で死んじまったらしいぞ。因果応報だな」
その会話が聞こえた瞬間、カイトの持つスプーンが、カタ、と小さく音を立てて止まった。
(……領主が、死んだ?)
カイトの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
ただセイラを助けたくて、時間を稼ぎたくて、パニックを起こすために屋敷の倉庫に火をつけた。
それなのに、自分の起こした火事のせいで、悪党とはいえ一人の人間が焼け死んでしまった。
現代地球の倫理観を持つカイトにとって、「自分の行動のせいで人が死んだ」という事実は、あまりにも重く、鋭く胸に突き刺さった。
「俺の、せいで……」
カイトは激しいショックに打ちのめされ、青ざめた顔で自分の両手を見つめながら、ぽつりと呟いた。
いつもの不敵な笑みは完全に消え失せ、激しい罪悪感に苛まれている。
そんなカイトの隣で、セイラはただ、静かに俯くことしかできなかった。
(カイトさん、違うんです。あの男は火事で死んだんじゃない。私が、この手で殺したんです……)
喉元まで出かかったその言葉を、セイラは必死に飲み込んだ。
本当の強さも、自分が暗殺者であるという血塗られた真実も、今のカイトさんに明かすわけにはいかない。
何より、自分の身をあんなに必死に守ろうとしてくれた心優しい彼に、自分が冷酷に人をあやめる怪物だと知られたくなかった。
「……カイトさん……」
セイラは何も言えず、悲しそうに眉を下げ、ただ隣で震えるカイトの袖をぎゅっと握りしめた。
カイトが背負ってしまった「人殺し」の罪悪感の重さは、本当は自分の身代わりに背負っているのだと教えられないもどかしさと痛みを抱えながら、二人は重苦しい沈黙の中で、ただ俯き続けていた。




