恋の結末と
聖都の手前にある町『ヴェール』の高級宿の一室。
そこには、旅の終わりを前にして、文字通り魂が抜けかけた一人の少女の姿があった。
「エレオノーラ様ぁぁぁ……!! 本当に、本当に帰ってきてくださるのですね……っ!?」
部屋に入るなり、エリーの側近であるシズクが涙目でエリーに飛びついた。
いつもの冷静沈着な面影はどこにもない。彼女はエリーの両肩を掴み、堰を切ったように日頃の泣き言を叩きつけ始めた。
「聞いてください! 代理の私では決済できない重要書類が山積みにされ、総本山の頭の固い老人どもからは毎日毎日『教皇様はまだ体調が優れないのか』と小言を言われ続ける日々がどれほどツラかったか……! それだけじゃありません! こんな時に限って、どこぞの地方で『人攫いの巣窟になっていた教会が焼失した』とかいう、わけのわからない大事件の再建案件まで回ってくる始末ですし……!!」
シズクが憤慨しながらそう叫んだ、まさにその瞬間だった。
――スッ。
カイト、セイラ、ニコラ、そして教皇エリー本人の4人が、まるで見事な連動を見せるように、一斉にシズクから不自然に視線を逸らした。
カイトは窓の外の雲を眺め、セイラは床の埃を凝視し、ニコラは天井の木目を数え始め、エリーは自分の爪を熱心に見つめる。
「……? なんですか、皆さん。なぜ急に一斉に視線を逸らすんです?」
ジト目になったシズクが部屋に満ちた強烈な違和感を訝しむ。
カイトたちの背中に冷や汗が流れる中、元凶の一人であるエリーが「あ、あははは!」とわざとらしい大声を出して強引に話を逸らした。
「そ、そんなことよりシズク! 聖都に戻るのは明日なのでしょう? だったら、今日がこの4人で過ごせる『最後の一日』ですわ! お願い、今日だけは公務のことは忘れて、皆でこの町を一緒に周らせてくださいませ!」
「はぁ……。まぁ、明日には確実に引きずってでも連れ戻しますから、今日くらいは良いですが……」
シズクの許可が下りるなり、4人はホッと胸を撫で下ろした。
それからの時間は、まるで夢のようだった。
お忍びの街娘の服に着替えたエリーを先頭に、カイト、セイラ、ニコラの4人は、最後の思い出を作るようにヴェールの町を巡った。
美味しい露店の串焼きを全員で分け合い、綺麗なガラス細工の店を冷やかし、ニコラが珍しい魔導部品を見つけてはしゃぎ、カイトを巡ってセイラとエリーがいつものように両腕を引っ張り合う。
「もうすぐ、この日常が終わる」という寂しさを全員が心の奥底に隠しながら、ただ純粋に、全力で今を楽しんでいた。
そして、夕方。
茜色の夕日があたり一面を美しく、どこか切なく染め上げる頃。
一行は町を一望できる静かな丘の上の公園へとやってきていた。
ニコラとセイラが少し離れたベンチで荷物を整理している隙を見計らい、エリーはカイトの隣へと歩み寄った。
風が、彼女の美しい金髪を優しく揺らす。
「旦那様」
「ん? どうした、エリー」
カイトが振り向くと、エリーは胸元にある『銀のペンダント』をきゅっと握りしめていた。
その瞳には、いつもの天真爛漫な輝きではなく、一人の恋する少女としての、悲壮なまでの強い決意が宿っていた。
「私、明日聖都に戻れば、もう簡単には教会から出られなくなりますわ。街娘のフリをして、こうして皆様と笑い合うことも、きっと二度と……」
エリーは一度言葉を切り、深く息を吸い込んだ。
そして、カイトの目を真っ直ぐに見つめ、意を決したように声を響かせる。
「ですから、最後に伝えておきますわ。……私、エレオノーラは、カイトさんのことが心の底から大好きです! 私は、オラクルの予言だからあなたを求めたのではありません。この旅で、私の未熟さを支え、世界の現実を教えてくれた、あなたという優しい人間そのものに恋をいたしましたの!」
夕日を背に、至近距離から放たれた、教皇エレオノーラの真っ直ぐで偽りのない、直球の告白。
離れた場所でそれを聞いていたセイラが「なっ……!?」と驚愕してこちらを振り返る中、カイトは夕暮れの光の中で、エリーの強い眼差しを正面から受け止めるのだった。
「エリー、俺は――」
カイトが意を決して口を開き、その誠実な返事を紡ごうとした瞬間、エリーの小さな人差し指がカイトの唇をそっと塞いだ。
「お返事は、もう分かっているつもりですわ」
エリーは切なく、けれどどこまでも美しく微笑んだ。
「そしてそのお言葉は、私ではなく、あちらで真っ赤になっているセイラさんに直接言ってあげるべきものです」
旅の間に二人の固い絆を誰よりも近くで見てきたからこそ、エリーには分かっていた。
自分の初恋が、ここで静かに終わりを迎えることを。
「でも……神様だって、これくらいの思い出は許してくださいますわよね?」
「え――」
カイトが目を見開いた刹那、エリーは小さく背伸びをして、カイトの唇をそっと奪った。
夕暮れの光の中で交わされた、一瞬の、けれどひどく甘くて切ない口づけ。
驚きに固まるカイトから名残惜しそうに身を引くと、エリーはそのまま、遠くで驚愕しっぱなしだったセイラの元へと駆け寄った。
そして動転するセイラの手を引っ張り、カイトの目の前へと連れてくる。
「あとは、よろしく頼みましたわ、セイラ」
エリーは悪戯っぽくウインクしてみせると、振り返ることなく、一歩引いた場所で待つニコラの元へと歩き去っていった。
残された丘の上、夕日に照らされたカイトとセイラ。
カイトは深く息を吸い込み、頬を極限まで赤く染めて震えるセイラの肩を、両手でしっかりと掴んだ。
「セイラ。……待たせて本当に悪かった。俺の一番大切な人は、これまでも、これからも、お前だけだ。俺と、ずっと一緒に生きてくれ」
「カイト、さん……っ!」
セイラの瞳から大粒の涙が溢れ出る。
カイトはその身体を愛おしそうに抱きしめ、二人は今度は誓いの、そして祝福の口づけを深く交わした。
数々の修羅場を乗り越えてきた二人の心が、ついに本物の恋人として、固く結ばれた瞬間だった。
「おめでとうございます、セイラ。とってもお似合いですわ」
遠くから二人の幸せな姿を見つめながら、エリーはパチパチと両手を叩いて祝福の言葉を贈る。
その顔には完璧な、いつもの美しい笑顔が咲いていた。
――けれど、その完璧な笑顔のまま、彼女の瞳から、一筋の涙がハラリと頬を伝って落ちていくのを。
「……本当、バカ」
隣にいたニコラだけは、見逃さなかった。
誰よりもカイトを想い、誰よりも真摯でいようと自分の恋心を笑顔で押し殺した、大好きな友達の嘘。
「僕の周りの仲間は……どいつもこいつも、優しくて格好つけの、大嘘つきばっかりだよ……」
ニコラはぽつりと呟いた。
カイトのために恋心に蓋をした自分。
エリーのために返事を待つ事を選んだセイラ。
そして、二人の幸せのために「ただの思い出」として笑ってみせたエリー。
夕闇が迫る丘の上、恋の勝者と敗者が織りなすあまりにも眩しい景色に、ニコラの瞳にも、じわりと温かい涙が浮かんで止まらなかった。
丘の上から宿へと戻ると、エリーはいつの間にか涙の跡をすっきりと消し去り、いつもの元気一杯な調子でセイラの背中をバシバシと叩いた。
「さぁ、夜は始まったばかりですわ! 今夜は朝まで、私とニコラでセイラを囲んでの女子会をいたしますの! 旦那様、あ、もう旦那様ではありませんわね。カイトさん! 初夜はまた今度、私が聖都に戻ってからにしてくださいませ〜!」
「ちょ、ちょっとエリー……っ!? 初夜だなんて、何を言って――」
顔を湯気が出るほど真っ赤にしたセイラの手を引っ張り、エリーは「ほら、ニコラさんも行きますわよ!」と楽しそうに部屋の奥へと消えていく。
そのあまりの嵐のような勢いに、カイトは一人、食堂のソファに取り残される形となった。
「……はぁ。本当に、あいつには敵わないな」
苦笑しながらお茶を淹れていると、パタパタと足音がして、ニコラが部屋に戻ってきた。
「あれ、ニコラ。女子会は?」
「お酒とつまみを取りにね。……それにしても、カイト。おめでとう。やっとセイラとくっついたじゃん」
「あ、あぁ……ありがとよ」
カイトは少し照れくさそうに頭を掻き、淹れたてのお茶をニコラの前に置いた。
ニコラはそれを受け取り、ふぅと息を吹きかけながら口を開く。
「……エリー、本当に格好よかったね」
「ああ、本当に。……最初はただの世間知らずな暴走教皇様だと思ってたけどさ。泥にまみれて、世界の汚いところも見て、それでも自分の理想を諦めないで、最後はあんなに綺麗に笑ってみせた。あいつは間違いなく、世界で一番強い『教皇様』になるよ。俺なんかにゃ、勿体ないくらいにな」
カイトがしみじみと、これまで近くで見てきたエリーへの敬意と胸中を語る。
それを静かに聞いていたニコラは、お茶の湯気の向こうで、ふっと優しく目を細めた。
「カイトってさ……なんだかんだ言って、本当にみんなのことをよく見てるよね」
「そりゃ、一応これでもパーティのリーダーだからな」
「じゃあさ――」
ニコラはトントン、とカップの縁を指で叩き、意を決したようにカイトを真っ直ぐに見つめた。
「――僕の気持ちにも、気づいてたりする?」
「……は?」
カイトの思考が、完全に停止した。
手にしたティーポットを持ったまま、文字通り頭が真っ白になっている。
その絵に描いたような、100%想定外だと言わんばかりの呆然としたマヌケ面を見て、ニコラは「あはは!」と耐えきれずに吹き出した。
「あーあ、その顔! 完璧に初耳って顔じゃん。まぁ、気づかれないように死に物狂いで隠してたから、当然なんだけどさ!」
ニコラは笑いながら、けれどその頬をほんのりと朱に染めて、胸の奥に閉じ込めていた恋心をぽつりぽつりと吐き出し始めた。
「カイトがさ、僕の知らない世界の仕組みとか、ワクワクするような科学の知識を話す時の顔が、本当に大好きだったんだ。気づいたら、最高の相棒を通り越して、一人の男として目で追っちゃっててさ」
「ニコラ、お前……」
「元々はね、言うつもりなんて、これっぽっちもなかったんだよ? カイトのキャパシティはもう限界だし、何よりセイラとエリーの邪魔をしたくなかったから。……でもさ、さっきのエリーの真っ直ぐな姿を見てたら、なんだか負けてられないなって思っちゃったんだよね。格好悪いまま終わるのは嫌だし、伝えるだけは伝えておこうって」
ニコラは胸の前で拳をぎゅっと握り、悪戯っぽく微笑む。
「これは僕がすっきりしたかっただけの、ただのワガママ! だから、明日からも変わらず、最高の『技術的な相棒』としてよろしく頼むよ、カイト」
そう言って、ニコラは満足したように小さく息を吐き、お酒のボトルを抱えて今度こそ女子会の部屋へと向かおうとした。
しかし、ふと何かに気づいたように足を止める。
「……あ、そうだ。忘れてた」
「ん?」
振り返ったニコラが、カイトの元へトコトコと歩み寄る。
カイトが身構えるよりも早く、ニコラは小さく背伸びをして、カイトの唇に、チュッと、触れるだけの軽いキスをした。
「っ……!?」
目を見開いて固まるカイトを他所に、ニコラは耳まで赤くしながら、ニシシと悪戯な笑顔を見せる。
「ほら、セイラもエリーもしたのに、僕だけしてないのは不公平じゃんね?」
勝利宣言のような、あるいは可愛い仕返しのような言葉を残して。
今度こそ、ニコラは軽い足取りで女子会へと向かって走っていった。
バタン、と扉が閉まる。
静まり返った食堂で、カイトは自分の唇に手を当て、天井を見上げて深く天を仰いだ。
頭が完全にフリーズし、呆然と立ち尽くしていると――背後の暗がりから、冷徹で、けれどどこか呆れたような声が静かに響いた。
「……随分とお盛んで、楽しそうなことで何よりですわ、カイト様」
「うおわぁっ!?」
心臓が跳び跳ねるかと思うほどの声をあげて振り返ると、そこにはいつの間にかシズクが、腕を組んで壁に寄りかかっていた。
「し、シズク……! お前、いつからそこに……っていうか、どこから見てたんだよ!?」
「どこから、ですか? そうですね……ニコラ様が『僕の気持ちにも気づいてたりする?』と可愛いおねだりを始めて、カイト様が実に見事なマヌケ面を晒したあたりからですが?」
「全部じゃねえか!!」
カイトが顔を真っ赤にして、プライバシーもへったくれもない現実の前に頭を抱える。
しかし、シズクはそれ以上カイトをからかうことはしなかった。
フッと冷徹な表情を和らげると、壁から背を離し、真摯な眼差しをカイトへと向ける。
「……冗談はさておき。カイト様、エレオノーラ様を……エリーを、無事にここまで連れて来てくださり、本当にありがとうございました」
シズクは一歩前に出ると、教皇の側近としてではなく、一人の幼馴染として、深く、深く頭を下げた。
「手紙では散々文句を言いましたが、先ほどのエリーの姿を見て、驚きました。聖都にいた頃のあの子なら、自分の恋が破れれば子供のように泣き喚いて、公務など放り出していたでしょう。それが……あんなに立派に、自分の足で立ち、綺麗に笑ってみせるなんて。彼女をここまで見違えるほど成長させてくれたのは、間違いなく、あなたたちとの旅のおかげです」
「シズク……」
カイトは頭を掻きながら、少し照れくさそうに視線を外した。
「いや、俺はただハッタリを並べてただけだよ。あいつが自分で見て、自分で考えて、自分で強くなったんだ」
「ふふ、そういうことにしておいて差し上げます」
シズクは顔を上げると、いつもの澄ました笑みに戻り、トコトコと部屋の出口へ向かって歩き出す。
そして、扉に手をかけたところで、悪戯っぽく振り返った。
「ああ、ちなみに。私はあなたに告白する予定など万に一つもありませんので、どうぞ安心してください。カイト様が美少女三人に包囲されて狼狽える様を、特等席で見物させていただけて何よりです。……それでは、おやすみなさい」
「――ッ、うるせーよ」
カイトはフッと口元を緩め、去りゆくシズクの背中に小さく毒づいた。
嵐のようだった一日がようやく終わり、カイトは静まり返った食堂で、明日から始まる新たな戦いに向けて、静かに闘志を燃やすのだった。
一方、その頃。
宿の最奥にある女子会の部屋では、他愛のない話で大いに盛り上がっていた。
「ちょっとセイラ! カイトさんと結ばれたからって、私の前でベタベタといちゃつくのは禁止ですからね! 公務の邪魔になりますわ!」
「ええっ!? そんなことしません! ……あ、でも、カイトさんがどうしてもって言うなら、その……」
「はいはい、ごちそうさま。セイラ、顔が真っ赤すぎて茹でダコみたいになってるよ?」
お酒のボトルを囲みながら、恋人になったばかりのセイラをエリーとニコラがいじり倒す。
そこには、教皇も、暗殺者も、天才技師もなかった。
ただの、どこにでもいる同年代の女の子たちが、楽しそうに笑い合っている。
けれど、誰一人として「明日」の話題を口にすることはなかった。
夜が明ければ、エリーは聖都へと戻り、それぞれの道へと歩み出すことになる。
だからこそ、まるで迫りくる別れの時間を少しでも遠ざけようとするように。
少女たちの愛おしいお喋りの花は、夜が更けても、決して尽きることがなかった。
「エリー!! いい加減にお起きなさい、出発の時間はとうに過ぎてますよ!!」
ヴェールの町の朝は、シズクの容赦のない怒声と、宿の部屋に響き渡る布団を引っぺがす音から始まった。
昨夜、夜通し続いた女子会のせいで、エリーは見事なまでに大寝坊をかましていた。美しい金髪をあちこち跳ねさせ、
「ふぇ? あと五分、カイトさんの膝枕で……」
などと寝惚けたことを呟く教皇を、シズクが見事な手際で引きずり起こし、着替えさせ、瞬く間にいつもの気品ある教皇の姿へと仕立て上げていく。
バタバタとした朝のおかげで、感傷に浸る暇はなかった。
それが、シズクなりの不器用な気遣いだったのかもしれない。
宿の前に用意された、聖都直属の立派な馬車。
その前には、カイト、セイラ、ニコラの3人が並んで立っていた。
「それでは、行ってまいりますわ」
馬車のステップに足をかけ、エリーが振り返る。
特別な、長い別れの言葉はなかった。
伝えたいこと、泣きたいこと、すべての想いは、昨日の夕暮れの丘と、夜を徹した女子会の中に置いてきた。
だから、エリーはいつものように胸を張り、最高の笑顔を浮かべた。
「皆様、お別れの挨拶が『さよなら』なんて寂しいですわ。……ですから、また会いましょう!」
「ああ、またな。エリー」
カイトが優しく微笑み、セイラとニコラも大きく頷く。
エリーが馬車に乗り込み、重厚な扉が閉まると、御者が鞭を振るった。
ガタゴトと音を立てて、馬車がゆっくりと聖都へ向けて動き出す。
エリーは窓を開け、そこから身を乗り出すようにして大きく手を振った。
「絶対また会いましょうね! 絶対ですわよー!」
見送るカイトたちの姿が、遠ざかっていく。
手を振り返すカイト、涙を浮かべるセイラ、必死に手を振るニコラ。
3人のシルエットが町の景色に溶け込み、完全に、見えなくなるその瞬間まで、エリーは手を振り続けた。
やがて角を曲がり、完全に3人の姿が見えなくなると、エリーは窓を閉め、ふぅと深くシートに身体を沈めた。
「ふふ、シズク。本当に楽しい旅でしたのよ。最初の村ではスープをひっくり返してしまいましたし、カイトさんたら変なハッタリばかり言うし、セイラは怒ると怖いですし、ニコラの魔導具はいつも爆発ばかりして……」
楽しそうに、自慢げに、シズクへ旅の思い出を語り出すエリー。
シズクはそれを「左様ですか」「相変わらずですね」と静かに相槌を打ちながら聞いていた。
だが。
「……それでね、みんなで食べた串焼きが、本当に美味しくて……美味しくて、私……」
エリーの言葉が、不自然に途切れた。
楽しそうに笑っていたはずの彼女の瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出し、服の膝元を濡らしていく。
「あ、あれ……? おかしいですわ、楽しい思い出、なのに……涙が、止まらなくて……っ」
エリーは慌てて袖で涙を拭うが、溢れる想いは堰を切ったように止まらない。
旅の間、ずっと張り詰めていた「教皇としての覚悟」と「一人の少女としての初恋の終わり」
そのすべてが、大好きな仲間たちと離れた瞬間に、一気に押し寄せてきたのだ。
「う、うあぁぁん……っ、寂しいですわ……っ、カイトさん……みんなぁぁ……っ!!」
声をあげて、子供のように泣きじゃくり始めるエリー。
シズクは何も言わず、エリーの隣へと静かに席を移した。
そして、泣き崩れる幼馴染の小さな頭を、自らの胸へと優しく抱きよせる。
「……よく頑張りましたね、エリー。本当に、立派でしたよ」
シズクはエリーの背中を、優しく、何度もさすりながら慰める。
馬車が聖都へとひた走る中、豪華な車内には、少女の切ない泣き声だけが、いつまでも響き渡っていた。
エリーを乗せた馬車が、ヴェールの町の彼方へと消え去った。
立ち上る砂埃を見つめながら、見送った3人の間には、ぽっかりと穴が空いたような静寂が広がっていた。
「……行っちゃった、ね」
ニコラが寂しげに呟き、隣のセイラもエリーから贈られたお祝いの言葉を思い出すように、そっと胸元に手を当てる。
そんな二人の沈んだ空気を切り裂くように、カイトがパチン、と指を鳴らした。
いつもの彼らしい、調子の良い音だ。
「よし! しんみりすんのはここまでだ、二人とも。エリーがあれだけ格好つけて旅立ったんだ、俺たちもボヤボヤしてらんねえだろ?」
カイトの言葉に、セイラとニコラがハッとして彼を振り返る。
カイトの瞳には、寂しさなどとうに消え去り、不敵な光が宿っていた。
「カイトさん、何か考えているのですか?」
「ああ。これからの俺たちの進路についてな。……なぁ、二人とも。俺たちで一つ、新しい『商会』を立ち上げないか?」
「商会……って、お店を開くってこと?」
驚くニコラに、カイトはニヤリと笑って、親指で彼女を指さした。
「そうさ。前の世界の、科学の理論は俺の頭にある。そして、それを最高の形で魔導具にできる相棒がここにいる。ニコラの作る便利すぎる魔導具を、俺が口八丁手八丁とハッタリ、それに現代のマーケティング知識で売りさばけば……どう考えても大儲け間違いなしだろ?」
「ちょっと、僕の技術を詐欺の片棒みたいに言わないでよ!」
ニコラが「もう〜」と呆れ顔で笑う。
そのいつもの軽妙なやり取りに、セイラの表情にもパッと明るい笑顔が戻った。
だが、カイトの提案は、ただの金儲けだけが目的ではなかった。
カイトは聖都のある方角を見据え、少し声をトーンダウンさせて真摯に続けた。
「……それにさ。エリーはこれから、あのドス黒い大人の欲が渦巻く聖都で、一人で戦わなきゃいけない。だったら、俺たちが圧倒的な『財力』と、国を動かせるレベルの『人脈』を用意しておいてやれば……いつかあいつが本当に困った時、絶対に力になってやれるだろ?」
「カイトさん……」
セイラが感動に瞳を潤ませる。
ニコラも、一見冷めているようで、誰よりもエリーの未来を考えているカイトの優しさに、改めて惚れ直したように肩をすくめた。
「もう。本当にカイトって、格好つけの嘘つきなんだから」
ニコラは一歩前に踏み出し、カイトに右手を差し出した。
「いいよ、乗った。最高の魔導具、いくらでも作ってあげる!」
「私も、カイトさんの未来を、全力でお守りします!」
セイラもその上に、力強く己の手を重ねる。
「よし、決まりだ」
カイトが二人の手の上に、己の手を力強く重ね合わせた。
教皇のお忍びの旅は終わった。
けれど、これは決して終わりではない。
お飾りではない真の教皇となったエリーを、いつか最強の盾と矛で力になるための、新たなる戦いの始まりだ。
「待ってろよ、エリー。次にお前に会う時は、世界一の商会のトップとして、最高に美味い串焼きをご馳走してやるからな」
青空の下、新しい目標を胸に、嘘つき魔道士とその最高の仲間たちは、未来へ向かって力強く最初の一歩を踏み出すのだった。




