嘘つき魔道士
「カイト、さん……っ。カイトさん、カイトさん……っ!」
床に組み敷かれたまま、私の目から大粒の涙が溢れて止まらなくなりました。
関節を固定されていて、声のする方を振り返ることも、その姿を見ることもできません。
けれど、この耳に届いた、人を食ったような温かい声を――私が聞き間違えるはずがありませんでした。
生きている。カイトさんは、あの絶望の崖から生還して、今、私のすぐ近くにいる。
手紙を読んだ時の決意すらどこかへ吹き飛んでしまうほどの歓喜が、私の胸を激しく満たしていきます。
「な、ななな……何だお前は……っ!? なぜ、なぜここにいる……ッ!?」
一方で、グレゴリー神父はそれまでの下劣な笑顔を完全に消し飛ばし、ひっくり返った声を上げて激しく狼狽していました。
それもそのはずです。
神父の視界には、自分が今まさに勝ち誇って見せつけた『カイトの生首』と、大聖堂の入り口に堂々と立っている『生身のカイト』が、同時に存在しているのですから。常人なら発狂してもおかしくない、怪奇現象そのものの光景でした。
「おーおー、いい面してんなぁクソ神父。なぁニコラ、出番だぜ」
カイトさんがポケットから手を出して、パチンと小気味いい音を立てて指を鳴らしました。
すると、部屋の隅の影から「お安い御用さ!」と、ニコラさんが満面の笑みを浮かべて姿を現しました。
彼女が手にした奇妙な魔導具――プロジェクターのレバーをカチリと押し下げると、大聖堂の白い壁一面に、強烈な光と共に『ある映像』が大きく映し出されました。
それは、目を見開き、冷や汗をダラダラと流してパニックに陥っている、グレゴリー神父自身の間抜けな顔でした。
「な、何だこれは……ッ!? 私の顔が、なぜ壁に……!?」
「驚くのはまだ早いぜ」
カイトさんは、意地悪な笑みを浮かべて神父を指差しました。
「今、その壁に映ってるお前の間抜け面……それと、この部屋の音声。これ全部、ニコラ特製のカメラを使って、この街全体の広場にリアルタイムで大音量生中継されてるんだよ。お前がドヤ顔で『私がカイトを殺させた』とか『教皇を暗殺して教会を乗っ取る』って白状したの、街の住民全員がバッチリ聞いて、見てるぜ?」
「なぁっ……!?」
神父の顔が、今度は恐怖で真っ白に染まっていきます。
「聖人君子を気取ってた大司祭様が、裏では暗殺者を雇いまくるただの極悪人だった。……こんなもん見せられちゃあさ、もうお前を信用する奴なんて、この街にも、教会にも、世界のどこにも一人もいないよなぁ?」
「お、おのれぇ……っ! 騙されるものか、こんなものはどうせ出鱈目の幻覚だ!」
神父はガタガタと膝を震わせながらも、必死にカイトさんを睨みつけ、自身の記憶を総動員して叫びました。
「そうだ、分かったぞ! お前、さっき部屋に入ってきた時に指を鳴らしたな!? あの大聖堂の夜と同じだ、お前は指を鳴らした瞬間に私に術をかけ、ありもしない生中継の幻覚を見せているだけだ! そうに決まっている!」
必死に自分を納得させようとする神父。
その哀れな足掻きを見て、カイトさんはクスクスと肩を揺らすと、「これのことか?」と言って、再び目の前でパチン、パチンと指を鳴らしてみせました。
「あのさぁ。この指を鳴らす動作、俺の固有魔法の仕組みを勘違いしてる奴を相手にした場合、役に立つかと思ってずっとやってるだけの『ただのフェイク』なんだよね。……お前もセイラも、俺が指を鳴らさないと魔法が使えないって、勝手に思い込んでただろ?」
「な、何だと……っ!?」
「引っかかったなぁ。指の鳴る音がしなければ俺の固有魔法を警戒する必要はないと思ってたか? この動作自体が、敵をハメるためのハッタリなんだよ」
カイトさんの容赦のない煽りに、神父のプライドはズタズタに引き裂かれていきます。
カイトさんは一歩前へ出ると、楽しげに人指し指を立てました。
「さあ、ここで問題だ。俺はいつから、あんたに魔法をかけていたでしょう?」
「知るかそんなもの……ッ!!」
完全に理性を失った神父は、カイトさんの問いかけを絶叫で掻き消すと、私の背後にいる暗殺者へと狂ったように指を指しました。
「ええい、構わん! 幻覚だろうが何だろうが、目の前の者から殺せ! 『仮面の暗殺者』よ、何を遊んでいる、その床の娘だけでも今すぐ殺せぇぇぇッ!!」
神父の血走った目が、私へと向けられます。
けれど、カイトさんは全く動じることなく、むしろ可哀想なものを見るような余裕の笑みを浮かべて、静かに言い放ちました。
「――ブブー。残念、不正解だ。クソ神父」
「ええい!『仮面の暗殺者』よ、今すぐその娘を殺せと言っているのだ!」
狂ったように叫ぶグレゴリー神父の命令に対し、私の背後にいた仮面の暗殺者は、緊迫した大聖堂の空気に全く似合わない、ひどく呆れたような深い溜息をひとつ、吐き出しました。
「……はぁ。まさかこの状況にあって、まだ自分に味方がいると思えるとは。よほど動揺していらっしゃるようですね、グレゴリー神父」
「な、何……?」
暗殺者は私の身体からゆっくりと離れると、その不気味な歪な仮面へと手をかけ、無造作にそれを外しました。
仮面の下から現れたのは、夜の闇に映える美しい漆黒の髪と、冷徹な光を宿した印象的な赤い瞳――教皇の側近である、あのシズクさんでした。
「シ、シズク……ッ!? なぜお前がそこに……!」
「私は最初から教皇様の敵を討つために動いています。その現場にいるのは当然では?」
神父が信じられないものを見るように目を見開く中、シズクさんは私の拘束を優しく解き、立ち上がるのを手伝ってくれました。
カイトさんはそんな神父を見下ろし、呆れたように肩をすくめて笑います。
「少し考えれば分かるだろ? 俺の生首が偽物の幻覚である以上、あんたに術をかけたのはあの討ち取ったって報告の時からでさ。それから一瞬だって術を解いちゃいねーんだよ。……なんなら、あの時にお前の視界をジャックしてるついでに、俺とシズクさんでこの部屋にニコラのカメラを仕掛けてたんだぜ? あんたの、まさに目の前でなぁ!」
「貴様ら……っ、あの時から私を……!」
「本当に、あの時はシュールな状況過ぎて笑いそうになったんですからね。神父が勝ち誇って笑ってる横で、私たちが必死にカメラの配線をしてるんですから」
シズクさんがジト目でカイトさんに抗議すると、カイトさんは「悪かったって、上手くいったからいいじゃん」と苦笑いしています。
自分が最初からカイトさんの手のひらの上で、ただの道化として踊らされていた。
その事実にグレゴリー神父の理性が完全に決壊しました。
「おのれぇぇぇッ! 嘘つきの小僧がぁぁぁーーーっっっ!!! 」
神父は顔を真っ赤に染めて激昂し、カイトさんに向けて猛然と掴みかかろうとしました。――ですが、その一歩を踏み出した途端。
「あぶっ!?」
何かに激しく足を取られ、神父は無様に宙を舞うと、床へ向かって激しく顔面から転倒しました。
「そこまでです!」
すかさずシズクさんが鋭く踏み込み、床に伸びた神父の背中に膝を乗せて、完璧な体術でその身を取り押さえます。
無様に組み敷かれた神父の目の前へ、カイトさんはゆっくりと歩み寄り、しゃがみ込んでその顔を覗き込みました。
「ほら、まだ俺の魔法がかかったままなこと、すっかり忘れてただろ? あんたの目には俺がもっと近くにいるように見えてたはずだぜ。……まぁ、さすがにもう解いてやるよ。俺は優しいからなぁ」
カイトさんが不敵に笑うと、神父の視界のノイズが晴れるように、部屋の本当の景色が戻ってきました。神父が痛む顔を上げて自分が転んだ足元の方を見ると、そこにはいつの間にか、ニコラさんが満面の笑みで太いロープの両端をピンと張って待ち構えていました。
「へへーんだ! 天才技師の物理トラップを舐めるなよな!」
「お、おの、れ……っ、おのれぇ……」
完全に詰んだ神父は、地を這う虫のように呪詛を吐き散らすことしかできません。
ですが、そんな哀れな悪党へのトドメは、まだ残されていました。
「――そこまでのようですね、グレゴリー神父」
大聖堂の重厚な扉が大きく開かれ、凛とした、少女の声が響き渡りました。
カイトさんの後ろから姿を現したのは、きらびやかな礼装に身を包んだ、デュミナス教の最高権威――教皇エレオノーラ様でした。
その背後には、街中に響き渡った神父の自白を聞きつけて駆けつけた、完全武装の騎士団がずらりと列をなして控えています。
「エレオノーラ様……っ」
「シズク、よくやってくれました。……騎士団の皆さん、街の全員を欺き、私を暗殺しようとした大罪人を、地下の最深の牢獄へと連れて行ってください」
エレオノーラ様が冷徹に命じると、絶望に顔を歪めた神父は、騎士たちによって引きずられるようにして部屋から連行されていきました。
外面だけの偽りの聖人が、完全に破滅した瞬間でした。
「ふぅ……。これで一件落着、大勝利だな!」
カイトさんは伸びをしながら、いつもの飄々とした調子でケラケラと笑いました。
シズクさんに拘束を解かれてからというもの、ずっとその場で呆然と立ち尽くしていた私は、彼のその姿を見つめ、脳裏にあの崖での絶望、そして彼から託された手紙の言葉を思い返していました。
『側にいなくても、俺はずっとセイラを見ているからな』
あれは、ただの励ましなんかじゃない。
本当に、カイトさんはずっと、私のすぐ側で私を見守り、守ってくれていたのです。
「カイト、さん……っ!」
「お、セイラ――って、うおっ!?」
抑えきれない感情の濁流のままに、私はカイトさんの胸へと猛然と飛び込み、その細い身体を壊してしまいそうなほど強く、強く抱きしめました。
彼の胸から伝わってくる、確かな鼓動と、生きている温もり。
今度はもう、絶対に、この手を離さないと誓いながら、私は彼の胸に顔を埋めて、子供のように声を上げて泣きじゃくるのでした。
カイトさんの胸に顔を埋め、子供のようにひとしきり泣きじゃくった後。
涙も枯れ果て、ようやく頭が冷えてきた私は、そっとカイトさんの身体から離れました。
涙で濡れた視界をゴシゴシと 拭い、生きている彼が目の前にいる奇跡をもう一度噛み締めます。
――噛み締めた上で、私の脳裏に「ある疑問」がフツフツと湧き上がってきました。
「……あの、カイトさん。とっても、とっても嬉しいんですけど」
私はじっとカイトさんの顔を見つめ、静かに問いかけました。
「どうして、私にだけこの作戦を教えてくれなかったんですか?」
「え、あ、いや……ほら、あれだよ! 『敵を騙すにはまず味方から』って言うだろ? まさにその、作戦のリアリティを追求したというか何というか……あはは……」
カイトさんは引きつった笑みを浮かべ、ダラダラと冷や汗を流しながら後ずさりしていきます。
そんな言葉で、私の傷ついた心が納得できるわけがありません。
あの崖の上で、どれほどの絶望を味わったと思っているのですか。
私はコテン、と首を傾げ、満面の、これ以上ないほどににこやかな笑顔を浮かべました。ただし、その背後には暗殺者時代すら凌駕するほどの、圧倒的な怒りの圧力を込めて。
「……詳しく。お聞かせいただけますか?」
「ひゃいっ!」
私の声が低く響いた瞬間、カイトさんと、横で口を半開きにしていたニコラさんが、まるで訓練された軍人のように揃って返事をし、私の目の前で綺麗に正座しました。
「あ、あの、私は教皇様と一緒に仕事に戻らないといけませんので、これで……」
気配を消して、部屋からフェードアウトしようとしていたシズクさんに向かって、私は笑顔のまま声をかけました。
「シズクさん?」
「っ……!」
「――どちらへ?」
私の声音に、シズクさんはビクゥッと肩を跳ね上がらせました。
そしてロボットのようなぎこちない動きで振り返ると、引きつった笑顔のまま直立不動になります。
「い、いえ! なんでもありません! 私も、正座させていただきます!」
シズクさんは大慌てでカイトさんたちの隣へ滑り込み、三人綺麗に並んで床へ正座しました。
その様子を、教皇エレオノーラ様だけが「え、ええ……? なんでシズクが怒られてるの……?」とオロオロしながら眺めています。
私は三人の前に立ち、にっこりと微笑んだまま、静かに促しました。
「で? どなたから説明してくださるのですか?」
「は、はい! 私、カイトがご説明申し上げます!」
カイトさんは完全に敬語になり、ペコペコと頭を下げながら、必死の形相で弁明を始めました。
「あの、クソ神父は極めて用心深い悪党です! 俺が生きて元気にピンピンしている限り、絶対に警戒を解かないし、教皇暗殺の証拠となる本性を表さないだろうと予想されました! ゆえに、一度俺の『死を擬装する』という大掛かりな作戦を立てた次第であります!」
「なるほど、それは理解できます。街中への生中継も含めて、素晴らしい作戦です」
私は深く頷きました。
「では、最終的に神父に自白をさせる役が必要だったのも分かります。……ですが、私“だけ”に作戦のすべてが伏せられていた理由は、何ですか?」
笑顔で問い詰める私に、カイトさんは「それは、その……!」と視線を泳がせていましたが、ついに観念したようにギュッと目を瞑り、白状しました。
「セイラが……セイラが心の底から本気で動揺して絶望してくれないと、あの鋭いクソ神父を完璧に騙しきれないと思ったからです! 悲しませて本当に申し訳ありませんでしたぁぁぁッ!!」
カイトさんはそのまま、床に額を擦り付けるようにして勢いよく土下座しました。
隣でニコラさんとシズクさんも「あたしもカメラの調整で手一杯で!」「私も教皇様を守るために必死で……!」と一緒になってペコペコと頭を下げています。
「…………」
すべてを聞き終えた私は、ふいっと顔を背け、腕を組んで頬を膨らませました。
「もう……。カイトさんのバカ。大バカです。私、本当に死んじゃおうかと思うくらい悲しかったんですよ?」
少しだけ、拗ねたフリをしてみせます。
けれど、実際のところ、私の胸の中は怒りなんてほとんどありませんでした。カイトさんが生きている。
その事実があまりにも嬉しすぎて、愛おしすぎて、騙されたことなんてどうでもよくなってしまうくらい、幸福感で満たされていたのです。
私は正座するカイトさんの前へと歩み寄り、その前に屈み込みました。
そして、土下座を解いて恐る恐る顔を上げたカイトさんの瞳を真っ直ぐに見つめ、いたずらっぽく、可愛らしく微笑んでみせました。
「ですから……あの時のデートの続きを、今度は最後まで、私と二人っきりでしてくれたら、許してあげます」
「え……?」
カイトさんは一瞬呆気に取られたように目を丸くし、それから、私の顔が夕焼けのように赤くなっているのを見て、ようやくすべてを察したように優しい苦笑いを浮かべました。
「……あぁ。分かったよ。今度は邪魔が入らない、最高のデートに連れて行ってやるからな、セイラ」
「はい! 約束ですよ、カイトさん!」
差し出されたカイトさんの手を、私は今度こそ離さないように、強く、優しく握りしめるのでした。
嘘に覆われて始まった二人の旅路。
数多の困難と巨悪を乗り越え、紡がれた絆は、二人を覆っていた嘘を晴らし「真実」となって、二人の未来を明るく照らし出していました。




