5 折れる
6月中旬といえば、学生にとっては一学期の期末テストを間近に控える身であるが、馨は伊藤との勉強会により、赤点回避の余裕があったし、そんなことよりも差し迫った問題がある。
「おじいちゃん・・・私にはドラムの才能がないのかもしれん」
「久しぶりに顔見せたと思ったら、どうしたんだい。
話ならゆっくり聞くから、店に入っておいで」
ドラムの練習を始めて1週間も経っていないのに、早くもスランプなのである。
馨は打ちひしがれ過ぎて、楽器屋芒のおじいちゃんに人生相談しに来たのだった。本日も作務衣姿のおじいちゃんは、わざわざ店の奥からドラムスローン(椅子)をひっぱり出してきて、馨を座らせてくれた。紳士である。優しさが沁みる・・・
おじいちゃんは、馨の対面に背もたれ付きの椅子を持ってきて深く腰掛けた。馨の様子から、長話になると察したようだ。
「それで、お嬢さん。どうしました?」
「おじいちゃんが勧めてくれた電ドラちゃ・・・電子ドラム買うの、まだしばらくかかりそうだから。
ネットで、ドラムスティックと練習パッド取り寄せて、練習してたんす」
馨とて、この話をするのは少し気まずい。とにかく出来るだけ安く買いたかったので、おじいちゃんのお店ではなくネット販売で買ったのだった。
しかし、その点は杞憂だったようで、おじいちゃんはあっけらかんとしていた。
「ああー・・・もしかして、ドラムに飽きちゃったかな?
練習パッドは基礎練には悪くないけど、練習がかなり地味だから。モチベーションを保つのが難しくて、飽きがきやすい。
あくまで一時的な代用品なんだけど、ドラム初心者は練習パッドの段階でやめちゃうこと多いんだよね」
馨は首を横に振った。
「ドラムスティックが、練習の途中で折れちゃって。5本セットで買ったんすが、全滅で」
「・・・そうかぁ」
おじいちゃんは、考えをまとめるように天井を睨みながら言う。
「スティックの持ち方が悪い?それとも、力の入れ加減・・・
どんな素材のを使ったんだい?メイプルかな?」
「・・・・・・素材?」
「ははあ、さては。ちゃんと調べないで、安いのを適当に買ったのかな?」
・・・はい、その通りっす。
馨は項垂れた。気持ちだけが先行し過ぎて、明らかに勉強不足である。
「折れたの、ここに持ってきてない?見て確認した方が早いよ」
「あ、一応、持ってきました」
リュックから、スティックの残骸を取り出した。先端のチップから切れ目が入ったのやら、真ん中辺りでパキッと折れているのやら。ああ、無惨・・・
おじいちゃんはそれらをじっと見つめると、一片を手にとった。折れたスティックの断面を目に近づけて、睨みつける。
「なるほど、なるほど」
何か納得したようなおじいちゃんは、かろうじて長さのあるスティックの素振りを繰り返し、それで彼自身の頭をコンコンと叩いた。おじいちゃん??
「素材の種類以前に、木目がよくないし密度に至っては、すかすか。
スティックにメーカー名あるけど、私も聞いたことがないな。ネット販売でも、ここまで外れのは滅多にないんだけどなあ・・・」
ああああ。値段ばかりに気を取られて、メーカーとかもちゃんと見てなかったなーーー。
馨が目を泳がせているのを見て、おじいちゃんは立ち上がると、見本とばかりに棚からドラムスティックをいくつか見繕ってきた。
「お嬢さん。スティックを選ぶ上で、素材の種類はとても大切です。
基本的には、ウッド素材。
こちらの、ヒッコリーは適度な硬さで最もよく使われているし、初心者にも向いている。
オークは、ウッド素材の中で最も硬く、耐久性が高く、ハードな音楽向け。
メイプルは軽量で、ジャズやアコースティック向け・・・叩き方によっては折れやすいかもしれないな」
三種類を見比べると、微かに色目が違う。それぞれを手に握らせてもらう。手触りが全然違う。メイプルがしっとりしていて、一番手に馴染む。
が、夢中になると力が入りやすい馨だから、繊細そうなメイプルとは相性が悪い気がする。となると、馨に向いてるのは、初心者向けのヒッコリーか、耐久性のあるオークか?
「それから、さらに重要なのがスティックの木目と密度です。
このあたりは、本当に、実物を見て触って、確認することが大事なんだよ。
というわけで。初心者が、適当にネット買いはお勧めできないなあ?」
「うっ、気をつけます・・・」
それから、ドラムスティックの木目と密度の確かめ方、馨に合った太さと、念のためにとスティックの握り方や叩き方、叩く位置も再確認してもらって、そこはなんとかお墨付きをもらえた。
「じゃあ、問題は解決したってことでいいね。
お嬢さん、少し電ドラちゃん叩いてくかい?」
そう言ってウィンクするおじいちゃんの背中から、後光がさして見える。
おおおおじいちゃんは神様だった・・・?
ーーーいいえ、楽器屋さんだった。
「ぐうぅっ、めちゃくちゃ名残惜しいけど!!断腸の思いで!!
今日はやめときます・・・この後、バイト入って、、」
馨は店の壁かけ時計を見上げて、ぎょっとした。夢中になり過ぎて、時間の感覚がごそっと抜けていたようだ。
「っ、電車の時間ぎりぎりなんで行きます。今日は本当にありがとうござました!」
ドラムスローンから勢いよく立ち上がったところで、おじいちゃんから呼び止められる。
「待ちなさい、お嬢さん。バイト先はどこだね?良かったら送ってこうか、私の孫が」
「へ」
おじいちゃんの孫というと、あの、ギターやってるっていう?




