第51話 反響のハートレギオン
黒い硝子の床を突き破り、処刑台がせり上がった。
最初の一基がアリスたちの前方に現れたかと思うと、続けて左右の床が割れ、古びた木製の台座が次々と姿を現す。
どれも使い込まれた傷や黒ずんだ染みまで再現されており、台座の上には、処刑された者の名と判決が刻まれていた。
その一つに、アリスは見覚えのある文字を見つけた。
エリオ・ベルン。
十五歳の少年に下された死刑判決が、硝子の表面に浮かんでいる。
「……こんなものまで」
アリスが呟いた瞬間、頭上で紙をめくるような音が響いた。
見上げると、数え切れないほどの判決書が宙を舞っていた。
古い羊皮紙に見えたそれらは、空中で薄い硝子へと変質し、鋭い縁を持つ刃となって一斉に降り注いでくる。
「アリス、下がれ!」
ルシアンの声と同時に、彼女の視界が赤く染まった。
【紅狩装ルージュ・ハント】
三秒先までの致命的な危険が、赤い軌跡となって浮かび上がる。
アリスは左へ跳ぼうとしたが、その先にも刃が落ちる未来が見えた。
身を低くして右へ踏み込み、最初の一枚を【グラス・ヴェリタス】で弾く。
続けて背後へ回り込んだ硝子の刃を避けたところで、予測の範囲が途切れた。
新たな刃が頭上から迫る。
ルシアンが割って入り、大剣の腹で受け止めた。
砕けた硝子が床へ散り、彼の左肩が衝撃で大きく揺れる。
「無理をしないでください!」
「問題ない。次を見ろ」
ルシアンが顎で示した先では、処刑台の陰から黒い甲冑の兵士たちが現れていた。
顔を覆う兜には目を覗く隙間がなく、胸甲の中央には赤い心臓の紋章が刻まれている。
兵士たちは槍と大盾を構え、規則正しい足取りでアリスたちへ迫ってきた。
玉座の前に立つレギナが、静かに片手を上げる。
「【ハートコア】防衛機構、第二段階へ移行する。侵入者を排除せよ」
女王の声に応じ、黒い甲冑の兵士たちが一斉に槍を構えた。
ヴェルトは帽子のつばを押さえ、足元へ視線を落とす。
「ずいぶん物騒な歓迎だな。招待状くらい寄越してほしかったものだ」
「そんなの届いてなくも来たでしょ?」
ルミナスが双剣【グリン】と【グリム】を抜いた。
「まあな。断るには惜しい見世物だ」
「だったら文句言わない!」
軽口を交わしながらも、二人の動きには先ほどの戦闘の疲労が残っていた。
ヴェルトは左手を外套の内側へ添えたまま離さず、ルミナスも踏み込む際に負傷した足を庇っている。
それでも、二人はアリスの前へ出た。
先頭のハート兵が槍を突き出す。
ルミナスは身体を捻って穂先を避け、【グリン】で槍の柄を斬りつけた。
しかし、刃が触れた瞬間、甲高い音が響き、柄の表面を黒い硝子が覆っていく。
「うわっ、硬い!」
「そいつら、普通の兵士じゃないぞ」
ヴェルトが黒いカードを弾いた。
【マッド・ディール】先頭のハート兵が踏み込んだ場所だけ、床の摩擦が一瞬失われる。
兵士は足を滑らせて体勢を崩し、ルミナスがその隙に膝裏へ【グリム】を差し込んだ。
黒い甲冑が床へ倒れ、赤い光を散らして砕ける。
だが、その破片は消えなかった。
床へ吸い込まれた赤い光が、後方の処刑台へ集まり、再び兵士の形を取り始める。
「……倒しても戻ってくる?」
ルミナスが顔をしかめた。
「どうやら、そういう仕組みらしい」
ヴェルトは指先のカードを握り込んだ。
「困ったな。こっちは無限に働ける身体じゃないんだが」
アリスは【ルージュ・ハント】の予測を解除し、【グラス・ヴェリタス】に刻まれた第四の鏡印へ意識を向けた。
【第四鏡印・情報】
硝子の刀身に淡い文字列が浮かび、ハート兵の胸甲から処刑台へ伸びる魔力の流れが見えるようになる。
兵士の動きは、一定の行動記録に従っていた。
槍を突く角度、盾を上げる間隔、後退する際の足運び。その一つ一つが、かつて実在した兵士たちの戦闘記録を組み合わせたものだった。
さらに、処刑台の内部には別の記録が流れている。
恐怖。
後悔。
絶望。
罪悪感。
【悲嘆聖炉グリーフ・リアクター】へ蓄積された人々の感情が、兵士たちを動かす魔力へ変換されていた。
「……この兵士たちは、生きている人間ではありません」
アリスが告げた。
「過去の行動記録と、奪われた感情から作られた再現体です。倒しても、処刑台から魔力を供給される限り復元されます!」
「なら、台座を壊せばいいんだね!」
ルミナスが駆け出そうとしたが、アリスは首を振った。
「待ってください。あの処刑台は、中央の心臓へ繋がっています。無理に破壊すれば、蓄積された魔力が暴発する可能性があります」
その言葉を裏づけるように、処刑台の一つが激しく明滅した。
ハート兵の復元に使われた魔力が逆流し、台座の周囲に赤い亀裂が広がっていく。
ルミナスは足を止めた。
「じゃあ、どうするの?」
「供給を止める方法を探します。それまで、できるだけ時間を稼いでください」
アリスは剣を構え直した。
今度は【銀刻装シルバー・ミッドナイト】を選ぶ。
自分が担う役割を、明確に定める。
仲間を守りながら、術式の中枢へ到達した。
銀色の光が衣装の縁を走り、身体の動きが研ぎ澄まされた。敵の攻撃を予知できるわけではないが、選んだ役割を果たすための踏み込みや剣の運びが、無駄なく整っていく。
アリスはルシアンの横へ並んだ。
「私が前へ出ます。右側をお願いします」
「分かった」
ルシアンは短く答え、大剣を構えた。
二人が同時に踏み込んだ。
アリスがハート兵の槍を受け流し、盾の隙間へ剣を差し込む。
胸甲の紋章を斬り裂くと、兵士の身体が赤い光となって崩れた。
その背後から別の兵士が迫る。
ルシアンは右手で大剣を振り抜き、相手の槍を根元から断ち切った。
続けて肩から体当たりを仕掛け、兵士を後方へ押し倒す。
しかし、左腕の傷が疼いたのか、彼の表情がわずかに歪んだ。
アリスは一瞬、彼へ手を伸ばしかけた。
【白葬装スノウ・コフィン】を使えば、本人が望む範囲で痛みを和らげられる。
だが、今は【銀刻装シルバー・ミッドナイト】によって前線を維持している。
切り替えれば、その間に敵が突破してくるかもしれない。
アリスは周囲を見渡した。
「ルミナス、十秒だけ前をお願いします!」
「任せて!」
ルミナスが双剣を交差させ、アリスの前へ飛び込んだ。
ヴェルトも小さくカードを弾き、迫っていた槍の重心をわずかにずらす。
穂先が床へ逸れ、ルミナスがその隙に兵士の胸甲を斬り裂いた。
アリスは【シルバー・ミッドナイト】を解除し、【スノウ・コフィン】へ切り替えた。
「ルシアン。痛みを少しだけ和らげますか?」
「……頼む。左肩だけでいい」
彼の同意を確認すると、白い光が包帯の上へ降りた。
傷そのものは治らない。
それでも、痛みが和らいだことで、ルシアンは再び大剣を安定して構えられるようになった。
「助かった」
「無理はしないでください」
「分かっている」
アリスは頷き、再び剣を構えた。
その時、広間の奥からハロルドの声が響いた。
「アリス、待て!」
彼は片手で額を押さえ、もう一方の手を心臓へ向けていた。
【ラスト・ページ】
複数の未来を観測する能力が発動し、彼の周囲に薄い硝子の頁が浮かび上がる。
アリスが駆け寄ると、頁には異なる結末が映し出されていた。




