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断罪の国のアリス―Project Glass Eden―  作者: 塚田澄玻
第八章 断罪騎士団
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第47話 処刑城塞―友よ、先へ進め

 処刑城塞の中央回廊を、二百名の断罪騎士が埋め尽くしていた。


 前列は大盾を構え、その後ろに長槍兵、さらに後方には魔術騎士が並ぶ。

 三重の陣形は互いの死角を補い合い、歩調を揃えて前進するたびに、石床へ刻まれた拘束術式が淡く輝いた。

 先頭に立つ副団長イザベル・ヴァレンティアが【断首槍エクスキューショナー】を構える。


「武器を捨てなさい。あなたたちに勝ち目はないわ」


 ヴェルトは迫る軍勢を眺め、帽子を持ち上げて優雅に一礼した。


「おやおや。二百人がかりとは、ずいぶん熱烈な歓迎だね」


 隣では、ルミナスが双剣【グリン】と【グリム】を軽く回している。


「ヴェルト、二百人って何人ずつ倒せばいい?」

「公平に分ければ百人ずつだろう」

「じゃあ、僕は百二十人!」

「計算ができるようになったと思ったら、今度は遠慮を覚えてほしいものだね」


 イザベルの眉がわずかに動いた。


「……ふざけているの?」

「いや。怖い時ほど、冗談は必要なんだよ」


 ヴェルトは赤いカードを一枚、指で弾いた。


「【マッド・ディール】」


――FRICTION COEFFICIENT:VALUE 0

【摩擦係数:価値ゼロ】


 カードが石床へ触れた瞬間、前列の騎士たちが足を滑らせた。

 ヴェルトが変更したのは、盾兵の足元にある限られた範囲の摩擦係数だった。

 踏み込む力を失った数人が体勢を崩し、その背後で槍兵の足が止まる。

 さらに、盾二枚の重量属性を一瞬だけ引き上げる。

 盾兵は装備を支えきれず、左右へ腕を引かれた。


「今だ、ルミナス!」

「分かってる!」


 ルミナスが床を蹴った。

 盾列に生じたわずかな隙間へ身体を滑り込ませ、左右から突き出された槍を双剣で弾く。

 三人目の騎士がルミナスへ剣を向けた時には、すでにその視線から姿が消えていた。

 【バニシング・グリン】

 ルミナスの位置を、周囲の観測から一時的に外していく。


 騎士は目の前にいたはずの相手を見失い、反射的に剣を止めた。

 その隙にルミナスは側面へ回り込み、【グリン】で盾を腕に固定している革帯を切断する。

 支えを失った大盾が傾き、騎士の身体が前へ流れた。

 ルミナスはその背後へ滑り込むと、【グリム】の柄で鎧の膝裏を打ち、体勢を崩した騎士を石床へ転がした。

 さらに、倒れた騎士が剣を構え直すより早く、足元の拘束術式を構成する魔石を砕く。

 術式の一角が消え、後続の騎士たちが足を止めた。


「はい、一人目!」


 ルミナスは倒れた騎士を振り返り、得意げに笑った。


「待て待て。まだ立ち上がれそうだぞ?」


 ヴェルトが帽子のつばを押さえながら声を飛ばす。


「盾も使えないし、剣だって振れないでしょ。だったら、僕の勝ち!」

「なるほど。相手が降参する前に勝ちを宣言するとは、なかなか強引だな」

「早い者勝ちって言うじゃん!」

「そんな決まりは初めて聞いたぞ」


 ヴェルトは呆れたように笑いながら、次のカードを取り出す。

 その直後、横から飛来した魔力の槍が帽子のつばを掠めた。

 彼は身を屈め、石柱の陰へ滑り込む。

 断罪騎士たちの魔力耐性と連携術式のせいで、【マッド・ディール】による属性変更は長く続かない。

 対象を増やせば一つひとつの変更幅は小さくなり、効果が切れた盾兵たちはすぐに隊列を立て直した。

 イザベルは崩れた前列を見渡し、即座に命じた。


「盾兵、左右へ展開。槍兵は前進を止めて間隔を取れ!」


 騎士たちが動く。

 先ほどまで密集していた隊列が広がり、ルミナスが潜り込める隙間が減っていく。


「姿を消す相手を追うな。視認に頼るな、床面の振動で位置を取れ!」


 後列の魔術騎士たちが槍の石突きを床へ打ちつけた。

 規則的な振動が石床を伝わり、魔法陣の上に細い光の波紋を生む。

 ルミナスは次の盾兵へ接近しかけ、足を止めた。

 姿を見られていなくても、床へ着地した瞬間に波紋が広がる。

 その位置へ三本の槍が同時に突き出された。


「うわっ!」


 ルミナスは身体を捻って二本を避け、残る一本を【グリム】で受け流した。

 だが、続く拘束の光が足首を掠め、着地が乱れる。

 石床を転がって距離を取るルミナスの前へ、さらに盾兵が進み出た。


「観測を消しても、物理的な接触までは消せないというわけか」


 ヴェルトがカードを弾き、ルミナスの足元の摩擦を一瞬だけ下げた。

 ルミナスの身体が滑るように盾の下を抜け、拘束陣の外へ飛び出す。


「助かった!」

「礼なら後でまとめて受け取ろう」

「高そうだからやだ!」


 軽口を交わしながらも、二人は理解していた。

 相手はただ数が多いだけではない。

 一度見せた手段を分析し、次の攻撃へ反映してくる。

 

 二百名の騎士が一つの判断で動く限り、同じ奇襲は二度通用しない。

 アリスとルシアンが援護に入ろうとした時、ヴェルトが片手を上げた。


「お嬢様、ルシアン。ここは俺たちに任せて先へ」


 ルシアンが足を止める。


「二人で二百人だぞ」

「数えるのが面倒だから、百九十八人ほど減らしてもらえると助かるんだが」

「……馬鹿を言うな」


 ルミナスが笑った。


「平気だよ。ヴェルトは、こう見えてしぶといから」

「こう見えて、とは失礼だな。俺は見るからにしぶとい男だろう?」


 ヴェルトは肩をすくめたが、その視線はすでに騎士団の陣形を追っていた。


「ガウェインを止められるのは、今のところルシアンだけだ。ここで全員が足止めを食うのは、向こうの望む展開だろうな」


 ハロルドが回廊の奥を見た。


「左側の通路なら、法廷の奥へ繋がっている。騎士団の主力がこちらへ集まった今なら、抜けられる可能性がある」


 アリスはヴェルトとルミナスを見つめた。

 無理をしているのではないかと尋ねたかった。

 だが、二人が自分たちの意思で戦場を引き受けようとしていることも分かっていた。


「……必ず、追いついてください」


 ヴェルトは帽子を胸に当てた。


「もちろん。まだ、お嬢様に請求していない報酬があるからな」


 ルミナスが双剣を掲げる。


「あとで一番おいしいご飯、おごってね!」

「約束します」


 アリスは頷き、ルシアンとともに奥の通路へ駆け出した。ハロルドもその後に続く。

 イザベルが追撃を命じようとした瞬間、ヴェルトがカードを弾いた。

 通路の入口に立つ盾兵たちの足元が滑り、隊列が一瞬だけ乱れる。

 その隙をルミナスが駆け抜け、追撃を阻むように槍の穂先を切り落とした。


「そっちは通行止め!」


 イザベルは槍を構え直した。


「……殺しもせず二人だけで、全隊を相手にするつもり?」

「そのつもりだ」


 ヴェルトは、カードをシャッフルしながら答えた。


「もっとも、二百人全員を倒す必要はない。あんたたちが追いかけられなくなれば、それで十分だ」


 イザベルの眼差しが鋭くなった。


「ならば、こちらも手段を選ばない」


 彼女が【断首槍エクスキューショナー】を掲げると、後列の魔術騎士たちが一斉に詠唱を始めた。

 床を走る光が結び合い、二百名の魔力が一つの巨大な陣へ集約されていく。


 【集団断罪術式】


 有罪記録と照合された対象を拘束し、執行するための集団魔法だった。

 ヴェルトはその構造を見た瞬間、笑みを薄くした。


「……なるほど。個々の騎士ではなく、全員を一つの術式として扱うわけか」


 カードをばらまいても、接続の一部しか変えられない。

 切れた線は別の騎士を経由して繋がり直し、魔力の流れを維持していた。

 このままでは、通路を抜けたアリスたちまで照合対象に含まれる。

 ヴェルトは今までのカードを胸ポケットにしまった。


「さて。ここからは少々、高くつくな」


 ルミナスが振り返る。


「……ヴェルト?」


「少しだけ、派手な取引をする」


 彼は帽子を脱ぎ、胸元へ押し当てた。


「【終局取引(ラスト・ディール)】!」


 帽子から金色のカードがあふれ出し、無数の光となって回廊へ散った。

 【マッド・ディール】では変更できないほど大規模な属性を、一度だけ書き換える禁術。


 ヴェルトが選んだのは、二百名の騎士を結びつける魔力接続の帰属関係だった。

 誰の魔力が、どの術式へ属するのか。

 その対応を、一瞬だけ切り離す。

 代償として差し出すのは、術者自身の存在がどこへ帰属するかという情報だった。


 回廊を覆っていた光の網が、音もなく断ち切られた。

 騎士たちの拘束術式が次々と消え、統合されていた魔力が行き場を失って霧散する。

 イザベルも処刑槍を石床へ突き、膝をついた。

 だが、ヴェルトの身体もまた、輪郭を失い始めていた。

 指先が透け、黒い外套の向こうに石柱が見える。


「……ヴェルト?」


 ルミナスは息を呑んだ。

 目の前にいるはずなのに、彼が仲間だったという確信が、少しずつ薄れていく。

 名前を知っている。声も覚えている。

 それなのに、なぜ自分がこの男と一緒に戦っていたのか、その理由だけが曖昧になっていった。


「おや。まだ覚えていてくれたか」


 ヴェルトは微笑んだ。

 その声さえ、遠くなり始めている。


「……何してんの、馬鹿!」


 ルミナスは駆け出した。

 だが、伸ばした手はヴェルトの腕をすり抜けた。

 彼の存在はすでに術式の担保として取り込まれ、通常の接触では届かなくなっていた。

 ルミナスは歯を食いしばった。


 【バニシング・グリン】は、自分の位置を観測から外す力だ。

 それなら、術式が認識する位置からも、一瞬だけ外れられるかもしれない。

 少年は双剣を鞘へ収め、目を閉じた。


「もう!消えるのは僕の専売特許だよ!【バニシング・グリン】」


 周囲から自分の位置が消える。

 床の振動を拾う魔法陣にも、彼の足跡が映らなくなった。


 ルミナスは、ヴェルトの輪郭が溶け込む光の流れへ踏み込んだ。

 術式は少年を侵入者として認識できず、ほんの一瞬だけ接続の内側に隙間が生まれる。

 その隙間へ腕を伸ばす。

 今度は、指先が何かに触れた。

 ルミナスは【バニシング・グリン】を解除し、ヴェルトの手首を強く掴んだ。


「勝手にいなくなるなよ! 親友だろ!」


 ヴェルトの笑みが消えた。

 ルミナスは手を離さなかった。


「一人で格好つけて、全部終わったみたいな顔しないでよ! 僕、そんなの認めないから!」


 ヴェルトはしばらく少年を見つめ、それから小さく息を吐いた。


「……参ったな。そんな契約を結んだ覚えはないんだが」

「今、結んだの!」


 その言葉に、ヴェルトは目を細めた。


「なら、破るわけにはいかないな」


 彼は残された力を使い、担保として差し出した帰属先を、ルミナスとの関係へ限定して付け替えた。

 存在そのものを術式へ預けるのではなく、自分が誰の仲間であるかという繋がりを、担保の受け皿として固定する。


 光の流れが軋み、ヴェルトの輪郭が少しずつ戻ってきた。

 代償が消えたわけではない。

 大規模な属性改変を担う力は封じられ、当分の間、【マッド・ディール】で扱えるのはごく小さな変更に限られるだろう。

 それでも、ルミナスが握る手には確かな温度が戻っていた。


「……戻った」

「おかげさまで」


 ヴェルトが笑うと、ルミナスはその肩を強く叩いた。


「ほんとにオジサンって……ひとりで格好つけたがるんだから」

「今のは俺だけの問題だろう?」

「うるさい。あんたもルシアンもハロルドも、みんな同じ!」


 イザベルが立ち上がった。

 騎士団の陣形は崩れていたが、中央の術式中枢にはまだ魔力が残っている。


「全隊、再接続を開始! 集団断罪術式を再起動する!」


 ヴェルトは床の光を見た。


「……まだ諦めないか」

「どうする?」


 ルミナスが双剣を抜く。


「大きな取引はもうできない。だが、一箇所だけなら」


 ヴェルトは残った金色のカードを指先で弾いた。

 術式中枢の魔力接続が、ほんの一瞬だけ表面へ露出する。


「そこだ!」


 ルミナスが駆け出した。

 盾兵の間をすり抜け、迫る槍を双剣で弾きながら、中央の魔法陣へ飛び込む。

 【グリン】と【グリム】が交差し、露出した接続点を断ち切った。

 魔法陣が激しく明滅する。

 イザベルは反動が騎士たちへ流れ込むことを察し、即座に槍を下ろした。


「全隊、術式停止!接続を解除しなさい!」


 命令に従い、騎士たちが一斉に魔力を遮断した。

 回廊を覆っていた光が消え、ようやく静寂が戻る。

 イザベルはヴェルトとルミナスを見つめた。


「……二人で二百人を止めるなんて」


 ヴェルトは帽子を整えた。


「正確には、二百人の連携を止めただけだよ」


 ルミナスが胸を張る。


「でも、勝ちは勝ち!」


 イザベルは何も答えなかった。

 彼女の背後では、騎士たちが負傷者を支え合いながら隊列を立て直している。

 これ以上戦えば、双方に無用な犠牲が出ることは明らかだった。

 副団長は処刑槍を下ろし、静かに告げた。


「……ここでの執行は中止する。全隊、負傷者の救護を優先しなさい」


 ルミナスは安堵の息を吐いた。

 その隣で、ヴェルトが壁へ軽く寄りかかる。


「さて。お嬢様たちも、そろそろ奥へ着いた頃かな」

「帰ったら、ご飯おごってもらわないとね」

「その前に、少し休ませてくれ」


 ヴェルトが笑った、その時だった。

 城塞の最深部から、低い鐘の音が響いた。

 停止したはずの魔法陣が、再び赤く輝き始める。

 イザベルが顔色を変えた。


「……そんな。私は停止を命じたはずよ」


 石床に新たな文字が浮かび上がった。


『集団断罪術式、独立中枢より再起動』

『現場指揮権限を無効化』

『執行対象の照合を開始』


 ヴェルトは帽子のつばを押さえ、奥の闇を見つめた。


「……どうやら、まだ終わっていないらしい」


 騎士団の命令系統から切り離された術式が、誰の制止も受け付けずに動き始めていた。


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