第46話 執行者としての責任
ガウェインの問いに、ルシアンはすぐには答えなかった。
処刑場の再現が消えた中央法廷には、冷たい石床と、無数の判決記録を刻んだ黒い柱だけが残されている。
先ほどまで目の前にあった少年の靴も、母親へ届かなかった手紙も、今はどこにも見えなかった。
だが、ルシアンには分かっていた。
記録が消えたところで、過去まで消えるわけではない。
「……その通りだ」
彼は静かに口を開いた。
「騎士団を辞めても、エリオ・ベルンは生き返らない。俺が罪を認めたところで、遺族の苦しみが消えるわけでもない」
ガウェインは答えず、かつての弟子を見つめていた。
ルシアンは右手に握った大剣へ視線を落とした。
この剣で何人を処刑したのか、正確な数を思い出そうとしたことはない。
執行記録を調べれば分かるだろうが、数字を知ったところで、失われた命の重さを測れるとは思えなかった。
彼が覚えているのは、執行前に交わした短い言葉や、剣を振るう直前の沈黙だった。
エリオのように無実を訴えた者もいれば、罪を認め、家族への伝言だけを頼んだ者もいた。
その一人ひとりに人生があり、処刑台へ立つまでの時間があった。
それなのに、自分は彼らを判決書に記された罪状として扱おうとしていた。
「俺は、あの少年のために騎士を辞めるんじゃない」
「では、何のためだ」
「次に同じ命令が来た時、立ち止まれる人間になるためだ」
ガウェインの眉がわずかに動いた。
「執行を拒むということか」
「必要なら、そうする。ただし、自分の気分で判決を覆すつもりはない」
ルシアンは顔を上げた。
「疑問があれば調べる。異議を申し立てる。執行を止める根拠があるなら、正式な手続きを求める。それでも止められない時には、何を守り、何を失わせるのか、自分で考えて選ぶ」
「それでは、執行者の判断が法に優先する」
「違う。法を守るために、法の誤りを確かめるんだ」
ガウェインは口を閉じた。
ルシアンは、その沈黙を待たずに続けた。
「師匠の教えは、間違いばかりではなかった。裁く者と執行する者を分ける必要も、個人の感情で刑を変えてはならない理由も、今なら以前より理解できる」
かつて自分が学んだことを、否定したいわけではない。
ただ、その教えに従っていれば、考える責任まで免除されると思っていた。
「俺が間違えたのは、命令に従うことと、責任を果たすことを同じだと思ったことだ」
ルシアンは大剣を石床へ立てかけ、胸元から小さな金属片を取り出した。
銀色の騎士団章だった。
中央には王国の紋章が刻まれ、その下に交差した二本の剣が浮き彫りにされている。
縁は長年の使用で擦り減り、裏側には小さく名前が刻まれていた。
ルシアン・ヴァルハート。
断罪騎士団への正式配属が決まった日、ガウェインから授かったものだった。
「まだ持っていたのか」
ガウェインの声が、わずかに低くなった。
「捨てる理由を、決められなかった」
ルシアンは騎士団章を掌に載せた。
若い頃、この紋章を誇りに思っていた。
法を守り、罪なき人々を守る。そのために剣を振るう騎士になれたのだと、信じていた。
その思いまで偽りだったとは考えたくない。
けれど、誇りを持っていたことは、過去の行為を正当化する理由にはならなかった。
ルシアンは騎士団章を石床へ置き、大剣の柄頭を持ち上げた。
金属の砕ける乾いた音が、法廷に響いた。
銀色の紋章は中央から割れ、交差した二本の剣が別々の破片となって散らばった。
「判決に従うためだけの剣なら、今日ここで捨てる」
ガウェインは砕けた騎士団章を見下ろした。
その表情に怒りはなかった。
だが、長い年月をかけて育てた弟子が、自分の教えから離れようとしていることへの失望は、隠しきれていなかった。
「……そうか」
ガウェインは腰の大剣を抜いた。
黒鋼の刀身には、王国の古い法文が細かく刻まれている。
処刑大剣【終審】
「ならば、剣を持つ資格があるか、私が確かめる」
ルシアンは大剣を構えた。
次の瞬間、ガウェインが踏み込んだ。
五十代半ばとは思えない速度だった。
重い大剣が横薙ぎに振るわれ、ルシアンは右足を引きながら刃を受ける。
鋼と鋼がぶつかり、衝撃が肩から背中へ突き抜けた。
左腕の傷が痛んだ。
【白葬装スノウ・コフィン】による痛みの緩和は続いているが、傷ついた筋肉まで元通りになるわけではない。
両手で剣を支えようとした瞬間、左腕に力が入らず、ルシアンの身体がわずかに傾いた。
ガウェインはその隙を逃さなかった。
大剣を引き戻し、今度は上段から振り下ろす。
ルシアンは正面から受けず、刃を斜めに滑らせて衝撃を逃がした。そのまま右へ回り込み、相手の脇腹を狙う。
だが、ガウェインは一歩退いて間合いを外した。
「左腕を庇っているな」
「まだ動かせる」
「動くことと、戦えることは違うぞ」
ガウェインは大剣を石床へ突き立てた。
「【FINAL VERDICT 終審宣告】!」
刀身に刻まれた法文が赤く輝いた。
ルシアンの足元に、幾重もの円環が現れる。
そこには、彼が執行してきた判決の番号が刻まれていた。
円環から伸びた赤い光が、足首と右腕へ絡みつく。
ルシアンは反射的に剣を引こうとしたが、腕が重くなり、膝が石床へ沈みかけた。
「……これは」
「お前自身が認めた罪だ」
ガウェインの声が響いた。
「執行した命の重さを知りながら、その責任を背負うと言ったな。ならば、その重さから逃れることはできない」
赤い光がさらに増え、ルシアンの身体を拘束した。
力任せに引き剥がそうとしても、光は緩まない。むしろ、抵抗するたびに過去の判決記録が浮かび上がり、拘束を強めていく。
ルシアンは歯を食いしばった。
自分が人を殺したことを否定するつもりはない。
罪悪感を捨てれば自由になれるとしても、それを選ぶことはできなかった。
ガウェインが大剣を持ち上げる。
「罪を認めるなら、その判決を受け入れろ。お前はまだ、執行者としての責任を理解していない」
ルシアンは剣を握り直したが、右腕が上がらなかった。
刃が迫る。
その時、銀色の光が二人の間へ走った。
アリスの【グラス・ヴェリタス】がガウェインの大剣を受け、振り下ろされる軌道をわずかに逸らした。
重い刃が石床を砕き、破片が周囲へ飛び散る。
「ルシアン!」
アリスは剣を構えたまま、彼へ呼びかけた。
「私は、あなたがしてきたことを赦せません」
ルシアンは顔を上げた。
彼女の声に非難はなかった。
ただ、過去をなかったことにはしないという、揺るぎない意思があった。
「……そうだろうな」
「でも、これから何をするかは見ています」
アリスはガウェインから目を離さずに続けた。
「誰かに優しく許してもらうために、ここまで来たわけではないでしょう?」
ルシアンは、わずかに笑った。
「厳しいな、お前は」
「あなたほどではありません」
「……違いない」
短いやり取りの間に、ルシアンは自分を縛る光を見つめた。
罪を認めることと、他人の命令に従うこと。
それは、同じではない。
自分が過去にしたことは変えられない。
だが、その責任をどう背負い、これから何を選ぶかまで、過去の判決に決められる理由はなかった。
ルシアンは右足を踏み込み、拘束された腕をゆっくりと持ち上げた。
赤い光が軋む。
「俺は、罪を否定しない」
ガウェインが目を細めた。
「ならば、なぜ抗う」
「罪を認めたからといって、あなたの命令に従う理由にはならない」
ルシアンは大剣を振り上げた。
拘束の一部が砕け、赤い光が火花となって散る。
完全に自由になったわけではない。
それでも、右腕を動かすだけの隙間が生まれた。
ガウェインはその変化を見届けると、大剣を引き、中央法廷の奥へ退いた。
「……なるほど。お前は、私の教えを越えようとしているのか」
「越えられるかどうかは、まだ分からない」
ルシアンは息を整えた。
「ただ、もう目を背けない」
ガウェインが片手を上げた。
その瞬間、城塞の奥で重い鐘が鳴り響いた。
左右の壁に設けられた巨大な門が、次々と開いていく。
石床を踏み鳴らす無数の足音が近づき、黒銀の鎧を纏った騎士たちが整然と大広間へ進入してきた。
先頭に立つのは、長い赤褐色の髪を後ろで束ねた女騎士だった。
年齢は三十歳ほど。
鋭い眼差しと引き締まった表情を持ち、手には長柄の処刑槍【断首槍】を携えている。
断罪騎士団副団長、イザベル・ヴァレンティア。
彼女はガウェインへ一礼すると、アリスたちへ視線を向けた。
「団長。侵入者五名を確認しました。全隊、配置完了しています」
「よい。法廷の防衛を優先しろ。無用な犠牲は出すな」
「承知しました」
イザベルは槍を高く掲げた。
「断罪騎士団全隊、執行陣形!」
号令と同時に、二百名の騎士たちが剣を掲げた。
整然と並んだ鎧の足元に魔法陣が生まれ、それぞれの陣が光の線で結ばれていく。
ヴェルトが帽子のつばを持ち上げた。
「これはまた、随分と大掛かりな歓迎だね」
ルミナスは双剣【グリン】と【グリム】を抜き、口元に笑みを浮かべた。
「二百人か。退屈はしなさそうじゃない?」
ハロルドは奥へ退くガウェインを見つめ、険しい表情を浮かべていた。
「……あの陣形は、個々の騎士を相手にする戦いとは違う。全員の魔力が連動している」
ルシアンはガウェインを追おうとしたが、目の前へ進み出た騎士たちが剣を交差させ、進路を塞いだ。
奥の階段で、ガウェインが振り返る。
「来い、ルシアン。お前が自分の剣を選ぶと言うのなら、その覚悟を最後まで示してみせろ」
ルシアンは大剣を握り直した。
師との決着をつけるには、目の前に立ちはだかる二百名の断罪騎士団を突破しなければならなかった。




