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断罪の国のアリス―Project Glass Eden―  作者: 塚田澄玻
第八章 断罪騎士団
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第44話 騎士は判決を疑わない

 天井から降り注ぐ金色の光が収まっても、大広間を埋め尽くす判決記録は消えなかった。

 幾千もの文字が空中に浮かび、罪状と刑罰、執行者の名前を絶え間なく映し出している。

 アリスはその中にルシアンの名を見つけたが、どの記録にも、処刑された者が最後に何を訴えたのかは記されていなかった。


「こちらへ来い、ルシアン」


 ガウェインが中央の階段を上り、裁判官席の前で振り返った。


「お前が疑っているものを、ここで確かめればいい」


 ルシアンはしばらく動かなかった。

 やがて、大剣を右手に持ち直し、ゆっくりと歩き始める。

 アリスたちも後に続いたが、整列した騎士たちは道を塞がず、無言で彼らを見送った。


 階段を上がると、広間の中央に円形の法廷が現れた。

 黒い石床には複雑な魔法陣が刻まれ、その周囲には裁判官、検察官、弁護人、執行者を示す四つの紋章が配置されている。

 ただし、執行者の紋章だけが、ほかの三つから離れた場所にあった。


「かつて王国では、領主が裁判官であり、処刑人でもあった」


 ガウェインは石床へ視線を落とした。


「土地を治める者が罪を決め、自らの兵に刑を執行させる。盗賊を捕らえるためには便利な仕組みだったが、権力を持つ者が気に入らない人間を排除するにも都合がよかった」


 彼が片手を上げると、法廷の上に古い記録が浮かび上がった。

 そこには、貴族の屋敷から連行される農民や、広場で跪かされる商人たちの姿が映っていた。

 誰もが必死に何かを訴えている。しかし、彼らの前に立つ兵士たちは、領主の命令を受けると迷わず武器を振り下ろした。


「隣の領地へ逃げれば、今度は別の法で裁かれる。ある土地では無罪でも、別の土地では死罪になる。報復を恐れた者が先に相手を殺し、その遺族がさらに報復する。そうした争いが、長く王国を蝕んできた」


 ガウェインは記録を消した。


「だから王国は、裁く者と執行する者を分けた。裁判官が証拠を調べ、法に従って判決を下す。執行者は、その判決が正式な手続きを経ていることを確認し、命じられた刑を執行する」


 彼はルシアンへ向き直った。


「騎士が自分の感情で判決を変えてはならない。罪人が泣いているから、家族がいるから、あるいは自分には無実に見えるからという理由で執行を拒めば、法は人によって違うものになる」


 ルシアンは何も答えなかった。

 ガウェインの声が、静かな法廷に響いた。


「執行者が判決を疑い始めれば、法は成立しない。昨日の有罪が、今日の騎士の気分で無罪になる国を、お前は望むのか?」


 アリスは反論しかけて、口を閉じた。

 自分が断罪された時、裁判は王家の意向に従うだけの儀式だった。

 あの場で誰かが判決を疑ってくれていれば、処刑台へ送られることはなかったかもしれない。

 けれど、逆の立場ならどうだろう。

 正式な裁判で有罪となった人間を、執行者が個人的な好意で逃がしたとしたら。その罪によって傷つけられた者たちは、法を信じられなくなる。

 ガウェインの主張には、無視できない重みがあった。


「……なるほど。実に筋の通ったお話しだね」


 ヴェルトが帽子のつばに指を添えた。


「ただ、一つ気になることがある。判決が契約なら、契約書を書き換えた人間はどう裁かれるんだろうね」


 ガウェインは即座に答えた。


「改竄は別の裁判で裁く。判決記録を偽造した者には、相応の刑罰が科される」

「では、その裁判までに死んだ人間は?」


 ヴェルトの声音から、いつもの軽薄さが薄れた。


「偽造された判決に従って処刑された人間は、後から契約が無効になったとしても戻ってこない。契約の履行が取り消せない場合、その危険を誰が引き受けるんだ?」

「取り返しのつかない過ちを防ぐため、手続きを厳格にする。それが制度だ」


 ガウェインは少しも怯まなかった。


「証拠の照合、複数の裁判官による審理、異議申立て、再審。そうした仕組みを積み重ねることで、誤判の可能性を減らしていく。完全な制度など存在しないからこそ、個人の判断ではなく、検証可能な手続きに従う必要がある」

「おっしゃる通り。契約というものも、本来はそのためにあるものだからね」


 ヴェルトは小さく頷いた。


「でもね、どれほど立派な契約書でも、署名する人間が内容を知らされていなければ、公平とは呼べないよ」


 ガウェインが眉を寄せる。


「何が言いたい」

「手続きが正しいことと、手続きを利用する人間が正しいってことは、別の問題だということだ」


 ヴェルトは空中に浮かぶ判決記録へ目を向けた。


「しかも、この仕組みは現実の司法記録と接続されている。もし鏡界で作られた有罪認定が現実へ流れ込めば、本人が知らないうちに執行対象へ登録される可能性がある。手続きを守るための機構が、手続きそのものを飛ばしてしまうわけさ」


 ガウェインの表情が険しくなった。


「その危険を防ぐために、管理者が存在する」

「では、管理者が間違えた時には?」


 ヴェルトは穏やかに微笑んだ。


「その方を管理するのは、誰でしょう」


 法廷に短い沈黙が落ちた。

 そこへ、ルミナスが手を上げた。


「ねえ、僕も聞いていい?」


 ガウェインが視線を向ける。


「何だ」

「最初から裁判に呼んでもらえない奴は、どうするの?」


 少年は銀紫色の髪を揺らし、まっすぐにガウェインを見つめた。


「名前がないとか、どこの国の人間か分からないとか、そういう理由で追い返されたらさ。無罪だって言う場所もないじゃん」


 アリスは、禁書領域でルミナスに付けられた記録を思い出した。

 ――LUMINUS GREED:UNREGISTERED.

 【ルミナス・グリード/未登録】

 存在を登録されていないという、ただそれだけの理由で、少年は正式な審理の対象から外されていた。

 ガウェインはルミナスを見下ろした。


「王国の法は、原則として王国の管轄内にある者へ適用される。身元が不明な者にも、身元確認や保護の手続きは用意されている」

「でも、確認できなかったら?」

「その場合は、別の手続きによって判断する」

「その別の手続きにも入れなかったら?」


 ルミナスは一歩も引かなかった。


「ずっと待ってればいいの? 誰かが僕を人間だって認めてくれるまで?」


 ガウェインは答えを探すように、わずかに目を細めた。

 彼が制度を知らないわけではない。むしろ、その仕組みを誰よりも理解しているからこそ、制度の外に置かれた者へ即座に答えを与えられないのだろう。


「……法が及ばない者を減らすことも、国家の責務だ」


 やがて、ガウェインはそう答えた。

 ルミナスは唇を尖らせた。


「じゃあ、まだ減らせてないってことじゃん」


 ヴェルトが帽子を傾ける。


「おや、今日は珍しく俺より鋭いね」

「いつも鋭いっての!」

「失礼。では、今日は特別に鋭いということで」

「それも何か違う!」


 二人のやり取りに、アリスは思わず小さく笑った。

 けれど、ルミナスの問いは胸に残った。

 制度は必要だ。

 しかし、その制度に守られない人間がいるのなら、制度が存在するだけで正義が完成したとは言えない。


 アリスはルシアンを見た。

 彼はずっと、ガウェインの言葉を聞いていた。

 師匠が語った理屈は、かつて自分が信じていたものだった。裁判官が裁き、執行者が執行する。役割を分けることで、誰もが自分の責任を果たす。

 それは、剣を振るう理由を考えなくて済むということでもあった。


「……ガウェイン」


 ルシアンが口を開いた。


「俺は、あんたの教えが全部間違っていたとは思わない」


 ガウェインは静かに頷いた。


「そうだろう。お前は優秀な執行者だった」

「だが、一つだけ……どうしても忘れられない判決がある」


 ルシアンは右手で大剣の柄を握った。


「エリオ・ベルン。十五歳。王都の役人を殺した罪で、死刑になった少年」


 ガウェインの目が細くなる。


「ああ、覚えている」

「俺は、あいつの処刑を担当した」

「知っている」

「……あの時、俺は」


 ルシアンの言葉が途切れた。

 アリスは、彼の横顔を見つめた。

 普段なら、どれほど危険な相手を前にしても、ルシアンは迷いを見せない。けれど今は、剣を握る右手がわずかに震えていた。

 ガウェインは、その様子をしばらく見つめていた。


「ならば、記録を見ればいい」


 彼は法廷の中央へ歩み寄り、石床に刻まれた魔法陣へ手をかざした。


――TRIAL RECORD RECREATION

【審判記録再現】


 低い声とともに、床の紋様が白く輝いた。

 アリスたちの足元から、石造りの法廷が崩れ始める。

 ただし、床が消えたわけではなかった。黒い石が薄い硝子へ変わり、その下から別の景色が浮かび上がってきたのだ。


 高い城壁に囲まれた処刑場。

 曇った空と、湿った石畳。

 遠くには、見物人たちのざわめきが聞こえる。

 やがて、二人の兵士に腕を掴まれた少年が、処刑台へ引き出されてきた。

 年齢は十五歳ほど。

 痩せた身体には粗末な衣服を纏い、両手は背中で拘束されている。頬には殴られたような痣があり、唇の端には乾いた血が残っていた。

 少年は足を引きずりながらも、必死に顔を上げた。


「僕はやってない! お願いだから、話を聞いて!」


 その声が、処刑場へ響き渡った。

 見物人たちのざわめきが大きくなる。

 兵士が少年の肩を押し、処刑台の前へ跪かせた。


「母さんが待ってるんだ! 僕が帰らなかったら、母さんは……!」


 少年は泣きながら訴え続けた。

 その前に、一人の若い騎士が歩み出る。

 黒い鎧に身を包み、右手には大剣を握っていた。

 今よりも若く、顔にはまだ深い傷も疲労の色もない。

 しかし、その目だけは、アリスがよく知っているものだった。


「……ルシアン」


 アリスが呟くと、隣に立つルシアンは答えなかった。

 記録の中の若い彼は、少年の前で足を止めた。

 少年が顔を上げる。


「お願いです、騎士様! 僕は本当にやってないんです!」


 若いルシアンは、何かを言おうとして唇を動かした。

 けれど、声は出なかった。

 彼の右手が、大剣の柄を握り直す。

 アリスは、その手が震えていることに気づいた。

 ガウェインの声が、背後から静かに響いた。


「これは、お前が執行した判決の正式な記録だ」


 ルシアンは、処刑台の上に立つ過去の自分を見つめていた。

 少年はなおも、無罪を訴え続けている。

 そして若い騎士は、その声を聞きながら、ゆっくりと大剣を持ち上げた。


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