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断罪の国のアリス―Project Glass Eden―  作者: 塚田澄玻
第六章 禁書領域アポクリファ
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第30話 守護者のいない階層

 白い廊下には、足音だけが響いていた。


 アリスは【グラス・ヴェリタス】の柄に手を添え、どこまでも続く通路を見渡した。

 壁も床も天井も、継ぎ目が分からないほど滑らかな白い石材で覆われている。

 一定の間隔で埋め込まれた照明は、炎も魔力の揺らぎも見せず、冷たい光を放ち続けていた。

 赤森《せきしん》には獣の息遣いがあり、鏡海《きょうかい》には波の音があった。

 灰硝子舞踏館《はいがらすぶとうかん》でさえ、音楽や人々の話し声に満ちていた。

 しかし、ここには風さえない。

 呼吸をするたび、自分の身体が立てる音ばかりが耳についた。


「……落ち着かない場所ですね」


 アリスが呟くと、ヴェルトが白い壁を指で叩いた。


「俺は嫌いじゃないけどね。高級な監獄という感じがする。もっとも、囚人に逃げ道を教えてくれないところは減点かな」

「監獄なら、看守くらいいるんじゃない?」


 ルミナスは猫耳を動かしながら、廊下の奥を睨んだ。


「さっきから誰の気配もしないんだ。足音も、心臓の音も聞こえない。なのに、誰かに見られてる気がする」


 その言葉に、アリスは天井へ目を向けた。

 照明の隙間に、黒い硝子玉が埋め込まれている。

 アリスが見上げると、硝子玉の内部で赤い光が瞬き、細い金属音とともに向きを変えた。


「……今、動きましたね」


 ルシアンが大剣の柄に手を掛ける。


「こちらを追っている」


 黒い硝子玉は、彼らが歩き始めると再び回転した。

 まるで、廊下そのものが一行を観察しているようだった。

 壁には無数の扉が並び、それぞれに銀色の番号と文字が刻まれていた。


 ――SUBJECT 01:FEAR.

 ――SUBJECT 02:DESIRE.

 ――SUBJECT 03:ROLE.

 恐怖、欲望、役割。


 アリスは足を止めた。


「……私たちが、これまでの鏡界で向き合ってきたものです」


 赤森狩猟区《せきしんしゅりょうく》では、恐怖が未来を縛っていた。

 鏡海回廊《きょうかいかいろう》では、欲望の違いが争いを生んでいた。

 灰硝子舞踏館《はいがらすぶとうかん》では、与えられた役割が人間の生き方を決めていた。


 そのすべてが、ここでは整然と番号を振られている。

 ヴェルトが肩をすくめた。


「命懸けで解決した事件を、誰かが帳簿につけていたみたいだね。せめて報酬の記録くらい残しておいてほしいものだけど」

「笑い事ではありません」


 アリスは扉へ近づいた。

 表面には細かな傷があり、取っ手の周囲には何度も触れられたような擦れ跡が残っている。

 誰かがここで働き、何かを運び、繰り返し扉を開閉していた。

 その事実が、幻想の城よりも不気味だった。


「……この建物、石造りでもレンガでも、木造でもないね」


 ルミナスが壁へ手を当てた。


「冷たすぎないし、魔力の反応も薄い。鏡界《ミラージュ》の壁なら、もっと触った時に変な感じがするんだけど」

「つまり、未知の建材で、誰かが実際に造った施設だと?」

「たぶんね。でも、こんなに大きいのに、人が一人もいないなんておかしいよ」


 アリスは最後尾の泣き笑い仮面へ視線を向けた。


「ここにも鏡姫《きょうき》がいるのでしょうか」

「いないよ」


 返事は驚くほど早かった。

 仮面の男は銀の杖を肩に担ぎ、白い廊下を見渡した。


「ここは、これまでの階層とは違う。君たちを待つ守護者はいないし、誰かの願いが世界を形作っているわけでもない」

「……詳しいんですね」

「昔、少しだけ聞いたことがあるのさ」

「その『少しだけ』で済む話ではないと思いますが」


 アリスが問い詰めようとした時、ルシアンが片手を上げた。


「後にしろ。何か来る」


 直後、天井の照明が赤く染まった。

 廊下の奥で低い金属音が響き、白い壁が左右へ開く。

 そこから現れたのは、人間ほどの大きさを持つ銀色の人形だった。

 流れるような腰のラインから下は二段階の箱型になっていて、足は見えない。

 腕の関節は球体状の金属で繋がれ、顔には目も口もない。

 胸元には黒い硝子板が埋め込まれ、その表面を細かな文字が流れていた。


 ――IDENTIFICATION START.

 【個体識別開始】


 人形の胸に文字が浮かぶ。


 ――LUCIAN VALHART:EXECUTIONER.

 【ルシアン・ヴァルハート/処刑人】


 ――VELT CROW:FRAUD.

 【ヴェルト・クロウ/詐欺師】


 ――LUMINUS GREED:UNREGISTERED.

 【ルミナス・グリード/未登録】


「……ずいぶん失礼な身元確認だね」


 ヴェルトが苦笑した。


「俺の職業はもう少し幅広いんだけど」

「僕なんて未登録だよ!名前は分かってるくせに!」


 ルミナスが抗議する。

 しかし、人形は二人を無視し、最後にアリスへ顔を向けた。


 胸元の文字が一度消える。

 そして、新たな表示が浮かんだ。


 ――SUBJECT AUTHENTICATION PENDING.

 【被験対象認証、保留】


「……私だけ、名前がない?」


 アリスが眉を寄せた瞬間、警告音が鳴り響いた。


 ――UNAUTHORIZED ENTRY DETECTED.

 【未許可侵入、検知】


 銀人形が腕を広げ、指先から細い光線を放つ。

 ルシアンが大剣を振るい、光線を弾いた。

 床へ逸れた光が白い建材を焼き、黒い焦げ跡を残す。


「下がれ!」


 アリスは【グラス・ヴェリタス】を抜いた。

 だが、敵は一体ではなかった。

 左右の壁が次々と開き、銀人形が姿を現す。

 廊下の奥まで整然と並んだ敵が、一斉に腕を構えた。

 ルシアンが舌打ちする。


「面倒だな。数だけは揃えてきた」


 次の瞬間、光線が雨のように降り注いだ。

 ルシアンが大剣を盾にして前列を受け止める。

 ヴェルトはカードを投げ、床に着弾する光の衝撃を一時的に弱めた。

 ルミナスは壁を蹴って跳び上がり、銀人形の頭上へ回り込む。

 しかし、敵は少年の動きを正確に追っていた。


「……うわっ!」


 ルミナスが身を捻った直後、光線が耳のすぐ横を通過する。

 アリスは敵の胸元にある黒い硝子板を見つめた。

 それぞれの人形が独立して動いているにしては、反応が揃いすぎている。

 誰かが、どこかから命令を送っているのではないか。

 アリスは胸元の第三鏡印へ意識を集中させた。


「【銀刻装シルバー・ミッドナイト】!」


 銀色の光が黒い軍装ドレスを包み、時計仕掛けを思わせる装甲が肩から腕へ広がった。

 腰の装甲には細い歯車模様が走り、背後には巨大な時計盤の光輪が浮かぶ。

 【グラス・ヴェリタス】の刀身に銀線が灯り、左目へ術式が現れた。


 ――SELF-SELECTED ROLE.

 【自己選択配役】


 アリスは深く息を吸った。

 これまでの【鏡装ミラー・アームズ】は、危険な未来を予測し、他者の意思を伝える力を与えてくれた。

 しかし、【銀刻装シルバー・ミッドナイト】は違う。

 自分が何をする者でありたいかを選び、その目的に合わせて、持っている力の使い方を変える。

 アリスは迫る銀人形を見据えた。


「私が選ぶ役割は、【探索者】です」


 背後の時計盤が静かに回転した。

 銀色の線が床と壁を走り、アリスの視界に魔力の流れが重なっていく。

 人形たちの胸元から、天井へ細い光の筋が伸びていた。

 アリスはその筋を目で追った。

 天井の照明。

 壁の内部に埋め込まれた導管。

 そして、廊下の奥へ集まっていく無数の線。

 それらは一本の太い流れとなり、奥の壁へ吸い込まれていた。


「……見えた」


 アリスは剣を握り直した。

 敵を一体ずつ倒す必要はない。

 命令を送っている場所を断てばいい。

 ただし、光の流れを追うことに意識を集中したせいで、足元の敵への注意が遅れた。

 銀人形が腕を振り上げ、刃のような指先を突き出す。


「アリス!」


 ルシアンが踏み込み、大剣で敵の腕を叩き折った。

 左腕の傷が開き、鎧の隙間から血が滲む。


「見るなら、周りも見ろ!」

「……ありがとうございます!」


 アリスは剣を構え直した。


 【銀刻装シルバー・ミッドナイト】は、選んだ役割に集中するほど、その目的に必要な情報を鮮明にする。

 しかし、それ以外の危険が消えるわけではない。

 自分一人では、すべてを見られない。

 だからこそ、仲間がいる。


「ルシアン、正面の三体を止めてください! ヴェルトは右側の照明を!」

「了解だ」


 ルシアンが大剣を横薙ぎに振るい、前列の銀人形をまとめて押し戻した。

 ヴェルトはカードを指先で弾く。

 ――VISIBILITY/VALUE 0.(視界/価値ゼロ)


 右側の照明が一瞬だけ暗くなる。

 その影を利用して、ルミナスが【バニシング・グリン】を発動した。

 少年の輪郭が薄れ、敵の観測から外れる。


「アリス、どこを壊せばいい!?」

「奥の壁、赤い光の下です!」


 ルミナスは壁を蹴り、銀人形の頭上を跳び越えた。

 敵の光線が彼を追おうとしたが、姿を捉えられない。

 双剣【グリン】【グリム】が交差し、壁の奥に埋め込まれた黒い装置へ突き刺さった。

 金属が裂け、青白い火花が散る。

 直後、廊下に並んでいた銀人形たちの動きが一斉に止まった。

 胸元の硝子板が暗くなり、腕が力なく下がる。


「……止まった?」


 ルミナスが振り返った。

 アリスは銀色の光輪を消しながら、装置へ目を向けた。

 壊れた内部では、細い導管がまだ微かに明滅している。

 完全に停止したわけではない。

 奥へ続く一本の線だけが、赤い光を保っていた。


「……命令を送る仕組みは、まだ生きています」


 アリスが呟くと、ヴェルトが近づいた。


「つまり、俺たちが壊したのは末端の装置で、本体は別にあるということかな」

「おそらく」


 アリスは廊下の奥を見つめた。

 銀人形たちは動かない。

 しかし、どこかで別の何かが、こちらを見続けている気がした。

 さらに、戦闘中の違和感が胸に残っていた。


 敵の光線はルシアンやヴェルトを正確に狙っていたのに、アリスへ向けられた時だけ、わずかに軌道が逸れていた。

 偶然とは思えない。

 まるで、自分を傷つけることを禁じられているようだった。

 その時、廊下の奥で重い扉が音を立てて開いた。

 他の扉とは異なり、表面には黒い硝子板が埋め込まれている。

 アリスが近づくと、硝子板に光が灯った。


 ――IDENTITY CONFIRMED.

 【個体認証、完了】


 続いて、白い文字が浮かび上がる。


 ――WELCOME BACK, ALICE.

 【お帰りなさい、アリス】


 アリスは息を呑んだ。

 この場所を訪れた記憶など、一度もない。

 それなのに、扉は彼女を待っていた。

 背後で、泣き笑い仮面が静かに息を吐いた。


「……やはり、君だったか」


 アリスは振り返った。

 しかし、問いかけるより早く、扉の向こうから冷たい機械音声が響いた。


『被験対象アリス。帰還を確認しました』


 白い廊下の奥で、無数の書物が眠る巨大な書庫が姿を現した。


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