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断罪の国のアリス―Project Glass Eden―  作者: 塚田澄玻
第五章 灰硝子舞踏館
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第26話 配役された人生

 銀色の刃が落下を始めた瞬間、アリスの身体が勝手に動いた。

 処刑台へ駆け寄ろうとした足が止まり、剣を握る右手とは無関係に、左手がドレスの裾を持ち上げる。背筋が伸び、膝が優雅に折れた。


 王女にふさわしい、完璧な礼だった。

 その間にも、処刑台の女性は必死に身を捩っている。

 衛兵に押さえつけられた肩は動かず、頭上では刃が銀色の光を反射していた。


「こんな時に……!」


 アリスは歯を食いしばった。


 右目に文字が浮かぶ。


 ――PRINCESS MUST REMAIN GRACEFUL.

 【王女は優雅でなければならない】


 命を救おうとする行動より、王女としての振る舞いが優先されている。

 ルシアンが大剣を抜いた。

 しかし彼もまた、アリスの前から離れられない。

 白銀の鎧に浮かんだ(KNIGHT)の文字が輝き、護衛対象から離れることを禁じていた。


「アリス、俺から離れるな!」

「離れたいのはこちらです!」


 アリスは身体を起こそうとした。

 だが、見えない糸が肩と膝を押さえつける。

 処刑台の刃が、女性の首へ迫った。

 アリスは鏡印へ意識を向けた。

 赤森で得た力。

 恐怖を未来の判決ではなく、守るための警告へ変える鏡装。


「【紅狩装ルージュ・ハント】!」


 赤い光が、銀のドレスを貫いた。

 深紅の結晶が肩から腕へ広がり、腰の装甲板が花弁のように展開する。

 白銀の舞踏会衣装に鮮烈な赤が重なり、背後には巨大な弓状の光輪が浮かび上がった。

 【グラス・ヴェリタス】の刀身が伸び、透明な弓へ変形する。


 アリスの深紅の左目に、三秒後の未来が映った。

 刃が落ちる。

 女性の身体が崩れる。

 貴族たちが拍手する。

 その未来を、アリスは拒んだ。


「そんな結末、認めません!」


 赤い光弦を引き絞る。

 王女としての礼を強制する銀の糸が、鏡装の展開に押し広げられた。

 配役の拘束は消えていないが、腕を動かす余地が生まれる。

 アリスはその一瞬へ、すべての力を込めた。


 光の矢が放たれる。

 深紅の軌跡が舞踏館を横断し、処刑装置の支柱を正確に射抜いた。

 銀色の刃が軌道を逸らし、処刑台の床へ突き刺さる。

 硝子の破片が飛び散った。

 女性が悲鳴を上げる。


 ルシアンはアリスの動きに合わせて駆け出した。

 護衛対象が前進したことで、彼もその後を追えるようになったのだ。

 大剣が衛兵の槍を弾き、アリスは処刑台へ飛び乗る。

 女性の拘束具を斬り裂くと、彼女はその場へ崩れ落ちた。


「もう大丈夫です。立てますか?」


 アリスが手を差し出す。

 女性は涙を浮かべながら頷いた。

 しかし、その胸元にある赤い文字は消えていなかった。

 ――GUILTY.(罪人)


 次の瞬間、処刑台の床が震えた。

 砕けた支柱が銀色の粒子となって舞い上がり、女性の背後へ新たな処刑装置を形成する。

 アリスは咄嗟に女性を抱えて飛び退いた。

 銀の刃が石畳へ突き刺さる。

 さらに三本目の刃が天井から現れた。


「……何度でも処刑するつもりですか」

 アリスは歯を食いしばった。

 ミレイは階段の上から、その様子を静かに眺めていた。


「当然です。彼女は罪人なのですから」

「何の罪も犯していないと、本人が言っています!」

「本人の言葉と、役割は関係ありません」


 ミレイは穏やかに微笑んだ。


「罪人には、罪人にふさわしい結末があります。あなたが刃を何本壊しても、その結末は変わりません」


 アリスの蒼い右目に、新たな文字が浮かぶ。


 ――ROLE OUTCOME ENFORCEMENT.

 【配役結末強制】


 処刑装置は敵ではない。

 (罪人は処刑される)という結末を成立させるための舞台装置なのだ。


 アリスは赤い弓を引き、次の刃を射抜いた。

 しかし、破壊された刃の向こうで、すでに新たな処刑台が組み上がり始めている。

 その時、ルシアンが女性を抱え上げた。


「アリス、退くぞ」

「でも、あの文字が残っている限り――」

「ここで斬り続けても終わらん。仕組みを壊す方が先だ」


 アリスは唇を噛んだ。

 悔しいが、彼の言う通りだった。

 ルシアンは女性を抱えたまま走り、アリスは赤い光の矢で追撃を防ぐ。

 ヴェルトが道化師の帽子を投げ上げ、そこから無数のカードを散らした。


「お嬢様、こちらへ!」


 カードが処刑台の前へ降り注ぐ。

 ――PURSUIT――VALUE 0.【追跡――価値ゼロ】


 衛兵たちの追跡速度が一瞬だけ鈍った。

 その隙に、ルミナスが使用人用の通路から顔を出す。


「こっち! 裏へ抜けられる!」


 アリスたちは舞踏館の奥へ駆け込んだ。


  ◇


 使用人通路は、大広間の豪華さが嘘のように薄暗かった。

 壁には古い銀時計が並び、床には灰色の埃が積もっている。

 遠くから舞踏会の音楽が聞こえていたが、ここでは誰も笑っていなかった。

 アリスは鏡装を解除し、助けた女性を椅子へ座らせた。


「お名前を教えてください」


 女性は震える唇を開いた。


「……エマです」

「エマさん。あなたは本当に、何もしていないんですね?」

「はい。昨日までは厨房で働いていました。今朝、鐘が鳴ったら、突然この服になって……」

 エマは胸元の赤い文字を見つめた。

「みんなが私を罪人だと言い始めたんです。昨日まで一緒に働いていた人まで、私を知らないみたいに……」


 アリスは胸が締めつけられた。

 自分も同じだった。

 昨日まで侯爵令嬢として暮らしていた世界で、ある日突然、罪人として裁かれた。

 判決文に名前が書かれただけで、人々の視線が変わった。

 そして、処刑台へ立たされた。


「……エマさん」


 アリスは彼女の手を握った。


「あなたが何者かは、その文字だけで決まるものではありません」


 エマは泣きながら頷いた。

 その様子を、ルシアンが黙って見つめていた。

 彼は自分の大剣へ視線を落とす。

 かつて断罪騎士として振るった剣。

 命令された罪人を斬り続けた過去。

 アリスは彼の表情に気づいた。


「ルシアン?」

「……俺は、何人斬ったと思う」


 突然の問いに、アリスは答えられなかった。

 ルシアンは低い声で続けた。


「罪人だと言われた。判決が下った。だから斬った。それが俺の役割だった」


 彼の手が、剣の柄を強く握る。


「だが、もし最初から罪人に配役されていただけなら……俺は何を斬っていたんだろうな」


 アリスは言葉を探した。

 安易な慰めはできない。

 彼が奪った命は戻らないし、その中に本当の罪人が何人いたのかも分からない。

 それでも、彼が今、自分の過去を疑い始めていることだけは確かだった。


「……答えを出すのは、まだ早いと思います」


 アリスは静かに告げた。


「でも、疑問を持つことは、きっと間違っていません」


 ルシアンはしばらく黙っていた。

 やがて、短く息を吐く。


「面倒なことを言う」

「共犯者ですから」

 アリスが微笑むと、彼はわずかに口元を緩めた。


  ◇


 その後、アリスたちは舞踏館の仕組みを調べることにした。

 ルミナスは使用人役を利用し、厨房や裏通路を自由に移動できた。

 給仕用の銀盆を持っていれば、誰も彼を疑わない。

 ヴェルトは道化師として貴族たちへ近づき、軽口と手品で注意を引きながら、配役に関する情報を集めてきた。


 ただし、役割の制約は消えていない。

 ルミナスが貴族専用の扉を通ろうとすれば身体が止まり、ヴェルトが真面目な質問を続けすぎると、勝手に冗談を口にしてしまう。

 それでも、与えられた役割の範囲内なら行動できる。


 アリスはそこに、攻略の糸口を見た。

 役割は人間を完全に支配するものではない。

 行動の範囲を限定し、その範囲から外れた時だけ強制力が働く。

 ならば、その境界を見極めれば、まだ選べることがある。

 夜更け、ヴェルトが一冊の古い台帳を持ち帰った。


「お嬢様、面白いものを見つけたよ」


 台帳の表紙には、銀色の文字が刻まれていた。


 ――ROLE ASSIGNMENT RECORD.

 【配役記録】


 アリスが頁をめくると、そこには舞踏館の住民たちの名前と、日付ごとの役割が記されていた。

 昨日まで王女だった女性が、今日は使用人。

 昨日の英雄が、今日は罪人。

 昨日まで王子だった青年が、今日は道化師。

 配役は毎晩変わっている。

 それなのに、人々はその日の役割こそが本人の本質だと信じていた。


「……これは」


 アリスの指が、一つの名前で止まった。


 ――MIREI/SERVANT.(ミレイ/使用人)


 その次の頁には、同じ名前が記されている。


 ――MIREI/PRINCESS.(ミレイ/王女)


 アリスは息を呑んだ。

 銀鏡姫ミレイ自身も、かつては使用人だった。

 そして、ある日突然、王女へ配役された。


「……だから、あの人は」


 アリスが呟いた瞬間、背後から澄んだ声が響いた。


「そこまで見てしまったのですね」


 振り返ると、ミレイが通路の入口に立っていた。

 灰銀のドレスが淡く輝き、硝子の靴が床へ触れるたび、硬質な音が響く。

 彼女はアリスの手から台帳を取り上げた。

 その表情には、先ほどまでの優雅な笑みがなかった。


「使用人だった私には、誰も名前を尋ねませんでした」


 ミレイは静かに頁を閉じた。


「朝から晩まで働いても、誰も私を見てくれなかった。失敗すれば叱られ、うまくできても、それが当然だと言われました」


 彼女は胸元へ手を当てる。


「でも、王女になった日から、すべてが変わったのです」


 銀色の瞳が揺れた。


「皆が私の名前を呼び、微笑み、愛してくれた。私が何かを言えば、誰もが耳を傾けてくれた」


 ミレイはアリスを見つめた。


「だから、私は知っているのです」


 その声には、隠しきれない切実さがあった。


「人の価値は、役割によって決まるのだと」


 アリスは答えなかった。

 ミレイの言葉が、ただの傲慢から生まれたものではないと分かったからだ。

 彼女は役割に救われたと信じている。

 だからこそ、役割を失うことを恐れている。

 ミレイは台帳を胸へ抱き、かすかに微笑んだ。


「あなたも、いつか分かります。王女として愛される幸福を知れば、もう二度と、それ以外の自分には戻りたくなくなるのです」


 アリスは静かに首を振った。


「……それは、幸福なんでしょうか」


 ミレイの笑みが止まる。

 アリスは続けた。


「あなたが愛されたのではなく、(王女)という役割が愛されただけだとしたら」


 硝子の靴が、かすかに軋んだ。

 ミレイの銀色の瞳が、初めて怒りに揺れた。


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