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断罪の国のアリス―Project Glass Eden―  作者: 塚田澄玻
第三章 赤森狩猟区
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第14話 赤ずきんは狼を狩る

 鏡を貫いた矢が、アリスの黒髪を数本さらって背後の壁へ突き刺さった。

 着弾点から赤黒い蔦が爆発的に広がり、砕けた鏡面を覆っていく。


「災厄候補、五名を確認」


 赤い森の向こうから、少女の声が届いた。


「危険度判定を開始する」


 ルミナスに腕を引かれたまま、アリスは鏡の向こうを見据えた。

 少女は巨大な黒樹の枝に立っている。

 鮮やかな赤髪の上から、血の色を思わせるフードを被っていた。

 赤と黒を基調とした軽装は森を駆けるために余計な装飾を削ぎ落としており、細身の身体には不釣り合いなほど大きな銀色の弓を構えている。

 すでに二本目の矢がつがえられていた。


「自己紹介より先に射つのが、こちらの礼儀なんですか?」


 アリスが尋ねる。


「名前は判定に必要ない」

「私は必要です」

「なぜ?」

「誰に殺されかけたのか分からないまま死ぬのは、気分が悪いので」


 少女の赤い瞳がわずかに細くなった。


「死ぬと決まったわけじゃない」

「では、先ほどの矢は?」

「警告」

「髪に当たりましたけど」

「頭には当てていない」

「それを世間では危険な警告と言います」


「アリス」ルシアンが前へ出た。

 新たに手に入れた古い断罪剣を両手で構え、アリスと少女の射線を遮る。

「会話は後だ。次が来る」


 少女の指が弦から離れた。

 銀光が走る。

 ルシアンが大剣を振り上げた。

 正面から矢を叩き落とす。

 金属同士が衝突したとは思えない轟音が森に響き、砕けた矢から赤い光が飛び散った。


「重いな」


 ルシアンが一歩下がる。


「矢一本で?」

「お前も受けてみるか」

「遠慮します」


 ヴェルトが答えた直後、少女が三本の矢を同時につがえた。


「散開!」


 ルシアンの声とともに五人が鏡を抜け、【赤森狩猟区《せきしんしゅりょうく》】へ飛び込んだ。

 着地した足元は赤い草で覆われていた。

 空まで赤い。

 森を形作る木々だけが焼け焦げたように黒く、遥か上空では巨大な満月まで赤く染まっている。

 背後で鏡が閉じた。


「退路が消えたね」


 泣き笑い仮面が言う。


「笑って言わないでください」

「半分は泣いてるよ」

「仮面の話はしていません」


 アリスが言い終える前に、三本の矢が降った。

 一射目をルシアンが弾く。

 二射目をルミナスが身体を沈めて躱し、その勢いのまま【グリン】を抜いて飛来する三射目を横から逸らした。


「帽子屋!」

「分かってる!」


 ヴェルトがカードを投げる。


「【マッド・ディール】――あの枝の価値をゼロへ!」


 少女が立っていた枝に札が浮かぶ。

 『VALUE:0』

 直後、太い枝が根元から崩れた。

 少女は驚かない。

 落下しながら次の枝へ矢を放ち、突き刺さった矢を支点に身体を振り、軽々と別の黒樹へ着地する。


「器用だね、赤ずきんちゃん!」

「その呼び方は嫌い」


 少女が初めて感情らしいものを見せた。


「じゃあ名前を教えてよ!」

「ノエル」


 弓が鳴る。


「赤鏡姫《あかきょうき》ノエル。それだけ覚えて死ねばいい」


 矢がヴェルトの帽子を射抜いた。


「僕じゃなくて帽子!?」

「次は頭」

「この子、僕にだけ厳しくない!?」

「気が合ったんじゃないですか?」

「お嬢様、それ慰めてないよね?」


 アリスは返事をせず、右目に魔力を注ぐ。

 ノエルの周囲へ文字が浮かぶ。

 ――ARCHER.(弓使い)

 ――GUARDIAN.(守護者)


 さらにその奥。

 森全体を覆う巨大な術式が見えた。

 枝にも、草にも、赤い月にも同じ文字が流れている。


 ――TARGET.(標的)

 ――PREY.(獲物)

 ――WOLF.(狼)

 ――DISASTER.(災厄)


「森全体が術式の中……」


 アリスが呟いた。


「ノエル自身の魔法ですか?」


 泣き笑い仮面が銀の杖を回す。


「正確には、この階層の法則と彼女の力が融合している。【赤森狩猟区《せきしんしゅりょうく》】では、狩る者と狩られる者の区別から逃れられない」

「では私たちは?」

「さて、どっちだろうね」


 答えは森の方から返ってきた。

 低い唸り声が響く。

 黒樹の隙間で、無数の赤い瞳が開いた。


「狼?」


 ヴェルトがカードを構える。


「狼ならまだいい」


 ノエルが弓を下ろした。


「来る」


 黒い茂みが爆発した。

 飛び出してきた獣は、アリスが知る狼の倍以上ある。

 赤黒い体毛の隙間から結晶化した骨が突き出し、口には三列の牙が並んでいた。

 一頭ではない。十頭。二十頭。

 さらに奥から増えていく。


 先頭の狼が跳んだ。

 ノエルの銀弓が鳴る。

 一射。

 矢が狼の右眼から入り、後頭部を貫いた。

 空中で巨体が崩れる。


「さっきまで私たちを射っていたのに、ずいぶん親切ですね」

「あなたたちを殺す前に、あれを殺す」

「優先順位の問題ですか」

「そう」


 次の矢はすでに放たれていた。

 二頭目の喉。

 三頭目の前脚。

 四頭目の眉間。

 一本ずつしか放っていないのに、矢が途切れない。


 射るたびに次の獲物へ視線が移り、倒れるのを確認するより早く次弾を放つ。

 敵がどこへ動くかを知っているとしか思えない射撃だった。


「すご……」


 ルミナスが素直に声を漏らす。


「感心している場合か」


 ルシアンが大剣を振り抜いた。

 飛び込んできた狼の顎を刃の腹で叩き上げ、そのまま身体を回転させて二頭目の胴へ刃を叩き込む。

 肉と骨を断つ重い感触が響く。

 狼の巨体が横へ吹き飛び、後続を巻き込んだ。


「騎士様、そっち三匹!」

「見えてる」

「右からもう二匹!」

「それも見えてる」

「後ろ!」

「それは見えてなかった」


 ルミナスが消えた。

 次の瞬間、ルシアンの背後へ迫っていた狼の首筋に二本の銀光が走る。

 【グリン】が腱を切り、【グリム】が開いた傷へ深く潜り込む。

 狼が振り返る頃には、ルミナスはもういない。


「一匹貸しね、騎士様」

「今ので一匹なら安いな」

「じゃあ三匹にしとく」

「勝手に増やすな」


 別方向から三頭がアリスへ迫る。

 【グラス・ヴェリタス】を抜く。

 黒い鞘から透明な刃が滑り出し、赤い月光を砕いて七色の光を散らした。

 最初の一頭が口を開く。

 アリスは牙を避け、首筋へ刃を滑らせた。

 浅い。だが右目には構造が見えている。


 ――REGENERATION.

「再生?」


 切った傷が閉じた。狼が振り返る。


「お嬢様、下がって!」


 ヴェルトのカードが飛ぶ。


『REGENERATION:VALUE 0』

(再生:価値0)


『WOUND:VALUE 100』

(傷:価値100)


 狼の身体が一瞬混乱したように震える。


「今!」


 アリスの深紅の瞳に魔力が走り、再び斬った。

 今度は傷そのものではなく、再生を成立させている術式へ刃を通す。

 結晶化した骨が砕け、狼が地面へ崩れた。


「相変わらず無茶な剣だね」


 ヴェルトが口笛を吹く。


「あなたに言われたくありません」


 アリスは二頭目を見た。

 同じ再生術式。同じ構造。

 ならば。


「その前提――」

「伏せて!」


 ノエルの声だった。

 アリスは反射的に身を沈めた。

 頭上を銀の矢が通過し、背後から飛びかかっていた狼の額を撃ち抜く。

 矢はそのまま狼を黒樹へ縫い付けた。

 アリスが振り返る。


「助けてくれたんですか?」

「違う」


 ノエルは次の矢を放つ。


「獲物を横取りされるのが嫌いなだけ」

「それを助けたと言うのでは?」

「言わない」

「面倒ですね」

「あなたに言われたくない」


 ルシアンが一瞬だけアリスを見る。


「気が合うんじゃないか?」

「どこを見てそう思ったんです?」

「面倒なところだ」

「後で話しがあります」

「そういうところだ」


 狼の群れが一斉に止まった。

 静寂が落ちる。


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