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断罪の国のアリス―Project Glass Eden―  作者: 塚田澄玻
第二章 虚像回廊
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第11話 信じるという誤答

 ルミナスという名前を教えたのは、泣き笑い仮面だった。


「ルミナス・グリード。少なくとも、昔はそう名乗っていたよ」


 鏡の中へ消えた少年を探して一時間ほど経った頃、ようやく合流したアリスたちは、円形の小部屋で情報を整理していた。


「知り合いなんですね?」

「顔を合わせたことがある程度かな」

「何年前です?」

「さあ」

「また秘密ですか」

「今回は本当に分からない。【虚像回廊《きょぞうかいろう》】では時間の感覚も曖昧になるからね」


 出口が消えていることに気づいたのもアリスだった。

 先ほどまで別の通路へ繋がっていた鏡は、今ではアリス自身を映しているだけだ。

 周囲には同じような鏡が数百枚並んでいるが、どれを調べても先へ続く道はなかった。

 ルシアンが古い断罪剣を肩へ担ぐ。


「猫が消えた直後からか?」

「おそらく」

「なら、あいつが守護者なんじゃない?」


 ヴェルトが巨大なシルクハットの鍔を持ち上げた。


「守護者?」

「鏡界の階層には、それぞれ先へ進ませないための何かがいる。ここまでの仕組みを見る限り、そう考えた方が自然だろうね」


 泣き笑い仮面は否定しなかった。


「少なくとも【虚像回廊】が、ルミナスを中心に動いているのは間違いないよ」

「では、彼を倒せば出口が開く?」

「可能性は高い」

「本人に聞けば済みますね」

「見つかればな」


 ルシアンの指摘に、アリスは黙った。

 ルミナスは【グラス・ヴェリタス】を持ったまま姿を消している。

 彼を捕まえる。剣を取り戻す。虚像回廊の出口を開かせる。

 目的は十分だった。


「探しましょう」


 アリスが歩き出す。


「先へ進むために、ルミナスを捕まえます」


 ヴェルトが笑った。


「お嬢様、猫探しは得意?」

「初めてです」

「だろうね」

「でも、条件があるなら見つけられます」


 その言葉に応えるように、頭上から声が落ちた。


「じゃあ、やってみれば?」


 全員が見上げる。

 鏡張りの天井に、ルミナスが逆さまに立っていた。

 銀紫色の髪。猫の耳。金色に輝く瞳。

 腰には盗んだ【グラス・ヴェリタス】が下がっている。


「ルミナス」


 アリスが名前を呼ぶと、少年の笑顔が一瞬だけ止まった。


「……誰に聞いたの?」

「仮面さんです」


 ルミナスの視線が泣き笑い仮面へ向く。


「余計なことするなって言っただろ、おじさん」

「名前を忘れたなら、誰かに教えてもらうのも悪くないよ」

「忘れたままでよかったのに」

「本当に?」


 ルミナスは答えなかった。

 代わりに鏡から飛び降りる。

 着地音がない。


「剣を返してください。それから出口を開けてください」

「どっちも嫌」

「あなたがこの階層の守護者なんですか?」

「さあ?」

「あなたを倒せば先へ進める?」

「試してみれば?」


 ルシアンが大剣を下ろした。

 鈍い音とともに切っ先が鏡床へ触れる。


「なら、そうする」


 ルミナスが彼を見る。


「騎士様、怖いね」

「話し合う気がない相手に付き合うほど暇じゃない」


 ルシアンが踏み込んだ。

 巨体からは想像できない速度だった。

 大振りの断罪剣が横薙ぎに走り、ルミナスの胴を捉える寸前、少年の輪郭が消える。

 剣が空を切った。


「後ろです!」


 アリスの声と同時にルシアンが振り返る。

 銀紫の影が懐へ潜り込んでいた。

 ルミナスの両手に短剣が現れる。

 右手の【グリン】が鎧の脇を狙い、左手の【グリム】が首筋へ走った。

 ルシアンは後退しない。

 大剣の柄頭で【グリン】を弾き、左腕の籠手で【グリム】を受け止め、そのまま体重を乗せて少年を押し潰そうとする。


「うわ」


 ルミナスが笑った。


「騎士様、力任せ」

「捕まえれば終わりだ」

「捕まればね」


 腕の中から少年が消えた。

 直後、ルシアンの頬に細い傷が走る。

 数歩離れた鏡の上で、ルミナスが【グリム】についた血を振り払った。


「速いな」


 ルシアンは頬を拭った。

 表情は変わらない。


「でも、軽い」

「当たれば同じだよ」

「鎧を抜けてない」

「じゃあ次は隙間を狙う」


 笑っている。

 だが、ルシアンの攻撃を正面から受けるつもりはない。

 存在を消し、死角へ移動し、急所だけを狙う。純粋な力ではなく、「相手から自分だけを戦場から消す」ことを前提にした戦い方だった。


「ルシアン、追わないでください!」

「分かってる」


 ルシアンが大剣を構え直す。

 今度は自分から動かなかった。

 ルミナスの方が首を傾げる。


「来ないの?」

「来い」

「やだ」

「ならそこで待ってろ」

「つまんない騎士様」


 その背後でヴェルトがカードを一枚抜いた。


「じゃあ、俺と遊ぼうか」


 白いカードを指で弾く。


「【マッド・ディール】」


 ルミナスの足元へカードが突き刺さった。


『右足――価値マイナス10』

「何これ?」

「今だけ君の右足の価値を下げた」

「だから?」

「身体は価値が低いものを優先して捨てる」


 ルミナスが跳ぼうとした瞬間、右脚が沈んだ。

 体勢が崩れる。


「うわっ」

「面白いだろ?」

「帽子屋、性格悪いね」

「誰が帽子屋だ!」


 ヴェルトがさらに三枚のカードを投げる。


『左足――価値マイナス8』

『右手――価値プラス10』

『左手――価値マイナス5』


 身体の価値配分を崩され、ルミナスの動きが一瞬止まった。


「今!」


 ルシアンが突っ込む。

 断罪剣を振るわない。

 柄から手を離し、両腕で少年そのものを捕らえにいく。


「え、そっち?」

「捕まえれば終わりだと言った」


 指先がルミナスの肩へ届く。

 だが触れる寸前、少年の姿が消えた。

 ヴェルトのカードが床へ落ちる。


「俺の【マッド・ディール】まで外した?」

「対象として認識できないんです」


 アリスは周囲を見回す。


「術式そのものから外れている」

「反則じゃない?」

「詐欺師が言います?」

「僕はルールの中で騙すんだよ」


 笑い声がした。

 今度は方向すら分からない。


「楽しいね」


 ルミナスの声が鏡から鏡へ移る。


「もう終わりですか?」


 アリスは問いかけた。


「何が?」

「あなたが守護者なら、私たちを倒さないんですか?」


 返事が少し遅れた。


「面倒だから」

「でも、私たちが先へ進むのは止める」

「そうだね」

「剣も返さない」

「気に入ったから」

「では、私たちが諦めるまで遊ぶつもりです?」

「それでもいいよ」


 アリスは眉を寄せた。奇妙だった。

 本当に先へ進ませたくないなら、ルミナスは戦う必要すらない。

 完全に消えたまま放置すればいい。

 出口が彼と連動しているなら、アリスたちは永遠にここで迷う。

 それなのに姿を現す。話しかける。名前を呼ばせる。戦う。

 わざわざ見つかる可能性を作っている。


 ルミナスが消える。

 だが今度は、アリスはその直前まで彼を見ていた。

 姿が薄くなる。輪郭が途切れる。

 そして、視界から抜け落ちる。

 それでも「そこにいた」という認識だけは残った。


「……信じていれば?」


 アリスは呟く。

 ルミナスはいる。見えなくても、そこにいる。

 そう認識し続ければ。


「左です!」


 ルシアンが即座に大剣を振るう。

 鏡が砕け、ルミナスが飛び退いた。


「へえ」


 少年が目を見開く。


「見えてる?」

「ええ」


 アリスは確信を深めた。


「ルミナスがそこにいると信じ続ければ、完全には見失わない」

「本当に?」

「試してみます」


 ルミナスが笑った。


「じゃあ、遊ぼう」


 そこから戦闘の速度が一段上がった。

 ルミナスが消えるたび、アリスが位置を告げる。


「右後方!」


 ルシアンの大剣が鏡床を削る。

 ルミナスは跳び上がり、天井へ着地した。


「ヴェルトさん、上!」

「【マッド・ディール】!」


 三枚のカードが扇状に広がり、逃げ道そのものへ値段をつける。


『右――高価』

『左――高価』

『正面――無価値』


 ルミナスが最も価値の低い正面へ誘導される。

 そこにはルシアンがいる。


「捕まえた」

「まだだよ!」


 【グリン】と【グリム】が十字に走る。

 ルシアンは大剣の腹で受けた。

 火花が散る。力で押し返す。

 ルミナスの小柄な身体が宙へ浮いた。

 アリスが前へ出る。


「ルミナス!」


 名前を呼ぶ。

 少年の輪郭が揺れる。


「そこにいると分かっています!」


 消えかけた姿が戻った。


「なるほどね」


 ルミナスが笑う。

 だが、その笑顔を見た瞬間、アリスは妙な感覚を覚えた。

 嬉しそうだった。

 追い詰められている人間の顔ではない。

 自分を見つけられたことを、楽しんでいる。


「捕まえます!」


「やってみなよ!」


 アリスが手を伸ばす。

 あと少しで指先が届く。

 その瞬間、ルミナスの笑顔が消えた。


「じゃあさ」


 金色の瞳がアリスを見る。


「僕がここにいないって、僕自身が思ったら?」

「え?」


 少年が消失した。今までとは違った。

 輪郭が薄くなる過程さえなく、最初からそこに何も存在しなかったかのように消える。


「ルミナス!」


 アリスは叫んだ。

 そこにいる。絶対にいると信じる

 けれど見えない。

 存在していると認識している。

 それなのに見つからない。


「お嬢様」


 ヴェルトが周囲を見回す。


「どこ?」

「分かりません」

「さっきの答えは?」

「……間違っていました」


 信じるだけでは足りない。

 また、自分は答えを急いだ。

 その時、通路の遥か奥で鏡が一枚だけ割れた。

 全員が振り向く


「音?」


 ルシアンが走り出す。アリスたちも追った。

 角を三つ曲がり、割れた鏡の前へ辿り着く。

 誰もいない。

 ただ、鏡の破片の一つに、細い傷が刻まれていた。

 猫の爪で引っ掻いたような三本線。


「ルミナスが?」

「かもね」


 ヴェルトが答えた。


「でも、変じゃありません?」

「何がだ」


 ルシアンが尋ねる。


「完全に消えられるなら、どうして音を立てたんです?」


 誰も答えなかった。

 アリスは三本の傷へ触れる。

 さらに、その少し先。次の鏡にも同じ傷がある。

 その次にも。まるで道標のように。


「逃げている人間が、自分の進んだ方向を教えるでしょうか」

「罠かもしれん」

「その可能性もあります」


 アリスは立ち上がる。

 ルミナスを倒さなければ先へ進めない。

 それが彼を追い始めた理由だった。

 けれど戦ってみて、一つだけ別の疑問が生まれた。

 あの少年は、本当に見つからないことを望んでいるのだろうか。

 姿を見せ、話しかけ、名前を呼ばせ、追いかけさせ、完全に消えた後にまで痕跡を残している。

 それは逃走としては、あまりにも下手だった。


「行きましょう」


 アリスは三本の傷が続く方角を見る。


「まだ追うのか?」


 ルシアンが尋ねる。


「ええ。先へ進むには必要ですから」


 そう答えてから、アリスは一拍置いた。


「今のところは、それが理由です」


 ヴェルトが横目で彼女を見る。


「今のところ?」

「まだ分かりません」


 アリスは歩き出す。

 信じれば見える。その答えは間違っていた。

 ならば次は、ルミナスが何をしているのかではなく、なぜそんなことをしているのかを考えなければならない。

 鏡に残された三本の傷は、回廊の奥へ続いている。

 見つけられたくない猫が残すには、あまりにも分かりやすい足跡だった。


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