57 幕間④
土日は3話公開です。
「巻かれた?」
オルディスは執務室で書類に走らせていたペンを止めて、正面で報告するギュバンスを見上げた。
「ええ、見事に振り切られたそうよ?」
「…訓練が足りないのか?」
微笑むオルディスに、潜んでいる影が背筋を凍らせた。
勿論、オルディスはそんなことは気にしない。
「やめなさいよ、変な圧を四方八方にかけるのは」
呆れたようにギュバンスがオルディスを嗜めた。
完璧主義の若き国王は自分にも他人にも厳しい。
「ヴァラン公爵にもラスにも気付かれずによ?難易度は爆上がりだわ」
「そのくらいはできるものだと思っているが?」
「お嬢さんが想定外ってことよ」
ギュバンスの言葉にオルディスは、止めていたペンを置いて顎に指先を当てた。
確か運び屋の娘だったか。
代替わりしたばかりの若い娘だったと記憶している。
「訓練された者を振り切れるほどの実力者なのか?」
「どのくらいかは分からないけど、結果だけ見ればそういうことじゃない?」
滅多に人を褒めることのないギュバンスが、その運び屋をずいぶん評価していることは報告に帰ってきた時から感じていたが、改めてそれを実感する。
「おまえが言うならそうなのだろうな」
「やだ、最終判断は自分でしてよね」
「で、その後はどうなったんだ。勿論、追いついたんだろうな?」
オルディスの問いかけにギュバンスは肩をすくめた。
オルディスの眉間のしわが深くなる。
「まさか、まだ見つけられないのか?」
「いいえ、見つけてはいるわ」
返事の割に、ギュバンスの態度が不審だ。
オルディスは意図的に唇を引き上げ、続きを促した。
「ニコラ妃のご配慮の結果、ってところかしら?」
「ニコラの?」
ギュバンスの返事にオルディスが首を傾げた瞬間、計っていたわけでもないだろうが執務室の扉が開いた。
「わたくしの情報力を見くびっていただいては困りますわ」
「妃殿下、まだ陛下はお仕事中よ?」
「分かっています。ただ、ご報告に上がっただけですわ」
つんと顎を上げてギュバンスの言葉を躱すと、ニコラはオルディスの前に進み出た。
彼女の持つ甘い砂糖菓子のような雰囲気に騙されてはいけない。
なかなかの曲者なのだ。
だが、夫であるオルディスもまた一筋縄ではいかない男だ。
そのうえ、ニコラはオルディスを心底愛している。
つまり、夫の前ではデレデレだ。
「オルディス様、ラスティはジャンポネイルに向かっているようですわ」
「ジャンポネイルに?」
かわいらしく両手を胸の前で組んで小首をかしげながら、上目遣いにオルディスを見つめる。
その姿は乙女の仕草そのものだが、口にした内容は王家の影やヴァラン公爵が必死に追っていた内容だ。
本人の言っている通り、侮れない情報力だ。
「ラスティたちは王都で隠し通路を使って東へ向かったでしょう?」
「ああ、そうみたいだね。ずいぶん回りくどい方法を使ったようだけど」
敢えて西側に向かって見せてから、逆方向へ抜け出したというところまでは影から報告されていた。
ニコラは微笑んだまま指先で宙をなぞり、東と西を示した。
「ラスティは基本的には素直だから、東に行こうと思ったら西を囮にすると思いましたの」
「かわいいよね、あの子は」
「でもそんな単純な方法ではお父様には見抜かれますわよ」
ニコラの言う通りだった。
陽動作戦にしては単純すぎる。
一時しのぎにはなるだろうがヴァラン相手では心もとない。
オルディスは微笑みながらニコラに頷いた。
「ですから、オルディス様が西の港で交易の準備をなさっている話をお父様にいたしましたの」
「ニコラ、あれはまだ検討事項が多いから表には出さないようにしているんだけど?」
「ええ、内密に何かをなさっていると報告しましたわ」
西の方向へ逃げたラスティと、西の港で何かを画策しているオルディス。
二つの情報でヴァランの注意を引いたのだろう。
ギュバンスが息を吐いた。
「それはさぞかし、意味深に聞こえたでしょうね…」
「案の定、完璧主義のお父様はそっちの方も情報を得ようとして手の者を二分したわ」
ニコラは、一つの懸念材料もおろそかにしたくない父親の性格をよく把握していた。
オルディスは目を細めてニコラを見つめた。
ニコラは再び両手を胸の前で合わせ、恥ずかしそうに頬を染める。
「乙女みたいな顔しているけど、結構な話をしているわよ?」
「あら、ギュバンスに乙女心のなんたるかが分かるのかしら?」
「あたしほど乙女心を理解している貴族の男はいないわよ」
水を差されたニコラが不満そうに頬を膨らませたが、ギュバンスに妙な説得力で一刀両断される。
オルディスは2人の会話を聞き流しながら最初の疑問に戻った。
「それで、なんでジャンポネイルなんだい?」
「竜脈がありますの」
「竜脈?」
聞きなれない言葉にオルディスが首をかしげてギュバンスを見た。
ギュバンスも両手を上げて肩をすくめる。
「ジャンポネイルの周辺にある地脈の通称ですわ。地元の研究者などがそう呼んでいますのよ」
2人の反応を気にした様子もなくニコラが続けた。
「オルディス様もお父様も、民間の伝承みたいな不確かなお話は興味がおありじゃないから、ご存じないと思ってましたわ」
「有名な話なのかい?」
「最近、一部の女性たちに温泉が人気なのですわ」
「温泉?」
聞けば、ジャンポネイルには地面から温水が湧き出ており、それを利用した施設が美容に良いと一部の高位貴族の女性の間で流行っているらしい。
「湧き出る水が温かい理由がその地脈らしいのです」
「で、それが何の関係が…」
「東のイブルグラム山脈は火山ではありませんから、ほかにエネルギーになるような力が無いと地下水を温めることなど、できませんでしょう?」
ニコラは順を追って話すようなので、オルディスはそのまま頷くにとどめた。
ギュバンスも眉を寄せているが、そのまま聞き続けることを選んだ。
ニコラは満足し、話を続ける。
「ですから、地元の者は『竜の力に違いない』と古くから伝えているらしいのです」
ニコラは持ってきた地図をオルディスのデスクの上に広げてその地域を指先でなぞった。
「ラスティが竜にまつわる伝承に向かうと聞いた時、いくつか竜に関わる伝承を持つ地域を調べましたの」
オルディスとギュバンスは顔を見合わせた。
おそらく、ギュバンスがラスティと一緒に運び屋を探している時あたりだろう。
「それでラスティが東に向かったと聞いて、ジャンポネイルだろうと思いましたの」
花が咲くようにニコラが微笑んだ。
オルディスの役に立てたことが心底嬉しいようだった。
「それと、もう少し混乱していただきたいので、お父様にはわたくしが調べた竜にまつわる伝承を持つ土地をいくつか、いわくありげな場所だと報告いたしましたわ」
「そう…公爵は、さぞ喜ばれただろうね?」
恐ろしいほどの情報操作能力を持つ妻の頭を、オルディスは愛しそうに撫でた。
その背後でギュバンスが小さく「怖っ」と呟いたことは、夫婦に黙殺された。
第4章終了です。
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