27 幕間②
ニコラ・デ・ホーゼスは学園の初等部に入学した時から、聡明な少女として名高かった。
父親のヴァランが嬉々として王太子オルディスとの婚約の話を持ってきたのはその頃だ。
「…オルディス様は、すでに高等部にご在籍中では?」
年が離れすぎている、と暗に告げた。勿論、父にそんなことが分からないはずもない。
すでに万全な根回しがされていることは、幼いニコラにも分かっていた。
平和な時代ではあるが、古参の貴族たちの代表とも言える公爵家との縁談は後ろ盾を得るという点で、ゆくゆく王となる王太子にとっても願ってもないことだったのだろう。
「大丈夫だよ、ニコラ。おまえは賢いし、きっと母親に似た美しい女になる」
父との会話は、いつも少しだけ噛み合わない。
「年の差も、オルディス様との間に子を生むのには問題ない程度だ」
まだ幼いニコラにこんなことを伝えて、どうするのかというくらい何度も聞かされた言葉だ。
ニコラは手にした専門書を抱き直して、小さく息を吐いた。
「お父様の仰せのままに…」
女も子どもも、意思のある人間だとは思わないのだろう。
模範的なニコラの返事に頷くと、ヴァランは満足そうに目を細めた。
そのようにして、初めて会った王太子オルディスは穏やかな海のような目をした男だった。
ニコラは幼いながらもにっこりと微笑み、完璧な挨拶をしてみせた。
「素敵なご令嬢だね?こちらにどうぞ。」
「ありがとうございます」
エスコートされて、正面の椅子に腰を下ろした。
いつも通りだ。大体これで過剰に褒められた後、当たり障りのないつまらない話が続くのだ。
だが、オルディスは違った。
「早速だけど、ご令嬢の河川対策の原案を拝見したよ?」
「え?」
甘いお菓子と綺麗な花の飾られたテーブルについた、初等部の小さな少女にいきなり河川対策の話を持ち出したのだ。
ニコラは目を瞬かせたが、オルディスは揶揄っているわけではないようだ。
「…つまり、君は上流河川にこそ改善の余地があると考えているんだね?」
「そうです!だって、川は繋がっているんだから離れた上流で起きてることも考えた税制改革を行えば…」
気が付くと夢中で話をしていた。
ニコラにとってこんなに楽しいお茶会は初めてだった。
帰り際に王太子が優雅に一礼をして、手の甲に唇を落とした。
「ニコラ嬢。あなたのような聡明な女性と縁を結べることを嬉しく思うよ」
その瞬間、雷を受けたような衝撃と共に、ニコラは恋に落ちた。
砂糖菓子のように甘く可愛らしい容姿の少女ニコラは、内面では狡猾な父にそっくりの計算高さを持つ、手段を選ばない強かな女だった。
父の思惑を理解した上で、それさえも利用する。
そしてあっという間に周りを黙らせるほどの淑女となり、学園を卒業後、早々に妻の座に収まった。
「ふふ。お父様はわたくしに満足なさっているでしょうね…」
「そうだろうね?」
隣に座る夫が視線を投げかけてきた。
その目は細められているが、何を愉快だと感じたのかは窺い知れない。
「でも、少しだけ焦ってらっしゃるわ」
「竜騎士のこと?」
「ええ」
実家の様子を語るニコラにオルディスはこてんと首を傾けた。
ニコラよりいくつも年上なのに、妙にかわいらしい仕草だ。
「お父様には、ラスティ様が『運び屋』とやらを調べ上げて、正式に出立したと伝えましたわ」
淡々とニコラが語る。
「ヴァランは優秀だから、ラスティはすぐに見つかってしまいそうだね」
「これから竜騎士になるのですから、このくらいの障害は乗り越えていただけるものと信じておりますわ」
そこで死ぬならそれまでだ。
冷たく感じるニコラの言葉の裏に、ラスティへの信頼が潜んでいることを知っているオルディスは黙って頷いた。
「ラスを囮にして、フリップの家督継承を内密に進める気なんだね?」
ニコラの弟のフリップはまだ学生だ。
だが、父親に「何か」あれば、家督を継ぐのは長男であるフリップになる。
「クリュー侯爵にご協力いただけることになりましたの」
「ネヴェルに?」
ネヴェル・ド・クリュー。
クリュー侯爵家の当主であり、ギュバンスの父親である。
先王の時代から、王の片腕として信頼の厚い侯爵に協力させるという。
「どんな手を使ったのか、興味深いね?」
「あら、普通にお願いしましたわよ?」
目を合わせて微笑み合う2人は、仲の良い夫婦そのものだ。
多少物騒な内容が含まれていても、ニコラのオルディスへの恋心は結婚したいまも健在だ。
「だ、そうだよ。ギュバンス」
オルディスは、背後で置物のように控えているギュバンスに声をかけた。
ニコラは不満そうに唇を尖らせる。
「どうして2人っきりにしてくれないのかしら、ギュバンスは!」
「ごめんなさいね。陛下はまだ、お仕事中なのよ?」
乗り込んできた王妃の相手をしてる暇はないのだと牽制する。
2人の間に見えない火花が散った。
そんな2人の剣呑な空気をものともせずに、オルディスはギュバンスに指示を出す。
「ラスにはヴァランが思ったより早く追い付きそうなことを教えてやって」
「それだけ?」
「他にしてやれることはないだろう?」
ギュバンスは肩をすくめた。
そして王妃殿下に恭しく一礼すると、最後に一言だけ、と付け加えた。
「ラスティに『義姉上』って呼ばせるの、やめなさいよ。あなたの方が1つ年下でしょう?」
「もうオルディス様はわたくしの夫だと分からせるためには必要なの!」
オルディスとラスティ。
そのいとこに当たるニコラ。
そして、オルディスの幼馴染みのギュバンス。
4人は幼い頃からの気安さをそのままに、今は同志として王となったオルディスの進むべき道を共に探っている。
その絆は確かにそこにあった。
「王家の運び屋」メモ:
フリップ・デ・ホーゼス(公爵家嫡男)
・カクテルは「ブランデー・フリップ」
・ブランデー、卵黄、シュガーシロップ、ナツメグパウダー
・ヴァランの息子
・本人は優秀なんだけど、お父さんとお姉ちゃんが野心家過ぎて怖い。
・カクテル言葉は「希望」
※カクテルのレシピ・カクテル言葉には諸説あります。
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