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9. 次の奥様

 噂の続きは、三日で届いた。噂というのは花と同じで、旬のものから先に市場へ並ぶのである。


 伯爵家の新しい縁談。お相手は、ヴィーデマン商会の一人娘。王都で指折りの豪商の家で、お輿入(こしい)れには持参金が金貨一千枚、という尾鰭(おひれ)までついている。


「ロザリンデ嬢。十九だそうですよ」


 教えてくれたのは、店の常連の仲買人である。商人の縁談は商人の耳が早い。花市の帳場というのは、王都の噂の川下で、座っているだけで大抵のものが流れてくる。


「商会は爵位が欲しい。伯爵家は金がいる。まあ、よくある取り合わせでさ。……にしても、奥様が亡くなってふた月もたたないうちから、随分と急ぐもんだね」


「急ぎますわねえ」


 帳面の手を止めずに、相槌を打つ。打ちながら、胸の内で何かが、ちりりと音を立てた。


 おや、と思う。


 この感じは、覚えがない。報せで死んだときも、しんとしていた胸である。墓で夫に会ったときも、乾いたものだった。それがいま、十九の見知らぬお嬢さんの名前ひとつで、火種のような熱を持っている。帳面のインクが、一箇所だけ滲んだ。ペンを握る指に、知らないうちに力が入っていたのである。


 十九。二十歳で嫁いだ私と、ひとつしか違わない。あの子はいま、婚礼支度の絹に囲まれて、何も知らずに指輪の寸法でも測られているのだろう。


 金貨一千枚の持参金と、金の要る伯爵家。四年前と、そっくり同じ形の縁談である。違うのは、あちらの持参金が家一軒ではなく千枚の金貨で――そして先の妻が、書類の上で死んでいることだけ。


「……わたくしのときは、腹が立ちませんでしたのに。おかしなものですわね」


「何がだい?」


「いいえ。こちらの話ですの」


 自分のことでは動かない胸が、他人のことだと動く。四年かけて仕舞い込んだ「怒る」の在処(ありか)を、思いがけない方角から教えられた気分である。仕舞い込んだ場所を思い出したのなら、いずれ、取り出し方も思い出すのだろう。今日のところは、火種のまま、胸に置いておく。


       ◇


 夜、山査子の家の台所で、作戦会議である。


 会議、といっても、出席者は二名である。卓の上には彼の帳面と、私の焼いた堅焼き菓子。焦げたのは、席に着く前に選り分けておいた。竈の火が落ちて、部屋には蝋燭がふたつ。会議室としては、いささか手狭で、いささか居心地がよすぎる。


「調べの現在地を、お話しします」


 バルドゥイン子爵は、帳面を開いた。


「先代が遺した領民救済の基金から、この数年で相当の額が消えています。目付(めつけ)はわたしですが、帳簿の閲覧を、従兄は二年、のらりくらりと拒んでいる。消えた先は、おそらく社交と、競馬と、見栄です」


「まあ。流行病の備えのお金を」


「ええ。……それで、金の要る従兄には、持参金付きの縁談が要る。縁談には、妻の座が空いている必要がある。急ぎの理由は、たぶん、それだけです」


 それだけのために、人ひとりが書類の上で死んだのである。


「あの縁組、お金の匂いしかいたしませんわね」


「匂いだけでは、商人は止まりません。ヴィーデマン商会ほどの家なら、なおさら。爵位というのは、それだけの買い物ですから」


「では、お嬢さんは」


「……縁談の駒でしょう。どこの家でも、あることです」


 どこの家でも、あることだ。四年前の私にも、あったことである。


 卓の上の蝋燭が、じり、と鳴った。堅焼き菓子を割る音が、静かな台所には妙に大きい。


「子爵様。ひとつ、伺いますけれど」


「はい」


「このお話、放っておいたら、どうなりますの?」


「――従兄は持参金で穴を埋め、基金の帳尻は闇に沈み、ロザリンデ嬢は何も知らないまま、あの家の奥方になります」


 何も知らないまま。虚偽の死亡届の上に建った家の、次の奥様に。


 あの別邸の、風の音しかしない午後を思い出す。誰も来ない廊下と、一人ぶんの茶器と、白いままの手帳。あれを「どこの家でもあること」の棚に載せて、次の誰かに回す気には、なれない。


 私は堅焼き菓子をひとつかじって、決めた。


「では、次の会議はいつにいたします?」


「……会議、ですか?」


「ええ。議題は決まっておりますでしょう?」


 手帳を開き、次の金曜に『作戦会議』と書き込む。書いてから、自分で少し笑ってしまった。弔いと仕入れで始まった故人の予定帳が、いまや会議の日程まで抱えている。


「作戦会議……ですか?」


「そうですわ。故人の予定帳も、賑やかになりましたこと」


「賑やかついでに、菓子の当番を決めましょう。……この焦げていないのは、うまい」


 彼はにこやかにサクっと焼き菓子をかじった。


「あら。次回は焦げた方も味見していただきますわね。ふふっ」


「……え?」


 彼はパチクリと目を見開いた。


        ◇


 ――その翌週である。花市の帳場に、若いお嬢さんの客が立った。上等な外套を、目立たないように着た人である。お嬢さんは思い詰めた顔で、小さな声で言った。


「あの……先の奥様のことを、伺いたくて」


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