第099話 役者は揃う
『お任せください。この命を賭して、あなたをお守りします』
力は十分だった。
資格も、精神も、全てが水準を超えていた。
自他ともに、誰も文句は言えなかった。
むしろ、これ以上ない人選だったはずだ。
だが、采配は――
『お前は残れ。殿下には私がつく』
更なる権力を持つ者による独断で、若き意志は握り潰された。
力を発揮できる場所がない。この想いを、遂げる機会すら与えられない。
そして――
『私を連れて行ってください!! 必ずお役に立ってみせます!! 私があなたを守ります!!』
心さえも――
『ごめんなさい』
届けることは、許されなかった。
「――っ!!」
目を開いた瞬間、現実ではなかったことに気が付く。いや、現実に帰ってきたのだと。
男はそれが夢であるのかそうでないのかは、目覚めたその瞬間に気が付くタイプだった。余韻すらない。ただ事実かそうでないかの二択だけだ。
いや、厳密には夢ではなかった。それは――過去の記憶だ。
「ちっ!」
籠る様な暑さに、舌を打って掛け布団を蹴とばす。
就寝中の発汗は人間の宿命とはいえ、不快なことには違いなかった。それに、今日は特に寝汗が多い。これはシャワーを浴びる必要があると、即座に選択するほどに。
寝室のすぐ隣に個人で使えるシャワールーム。どころではない、彼に与えられた私室は、高級ホテルのスイートルームを思わせるような豪華な造り。
この若さで既に天井の育ち、極上の環境。珍しいが、生まれによっては無くはない話だろう。彼のような大貴族の生まれであればなおさら。
しかし親の七光りであるかという要素を加えれば、彼は明らかに珍しいタイプだった。
剣の天才――アガトス・アントローポスを超える、麒麟児。
現ダソス最強の男――カロス・アントローポス。
冷水を頭からかぶるだけの作業のような入浴を済ませると、カロスは鏡の前に立つ。
昨夜が徹夜だったからか、若干の顔色の悪さ。夢を見ていたことから考えても、良質な睡眠とは言えなかっただろう。
しかしその美貌は、些かも損なわれない。母譲りの美と父譲りの彫りの深い顔立ち。ダソス一の美男という称号も、アベル亡き今、彼一人が独占していた。
その後も、やはり作業だ。
化粧水、オイル、乳液の順でいつも通りにこなす。
これは美容というよりケアだ。日々の習慣とし、気分をリセットさせる意味も込められている。カロスはシャワーを浴びずとも、朝は頭ごと濡らさなければ覚醒しきれない気がするのだ。
こういった感覚、己の気持ちいいと思う行為は、意外と無視できない。肉体の動きは気持ちからなる。
「…………よし」
締めとして軽く頬を叩けば、瞳にはいつもの力強さが宿る。
貴公子然とした顔つきに、術師の威厳が。
服を着れば、貴族男子の権威が。
最後にもう一度鏡で姿を確認すると、起床から約30分――カロスは部屋の扉を開いた。
「っ!」
瞬間、飛び込んできたものを受け止める。
いつものこと――というほど頻繁ではないが、狼狽えるほど珍しいことでもない。
それこそカロスが想定できる程度には、それは日常だった。
だが、いつもなら何の憂いも抱きしめられるその体が、今は重い。
こんなに重く感じたのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。
「おかえりなさい! お兄様!」
胸の中で顔をあげたのは、年差が倍は離れているような、まだ幼き存在。
母譲りの顔立ちに愛嬌が加わった可憐なる美姫。
カロスの、最愛の妹だった。
「ただいま……カリス」
***
カロスの住居は、王都フォイニクスの一等地にある。
それも王家に仕える騎士たちが多く過ごす区画だ。これは王城への奉公、利便性を考えた故のこと。そして家族の安全を考えた末の措置だ。
カロスを含め、三人の貴族たちが食卓を囲む。長テーブルを囲うという表現が正しいかは分からないが。
「――それでですね、みんなでお紅茶の味比べをしたんです。私がお持ちした茶葉をレーちゃんもミーちゃんも、最初は渋いって言ってたんですよ? でもお兄様がプレゼントしてくださったというお話をしたら、みんな美味しいって言うんです。おかしいですよね? そんなにすぐにお紅茶の味が変わるはずありません!」
「そうだね。それはおかしな話だ」
カロスは食事を終えると、口元を拭い――微笑みながら、いつものように相槌を打つ。
妹カリスは、まだ食事を終えていない。カロスが食べるのが早いのもあるだろうが、彼女がテーブルについてからずっと喋りっぱなしであるというのも理由の一つだろう。
ただそれはカリスがお喋りというより、機会があまりないためだ。アガトスはもちろん今はカロスも、非常に忙しい身。かまってやれる時間などあまりなく、だからこそこういった時間を大切にしなければならない。
そんな思いで妹の話を聞きながらも、カロスは内心では「ミーちゃんは誰だったか……」などと必死に記憶を探る。
女性が友人について話す時、それを共通理解として話をしてくるのは非常に厄介だと常々思う。当然知ってるよね?という感じで話が展開されるのだ。
おそらくこういう言い方をするのだから、一度は話に出ている名前なのだろうが、そんな特定条件下のあだ名を一度で覚えられるはずもない。
カロスならば、○○家の御令嬢というように伝えることだろう。というより、それが常識だ。
しかし子供に、それも妹に大人の事情を押し付けるほど、カロスも兄力に劣るわけではなかった。だから必死に記憶を呼び起こす。
やがて、ようやく脳内で人物が繋がり、「公爵家の、次女の方か……」と思ったところで――
「それだけじゃないんですよ? ルルちゃんもアーちゃんも、マリーちゃんまで、みんなおいしいおいしいって口を揃えて言うんです。おかわりまでして! 私がお持ちしたお茶っぱですのに!」
まさかの大量おかわりだ。
カロスはこの時点で、考えることを放棄した。
「うふふ……」
カリスの無自覚攻撃がカロスに効いていることを察したのか、微笑むのはもう一人の女性。
一見カリスの姉妹かと思えるような若々しい外見は、貴族女性かくあるべしというような落ち着きと、母の慈愛に満ちている。
間違えることもなく、カロスとカリスの母だ。
「そうね、カリーが持っていったのにね。どうしてカロスの名前が出た途端、美味しくなったんでしょう……魔術かしら?」
「え? お紅茶を美味しくする魔術があるのですか?」
「うふふふ……」
母――ソフィアが、冗談を鵜呑みにして目を輝かせる娘の頭を撫でる。
微笑ましい光景ではあるが、いつまでも眺めているわけにはいかない。まだカリスの話にコメントをしていないのだから。
「…………」
カロスは思考を回し続ける。
落ち込む、というほど露骨でもないが、少し拗ねているような表情。
話を聞いてほしくて仕方がなかったのだろう。そして、共感を求めている。ならばカロスの最適解は、「ひどいよね」と特に中身のない相槌を打つこと。できるだけ妹の心に寄り添う事。
ただ――
(貴族令嬢たちの茶会か……子供のコミュニティとはいえ、いやだからこそ、口出ししないのが無難だな)
極力大人が入り込むべきではない。それは少女たちを汚したくないという大人の配慮と、大人の狡さ。大人が関わらなければ、最悪子供の発言として処理できる。カリスのための逃げ道の確保、貴族的処世術の一つでもあった。
それに、相槌とはいえ他者を下げるようなことは極力言いたくはないというのが、カロスの素直な考え。
無論妹に比べれば他の少女たちのことなどどうだっていいが、それが今後のカリスのためになるとは思えないというのが、カロスの結論だった。
だから――
「ん? この紅茶……」
カロスは、正攻法を避けた。
ちょうどよく手元に出された紅茶を一口含み、わざとらしくならないように慎重に声をあげる。
素知らぬ顔をしていたカリスだったが、その瞬間、妹の顔色が変わったことをカロスは見逃さなかった。
そこさえ確信すれば、後は簡単だ。カロスは食後のお茶を出してきたメイドに軽く振り返り、問う。
「とても美味しいな。これは誰が用意してくれた茶葉なのかな?」
「カリス様がお持ちになられたものです」
メイドは我が意を得たりとにっこりと微笑むと、その場の誰にも聞こえるように凛とした声で答えを告げた。
カロスは満足げに頷き、視線を戻す。華のような笑みを浮かべる少女へと。
「なるほど……道理で。カリー、どちらで見つけたものか、この兄に教えてくれないか?」
「ええ、構いませんよ。うふふ……」
楽しそうに語るカリスを眺めながら、カロスは上手く行ったと胸を撫でおろす。
食後の紅茶は、実はカロスに関しては珍しい。カロスは朝食の後はコーヒーを好んで飲み、メイドらもそれを知っているからだ。
そしてたまの休日などに妹からお茶に誘われる際は、決まってアフタヌーンティー。脈絡もなく紅茶が出されること自体が、珍しいことではあった。
ならば話の流れを加味しても、このタイミングでの紅茶は妹が準備したという可能性は固い。昨夜はカロスの帰りが非常に遅く、それも予想できたことであったため、朝しか飲ませるタイミングがないと考えたのだろう。
カリスが最近紅茶にハマっているというのはカロスも知るところ。だから珍しい茶葉をプレゼントしたりしているのだ。なんにせよ、カロスは正解を導き出すことに成功した。
(俺も成長したな……女心というものが分かってきた……)
正直これまでは、全く別の生物なんじゃないかと思うほどに理解からはほど遠かったが、ようやく舞台に立つ。
努力は裏切らない。この方面は苦手分野と自負していたが、この分だとマスターする日もそう遠いことではなさそうだ。
そんなふうに、自画自賛していた時だった――
「――それでお兄様、お父様は? まだお仕事でしょうか?」
「っ!!」
それは唐突に、やってくる。
「…………」
いつか来ると分かっていても、いざ目の当たりにすると言葉に詰まった。
心の準備と覚悟を決めていたはずなのに、その無垢なる表情を見ると、何も言えなくなる。顔に出さないことが精一杯だ。
「?」
小首を傾げるカリス。
何の気なしに口にできたのは、想像もしていないからだろう。ここにアガトスの姿がないことも、特段おかしなこととは思っていないのだ。
彼は昔から、王城に泊まり込むことも多かった。勇者帰還の報により、遠征から帰ってきたとは思っているのだろうが、まだ後始末に追われているとか考えているのだろう。
カロスは迷い、揺れた末に、言葉にする。
口の方が、先に開いてしまった。
「ああ……実はちょっと……仕事に追われててね。帰って来るのは、もう少し先になりそうなんだ……」
こんなはずではなかった。
誤魔化しても、先送りにするだけだと分かっていた。
正直に伝えるはずだったのに。
「勇者様は、お帰りになられたんですよね?」
「うん……でも、新しい仕事を任されて。父さんにしかできないことだから……」
「そうですか……」
帰りがもう少し遅くなるという事実。それだけで表情を暗くする妹の顔を、カロスは見ていられなかった。
逃げるようにいきつくのは、母ソフィアの顔。彼女はカロスのことを、心配げに眺めていた。
(ごめん……)
ソフィアは今ここにアガトスがいない時点で、察しただろう。
そしてカロスが濁したことで、確信したに違いない。
カロスはアガトスの死をちゃんと伝えられなかったことと、家族を悲しませていること――二重の意味で罪悪感を覚えた。ただ、それだけでは終わらなかった。
「ではお兄様は? 今日は一緒に寝て頂けますか?」
妹の望みに、応えられない。
悲しませてばかりの自分を、心から情けなく思った。
だが、言わなければならない。
「ごめん……実は俺も、これから忙しくなるんだ。しばらくは、帰ってこれそうにない……」
「そう……ですか……」
悲しそうに顔を伏せ、その後気を遣うように必死に笑みを取り繕うカリスに、カロスは立ち上がる。
そして、席についたままの妹を、優しく抱きしめた。
「ごめんな」
抱きしめれば、照れるようなこともなく身を委ねてくる。
帰って来るだけで、温かく迎えてくれる。
素直な、良い子だ。カロスの宝。
そんな彼女に、カロスは嘘をついた。
「本当に……ごめん」
だが、身に宿るは罪悪感だけではない。
心を突き破りそうな、怒りもあった。
(なんでだ……)
カロスを残し、代わりに志願した――父への。
(なんでだ……)
その父の嘆願を聞き入れ、命令を下した――王への。
(なんでだ……)
そして――
『ごめんなさい』
必死に願うカロスを置いて行った――ルルワへの。
(ここには、あんたがいなきゃならなかった……)
なぜ俺を、連れて行かなかった。
***
「――赤き月?」
指定した時刻、指定した場所に出勤してみれば、そこにはカロスの想定を超える大所帯が待ち受けていた。
ムメイ、アクレミアは勿論だが、ルルワとアワンまでが揃っている。彼女たちは別の作業があるはずだが、これはどういうことなのか。
何より一番のイレギュラーは、<赤き月>と名乗る冒険者たちの存在。ただ、珍しくはあっても不審者とまでは言えなかった。なぜなら――
(……あの? 本物か?)
名前だけは知っている。というより、有名人だ。
ローラシア中央の国々を拠点とする凄腕の冒険者チーム。未発見の遺跡を発見、攻略した数では、確か探索者の中では一番だったはずだ。
それくらい――そちらの分野に詳しくないカロスでも名前を聞いたことのある有名人。ルルワやアワンであれば、もっと詳しいだろう。そちらは既に挨拶を済ませているのか、誰もがカロスの反応を待っているようだった。
(なるほど……こいつらが、昨夜王が手配したという見張りか。だがなぜこの国に? そもそも探索者ではなかったのか?)
商人や貴族の警護を任される護衛者でもなければ、怪物退治が専門の討伐者でもない。この国にいることならまだしも、今ここにいることには、カロスからしてみれば違和感しかなかった。
だがひとまずは、王が依頼を出した冒険者として応対する必要がある。
「あなた方がかの有名な<赤き月>……お噂はかねがね。挨拶が遅れて申し訳ありません。陛下より、恐れ多くもダソス王国宮廷魔術師の地位を預けられております。カロス・アントローポスです」
「トバルだ、よろしくな」
カロスの挨拶に比べ簡素な対応。しかし失礼とは思わなかった。冒険者には一般的だ。
手を差し出されたので、カロスはすぐに応じる。
こういった時にはやはり、貴族的には握手はしないのが常識だが、差し出された手を振り払うのは貴族関係なく人として失礼だ。そこまで頑固ではない。
それに、カロスには渡りに船だった。
(! こいつ……強い)
握手した瞬間、力量を悟る。
カロスは生まれながらに魔力感覚に優れている。これは種族的能力ではなく、技能。強いて言うなら、可能態を見極める目を鍛えてきた恩恵だろう。
簡単に言えば、触れた相手の可能態の総量が漠然と分かるのだ。もちろん魔力を消費して発動する<可能態知覚>より精度は劣るが、凡その力量を知るには十分だった。
(英雄級探索者……嘘じゃないな)
レベルは50近いだろう。
大国なら片手の指の数もいない。滅多にお目にかかれない強者。
「あんたがあのカロスか……なるほど強いな。悪いね、正直親の七光りと思ってたよ」
あちらも何らかの手段でカロスの強さを知ったのか、顔色が変わる。吸血鬼的美貌も相まって、野獣のような気配だった。
スキルを使ったわけではないだろう。冒険者として生きている以上、そんな礼儀知らずでやっていけるはずがない。
ならば立ち姿か。優秀な戦士は体つきや足運びなどを見て力量を測るそうだが、カロスは生粋の魔術師。それも考えにくい。
気になるところだが、それを探るのも礼儀知らずだろう。ここは無難に答えておくのが当たり障りない。
「間違ってはいない。そういう面があることも自覚している」
実際カロスの名が他国にまで広まっているのは、アガトスの影響もある。
自分だけの力でここまで来たとは、そもそも全く思っていない。
「感心だな。俺と一緒で、女にモテそうだ」
「…………」
トバルの背後に目をやらなかったのは、奇跡だろう。今ばかりは、カロスは自分を全力で称賛する。
なぜなら、ここで彼の仲間たちを見れば、そういう関係だと邪推していることが一発で伝わってしまうからだ。男一人と女三人、そう思うなという方が無茶な話ではあるが、失礼であることに変わりはない。
そんなカロスが逃げ場として利用したのは、何やら羨まし気にカロスらのやりとりを眺めていたムメイだ。
彼が連れてきた者達なのだから、当然話を聞くなら彼しかいない。カロスの対応は間違っていなかった。ただ、正しくもなかったが。
「なんだよその目は。このおっさんいい年こいてハーレムしてんのかよ。まあ俺は全然羨ましくないけどね。俺の方がモテるし――みたいな目は」
「っ!?」
吸血鬼――今ほどそれを確信した瞬間はない。
カロスの内心を的確に見抜いた弄り。だからこそタチが悪い。
そんなことは考えてもいなかったとは言いずらい状況だ。必死に否定すれば逆に怪しまれる。
「なにぃ? ほんとかよ兄弟」
「間違いないな。俺と全く同じ目をしているから分かった。俺と全く同じ目だ!」
お前の死んだ魚のような目と一緒にするな――と反射的に思うが、すぐに思考から追い払う。そんな場合ではない。
「なんだよ? 庶民のハーレムは汚らわしいってか? あん? お前ら貴族様の方がよっぽどタチ悪いだろうが」
確かに貴族では妾文化、側室文化は一般的だが、今はそんな話ではないだろう。
ドスをきかせ、ずいっと距離を詰めてくるトバルに、カロスは引き下がるようなことはせず、むしろ迎え撃つ覚悟を決める。
ここまで来てしまっては、逃げ道はない。誤魔化すくらないなら、素直に謝った方が傷は少なく済むだろう。
「そんなことはありません。男女の関係性は人それぞれ……私は否定しません。ただ不快にさせてしまったのなら、それはどうか謝らせてほしい」
カロスが言い切った――その瞬間だった。
動き出したのは、異形の怪物。人間を弄ぶ、黒い悪魔。
「まあこいつのハーレムじゃないんだけどね。姉さん! カロスが話があるみたいです!」
「あん? 女同士の関係性は認められねえって?」
「…………」
必殺の罠に、カロスは言葉さえ無くす。
まさかこんなことになるとは、思ってもいなかった。
「こいつトバルの女だって決めつけてましたよ! ほんと信じられねえっすよ!」
「話を聞かせて貰おうじゃねえか」
(こいつ……殺そうかな)
恨むのはお門違いと己を律してきたが、もう殺してもいい気がしてきた。
普通にカロスが受けてきた屈辱だけでも、殺害の理由としては十分な気がした。
***
カロスが赤き月の面々と親睦(?)を深めているのを遠巻きに眺めながら、俺は隣のルルワをチラリと見やる。やはり――
(元気ないな。どうしたんだ?)
一夜明けて再会した彼女は、あまり元気がないようだった。
彼女だけではない。なにやら全体的に空気が重いような気がする。俺は結構空気が読める系の吸血鬼だ。
(アワンもああだし……)
アワンに関しては、最初はいつも通り元気だったが、赤き月の面々と相対した瞬間に大人しくなってしまった。
3人の女性たちの顔の下あたりを呆然と眺めた後、これまた呆然と自身を見下ろす。この作業を一定間隔で繰り返している。ロボットのように。
その後俺たちの傍から彷徨うように移動し、なぜかアクレミアの隣へと行きついた。なぜ彼女の隣に辿り着いたのか、俺には全く見当もつかないが、仲間意識でもできたのかもしれない。アクレミアも快く彼女を受け入れている。
それどころか、アワンの癖が移ったのか、彼女もロボット化して視線の往復を繰り返していた。アクレミアの場合、しきりにルルワの胸元を見ているようだが、何か納得できないことでもあるのかもしれない。
ちなみにそのアクレミアも、分かりにくいが少し元気がないように思える。もしかしたら、昨夜俺の知らないところで何かあったのかもしれない。
(カロスが一番平気そうだったから巻き込んだけど……悪いことしたかな……)
この空気を何とかするためとはいえ、ちょっとふざけが過ぎたかもしれない。最高位の冒険者と親睦を深めるきっかけづくりくらいに思ってくれればありがたいのだが、あまり尾を引いてこの後に差し支えてはことだ。
そろそろ助け舟を出す方がいいだろう。海に放り出したのも俺だし、カロスが俺の船を救援と思ってくれるかどうかは謎だが。
「カロス大丈夫? 姉さんあまり虐めないでやってくださいよ。友達なんすよ」
「お前だよ虐めたの」
俺が作り出したコミュニティにいざ戻る。カロスは救援に顔色を明るくしたが、俺の顔を見た途端すぐに表情を暗くした。敵の増援と思われたらしい。
ちなみにナアマのことを姉さんと呼んでいるのは、そう呼べと言われたからだ。彼女は今朝になると急に馴れ馴れしくなった。正直しきりに兄弟兄弟と慣れ合ってくるトバルと大差ない。
どうやら昨日はたまたま機嫌の悪い日だったようだ。ちなみにちなみに、トバルとナアマは双子の兄妹とのこと。道理で似ていると思った。
「ごめんなカロス。姉さん意地悪なんだ、童貞には特に」
「トドメ刺したよ」
赤き月の面々のカロスを見る目が、一気に生暖かくなる。それは若者を見守る大人たちの目だった。
カロスは死人のような無表情で、俺のことを見ていた。
まさか怒っているわけではないだろう。処女は誉め言葉なのだ。童貞も誉め言葉のはずだ。
「それで本題なんだけどさ。ちょっと俺の提案聞いてくれない?」
「!」
だがそんな表情も、すぐに元に戻る。
こういった切り替えの早さが、カロスの美点だろう。仕事に私情を持ち込まない感じが、俺は好きだった。
カロスが俺に向き直る。
そこには、ようやく真面目な話ができるという安堵さえ見えた。
「言ってみろ」
***
「――なるほど。一理あるな」
ムメイの提案は、良いか悪いかはさておき、ひとまず一考に値するものだった。
その過程で赤き月の情報について知れたのも大きい。恐らくムメイは、カロスが知りたいものと分かって言葉を選んだものと思われる。
提案するだけなら明らかに必要のない話が含まれていた。相変わらず、人間への理解が恐ろしく的確だと思うような説明だった。
「組合の許可は下りるのか? そちらのルールに関しては寡聞にして存じ上げないが……」
「俺は黙ってれば別に問題ないって言ったんだけどな。こいつがそれじゃあ嫌だってよ」
「…………」
吸血鬼の見張り。
ダソスにとっては言うまでもなく、かなりの重要任務だ。探索者では最高位の英雄級だったとはいえ、討伐者としてはまだ新参、ランクも金級。
この国唯一の英雄級パーティは最前線レスト要塞に詰めていると言っても、金級で国にとって都合の良い討伐者ならいくらでも見繕えたはず。ならばこの人選は――
(いや、そこは今考えることではないか……)
王が指名したのなら、カロスがどう思ったところで人選に文句は言えない。
今はもっと建設的なことに思考を回すべきだ。差し当たって考えるべきは、ムメイの教育に赤き月の参入を許していいものか。
(組合のルールとしては許されないのだろう。だがトバルの言うことも間違っていないように思える)
一つ仕事を請け負っている間に並行して別の仕事を引き受ける。これはどんな現場でも常識的にあり得ない。社会人なら当然徹底するべき部分だ。
もちろん複数の案件を抱える場合はあるが、それは十分な期間が与えられ、同等のパフォーマンスが発揮できる状態にあることが最低条件。そういうのを仕事の並行とは言わない。
ただ、特権階級はそのあたりの融通が利くのも確か。つまりトバルの言い分としては、仕事としてではなく善意の奉仕として行えばいいと。
もちろん内容は金銭が発生して然るべきものではあるが、こっそりやればいいし、組合も見咎めたとしてもスルーするほかない。
要は、その程度は黙認されるだけの地位を築いている――ということだ。こうなると真正面から「依頼二つ掛け持ちしていいっすか?」と言われる方が、組合としては困るだろう。依頼人として国王が絡んでいる現状では、「黙ってやってくれればいいのに……」とすら思うはずだ。
ただムメイの要求が間違っているかと言われれば、そういうわけではない。
むしろムメイの姿勢は、大人としてどこまでも正しい姿だ。
(王にも組合にも、果ては私にも不義理はしないという方向か……真面目、いや確かに頑なだ)
それで許されるのだとしても、なあなあの状態は嫌なのだろう。
悪く言えば融通が利かない。よく言えば厳格。ルルワの言う頑なという表現が分かってきた気がする。
ムメイからすれば、トバルたち赤き月は王の依頼によってつけられた冒険者たち。これに重ねて、それもロハで依頼をするという行為は、王の面子を軽んじていると受け取られかねない。
そしてこれを赤き月が受け入れた場合、後からの依頼を優先したとみられる恐れがある。基本的に仕事は先に引き受けた方を優先するというのがやはり社会の常識だ。つまり後からの依頼を、それも無料のものを同等の依頼として受け入れた時点で、仕事人としての信頼性に罅が入る。なにより王よりも吸血鬼を優先したという穿った見方もされかねない。
双方に危険性を孕んでいる。依頼人である王、組合、赤き月。この国では微妙な立場にある吸血鬼。四者が黙認したとしても、取り扱いは慎重に駆られる問題だ。
(それでいて依頼は殿下からではなく王からさせるのか……こいつ、イカレてるな)
それぞれがなんとなく事情を察して責任の所在をぼかすところを、全員に責任が行くようにする方法――それが王からの追加依頼という形だ。
依頼をされる組合からすれば当然二度手間。先に言っておいてくれよという話であるし、こっちのルールをちゃんと守ってくれという文句は当たり前だろう。そしてこれを受け入れる場合、王族の権力に屈するという印象は抗えない。
赤き月はルール違反を公然と行うチームという事実が半ば確定し、王は組合にも高位冒険者にも迷惑をかけることになる。みんなで不幸を分け合った形だ。
ただこの結果、ムメイには文句が言えない。
なぜならこの国でのムメイという吸血鬼の管理は、国に全面的な責任がある。ムメイはそれを受け入れ、ちゃんとして手続きを踏んで確約している以上、どこにも文句を言う資格はない。むしろルールをちゃんと守っているのは吸血鬼であるムメイだけだ。
これに文句を唱えれば逆に王の評価が下がることになる。なぜなら赤き月の手配に、ムメイは一言も文句を告げてはいない。
(そして私が首を横に振れば、この話も白紙か……そういう意図はないのだろうが、脅迫されているようだな)
まだ王には話は通していないらしいので、選択の是非は全面的にカロスに委ねられている。が、ここまで事情を察せばおいそれとは放棄できない。
最も嫌なのは、ムメイとカロスの方針が近いことにあるだろう。提案も、ことさら無理難題ということはなく、むしろよく考えられている。
ダソスのため、人類のために動いていると言われれば否定できないし、よく己の立場を分かっていた。というより、立場を最大限に利用している。
(提案ではなく、既定案として出された方がまだマシだったな。いや、やはり間違ってはいないのだが……)
先も言った、仕事の優先順位の話だ。
ムメイからすれば、既にカロスに師事をお願いしている立場。これに勝手に別の教師を呼んでくるのは明らかな不義理だ。
カロスの許可が出ない限りはあくまで保留。何もおかしなことではない。むしろ人としては好感を覚えるべき姿勢だろう。
ただムメイの恐ろしい点は、カロスに義理を通したようで、カロスにも自然と責任の一端を背負わせている点だ。
己の立場を利用し、一人だけ安全圏を保っている。ダソスが管理するという今の形も、ムメイが狙って作り出したと思えるほどに。
やっていることは正しい。
ただ、恐ろしい。
全てがどうでもいい。どんな状況でも、どんな環境でも、なんとかできるという絶対の自信。
人間の社会に筋を通しているようで、見方によっては常軌を逸した傲慢だ。
(殿下の評価も真実味を帯びて来たな……これは人が飼い慣らせる存在ではない)
力や、思想。そんな浅いものではない。
存在そのものが、異質。異物だ。
人の枠に収まっているのは、ムメイが人であろうとしているから。だが、その枷と鎖は、その気になればすぐに壊せる状態にある。
(…………よそう)
だがやはり、それは今考えるべきことではなかった。
人間には、時間がないのだから。
「貴様が最も気にしている工数的な問題であれば……可能だ。吸血鬼には夜があるしな」
差し当たって、カロスは問題ない旨を示す。
実際には余る時間などないが、並行できないこともない。確かに対モンスター、魔物相手のパーティ戦も重要だ。プロがいるのなら、教わらないのは勿体ない。
「でも、カロスは吸血鬼じゃないだろ?」
夜間に不眠のムメイに付き合うという考えは、正しく伝わる。
すぐにあがった懸念は、睡眠に関して。確かに夜の時間を修行にあてるのなら、寝る時間は昼となる。カロスにはムメイの監視という役目もあるので、それは不可能だ。だが――
「睡眠を短縮できる術道具を持っている。任務に支障はない」
「そうか。なら頼むよ」
本当に大丈夫かなどのくだらない確認はなかった。
ムメイはすぐに納得すると引き下がる。
早くも話がまとまったが、カロスにはどうしても聞いておきたいことがあった。しかしその相手は、ムメイではない。
「どうしてそんな話になった? 牢から出してくれた恩返しというわけでもないのだろう?」
カロスはムメイではなく、トバルへと振り返る。昨日の時点では牢屋の中にいたという男に。
別に不自然とまでは言わないが、話が性急すぎるのも確か。
カロスは当然のように作為的な匂いを嗅ぎ取った。吸血鬼とたまたま同じ檻に入っていた囚人が、その日のうちに釈放、そのまま護衛はいかにいっても話が上手すぎる。疑うなという方が無理からぬ話。
「ただの親切じゃ不満か?」
「不安ではあるな。不足が一番困るんだ」
「はははっ! 正直な奴!」
だがカロスとしては、トバルらの思惑など別にどうでも良かった。ただ、手を抜かれるのだけは困る。
ムメイは当然として、カロスも本気なのだ。能力は十分としても、やる気の無さで足を引っ張られるようなことがあれば、たまったものではない。それくらいならいない方がマシだ。
「そりゃあ俺たちにもいろいろ事情はあるが、それをお前に話す義理はあるか? 仲良くなれば話も違うが、あんたはまだ仕事相手ですらないんでね」
「……道理だ」
今日会ったばかりの初対面。腹を割るというのもおかしな話だ。
むしろ事情はあると答えてくれただけでも、親切な対応だろう。
「ただまあ、こいつが今後の人類にとって重要な存在ってことくらいは、俺たちも分かってるつもりだ。仕事として受け入れた以上手は抜かねえから、そこは安心してくれ」
だからここは、元英雄級冒険者の実力を信じるしかない。
カロスに出来ることと言えば、仕事相手として適切な関係を構築し、維持することくらいだろう。無論それぞれの意見を聞き統括する必要もある。
役者は揃い、準備も十分かのように思えた。
しかしムメイは、一歩踏み込む。だからこそ、必要と思ったのかもしれない。
それは飼い主であるルルワでさえ、意外に思うような提案だった。
「懇親会やらない?」




