第095話 また牢屋
欲望。
生命には切っても切り離せない大切なもの。
その中でも、人間が生きていくうえで基本となる本能的三つの欲求。
食欲、睡眠欲、性欲。
これら三大欲求が、吸血鬼たる俺には欠けていた。
無いのではなく、欠けている。つまり欠陥がある。
この世界の力の源泉の一つに、俺は生まれながらにハンデを抱えているのだ。
まず食欲。
個体の生存のため、エネルギー補給を目的とするはずのその欲望が、吸血鬼である俺にはない。
死体だからそもそもエネルギーが必要ないのか、それとも必要なエネルギーを別の方法で賄っているのか――俺の答えは後者。
恐らくは、食欲は吸血欲へと置き換わっている。食べるのではなく、飲む。血こそが吸血鬼のエネルギーであり、吸血こそ吸血鬼のエネルギー補給ということなのだろう。
ちなみに口の中で食べ物を咀嚼すること自体は可能。ただ消化はできないため、飲み込むとたちまち吐いてしまう。だから俺は、暇つぶしに獣の肉などを齧った時などは、ガムのようにその場へと吐き捨てるのだ。その様子をルルワに見られた時は「お行儀悪い。めっ」と叱られたものだ。だからそんな時は彼女が持参しているゴミ袋にぺっ、させてもらう。散歩中の犬のふんみたいに飼い主が回収してくれるわけだ。
さらにちなみに、飲み物だけは全般飲むことができる。排便は出来ないが小便はできるので、飲んだものがそのまま直通で出されているのかもしれない。
次に、睡眠欲。
これに関しては、欠けているどころか全くといってない。
生まれてこの方眠くなったことなど一度としてなく、またそれによる障害も見当たらない。
脳や身体を回復させ、健康を保つために必須のプロセスのはずだが、俺にはそもそも疲労がないからだろう。だから連日徹夜みたいな倦怠感もない。むしろ朝一リフレッシュと深夜テンションが合わさったように、俺の心身は常に絶好調だ。
個体の維持に関し、俺は睡眠の手助けを全く必要としなかった。
ならば人生の3分の1とも言える睡眠時間、俺がいつも何をしているのかと言えば、ルルワの抱き枕だ。
彼女と添い寝して、彼女を無事に寝かせるのが俺の仕事。そして朝まで一番側で見守る。
両手両足を駆使して吸血鬼を抱える少女と、抱きやすいよう真っ直ぐに体を伸ばして不動を貫く吸血鬼。その姿、まさに抱き枕。
正直抱き枕の技術において俺の右に出る者はいないとまでの自負を形成するにまで至っている。実績としては、俺はこれまで一度としてルルワを途中で起こしたことがない。彼女の眠りが生来深いというのもあるかもしれないが、精神的に緊張状態にあれば、決してこの結果は得られないはず。むしろ人間にとって最も無防備な時間を預けられるのは、全幅の信頼がなければ不可能な芸当だろう。少なくとも、俺には絶対無理だ。
そんなルルワの信頼を決して裏切らないよう、抱き枕こと俺は一人落ち着いた夜を過ごしている。
ルルワの寝顔を終始眺めながら、呼吸のリズムを数えたり体の温もりを感じたり諸々の柔らかさに浸ったり髪の毛の匂いを嗅いだり――まあ紳士的だ。自分からは指一本触れていないどころか微動だにしていないのだから、犯罪性はどこにもない。
だから俺がお巡りさんの影を常にどこかに感じるのは、俺の生来の生真面目さ故なのだろう。俺はペットであり彼氏でもあるのだから、条約によって安全は保障されているはず。
ルルメイ安全保障条約の前には、お巡りさんもホールドアップせざるを得ないはずだ。この時どちらの国の威信にお手上げなのかは、想像に難くない。
最後に――性欲。
実はこれだけは、俺にも残っていた。
言葉を隠さず言えば、射精できるというわけだ。頭隠さずズボンも穿かず――本当に何一つとして隠さないが、別に恥ずかしいことではないので濁す必要もない。
性欲とは本来種の生存、要は繁殖のためにある本能。ならば性欲がある時点で、逆説的に吸血鬼である俺にも生殖行為ができるということになるのか。さらには新しい命を育むことができるのか――その答えは、分からない。
まあ分かったところで現状では豚に真珠、いや吸血鬼にベッドであるのだが。睡眠という面でも行為という面でも必要ない――いつもながら、俺のワードセンスがムーンウォークを踊る(?)。
なぜならパートナーであるルルワが、その行為をできない。彼女は俺といる限り永遠の処女を守らなければならないという現役アイドルも真っ青な誓約をその身に宿しているからだ。
俺といる限り、少なくとも魔王を倒し終わるまでは絶対にできないだろう。活動中は彼氏の一人さえ作ることを許されないアイドルと比べればまだマシな待遇と言えるのかもしれないが――俺は良くも悪くもアイドルは全員恋愛経験皆無と信じられるほど純粋な心は持ち合わせていなかったため、心情的にはルルワの方がずっと重かった。
それは身贔屓でもあるのかもしれないが、やはり当事者となると重みが違ってくるのも確か。正直アイドルの恋愛とか俺にはどうでもいい。
話を戻しその性欲だが、これがまあ欲求としてはかなり強い。
他二つが希薄、もしくは皆無な分のしわ寄せがきているのか、純粋な衝動としては前世を軽く上回っている。俺はその辺かなり理性が効く方だとこれまでは自負していたのだが(だって童貞だし)、今はかなりギリギリだ。
300年振りの女、そして人生初めての彼女、吸血鬼の性欲。自分で言うのもなんだが、未だ襲い掛かっていないのが奇跡だ。死活問題とはいえ、紳士という評価にも偽りはないだろう。
仮にその事実を否定して来る奴がいたとしたら、じゃあ300年禁欲してみろと言いたい。そして世界一の美女を彼女にしてみろと言う。きっと真摯に受け止め直してくれるはずだ。
ちなみに解消法に関してだが、ルルワの睡眠中にこっそり処理するのが日課だ。彼女が寝返りなどで離れた瞬間を狙い撃ちしている。これは必要なことだからと己を慰める姿、まさに自慰。
前世でも今世でも俺は自分で自分を慰めるしかない。彼女がいても関係ない。そんな真理を痛感するような悲しき時間だ。
俺の欲望に関しては、そんなところだろうか。
要は何が言いたかったか、俺は寝ないし食べないし性行為もしないので、一般的な人間に比べ時間が有り余っているということだ。性行為は前世でもしなかったが。
それら浮いた時間を効率よく思考に回しているからこそ、俺は諸々の覚えが良いのだと思う。実際人の倍の時間があるというメリットは計り知れない。
現に今も俺は、先ほどカロスから習ったことを参考に、今後の計画を自分なりに立てていた。
(――やっぱり、時間がかかるみたいだな……)
直近の課題、魔力制御。
当然だが、一朝一夕で得られる技術ではないようだ。それどころか、膨大な時間と弛まぬ努力が必須の高等技術。カロスの気配から受け取った印象は、そんな感じだ。
まあ予想はしていた。何かに打ち込んで努力したことがある者ならば、それ一つを突き詰めるだけでどれほどの時間が掛かるかくらい分かる。
最初からイメージ通りにできることなどまずない。完全な理解にはやはり幾度の失敗が必要であり、失敗を得るには何度もこなすしかない。そして培った技術を手に馴染ませるには、やはり数えるのも億劫な反復練習が必要だ。
(そんなこと言ったら罰が当たるか……むしろ俺は恵まれている方……)
自分の手で引き寄せたので完全な運とも言い切れないが、恵まれているのは確かだ。
まず能力の土台が既に出来上がっている。月夜見という最大の切り札を軸に、得た能力をピースとして散りばめる。完成した絵のイメージとしては、月が絢爛し、星々が彩る夜空。
月の大きさは変えられないが、星々の大きさや数は今後の俺次第。才能を全ベットした引き換えに、得られるピースの数、大きさ――さらには系統や性質にさえ恐らく制限がない。これが最大の強みだろう。
今回雷の力が火元素と風元素の混合元素である可能性が出てきたことにより、新たな仮説も発生する。
要は、俺が<月夜見>で得られる能力は、原因系、属性系の両面において性質に縛られないのでは――という仮定だ。
カロスとアクレミアに相談しても、その可能性は高いと言っていた。もしかしたら、魔術師の枠さえ超える可能性もあると。つまり、魔術師でありながら天術系統の術も得られるのではないかという、奇想天外の発想である。
流石にそこまでいくと眉唾だが、俺よりも混沌術の形骸、条件型契約の性質に詳しい二人から見れば、むしろ頷ける話のようだ。
俺の才能の大きさ、<月夜見>という能力の性質から考えると、それくらいでないと恩恵が釣り合わないと。根拠はなく術師の勘という前提こそあるが、それでも二人は確信を持っているようだった。
この時点で既に、俺は素直に能力のことを打ち明けてよかったと思った。俺一人ではそのあたりの絶妙な感覚は掴めなかったことだろう。アワンは術師としての経験がまだ短く、能力が限定的。ルルワに至っては世界的例外。やはり多角的かつ専門家的な者達の意見は、本当に有難かった。
まとめると、フレームにも限りがないため、最終的にどれほどの巨大な絵が完成するのかも未知。しかし術構成の軸はブレておらず、むしろちゃんと形に収まっている。
得た能力に関しては条件調整の必要に駆られないため、さらに時間と労力を節約できる。こちらに関しても悪魔ではなくルーニーとの条件型契約の仮説を説いたところ、その可能性は高いと後押ししてくれた。
前代未聞の能力だけにかなりの部分が未知数であり、二人もそれぞれ頭を悩ませていたが、術師の肌感的に俺の感覚は合っているそうだ。
要は、才能はもうないため次の能力に関して考える必要がない。その次の能力に関しても、条件調整などの必要がなく、さらには条件さえ定められないことが確定しているため運用法にそれほど頭を悩ませる必要がない。
極めつけは、術師は己の得意系統でピースを揃えることで絵を精巧にしていくとされるが、俺はそのあたりに気を配る必要も一切ない。俺の能力はたった一つであり、そこから生まれた複数の能力も同質の力と判定されるだろうから。
<月夜見>という切り札は持っているだけで強力であり、相手に能力がバレるリスクも考える必要がない。なぜなら既にリスクは天井を突き抜けているから。むしろ知られることにより牽制にもなる力。攻防において隙がない。
後は順次得た能力を把握していき、己の体に馴染ませていく。己の欲望が尽きない限りどこまでも強くなれる。それが俺の術師としての戦闘スタイル。
早い段階から方向性を決められたのは、僥倖だった。ここが定まらずに時間を食う術者は多いはず。決して無駄とは言えないが、俺には煩わしい時間であることも確かなのだから。
そのうえで――
(次の戦いまで、最短で一か月……やはり時間がない)
人間の倍の時間がある吸血鬼と言う種族の特性。
早い段階で己の術構成の方針が固まった幸運。
魔力を扱う才能において天性のセンスがあった奇跡。
これらを踏まえてもなお、全く時間が足りないという事実。身を焼くような焦燥感。俺は常に生き急いでいた。
おそらくは強者としての頂点を最初に知ってしまったことによる恩恵と弊害。俺の満足できる強さはまだ先にある。
いや、もはや永遠に満足できる日など来ない。俺は貪欲に、どこまでも強さを目指さなくてはならないのだから。仮にこの世界の頂点に立ったとしても喜べない。そんなものは前提でしかない。
(くっそ……俺はなんて無駄な時間を……)
300年も自由に使える時間があったのだ。
この時点で術について知っていれば、今とは全く違った結果になっていただろう。ルコスからよくよく聞いておけば、森の外の情報を知ろうとしていれば――
(いや、いや……正しき師がいないと駄目なんだ。自分一人の努力では限界がある)
それは、決して慰めではない――確かな事実。
仮に森の中で術について知っていた場合、今と同じ結論に辿り着いていたとは思えない。
ルルワとの出会い、そしてアワンという師がいなければ、俺は絶対に<月夜見>は生み出せなかった。これは間違いない。
そして現状、俺という人間にこれ以上に合っている能力は、絶対にないだろう。どこまでも強さを渇望し、欲望の限り更なる力を手にできる。
頂点への過程を数十年単位で縮小できる禁じ手。ルールの中で見出したルール違反。公私両面から見て最高の判断。
(ブレるな……これが正解だ)
その根底すら信じられなければ、先はない。
全てが必要であり、必然だった。今があるのは過去があるから。
300年という月日は、純粋な武力を研ぎ澄ますうえで欠かせないものだった。あの時間とルコスとの戦いがなければ、肉弾戦の極地には到達していない。同じく300年の時間があったイコラオスに魔術無しで勝てたのも、やはり彼の時間が実際は150年だったということに他ならない。
だからこそ、人の倍の時間があるという吸血鬼の絶対的長所――これを活用しないのは馬鹿なのだ。
長い自分語りとなったが、要は時間はあるようでない。少なくとも無駄にできる時間など全くない。そういうことを言いたかったわけだ。
現在進行形で時間を無駄にしただろうという反論は受け付けない。なぜなら俺は、していないから。
(一時間で…………3.4%ってとこか?)
夜間という貴重な時間を有効活用するために、カロスから室内で進められるトレーニング法を聞いておいた。が、早い話これは断られた。
想定されるトレーニングのほとんどが、魔力を発動しなければならないものだったからだ。当然ここでは許されない。魔術の使用など以ての外だろう。
ただカロスは、否定だけして代案一つも出さないような社会不適合者ではなかった。どころか的確なアドバイスをくれた。それが長い自分語りの最中も黙々とこなしていた、魔力回復の見積もりである。
早い話、どれだけの時間でどれだけの魔力が回復していくのかを、己で把握する鍛錬だ。これが正確にできるようになると、魔力感覚の飛躍的な向上にも繋がるのだという。
俺はこの一時間で様々な考え事をしながら、並行して己の魔力の回復速度を測っていたわけだ。
(100%までは……29時間くらいかな?)
この修行のために敢えて魔力を空にし、スタートからちょうど一時間。体感魔力は3.4%と少し。総魔力が全快するのにかかる時間は、概算で29時間と十数分。それが俺の魔力回復速度となるだろう。
カロスが言うには一般的な術師の魔力回復速度は24時間程度らしいので、俺は平均より少し長い。魔力量を考えれば当然、むしろ早いくらいではなかろうか。その辺も明日カロスに聞くとしよう。
(後は全快した時の経過時間と比較すればいいな)
そのずれで、俺の感覚如何がどの程度か分かる。
無いとは思うが、もしかしたら時間が経過するにつれ回復速度が早まっていくという可能性も考え、このまま続けるが。
(良い先生が見つかってよかった……)
時間を無駄にしたくないという俺の意志を汲んで、即座に今できる鍛錬を提示してくれた。
何をすればいいか、何に気を付ければいいか、具体的かつ的確な指示だった。魔力を全て消費してから始めた方が良いと勧めてくれたのもカロスだ。
今日話してみた感じでは、彼から教わることに何の不満もないどころか、垂涎の人材だと思う。
質問への答えも都度的確だし、対応能力も高く、何より分かりやすい。少し喋っただけでも優秀さが分かった。正直若すぎてあまり期待してなかったが、大番狂わせ。仕事に私情を持ち込むタイプにも見えないし、信頼して任せてよさそうだ。
(それにしても……見張りとかつけなくていいんだろうか?)
俺に今夜与えられたホテルは、王城地下深くの特別室。
壁は石壁――ではなく、全て銀らしい。確か金属硬度としては下から3番目程度らしいが、当然この量の銀を集めるには金がかかる。拷問部屋にしては一風変わったどころではない。異様だった。
そんな銀世界とも言えるような部屋がなぜ地下にあるのか非常に興味をそそられるところではあるが、雄弁は銀、沈黙は金としておくのが賢いだろう。銀も言葉も吸血鬼には相性が悪いのだ。さらにひかりものが苦手な俺にとっては、ここは牢屋よりも牢屋だった。
(相性と言えば……)
吸血鬼という種族の致命的弱点に――太陽を除き――火属性、そして聖属性があげられる。
つまり俺の監視官は、それぞれ対俺特化の術師たちというわけだ。だからこそ俺は、夜間の見張りも二人のどちらかがするのかと思っていた。
アクレミアに関しては王女という立場があるため、外聞的に男と同衾など絶対に不可能だろうが、同性のカロスならば問題ない。
だから当然この部屋にもカロスが付き添うとばかりに思っていたのだが――というより俺としてもそれを望んでいたのだが――彼は吸血鬼を放り込むとそそくさとどこかへ行ってしまった。
夜間も教師付きで修行できると踏んでいた俺の目論見は裏切られるどころか、誰一人面会に来る様子もない。流石にルルワやアワンがやってくるとは思わないが、お世話係と言わずとも、喋り相手くらいはそろそろ欲しいところだ。
(!)
――などと思っていた時だった。
吸血鬼の聴覚が、足音を捉える。それも、複数名。
だが複数の人間が近づいているとは思えないほどの静けさだ。例えるなら、獲物に忍び寄る獣を思わせる。
(…………一応警戒しとくか。できることないけど)
王城にいる限り、さらにはこの国にいる限り、よほどの理由がなければ俺の暴力は正当化されないだろう。正当防衛でも極力しないに越したことはない。もちろん時と場合によるが。流石に魔王がひょっこりやってきてボケっとしているほど、俺も利口な吸血鬼ではないつもりだ。
ただ、今回やってきたのはやはり魔王ではなかった。
「よ! 兄弟!」
「…………」
顔を見せたのは、知った顔。それも、今朝がた別れたばかりの男。
その男が吸血鬼のいる部屋にエントリーしたことで、俺はここを牢屋だと確信した。




