第090話 分からん
「――あんたのおかげで、腐らずにすんだよ。ここで学んだことは、一生忘れない」
「おう! もう二度と戻ってくんじゃねえぞ!」
「お世話になりました!!」
俺は90度のお辞儀で、別れの挨拶とする。
そしてようやく、勝ち取った自由へと歩を進めた。
「――っ!」
一歩踏み出した瞬間――差し込んできた眩い光に、反射的に目を細める。
そのあまりの明るさに強張ってしまった俺に対し――ルルワが優しく微笑んでくれたのが、分かった。
そんな唯一の救いに背中を押され、俺は歩き続ける。
不安で、怖くて、逃げ出したかった。でも、俺の行く先には――ルルワがいるから。
やがて完全に檻から出て、太陽の光を全身に浴びたところで――俺は、目を見開いた。
包まれた温かさを、今、全身で感じる。
「――これが……」
――太陽。
そして――外の世界。
世界が色づいているのが分かる。檻の中とは、まさしく世界が違った。
これが――世界。
太陽の光の下、ルルワと互いの存在を確かめ合う。
俺たちはここにいるんだと。ここにいていいんだと。
そして――
「ありがとう……ルルワ。俺を……檻から出してくれて」
こうして吸血鬼は、檻を出る。
異世界転生から300年。この日、この時、この瞬間――
俺はようやく、二度目の人生をスタートしたのだ。
共に生きていくと誓った女性を目の前に――俺は誓う。
俺はもう、ここには還らな――
「なに序章完結顔してるのよ。思い出を汚さないでくれる?」
「ごめんなさい」
こうして俺は、現実へと還った。
あまりに高度なボケにも、易々とツッコミを入れてくるのは――当然ルルワだ。俺のボケに対しこれほど適切な言葉を投げかけてくれる存在は、彼女をおいて他にはいない。
何を隠そう彼女がいるからこそ、俺も全力でボケることができる。ツッコミに全幅の信頼がなければ、ここまで振り切るのは不可能だ。実際檻の中では、消化不良感が否めなかった。公私ともに俺にはルルワが必要だと証明された一幕でもあった。
俺は序章完結系空気を霧散させると、再び近寄って来る二人を快く迎える。森を出た時とは違い、そこにはルルワだけではなかった。
「看守じゃないわよね? 誰なの?」
「さあ?」
7時間ぶりに会ったルルワは、特に再会の喜びになど浸ってはいなかった。たった7時間の別れなので当然だ。さっきは俺の悪ノリに付き合ってくれただけだろう。
そんな毎日こなしているおやすみからおはようまでと変わらない程度の別れと出会いを経た俺たちは、二人して遠ざかっていく看守もどきに目を向ける。看守になったり吸血鬼になったりする、不思議な男を。
「誰かは知らないけど、新しくできた友達。檻の中で会ったんだ」
「犯罪者じゃない。何で仲良くなるのよ」
男は兵士二人に挟まれながら、どこかへと連れていかれる。たぶん諸々の手続きなどが完了するまでは完全な解放とはならないのだろう。貴族にちょっかいかけたとか言ってたし、もしかしたらまたすぐに捕まるのかもしれない。
それにしては、どこか気楽そうだが。今もヒラヒラと手を振ってルルワとアワンにアピールしている。二人がガン無視するので、代わりに俺が手を振っておいた。
「あなた意外と友達のハードル低いわね。相手はちゃんと選びなさい」
「はーい」
やはり犯罪者は良い目で見られないのか、お叱りを受けてしまった。
俺としては別に含むところはない。生きる世界が違えば俺も犯罪者だ。吸血鬼で、かつ何人も殺して、意識のない女の子(彼女)の髪の毛の匂いとか嗅いでいる。勘違いだった。この世界でも俺は犯罪者だ。
まあ何が言いたかったかと言えば、人間良いところもあれば必ず悪いところの一つや二つあるということだ。ならばその悪い部分が法と合致しないなんてこともあるだろう。
現にあの男も、そんなに悪い奴ではなかった。何人もの貴族令嬢に手を出したと聞いた時は、俺の正義の心が全力で殺せと叫んでいたし、なんならめっちゃイケメンなのでそれ以前から普通に殺してやろうと思ってたが――彼は俺の貞操を守ってくれた恩人でもある。
正直ルコスと戦って以来の危機だった。全く意図せぬところで童貞喪失するところだったのだから。
俺はこれまでイケメンは全員クズ説を提唱していたのだが、ケインの例もしかり、どうやらイケメンにも良い奴はいると知った今日この頃だ。
(ん? 処女喪失か?)
俺が決して馬鹿にはできない処女喪失の定義について熟考していると、早くも二人の視線は男から外れる。
彼は女なら絶対に興味を引かれるであろう超絶イケメンのはずだが、彼女たちレベルの美女となると話は違うのか、一貫して興味は無さそうだった。
次は王族を狙うとか言ってたが、少なくとも今二人の対象が消えた。
そんな王家の血を引く二人の内、赤髪の少女が一歩前へと出る。
彼女は俺よりも身長が低いため、意図するしないに関わらず、自然と上目遣いとなった。
「お勤め、ご苦労様です」
屈託なのない笑みで見上げてくるのは、アワン。
檻の中で暗い奴らに見慣れていたせいか、彼女の表情は一層明るく見える。今気づいたが、前髪がいつもとはちょっと違うような気がした。
そんな少女の労いの言葉に、俺は深く頷く。
「全くだよ。やっと臭い飯とも汚いベッドともおさらばだ。あんなの死ねって言ってるようなもんだぜ」
「そんな……酷いです。罪を犯したといえ、同じ人間には変わりないのに……」
「ああ、むしろ奴らが人間じゃないね。あそこは生き地獄だ」
「「…………」」
数秒見つめ合った俺たちは、ほぼ同時にそちらへと振り向く。
胸の下あたりで腕を組み、その豊満なものを主張させているもう一人の少女は、仏頂面でこちらを眺めていた。
「……何よ?」
「いや、ツッコミは?」
飯もベッドも必要ないだろとか、お前生きてないだろとか、7時間しか入ってないだろとか、そもそも人間ですらないだろとか――ツッコミポイントはいくつもあった。これほどの分かりやすいボケの応酬をルルワが見逃すとは珍しい。
「安く見られたものね? 私をそんな簡単な女だと思わないでくれる?」
戦闘時以外は基本下ろされている美しい長髪を、ルルワが後ろへと払う。高慢な顔つきと冷ややかな目つきが、悪役令嬢感を演出した。
どうやら毎回毎回良いように使われていることを快く思っていなかったらしい。
確かにホンモノのボケがパーティに加わった今、ツッコミ要因への負担は大きい。貴重な存在への敬意が欠けていた。反省だ。
しかし俺の考えは見当外れだったのか、アワンが耳元に口を持ってくる。
「ルルワさん、今日機嫌よくないんです。たぶんあの日です」
「ああ……女の子にバフとデバフが同時にかかる日か……」
肉体への様々なデバフと引き換えに、攻撃力が高まるあれだ。口撃力と言い換えてもいい。俺には姉がいたので、その脅威のほどはよく知っている。あれこそまさに生き地獄だ。どちらに対してかは想像に任せたい。
「セクハラです」
「なんで?」
そして同意しただけでセクハラとなった。
もしかしたらアワンもあの日なのかもしれない(セクハラ)。
そんな失礼なことを思っていたら、耳元に近づいたことを利用して、アワンがチラチラと目配せする。
隠すようなその視線の先は、ルルワ。どうやら彼女が不機嫌な理由は、別の場所にあるらしい
「…………ルルワ、助かったよ」
「何が?」
その場所に心当たりがない俺ではあったが、フォローしてくれというアワンの意図だけは確かに伝わった。俺は顔をあげると、最愛の恋人へと微笑みかける。
「名前を呼んでくれて。あれがなかったら、俺はまだ檻の中だった」
ルルワの妹だと名乗る少女――アクレミアの説得中、俺の名前を呼ぶルルワの声が聞こえてきた。それはもう天からのお告げのように。
おそらく収容所の入り口から大声で俺の名を叫んだのだろう。吸血鬼の聴覚が、その僅かな声を確かに捉えた。
「…………アクレミアが迎えに行ったでしょ?」
「うん。でも俺を自由にできるのは、ルルワだけだから」
「…………」
真っ直ぐにルルワを見る。
彼女は視線を逸らし、顔も僅かに背けたが――その気配が拒絶ではないことは、彼女の変化した表情に現れていた。
「こっちきて、首輪つけてよ」
「…………うん」
コクリと小さく頷くと、ルルワはようやく俺の懐へとやってくる。
「簡単……」
そんな自称簡単な女ではないルルワを、アワンが唖然とした空気で迎えたのだった。
「そのままでいいから聞いて。何があったか、あなたにも知っておいてもらわないと」
「うん」
俺は採寸でもされるように両手を広げながら、いつも通り二人に任せる。
首輪やら枷やら、鎖やらの装着だ。
ちなみに出所前に水浴びさせてもらったので、諸々の汚れは落ちている。素っ裸になって冷たい水を頭からかぶるだけだったので、一分もかからなかった。
檻から出たばかりで檻の中よりも厳重な拘束をされる俺を、アクレミアたちが口を開けて見守る。
その間に、俺は離れている間にあった出来事と、会談で行われた話題を黙って聞いた。
中でも、俺が最も興味を引かれたのは――
「――峠越…………」
そんなのがいたとは。
いや、俺がいるんだから強い一般人が他にいたとしても全くおかしくはないのだが、まさかまだ生きている者で、それも北領域に存在するとは。
過去にそういうのがいたという話なら、事はもっと単純だったのだが。しかも――
「200年以上生きてて、12使徒も単独で複数撃破? おいおい化け物かよ」
「ツッコまないわよ?」
「異種族でありながら人類の危機を救った? 変わり者にもほどがあるぞ」
「ツッコまないから」
二人は渾身のおまいう顔をしているが、正直現状では俺が並ぶには烏滸がましい実績だ。
ルルワが言うには、12使徒が北領域勢力の手で落とされたのはちょうど峠越以来の快挙らしい。連続で落とした者は、この世にたった二人しかいないと。
つまりは、峠越と俺だ。
この実績だけを見ればまるで同等のようだが、俺はそうは思わない。なぜなら――
(当時のルコス勢力を瓦解させて、北領域から追い返した? 冗談だろ?)
それも、たった一人で行ったのだという。つまりは単独で世界そのものに喧嘩を売ったということだ。
その過程で12使徒のうち5人を殺し、最後は現在の魔王の一人とあのイコラオスと戦って痛み分け。で、今も生きているのだという。漫画の主人公みたいな奴だ。
「正気じゃないな……とても仲良くなれる気がしない」
「「…………」」
あのおっさんの部下たちで、魔王の一人ですら使徒に数えられていた時代。当然強かったはずだ。
前世でも世界を手に収めた勢力など存在しなかった。今の世界でも魔王が7人いてまだ世界は征服できていない。そう考えると、どれだけの化け物たちだったかよく分かる。
いや、もしかしたらそれら使徒の撃破だけに限れば、俺にもできるのかもしれない。が、可能不可能に関わらず、まずそれほどの大勢力に喧嘩を売ろうという思想が信じられない。
誰が世界を征服した悪の軍団に単騎で立ち向かうというのか。俺なら絶対にしない。仲間を集めるか、世界を征服する前の段階で潰そうとするだろう。
これは度胸とか強さとかいう問題ではなく、現実的な思考ができるかどうかだ。峠越はイカレているとしか思えない。
一方的に虐げられる人類を見ていられず――とかならこの一念発起にも頷けるのだが、現在まで170年間世界放置の段階でそれはあり得ない。つまりダソスの者達が言うように、大した信念や意志もなく、気まぐれで行った可能性が高い。やはり狂人の思想としか言いようがない。
しかし――当時の使徒たちが新天地を諦めてまで南領域に帰ったということは、それ相応の大打撃を与えられたということになる。
つまりは個人でそれほどの恐怖の象徴となっていたということ。
そしておそらくは、魔王オピスとイコラオスは、峠越を早めに潰しておかなければならない存在と見做した。ならば当然本気だったはずだ。
そんな二人の手から無事逃げのびて、今も生きている。一体どれだけの脅威だというのか。もしかしたら本当に俺より強いのかもしれない。
(これは……敵対した時のことも考えといた方がいいな……)
現状敵になる可能性があるとすれば、親交のあったアベルを俺が殺したという点くらいだが、その情報は隠せるだろう。
しかし気まぐれで世界を敵に回す男だ。気まぐれで吸血鬼を殺さないとどうして言えようか。
話し合いができないかもしれないという点においては、現状俺にとって人間よりも厄介な存在かもしれない。
仲間になるなら、それに越したことはないのだが。
「で、そいつのアンサーを待つのに時間がかかるって?」
「ええ、あとは西への遠征の準備や各国への声明とう諸々……。いずれにせよ、時間はかかるわね」
「そりゃそうだ」
攻略されたウェーゲナー大河と荒らされた西部に打って出るのであれば、大きな戦いになる。準備期間だけで数か月はかかっても全くおかしくはない。
むしろダソスの動きは迅速な方だろう。これまでの俺たちの動きが、戦争にしてはあまりに早すぎた。
(この国でしばらく落ち着くことになるか……俺にとっても好都合だけど)
やらねばならないことが、それこそ山ほどある。
やっぱり落ち着くことはできなかった。
「それにしても……功績はもちろんだけど、峠越って異名がカッコ良すぎない? 俺もそういうの欲しいな……」
たぶん南から北へやってきたことと、ルコス勢力という最高の峠を一人飛び越したことから、そう言われているのだろう。ちょっとカッコ良すぎる。俺に貰えないだろうか。
「『鬼治血のムメイ』とかどうですか?」
ちょっとカッコ悪すぎる。俺は貰いたくない。だから――
「それはアワンにあげるよ」
「えー……」
「自分が要らないものを、人にあげるんじゃありません」
「あなたもね」
鬼治血のアワン。
血を持ってるのは俺じゃないので、彼女の方が適役だろう。いや、オチチならアワンよりルルワの方が適任か。別に他意はないが、一応口には出さないでおく。
「『勇者のペット』とは言われてるみたいね」
「異名ってより役職だなぁ……ルルワは何て呼ばれてるの?」
「『陽珠』です」
「かっこよ!!」
カッコ良すぎやしないか。いや、異名なのだからカッコ悪いはずはないのだが、それにしてもカッコイイ。一体誰が考えて、誰が定着させるのだろうか。
俺はそんなことを思いながら、アワンを見る。その視線を理解したアワンは、僅かに顔を伏せた。
「私も欲しいです……」
どうやらアワンは、持たざるものだったらしい。
これは酷なことをしてしまった。俺はアワンの肩に手を置き、先達としての助言を授ける。
「精進するしかない。それが人に認められるということなのだから。お前が正しい心で、正しいことをしていれば、きっと報われる日がやって来る。そして異名を唱えられだした時、お前は今とは全く違うステージに到達していることだろう」
「ムメイさん……」
「あなた『ペット』よ?」
森の吸血鬼から、勇者のペット。成り上がったのか成り下がったのか微妙なところだが、確かに全くステージは違う。
少なくとも、俺に恥ずべき点はなかった。むしろ誇りに思うくらいだ。
「それで、どう思う? そろそろあなたの考えを聞かせてもらえない?」
「ん?」
そろそろおふざけはいいだろう――そんな空気で俺を見上げるのは、勇者だ。そんなルルワの空気に充てられるように、アワンの表情も引き締まる。
「はい。私たちには、ダソス側の狙いがいまいちよく分からなくて。ムメイさんに答えを教えて貰おうと思ったんです」
「とりわけ王が何を考えているのか、教えてほしいわ。私たちも観光気分ではいられないもの」
俺が答えを持っていると信じて疑っていない気配。そんな真っすぐな視線から、俺は目を逸らす。その先は、アクレミアたちだ。
「…………ここじゃまずいんじゃないか?」
先ほどから気づいていたが、何やら偉そうな男が一人増えている。もちろん態度ではなく、役職だ。
そして耳を済ませば分かるが、この周辺にはかなりの兵たちが集まっているようだった。おそらく軍によって封鎖されているのだろう。
暗に三人になれないかという俺の提案に、ルルワは首を振った。
「いえ、あなたは保護観察に近い扱いなの。この国ではもう一人にはなれないわ」
「…………なるほどね」
俺には24時間監視がつくということか。まあ妥当だ。
むしろ檻から出して本当にいいのかとすら俺は思う。
「「「…………」」」
この頑なな感じ、ルルワにはここで語って欲しい理由がそれ以外にもあるようだった。
その理由はさらにこちらを注視しだしたアクレミアと、途中合流したもう一人の男にあるのかもしれない。
いずれにせよ、これだけ注目、そして期待された状態では、適当なことは言えなかった。ましてや――
(分からんとか絶対言えん)
本当に困った。
全然分からん。




