第009話 悪魔の囁き
「ここだ」
巨大な山の麓に馬鹿でかい穴をくりぬいただけの拠点。
朝までいた場所が天然の洞窟とすれば、ここは人工の要塞だった。俺が一から手を加えたため、中は迷路のように入り組んでいる。まさにアリの巣であり、迷宮でもあるような拠点だ。
「良かった……無事辿り着けたわね。誰もいなくなったりしてない?」
ルルワの言葉は軽い口調だったか、実体が伴わないわけではない。
気が付いたら一人いなくなっていた――なんてことも十分にあり得ると、ルルワは思っているのだろう。正直俺もその心配をしていたが、間違ってもそんなセリフは口に出来なかった。なぜならこの状況化でそのセリフは、フラグ――それも真っ赤に染まった旗――を掲げるに等しい行為だと、根っからの日本人である俺には分かり切っているから。
しかし――
「大丈夫。全員いるみたいだ」
今回、お約束は約束されていなかった。
昨日は「必ず殺してやる!」とか言ってた「あ、こいつ死ぬな」と誰もが思うような奴からテンプレ通りに死んだというのに、これはどういうことなのか。やはり異世界では勝手が違うというのか。
俺はどこかに見落としたフラグが立っていないかと、全体を見渡す。分かったのは、やはり全員が無事にこの場へと辿り着いていることと、この場にいる人間の半数以上が、いなくなって欲しい対象を鋭く睨みつけていることだけだ。
俺は脳内に掲げられた、誰が掲げたかも分からないような赤旗に牙を立てて血抜きし、勝手に白旗へと変えておく。その白旗を掲げているのが俺であることは、もはや言葉にするまでもないことだった。
「ではどうしますか? まだ今日は時間の余裕もあります。このまま進みますか?」
ルルワの言葉は正しい。
今日は早朝から出発したこともあってか、それとルルワの体調も万全なこともあってか、凄まじいペースで森を進み、ここまでたどり着いた。
それは当初の想定よりもずっと早く、吸血鬼である俺をして、こいつら全員不死身なんじゃないかと疑うほど。
この視界も悪く、足場も悪いような獣道を、こうも易々と踏破できる人間たちがいるだろうか。もしも外の世界の人間の普通がこれなのであれば、魔王が7人もいて未だ滅ぼせていないのも納得というもの。
しかも騎士の一人は、仲間の遺体を背負ってここまでたどり着き、それでもなお殺意の瞳で吸血鬼を睨みつけている。戦闘民族か。
(こいつらたぶん……外じゃめっちゃ強い部類なんだろうな……)
「吸血鬼殿。森の出口までは、あとどれくらいだろうか?」
ルルワの質問への答えは、俺への質問だった。
「今日は30km以上歩いたから、残り20km弱くらい」
「今から進んで、日が落ち切るまでに辿り着ける場所はありそうかな?」
「ないな。この人数が休めそうな場所は、あとは出口の近くに一つだけ。夜間でもよければ、ギリギリ今日中にそこに行けるけど」
このペースなら、無理をすれば今日中の脱出も可能だろう。
心情的にも現実的にも、オススメはしないが。
「……そうか。では予定通り、今日はここで休むとしよう。逸らずとも、明日には全員無事に森を脱出できるんだ。無理をする必要はない」
「分かりました」
(…………フラグ)
分かりやす過ぎるフラグが立ち、そんなところに隠れていたのかと目を剥く。
やはり何かが起きるならば、これからということ。これは、今夜は俺も眠れないようだ。徹夜を覚悟しなければ。
俺が吸血鬼には絶対に必要のない類の覚悟を決めていると、アベルが再び質問してくる。もう話は終わったと思っていたので、意外だった。
「ところで……君が使っている能力について、改めて聞いてもいいかな?」
「いいよ」
「ありがとう。ルルワから軽く聞いたけど、感知能力があるみたいだね。それで我々のことも探し出したとか」
「うん」
「その能力は具体的に、どういう仕組みなのかな? できれば範囲や持続時間なんかを教えて貰いたい。その内容によっては、次起こり得る事件を未然に防げるかもしれないからね」
「…………」
アベルの言いたいことを理解した俺は、質問には答えずに、裏に隠された要求にだけ応える。
「分かった。今夜は一晩中、俺が見張っとくよ」
誰もが望んでいる答え。
そのはずだが、アベルは微妙な顔を浮かべた。
「…………効力はどの程度信頼できるんだろうか? 君のことを信用するためにも、我々が安心できるだけの具体的な根拠が欲しいんだが」
「今日ここに辿り着く間も、ちょくちょく能力は使ってた。危険な場所や、魔獣の住処なんかを避けるために」
論より証拠。百聞は一見に如かずだ。
ここに無事辿り着けていることが、何よりの証明。案内を完璧にこなせたという自負は、俺にもあった。
「確かに安全なルートであり、魔獣との遭遇も極端に少なかった。効果については信用するよ。だからこそ別の不安が生まれたんだが……その口ぶりでは、恒常的な能力ではないんだろう? 本当に一晩中可能なのか?」
俺の説明から、ずっと展開していたわけではないと汲み取ったようだ。そしてそれは、間違いではない。
可能不可能で言えば、<反教底位>の永続的な使用は――おそらくは可能だ。しかし前も言った通り、このスキルは精神的に凄くキツイ。
動きながら使用すれば、携帯端末の画面をずっと注視しながら歩かなければならないようなものだ。依存症の現代社会人には鼻で笑われそうな内容だが、こういうのは意識すると途端に苦しくなるもの。
だからさっきも無理のない範囲で使用していた。しかし今夜だけは、そうも言っていられないだろう。
「今夜くらいなら、全力で頑張れば大丈夫。たぶん、きっと、おそらく」
「もうちょっと、不安を隠す努力できなかった?」
そのやりとりを最後に、俺は今夜、ルルワと分かれることになる。
***
今夜は拠点2で休むこととなった、勇者と特に愉快でもない仲間たち一行。
その末席に加わることに成功した愉快な吸血鬼たる俺は、なぜか拠点の外に締め出されていた。
それも、特に愉快でもない仲間たちの中でも、最も愉快ではない男と共に。
「…………アガトス1」
「気安く呼ぶな。殺され……イチ?」
膝を抱えて蹲る俺を見下ろすのは、髭のおっさんであり、強面のおっさんでもある――アガトス1だった。オリジナルだから、1は要らなかった。
「俺の拠点なのに、なんで俺は拠点の外にいるんだろう。迷宮入りの謎じゃない? 俺はまだ迷宮に入れてもないけどさ」
「生かしてもらえているだけ、ありがたいと思え」
「もう死んでるよ?」
「…………」
剣を抜くのをギリギリで踏みとどまっているアガトスを尻目に、俺は考えをまとめる。
こんなことになっているのは、当然俺が”アガトス2殺人事件”の容疑者筆頭として名前が挙がっているからだ。というか名前は俺しか挙がっていない上に、アガトス2は名前を呼ばれていたような気もしたが、覚えていないのでこのままいかせてもらう。死人に口なしなので、彼も文句は言えないだろう。その理屈だと、俺は何も喋れないが。
話を戻せば、ルルワは当然これに反対してくれたが、結局はアベルの提案に従う形で納得した。まあ俺が彼らと共に夜を過ごすのは、この状況ではどうあっても難しい。ルルワとであればなおさらだ。波風立たせないようにするには、この形に収めるしかなかった。
まとめると、アベルとルルワの兄妹が同室、その警護をアガトス3とアガトス4が務め、外に締め出された俺と共にオリジナルのアガトスが入り口の見張りだ。
つまりは不眠の吸血鬼を加え、全アガトスが今夜、寝ずの番を勤めるということ。これで犯人がもし動けば、それはもう全国のアガトスを舐めているとしか言いようがない。死んでしまったアガトス2の分も、これを許すわけにはいかなかった。
「まあここ座りなよ。ちょっとお喋りしない? 心配しなくても何もしないから」
「野獣と交わす言葉などない」
「あっそ、じゃあ野獣好きな美女と喋ってこよ」
「まっ、待て! おい!!」
慌ててアガトスが剣を抜き、正面に回り込んでくる。
その表情には、酷く余裕が無かった。俺はそんなアガトスを、同情すら含んだ目で見てしまう。
なぜなら俺は、昼間の会話を全て聞いていたから。
「殿下! なぜです!? なぜ奴を――!!」
「どうか落ち着いてくれ、アガトス。このような状況だからこそ、我々は冷静でなければならない。違うかい?」
「……失礼しました、殿下。しかし私の考えは変わりません。今すぐに、奴を殺すべきです」
「殺す……か。その結論こそが最も愚策だと、私は思っている。仮に彼が犯人であったとしてもね」
「なっ……!」
「まあ聞いてくれ。彼を昨夜の殺人の犯人と仮定した場合、最も引っかかるのはやはり、彼の力なら我々全員を殺すことが簡単にできるということ。ならば一人ずつ狙う理由とは? まさか本当に昨夜のことに腹が立って殺したと? そうなると、他二人が見逃された理由は?」
「そんなもの、いくらでも考えられます。一人ずつ殺していくことを楽しんでいる。我々を疑心暗鬼に落とし込み、内部崩壊を企んでいる。そもそも相手は人外の吸血鬼。我々と思考回路が同じとも限りません。衝動的に人を殺さないと、誰が保証できましょうか?」
「後者に関しては全面的に同意するよ。十数年で完全に信頼関係を結んだと確信したペットに、飼い主が突然襲われて死亡する――なんて話は世にありふれているからね。私はそんな話を聞くたびに、当たり前だろうと、熊や虎に首輪をかけようとする馬鹿な人間たちを憐れむ。人の手に負えないものに触れれば、待ち受ける未来は破滅だけだ。早いか遅いかの違いでしかない」
「ならば――」
「だが前者は逆に、後者と矛盾しているよ。欲求に衝動的な生物だというならば、考えられないことだ。そもそも内部崩壊を目論んでいるというのなら、殺し自体が愚策だろう。人間が死んだ時、この中で彼以外の誰が疑われる? 現に、皆彼のことを犯人だと決めつけているじゃないか。君の中の吸血鬼という存在は、この状況を予測できないほど馬鹿なのかい? ならばなおさら、前者の考えとは大きく矛盾するね」
「…………」
「まあ元も子もないことを言うと、衝動的な殺人ならば人間も当てはまるというのが私の考えだけどね。その点で吸血鬼だけを例外とするのは利己的だよ。君だってついさっき、衝動的に剣を抜いただろう?」
「相手は化け物です! それも、吸血鬼ではありませんか!?」
「言いたいことも、気持ちも痛いほど分かるけどね。やはりこの状況だからこそ、我々がしっかりしなければならない。ルルワのためにも」
「姫様……」
「色々と言ったが、無論、私も彼を疑っているよ。というより、疑える対象が彼しかいないというべきか。だからこそ、やはりこれしか取れる手もないんだ」
「……というと?」
「最も愚かなのは、彼を犯人と断定し、一斉に斬りかかること。これは全滅が目に見えている。もし彼が犯人であったとしても、絶対にやるべきではない」
「次に愚かなのは、彼を追い出すこと。そうすれば、いつどこに潜んでいるともしれない彼の脅威に怯え続けなければならない。それくらいなら、目の届く距離にいて貰ったほうがいい。犯人が別にいた場合は、彼という存在は逆にこれ以上ないほど頼りになるからね」
「死人が出てしまった不安定なこの状況の打開案は、やはり森からの早期脱出しかない。しかしそれには、彼の力が必要不可欠。ここは伝説に名だたる還らずの森。元より五体満足で生還できるとは考えていないし、もはやそんな甘えが許される状況ではないよ」
「…………」
「はっきり言うよ、アガトス。仮に彼が犯人であったとしても、私は目を瞑る」
「本気ですか!? 吸血鬼に屈すると!?」
「ああ、頭を伏せてやり過ごすべきだ。それがここから出るための、唯一の手段」
「…………誇りはどうなります? ダソスの、王家の誇りは?」
「勘違いしているようだが、私は自分の命惜しさにこんなことを言っているわけではないよ。人類のためだ」
「人類?」
「そうだ。今後の人類にとって必要なのは、勇者である彼女。我々は所詮は箔付のお飾りに過ぎない。彼女さえ生きてこの森を出られるというのであれば、私はここで屍となる覚悟だ」
「殿下……」
「だが屍となる前に、私は悪魔にもならねばならない。吸血鬼に膝を屈し、生贄を差し出し、頭を低くして許しを請う。それが最善だ」
「……生贄? まさか……見過ごすのですか?」
「その通りだ。もはや何の犠牲もなく乗り切れる窮地ではない。ルルワ一人を森の外に出すために、我々はここで吸血鬼に殺される」
「私の……私の部下です……」
「私の部下でもある。王家に忠誠を誓った騎士として、諸君には最期の役目をここではたしてもらいたい」
「…………」
「人類の――未来のためだ」
「――アガトスさん」
まだ生きている部下を、守るのではなく、見捨てろという残酷な命令。
彼が今夜、俺の監視を自ら買って出たのは、少しでも部下が死ぬ可能性を減らす為だろう。
自分の、命を犠牲にして。
「あなたは悪魔と吸血鬼、どちらの言葉に耳を貸しますか?」
「なっ!? 聞こえて……」
だから俺は、会話を聞いていたことを隠さなかった。
人外の吸血鬼であることを、隠さなかった。
「試しに、吸血鬼のお喋りに付き合ってみないか? 悪魔に魂を売るのは、それを聞いてからでも遅くはないだろ?」
月の光も差し込まないような暗い森で、吸血鬼の赤き瞳だけが、妖しく光る。
それは確かに、人を魅せる魔の者の姿だった。
「まさか…………」
「うん。犯人、分かったからさ」




