第008話 迷森入りの難事件
第一発見者は、俺だった。
成り行きを簡単に説明すると、昨夜、俺はルルワの頼みにより、一晩中彼女の護衛を勤めていた。それも彼女の部屋の中、彼女が眠るベッドの脇で。
種族特性上眠ることができず、ついでにこの森で最も強い俺に白羽の矢が立つのは、一見理に適っているような気もする。が、眠る女が勇者で、さらに王女であるとなれば話は別だ。
俺が彼女の立場なら、吸血鬼を前にして呑気に眠れるだろうか。
しかも相手は昨日今日森でばったり出くわしたような野良吸血鬼で、女と見るや否や飛び掛かってきたようなセクハラ吸血鬼だ。改めて言語化してみると、何をやってんだと自分でも思う。客観的に見て不審すぎる。
だからこれは、俺が手を出して来ることを見越した罠なのではないか。俺が少しでもこの場を動こうものなら、たちまち目を覚まして斬りかかって来るんじゃないか。アガトス2と裏で共謀しているんじゃないか。
――とそんな疑心暗鬼に苛まれながら、俺は300年振りの女(無防備)を前にして、いつもの体育座りスタイルで悶々とした夜を過ごしたのだった。
翌日にはアガトス2から処刑されることは確定しているんだし、もういっそ襲っちまえよ。お前は吸血鬼なんだから、むしろそれが仕事だろ?――そんな天使と悪魔の同時攻撃に、しっかりと耳を傾けながら(傾けるな)。
まさにその夜は、時間にしておよそ300年くらいには長く感じだ。二度目の人生を全否定されたようだが、彼女の魅力は人間3人程度の人生を捧げる程度では割に合えないと考えれば納得も出来る。
そして体感時間で300年かけて天使と悪魔と勇者を同時に撃退した俺は、記念すべき朝を迎えたというわけだ。
そこからは、彼女が着替えるというので、俺は自発的に部屋を出ていった。昨日も後ろを向いているだけで良いと言われたのだが、紳士な吸血鬼たる俺は自分から出て行くのだ。紳士な吸血鬼たる俺は、部屋の外から耳を澄まして衣擦れの音を楽しむくらいに留めておいた。
そんなことをしている時だった。
それに気付いたのは、ほとんどたまたまだ。視界の端にチラっと映ったものを、なんだろうと思って通路を進んでいけば、足先が見え、下半身が見え、近づいてくごとにその全貌は明らかとなる。
そこに倒れていたのが、アガトス2だったというわけだ。
「…………」
干からびた死体を、見下ろす俺。
昨日まで元気に悪の吸血鬼へと立ち向かっていたアガトス2は、変わり果てた姿となっていた。
まるで太陽に焼かれたように、まるで全身の血を抜かれたかのように、干からびている。そう、まるで――
吸血鬼に、血を抜かれてしまったかのように。
(…………馬鹿な。ありえない)
動揺のままに立ち尽くし、呆然と見下ろすが、そんな場合ではないと我に返る。
すぐに膝をつき、脈と呼吸を確認したが、既にどちらもなかった。
完全に死んでしまっている。こうなってはもう、どうしようもない。
(俺に気付かれることなく……一体どうやって……)
「――うあぁぁ!!」
背後から、狂ったような音程。それは悲鳴でもあり、叫びでもあった。
気配には気づいていたが、俺は敢えて避けなかった。
背後からの不意打ち。剣の腹が確実に俺の首を捉えた瞬間、真っ二つに折れ、砕け散る。
それは当然、俺の首のことではない。
「なっ!?」
振り返ると、予想通り、そこにいたのは騎士の一人だった。
無防備な急所を攻撃したはずが、逆に破壊されてしまった剣を驚愕の表情で眺めている。だがすぐに二撃目を繰り出そうとする。どうしようもない情動が、逆に彼の行動を冴えたものにしているようだった。
しかし――
「何をしているの!? っ!?」
男の叫びと剣戟音を聞きつけやってきたのは、すぐ近くの部屋にいたルルワ。彼女は折れた剣を振りかぶる騎士と、倒れている死体を目にし、驚き目を見開くも、即座に状況を理解したようだった。
弾かれたように間に入り、騒動を鎮めようとする。しかしなんと、彼女が向かい合ったのは俺ではなく、騎士の方だった。
「待って! 待ちなさい!!」
「殿下!? なぜですか!? こいつがデュオを!!」
正直、俺も驚いた。
血が吸い付くされたような遺体の傍らには、吸血鬼の姿。この光景を見れば、むしろ人として正常な動きをしているのは騎士の方だ。少なくとも俺はそちらの方が納得できるし、共感もできる。
吸血鬼に無防備な背を向け、庇おうとしている女よりは。
「危険です!! そいつから離れてください!!」
「離れるのはあなたよ!! 下がりなさい!!」
主君を守ろうとする騎士と、化け物を守ろうとする姫。その対峙は、長くは続かなかった。
「姫様!!」
騒ぎを聞きつけた他の者達も、合流したからだ。
アガトスを先頭に、騎士、アベルの順でこの場へと加わる。これで、洞窟内の人間は全てここに集まった。
「デュオ!! まさか――!?」
俺の傍に転がる死体を確認した瞬間、アガトスが剣を抜き払う。それはまさに、鬼気。吸血鬼の俺をして、鬼の形相としか言い表せない、憤怒の表情。
「化け物が!! よくも俺の部下を!!」
「アガトス!!」
一般人では震えあがってしまうような、鍛えられた大の男の怒声と気配。しかし勇者は、その前に易々と躍り出る。
「姫様!? なにを――!?」
「全員、剣を収めなさい。これは命令です」
「なぜあなたが庇うのです! そいつは……そいつがデュオを!」
「彼じゃないからよ。無実の者を殺すことはできないわ」
緊迫した状況は、さらに興奮と混乱を加えることで、歯止めが効かなくなる。
「そいつです! 間違いない! 俺は昨日、こいつがデュオと言い争うところをこの目で見ている!」
「私も見ました! その逆恨みで殺したに違いありません!」
「ならその時殺されてるわ。あなたたちも一緒にね。わざわざ時間を空ける意味は?」
「そ、それは――!」
「その理屈なら、逆恨みで殺そうとしているのはむしろあなたたちの方。それを分かっているのかしら?」
ルルワの挑発的言動に、騎士たちの表情がまだらに染めあがる。
同胞の死への怒りが、仕えるべき主君に対しての無礼に変わろうという時――救いの手は差し伸べられた。
「――まあ、みんな一度落ち着こうか」
「殿下……」
後ろから歩み出た長身の男が、場の空気を変える。
「仲間の死に動転する気持ちは痛いほど分かるが、まずは何が起こったのか、事実確認からだよ。彼の処遇は、話しを聞いてからでも遅くはないだろう?」
***
深く、暗い森の中を、俺たちはひたすら進む。
本来はじっくりと策を練った上で、今後の動き方を決めていく予定だったらしいが、死人、それも不審死が出たことにより状況は一変。一刻も早く、森からの脱出を試みることとなった。
一番の容疑者、それもほぼ犯人確定というレベルの吸血鬼が、未だ人間のグループから追い払われていないのには理由がある。
先の洞窟から森の出口までは、最短でも50km以上の道のり。足場の悪い森の中では、一日でその距離を移動することは現実的に不可能。だから今日は、俺の知る拠点の中からちょうどいい位置にあるものを見繕い、そこを中継地として目指すこととなったのだ。
そしてそこまで辿り着くためには、この森をよく知る俺の案内が不可欠。
話に聞けば、ここは”還らずの森”とは別に、”迷いの森”などとも言われているらしい。どれだけ方向感覚の優れたものでも、必ず道を見失ってしまう樹海だとか。
だからなおのこと、脱出には俺の能力が必要なのだ。中継地点に俺の拠点を据えることも、そこまでの案内を俺に任せることも、彼らにとっては望んでいないことだろう。
だが、そんな苦肉の策を選択しなければならない程に、この森からの脱出は難しいとされているようだ。
(だから帰ってきた奴がいないなら、それを誰が伝えたんだよ……)
学ぶ気のないこの世界の学者に心の中で文句を言っていると、唐突に語り掛けられる。それも、予想外の切り口で。
「…………ごめんなさい」
「ん?」
振り向けば、少し後ろに、共にこの一行の先頭を任されているルルワの姿。
実際先頭を歩けと言われたのは俺だけだが、気を遣ってくれたのか、彼女もついてきた。少し遅れて騎士が一人、その後ろをアベルとアガトス、そして最後尾にまた騎士が一人という隊列だ。
松明を掲げる彼女は、火の明かりに反し、暗い表情で俯いている。
「…………気にしてない。自分の立場くらい分かってる」
「違うの」
吸血鬼だという理由だけで、一方的に犯人扱いしたことを言っているのだろう。庇った側であるルルワが謝ることではないが、彼女の性格的にそれが最もあり得そうだった。
だから続いて明かされた謝罪の理由には、素直に驚いた。
「私も、ほんとは迷ってるの」
「…………」
「あなたが犯人なら、まず私が死んでいないとおかしい。そもそも、あなたの力なら、私たち全員を簡単に殺せるはず。一人ずつ殺す意味なんてないし、今だって殺されていないのはおかしい。そうでしょう?」
「…………」
「けど、あなたが吸血鬼ということも事実。どうしても疑ってしまう自分がいる。そういう意味じゃ、アガトスたちのことを責められないわ。いえ、むしろあの場で最も責められるべきは私。だって……」
「…………」
「迷いながら、あなたを庇っていたんだから」
「……………………」
その告白は、嘘偽りない彼女の本心だと直感した。
そして彼女が初めて見せた、年相応の姿。部下の死に何も感じていないはずもなく、彼女の心も弱っているのだと悟った。
内容については、やはり信用されていなかったと多少傷つくが、どこか安心する自分もいる。無償の信頼など胡散臭い。狂信など望むべくもない。だからこそ逆に、彼女の本音はいい意味でも悪い意味でも、俺の心に響いた。
(迷いの森……か……)
言い得て妙。まさに迷いの森であり、還らずの森でもある。
この世界の学者に敬意を抱く日がくるとは、思ってもいなかった。
「やっぱり、ちょっと気にしてる」
「そう……よね」
俺は前言を撤回し、本音を口にする。
彼女が本心を晒してくれたのだから、こちらも多少は心を晒すべきだと。
「でも、迷ってるってことは、信じようとしてくれてるってことだろ? 今の言葉を聞いてむしろ安心した。ちょっと頭がアレな子だとずっと思ってたから。庇ってくれたことは嬉しかったけどね」
得体の知れない森にいた、得体の知れない吸血鬼。
俺が彼女なら、信じられただろうか。信じようと思っただろうか。
「…………私のこと、そんなふうに思ってたの?」
「今もちょっと思ってる」
「…………」
吸血鬼なりに彼女を元気づけようとしてみたのだが、視線は鋭い。俺は馬鹿なフリをして、彼女の視線から逃げた。
俺たちは初めて、互いの素顔を見せたのだろう。それはほんの少しだったのかもしれないが、その一瞬だけは、確かに心が通じたと思った。
「そう。一応聞いておくけど、本当にあなたじゃないのよね?」
「俺じゃないな」
当然やっていないので、俺は平然と答える。
「なら昨日、私の下着が無くなってたんだけど、それもあなたじゃない?」
「おおお俺じゃない! やってない! ほ、ほ、本当です! 信じてください!」
誓ってやっていないので、俺は全力で否定する。
「なんで無実でそんなに狼狽えられるのよ。別に無くなってないから」
「…………」
くすくすと、悪戯が成功した子供のような笑みを見せるルルワ。どうやらハメられたらしいが、俺は元気になってよかった――くらいにしか思わなかった。
他に思ったことを強いてあげるなら――
下着が無くなってなくて、本当によかった。




