第087話 魔女裁判(3)
「――峠越?」
話の流れからして異名なのだろうが、アワンは聞いたことがない。
そもそも前提の話からしてアワンが知るものとは違った。
「ルコス勢力の崩壊は、内部分裂が原因では?」
アワンの知る情報では、そうだ。
今からおよそ300年前に誕生した、災厄の魔王――ルコス。彼がたった百年という短い年月で世界征服を成し遂げた時期を、魔の100年と呼ぶ。
字の通り、魔に支配された100年だからだ。世界が支配されたのは後にも先にもこの一回のみ。
しかし世界統一を成し遂げたその年に、ルコスが失踪。
絶対的頂点を失った魔の者達は、次なる頂点の座を巡って争い合い――時代の花形ルコス勢力は、崩壊の憂き目にあった。これがアワンの知る歴史だ。
「間違いではない。その内部崩壊を誘発したのも、奴だったという話だ」
アワンは口を閉ざし、今は話を聞くことに集中する。それは純粋な興味心でもあった。
「当時世界を手中に収めたルコス勢力は、魔王ルコスを筆頭に完全な一枚岩だったとされている。12使徒、40試練と今も呼称されているそれら強者の枠組みは、元は奴の配下――強力な幹部たちを指し示すものだったそうだ」
一勢力に、勇者を超える脅威――使徒が12人。壁を越えた怪物たち――試練が40人。
世界も征服するはずだ。今は7人の魔王や12使徒が徒党を組んでいないからこそ脅威が分散されているが、これが一つにまとまった場合は、本当に人類は終わりだろう。こちらは曲がりなりにも団結してなんとか均衡を保てているのだから。
「しかし、絶対的頂点ルコスは突然の失踪。12使徒の1人が消されたのは、それから僅か三日後のことだった」
「っ!?」
気付けばアワンは、話に聞き入っていた。
まるで神話や英雄譚を耳にしているような気分。歴史の話が元より好きなこともあって、傾聴にも本腰が入る。
そんなアワンの姿に感化されるように、カロスの語りのキレも増していった。
「ルコスがいなくなった途端にこの事件だ。誰もが身内の裏切りを警戒した。そして3週間足らずで二人目の使徒が消された時、警戒は厳戒に変わる」
たった一月足らずで使徒を二人。ムメイの現在の功績にも比肩する。
考えてみれば時代が違うのだ。その時々に強者が出現することもおかしな話ではないが、ムメイに匹敵する強者が魔王以外にいたとは、よくよく実感が湧かなかった。
「残った10人の使徒たちは、これを機に完全に対立。裏切り者の存在を警戒して争い合うようになる。その間にも使徒は次々に落とされていき……残りが7名となったところで、南領域へ帰る者が出始めた。見えない何かから逃げるようにな」
世界を征服した軍団だ。
これにちょっかいを掛けるような者が外部にいるとは、中々考えられない。それも、12使徒に勝てるような者と限定されれば、当然疑いは同じ12使徒に向かうことだろう。裏切り者の存在を確信するのは、当たり前だった。
そしてアワンは、答えに辿り着く。その裏切り者こそが、峠越なのだと。
「最終的に北領域へと残った使徒は二名。たった30年でルコス勢力のほとんどを北から追い返してしまった男は、その時になってようやく姿を現した」
「その二人の内の一人が、峠越だったんですね?」
「違う」
「……え?」
それ以外にないと確信していた答えが、まさかの誤答だった。
まるで2マイナス1に1と答え、間違いだと突き返されたような気分に、アワンは呆気にとられる。そして取り繕うように、誤答を自ら正した。
「ではその二人の使徒の内どちらかと、峠越は通じていたということですか?」
「違うな」
「…………」
2-1=1と正確な数式に正してもう一度トライしてみるが、結果は同じだった。
なぜなら、そもそも引き算が必要なかったから。
「残った二人に対し、奴はこともなげに言ったそうだ。『裏切り者なんていない』と」
「っ!!」
衝撃の事実に、アワンは動揺も隠せず面食らう。
この室内にこの話を知らない者はアワン一人のようだったが、誰もがその姿を笑わなかった。むしろ共感するような空気さえ感じる。
「全ては奴一人の仕業だった。奴はたった一人で、初代にして最強と言われていた12使徒のうち、5人を殺した」
「…………」
不可能だ。
アワンの率直にして絶対の感情は、それだった。
12使徒を殺した。これは各個撃破を狙えば不可能ではないように思える。実際ムメイは一対一の戦いで二人下した。彼の強さなら、おそらく一騎討ちという形であれば数は関係ない。峠越もムメイに近い実力だったと仮定すれば、無双とも言えない。むしろ正当な戦いによって実力を示した結果。
しかしここに、敵勢力が一枚岩だったという前提が加わると、途端に難易度が変わってくる。
そもそも一騎討ちで使徒を下すこと自体難しいことだが、相手が組織だというのであれば――内部の協力者もなしに、組織の内情も全く知らずに、そんなことができるはずがない。
どうやって一騎討ちの形に持って行くというのか。裏切り者という種で不信感を煽ったとしても、12使徒の各個撃破を狙うのは簡単なことではない。
ここにきて、アワンは情報のそもそもの信憑性を疑い出す。話が盛られていると。
神話や英雄譚には必ず付きまとう問題だが、脚色、もはや捏造というレベルに話が捻じ曲げられている。
「残った二人の使徒――当時既に魔王の一人に数えられていた誘惑のオピス、そして最強の魔人イコラオスと峠越の戦いで、この物語の幕は閉じる。その戦いのみを見れば峠越の進撃は止められたが、結果を見れば奴一人の完勝だ。この北領域から、魔の者達を完全に追い払ってみせたのだからな」
200年前、世界統一を果たしたルコス勢力。ならばなぜ現代勢力は大陸南北で綺麗に二分されているのか――この謎は白熱の議論の的だった。
その中で最も信じられていたのが、カリスマ的支配者ルコスが消えたことによる内部崩壊。使徒同士の苛烈な権力闘争によってルコス勢力は大幅に弱体化したのだと。
アワンもこの説を長年信じていたが、今回の話によって全く事情が変わってくる。まるで情報が補強されたようだったが、アワンは全く別の印象を抱いた。むしろこれまで信じていた説の方が、よっぽどマシだったと思うほどに。
既に魔王とされていた者まで、ルコス時代には使徒の1人。
歴代最強と言われるのも納得の大勢力。そんな使徒を単騎で5人、果ては勢力そのものを瓦解させた。やはりあり得ない。そんな物語のような無双が個人でできるはずがない。
(ムメイさんなら……できるのかな?)
なんかやれそうだし、やりそうな気もする。
本人に聞けば全力で首を振るようなことをアワンが考えていた頃、話はようやく本題へと入った。
「分かるか? 結果だけ見れば確かに人類の利となっているが、それと胸襟を開けるかはまた別の問題だ」
「なぜでしょうか? 今の話は、むしろ私の主張を後押しするものと思いますが?」
異種族でも、人間に手を貸す者が過去にいた。それも、人類の致命的危機を救った英雄だ。彼がいなければ、まだ魔の時代は続いていたということなのだから。
「簡単だ。今日まで170年間、奴は一度として人類に手を貸していないからだ」
「え?」
アワンは聞こえてきた言葉に、耳を疑った。
峠越が手を貸したのはその一回限り――そんなことではない。そんなものでは済まない信じがたい事実を、耳にして。
「…………まさか」
今日まで。
つまりは――
「ああ……奴はまだ、生きている」
***
「生きて……る? 200年?」
「異種族だと言ったろう? 奴はその中でも、長寿の種族だ」
当時のルコス勢力を壊滅に追いやった男が、今も生きている。
その情報を耳にした時、アワンは驚きではなく、怒りを抱いた。そして突き動かされるように、テーブルを叩き、立ち上がる。
「なぜ協力を要請しないのですか!!」
他国にそれほど重大な情報を隠した上で、人類のために動いていない。
そんなダソス王家の怠慢に、アワンは瞬間的な怒りを抱いた。だがそんな反応は織り込み済みとばかりに、カロスは冷静に言葉を返す。
「したさ、何度もな。だが反応は芳しくないどころか、相手にもされない。人類の未来など知らぬ存ぜぬとばかりだ」
「…………どういうことなんですか? 人類が危機だからこそ、手を貸してくれたのでは?」
タイミングとしてはそうとしか思えない。
ルコスが世界を支配し、彼が消えた直後を狙いすましたように動き出した。歴史を変えるほどの結果を見ても、人間を救うために立ち上がった英雄――誰もがそう見做すはず。しかし――
「奴の行動原理を測ることはできない。だから気まぐれだと言ったんだ」
「強いて言えば、興味本位だろうな」
「…………」
ダソス王の捕捉に、アワンはさらに理解から遠のく。
気まぐれに、世界最強勢力を敵に回したというのか。ただの興味関心で。
やはりあり得ない。そんな者がいたとすれば、常軌を逸した狂人だ。人間には理解できない化け物だ。
「奴は誰の下にもつかない。何人にも縛られない。常に歴史の影に隠れているが、その力は間違いなく北勢力最強」
「…………」
否定の言葉は出せなかった。
チラリとルルワの様子を確認してみるが、彼女も反論があるような気配ではない。
(ムメイさんより強いの? だからまだ人類は滅びていない?)
そんな者が北領域にいるのだとしたら、7人の魔王が慎重になるのも頷ける。この国が吸血鬼に滅ぼしかけられた歴史に怯えているように、南領域にとって峠越の存在は恐怖の対象になっているかもしれないからだ。
そんな考察を行いながら、アワンは根拠――証拠を要求する。自分は証拠を提示できない癖に相手には証拠を求めることに、内心苦笑しながら。
「なぜ今も生きていると? 根拠は?」
アワンの問いに、再びカロスは王の方へと視線をやる。伺うようなその態度は、事前に話が通っていたことの何よりの証明だ。
おそらくこれまでの話し合いは、全て準備済みで、あちらの予定通りに進んでいるということだろう。
ならばここからが、ムメイの所在にない今後の話だ。ムメイをどうするかの話をすっ飛ばして次に移っていいのかと当たり前の懸念を抱くが、蒸し返しても言えることはもうないので、アワンは大人しく進行に従った。
「我々ダソスが唯一、峠越とコンタクトを取れる国だからだ」
「っ!」
2000年以上の歴史ある大国。嘘ではないような気がした。
こんなところで見栄を張るメリットもないし、王前で弱みを見せるほど馬鹿ではないだろう。
「中でもアベルは気に入られていたのか、ダソスの長い歴史を振り返っても、峠越と密にやり取りしていた唯一の人間だった」
「…………」
ダソス王の言葉は惜しむような感情は全く感じさせないものだったが、臣下たちの気配を見れば分かる。アベルという男は、その強さに関係なく、人類に必要な人間だったのだと。
「もし今回の大遠征を成功させた暁には、手を貸すという約束を取り付けるまでに至っていたようだ。歴史的な前進となるはずだった」
もうすぐ協力体制を確立できそうだったその時、アベルの死。これで消沈しない者はいないだろう。今初めて事情を聞いたアワンですら、肩を落としたほどだ。そこまで具体的な話が進んでいたとは思わなかった。
「だが、まだ希望がないわけではない。曲がりなりにも友誼を深めていた者の死だ。峠越が動くことに賭け、アベルの死を正式に公表する。奴の戦力を頼れるかどうかで、今後の我々の動きも変わって来るからな」
これまでひた隠しにしていたアベル・シェメシュの死を世界に公表。
それで峠越の動きを誘うということだろう。流石に吸血鬼が殺したという真実を発表するほど馬鹿ではないはずだ。そうなれば、峠越とムメイという北領域きっての大戦力が潰し合う可能性も出てくる。
だが魔王の手によって死したと情報を曲げれば、上手く峠越のヘイトをあちら側に向けられるかもしれない。実際魔王の一人が関わっているのだから、完全な嘘でもなかった。
「なるほど……だからより慎重を期すと」
「話が早くて助かるな。もし峠越の協力を取り付けることができれば、我々は強大な異種族二人の手綱を握る必要に駆られる。ならばせめて片方だけでも、最低限の安全を確保しておきたいと思うのは、人の心理としておかしいかな?」
「いえ、当然のことです」
一人でも手に余るというのに、二人。
この事情があるのなら、確かに吸血鬼に対する過去とは関係なしに厄介だ。ダソスがピリピリしていたことも頷ける。
しかしもし、この二人を完全に手懐けることができれば、それは確かな反撃の狼煙となることだろう。
「我々は今、アベルを筆頭に戦力を失い過ぎている。しかしこの絶好の機を前に手をこまねくような愚は犯さぬ。今あるだけ力をかき集め、乾坤一擲の博打に出る。それしか勝機はない」
「…………」
力を蓄えた方がいいのではないか――アワンはそう思うが、ダソス王の考えも間違いとは言い切れない。
あちら側としても、度重なる12使徒の陥落は手に余る情報のはず。おそらく向こうでは何が起こっているのか全く分かっていない。ムメイという怪物の存在とその強さを、あちらは知らないのだ。
唯一懸念があるとすれば、ユウキが魔王オピスに情報を送ったことだが、これは恐らく南領域全域には伝わっていないと考えられる。ルコス勢力が内部崩壊で瓦解したという過去があるのだ。密接な協力関係を結んでいるとは考えずらい。
そしてここに峠越という強者が加われば、勇者の守りはまさに鉄壁。南勢力はさらなる混乱の渦に叩き落とされることだろう。
確かにこの駒が揃う見込みがあるのなら、動きは早い方が良い。時間が経てば経つほどに、ムメイの情報があちらに伝わるリスクは高まるのだから。
「まずは西からだ。西方の英雄セト・コハヴ率いる軍と合流し、これを押し返す。彼の協力も得られれば、逆にこちらから攻め入ることも不可能ではなくなるだろう」
知名度としてはルルワの名に匹敵する名前だ。
セトなる男が率いるパーティは、ウェーゲナー大河を超えてきた勢力をまさに水際で食い止めている。試練の一人を打ち破った実績もある、確かな実力を持った者達。
12使徒を立て続けに落としたことで、アワンも所属する勇者ルルワのパーティが知名度、貢献度共にトップに躍り出たが、それまではルルワよりも彼らの方がやや注目されていたほどだ。
確かに協力を得るには理想的な戦場。コイラスにはケインもいる。各地の英雄たちが結集すれば、決して夢物語ではないような気がした。
「勇者ルルワ・シェメシュ。この判断をどう思う?」
それは、父から娘へではない。王から勇者への言葉だった。
ルルワは静かに立ち上がり、背を正す。その姿は、一本に立った剣を思わせた。
「異存はありません」
それが前置きであることは、やはり会話に慣れている者であればすぐにわかること。現に、予定調和のように、彼女の言葉は続いた。
「が、そこにムメイ・ヤレーアハの名が連ならないのであれば、私は降ります。博打にもならない負け戦に、付き合うつもりはありません」
「…………」
勝ち目がないと断言する姿を、アワンは大げさとは思わなかった。
確かに今のままでは博打。いや、ムメイの力が加わったとしても博打なのだ。ならばムメイ、そして峠越という異種族たちが加わることによって、例え人類崩壊のリスクが発生するとしても、これを呑みこんだ方が賢い。結果的に博打には違いないのだから。というより、もはやそんなことを言っている場合ではない。なりふり構っていられるほどの余裕は、もう人類にはないのだから。
そして結果に希望が見込めるのは、やはりムメイだ。アワンから見ても、私情抜きに彼の力は不可欠だった。
「なるほど。ではその作戦の是非とは無関係に、吸血鬼の使役を許さないと言えば?」
鋼のような銀の瞳が、ルルワを射抜く。
彼女の全てを見定めんとする瞳。しかしルルワは、同じ瞳でこれを相殺した。
そして、はっきりと己が意志を示す。勇者の意志を。
「その時は、私はこの国と決別する覚悟です。国家への帰属がなくなろうとも……人を救う意志さえあれば、勇者はできますから」
「…………そうか」
それは、国がやることを自分でやるという宣言に他ならない。
他国への支援要請、戦力の補充、方針の決定、それらを自分一人でやると。勇者という称号はあれど、社会的な影響力が低いルルワではまだ難しく、現実的ではない。一国と一個人ではやはりできることが違う。
だがルルワの宣言は、子供じみた開き直りではないと、アワンには分かっていた。
彼女は確信しているのだ。それほどに、ムメイという男は人類の勝利に無くてはならない存在だと。
私情ではない。彼女は勇者として、勝つ可能性が高い道を選んだのだと。
「…………よく分かった」
王は観念するように瞳を伏せ、数秒押し黙る。
それは内心を隠すような、瞳に映った感情をリセットするような仕草に見えた。
そして――
「ならば、ムメイ・ヤレーアハを解放としよう」
「「っ!?」」
次に目が開かれた時、王の口から飛び出た発言は信じられないものだった。
アワンは得体の知れないものを見るように、ダソス王を凝視する。一国の王に対しあまりに不敬なそんな視線にも、王は動じなかった。むしろ仮面のような無表情で、補足の言葉を続ける。
「元より臨時監察拘留だ。監察期間も予め、7時間と定めていた。そうだな?」
「その通りです」
同意するように頭を下げたカロスが、静かに着席する。
つまりここにいる者達は、全員それを知っていたということ。いよいよ意味が分からない。
(どういうこと? 一体何が起きているの?)
アワンからしてみれば、話は全く進んでいない。
それともルルワの脅しのような宣言が決定打となったというのか。釈然としない話だ。
いいのか、そんなに簡単に釈放して。いや、最初から解放する予定だったのなら、なぜ捕まえたのか。なぜこんな仰々しい話し合いが行われたのか。
アワンは脳と精神に同時攻撃を受けながら、もはや現実逃避の領域に足を踏み込む。素直な感情を言えば、もう考えるのは疲れた。
「ただし条件付き釈放、ならびに保護観察という扱いとなる。条件を飲めない、もしくは問題が起こるようなら即再拘束という運びとなるだろう。異論は?」
「ありません。条件を」
(もういいや……ムメイさんに聞こ……)
坂を転げ落ちていくように進んでいく話。そして淡々と進む親子のやりとりに、アワンはようやく、全ての思考を放棄する。
何が起こっているのかは全く分からないが、ムメイが出てくるというのなら、これ以上に喜ばしいことはない。
そしてこの国で何が起こっているのかは、ムメイに聞けばいいだろう。彼ならアワンには終ぞ見えなかった王の考えも、容易く見抜いてくれるはずだ。
あまりに消化不良、あまりに釈然としない形で、こうして会議は終わる。
本当に何がしたかったのは、アワンにはさっぱり分からなかった。




