第085話 魔女裁判(1)
――ダソス。
実に2000年以上の歴史を誇るこの大国こそが、勇者ルルワ生誕の地。
大陸を上下に分断するアルフレート大山のすぐ麓にあるこの国は、当然ながら南領域の脅威に最も近い国の一つとされる。
極寒の冷気に耐性を持つ種族やモンスターは山を下りてくることがあり、その多くが最前線レスト大要塞で駆逐されるものの、すり抜けたあぶれの対処はこの国に一任されるからだ。
だからこそ、ダソスには強者が集まる傾向にある。特に怪物退治を専門とする荒くれ者達――冒険者は日々牙を研ぎ、しのぎを削り合う。弱肉強食、強さこそ正義であるこの国の特色が、さらなる強者を引き寄せるのだ。
攻略されたウェーゲナー大河と、落とされた大要塞ナイルの現状を思えば、かのグランド要塞に並ぶほどの重要地点。
そんな国に今、勇者は帰った。
「――揃ったようだな。始めようか」
ルルワが不承不承の着席を済ますと同時、それを皮肉るように足早な開始宣言。
ルルワもいよいよ苛立ちを隠すことなく、腕を組み、足を組み、不満――いや不快を全身全霊で表わす。
しかしそんな態度もどこ吹く風――小娘の癇癪と軽く受け流した面々は、会議の始まりを逸る心も隠さずに迎えた。
それは、ルルワたち勇者一行がこの国に到着して、僅か一時間のこと。あまりに性急、いや緊急の集まり。しかしそれは、ルルワたちに限った。
「陛下、発言よろしいでしょうか」
「不要。慣例通り、思いのままに発言せよ。つまらぬおべっかは時間の無駄だ」
「畏まりました」
立ち上がりもせず声をあげたのは、若い男。
王が腰かける円卓に同席を許されている時点で、ただ人ではないことが分かるが、その男はあまりに若すぎた。
しかしその外見とは裏腹に、態度や纏う空気に若さ――いや青臭さは感じられない。むしろ発言に反し、自分はこの場に座っていて当然、発言が許されて当然とばかりの自信が透けて見える。
そんな男が鷲の如き目つきで睨みつけたのは、本来友好を形作るはずの円卓、その向かいに座るルルワたちだった。
穏やかではない予感。そもそもルルワの態度からして波を引き寄せているのだから、穏やかになるはずもないが。
「始める前に、所在を改める必要があるのでは? それとも……円卓の意味を改めますか?」
「…………」
ルルワは銀の瞳に氷のような鋭さを宿す。睨みつけるは、当然向かいの男だ。
彼に対しては同情と、多大なる罪悪感を持っていたルルワだったが、そんなものは瞬時に吹き飛んだ。
なぜなら彼の発言は、仲間の侮辱――それ以外になかったからである。
所在を改めるとは、ルルワの隣に座す見ず知らずの少女を紹介してくれ――という意味ではない。彼女を移動させろという意味だ。つまりこの場に相応しくないから摘まみ出せと言っているに等しい。
円卓への着席は平等と親睦を表す。上下関係を意識せず、自由な意見交換を促進するために整えられた場。そこから移動させろというのは、明確に下と見做している何よりの証だ。
かなりストレートな挑発。皮肉にすらなっていない。少なくとも、友好的でないことは明らかだった。
しかし立ちあがっての抗議も当然の暴言に、ルルワは答えを返さない。
それはルルワの役目ではないと、分かっていたからだ。
「ヴェールが見当たらないようですね。大事な方にでも贈られましたか?」
「――っっ!!」
彼とは異なり、発言の許可すらなく王前で口を開いたのは、ルルワの隣に座す少女。
背筋をピンと伸ばし、表情もなくそこに腰掛ける姿は、彼女の整った顔立ちも相まって人形のようだ。しかしその金の瞳には、静かなる激情を湛えている。
アワン・ラーヘル。勇者の新しい仲間は、勇者に庇護されるだけの存在と見做されることは許さないとばかりに、自ら口を開く。
そんな彼女の発言に、十数人の人間が腰かける円卓は――大きく揺らいだ。その内容が、あまりに物騒かつ過激なものであったからだ。しかし、彼女はその程度では済ませない。
「それとも魔に攫われましたか? いずれにせよ、冠を持っていかれる日も近いようです」
「「「…………」」」
その光景は、まさに絶句だ。
大の男たちが皆一様に息を飲む姿は、いっそこちらが緊張するほど。
しかしそんな光景を前に、アワンはニコリと微笑む。
ルルワは内心戦々恐々としながらも、釣られるようにニヤリと笑みを浮かべた。
ダソスの国旗は、広大な森を模したものとなる。
その中心には不死鳥がおり、冠、王笏、ヴェール、三つの重要なアイテムを纏うことで国のシンボルが完成する。
もちろん何の意味もないということはなく、不死鳥は王家の繁栄、冠は王家の権威、王笏は誇り、そしてヴェールは慎みをそれぞれ表すのだ。
これを踏まえた上で先のアワンの発言を要約すると、こうなる。「慎みが見えねえけど、女にでもやった? それとも敵に盗まれちゃった? じゃあ冠が取られる日も近そうだね。部下を見れば王の程度も知れるってもんですわ。ダソスおわた~」――と。
当たり前だが、これはかなり挑戦的発言だ。国の象徴たる国旗を持ち出した悪口は、最大級の侮辱に値する。抜き身の刃を隠しもしないどころか、王の顔面に泥を投げつけるが如き行為。
この姿から、アワンもどれだけ頭にきているのかがよく分かる。が、正直やりすぎだ。
勇者の仲間として舐められないようにとの意図もあったのだろうが、敵に回さなくていい人間まで怒らせてしまっている。
(言われっぱなしで黙り込むよりは、マシなのかしら……)
ルルワは妹分の暴走を前に、冷静にならざるを得ない。
ムメイはいつもこんな気持ちだったのかとしみじみ感じながら。もしムメイがここにいた場合は、確実に暴れ馬は二人になっていただろうなと他人事のように思いながら。言うまでもないことだが、加わる馬はムメイではない。
「…………どうやら、まだ礼儀というものを知る年ではないらしい」
「時間の無駄ですから」
ルルワが自分の代わりに暴れる者の存在で冷静になっている間にも、彼女は止まらない。表情をまだらに染め上げる男の皮肉に、むしろ獲物が網にかかったとばかりに答えを返す。
表情はやはり無関心のようなすまし顔だったが、「礼儀はいらんってさっきお前の王が言ってただろうがば~か! べろべろば~!」と、ルルワには聞こえた。開幕からキレッキレである。
そんなアワンの切れ味の鋭さに、男は苦虫を噛みつぶすような表情で押し黙る。アワンの発言は確かに行き過ぎているが、落としどころが非常に上手かった。
王の、ここでは思いのままに発言していい――という宣言を引き合いに出し、ここのルールに従ったまでだと示したのだ。こう言われると、正攻法での反論は難しい。
「ふふふっ……頼もしいのですね。アントローポス卿を言い負かすそのお方に興味が湧きました。お姉様、ご紹介いただいても?」
喧嘩を売っておいてコテンパンに叩きのめされる――そんな男に助け舟を出したのは、この円卓に座す4勢力のうちの一つ、神殿勢力のトップである少女だ。
彼女一人が、この殺伐とした室内に似合わない独特の雰囲気を纏っている。ここでは孤立した勢力であるルルワとアワンに対しても、彼女だけは友好的な空気を隠しもしなかった。
アクレミア・シェメシュ。ルルワの妹だ。
ルルワはここばかりは背を正し、堂々たる態度で彼女を紹介する。
「私の新しい仲間、その内の一人です。名はアワン・ラーヘル。人類のため、苦難の道に身を投じることを決意してくれました」
「お見知りおきを」
先とは異なる種類のどよめきが、部屋を満たす。
平静たる態度を崩さなかったのは、各勢力のトップ――ダソス王、アントローポス卿、そしてアクレミアの三名のみ。その姿から、彼らは察していたのだと伺える。
コイラスで起こった事件を思えば、推測自体はそう難しくはない。そもそも誰とも知らぬ者を王の御前に出すわけがないのだ。彼女がここにいる時点で、王がその身元を保証したと同義。
アントローポス卿の発言は、アワンの素性を理解した上でということになるだろう。彼はそれでも、この場に相応しくないと判断した。
「アダ・コロノスの……」
「よせ」
「エバ・ラーヘルが手放したのか? 一体どうなっている?」
「コイラス王のお考えは……」
コイラスが誇る大英雄――アダ・コロノスの名は、地に落ちてなお絶大な影響力を持つ。さらに勇者の血であり、人類の最重要拠点を守る3人のうちの1人――エバ・ラーヘル。彼女の名も、決して無視はできない。
アワンという少女は、実は次世代を担う若手として、各国からかなり注目されていた。それほど彼女の背後に見える二人の影は、世界も無視できないものだった。
「陛下より国書を預かっております。今この場でお渡ししても?」
「無論」
アワンの言葉に鼻白むのは、やはりアントローポス卿だ。
正式な王の使者。それも国書を預けられるほどの重要な使者を追い出そうとしたのだから、当然の反応。
アワンもこのタイミングで持ち出すとは、いい性格をしている。やはり相当ムカついているようだと、ルルワは妹の大立ち回りをどこか他人事で楽しんだ。現実逃避とも言う。
アワンが立ち上がると同時、王の指示で宰相がわざわざ足を運ぶ。アワンに持ってこさせることなどあり得ないが、まさか国書とはいえ、宰相位を持つ者に向かわせるとはルルワも予想外だった。
しかし体裁を取るのはそこまで。ダソス王は受け取った手紙にその場で目を通すと、素早く確認を終え、もはや用はないとばかりに宰相へと返す。
相変わらずの実利重視。完全実力主義のこの国の特色はルルワも好むところだったが、それとこの父を好むかどうかはまた別の話だ。王としては尊敬しているが、正直ルルワはあまり好きではなかった。
「近日中にコイラス王から各国へ、声明が出される。この決定に異を唱える国はまずあるまい。かのエバ・ラーヘルの娘であり、到達者の一人とあってはな」
この会議が始まって短い時間で、もう何度目だろうか、室内が大きく揺れるのは。
それほどの動揺と比例するだけの注目が、アワンへと集まる。一身に集まる視線にも、アワンは動じなかった。むしろ慎みのヴェールに覆われた胸を張り、勇者の仲間としての威厳を示す。どうやらこの国からヴェールを奪った魔は彼女だったようだ。
「まさか、この若さで……」
「流石はかの勇者の血ですね」
二勢力のトップの言葉に、ルルワは内心苦笑を溢す。お前らどの口で言ってんだと。
だが考えてみれば、壁に到達している者は現状若い者が多い気がする。コイラスではケインとナトゥの二人。そしてこの国にいる、いやこの場にいる3人の到達者に至っては、全員が10代だ。あまりに若すぎる。
17歳という若さで壁を越えた達成者――ルルワは、どの口で言ってんだという姿なきツッコミを無視し、現実へと帰った。
まずは彼女の存在を正式に認めさせるために、釘を刺しておかなければなるまいと。
「彼女は先日の戦いに貢献した者の一人でもあります。大陸に名立たる12使徒の1人を、打ち滅ぼす戦いに」
ルルワは実の父――ダソス王へと睨みつけるように視線を飛ばす。
彼は静かに頷き、アワンへと言葉をかけた。
「そのようだな。我が臣下の無礼、私から謝罪しよう。この国は強者を尊重する。貴女がこの場に同席することに、もはや文句を唱えられる者はいまい」
アワンから謝罪の言葉はなく、彼女は軽く頭を下げることで了承とした。
ダソスでは、身分や年は関係ない。実力があれば平民だろうが若僧だろうが成り上がれ、然るべき役職を与えられれば、王と対等に口を利くことさえ許される。
無論一国の王という地位への敬意は欠かさないが、それは国で一番優秀と見做された男への配慮でしかない。つまりそれもまた、実力への正当な評価というわけだ。
だからこそこの場では、アワンが元公爵家の令嬢であることも、王家の血を引くということも、アダの娘であることもエバの娘であることも、関係ない。あくまで壁への到達者という実力のみが評価される。
12使徒を屠る戦いに大いに貢献した到達者。この実績を軽んじれる者はここにはいない。
そしてダソス王は、その国是に反し強者を軽んじた点において、こちらに非があったということで、先のアワンの行き過ぎた無礼を対外的に水に流すことにしたようだ。
そもそも他国からの重要使者に先に無礼を働き、社会的に許されざる行為をしたのはあちら。客観的に見れば5分といったところだろうが、ルルワから見れば、国旗を引き合いにまで出したアワンの方がやや行き過ぎている感も否めない。
だが相手は、いずれ勇者の仲間と正式に認可される少女でもある。それはもはやダソス一国に留まるレベルの話ではなく、アワンを敵に回すことはデメリットにしかなり得ない。それは対南勢力という目的で一致団結している国々の輪を乱すことにさえなりかねないからだ。
そしてアワン側にも、もはやこれに張り合う意味はない。
彼女はここのルールに従う旨を先に示したばかりだ。さらに公的この場で王直々の謝罪。これにまだ食い下がるようなら、それは逆にこちらの価値を大きく下げることになる。
ここで引き下がることで、先の発言はあくまで舐められないため、この場にあってしかるべき強者だと示すための建前ということにできるのだ。これに乗らない手はなかった。
我が父ながら、如才ない立ち回りだと舌を巻く。
そして彼を崩すことはやはり容易ではないと、ルルワは今一度覚悟を決めた。
「このように、我々には保有する情報に大きな齟齬があり、そこからなるすれ違いから、つまらぬ誤解を招くようなことは避けねばなりません」
「然り」
ルルワはダソス王の方針を後押しするように、先の一幕は誤解だったと強調する。円滑と友好を押し進めるための潤滑油のような言葉だったが、ルルワの思惑はやはり別にあった。
彼女の中にあったのは、最初からそれだけだ。
「差し当たって、私のペットの処遇について改めさせていただきたいのですが?」
ルルワは満を持して、ダソス側の最大の誤解を持ち出す。
ルルワとアワンがずっと苛立っていた元凶でもある、ムメイへの不当な処遇を。
「彼に関しては、所在を改める必要もないからでは?」
「繰り返したいの?」
「お望みとあらば」
吸血鬼のことなんか知りたくもない。お呼びでもない。今度は二つの意味で皮肉る男に、ルルワも苛立ちを隠さなかった。
机の上に身を乗り出すようにして睨みつける。しかし差し込まれた男の声に、すぐにそんな余裕はなくなった。
「これに関しては、私も卿の考えを支持する」
硬質な銀の瞳が、ルルワを射抜く。
その有無を言わせぬ迫力にルルワは息を飲むも、言葉までは飲み込まない。むしろ開き直る覚悟で噛みついた。
「彼も私の仲間ですが?」
「それを決める権限は、君にはない。そちらのラーヘル殿とは話が違う」
「…………」
その通りだ。
今回のアルフレート大山への大遠征でも、各国の承認を得たうえでルルワは軍を率いることが許された。
アワンに関してはその生まれと実力からすぐに承認が得られることだろう。彼女には12使徒を生み出した父アダの失態が付きまとうが、それも今回の戦いで払拭された。文句を差し込む余地がない。
しかし、ムメイは違う。どこから湧いて出たとも知らぬ吸血鬼では、やはり話は大きく異なった。
「では拘束、投獄の根拠は? 吸血鬼の来訪を罪とする法を私は関知しておりませんが?」
「彼の扱いに関しては勾留、いや今回の場合抑留に該当するだろう。仮に吸血鬼である点に目を瞑ったとしても、違法性はない」
つまり国家的意志による拘束。
彼に何らかの罪があると決めつけているということだ。
だが続く王の言葉は、ルルワの予想を裏切った。
「所在を改める必要があるのは、何も吸血鬼だけに留まらない」
「は?」
聞こえてきた言葉が信じられず、ルルワは確認するように振り返る。そこには、敵意の視線が待ち構えていた。いや、そこだけではない。この室内の大部分が、ルルワを同じ目で見ていた。
そこでルルワは、ようやく気が付く。これは――会議ではないと。
「やむ終えぬ処置だ。全員に錠をかけては、話すらままなるまい?」
「…………」
物騒な発言に、アワンの気配は警戒を隠すことなく揺れる。今にも席から立ち上がりそうなほどだ。しかしルルワは、それどころではなかった。
考えもしていなかったからだ。
まさか自国の者達から、裏切り者と見做されていたなどと。
自身が今、裁かれる立場にあるなどと。
「弁明があるなら聞かせて貰おうか。我が国きっての英雄たちの命……そして世界の至宝、勇者の魂を――」
勇者の所在が、今――
「吸血鬼に売り渡した、罪の」
改められる。




