第084話 恋に真宵し勇者姫
ムメイ・ヤレーアハ:Lv.99 黒髪、赤瞳 15歳 165cm
ルルワ・シェメシュ:Lv.65 金髪、銀瞳 17歳 166cm
アワン・ラーヘル :Lv.50 赤髪、金瞳 14歳 154cm
ルルワ・シェメシュ。
その名を知らぬ者は、この世界には存在しない。
世界を救いし希望――勇者。
歴史の転換期と呼ばれる300年前。ルコス時代到来以降、初めての女性勇者にして、現存する最後の勇者。
彼女の名が世に知れ渡る理由の大半が、これに尽きる。それは一にして全と言うレベルだろう。
しかし矛盾するようだが、欠かせない話題性として後押しする要素がいくつかあるのも確か。それは彼女が勇者となって初めて活きた話題ではあるが、やはり彼女という人間を語る上で必要なものばかりだ。
一つは、2000年前、初の女性勇者を輩出したダソス王国の、現王女であるという点。
二つは、ダソスの歴史上最高の天才と名高き、かの英雄アベル・シェメシュの妹であるという点。
そして最後が――
その容姿。
月の光を閉じ込めたような金糸の長髪に、トリプルAランクの真珠をそのまま収めたような銀の瞳。
傾国、いや傾世の美姫とまで呼ばれるその絶世の美貌は――まさに世界一の美女と名高く、世界へと轟く。
それはやはり、彼女が勇者となることで初めて口にされるようになったことではあるが――ただ事実として、これに冗談でも異を唱えられるような人間は、一人として存在しない。
それが例えどんな分野であろうと、世界一と呼ばれるからには相応の話題性と注目は不可欠。同じくどの土俵に上がるにすれ、必ず対抗が出てくるのも世の常だ。しかし――
彼女は、不動の世界一。
少なくとも彼女が勇者であるうちは、この順位は決して揺らぐことはない。それを世の女たちが自覚し、進んで白旗を工作するレベルには――彼女という女は、別格だった。
そんな現世の時の人にして、世界が認める世界一の女――ルルワ・シェメシュ。
彼女には今、ある一つの悩みがあった。
それこそ一にして全。彼女の思考のほぼ全てがそれに占有され、集約されると言うレベルの、究極の課題。
世界の命運を肩に乗せられた女が、身に余る重責と共に見据えるのは――今後の人類の行末か、はたまた更なる自己の研鑽か。
今、母国への帰路を辿り、ようやく本格的な戦いを目前に控えようという救世の勇者が――その心の内に抱える重大な悩みとは。
それは、身を焦がす太陽の業火にして、魂を狂わせる月光の呪縛。
世界一つに匹敵する膨大なエネルギーにして、世界を揺るがすほどの絶大なるパワー。
そう、それこそが――
(はぁ…………好き)
――恋の、悩みである!!
(好き)
初恋!!
今年で17歳となる彼女は、この世界ではやや遅咲きだった。
それはやはり、彼女の王女という特殊な生まれあってのことではあるが、それを加味したとしても、成人16歳が結婚適齢期でもあるこの世界では、未だ恋の一つも知らないというのは、女性としては確かな少数派だった。
17年、色恋のいの字もなかった。婚約者探しはルルワの関知しない場所で常に難航していたが、本人はある事情によりそれらを意識したことはなく、己の人生に《《恋は》》あり得ないとまでに思うようになる。
権利もなく、準備もなく、予感もなく、未来もなかった。しかしそれは唐突に、何の準備もなくやってきた。
まるでその時をずっと待っていたかのように、この瞬間しかあり得ないと言うレベルで、一気に花開いたのだ。
恋の味を知らなかったというのに、これこそが恋の味と口に含む前から知っていたような――匂い立つような、舌に馴染むような恋。
初恋にして最後の恋という予感。この恋以外はあり得ないと本能が確信するレベルで――やめられない、止まらない恋。
一瞬の刹那にも、永劫の夢の中にも思えるような――時間を忘れ、時間さえ置き去りにするほどに、まさに夢中の恋。
ルルワにとっては、それらは物語の中にしかないものだった。
別に関心がないわけではなかったし、何なら幼少期は、運命の王子様を求めている節さえあった。
それこそ好きな絵物語を繰り返し読み、物語の姫を自分に置き換えて、いつか迎えに来てくれる白馬の王子様の存在を思い描いたりしていたものだ。
しかし女性として精神、肉体共に年々成長していくにつれ、そんな期待はすり減っていった。良くも悪くも夢から現実を見るようになり、この決定的な事実に直面したのだ。
物語ほどの男は、現実には存在しない。
身もふたもないような結論だが、真理でもある。
物語の中には手が届かないように、そもそも物語は物語であって、現実ではないのだ。少女が憧れるような王子様は、現実にはいないからこそ物語に登場する。
ルルワの心を満たすほどの男は、運命の男は――この世にはいない。この先も、決して現れない。
賢い彼女は、10代前半でこの答えを悟った。
そしてルルワが勇者となったことで、彼女の恋は始まる前に終わる。己の役目と未来を自覚せざるを得なくなり、夢は夢となったのだ。
集中する世界の期待。7人の魔王を一人で倒せという理不尽な役目。彼女の精神は年々追い詰められていった。しかし、現れない。今こそ登壇のチャンスというのに、やはり運命の男は待てど暮らせどルルワを迎えには来なかった。
その頃には、現実逃避と言う名の現実直視をするにまで至っていた。
傲慢な考えとはなるが、自分に見合う男がそもそもこの世には存在しない――そんな決して自惚れとまでは言えないような事実を、はっきりとした諦めの理由とし始めた。
名実ともに世界一の女であるルルワには、釣り合うような男が端からいないから。
奇跡的に巡り合えたとしても、勇者の役目という運命にとって代わるほどの運命とはなり得ないから。
ルルワの未来は、心は、選択は――もう決まっているから。
だから――恋に狂い、また男に狂わされることなど、万に一つもあり得ない。
彼女には、恋を諦める理由が多すぎた。
現実は、物語ではない。
この世に、王子様はいない。
しかし――
『女だぁ!!』
出会った。
運命の――男に。
『どこ住み? 彼氏いる?』
襲来の魔王。その脅威から逃げ込んだのは、伝説の森。
そこにいた。ルルワの運命の相手が。
現実が、物語を超えた。
正直ルルワは自分自身でも、いつどのタイミングで好きになったのか全く分からなかった。
きっかけが何であるのかも、どこが琴線に引っかかったのかもよく分からない。
仮に今どこが好きなのかと聞かれても、上手く言語化することは叶わないだろう。
だからこそ、彼女はこれを恋だと疑わなかった。
よく分からないが、好き。とにかく好きで好きで仕方がない。
別に特段顔がカッコイイわけではない。自分より背が高いわけでもなければ、お金を持っているわけでもない。
世の女性が一般的に重視するであろう、経済力、社会的地位、身分、生活力、容姿、甲斐性など――そのどれをも持ち合わせてはいない。
男としては正直ダメなところの方が多く、そもそもの話、彼は人間ですらない化け物だ。
禁忌の森に巣食っていた、恐ろしき怪物。
伝説の種族、吸血鬼。その昔、ルルワの祖国ダソスを地獄に変えた者と、同じ存在。
ルルワの恋の相手としては、恐らく世界で一番不適当な男。
母国への裏切りにして、世界への裏切り。許されざる、禁断の恋。
しかし――
ルルワは彼こそが運命の男だと、疑わない。
なぜなら、こんなに好きなのだから。
恋に落ちる。
これほど納得する表現は他に無いと思った。本当に、落ちた。大地の奥深くまで、唐突に突き落とされた気分だ。
警戒も心構えもしていないところにひょっこりと現れ、瞬く間に心を掻っ攫われた。気づいたら好きになっていた。
ムメイが吸血鬼であることや、ルルワが勇者であることは、たぶん関係ない。何なら、仮にあの森で救われていなくとも、ルルワは彼に恋をしていたと思う。
それどころか、彼が大して強くなくても良い。ムメイの力便りの現状を思えば口に出すことなどできはしないが、本当に、側にいてくれるだけで良かった。
自分にはこの人しかいない。ルルワにとって世界一にして唯一無二――それほどの男。
ならばそんな運命の男と巡り合え、こうして想いを遂げることまで叶った女が、何に悩んでいるというのか。何を憂うことがあるというのか。
初恋を結び、愛する存在に愛され、今、幸福の絶頂にある彼女が抱える悩みとは。
それは、恋する乙女に付きまとう古からの課題。
隙を伺うように身を隠し、必ずいつかは現れると分かっている刺客。実態はただそこにいるだけで、空前の脅威。
そう、その存在こそが――
「――ムメイさんムメイさん!」
他の、女である。
「ん?」
(めっちゃ懐いた……)
ルルワは静かに目を閉じる。またかと。
この数日で彼女がムメイに声をかけた回数など、もう数えるのも億劫だ。
本当に、信じられないくらいに懐いた。
「どうした? お小遣いならパパじゃなく、ママのとこ行きな? 絶対にママのとこに行きな?」
「違います! 子供扱いしないでください! お小遣い欲しいんですか?」
「欲しい」
ママ――つまり妻。
たったそれだけの軽口で悶絶してしまうルルワは、もうとっくに女としては駄目なのかもしれない。しかし人としてはまだそれほど駄目になっていない彼女は、慌てて背後へと振り返る。
そこには、子供からお小遣いをもらう、子供の姿。そう、彼こそがルルワの運命の男にして、初めての恋人でもある吸血鬼――ムメイ・ヤレーアハ。
そして彼の上に身を乗り出すようにして顔を近づけている少女が、新しい仲間である――アワン・ラーヘルである。
ルルワに負けずとも劣らない美姫。
そんな彼女の台頭が、ルルワを焦らせていた。
つまりは――嫉妬である。
「え!? アテネ銀貨じゃん! やったぁ!」
「好きなもの買ってくださいね」
三人が横になって寝てもまだ余裕があるほどに大きな幌馬車。
これを牽引するのは、一頭の蒸気馬。
アワンがもんちゃんと名付けた彼――いや、彼女を御者台から操っているのは、ルルワだ。
世界を救う勇者も、人の世で生きる以上は歯車の一部。共同生活をすれば、仲間にだけ仕事を押し付けるなどということは許されるはずもなく、また彼女の性格上許したくもない。
だから別に、それに文句は無い。今ルルワが御者台で物理的に孤立し、ムメイとアワンの距離が近いことには。
しかし、ルルワは気が気ではなかった。
「ちょっと! お金なんかあげちゃダメでしょ!」
「どうしてですか?」
ムメイとアワンの二人が、揃ってこちらへと振り返る。
こう見ると男と女と言うよりは、子供二人だ。手がかかるという点においても、ルルワが母親のような心境にならざるを得ないほどに。
そんな二人の内、アワンは本当に不思議そうな顔を見せているが、ムメイはルルワの主張に既に共感しているのか、受け取った硬貨をさりげなく隠した。
だがルルワには分かっている。それすらポーズだということも。なぜなら彼は、ルルワにも聞こえるようにわざと大きな声で金を受け取った事実を口にした。あれは明らかにルルワの介入を誘っている。
そのうえで自分から叱られるような行動をしたのは、恐らくアワンではなく自分を叱れと言外に言っているのだ。しかしルルワはその意図を半分汲み、半分は切り捨てる。罪のない者を責めるわけにはいかない。
「付け入る隙を与えてどうするの? 資金力を持たせれば、真っ先に逃亡の可能性を疑われるわ。彼は人間社会では、できるだけ弱い存在でいなくてはならないのよ?」
金は人間社会での力だ。
だからこそ吸血鬼に持たせるわけにはいかない。こちらがどう思うかではない。外からの見られ方の問題だ。特にこれから入るダソスでは、この辺りは徹底する必要があるだろう。
しかし他国出身のアワンには、ルルワの懸念は少し大げさに映ったようだ。
「確かにその通りですが……1ミナくらいで……」
現にアワンは、ルルワの意見に納得の気配を見せつつも、罪悪感までは見せない。王族の力が強く、王家を筆頭に国が成り立っていたコイラスの公女では、やはりルルワと同じ目線に立つことは難しかった。
ルルワはここでムメイの意を取り込むことで、バランスを取る。アワンだけを責めているように見えないようにと、配慮した。
「1ミナ!? そんな額渡したら、変なものたくさん買ってくるだけじゃない! 剣のキーホルダーとか、ドラゴンの置物とか……使えない武器とか!」
アテネ銀貨とは、商業用に使われる硬貨のことだ。
美しい外見のため、その価値とは関係なく美術品として保管する者もいる。
その中で1ミナ硬貨は、小型船や武具一式、高級奴隷なんかも買えるほどの額。お小遣いとして渡すには破格の一財産だ。
アテネ銀貨は使える場所が限られるという特徴もあるが、周辺国家ではまず問題ない。どの国でも使える硬貨はまた別にあり、それは国際交易型の金貨となるが、アテネ銀貨の13倍の価値とされるそれは、大規模取引などに使われることが専らだった。
流石に金貨で1ミナ硬貨を渡していたら、説教どころでは済まなかっただろう。都市に小さい家が買える。
「そうなんですか?」
「いや? 十字架のアクセ買おうと思ってた」
「一番いらない!!」
吸血鬼に最も不要なものだ。オシャレをするにしても、もっと先に気を遣うべき部分が絶対にある。
アワンはムメイのことを過大に評価して――もしくは模範的な優等生とでも見做して――いるようだが、ルルワからすれば大きく違う。
確かにそういった側面があることは認める。根は真面目であり、吸血鬼とは思えないほど人間社会に明るく、またルールも順守する。人に見習わせたいような大人の男。アワンがそう思うのも分からなくはない。
しかしムメイは、こと個人という観点で見れば明らかに問題児だ。狂っていると言ってもいい。
なぜなら常識をしっかりと理解した上で、基本的に守るものと見做している上で、時と場合によってはその逆を迷うことなく選択できるのだから。だから重要な局面ほど、何をしでかすか本当に分からない。
考えや生き方が適当でないからこそ、非常に質が悪い。表面上に見える人間としての正しさの裏に、理解不能の化け物の顔がある。
それが最愛の恋人という贔屓目を抜きにした、ルルワの評価だった。
だからどれだけルルワが頭を悩ましても意味はないのかもしれない。
それでも表面上はルールを順守するというのだから、それもこれ以上なく規律に従う姿勢なのだから、利用しないわけにはいかなかった。一見非常に話が分かるというのも、彼の怖いところだ。
「欲しいものがある時は必ず私に言って。勝手に買うのは禁止。分かった?」
「「はーい」」
「お金も没収」
「「はーい」」
名残惜しそうにお金を戻す大きな子供たちを横目に、ルルワは真剣に金銭問題について考える。
これまではルルワとムメイの二人だけだったため後回しにしていたが、ここにアワンという仲間が正式に加わった以上、そろそろちゃんとしたルールを定めなければならない。
こういうのは、なあなあが一番よくない。その時々は楽であるし、表面上友好的な関係を保てるのかもしれないが、やはり規律なき集団は必ず崩壊する。
幸運なのは、二人ともルルワの指示にはすぐに従ってくれることだが、これからは分からない。ここにさらに仲間が加わってくることも見越せば、やはり早いうちからルールを厳格化しておく必要があるだろう。
3人でまとまっているうちに、後発の人間が文句を言えないような仕組みを作っておくのだ。今なら実質相手はアワンだけ。そして彼女は、ルルワとムメイの意見が一致していればまず反抗しない。そしてムメイは、ルルワがよっぽど常識外れなことを言わない限りは賛同してくれるはずだ。
「じゃあ……私のお金も、ルルワさんに預けといた方がいいですよね?」
だからアワンからその提案がされたことは、幸運でもあり、予想通りでもあった。彼女はまだ若いのに賢く、また共感力も高いので、本当に話が早い。
そしてやはり、ムメイは吸血鬼とは思えないほど社会のルールを重視するため、当たり前のようにアワンの提案に同意した。
「そうだな……俺たちはもう仲間なんだ。誰のお金とかじゃなく、これからは皆のお金だ。一箇所にまとめておこう」
「共通財布ですね。でも……大丈夫でしょうか? 確かに公平ですが、不満の種も出やすいと思います」
その通りだ。
財布を一箇所にまとめるということは、自分のお金が自分のものではなくなるということ。理屈的に受け入れられても、感情的に受け入れられない者は珍しくない。そしてそれは、人としては当たり前の感情だ。別にケチでもなんでもない。
だからこそ、そういう体制を予め定めておくことに意味がある。もう決まっていて全員が受け入れているルールなら、後続は文句を言い辛い。
今後加わる者たちのことを見据えたアワンの正しき憂慮に、ムメイは真剣な面持ちで彼女と向かい合う。そしてアワンの肩に両手を掛けた。
たったそれだけの接触で、ルルワの心はざわつく。見つめ合う男女の姿が、やけに目に痛い。
「アワン、これから大事なことを教える」
「私ですか?」
「そうだ、アワンだ」
しかしそんな心の揺れは、一瞬にも満たない。
やはり肝心のムメイ側に色恋の気配が一切ないからだろう。むしろ彼の態度は悪い意味で、全くブレてはいなかった。
「俺たちはもう、一心同体だ。大切な仲間であり、家族だ。私が一番損してるとか、私のお金なのにとか――そういう若い考えは、金銭欲と一緒に今捨てるんだ」
「ムメイさん……」
「金なんかよりも大事なものがある。お前ならこの高みに到達できると、俺は信じてる」
「はい!」
「あなた無一文よね?」
良いこと言っているみたいだし、なぜか凄く良い返事だが、絶対に違う。
少なくとも、資金力では全くと言っていいほど貢献できてない年長者が、多額の資金を提供する年下の少女に説くことではない。
たぶんポケットに何も入っていないから高みに行けたのだろう。体が軽くて。
ちなみに出資の割合で言えばルルワがぶっちぎりの一位だ。
勇者の資金力は、公爵家の元令嬢であり、重要拠点の防衛戦力でもあったアワンの給金さえ容易く置き去りにする。森に引きこもっていた吸血鬼は言わずもがな。
一箇所にまとめたところで、ほとんどルルワの財布と言っても過言ではない。もちろんルルワに一切の不満は無いが。
「そうと決まれば、全員が信頼できる人間に金庫番を任せよう。アワン」
「私ですか?」
「そうだ。他に任せられる人間がいるか?」
「いません!」
「なんであなたが受け取るのよ」
やり取りだけを聞けば、まるでアワンを金庫番に任命したようだったが、その実態は金の催促だった。なぜならチョイチョイと手招きし、小袋を受け取ったのはまさかのムメイ。
なぜかアワンも急いで金をまとめ、迷うことなくムメイに全額差し出す。その姿が、惚れた男に金を貢ぐ健気な若い女に見えて、同性だからこそ若干心が痛んだ。だから――
「持ってきなさい」
「はい」
ルルワは当然、お前じゃねえと釘を刺す。
ムメイは肩を落としながら、そしてアワンはそんなムメイの肩を叩いて慰めながら、二人して仲良くお金を持ってきた。
やはりそんな距離の近さが、ルルワの心を悪戯にくすぐる。二人にそんな気はないと分かっていても、揺れる心はどうにもならなかった。
「俺たちの信頼……お前に預ける」
「預けます」
まるで二人のお金であるかのように真っ直ぐな目で差し出されたのは、アワンの全財産。
この分だと、アワンに金に関する問題は起こらなそうだと思う。まるで執着というものが感じられない。なぜかムメイの方に感じるほどだ。繰り返すが、彼は最初から最後まで一文無しだ。今差し出したから無くなるわけではない。
「預かるわね、アワン」
ルルワは金額を見るような野暮をすることもなく、受け取ったそれを腰のベルトに下げた角笛のようなものに収納する。
――<豊饒の角>。
<金糸の革袋>よりも大型の物まで、かつ分類豊富に物を収容できる術道具だ。
ルルワの保有する食料、資金、道具、洋服などのほぼ全てがここに入っている。もちろん盗まれた時のことを考えて別の場所にも分けてはいるが、それは見せかけの備えに過ぎない。盗まれないに越したことはないし、そんなことは絶対にあってはならないほどに、重要なアイテムだった。
「ルルワ、疲れてないか? そろそろ代ろうか?」
すぐ後ろから、ムメイは何気なしにルルワの顔を覗き込んでくる。
その距離の近さと不意を突くような行動にルルワはドキドキしながらも、いつも通り表には出さない。
他の人間にどう思われているかは分からないが、ルルワは自分のことを大人の女だと思っている。小娘のように騒ぐことなどあってはならないし、こんなことで取り乱すわけにもいかない。それは好きな男を相手にする時も同様だ。だから――
「なんで涼しい顔で言えるのよ。あなた御者できないでしょ?」
「うん。だから金庫番の方」
「なんで涼しい顔で言えるのよ」
いつも通りにクールを気取る。大人の女を必死に装う。
だからこそ、彼女の素直な姿に心を揺らされるのかもしれない。
「ムメイさんムメイさん!」
「どうした? 遊園地か? ママに頼みなさい。全部ママに」
「違います! 子ども扱いしないでください! 遊園地行きたいんですか?」
「行きたい」
何かあるたびに、いや何もなくともムメイさんムメイさん。
ムメイから一度声を掛けられれば、その事実を確認するように私ですか私ですか。
7月17日にコイラスを出発。
そして今日は、出国から二日が経った19日となる。
何事も無ければ、本日中にダソスへと帰国できるだろう。これもエバが蒸気馬を与えてくれたおかげだ。
そんなここ二日間、彼女はずっとこんな調子だった。
何をするにもムメイさん、どこへ行ってもムメイさん。出会った時の彼女の姿は、見る影もない。別人と見まがうほどの変化だった。
それが彼女本来の姿に戻っただけなのか。それとも相手がムメイだからそうなのかは、ルルワをして判断に困るところ。
「何か気づいたことはありませんか?」
「気づいたこと?」
「…………」
アワンがこれ見よがしに、髪を払う。ファサッとたなびく赤髪が、空間に広がった。
ルルワからすれば、それはあからさまだった。というのも、ルルワはアワンの変化には、今朝顔を合わせた段階から既に気が付いた。アワンがルルワには言って欲しくなさそうだったから、空気を読んで言わなかっただけだ。
「私を見て、何か気づいたことは……」
「…………」
(嘘でしょ?)
ムメイから、言葉が消える。
ルルワとアワンからも、言葉が消えた。
アワンは髪質が重めなのか、基本的に決まってロングストレートだ。
しっかりとまとまっており、全く広がりがない。血のような赤色と合わせてクールかつ年以上に彼女を大人っぽく見せる。
そんな彼女の特徴の一つだったのが、目元にかかるほどの重めの前髪。しかしそれが、今は切られている。
長さは眉の上。つまりオン眉と言われる前髪だ。
クールな姫、深窓の令嬢といった雰囲気は、年相応の少女感に。ぱっちりとした目元と顔全体が見えることで、表情も明るく見える。
女性から見れば、かなりの変化だった。目に留まりやすい前髪を5cmは切っているのだ。男でも関心があれば気が付くだろう。それも、私を見て気づかないかとまで言われれば、逆に見落とす方が難しい。しかし――
「…………」
「…………」
「…………」
ルルワを間にして、見つめ合う二人。
確かにムメイはアワンの顔を見ている。絶対に視界に前髪も入っているはずだ。というか今までも絶対に見えていたはずだ。だが、やはり――
「…………」
ムメイは徐に、御者台に腰掛ける。静かに、ゆっくりと、それでいて繊細に、慎重に。
ルルワは自身のすぐ真横に、ピッタリとくっつくように座った存在を感じて、まるで助けを求めているようだと思った。逃げてきたとも。
しかしアワンは逃がさないとばかりに、ムメイの後に続く。ルルワを挟んで反対側へと腰かけた。
三人で身を寄せあうようにして、横に並ぶ。真ん中に座っていたルルワは、唐突に左右から挟み込まれた形だ。
「気づき……か……」
「ムメイさん?」
ムメイは膝を抱え、空を見上げる。
そんな気配に、ルルワの横からアワンは覗き込んだ。
「それに気づいたということを……俺は敢えて、言わない」
「っ!」
ムメイの決断に、アワンは息を飲む。
覚悟を決めた男の顔に、少女は言葉を飲み込まざるを得なかった。
「なぜだか分かるか?」
気付かなかったからでしょ――ルルワは答えを口の中で転がす。
三人仲良く身を寄せ合っているこの状況を密かに喜びながらも、遠い目で前を眺めた。
「分かりません」
「分かりません……そう口にすることがどれだけ楽なことか。どれだけ勿体ないことか……お前に分かるか?」
「分かり……ません」
何だこの会話は――ルルワは逃避するように、二人と目を合わさない。
ムメイは空だけを見上げ、アワンはムメイだけを見つめる。それぞれが、全く別の場所を見ていた。
「そう、だから俺は言わない。分からないからじゃない。それに気づいていないうちが、一番楽しいからだ。答えを探し続けること、それを答えだと決めつけないこと……それが、俺の生き方だから……」
「おお……」
「俺はただ……手の届かないものに、手を伸ばしていたいだけさ」
気付いてねえじゃねえか――と思うが、口には出さない。
何かここでツッコミを入れるのは、負けのような気がして。
だから隣でメモを取り出す少女にも、ルルワは突っ込まない。ムメイの言葉を忘れないようにと必死に記録している彼女に限っては、一切ふざけていないというのが本当に恐ろしいところだ。
「だからそれはあくまで、お前の答えでしかない。お前の気づきでしかない。俺が気づいたこととは違うかもしれないし、もしかしたら同じかもしれない。答えはどこにもないんだ。お前のそれは、本当にお前の答えなのか?」
「分かりません……答えじゃないような気も、してきました……」
アワンが自身の前髪を不安そうに弄る。
ただ髪形を変え、それを男に気づいてほしかっただけだというのに、凄く可哀想だ。髪型に答えなんかあるはずもない。
それとこれだけ前髪を気にする素振りを見せられてまだ気づかないのは、本当にどうなのか。何を空を見上げているのかと、ルルワもイライラしてきた。
「ならお前が気づいたということを、俺に聞かせてみるといい。更なる気づきが、そこにはあるかもしれないから……」
(答え聞いてる……)
ごちゃごちゃ言っているが、要はさっさと答え教えてくれということだ。
アワンの答えを聞いたうえで、それに同意するつもりなのだろう。それも一つの答えだ――とか言って。
しかしここにきて、ムメイの想定外が起こる。
それは、ルルワにとっても想定外だった。
「流石ムメイさん! やっぱりムメイさんも気づいていたんですね! 実は私、凄いことに気が付いちゃったんです!」
「「っ!?」」
髪型の話ではないことは、その気配を見れば明らかだった。
ムメイが求める気づきを、ムメイに関する気づきとなぜか曲解した天然の猛威が、ここに炸裂する。
しかもそれは彼女の中でかなりの大発見だったのか、髪のことなんてもうどうでもいいとばかりに、期待に目を輝かせている。相当の内容でなければこの気配は出せまい。一体何に気が付いたというのか。
どうするんだとルルワが隣を伺えば――彼はやはり、前だけを見ていた。そしてさらなる高き空を、見上げる。
「そうか……お前も気づいたか……」
「はい! 気付きました!」
「そうか……」
さりげなく先を促すようなムメイの気配にも、ニコニコと屈託のない笑みを浮かべるアワン。
こんなに笑えるようになって本当に良かったと思いたいところだが、ムメイはやはり笑えないようだ。
なぜなら彼は最初から最後まで、何にも気づいてはいないのだから。ルルワはそんな姿を見ていられず、ようやく助け舟を出すことにする。ムメイは乗せないが。
「アワンは何に気が付いたの? ムメイに関する重要なこと?」
「はい。ムメイさんの言うように、これが答えかどうかは分からないんですけど……。それに、まだ雲を掴むような話で……」
「お前も、手を伸ばすか……」
こちらに話を振られないよう必死に目を逸らし続けるムメイをよそに、ルルワは踏み込む。ムメイに関する重要な事とまで言われれば、無視はできなかった。
「それ、私たちに教えてくれる? たぶんというか絶対、あなたしか気づいてないから」
「え? でもムメイさんが……」
「分かるの?」
「分かりません」
彼が今までずっと手を伸ば続けていたのはきっとそこだったのだろう。楽で勿体ない選択を即座に掴み取るムメイの姿に、ルルワは呆れ、アワンは笑みを深める。どうやら自分一人が気づいていたことが嬉しい様だ。そこまでのことなのか。
ルルワが静かな期待を抱いていた頃、アワンはもったいぶることなく結論を告げる。まるで早く聞いてほしいとばかりに告げられた内容は、確かに一大事だった。
「ムメイさんがユウキに取られちゃった能力! もしかしたら、私の<最上級不義>で取り戻せるんじゃないかと思ったんです!」
「「っ!」」
息を飲むとは、まさにこのこと。
必要のない吸血鬼にもその気配が感じられたほどなのだ。ルルワは長年頭を悩まし続けた難題を解き明かせたような、晴れやかな達成感さえ抱く。
そしてゆっくりと振り返れば、そこには空から帰ってきた吸血鬼の顔が。
同じ顔をしていると確信した両者は、競うように声をあげる。それに気づいたアワンを、褒めるために。
「凄いじゃん!! そんなことできるの!? 全く気付かなかった!!」
「ええ、考えもしてなかったわ!! アワン凄い!!」
形相因の本質を考えれば、確かに不可能ではない気がする。
<最上級不義>は、歪んだ形や偽りの形を元に戻す力。人を人のあるべき姿に戻すのだ。ムメイ個人を対象にも、術は働くかもしれない。術者であるアワンがその姿を、偽りだと捉えているのなら。
ルルワはわざわざ馬車を止めて、アワンの頭を抱え込む様に撫でまわす。ムメイもそれに便乗して飛びついた。もっと褒めてとばかりに体ごと差し出して来る可愛い妹に重なるようにして、三人でもみくちゃになって喜びを分かち合う。
この時ばかりは、ルルワにも嫉妬などはない。ムメイと共に、手放しで彼女を褒め称えた。
しかししばらくして、アワンは何かに気が付いたように体を跳ね上げる。まるで重大なことを思い出したかのように。
「あっ……で、でも!! 私のレベルじゃ……まだまだ力不足なんです。それに、まだ成功できると決まったわけじゃ……」
ルルワとムメイが思っていたよりも喜んでしまったのか、逆にアワンが気後れする。彼女の中ではまだ思い付きという段階で、実行は夢のまた夢ということなのだろう。
ユウキから力を受け継ぎ、今のアワンはレベル50――つまりは壁へと到達した。しかしそれでもまだ、彼女は力が不足していると見做している。
無理もない。ムメイという驚異の個人に干渉するためには、少なくともそれに近いだけのレベルが必要だろう。それもユウキの生涯で一度の切り札によってかけられた術。難度はかけ合わさり、干渉強度のレベルはもはや計り知れない。
もしかしたらムメイと同等のレベル99にでもならなければ、不可能と思えるほどに。
そしてアワンは、自身がその領域にまで到達できるとは、思っていないのだ。
本当に無理もない。ムメイの強さは人が辿り着ける次元を超越している。
ルルワでさえ、目標としつつも自信があるわけではないのだ。アワンが及び腰になるのも、当然だった。
最大限頑張るつもりだが、かといって期待はさせらない。今の内からその期待に応えられるほど、自分の力を信じ切れない。しかし――
彼は、違う。
「なんで? やってくれるだろ?」
「「っ!!」」
それは、期待ではなかった。ましてや慰めでも。
アワンなら必ずできると、信じて疑わない気配。いや、それが当然だという考え。
優しさではない。むしろ厳しさだ。アワンから、成功以外の未来を取り上げたのだから。
そして――
「アワン。やれるよな?」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、彼は挑発するように問いかける。
その問いはアワンから、「分からない」という楽な答えをも――奪った。
「…………」
目頭を熱くするものをこらえるような気配に、ルルワは強く共感した。
このタイミングで、これを言われることがどれだけ嬉しいか、どれだけ救われるか――ルルワだからこそ、分かる。
追いつけないことは勿論、横に並ぶことも烏滸がましいほどの場所に立つ男が、力を必要としてくれている。それも嘘っぱちの優しさからではなく、心から。
彼は本当に、ルルワとアワンの力が自分には必要だと、信じて疑っていない。
だからこんなにも、嬉しいのだ。
「はい!! 私に任せてください!!」
アワンがムメイのことを異性としてどう思っているのかは、分からない。
見方によっては男女のそれにも見え、仲間同士の友情にも見え、欠けた父性への欲求を満たしているようにも見える。
いずれにせよ、ムメイが最後にユウキと友達になってくれたことが、彼女にとっては大きかったようだ。それほどあの一件は、アワンという少女を変える大きなきっかけだった。
そしてそれは、ルルワにとっても。
「ユウキにやるって俺言っちゃったんだけど……怒られないかな?」
「大丈夫です! バレないようにこっそり盗りますから!」
「怒られるわよ?」
なぜなら3人が、笑っている。今は心から、笑えている。
二人と出会う前とは何もかもが違う。嫉妬の心が、どうでもよくなるほどに。
その幸せを前に、ルルワは真宵し己の恋心を――誤魔化した。
本当の迷いはここからだとも、知らずに。
***
「…………」
あまりにもあんまりな状況に、思考が停止する。
状況の確認だけを急げば、目の前には今しがた潜り抜けた硬質な鉄の柵。
無機質な空間を見渡せば、湿った石壁、錆びた鉄格子、冷たい石床。見下ろせば、自前の鎖や首輪ではない、重たい拘束。
囲むは、強面の囚人たち。
その中に放り込まれた、吸血鬼一匹。
そう、俺は今――
「キィ?」
牢屋にいた。
――吸血鬼転生・第二章 開幕――
お待たせしました。連載再開します




