第083話 あなたです
「――能力全部やったぁっ!?」
王との謁見を滞りなく終えたアワン達は、与えられた客室にとんぼ返りしていた。
まるで弾丸旅行のように駆け足に諸々の後処理――言い方はぞんざいだが実質的にその通り――が済んだのは、やはり勇者という存在の特殊な事情を鑑みてのこと。
今回のコロノス領での大事件。
世に名立たる12使徒と一騎討ちをし、それを見事討ち滅ぼした吸血鬼はもちろん、土地に根差した毒を解呪し、事件そのものを解決してみせたアワンらは、注目の的だ。
まさに勇者の面目躍如。人々の期待を裏切らないどころか、易々と超えるような働きに、コイラスは国を挙げてこれを祝福する。
それは王も同じ。事件から僅か2日という日数でルルワらとの面会を望んだのが、その何よりの証拠。
王が筆頭となって、それも迅速にその働きを労うことで、犠牲者や街の被害に関する諸々の不満が上がらないようにとの配慮もあった今回の謁見。王自らが会いたいと望み、その働きに直々に言葉をかけたとあれば、大っぴらに文句は言いずらい。それは延いては、王を糾弾することにもなりかねないからだ。
王族の権威が強いこの国では端からそういった不穏分子は表面化しずらいという特性はあるものの、だからこそ各地に燻る火種の扱いは慎重を期する。
そんな中で今回の結果は、やはり王による迅速な采配あってのこと。
現に、「ユウキという存在を生み出したそもそもの元凶は――」、「人外の私的な争いに巻き込まれただけに過ぎない――」などの不満の声は、火種にもなることなく鎮火の一途を遂げる。
人間の負の面は人の知恵によって沈静化し、コイラスは今――勇者たちを手放しに祝福し、そしてこれからやってくる未来を、諸手をあげて歓迎していた。
「だから全部じゃないって。大げさだなぁ……」
であればなぜ、ルルワたちが事件から僅か2日と経たないような今日、足早に出立することが決まったのか。
それは一重に、勇者という存在が世界に与える影響。勇者の力を欲している地は、コイラスだけではないという揺るがざる現実にある。
勇者を一つ地に長く留まらせることは、勇者の力を独占していると他国から見做される恐れがある。
コイラス王はこの建前を前面に押し出し、ルルワたちを速やかにコイラスから送り出すことを決定した。
もちろんその本質は、勇者ルルワ本人の意向を汲んだ采配。一国も早く祖国に帰りたいという旨は、来国した当時から聞き及んでいたもの。勇者の立場がただのお客様から救国の英雄になったとしても、王の取るべき行動は変わらなかった。
いやむしろ今回の一件を経て、蠢動する世界の命運を案じた王は、一刻も早い勇者の帰国を望んだのだ。それこそが、この世界のためだと。
「6分の4!! ほとんど全部でしょ!?」
我が祖父ながら、本当に賢く、そして偉大な王だと思う。
事件から僅か2日で勇者らを国から送り出すためには、アワンが考えるだけでも様々な問題をクリアしなければならない。
貴族、民らへの説得や印象操作はもちろん、王側、勇者側――双方に角が立たないように慎重に立ち回る必要に駆られることは必死。
勇者らを事件からたった2日という短い時間で呼びつけるという王側の無礼。王との謁見が終わった直後、それも当日中に出立するという勇者側の無礼。
当人らにそんな気はなくとも、周囲は表面上の事実だけを見て判断するものだ。自身を正義だと信じて疑わず、「それは失礼なんじゃ」とかあまりにも身勝手な軽々しい言葉を飛ばす。そういう人間も多い。
しかし非常に残念なことに、そういった頭のない言葉であっても、一定の影響力を及ぼしてしまうのも、また人の世だ。
それが政治ともなれば、やはり責任ある立場の者の言動にはさらなる慎重が駆られる。
そも貴族社会では、速足の行動は落ち着きがない、余裕がないと受け取られるのが通例なのだ。迅速正確な動きは必ずしも美点ではない。水面を優雅に泳ぐ白鳥の美しさこそ評価すれ、その下で懸命にバタ足する努力は評価しないのだから。
今回の事件の功労者であり、救国の勇者であるルルワらをただ国から送り出すというだけでも、見方によってはこれほどの厄介ごととなってしまう。
人が生きる世界である限りどこまでも付きまとう問題とはいえ、無垢なる者から見れば窮屈であるとしか言いようがない――社会。
そこを救ったのが、吸血鬼ムメイだ。
王は人間社会において特異な彼という存在を、上手く利用したのだ。
「3分の2ね。約分忘れほどマヌケな誤答はない……例えるなら、ゴールテープ目前で転ぶような大恥さ」
「目前なら這ってでもゴールしてやるわ」
「残念だが、数学に努力点はないんだ」
人外によって再び荒らされた国。ムメイをいつまでも王城に招かないというのは、彼を帯同させるという勇者の方針に関し、腹に一物があると受け取られる。
今回の件に関しても、不満があるからいつまで経っても会わないのではないかと。
だから、コイラスはそういった意図がないと内外へ示すために、一刻も早い謁見の運びとなった。
そして勇者が早々の出立となるのは、人外に国を荒らされた人々への精神的配慮から。
色々なちょっかいがかかりそうなこの足早の行動に、しっかりとした理由が肉付けされたのだ。
情報操作、また印象操作は政治でも難易度の高い項目の一つとされる。それも戦いの後処理、復興作業と並行してこれを行わなければならないのだから、コイラス王を筆頭に首脳陣はここ二日、冗談ではなく寝る間もなかったはずだ。
しかし、やり遂げた。何のため。国のため、世界のため。
これから世界は、きっといい方向に変わっていく。希望へと進む人々の力を見て、アワンは確信したのだ。
「既約分数も知らないようなガキとおままごとしてる暇は俺にはないのさ。約分できるようになってから出直しな。お嬢ちゃん?」
「逆数を掛けてあげてもいいのよ? 坊や」
「ひゅう~言うねぇ……国語だけは得意のようだ」
以上のような顛末により、アワンたちは晴れて、この国を出る許可が降りた。
王との謁見も無事終わり、諸々の荷造りも完了している今、もはやこの国に留まる理由はない。
大事件を見事解決し、いざ出立の日を迎えた勇者一行は――満を持して、ルルワの祖国ダソスへの帰還を目指す。
はずなのだが――
「…………」
ある一つの事実が明らかとなったことにより、現実はここに足踏みすることとなる。
アワンの眼前には、当然この二人。
最後の勇者にして、世界の命運を背負いし希望の光――ルルワ・シェメシュ。
そしてそんな彼女が使役する、最強の吸血鬼――ムメイ・ヤレーアハ。
表面上は飼い主とペット。支配者と被支配者。
しかしその実態は、勇者と吸血鬼という禁忌のカップルにして、公私ともに最高のパートナー。
そんな二人は、今――
「ごめんなさい!! 許してください!! 1にだけは!! 1にだけはしないでください!!」
「違うわ。答えは0よ」
「助けてください!! 見捨てないでください!!」
「…………」
土下座。
もはや見飽きてると思ってしまうのだから、印象というものは凄い。まだ二回目だというのに、こんなに地に這いつくばる姿に違和感がないことも。
頭をこれ以上ないほどまで低くし、必死に女の足にしがみつき、頬ずりまでして許しを乞う男は――アダ亡き今、アワンがこの世で最も尊敬している男だ。もしかしたらアダが生きていたとしても、その順位は揺るがないかもしれない。
12使徒を二人落とし、冗談ではなくその力は魔王に匹敵する。力だけでなく、その中身も掛け値なしに偉大だと誇れるほどの男。
彼――ムメイが、ユウキとの勝負によって能力のほとんどを奪われたという事実が発覚したことにより、出立の空気は変わったのだ。
しかも、それをムメイが隠し通そうとしていたことで、ここに勇者は立ち上がった。
アワンはそんなカップルの喧嘩を、「本当に人に頭を下げることに抵抗ないんだな……」などと思いながら、ぼんやりと眺め続ける。
彼の絶大なる力を知れば知るほどに、こればかりは本当に理解できないことだ。どういった育ち方をすれば、人を対等に扱う、いや、人と目線の高さを合わせられるような吸血鬼が誕生するのか。
と同時に、漠然と思うのは――
(相変わらず……頭良い喧嘩だなぁ……)
その内容に関して。
6分の4取られたのだから、ほとんど全部だろう。
このルルワの答えに、ムメイは約分されていないということで誤答だと示した。
基本的に数学問題は、約分できる限りは既約分数で答えを示さなければならない。この点と合わせて、二重の意味で誤りだと告げたのだ。
そこへルルワはすかざす逆数をかけるぞと反論。これは論と言うより脅しだ。3分の2に2分の3をかければ答えは当然1となる。
そして今回の場合、ルルワがムメイの答えを1にするためには何をすればいいのか。それが、ムメイに残された2つの能力を奪うこと。
<美意識過善>と<公序陵辱>。これら二つの能力は、ルルワの血によってその本領が発揮される。つまりもう鬼治血をやらないぞと、ルルワは脅したのだ。
これを即座に理解したムメイは、降伏の白旗を掲げる。膝を折り、頭をこすり付け、こうして必死に許しを乞う。すなわち1にされるということは、ムメイの0を意味するから。
喧嘩一つとっても、これほど面白いカップルは中々いない。こっそり撮影して大勢の人間に見せたいくらいだ。きっとムメルル推しが増えることだろう。
「愛しています!! 本当です!! 愛しています!!」
「残念だけど、数学に努力点はないの。それに……0には何を掛けても0……」
「二つくっつけて、∞にできませんか!?」
「工作でもないの」
必死に愛を掛け合わせようとするムメイに対し、0には何を掛けても意味がないと説くルルワ。
必死に愛を繋ぎ合わせようとするムメイに対し、子供とおままごとしている暇はないと取り合わないルルワ。
愛を伝えたくば足し算をしろとでも言うのか。意味が分かると可愛らしい甘えに聞こえてくるのだから不思議だ。もっと足しになるような愛を語れと、そんなふうにも聞こえてくる。
そんなやりとりを、なんとなくムズムズして見ていられなかったので、アワンもようやく割り込むことに決める。それに、ユウキの友達でもあるアワンには、ムメイだけが責められているこの現状は忍びなかった。
「まあまあルルワさん。許してあげましょうよ。ムメイさんもわざとやったわけじゃないんですから。ね、そうだよね?」
気付けば、ルルワの足にコアラのようにしがみついている男――ムメイの傍らにしゃがみこみ、頭を撫でてやる。
なぜ急にこんな、小動物のような気配を醸し出せるのか、そんな姿に違和感が働かないのか、不思議に思いながら。
子供みたいに見える時もあれば、大人みたいに見える時もある。本当に時と場合によりけりだ。
少年、青年――どちらとも取れるような絶妙な外見のせいだろうか。それとも人間ではない種族という根底意識がそう思わせるのか。はたまたペットという偽りの身分のせいか。
ただ分かるのは、ムメイという男はカッコイイ時もあればカワイイ時もある――そんな不思議な男だということ。
「甘やかしちゃだめよ。また調子に乗って他の子にあげたりするんだから。この子全然反省してないわよ?」
「そんなことないよね?」
「キィ……」
友達に勝手におもちゃをあげた子供と、それを叱る母親。そうとしか思えない光景に、ルルワもアワンと同じような感覚を抱いているものと推察する。
年齢だけ見ればアワンらとは比べ物にならないほど高齢であるはずのムメイを、ルルワが年長者として扱っている感じは全くない。考えてみれば、本当に不思議だ。
そんなルルワの不安に関しては、アワンとしては杞憂だと思っている。
おそらくルルワは、ムメイのことを手の付けられない悪童、もしくは悪戯小僧とでも見做しているのだろうが――そういう気は前々からある――アワンからすれば、無用な心配だ。
まさしく子供から片時も目を離せない母親のような心境を抱いているルルワには悪いが、アワンから見れば、ムメイのそれら表面上の子供っぽさは全て見せかけに過ぎない。
まず、自分の考えが絶対に正しいという、ほとんどの人間の根底にあるような頑なさがない。
周囲の意見に耳を貸し、考えを柔軟に取り込める度量。情報を咀嚼し、最適解を見つけ出す知恵。
およそ欠点というものが見当たらない程の完成した大人。それこそが、アワンの中のムメイという男だ。日頃のおふざけは演じているに過ぎないとまで思っている。破天荒に見えて、根は物凄く真面目だ。
なんにせよ、本質を見通す目を持つムメイは、そうそうおかしなことはしでかさない――その確信が、アワンにはあった。
しかし、すぐに彼女は思い知ることとなる。
ムメイへの理解に関しては、まだまだルルワの足元にも及ばないという事実を。
「他にもまだ……何か隠してないでしょうね?」
「…………」
見下ろすルルワに、ムメイはよく分からないという顔で返す。人の言葉は難しくてよく分からん――そんな顔だった。
アワンも、流石にこれに騙されるほどお人よしではない。なぜならもう、見飽きているからだ。いつもの顔だと思うほどに。
「あるのね。吐きなさい」
「怒らないから言ってみて。大丈夫だから……ね?」
冷ややかに上から見下ろすルルワと、目線を同じくして温かい言葉をかけるアワン。意図せず飴と鞭のような状態となり、ムメイの固い口を開かせることに成功する。
そして、ムメイがひた隠すもう一つの秘密がここに明らかとなった時――至極当然のように、鞭は二つとなった。
「才能全部使ったぁっ!?」
弾かれるように立ち上がったアワンは、ルルワの横へと並ぶ。自然に、もはや必然のように、そのポジションへと移行する。
こうして吸血鬼は、二人の少女から見下ろされる形となった。孤軍奮闘、いや、孤立無援である。
「はぁ……やっぱりやってたわね。しかも、なんて馬鹿げた能力なの……」
「…………」
ルルワの驚きは、意外と少なかった。アワンに比べれば、皆無と言っていいい。
アワンは衝撃に言葉も出せない程だと言うのに、彼女はまるで予想通りと言わんばかりに落ち着いていた。それが、アワンには本当に信じられなかった。
これが理解力の差なのか。現にアワンは、こんなことになるとは全く予想していなかった。本当に、これっぽっちも。
(な、何から驚けばいいの? え、待って……え?)
アワンは混乱状態に陥った精神を、なんとか立て直す。あまりの情報量に、正常な働きを手放しつつあった思考を、何とか稼働させる。
(混沌術を創造した? え、ほんとに? えーと……)
両手の指をこれ見よがしに駆使し、日にちを数え始める。子供のように。恥や外聞というものにまで回る頭は、今のアワンにはなかった。
今日が7月17日。2日前の15日が結婚式。その日を仮に混沌術が完成した日とすれば、コイラスに到着し、アワンが混沌術について初めて教えたのが――
(7月7日……たった9日!?)
ならば、純粋な製作期間は一週間程度だろうか。アワンがムメイの勉強に付き合い始めたのはそのさらに一週間前からのことにはなるが、その頃にはまだ混沌術については全く教えていなかった。
つまりムメイは、魔術を学び始めてから二週間。混沌術の原理を知ってから一週間で術を開発したということ。
いくら人の倍の時間がある吸血鬼とはいえ、到底信じられない。明らかに異常だ。
「恋の試練……負けたら死ぬのね。それで、やったの?」
「やっちゃった」
「はぁ……あなたって人は……」
やはり予想通りと言わんばかりに首を振るルルワの姿に、アワンは苛立ちさえ覚える。やれやれと言わんばかりの態度だが、その呆れはあまりに表面的であり、実態が伴わない。
何を呑気なことを言っているのか。何を余裕ぶっているのか。アワンの焦燥は、やはりそれどころではなかった。
「一体何を考えているんですか!!」
「「っ!」」
逸る感情のままに、アワンは動く。
張り上げられたアワンの声に、二人は目を丸くするが、驚きたいのはやはりアワンの方だ。
そんなことをしでかしたムメイはもちろん、これを聞いて平然としているルルワにも、アワンは苛立ちを隠せなかった。
これまでのルルワの見せかけだけの叱りを、あまりに能天気だと思うほどに。
「せっかくの……せっかくの膨大な才能を!! それも……そんな不安定な能力に!!」
「…………こういう人よ? 諦めた方がいいわ」
興奮したアワンを宥めるように、ルルワが言葉をかけるが、逆効果だった。
なぜならアワンには、ムメイに術を教えたという責任と立場がある。だから、そんな言葉で納得できるはずもない。
術の構築は、その人間の人生を意味する。踏み出す一歩目だけでも慎重に駆られるというのに、まさかその一歩目で一生の生き方を決めてしまうなど。
しかも、アワンが7年かけた混沌術の開発を、7日。安定とは真逆の思考。狂っているとしか思えない。
裏切られたとは言わない。落胆でもない。アワンの中にあったのは、この先のムメイへの憂慮だけだ。
ムメイの未来を、アワンは強く案じた。大切な人だからこそ、逼迫は止まらないのだ。
「なぜこんな馬鹿なことを!? 私の教えを聞いてなかったんですか!? 何を考えているんですか!!」
「…………」
ムメイは静かに立ち上がり、ルルワの横へと並ぶ。
これまでの軽々しい気配は鳴りを潜め、表情そのものが空気と共に変わった。それは、これまでのムメイとルルワのやり取りが、所詮はごっこ遊びの類だったと証明する何よりの姿。
ルルワの中に、今回の件に関し含むところは何もないように、ムメイの中にも、既に荒立つ波はないようだ。先の喧嘩はやはり、様式美の一つに過ぎなかった。
だからこそ、アワンが言わなければならない。これを言えるのは、ここにはアワンしかいないから。
「命懸けの試練なんて、そう何度もできるはずがない!! 能力はほとんど無くなって、新しい術ももう得られない!! これからどうするんですか!?」
レベル99。おそらくは最大レベルにまで到達しているであろうムメイでは、もう才能を補充することはできない。
つまり、新たに<混沌術>、<秩序術>を得ることは適わないということだ。永遠に、たったの一つもだ。
そこに畳みかけるのが、4つの能力の喪失。あれほど使い勝手が良く、強力な種族的能力をアワンは知らない。本来これだけでもかなりの痛手のはず。
残ったのは己を癒す力と、他者を癒す力の二つのみ。強力なサポート能力ではあるが、術戦闘の局面を左右する類の力ではなかった。
「ムメイさんの才能が……!! 未来が……!! どうすれば――!?」
具体的な能力に関しての驚きなど二の次。<月夜見>の内容に着目したルルワとは異なり、アワンにとってはそれが全てだった。
なぜなら彼に術を教えたのは、アワン。責任は全て教師にある。
ムメイの今後を、アワンが潰してしまった。世界トップクラスの才能を、アワンが。
もっと重々忠告していれば――
教えを途中で切り上げたりせず、最後まで面倒を見ていれば――
後悔は、あふれて止まらない。
アワンの教えを無視したムメイへの怒りではない。ムメイの未来を潰した己への自責。
人類を救えるであろう逸材の将来を、世界の頂点に立てるほどの資質を、無に帰した。
そんな己への――
「どうもしないよ」
「…………え?」
半ばパニックに陥っていた少女の意識を掬い上げたのは、やはり彼だった。
平静たるムメイの声に、アワンは自然と下を向いていた顔をあげる。そして、目が合った。
この顔は、何度か見覚えがある。アワンに大切なことを教えてくれる、教師の顔だ。
本人にそんなつもりは微塵もないだろうが、アワンはこのムメイから、いつも大切なことを教わった。大切な言葉を貰った。
そして、今回も。
「どうもしない。俺には二人がいるから」
「「…………」」
続いた言葉は、これ以上ないほど簡単に、アワンの中の自責の念を晴らす。
たった一言で、アワンの混乱も、不安も、後悔も――全てが取り払われた。
「ルルワとアワンがいる。だから俺は、大丈夫だ」
仲間がいるから、大丈夫。
そこには、能力を失くしたことへの後悔も、未来に対する憂慮もない。
ただ、信頼だけがあった。重すぎる信頼が。
それを向けられる者は、どれほど荷が重いだろうか。どれほどの重圧だろうか。
そして何より、どれほど幸せだろうか。
その中の一人に己の名が連なったことが、アワンには信じられなかった。
「わた……し?」
そんなアワンの反応に対し、逆に驚きを見せたのは、ムメイとルルワだ。
揃って大きく目を見開き、信じられないものを見たと言わんばかりに息を飲む。そして、全く同じ顔を見合わせた。
「何だこの子……いまさら何でこんな感じ出せるんだ? ちょっと怖くなってきたんだけど……」
「天然記念物級の天然ね。絶滅危惧種級の馬鹿よりはマシだけど」
「そう思うならもっと保護してよ。絶滅しちゃうよ?」
「してるわ」
もちろん、アワンだってそうそう鈍くはない。
ルルワとムメイの二人が、アワンのことを友達と、仲間と思ってくれていることは、もう分かっている。本当に光栄で、幸運で、幸福なことに。
しかし、ムメイの不足した能力を補ってくれる存在というニュアンスの言葉は、アワンが今後もずっと二人に随行することを意味する。勇者の正式な仲間としてだ。
だがアワンは、あくまでルルワがダソスに帰国するまでの一護衛に過ぎない。この先の勇者の旅に加われる立場にはない。それに――
「勇士学園から……見繕うはずだったんじゃ……」
そういう話だったはずだ。
そもそもケインらを連れて行くという話はどうなったのか。アワンなんかよりも、壁を越え、立場も確かなケインの方が、名実ともに勇者の仲間には相応しいはず。
「ええ、だからあなた。私たちが選んだのは、あなたよ」
「っ!!」
当たり前の答え。むしろ今更何を言っているのかと、そう言わんばかりの空気。
その横に並ぶムメイも、本当に当然という顔でアワンのことを見ている。
おかしいことを言っているのは、アワンだけだと。それがやはり、アワンには信じられなかった。
友達になれた。
短い付き合いではあるが、仲間にもなれた。
それだけで、アワンにとっては身に余る光栄だった。
レイラにどうしたいかと聞かれた時、アワンは二人と共にいたいと願った。
しかしそれは、夢だった。アワンがもっと強くなって、努力して、初めて手にできるような資格、叶えられるかもしれない夢――そう思っていた。
それが、まさか――
「私……ですか?」
「あなたよ」
夢は、現実に。
「私ですか?」
「あなたです。アワン・ラーヘル。あなたに決まってるでしょ?」
勇者から直々に、魔王を倒すための旅――その仲間に誘ってもらえるなど。
向こうからも、アワンと一緒にいることを望まれるなど。
まさに望外。
溢れんばかりの歓喜が、身を震わせる。
押し寄せる感動が、胸を高鳴らせる。
こんな日が来るとは、思ってもいなかった。本物の勇者たちから、力を必要とされる日が来るなど――
「アワン。あなたに……謝りたいことがある」
「っ!」
それは、ずっとその機会を伺っていたような入り方だった。
そしてルルワの気配が変わった瞬間――アワンもようやくこの時がやって来たと確信する。
それはずっと、アワンが待ち望んでいた瞬間だったからだ。
早くこの時が来てほしいと思っていた。そして、来ないでほしいとも思っていた。
怖かった。アワンにとってこの瞬間を迎えることは、とても勇気がいることだったから。
でも、だからこそ――
「あの時――」
「待ってください!!」
アワンは、勇気を振り絞る。
ルルワの言葉を遮り、自ら恐怖へと立ち向かうことを選んだのだ。
今、ここから――
未来へ。
「私から言わせてください! そうでないと、きっと! きっと後悔すると思うんです!! 後悔したくないんです!!」
先に切り出させてしまった。本来なら、この時点でアワンはだめだ。
現にこの時まで、自分から言い出せなかった。ルルワの力に甘えてしまった。
だから――
「分かったわ」
だから、もう甘えない。
これを超えなければ、彼らの仲間にはなれない。彼らと共に生きる資格なんてあるはずがない。
アワンはここで、変わらなければ。
「…………」
胸に手を当て、ゆっくりと呼吸を整えながら――アワンは確認する。ムメイの姿を。
彼はいつもの無表情で、その場に立っていた。何を考えているのかよく分からないような、何も考えていないのではと思えるような、そんな顔で。しかし――
確かに、アワンを見ていた。
アワンが確認したかったのは、それだけだ。ムメイがちゃんとアワンのことを見ているかどうか。それが全て。
見て貰わなければならない。アワンが、彼らの仲間に相応しいかどうかを。
見て貰わなければならない。今の、アワンを。
「ふぅ……」
それは――簡単なようで、とても難しいこと。
子供だろうと大人だろうと関係ない。もしかしたら、人が大人になるほどに難しいことなのかもしれない。
だけど――
ほんの少しの勇気と、僅かなきっかけで、人は強くなれるから。それこそが、人の強さだから――
「ごめんなさい」
アワンは、未来へと進む。
「あなたの大切な人と、あなたの大切な想いを……」
怖くても、辛くても、向き合う。拒絶されるかもしれない。許されないかもしれない。それでも――
「侮辱して、ごめんなさい」
未来は、前にしかないから。
「…………」
頭は下げなかった。
しっかりと顔を見せ、二人から目を逸らさない。
隠してはならない。今のアワンを見せなくてはならない。
向かい合う二人も、アワンから目を逸らさなかった。
『私を連れて行けば、私が魔人を倒していた』
きっかけは、ムメイだ。
彼がアワンを連れて行かなかった。アワンが彼を拒絶した。そこから全ては始まった。
いや、そうではない。そうではないのだ。
『あなたはあの吸血鬼に――騙されている』
血を与えることを拒絶したからではない。
それが原因であれば、ムメイに吸血させたあの夜に、アワンは謝っていた。だから、アワンが謝るべきことは、そうではないのだ。
ルルワが怒ったのは、己の想いを軽んじられたから。そして、最愛の人を侮辱されたから。
あの時のアワンは、ルルワが騙されていると信じて疑わなかった。
ムメイを悪だと、そう思いたかった。いや、善良な吸血鬼と思いたくなかったのだ。
なぜなら、アワンにはユウキがいたから。
なぜムメイが許されて、ユウキが許されないのか。ムメイが悪でもないと、ユウキが浮かばれない。
いや、やっぱりそうじゃない。そうじゃないのだ。
「ずるいって!! 思ってました!!」
「「…………」」
アワンは、ここに全てを打ち明ける。
これで、終わりにしたいから。ここを、始まりにしたいから。
だから――アワンは、想いのままに叫んだのだ。
「なんであなたたちだけ!! 私はっ、私とユウキは!! あんなにっ……あんなに辛い目にあったのに!! ズルい!! ずるいよ!! ズルい!!」
「「…………」」
感情の爆発と共に、これまでの落ち着きが嘘のように表情も変わる。
吹き出す涙も、鼻水もそのままに、アワンはここに、己の全てを晒す。
ずっと、二人に見せていなかった素顔を。
ロータル大谷で出会った時から、そうだった。アワンは、嫉妬していたのだ。
その怒りを、苛立ちを、憤りを、ずっと二人へとぶつけていた。
「それが許されるなら、私は何だったの!? ユウキはなんだったの!? 勇者だから特別なの!? 吸血鬼だったらいいの!? ずるいよ!! ずるい!! 不公平じゃない!!」
「「…………」」
アワンとユウキは、間違いだとされた。
だから、ムメイを連れ歩くルルワも、アワンは間違いと見做したかった。そんなことをするルルワは、勇者に相応しくないと。
過去の自分たちを追い込んだはずの、正義の立場に回った。人々を常に危険にさらしていると、人のことを考えていないと、正論を唱えた。
その意見自体は、考え自体は、間違っていないのかもしれない。アダやエバと同じ、責任ある大人の考えだ。
しかし、アワンは自分が許せなかった。なぜなら――
「楽だったんです!!」
それが、本心ではなかったからだ。
「正義の立場に回る方が、簡単でした!! 今の自分は間違ってないと、そう思えたから!!」
それこそが、アワンの罪だ。
アダとエバの覚悟を、大人の責任を、偽りの心で語った。今の自分は間違っていない。そう思うためだけに、ルルワとムメイの二人を責めたのだ。
「正論を語る方が、ずっと楽だったから!! だから私は、二人にあんなことを言っていたんです!!」
分かっていた。ムメイは悪ではないと。
なぜなら、ムメイを見るルルワの顔が、昔のアワンにそっくりだったから。
だから、認めたくなかった。二人の関係に重なる過去の自分から、アワンは目を逸らし続けていたのだ。
だから、アワンが真に謝るべきことは――
「自分に嘘をついて、ごめんなさい!! 二人のことをちゃんと見なくて……ごめんなさい!!」
血を拒んだことでも、酷い言動でもない。
アワンは己の過去ばかりを見て、今の二人を見ていなかった。
自分だけが気持ちよくなるために、二人を利用した。二人はずっと、アワンと向き合おうとしてくれていたというのに。
自分のことばかりだった。アワンだけが、一人逃げ続けていた。
資格がない。彼らと共に生きる、資格が。
だからアワンはずっと、ここに来ることが怖かったのだ。
偽りの勇者。偽りの正義。何もかもがちっぽけな、ただの少女。
これが、アワンの本心。アワンという少女の――本性だった。
視界を塞ぐ涙を、瞬きすることで下に落とす。しかし落としても落としても、視界は広がってくれない。
初めて己の全てを晒した少女の姿は、やはり弱弱しく、勇者の威厳はそこにはない。
誰もが同情して然るべき、そんな姿にも――
「許さない」
ルルワは、揺るがなかった。
ようやく、己の全てと向き合うことができた少女。その懺悔を正面から受け止めた者の答えは――拒絶だった。
その答えに、アワンは当然だと思う。
きっとルルワも、ムメイも、こんなことを言われるとはつゆほども思ってもいなかっただろう。想像もしてなかったはずだ。これほどアワンが、醜かったとは。
愛想をつかされて当然。手を振り払われて当然。
アワンは内心をずっと隠して、二人にいい顔をしていたのだから。しかし――
「今のあなたの気持ちを聞かせてくれない限り、私は許せない」
「っ!!」
それは、救い――ではなかった。
どこまでも、厳しい言葉だった。
あふれ出る涙を必死にふるい落とせば、怖いくらいに真剣な表情が目に映る。今のアワンには、一切手心を加える気がない――そんな表情が。
ルルワも、そしてムメイも、真っ直ぐにアワンを見ていた。今のアワンを、そして――
「後悔も、反省も分かった。なら、これからはどうするの? 語るべきは、これからのあなたでしょ?」
「これから……」
これからの、アワンを。
「アワン。あなたはどうしたいの?」
同じことを、レイラにも聞かれた。
その時は、答えなかった。答えられなかったのだ。やっぱり、口に出すのは恐れ多かったから。
今のアワンを見て、誰が彼らと釣り合うと思うのか。
唯一壁を越えておらず、かといって精神も能力も伴わない――見せかけの勇者。
ルルワにも、ムメイにも、アワンは言わなかった。怖かったからだ。何を勘違いしているのか、思いあがるな――そんな風に素気無く拒絶されることが。
「わ……たしは……」
『大事な人がいてくれることが、一番幸せなんだよ? だから、いてくれるだけでいいの』
アワンの言葉だ。
だからこそ、それを口にすることが一番恐ろしいのだ。最も幸せなことだと分かっているからこそ、受け入れられないという未来が怖い。
ルルワには、それが分かっているのだろう。
だからそれをアワンの口から言わない限り、許さないと。
それが、本当に前に進むということだから。それを口にして始め、アワンは前に進めるから。
「わ、私は……」
怖い。
身の丈に合わない願いだから。
分不相応な望みだから。
怖い。
本物の勇者である彼らとは、今のアワンではあまりに釣り合わないから。
能力が、強さが、覚悟が、資格が、信念が――何もかもが足りていないから。
怖い。
拒絶されるくらいなら、今のままの関係でいたい。
別に無理をして未来に行かなくてもいいではないか。このまま幸せな想い出と共に、夢の中で――
『君を未来へ、送り出したい』
「私は!!」
――勇気。
大切な人から大切な人へ。与えたものは今、帰って来る。
意志は――受け継がれる。
「私は、二人と一緒にいたい!!」
「「っ!」」
ようやく言葉に出せた瞬間――アワンは自分の視界が、一気に広がった様な感覚を覚えた。
これまでは、アワンを責めるようにも見えていた二人の顔が、その素顔が、今は鮮明に見える。
アワンの言葉に、虚を突かれたように目を見開き、呆気にとられるように口を開けるルルワと――
その隣で、口元に笑みを浮かべる――ムメイの姿が。
続きを求めているような二人の気配に、アワンの心も逸る。
アワンもそれを望んでいたから。一刻も早く、彼らの元へ。二人と同じ――
「ルルワさんと、ムメイさんと、一緒に生きていきたい!! ここが……ここが――!!」
――未来へ。
「私の、居場所なんです!!」
「「…………」」
勇気ある者の宣言は、ことさら大きく響き渡る。
世界が歓迎するように、その声は――轟く。
やっと言えた。
終わってみれば、本当に簡単なこと。
なぜこんな簡単なことが今まで言えなかったのかと、そう思うほどに。
だからこそ、難しいのだろう。
ほんの少しの勇気がいるから、誰かの助けがいるから――だから前へ進むことは、難しい。
少しずつでもいい。情けなくてもいい。進み続ける限りは、弱くない。
それは本当に、難しいことだと思うから――
人はまた、強くなれる。
「そう……」
「っ!!」
静かに、ただ確かなものを受け取ったように頷くルルワ。その瞳から、何かがこぼれ落ちたのが見えた時、アワンはさらなる涙を抑えきれなかった。
その頃には、ルルワの真珠のような銀の瞳からも、涙はこぼれ落ちる。
揃って涙を流す少女たちを、この場にあって唯一涙を流せない者だけが、笑顔で見守った。
「どうか私も……連れて行ってください……」
『どうか私も連れて行ってください!! 必ずお役に立ってみせます!!』
『ごめんなさい……あなたは連れていけないわ』
一度は、振り払われた手だ。
戦力にならないと、拒絶された。しかし――
「ええ、今度は置いて行かない。一緒に行きましょう」
「っ!!」
記念すべきこの日、この瞬間――
一人の少女から始まった長い長い物語は、終わりの時を迎えた。
「アワンの……全てを許す。私も……暴力を振るって、ごめんなさい」
「…………許します」
二人の喧嘩から始まった物語は、二人の仲直りによって、こうして終わった。
少なくとも、抱き合う少女たちの姿を静かに見守る男は――
やっと終わったのだと、ここに全ての終幕を見届けた。
『私も一緒に連れて行きなさい!! 私も、勇者です!!』
だが、アワンにとっては違う。なぜなら彼女は、彼にも手を振り払われているのだから。素気無く無視された。言葉の一つもなく。
だから彼の言葉を貰わないことには、アワンは終われなかった。
「ん?」
アワンはルルワの豊満な胸に顔を埋めながら、その男を見つめる。
アワンを抱きかかえるルルワも、同じようにしてその男を見つめた。
そんな二人の視線を受け、不思議そうに首を傾げる男。
一人遠巻きで傍観者を気取るのは、やはり吸血鬼ムメイ――その人だ。
「ん? じゃないわよ。何他人のふりしてるの。あなたからも何か言って」
「何か? 何を?」
「「はぁ……」」
何か言うことがあるのかと本気で思ってそうな顔に、アワンとルルワは揃って顔を見合わせ、ため息をつく。
自分は全く関係ないと言わんばかりの態度だ。確かにこれはアワンとルルワの仲直りではあるが、ムメイの存在はここになくてはならないはず。それが分からない男ではないだろうに。
ルルワには悪いが、アワンはムメイの言葉無くして終われない。
今だからこそ、この瞬間だからこそ、ムメイの言葉が欲しかった。
そんな想いを、涙に濡れた瞳に乗せてみる。
あなたの言葉を、聞かせてほしいと。
「そうだな……」
二人の視線に追い詰められた男は、やがって困ったように口を開いた。
アワンには分かっていた。
彼は、真っすぐな人の想いに弱い。そして、人が今、最も望んでいる言葉をかけてくれる。
ムメイという男はいつだって――
アワンを、助けてくれるから。
「魔王って七人いるみたいだからさ……」
ずっと探し求めていた――
もうこの世界にはないと思っていた――
――居場所。
「一人くらい、任せてもいい?」
アワンはようやく、辿り着いた。
***
その日は、雲一つないような青天だった。
「――ん~いい天気だ。やっぱ太陽の光を浴びないとな」
門出を祝福するような空に、俺は全霊で応える。
両手を広げて、太陽の光をこれでもかと歓迎する。アワンの血のおかげで、俺はこうしてまたこの世界を生きることができる――その幸せを享受した。
ちなみに何日か跨いだみたいな雰囲気だが、同じ日だ。
なんならお涙頂戴の美少女たちの仲直りから、まだ一時間も経っていない。つまりは――
「おい……本当に吸血鬼なんだよな?」
出立の勇者一行を見送るのは、一組の男女だ。
この国で男女と言えば、彼らしかいない。本当に、欠かせない二人だった。
「ケイン様も、吸血鬼には見えませんよ?」
「吸血鬼じゃないからな」
「間違えた。王子には見えませんよ?」
「コスプレメイドのせいだ」
相変わらず王子とは思えないような王子と、相変わらずメイドとは思えないようなメイド。一風変わった主従にして、この国の勇者たち。そこにいたのは、ケインとレイラだった。
救国の英雄にして、世界を救う勇者とは思えないような静かなる門出を、見送るために来てくれた。
レイちゃんはお姫様だもんね。ね~――などと仲良ししている姉妹をよそに、ケインは勇者一行のリーダーと向かい合う。言うまでもないことだが、俺ではない。本当に言うまでもなかった。
「本当にあなたは来ないの?」
「ああ……俺は残らなきゃいけない理由があり過ぎる。この国から離れるわけにはいかない」
「…………」
先ほどアワンしか必要ない。他の人間は眼中にない――みたいな雰囲気を醸し出していた俺たちではあるが、実はケインのこともちゃっかり誘っていた。
もちろん彼に振られたから代わりとしてアワンを、とかそんなことでは絶対にない。アワンはもちろん一位指名だ。
しかし、他ならぬケイン本人がこの国に残ることを選んだので、加わった仲間はアワンだけとなる。
「それにしても意外だったな……まさか俺が誘われるとは。あんたには嫌われてると思ってたんだが……」
「ええ……彼から猛プッシュがあって。自分で誘えばいいのに」
「…………」
「…………」
今日初めて俺の方を見たケインと、目を合わせる。
「え、お前が?」みたいな感じで凄い驚いているので、俺も一緒になって驚いておいた。言葉もなく、大の男たちが驚き顔を突き合わせる。
「なんであなたも驚いてるの」
そりゃ驚くだろう。
確かにケインを猛烈に推薦したのは俺だが、だからこそ驚くというもの。
どう考えたって、彼は誘われてしかるべき男だろう。正直勇者力ではアワンに勝るとも劣らない。
「まあ……なんにせよ有難い話ではあるが、やっぱり俺の答えは同じだ」
「どうして? 勇者が夢なんでしょ?」
「だからだよ」
そして俺の見立ては、やはり間違っていなかったと証明される。
彼は本物の、勇者だった。
「自分の国も守れねえで、勇者になんてなれるわけねえ。通りすがりの勇者の助けを待つなんて、俺は二度とごめんだ」
「「…………」」
勇者を目の前にして、これを言える男がどれだけいるだろうか。
少なくとも俺は、初めて会った。
「それに、こう見えても王位継承者筆頭なんでな。今回の一件の後始末も、ロフォス家の問題もまだ残ってる。やりたいことだけやって、はいさよならとはいかねぇよ」
「え? やりたいことだけやってはいさよならしようとしてるアワン様を責める声がが、この辺りから聞こえてきたような気がしましたが?」
「え? そうなんですか?」
「違えよ!! あっち行け!!」
通りすがりの野次馬たちがひょっこりと顔を出し、ケインがそれを鬱陶しいと追い払う。
アワンとレイラは再び一つとなって、遠くの方へと消えて行った。その行く先は――
「ユウキの墓……良かったの?」
「ん? ああ……」
ここは、今は無き聖域の跡地だ。
つまりはコロノス領。この地の管理は、領主一族のいなくなったロフォス領と合わせて、ブーノス家の預かりとなった。
というより、今回の件を機に、御三家の内ロフォス家、コロノス家が解体の運びとなったことで、王家の権力がブーノス家一つに集約されたのだ。
もはや当然のことではあるが、今後国内の不安定は避けられないだろう。御三家体制の復興を目論んでいたところに、この大事件だ。後処理に追われるであろうケインの心労を思うと頭が上がらない。
せめてこれまでのような二家による体制に戻ればいいのだが、当主候補は残った王族に限られる。そんな都合の良い者は中々いないし、ましてや簡単に結婚などできるはずもない。
ともあれ、ここコロノス領は現在ブーノス家、その中でもケインの預かりとなっているということ。
ユウキの墓をここに建てる許可をくれたのも、当然ケインというわけだ。この決断には、流石に俺も驚いた。
レイラはまだ、ユウキの人生を変えた元凶の一人という立場がある。
しかし、ケインは全く関係ない。むしろ彼は被害者だ。それも、ユウキが起こした被害では、アダを除けば一番の被害者と言っても過言ではない。だが――
「まあいいさ。死んだ奴を、いつまでも恨んでもな」
「「…………」」
簡単じゃない。
この言葉を吐けること。そして、ユウキに祈りを捧げる、アワンとレイラの後ろ姿を見守ること。
それが簡単でないことなど、息を飲むルルワの気配を見ずとも分かった。
7年。
アワンもレイラも、辛かっただろう。当事者である二人だからこそ、その苦しみは計り知れない。
しかし無関係でありながら、アダのしわ寄せを実質的に受けることになったケインも、同等以上に辛かったはずだ。
仮に俺が3人それぞれの立場となったとしたら、最もユウキに対し強い憎しみを抱くであろう立場が、ケイン。
いや、ユウキだけではない。アワンやレイラに対しても、思うところはあるかもしれない。その資格がある程度には、ケインは一方的な被害者だった。しかし――
「それに、これは俺たちの責任でもある。あいつには王家への戒めとして、この地にずっといて貰うことにするよ」
(こいつ……カッコイイな)
アダの罪を当然のように王家のものと見做す、王族の誇り。
アワンが残した諸々の不始末を、平然と肩代わりする男気。
そして、ユウキのことを許す度量。
その全てが、本来は難しいことだ。到底凡人の枠には収まらない。
なぜ友達がレイラ一人しかいないのか、本当に不思議なくらいにはカッコイイ男だ。
壁を越えた存在を単独撃破したとも聞くし、力、容姿、精神、身分――どこを取っても文句の付け所がない王子だろう。アワンが結婚してもいいと思ったのも頷ける。
正直ルルワがこいつに惚れてしまわないか、こうしている今もヒヤヒヤするほどだ。俺が女吸血鬼だったら、とっくに心を奪われている。だってカッコイイもん。
「ごめんなさい」
俺にとっては幸か不幸か、ルルワもケインのことをそう評価したのだろう。謝罪と共に、軽く頭を下げる。
そんな勇者の態度に驚き、アワン達から慌てて視線を戻すのがケインだ。ルルワ理解力の高い俺は、ルルワの行動の意味を即座に理解したが、ケインにとっては寝耳に水の事態だったようだ。唐突に頭を下げたルルワを見て、かなり驚いている。
「あなたのこと、誤解してたわ。本当にごめんなさい」
「っ!」
だがそこまで言われて分からないほど、ケインも鈍くはなかった。
ルルワの謝罪の気持ちが真っ直ぐだったからかもしれない。
それは簡潔な謝罪だったが、だからこそ高潔でもあった。少なくともケインには、しっかりと思いが伝わる。
「…………光栄だ。俺はあんたのこと、ずっと尊敬してたから。吸血鬼を連れ歩きだしたって聞いた時は、正直いい印象はなかったけどな」
無理もない。ユウキのことがあっては。彼の立場であればむしろ当然。俺の存在をすんなりと受け入れる方が難しいだろう。
ケインが最初俺たちに友好的ではなかった理由も、こう思うと当たり前だった。
「また困った時は、あなたの力を借りてもいいかしら?」
「もちろんだ。アワンのこと、よろしく頼む」
ルルワが手を差し出し、その手をケインが力強く握る。
勇者たちの握手が交わされる頃、見計らったように、席を外していた二人が帰ってきた。
「友達になれましたか?」
「なっ!? おい!」
ケインの肩口からひょっこり現れた眼鏡のメイド――レイラの問いに、ケインはあからさまに慌てる。まるで好きな子をばらされた男子高校生のような反応だった。
というより、この二人がそうとしか見えない。
眼鏡委員長と不良問題児。未来を知っている俺から見れば、かなり萌えるカップルだった。
「え、まだなの?」
「今から言おうとしてたんだよ!!」
チラチラと俺の方を伺うケインの姿に、「俺のこと好きなのかな?」とか思うほど、俺は恋愛脳ではない。
それくらいなら、ここが私の指定席とばかりに俺のすぐ側に駆け寄ってくるアワンの方が、まだ可能性があるくらいだ。もちろんアワンの態度の軟化を、そんなふうに曲解するほど俺は自惚れてはいないが。
「馬鹿なくせに、なにを難しく考えてるんですか?」
「モジモジして、女の子みたいです」
「男らしくないわね」
「くそぉ!!」
三人の女から立て続けに責められるケインを、俺は今回ばかりは同情の視線で眺める。この空気では誰だって切り出しずらい。同じ男としては、気持ちはよく分かった。
「あーなんだ……別に嫌なら断ってくれていいんだが……」
「告白みたい……」
「結構悪くないカップリングだよね……」
再び寄り添い合う姉妹が、場を軽口でにぎやかす。
「あー……」
「どっちが攻めなの?」
「ケイン様じゃない? オラオラ系だし」
「うるせぇ!!」
当然丸聞こえなので、ケインの暴発は早かった。
ただまあ、救われたのも確かだろう。どのみちこんな空気となってしまっては、もう茶化すしかない。アワンらも手助けのつもりだったようだ。
俺には関係ないが。
「俺も、友達になりたいと思ってた」
「っ!?」
俺は、自分から切り出す。
ケインが言わずともそのつもりだったのだから、スルリと言葉に出来た。
そんな俺の攻勢に、息を飲むのがケイン。
そして「こっちが攻め!?」、「萌える!!」などとアホなことを抜かしているのが、アホ姉妹だ。
ルルワはいつものような後方彼女面で俺を見守る。ルルワは正真正銘俺の彼女なので、彼女面は当然だった。
「良かったじゃないですかケイン様!! 私以外では初めての友達ですよ!!」
「やっぱそうだったんだ。なんかごめん、俺たくさんいて」
「何マウントなのよ。あなたも大して変わらないでしょ?」
変わらないことはない。俺の友達はアガトスだけでも7人はいるのだから。
そんな新しくできたアガトスではない友達に、俺は手を差し出す。ケインは照れくさそうに、その手を握った。
「あんまり不甲斐ないようなら、俺が先に魔王を倒すからな」
「はい、競争です」
そしてケインは、続けてアワンとも握手を交わす。
勇者を夢見る少女と、そんな彼女から夢を貰った男。アダと、レイラから勇者の夢を取り上げたアワンだったが、彼女から何かを受け取った者も、確かにいたのだ。
そして、互いに夢を確かめ合う。
アワンを追い詰めた夢――勇者を。
「私は、一緒には行けない」
「うん」
そして再び別れる、家族。
だがその顔は、過去の二人とは全く違うようだった。
なぜならどちらも目を逸らさず、真っ直ぐに相手のことを見ている。そこには人と向き合うとする、確かな強さがあった。
「だから、約束して」
約束。
勇者と並んで、アワンを追い詰めたもの。
しかし、だからこそ――
「ちゃんと二人を頼って。一人でテトラー探しちゃだめだよ?」
「うん、約束する」
アワンはこの丘で再び、約束を交わしたのだ。
別れと言うのに、涙一つない晴れやかな笑みに、俺は出会ったばかりの頃のアワンを重ねていた。
ルルワの助けで、レイラの助けで、ケインの助けで、そしてユウキの助けで――こうしてアワンは、この世界で笑えるようになった。
笑って未来を、迎えられるようになった。
だから俺は、アワンからこの笑顔を奪わない。
それが、俺のやるべきことだ。泣かせたっていい。怒らせたっていい。だけど最後には、必ず笑わせてみせる。皆で笑ってみせる。
俺はそれを、アワンの笑顔に誓い――
そしてここに眠る友に――約束した。
「行ってきます!!」
少女の声は高らかに、丘へと響き渡る。
ここは聖域――改め、約束の丘。
全てが始まり、そして終わったこの地から、彼女は再び始まる。
新たな約束と夢を胸に、少女は今――
己で選んだ――未来へと。
精霊眠りし丘は、そんな少女を温かく送り出す。
彼女の居場所はもう、ここではないから。
吸血鬼転生・第一章 ”約束の丘の祓魔姫” 終
これにて、一旦完結となります。ここまで読んでくださった全ての方に、心よりの感謝を。
こちらでの再開は今のところ未定ですが、カクヨムでは連載は続いております。もし待ちきれないと思って下さった方がいらっしゃれば、そちらを覗いていただけると嬉しいです。
近くにある▭枠の[ブックマークに追加]と、下の方にある☆☆☆☆☆の一番右を押して★★★★★にして頂けると、作品に評価ポイントが入るようになっております。
この作品を応援したい、他の読者にもおすすめしたい。そこまで思って下さった方がいらっしゃれば――どうかあなたの勇気と優しさを、本作品へとお貸しください。
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