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吸血鬼転生~最強なのに太陽の光で死ぬ俺は、唯一の希望”処女の血”を吸わせてもらうため、お姫様勇者のペットへと成り下がる~  作者: 兄貴
第一章 約束の丘の祓魔姫

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第082話 悪霊退散


「――ああ、やっと来てくれたか」


 消失した聖域。巨大なスプーンで大地が繰りぬかれたような盆地であり、神の天災によって終結を見たような壮絶な戦いの跡地でもあるその場所には――


 敗者がいた。


 姿は見るも無惨。いや、目も当てられないとはまさにこのこと。

 成れの果てとでも言わんばかりに力なく横たわる姿は、ここで行われた戦闘がどれだけ苛烈なものだったかを表し――そして、この戦場での敗者が、誰であるかを如実に表す。


 つまり今、敗者に対し、勝者が近づいているのだ。自らの足で、その心に多大なる無念を抱き、表情には深い同情さえ湛えながら。

 それは、本来あってはならないこと。戦場では、決して許されざる禁忌だった。

 それでも――


「しぶとく生き永らえちゃってさ……トドメを頼める? 中々死ねずに困ってたところだよ」


「…………」


 だが、他ならぬ敗者が望んでいた。勝者の手によって、その人生に幕を下ろされることを。

 そんなユウキの姿に絶句し、立ち止まる。

 足を止めたのは、既に生を諦めている希薄な気配にもだが、やはり生そのものを感じさせないような、その往生の姿にだ。

 戦場の習いとはいえ、友達がこれほど残酷な目にあっているのを、直視することができるだろうか。

 自分も加害者の一人――いや、れっきとした加害者の立場であるというのに、いざその事実に直面すれば、怖気ずく。戦いと世界を目の当たりにし、足がすくむ。

 そんな不安定な勝者の気配を、ようやくユウキは訝しんだ。まるで嫌な予感でも覚えたかのように、続く言葉は早い。


「おいおい……このまま餓死しろっていうほど、君も友達甲斐がないわけじゃないだろ? それとも能力盗んだこと、まだ怒ってるのか? やるって言ったのは誰だっけ?」


 友達、能力――。

 分からないことは多いが、ユウキが勘違いしていることだけは確かだった。

 ここに来たのが、ムメイであると。


「…………」


「…………」


 既に姿をはっきりと視認できる距離。

 互いにその存在は把握しており、あと数歩でも進めば、簡単に彼の元へと辿り着く。


 だからこそ、ここが最後だ。引き返すなら、ここが最後のチャンス。


 アワンには分かっていた。この出会いは、決して許されていないことを。

 そして出会えば、別れはもはや避けられないことを。


 アワンとユウキは、出会えば、必ず別れる運命であるかのように――

 この出会いには、救いがない。だから――


「ユウキ」


「っ!!」


 だからアワンは、ユウキの名を呼ぶ。

 友達との別れの恐怖に、自らの足で立ち向かう。

 もう逃げないと、そう――約束したから。


「アワンだよ」


「…………」


 名を告げることで、ユウキはようやくそれを現実として受け入れる。その気配は、やはり薄々察していたとでもいうように、動揺が少ない。だが、この現実に対し何の不満もないわけではないようだった。

 体が動かないのか、こちらに顔を向けることさえせず、彼は呟く。小さく、ここにはいない誰かへと、怨嗟の声を飛ばす。


「あの野郎……」


「…………」


 アワンは聞こえないふりをして、ようやく一歩を踏み出した。

 現実を受け入れる恐怖に立ち向かい、ユウキの元へと。

 今は無き聖域の残滓の中で、アワンとユウキは、こうして再び巡り合う。

 また別れるために――出会う。


「可愛いアワンをあんな奴と見間違えるなんて、ボクもどうかしてたよ。疲れてたのかな?」


「…………」


 アワンが傍らに膝をつくと、ユウキはワザとらしいくらいに平静を装う。だが子供の嘘は、子供が思う以上に大人には通用しないものだ。

 取り繕うその痛々しい姿に、やはりアワンは心を痛めながらも――ぐったりと横たわる体を抱き起し、その頭を膝に乗せる。


 軽い。あまりに軽い体。およそ抵抗というものが感じ取れない肉体は、彼が子供と言う事実とは無関係に、明らかに重みを感じさせない。

 それはまるで、命そのものが抜け落ちているみたいに。少なくとも、今のアワンにはそう感じさせた。

 上から見下ろせば、下衣は裂け、所々に焼け焦げたような痕。体毛で見えにくいが、皮膚には珍しい形をした赤い模様の数々。

 鼓膜が損傷しているのか、耳からは血が流れ――目は開いているが、瞳孔が不自然なまでに開いており、その視線は全く安定していなかった。


 思ったよりも、外傷は酷くない。肉の形は保っており、再び立ち上がることくらいはできるようにも見える。

 しかしだからこそ、体をピクリとも動かせないこの現状が、内部のダメージが絶大なものであることを容易に悟らせた。

 体の中は、既に虫の息にまで、死の淵を彷徨うまでに損傷しているのだと。

 だから――


「…………お見通しか」


「うん」


 アワンはユウキの瞼に手を当て、優しく目を閉じさせる。アワンを見ているようで、見ていない瞳を。既に何も映さないのに、必死に今のアワンを見ようとしてくれている、優しい瞳を。


「でも、左の鼓膜はまだ辛うじて機能するから、声は聞こえるんだ。君の声は、ちゃんと聞こえてるよ」


「うん」


『今の彼女を見てやれよ』


『認めるよ。今のアワンを――受け入れる』


 今のアワンを受け入れ、見たいと思うユウキに、今のアワンの姿を見せない。

 どこまでも残酷で、生命いのちに優しくない世界。しかし、二人はこの世界で出会い、そしてまた巡り合ったのだ。

 それはやはり、世界の残酷さの証明でしかないのかもしれない。どこにも救いなどないという、何よりの答えなのかもしれない。それでも、この時間が二人にとって特別なことだけは、確かだった。


「それで……なんで君が来たの? もしあいつが行かせたって言うなら、悪いけどこのまま彼の元まで運んで欲しい。もう一戦挑みたいから」


「ううん、違うの。私が行かせてほしいって頼んだ」


 強い憤りは、まるで裏切られたとでもいうほどに固いものだった。それが分かったアワンは、慌てて否定する。嘘ではなく、真実で。

 反対と言うより拒否していたムメイと、断固反対していたルルワの二人を押しのけて、ここに来ることを選んだのは、アワンだ。

 ルルワが穴を掘っている間に周囲を探索し、ユウキの影を見つけた時から――アワンは一人でここに来ることを、既に心に決めていた。

 だからムメイとのケジメを付けた後、アワンはユウキともケジメをつけるため、二人を説得した。

 なあなあで終わらせるわけにはいかない。ムメイに血を与えることも、ユウキを看取ることも、アワンのやるべきことだから。

 

「ルルワさんは、あなたが私に危害を加えることを警戒してたみたい。あなたが少しでも動けたら、私なんか簡単に殺されちゃうし……もっと酷いのは、私が人質になっちゃうこと。そうなると、また繰り返しでしょ?」


「違いないね。正論だ」


 アワンも、ルルワの意見は正論だと思った。

 出さなくてもいい被害、負わなくてもいいリスク。それらからなる損失を、自ら献上するような愚行。どう考えても、始末はムメイに任せた方が良い。最も確実で、最も安全。そしてそれが、最も人のためになる。

 アワンの行動は、いたずらにリスクを増やし、そして再び、この国を地獄に落としかねない行動だ。

 勇者にあるまじき所業。世界への裏切り。その評価に否定の余地はなかった。


 だがその正論は、感情に肉付けされたものだと、アワンは見抜いていた。ルルワはただ、アワンのことを心配してくれているのだと。ただ、アワンに死んでほしくないのだと。

 ユウキもそれが分かっているようだった。そして、ムメイの意見がルルワとは異なることも。


「ムメイはなんて?」


「死んでもいいなら、行って来いって」


 ルルワの正論を前提とした上で、その責任が取れるなら行っても構わない。ムメイの意見はやはり感情ではなく、守るべきルールが先行した。

 まず、ユウキに殺されても文句は言わない。

 そしてユウキに人質に取られた場合は、ムメイに殺されても文句は言わない。

 もし人質に取られた場合は、問答無用でアワンごと殺す。いずれの結果となった場合でも、包み隠さず世間に公表する。偽りの英雄の血は、やはりただのマヌケでしたと。

 それでもいいのなら、好きにしろと。


「はははっ……なんだよあいつ。今のあいつなら大丈夫とか、それくらいのこと言えないのかよ」


「うん、それが王道だよね」


 正直、アワンもそう思った。

 今のユウキなら、アワンを殺すことは絶対にない。ケジメをつけてこい。

 欲を言えばそんなふうに、優しく送り出して欲しかったものだ。別に役目から逃げない勇気を褒めろとまでは言わないが、少しくらい大丈夫かとか無理するなとか、そんな言葉があってもいいんじゃないかとは思った。


 それがアワンが行くと決めたら、つれなく即解散だ。

 特に心配することもなく、また何の言葉もかけることなく、背を向けて帰ってしまった。ルルワもムメイについて行くのは当然とばかりに――いつものこと――その背に続き、見送りもなくアワンは一人残されたのだ。

 その一瞬ばかりは、本当に自分は大切にされているのかと疑ったほどだ。それほどあっさりとした送り出しだった。いや、送り出されてもいない。だが――


「別に立ち会ってくれても良かったのにね。授業参観みたいにさ」

 

「そりゃ無理だ。あいつは……父親じゃないから」


 ユウキの言葉は、この話の本質、つまりムメイの意志を理解していることの何よりの証明だった。なぜなら、それこそが答えだから。


 父ではなく、仲間。それがムメイの行動、その理由の全て。

 アワンの命にも行動にも、何の責任も持たない。だからこそ、全てを信頼して預けられる。

 この場を見守る、いや、見張るようなこともしない。アワンがやれると言ったのなら、重大な役目でも任せる。

 つまりは――


「随分買われてるじゃないか……それとも、ボクが舐められてるのかな?」


「どっちもっていうのが一番嫌だよね」


 アワンは、信頼されているのだ。

 本来ムメイがやるべきことの、代わりを任せられるほどに。何があっても、勇者の役目を果たす女だと。

 仲間としてこれ以上なく、アワンは信頼されていた。


「…………良かったね」


「…………うん」


 それが、アワンはどうしようもなく――嬉しかった。

 守るべき対象ではなく、頼ってもいい仲間と思われている。それが本当に本当に嬉しい。

 ムメイは出会った頃からそうだった。アワンの力を、いつも頼りにしてくれていた。


「まあでも……ちょっと優しさが分かりにくいよな。あれこそツンデレって奴なんじゃないか? 需要あるのかな?」


 ユウキの言葉は、ムメイという男をかなり理解していなければ出てこない言葉だ。なぜならそれは、アワンも常々思っていることだから。

 ムメイの優しさは表面上に出ないため非常に分かりにくい。そもそも本人がそれを優しさと自覚しているのかすら疑問だ。

 だがハマればどこまでも深く突き刺さる。現にアワンはそれにやられている人間を、自分以外にも一人知っている。


「あるよ。ルルワさんなんかいつもキュンキュンしてる。キュンキュンだよ?」


 本当にキュンキュンだ。擬音が聞こえてくるほどに。

 恋する乙女があれほど分かりやすく出ている例は他に無いと思う。少なくとも、あれほどの恋をアワンは見たことがない。


「そうか……だから引き締まってるんだな。いや……悪いけど、ボクの代わりにあの子に謝っといてくれない? 橋ではちょっと酷いこと言い過ぎたなって、反省してたんだ」


「勘弁してよ……これから仲直りが控えてるんだよ?」


 二人して、クスクスと笑う。

 このような雑談や冗談が交わせるのも、二人が既に同じ結末を悟っているから。残された時間は短いと理解しているから。

 アワンにはそれも、分かっていた。


「…………」


「…………」


 この出会いの結末は、最初から決められている。

 アワンは分かっていて、ここに来た。

 わがままだと分かっていても、ユウキを苦しめることになると分かっていても――

 アワンは、最後にユウキに会いたかった。これは、アワンの我儘。

 

「君の命を、吸血鬼なんかにくれてやるわけにはいかないな。ボクはあいつと違って、優しいから……」


「…………」


 だがその時は、アワンが思っていたよりも、ずっと早く来る。

 既に決めたと思っていた覚悟を、もう一度決め直すような時間も与えられず――世界は残酷に、明日へと進み続ける。


「元気そうに見えるかもしれないけど、もう虫の息だ。今のボクなら、君でも殺せるよ」


「…………」


 そして、決定的な言葉へと。

 他ならぬユウキが、足早にアワンとの別れを――望んだ。


「…………君って案外、ボクより泣き虫だよね」


 気付けば、それが当然であるかのように、アワンは泣いていた。

 決して泣かないと決めて臨んだこの場。絶対に、いかなる感情も漏らしてはならないと、そう己に課して臨んだはずだった。しかし――


 涙は、溢れて止まらない。

 それは、目の見えないユウキに簡単に悟られてしまうほどに――

 彼女は、泣く。感情の決壊が、想いの奔流が、ここにきて止まらなかった。


「悪いけど、ハンカチの用意がなくてね。勘違いしないでくれよ? 極悪吸血鬼に持ってかれたんだ」


「私もっ……ないっ……」


「君も同じくちか。あいつ、泣けないくせにね」


 アワンのハンカチは、人を助けるために使った。

 この国の涙を、拭うために。だから、自分の涙を拭うものは、もう残されていなかった。

 だが、仮にあったとしても、大した力にはならないだろう。

 ユウキには涙を拭うほどの力も残されてはおらず、またアワンにも、そんな気力はない。

 それほど、溢れて止まらない。止められる気がしない。この涙は、流れ続ける宿命であるかのように。最初から流れることが、決まっていたように。


「そうそう、あいつはどうなった? ケインって奴。最期だと思うと、あんな奴でも気になってさ」


 そんなアワンの様子を見かねたのか、ユウキは自ら口を開く。

 それは、アワンの心の準備が完了するまでの、時間稼ぎのようだった。


「重傷だったっ……けどっ……生きてる。ナトゥを……倒したって……」


 アワンはしゃくり声をあげながら、何とか言葉を紡ぐ。

 対してユウキは、凪のように穏やかな心で、上から降り注ぐ大量の雫を受け止めた。時間を敢えて作り出すような姿。そして何より、この落ち着き。

 それはもう、ユウキはこの世界に、全く未練がないことを示す何よりの証明だった。

 そしてユウキが、既にアワンを未来へ送り出す覚悟ができているという、何よりの証だった。


 その事実がさらに、アワンの胸を締め付ける。

 最も過去に縛られていたのは、ユウキだけではない。アワンもずっと、過去にいた。二人は、やはり同じだった。


「へぇ……あいつが。そうか……そうか……」


「うんっ……」


 ケインに対し、ユウキがどのような感情を抱いていたのかは、アワンにも分からない。

 ユウキの過去を歪ませた元凶であり、確かなトラウマとなっているであろうアダ。そんな男と同じ顔をしたケインに対し、どんな感情を抱いていたかは。

 しかし、今の気持ちは分かる。引き上げるように歪む口元が、彼の感情をこれ以上なく表していた。心から浮かべた、穏やかな笑みが。


「聞きたいことはそれだけだけど……言いたいことは、そうだな……」


「ふっ……ぐっ……」


 アワンは苦労して、涙を仕舞いこむ。その努力をする。

 対してユウキは、涙腺自体が焼けているのか、一切の涙を見せない。

 しかしその真意は、アワンにも分かっていた。アワンが躊躇わないように、少しでもアワンの心に負担をかけないように――

 泣くようなことはしない。同情を引くような姿は見せない。

 結末は既に決まっているのだから。最後まで、ユウキはアワンのために――


 加害者が泣き、被害者が配慮するという間違った空間。今自分が、どれだけ卑怯な立場か、そしてどれだけ恵まれた立場か。それも、アワンには分かっていた。それでも――


「ボクにも、新しい友達ができたことかな」


「あ"あ"っ……!」


 アワンは、流れ出る涙を、止めることができなかった。それどころか、熱は、想いは、さらなる重みを伴って流れ出す。

 7年分の想いが、溢れ出す。ユウキは盲目の視界を良いことに、アワンの悲痛な涙を気遣わなかった。

 いや、それはもしかしたら、彼も知って欲しかったのかもしれない。


 ただ、新しい友達ができたことを。

 自分が未来へと、進めたことを。


「アワンしかいなかった。ずっと……アワンだけだと思ってた。だけど最後に……ボクにも友達ができたんだ。だからボクは……やっと未来に進めたんだ」


「う"ぅ……! う"う"う"う"っ……!」


 ムメイとユウキとの間に、どんなやりとりがあったのか、どんな時間があったのか、アワンには当然分からない。

 しかしユウキのその言葉が嘘でないことだけは、アワンにも分かった。決して、アワンのことを気遣った、上辺だけの言葉ではないと。

 これはまごう事なき、ユウキの本心だと。それが、アワンの心をどうしようもなく痛めつける。


「最後に、前に進むことができた。最後に、心から笑うことができた。だから……」


「はぁっ……う"ぅ……!」


 言ってほしい。

 言わないでほしい。

 相反する感情は、アワンの心を最後まで苦しめる。


 ユウキにも分かっていた。これは、アワンを苦しめる言葉だと。

 自分がこんなことを言えば、アワンはもっと辛いと。

 それでも――


 大切なのは、意志だから。


「君を未来へ、送り出したい」


「あ"あ"あ"あ"っっ……!!」




『まずは自己紹介からね。私の名前はアワン。あなたのお名前は?』


『お名前? ボク名前ないよ?』


 始まりは、この丘。

 運命に導かれるようにして、二人は出会った。

 日の光の届かない暗黒の世界で――アワン達は出会い、そして、交わったのだ。


『エサの仲間じゃないの? アワンみたいなのこと、みんなエサって言ってた……』


 助けてはならない存在だと、分かっていた。

 彼は人間の敵だと。これは間違ったことだと。だが――


『でも、ボクもうアワンのこと食べられないよ』


『あんなふうにポンポンされたのも、ギュってされたのも……ボク初めてだったんだ。だから……食べたくないよ』


 同情してしまった。

 世界の被害者である幼き命に、情をかけた。人のルールではなく、アワンは私情を優先した。

 可哀想な子を助けるのは優しさだと、自分を騙して。

 

『友達になろうよ』


 そしてアワンは、友のいないユウキの、初めての友達になったのだ。

 世界に許されざる、敵対種族の友情。それは正しいこと、尊いものだと思いたかった。


『悪い霊なんていないよ。ここには、怖いものはもうこないから』


『ほんと?』


『うん。ここは聖域なんだよ?』


 ユウキを太陽の下に連れだし、聖域を与えた。

 二人だけの、約束の地を。彼を過去へと縛り付ける、呪いを。そして――


『あなたの名前は、”ユウキ”。とても勇気のある子だから』


『ユウキ! 凄いや! ボクの名前だ!』


 名前を。

 全て、アワンが与えた。何も無かったユウキに、与えたのはアワンだ。


 聖域という居場所を――

 ユウキという名前を――

 天術という力を――

 そして――


 勇者という、夢を。

 

 だから――


「私……約束するから!!」


 アワンは涙に塞がれる目を見開き、ユウキを見る。今のユウキを、受け止める。

 彼の目は開かない。アワンのことを見ていない。それでも、届ける。

 いや――


「私と、ユウキみたいな子を、この世界から出さない!! もう誰も不幸にさせない!! 私がこの世界を、救ってみせる!!」


 今度は、ユウキから貰う。

 ユウキの意志を、アワンが受け継ぐ。ユウキの、全てを――


「あなたの分まで、必ず勇者に!! 絶対、勇者になるからぁ!! 私たちの夢だから!! 約束だからぁ……!!」


『アワンの夢は、ボクの夢だよ。ボクもきっと、勇者になるから。約束』


『うん、約束。一緒に勇者になろう』


 今度こそ、一緒に――

 

「ああ……」


 大切なのは、命よりも――


「約束だ」


 意志。


「ふぅっ……! う"う"う"っ……!」


 こうしてアワンは、最後に、ユウキから全てを貰う。

 居場所を、勇気を、力を、夢を、そして――未来を。


 それは、本当に大事なものばかりだ。

 アワンという少女の人生にとって、かけがえのないものばかり。

 この広い世界で、この残酷な世界で、巡り合えた最高の友達。

 

 ユウキ。


 彼のおかげで、またアワンは、未来へ進み出すことができる。明日を迎えることができる。

 しかし世界は、試練を乗り越えようとする者の前にいつだって――


 新たな試練を――与えるのだ。


「…………アワン?」


「ユウ……キ?」


 その目新しいほどの気配の変化は、アワンを感情の濁流から掬い上げた。

 まるで急激な場面転換でも行われたように、全く異なる空気が展開される。背景やシーンに微塵の変化がないからこそ、その変化は逆に如実だった。


「わあ! やっぱりアワンだ!! やっぱりそうだ!!」


「…………」


 悟りすら開いたような気配から、一転して無垢なる気配。

 その不気味なほどの変化に、鳥肌が立つような落差に、アワンは声すら出せない。

 狂乱、自暴自棄、現実逃避――頭によぎったどれもがその光景と合致せず、思考は急速な混乱に包み込まれる。

 その後心が、どれほどの絶望に叩き落とされるかも知らずに。


「やっぱり帰って来てくれた!! ボクのところに!!」


「っ!!」


 アワンの理解は、残酷なほどに早かった。それは直感であり、確信でもある。

 原因は全く分からない。しかし今のユウキがどのような状況にあり、そしていつのユウキであるのか――今のアワンには、はっきりと分かってしまった。

 彼女は分かってしまったのだ。


 今のユウキは、過去だと。


 そしてアワンが分からなかった原因こそが――雷。

 数億ボルトの電圧が生物の脳へと与える電気ショックは、計り知れないとされる。またそれが人体にどのような影響をもたらすかも、はっきりとは分かっていない。

 現に、脳の神経細胞に与えるダメージからなる記憶障害の例に関しては、枚挙にいとまがない。雷に当たった生命のその後は、誰にも予測はつかないのだ。

 つまりは――


「そうだ、全部夢だったんだ!! アワンがボクから逃げていくはずないよ!! 全部、悪い夢だったんだ!!」


 記憶喪失。それも、何の悪夢か、7年分の記憶。

 ここにきて、ムメイの力が――ユウキから未来と、その意志を取り上げた。


(そんな……どうして!?)


 狙いすましたかのようなタイミング。

 致命的、悪魔的不幸の合致。


 アワンの絶望は、それだけにとどまらない。


(どうして、こんなに――!?)


 世界は、残酷なのか。


 やっと未来に進むことができたユウキから、なぜ今、それを取り上げるのか。

 なぜよりによって、あの頃のユウキに戻すのか。なぜ、こんな別れ方にさせるのか。


 どうして世界は――こんなにも、アワンに優しくないのか。


「夢が醒めたんだ!! ボクたちはこれからも、ずっと一緒だ!!」


「う"う"っ……! う"う"う"う"っっ……!!」


 あの頃のユウキと決別しなければ、この先へ進むことは許さない。本当に試練を超えたことにはならない。

 そう突き付けるが如き、悪夢。


 もう、逃げてしまいたい。

 何もかも放り捨てて、楽になってしまいたい。


 痛いほどに身が締め付けられ、もはやこの身を傷つけた方が楽だと思うほどに――

 心の悲鳴すら、安らぎに感じてしまうほどに――


 この世界は、地獄。


 それでも、アワンを前に進ませるのは――


『約束だ』


「アワン……どうしたの? あれ? 目が見えないや……体も? アワン、ボク変なんだ……どうして……」


 7年前に戻ったユウキは、ようやく自身の現状に気が付いたのか、その無垢なる表情に不安の面持ちを浮かべる。

 体が全く動かない。目も見えない。唐突に暗闇へと投げ込まれた、恐怖に震える。

 そんなユウキに、アワンは――


「大丈夫……大丈夫だよ……」


 同情を誘う、幼気な姿。

 アワンが情をかけて救った、あの頃のユウキそのもの。

 助けたい。優しくしてあげたい。また暗闇から、救い出してあげたい。


 だけど――

 それでも――


『君を未来へ、送り出したい』


 もう、終わりにしなくては。

 

 ユウキの意志を、捻じ曲げるわけにはいかない。

 アワンを未来へと送り出してくれた。夢を託してくれた。そんな彼を――不安にさせるわけには、いかないから。


 だからアワンは、勇気を奮い立たせる。

 自らの意志で、自らの手で――その未来を、掴み取る。


 約束を――守るために。


「今ね……悪い霊が、ユウキの体に乗り移っちゃってるの。だから体が……動かないんだよ……?」


「悪霊が……ボクに? 怖いよ……アワン、怖い……」


「大丈夫……私がいるから」


 安心させるように、ユウキの頭を撫でる。力の入らない手を取り、握りしめる。

 流れ続ける涙を隠し、無理やりに笑みを作り、想いに蓋をし、嘘をつく。


 アワンの手の温もりが、ユウキから不安と恐怖を取り除いていく。

 せめて、安らかに。そう思うのは、いけないことだろうか。


 優しい嘘などと言うつもりはない。

 これはやっぱり、アワンの我儘。だからこれくらいは、どうか許して貰えないだろうか。


「悪霊なんか……私が追い払ってあげるから……」


『これで、きっとあなたを救ってあげる! 悪霊なんか、私が追い払っちゃうんだから!』


 あの時も、嘘をついた。

 それでも、アワンはユウキを助けたかったから――


 彼に憑りついた悪霊を、彼にさせたくもないことをさせていた、過去を――


 今こそ、アワンの手で――


「凄いや……やっぱりアワンは、ボクの神様だ……」


 神に祈りを届ければ、願いを叶えてくれる――天術。

 ユウキの願いは、確かにアワンへと届く。未来に進んで欲しいという、彼の願いが。だから――


「ボクもいつか……きっとアワンみたいに……」


 アワンはもう、過去を見ない。

 未来に進んだユウキを、見る。


 彼女にとって本当に大事な、本物のユウキを――


「おやすみ……ユウキ……」


 取り戻したいから。




悪霊アポトロトス…………退散ダイモーン…………」




 これは――悪霊に侵された精霊を、お姫様が助け出すお話。

 そして――悪夢に魘されるお姫様を、精霊が助け出すお話。


 悪夢の終わりは救いであるのか、それとも悪夢こそが救いであるのか――それは分からない。

 それでもアワンは、ユウキは――かけがえのない友を、それぞれの未来へと送り出す。約束を、結び直して。

 だからこの先は、誰にも分からない。彼女の物語は、ここから始まるのだから。

 ただ、分かるのは――


 夜が明ければ、悪夢は終わり――


 人の夢が、進み出す。

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