第080話 朝日
「――か、勘違いするなよ! 別に君のこと好きになったとか……そういうんじゃない! ただ一戦士として、君の凄さを認めたってだけで……と! 特別な意味なんてないんだからな!!」
「誰の需要狙ってんだよ」
どこの誰の需要を満たすためなのか、そもそも需要なんてものがあるのか――そこそこ巧いツンデレを披露するのは、俺の敵だ。それもついさっきまで、命懸けの死闘に興じていた宿敵。
もしかして、俺が勝手に敵と思っていただけで、彼はヒロインの一人だったのだろうか。笑えない懸念だが、ルルワよりもツンデレが様になっていることだけは確かだ。あとルルワよりも背が低く、なんなら彼女より華奢でもある。たぶん腹筋も割れてないだろう。もちろんルルワも割れてないが(大事)。
(まさか……こっちなのか?)
よくよく彼の境遇を思えば、救われ待ちみたいに思えなくもない。俺は当然のようにアワンをその位置に当て嵌めていたのだが、アワンは既に俺なんかの手を離れ、勝手にすくすく育っている。正直、俺が何かした覚えがない。
(吸血鬼と野獣……需要あるかなぁ……)
俺がごく一部には物凄く突き刺さりそうな命題に割と真剣に取り組んでいると、ツンデレはまだ終わっていないとばかりに、ヒロインの一人は怒涛の畳みかけを見せる。
「まあ……敗因を教えてくれたのは、感謝してるよ。…………ありがと」
「ここぞとばかりにヒロイン力見せんな」
「ヒロイン?」
「しかも鈍感系かよ」
困った。現時点で最もヒロイン力が高い気がする。
しかも彼には並外れたヒーロー力もある。攻防隙の無い主人公だ。このままでは俺もヒロインにされてしまうかもしれない(?)。
「ふっ……」
ユウキの目に見えた態度の軟化、それ以前の纏う空気そのものの変化に、俺は息を溢すように笑う。
まだここは戦場だというのに、既にノーサイドの心境だった。
絆されたわけではないと思いたい。きっと、《《毒気》》を抜かれたのだろう。
「…………<月夜見>はどうだった?」
そんな境地が、俺の口からも問いを吐き出させる。
野暮な時間は、俺は嫌いだ。だが今だけは、野暮でも良かった。
最後くらい、俺だって自分の思うようにしたい。
ちゃんと責任は果たすのだから、これくらいの我儘を通す権利は俺にもあるはずだ。
「最高だったよ!! 凄いカッコ良かった! やたら凝った演出だったけど、あれは自分で考えたの?」
ユウキは本当に嬉しそうに、また本当に楽しそうな笑顔を見せる。もしかしたらこういう話を、誰かとしたかったのかもしれない。ずっと、こんな時間を求めていたのかもしれない。
「まあな。といっても発動の時の鐘の音くらいだけど……あの月とかは何なのかな? 分かる?」
「うーん……君の欲望が具現化した異空間だから、君の欲望がそのまま反映されたんじゃないか? 君好きそうじゃん、ああいうの」
「好きだな。お前も好きだろ?」
「男に嫌いな奴はいないよ」
確かにあれは俺の好みにかなり寄せている感じだった。ならば今後の演出にも期待していいのかもしれない。俺は俺の欲望だけは、欠片の疑いもなく全幅の信頼を寄せている。
「やっぱ発動のアレはこだわりだったんだね。もしかしてルーニーにも隠された深い意味があったりするの?」
「あるっちゃあるが、ないっちゃないな。ぶっちゃけ、どっちも俺のテンションを高めるための装置だ。自分でカッコイイ能力だと思えなきゃ、性能はフルに引き出せないだろ? 欲望なんだから」
というか、ほとんどそれが主目的だ。
あの空間は俺が気持ちよく戦えるように準備するための場所。女が大事なデート前に美容院を頼る感覚に近い。
やっぱり服装とか身だしなみをビシッと決めれば、身と心が引き締まり、その後の動きも変わって来るというもの。人間には心があるのだから、やはり心のありようこそが一番大事なのだ。そしていつでも同じテンションを保てる人間はいない。だから環境や周囲の力を借りてそれを引き出す。
俺にとってのそれが、<月夜見>。相手に「何だこの能力は!?」とか、「コイツ強いぞ!?」とか思わせるだけ、俺のテンションもあがる。そういうのが俺は大好きだから。
試練に関してもそうだ。好きな女のために命を懸ける。俺がそういう恋に燃えるタイプだから、この力は真価を発揮することができたのだろう。
欲望と、魂のありようこそが魔術の神髄。
やはり俺は、根っからの魔術師だ。なるべくして成った。俺のために用意された力だと思うほどに。
「真理だね。確かに敵を動揺させるのにも一役買ってるし、現にボクも一瞬で君の世界に引き込まれた。能力発動から妖精出現までのふり幅、落差、ギャップが、同時に敵の精神を大きく揺らすための装置にもなっている。よく考えられてるよ。欲望にも忠実だ」
思ったより、褒められるというのも悪くないものだ。いや、この場合話が合うから嬉しいのだろう。誰かの理解と共感を得られれば、嬉しいのは当然だ。それが己の趣味の話であれば、なおさら。
「お前、やっぱデキるなぁ……話も合うし、ほんと残念だよ」
「そういう奴が敵ってパターンも、あるあるだよね」
「あるあるだ」
本当にあるあるだ。
ルコスのおっさんも、アベルも、イコラオスも、そんなに悪い奴じゃなかった。もっと別の出会い方をしていれば、友達になれたかもしれない。
でも、みんな俺の敵だった。つまりは、世界とはもうそういうものなのだろう。
自分の敵になる奴が、絶対の悪とは限らない。世界はそんなに、命に優しくない。
(とびっきり悪い奴なら、心も痛まないのにな……)
だからこそ、生かす、殺すの選択に重みが増し、命の尊さも感じられる。が、そう大人になり切れないのが人だ。俺だって欲を言えば、殺さなければならない相手は悪だと思っていたかった。ユウキは悪だと、思いたかった。
そうであれば、どれだけ良かったか。どれだけ楽だったか――
「この際だ……何か心残りがあるなら、今のうちに懺悔しとくんだな」
そんな内心をいつものようにどこかへと吹き飛ばし、俺は目の前の敵を見据える。
今更後悔しても遅い。俺は分かっていて、森を出たのだから。俺は自分が正義ではないことを、ちゃんと分かっていた。
そして、ここで我が身、我が心可愛さにユウキの命を見逃せば、俺は正義でも悪でもない存在へと成り下がる。ただの気まぐれで殺人を行う化け物になってしまう。
それも、俺は分かっていた。
「…………」
残り時間は約3分。
ユウキ自身の生命力は満タンだが、問題ない。この決着は早ければ数秒でつく。だから俺は、己に残された時間を切迫しなかった。
この時間は、ユウキに与えられた最後の時間でもあるから。だから――
「君が祭司かい? アワンが良かったな」
「贅沢言うな」
大切にしたい。
ユウキとの、最後の時間を。
それに、ユウキにはまだ何か言いたいことが、聞きたいことがあるのではと思った。
負けの理由を聞いたのは、その話に入るためのきっかけづくりに過ぎないと思うほどに。
これまでの心を通わせる時間は、この時間のためだったと思うほどに。
そしてその予感は、正しかった。
「君にだから……聞きたいことができた。ボクに勝ち、ボクが認めた……君にだから」
「…………」
まだ勝負はついていない。そんな野暮な差し出口は挟まなかった。
冗談でもそんなことは言えない。そんな空気ではない。
それは、ユウキの本心。本音の吐露。
そして彼が人生で、正真正銘生まれて初めて見せた――本性だった。
「本当に、勝てると思ってるか?」
「…………」
その問いの意味が分からない俺ではない。
少なくとも、ユウキとの戦いのことを指しているのでは絶対にない。ならば、答えは一つしかない。
その真剣を通り越し、怖いくらいの表情は、意気込みなんかを聞きたいわけじゃないのだとすぐに分かった。そんな誤魔化しの言葉では許されない、決して満足しない――痛いほどの真剣。
つまりユウキが望んでいるのは、どこまで行っても俺の本心。
初めて出会った、自分を超える男。だからこそ聞きたいのだ、俺の答えを。
だから――
目を閉じ、自身の感情に今一度向き合う。
俺は自分の本心を誰かに見せたくない時、よくこうして目を閉じた。
この癖を使う機会が多ければ多いほどに、思い知らされる。
自分のやりたいことだけをやって、自分の理想のままに生きていけるほど、世界は甘くないという現実を。
『私はいずれ、七人の魔王を討ち滅ぼす者!! この世界を救う、勇者です!!』
『本当は、諦めてた。勝てるわけがないって』
『俺たちで救おう……世界を。俺が君を、救ってみせる』
『行ってみるといい……本物の地獄は……』
『森の……外に……』
世界を救えると信じる者。世界は救えないと信じる者。
前者の筆頭にして今回の戦いの理由でもある少女の顔と、俺が戦う理由であり、俺の全てである少女の顔が、ほぼ同時に流れていく。
そして続いた男の宣言を塗りつぶし、最後に浮かび上がったのは――
とある男の、死に様だ。
俺が目の奥に焼き付きた、忘れてはならない顔。決して忘れられない顔。
俺を森から送り出した言葉にして、この世界に閉じ込めた言葉。そう――
「勝てない」
この――地獄に。
***
「――やっぱり、毒そのものが違います!! 見てください!! 反応が全然違う!!」
「…………」
「…………」
レイラの勘、いやほぼ思い付きに近いものを頼りに即座に行われたのは、毒の成分分析。
彼女が日頃から持ち歩いているという簡易検査キットを用い調べられた二種の毒の反応。その成果が現れた溶液を持ち上げ、レイラはアワンらの目の前にそれらを翳す。
振動に合わせ、粒だった細かい泡が上の方へとあがっていく液体。毒々しい色を放つそれらは、アワンの目には――
全く、同じに見えた。
「…………」
「…………」
アワンは苦心して無表情を保ちながら、視線だけを器用に動かし、隣のルルワの顔色を窺う。なぜか、彼女も同じような顔でこちらを見ていた。
その間にも、やっぱり毒が違うと、興奮冷めやらぬ様子のレイラ。ここまで大げさな反応を見せるのだから、きっと彼女が確信するレベルで全く異なるのだろう。
だか――言えない。
気持ち的にも体裁的にも、全く同じに見えるなどとは口が裂けても言えない。それはレイラを気遣う心でもあるが、それ以前に違いが全く分からない女だと思われるのが恥ずかしかった。
なぜならアワンは、この分野に最も精通している者の一人であるはずなのだから。
首を傾げて、「…………分からん」――などと言うことが許されるはずもない。なら知ったかは許されるのかと内なる悪魔が囁くが、時には見栄も大事だとすかさず天使のフォローが入る。
結果、アワンが聞き入れた言葉は――
「うん。全く反応が違うね。本当に、全く違う」
「ええ。どう見ても、全く違うわ」
当然、天使だった。なぜなら彼女は天術師。信仰の名において、神に仕える者の言葉を無視するわけにはいかない。
そんなアワンに続くように、もはや遅れないようにというレベルですかさず、かつ力強く肯首するのは、もう一人の天術師だ。
ここにアワンは確信する。やはり違いが分からなかったのは、アワン一人だけだったようだと。選択は間違いではなかったと。
まさか尊敬する本物の勇者が、彼女と全く同じようにして悪魔の言葉に耳を塞ぎ、天使の言葉に唆された一人だとは、アワンも思わない。
こうして若干の天然が入っているアワンは――本人にはもちろん自覚はない――ルルワの固い横顔の意味に気が付くことなく、こっそりと胸を撫でおろす。
そんなアワンらの様子など目に入らないとばかりに真剣なのは、やはりレイラだ。彼女にとってはただの事実の確認だったのだろう。早々に次の問題に着手する。
アワンもふざけている場合ではないと、見せかけの固い表情を、さらに引き締めた。
「これで毒が、従来のものとは異なることは証明出来ました。でも――」
「ええ。アワンの儀式を成功させるためには、毒の正確な構造理解が不可欠。それだけじゃ不足ね」
「レイちゃん……分かる?」
レイラは現場物証のために力を借りた騎士の一人に、再び向き直る。
アワンらも続くように、横になる男の元へと膝をついた。
「採取した血液から、血中代謝物の反応の違いは分かったけど……」
レイラは本格的に、臨床的観察に臨む。
目を見開かせて瞳孔の動き、収縮を確認し、続けて呼吸、皮膚色、発汗などから症状の違いを探していく。
レイラのやっていることは、医者の真似事――ではない。
何と驚くことに、彼女は国家医師資格を持っているのだという。アワンと共に過ごしている時には、そんな様子は欠片も見られなかった。つまりアワンと離れていた四年間で勉強し、取得したということだ。
何のために――決まっている。今のレイラの姿が、彼女の気持ち、想い、覚悟――その全てを物語っている。
(レイちゃん……)
アワンが諦めていなかったように、レイラも、諦めてはいなかったのだ。
ずっと頑張っていた。逃げずに、過去に立ち向かい続けていた。
アワンは、一人ではなかった。
(…………ありがとう)
アワンはその言葉を飲み込み、今は、現実に向き合う。
まだ何も終わってはいない。感傷に浸っている場合ではないと。
だが、込み上げる熱いものと、その影響で温まる心までは、誤魔化せなかった。
誰も諦めていない。
みんなが明るい未来を望み、そして、目指している。
世界には、確かに希望がある。
アワンは、間違っていなかった。
「たぶん基本構造は変わってない。血中拡散型で水溶性。血漿タンパクと結合して、全身を循環する毒……」
「基本コンセプトは同じってことね。まあ一新することはできないでしょうし、普通に考えてしないでしょう。手間がかかりすぎるし、無駄な浪費だわ……アワン?」
一人見えない希望の光を見ていたアワンに、二人が振り向く。アワンは慌てて、現実へと戻った。微かな希望の光を持ち帰って。
「は、はい。ユウキは私の能力を知っているので、ほんの一部でも理解が食い違えば発動できないことも分かるはず。大幅な改変はないと思います」
特異点とはいえ、能力に手を加えるとなればかなりの才能を消費するはず。毒そのものを一新するのは勿体ない上に、そもそもやる意味がない。おそらく違いを加えたとしても、そう大げさなものではないはずだ。
少なくともアワンならそうする。そこまで読み切られていたとすれば、それはもうお手上げとしか言いようがないが。
「下手なことは言えないけど……予想でもいい?」
「もちろんだよ!!」
「ええ。現状なんの手がかりもないのだから、何だってありがたいわ」
だが本当に有難いことに、現状は確かに苦しくも、完全なお手上げではなかった。
アワンではない二人の知者のおかげで、拙いながらもなんとか希望へ向かって走れている。それがアワンには、とても嬉しかった。
「前の毒は、血中に溶け込み、細胞溶解をするタイプだった。赤血球を溶血し、満遍なく人体に危害をもたらす」
「うん」
流石にこればかりは知ったかではなかった。
アワンに医療の専門的知識はないが、ユウキの毒に関してはその知識量はその道の専門家にも譲らない。
ルルワも理解したというように頷く。レイラはアワンらの顔色を確認した後、決して自信があるとは言えない表情で結論から告げた。
「今回はそこに、血管破壊が加えられている……と思う」
「破壊?」
「うん、見て」
即座の理解が得られないことは彼女も想定していたのか、再び騎士に向き直る。
顔色は悪く、大量の汗をかき、息を乱しながら今も懸命に毒に立ち向かっている一人へと。
「目が充血しているし、皮膚の下に黒い斑点が広がってるでしょ?」
「ほんとだ」
目の充血はよく見られる症例だが、皮膚に見える紫斑は目新しい。これは――
「多量の出血があるのは変わらないけど、前のはここまで内出血は酷くなかった」
内出血。
人体内部の血管が傷くことで血液が流れ出し、皮膚の中に留まる。通常打撲などの外傷で症状が出るとされるが――
「この人は、毒だけですよね?」
「ええ、間違いない」
この場で彼の服毒を確認したルルワが、断言する。ならばこの内出血の数々は、敵からの殴打攻撃によるものではない。
「血液凝固因子と毛細血管そのものを破壊するタイプ……。結果として人体を破壊する前のものとは違う。毒そのものが、独自の破壊力と攻撃力を持っている」
「体を中から壊してるってこと?」
「たぶん……そうだと思う」
「…………」
毒が違うという結論と比べ、あまりに自信のない様子。気持ちはよく分かった。
そもそもの話、現場物証だけで毒の種類を正確に把握するなど、まず不可能だ。彼女は白旗をあげて当然の無理難題を唐突に押し付けられ、しかもその結果にコロノスの、いやコイラスの命運がかかっている。
一国の未来が懸かっているこの状況で、何らかの答えを出しただけでも本来は凄まじいことだ。だが普段から世界の命運を背負っている女は、その頑張りに手心を加えない。
「確証は? 何かそれを立証する根拠はある?」
「物証じゃなくてもいいよ?」
アワンの天術の発動には、針の穴を通すような正確な理解が必要となる。それが分かっているルルワが、根拠を求めるのは当然だった。
正解の可能性の低い答えで望むわけにはいかない。そういう状況ではないことは大前提、博打で前に進んでいいような立場ではないのだから。だが――
「…………ありません。正直、ほとんど勘です」
「…………」
「…………」
発動できるのは、残り一回。
前回とは毒が違う。今回の毒には破壊の力が加わっている。
果たしてこれらの情報だけで、神は祈りを受け入れてくれるものか。希望的解釈を加味してもなお、分が悪いというのがアワンの率直な思いだった。
そしてアワンよりも天術に精通しているルルワも、同じ考えのようだ。今のままでは再び失敗の憂き目に合う。その可能性を捨てきれない表情。だが――
「…………これ以上時間をかけても、妙案が出るとは思えない。やるしかない」
「っ!」
やはり、ルルワの決断は早かった。
もうこれ以上になく考え、知恵を絞ったうえで、現在進行形で人が死んでいる状況なのだから当然ではある。今回の毒に、人々がどれだけ長く耐えられるのかさえ、分からない。
それこそルルワが動けなくなったりするような事態になれば、終わりだ。そして、そうならないという保証は全くない。
しかし天術師であるアワンの勘が告げていた。このままでは、失敗すると。
(何か……何かないの!? この状況を逆転できる……奇跡の手が!!)
そんなものはありはしないと、アワンが一番分かっていた。
なぜなら世界は、アワンに優しくない。
正しく生きた人間が報われるとは限らない。正義にも悪にも、世界は平等に、残酷な現実を突きつける。
だが、諦めるわけにはいかない。みんな、諦めていない。誰一人、希望を諦めていないのだ。
そんな中、曲がりなりにも勇者を語るアワンが、早々に諦めるわけにはいかなかった。
彼女は頭を回し続け、いるかいないかも分からないような何かに語り掛け続ける。
それは必死であり、祈りだった。そして――
(破壊……血……)
人の願いは、気まぐれに届く。
誰にも届くことがないと思われたその想いは、唐突に、結びついたのだ。
それは神の天啓か、はたまた世界の奇跡か――
これまで頑張ってきたアワンを祝福するように、その声は――
『俺の血は――』
届いた。
「ちいっっ!!」
瞬間、弾かれたようにアワンは立ち上がる。
男の声に導かれるままに、空へと叫んだ。
「び、びっくりした!!」
「どうしたの!?」
突然空を仰ぎ、奇声をあげるアワンに、当然のように狼狽える二人。
変なモノを見るような視線にも、アワンは気が付かない。震えるように、いや実際に体を震わせながら、その衝動に感じ入る。
――救える。
興奮が、熱が、留まらない。燃え盛る希望の炎が、アワンの心を内から焦がした。
「ムメイさんの!! 血ぃぃ!!」
それは、この地獄に抗う力。
アワンにとっての、希望の男だった。
***
「――勝てない……か……」
「…………」
俺の答えにユウキが見せたのは、およそ表現しがたい表情だった。
だが俺は、この顔を知っている。見たことがあるのではない。知っているのだ。
なぜならそれは――
『ずっと、自分を騙しながら戦ってきた。どうせ負けると分かっていながら、絶対に勝つと嘯いて』
俺に聞こえたのは、ルルワの告白。そして俺から見えたのは、ルルワの表情。
そして彼女から見えたのが、今のユウキの顔だ。
それは、俺と全く同じ顔だった。
「同じ答えであったことを、喜ぶべきなのかな? それとも……」
「悲しいか? だから聞いたんだろ?」
俺はこの時点で、ユウキの全てを理解した。
やはり彼は、俺と同じだったから。
「そうだね……悲しいよ。ボクは間違ってなかったと……そういうことになってしまう」
間違っていなかった。つまり、正しかった。だが、そうとは思えないほどに、ユウキの表情に明るさはない。
ユウキは、その答えに辿り着いてしまったのだ。
人の世界は、もうじき終わると。だからあちらの道に帰った。その最大にして唯一の理由こそが――
「やっぱり……アワンのこと、助けたかったんだな」
「…………」
だからユウキは、アワンから夢を取り上げたかった。彼女の夢を、悪夢で塗り潰そうとした。
魔王を討ち滅ぼすと豪語する彼女から、勇者を目指すという彼女から――無謀な夢を。
その先に、死しか待ち受けていないと、ユウキは知ってしまったから。
12使徒を目指したのも、あちらでの立場を作るためだろう。
もしかしたら魔王と契約でもしているのかもしれない。人を殺すことと引き換えに、アワンだけは助けるという約束を。
もちろんその答えに至るまでの過程は、複雑怪奇なものだろう。到底楽な道ではなかったはずだし、想像に難い苦悩があったはず。とりわけ感情面に至っては、本当に未知だ。
ただ分かるのは、アワンのことは当然のように恨んだだろうし、今もそういう感情が全くないとも言い切れない。
俺なんかには想像もできないくらいに悩み、苦しみ、そしてここまで来たはずだ。だがその根底にはやはり――
「やっぱりって?」
「ああ……お前と同じ奴が前にいたんだよ。この世界を地獄だと言い、大切な人を救い出そうとした男が」
彼女の破滅の未来を案じ、最愛の家族を、森に閉じ込めようとした男がいた。
世界の生末を悟ってしまった――哀れで、そして誰よりも賢い男だった。
「今……その人は?」
「俺が殺した」
「…………」
同じだ。
ルルワの命を救おうとしたアベルを殺し、俺はルルワを森から出した。
そして今、アワンの命を救い出そうとしているユウキを殺して、アワンの居場所を作ろうとしている。
同じだ。俺は誰かを救おうとしている者を、また殺す。
「皮肉だよな。彼女を救い出すためにあいつを殺したけど……彼女と森を出て辿り着いた答えは、あいつと同じだった」
『あんな奴らに!! 勝てるわけがないんだよ!!』
薄々分かってはいた。森を出る前から。
俺がいた世界でさえ、世界は幸福とは言い難かったのだ。人が生きれば当たり前に苦しみの連鎖であり、その中で運の良い者だけが小さな幸せを得られる。それが人生。
だがこの世界は、死という分かりやすい不幸が、そこら中に転がっていた。
アワンやユウキのような者など、それこそありふれていることだろう。よくよく救いがない。
とりわけ生存競争という面では、地球とは熾烈さが異なる。いや、やっぱり同じか。
「君ほどの強さでも……勝てないのか?」
それは、希望を見出したいと願う、人の心だ。
ユウキの立場からしてみれば一見おかしなこの思いに、俺に違和感は全くなかった。むしろ当然とさえ思う。
彼は既に、自身の敗北を悟っている。ならばアワンが進むのは、俺の道だ。
自分よりも強い存在に期待を寄せるのは、ごく当たり前の感情だろう。ユウキはどこまでも、アワンのことが大切なのだから。だが――
「勝てないな。種としての強さが違い過ぎる。個の力は、残念ながら生存競争という面ではほとんど影響しないことが世の常だ。少なくとも俺がいた場所では、そうだった」
「…………」
俺の答えは、変わらない。
むしろ前世の知識と、そしてこの世界での圧倒的な強さを持っている俺だからこそ、それは確信できた。
前世地球の例を引き合いに出せば、勝ち目がないことがよく分かる。
地球ではほぼ全ての種が生存競争の中におり、その数は約1000万種、もしくはそれ以上と言われていたが、その中には絶対にして不動の頂点があった。
それこそが――人間。
人間単体と比較すれば人よりも強い種はそれこそいくらでもいたが、お世辞にも運動能力に優れているとは言えない人間こそが、種として絶対の地位を確立していた。
誰が豚や牛にこの立場を追われると思うだろうか。真面目に検討する方が馬鹿を見る。人間の中には誰一人、他の生物に負けると思っていた者はいなかったことだろう。
己より圧倒的に強いライオンや熊などの肉食獣でさえ、当然のように見下すのが人間という種の基本スタンスだ。
つまりアワンは、そんな人間という種相手にいつか勝てると、必死に周りに訴え続ける子羊に近い。残酷な表現にはなるが、それが事実だ。
はっきりしていることは――この異世界では、文明の発達によって地球では捕食者のほぼいなかった人間こそが、逆に弱い立場にある。
人間と同程度の文明を持っている異種族の数は、分かっているだけで数百。これらがまず実質的な脅威となることだろう。魔王が率いる者達のことだ。
だがそれ以前の、生物界全体での弱さ。いや、他の生物の圧倒的強さ。
警戒は知性生物に留まらない。この世界は地球よりも野生が近く、ピラミッドの頂点付近での争いが苛烈なのだ。
そして戦いの規模が大きけれ大きいほど、被害も大きくなるのは道理。全体的な生物各種の強さが、生命の死をより近いものとしている。それがこの世界の実態。
だから俺は、ユウキなどの異種族のことを、どうしても悪とは思えなかった。
それは地球での人間の立場と何一つ変わらないからだ。人間が生きているというだけで、分かっているだけでも数千種の種族が絶滅し、俺が生きている時でも100万種以上が絶滅の危機にあったとされていた。
別に人間が悪とか思っているわけではないが、絶対の加害者の立場であった者が、いざ被害者の立場に回された途端に、それは悪だとか言い出すのはあまりに都合が良すぎる。因果応報とまでは言わないが、やはり同じことをされているだけなのだから、どこまでいっても世界は平等だ。
つまり、それが世界であり、生きるということ。この世界でも、誰もが必死に生きているというだけ。正義も悪も、そこにはない。
誰かが幸せになるということは、誰かを不幸にするということ。自分が生きるということは、誰かを殺すこと。
この世界の戦いは、正義と悪の戦いではなく、ただの生存競争の一つに過ぎない。つまりは弱肉強食、食物連鎖と言う世界本来の正しい形だ。
俺は森から出て、そんな世界の中にこうして飛び込んだ。勝つにしろ負けるにしろ、結局は地獄となる――この世界に。
「だが勘違いして欲しくないのは、俺だって諦めながら戦ってるわけじゃない。勝つために、常に最善を尽くしているという自負はある」
「それは分かるよ。あんな能力にするくらいだ。君が死に物狂いな事は分かってる」
ユウキの言う通り、<月夜見>は、今のままでは個としての強さが圧倒的に不足していると思い、生み出した力だ。
逆に言えば、最低でもこれくらいのことをしなければ、到底勝つことなどできはしない――そんな気持ちの表れ。現に雷の力を手にした今も、俺は人間側が優位に立ったとは微塵も思っていない。優位なのは、依然俺という個だけだ。
そして俺一人が生き残っても、意味はない。俺は常に、必死だった。
「けど……ならなんで、アワンをそっちの道に行かせようとする? ボクと答えは同じなんだろ?」
「決まってるだろ? 答えは同じでも、俺とお前では大事にしているものが違うからだ」
「…………それは?」
ユウキにはもう、その答えも分かっているのだろう。俺もそれを、分かっていた。
だから聞きたいのだ。俺の口から。
俺もここまできて、誤魔化すようなことはしなかった。
「アワンの意思だ」
俺はずっと、そうだった。
アガトスを殺した時も、アベルを殺した時も。そして、ルルワを森から連れ出した時も。
大切なのは、人の意思。人の命ではない。
「意思? それが彼女の望みだからってことか?」
「そうだ。彼女のやりたいことがそれなら、俺に止める理由はない」
それが全てだ。本当に、全てだった。
「やりたいようにやれるなら、その先はどうなろうと構わないって?」
「そうだ。その先は選んだ彼女自身の責任だ。俺は関係ない」
「意思さえ貫ければ、アワンが死んでもいいって言うのか!?」
「そうだ。死んでも構わない」
敢えて罪悪感を煽るような言い方で、反語を引き出そうとするユウキの叫びにも、俺は揺れない。むしろここぞとばかりに、力強く断言する。
一時の罪悪感や情で揺れるような考えなら、端からないのと同じだ。これは俺の人生の中でも極めて大事なことだから、むしろ絶対に譲れない。
その場しのぎの綺麗ごとで、誤魔化すわけにもいかない。俺がこれからも、俺らしく生きて行けるように。
そんな真っ直ぐな意思に、たじろぐのはユウキだ。
彼は自身を悪の道に進んだものと見做している。アワンへの愛情からなるそのある種の真面目さが、多大な後ろ暗さを態度にも現した。
そして激情の果てに繰り出された問いは、まるで諦めのようだった。
「君の計算じゃ……アワンはどのくらいの確率で死ぬんだ?」
「言葉を返すようだが、俺は確率論がそもそも好きじゃないな。例えば俺は今回の戦いを90%以上勝てるものと見積もっていたが、そこに辿り着くためには0、100の試練を乗り越える必要があった。俺の中の確率ってそんな感じなんだ。信頼性なんてあったもんじゃないだろ?」
言ってしまえば、この世界の勝負は常に0か100だ。俺でさえ勝率100%のようで、そうではない。一回一回の戦いで、当たり前のように死の可能性が付きまとう。
そう考えれば、俺の強さなんてほとんどマヤカシみたいなものだ。もし俺特攻の能力を持っている者がこの世に一人でも存在すれば、それが例え遥か格下であっても、負けの可能性があるのだから。
「君はそれを現実にしたんだから、一定の信憑性はあるだろ。言葉遊びに逃げないで、真面目に答えてくれ」
だが当然、ユウキはそんな子供だまし、いや大人騙しでは満足してくれなかった。俺は素直に、確率論ではない感覚頼りの答えを告げる。
「まあ……九分九厘死ぬんじゃないか? これは何も彼女だけに限った話じゃない。そう言う意味ではルルワも、俺も大差ないかもな」
どんなに強い戦士でも、戦場に100回も出ればまず死ぬ。
俺は現在5戦目だが、もう3回は死にかけている。それこそ確率の話をすれば、どの戦場でも最低50%以上の死の危険が常にあった。
そしてこれからは、こんなもんじゃない。今まで戦って来た者達よりも強いことが確定している7人と、俺は必ず戦わなくてはならない。
それも、何十年先とかの話ではないだろう。
おそらく俺の予想が正しければ、そう遠からず、数年のうちに死ぬ。
俺たちは、それほど難しいことをしようとしているのだ。きっとルルワも、もうそれに気づいているはずだ。
それでも――
「そこまで分かっていて……いつか死ぬと分かっていて、その道を進むのか? その先にどんな末路が待っているか、どれほど惨い死が待っているか……想像できない君じゃないだろう? 彼女たちが大切じゃないのか?」
人を食べる種族が溢れている世界だ。
当然負けた時、敗者にどんな末路が待っているかは想像に難くない。ただ仮に俺たちが戦うことを辞めたとしても、それは同じことだ。少しだけ死の未来が遠ざかるに過ぎない。
結局俺たちは、戦うしかないのだ。
だが、やっぱりそれ以前に――
「大切さ、何よりも。だけど……」
目を閉じずとも、すぐに瞳に浮かぶのは――二人の顔。
大切な友達。そして、大切な仲間。誰よりも死なせたくない二人だ。こんなに人を大切に想ったのは、生まれて初めてだと思うほどに。だけど、やっぱり――
「二人の命よりも、俺は二人の意志が大事だ。いつか死ぬその日まで、皆で心から笑って――生きていたいから」
それが――生きるということ。
アベルと共に森へ残っても、俺と共に森へ残っても――ルルワはきっと、心から笑えなかった。この世界で、俺と共に生きているから、彼女はあんなに良い笑顔で笑ってくれるのだ。
そして、アワンも。彼女は今、俺たちを自分の居場所と思ってくれている。俺たちと一緒に、この地獄を生きていきたいと思ってくれている。
きっとそこなら、自分も心から笑えると信じて。だから――
大切な人たちと、心から笑い合えるのなら、俺はその先が地獄でも構わない。
時間は関係ない。300年生きていなかった。だから3年だけでもいい。俺は全力で、この世界を生きていたい。
想いを、瞳に乗せる。
真っ直ぐに、何の不純も混ぜず、やはりどこまでも真っ直ぐに――届ける。
これが、俺の本心。俺の本性。
この異世界で出した――俺の答えだ。
「やっぱり……」
俺の視線から、やはり、ユウキは逃げる。
力なく、遣る瀬無く――彼は、俺という偽物の正義から逃げ出した。
「間違ってたのは、ボクの方だなぁ……ボクは生まれた時から、ずっと間違ってた」
「それは違うよ」
だから、俺は告げる。逃げるなと。
ユウキの顔が上がった時、俺の顔がどのようなものだったのかは、俺にも分からない。
ただ確かなことは、ユウキの視線が、俺に向けられていたということ。
そして、目は逸らされなかったということだけだ。
「その話をするんなら、森から出た俺も間違ってる。森から俺を出した、ルルワも」
それは、慰めの言葉ではなかった。これも、確かな事実。
現時点での彼女は、毒か薬か――どちらに転ぶとも分からないような危険な存在を、森から解き放っただけの女だ。
本来世界を救う勇者にあるまじき愚行。それは大衆心理に過ぎないが、俺も納得するところだ。これに関して現時点で俺たちに何かを言う資格はない。これからの結果で、見せていくしかない。
だから幼少のユウキを拾ったアワンと、今もなお北領域で生きているユウキを間違いだとするのなら――
森から俺を出したルルワと、森から出て人の世界に入った俺も、間違っているということになる。
俺とユウキは、やはりどこまでも同じだ。始まりは、間違いだった。
「俺たちも間違ってるんだ。だから俺は、この世界でルルワと共に戦っている」
それが、俺が戦う理由。
そして――
「彼女を間違いにしないために――俺は今、お前と戦ってるんだ」
今ここに、俺がいる理由だ。
「…………」
ルルワは俺を森から出した。そして、俺も森を出ることを望んだ。
ならば、その責任を果たさなくてはならない。俺がこの世界で生きることを、納得してもらうしかない。
あの吸血鬼を森から出した勇者の判断は、間違いではなかったと、そう思ってもらうために――
俺は、ルルワを間違いにしないために、戦っているのだ。だから――
「今間違ってるのは、お前だけじゃない。そして……お前がこの世に生まれてきたことは――」
これだけは、譲れない。
「絶対に、間違いじゃない」
***
『再生能力だ。俺の血は、同じく血の通う生物に限り――その肉体の損傷を修復することができる』
「ムメイさんの能力――<美意識過善>には、破壊された肉体を修復する力があります! ユウキの毒に追加された効果を、打ち消すことができる!」
アワンは、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
それこそが答えだと、信じて疑わない姿。確信の気配。
胸を張り、興奮のままにその答えを共有するが、やはり誰もがそれについていけるわけではなかった。
「え? で、でも……ムメイさんはここにはいないんだよ? あの人が戻ってくるまで待つの?」
「ちっがうよ!! レイちゃん!!」
だが、即座の理解が得られないのはアワンも承知のこと。
未だ暗闇を手探りといった様子のレイラの手を掴み取ると、アワンは両手で包み込む。そして希望の火にあたる場所へと、彼女を無理やり引っ張り出した。
その姿は、神の教えを妄執し、それを他者にも説く狂信者の気配。これから神に祈りを捧げる彼女に相応しい表現ではないかもしれないが、傍から見ればそうとしか思えなかった。
「私はムメイさんの力を借りることができるの!! ムメイさんがいなくても、使えるんだよ!!」
「なるほど!! <満月の加護>を使うのね!!」
<満月の加護>。
12時間に一度だけ発動が可能な、アワンのもう一つの切り札。
他人の能力を一時的に借りることができるこの能力は、ムメイの種族的スキルも対象とすることができる。この時、能力はアワンの能力値に依存されず、元の威力のまま引き出せることが、最大のメリットだ。
「そうですルルワさん!! そうなんです!!」
アワンは立ち上がり、今度はルルワの両手を掴むと、勢いよく上下に振る。それはやはり、同じ教えを学ぶ同志が増えた喜びだ。
興奮と期待を分かち合うアワンの様子に、感化されるようにルルワも気色を浮かべる。二人してぶんぶんと繋いだ手を振るが、やはりその女はまだそこには加われなかった。
「でも……それって、吸血鬼のムメイさんの血だからでしょ? アワン様の血で本当に大丈夫なの?」
「…………」
「…………」
神の教えを、人の知恵が凌ぐ。
アワンは頼れる者を探すように、同志ルルワの顔を見る。大丈夫なのかと。
ルルワも、全く同じ顔で同志を見ていた。
「大丈夫……なのかな? 空を飛ぶのも、ムメイさんの種族的な力だったし……」
「そうね……大丈夫だと思う…………けど」
「どうしたんですか?」
ルルワの様子の変化にいち早く気が付いたのは、やはり同志であるアワンだ。ただ単に顔が近かったというのもあるが、その気配の変わりようは見落とす方が難しい。
ルルワはレイラの方をチラリと伺ってから、口を開く。
すぐに、その意味は理解できた。
「これはずっと前から思ってたことなんだけど……彼の<美意識過善>は、たぶん種族的な力じゃないと思うわ」
「ええっ!?」
仲間の能力に関してのことだから、レイラの前で言ってもいいかを悩んだ。その後情報の機密と状況への対処を天秤にかけた結果、後者へと傾いたのだ。
しかし、そんなことはもはやどうでもいい。それどころではない驚きに、アワンは声をあげる。
「他人の傷を治す力なんて、聞いたことがない。吸血鬼に関して世界で最も詳しい男も、その力だけは知らなかった」
確かに、アワンも最初にムメイの<美意識過善>を見た時、全く未知の能力だと思った。こんな吸血鬼は見たことがないと。
ならば、その力は――
「…………特異点」
「ええ……悪魔に授けられた力かもしれない……」
特異点。
目的の神、根源の悪魔が授けるとされる力。
その大抵が、母のお腹の中で持って生まれる。だが――
「吸血鬼にお腹の中ってあるんですか? いえ、そもそもムメイさんってどうやって生まれたんでしょうか? ルルワさん聞いてませんか?」
吸血鬼に体の成長とかあるのだろうかと、赤ん坊のムメイを想像して少しキュンとするアワンだったが、残念ながら彼にそんな時代はなかったことだろう。あってもムメイの性格的に、アルバムなんて残していないはずだ。アワンが見られる機会は決してない。
「聞いてないわね。彼出生の話を聞くと露骨に避けるもの。それに基本があんな感じでしょ? 真面目な話はほとんど相手にしてくれないわ」
「「ああ……」」
アワンとレイラの声は、ほぼ同時だった。含まれた感情は、完全に一致している。
ムメイは自慢話を筆頭に、自分語りをほとんどしないことが美点だが、その引き換えに、自身の情報を中々明かさないという欠点もある。
とりわけ過去に関しては顕著だ。現にアワンは、彼がこれまでどのようにして生きてきたのかも全くと言っていいほど知らない。
この様子を見るに、ルルワも似たようなものなのだろう。最愛の恋人にさえ語らないのだ。相当頑なな思いが透けて見える。
(どうやってあんな凄い人になったんだろう? 親とかいたのかな?)
親でなくとも、育ててくれる存在がいたと考えるのが妥当だ。
でなければあそこまでの知性と達観は得られまい。アワンからしてみれば、ムメイは人の世界、もしくは人の考えに精通し過ぎている。人間社会で長く生きた経験がなければ、あのような感性は育まれないと思うほどに。
「少なくとも……最初に会った時、彼は自分の外見を知らないようだった。自分が子供なのか大人なのかさえ。これは私の勘だけど、彼はずっと一人だったと思うわ。私と出会うまで」
「…………」
その時に抱いた心情は、アワンをして言語化に苦労するものだった。
同じ境遇のルルワに対し、この状況で彼女が思ったことは――
今だからこそ、アワンにも分からない。そしてそれが分かるのは、もう少し先のことだった。
「だからこそ謎なのよ。どんな機会でこの力が発現したのか。だってそうでしょ?」
そんなアワンの内心に気付かず、ルルワは続ける。
薄情とは言えない。責められるべきは、この状況で感傷に浸るアワンの方。しっかりしなければとその都度己を叱咤するが、やはり彼女の人生の転換点とも言うべき重大な局面だけに、様々な想いは溢れて止まらなかった。
だから最低限、表には出さないようにしなくてはならない。
「誰かを治そうと思わなきゃ、この力には気が付かないわ」
意識的に切り替えようとするアワンの精神に、深く浸み込むルルワの推論。
納得しかない。他者の傷を自身の血を使って癒す力。これに気が付くには、傷ついたもう一人の存在が必要不可欠だ。
だが特異点には、まだまだ未知数な部分が多い。
アワンや、ルルワでさえ知らない独自のルールがあるのかもしれない。そうなると、ムメイの<美意識過善>は特異点に該当する可能性もやはり高くなってくる。
アワンはその懸念を、そのままなぞる様に、口に出した。
「そうなると……ますます未知数に。ちゃんと借りられるのかすら……」
一部の種族が生まれつき持つ種族的能力も、体系としては特異点に近いとされているが、こちらはアワンの力でも借りられることは既に分かっている。
しかしアワンは、未だかつて特異点の能力を借りたことはない。どう転ぶかが全く分からない。
「そもそもどうやって治すつもりなの? ケイン様の時は、直接血をかけてたよね?」
そんな中、最も客観的な視点で問いを投げかけてくるのがレイラだ。彼女は術についての理解がアワン達ほどではなく、それでいて一般的な知者であるため、こういった意義のある質問を選択できる。
アワンが自身の考えをまとめる意味でも、非常にありがたい存在だった。
「うん。でもそれは無理だから、いっそ開き直って儀式の一部に組み込もうと思って」
「なるほど……<混沌術>でも条件が噛み合う限り、併用は可能。ユウキの毒への理解不足を、ムメイから借りた力で補うのね」
「はい。理論ではなく感覚的な話になりますが、こっちの方がまだ可能性はある気がします」
アワンの考えは単純だ。
まず事前の話で決まった通り、ルルワが新しく取得した天術<信仰の賜物>で天力を分け、アワンが<最上級不義>を発動可能な状態にする。
すかさずアワンは<満月の加護>を発動。ムメイの<美意識過善>を借りる。
ユウキの毒に追加されたとされる破壊の力。本来この部分にも、正確な理解が必要とされるところだが、この不足を、ムメイの<美意識過善>の再生力で補うのだ。
毒の中の人体を破壊する力を、ムメイの再生能力で打ち消すことに成功すれば、残るは従来の毒のみだ。アワンの理解が正確に及び、<最上級不義>が発動できる。
多くの場合一人一つとされる切り札――<混沌術>。しかしこれらは同時に発動することができ、上手くかみ合えば相乗的に効果は増すとされる。
だがこの予測は、やはり希望的解釈を多分に含んだもの。決して理論に基づいた考えではない。
俯瞰的に見れば、このままの浅い認識と不確かな理解で<最上級不義>を発動するよりも、まだ可能性はあるかというレベルの差でしかない。
しかしアワンは、確信していた。
天術師の勘が背中を押すのだ。この道で、間違っていないと。
「でもやっぱり、ムメイの血があった方が確実ではあるわね。アワンの血だけでは、おそらく<最上級不義>の方に力は偏る」
「はい……」
<最上級不義>の発動には、触媒となるアワンの血が必要不可欠。それは彼女が覚悟を順守していると示す証拠であり、神に捧げる供物でもある。
この時、アワンの血で<美意識過善>を発動できるのだとしても、そちらにまで正常に力が及ぶのかは賭けだ。
そもそもアワンの血では駄目という可能性もある。ムメイの血を儀式そのものに組み込む方が、神にも誠意は伝わるはずだ。
天術とは、祈る心なのだから。
「ムメイさんを呼ぶ方法……とかないですよね? 口笛とか……」
口笛は流石に行きすぎだが、あながち冗談でもない。
ルルワが大声で呼べば、ムメイはすぐにでもここにやってきそうな感じがある。
現にムメイは耳が良いし、ルルワの声であればどれだけ遠くからでも聞き逃しそうにない――そんな漠然とした信頼が、アワンの中にはあった。
だがそんな期待は、他ならぬ飼い主の手によって根元から圧し折られる。
「方法があったとしても呼べないわ。彼は今、命懸けで戦ってるから。終わったのなら、もうとっくにここにいるはず」
「そうですよね……」
ムメイは今、命懸けで戦っている。
その相手は――
(ユウキ…………)
アワンの、友達だ。
本来なら、それはアワンの役目。まだ弱いアワンの代わりに、ムメイは命を懸けて戦ってくれている。
ならばやはり、儀式だけは絶対に成功させなくてはならない。
しかしあと一つ、踏み出すにはあと一つ、足りない。
ここにはない、ムメイの血だけが――
「…………ハンカチ」
「え?」
それはまたしても、レイラだった。
この場にあって、唯一神を信仰していない彼女にこそ降りてくる――天啓。
それは人の知恵に、神は関係ないと証明する一手。
人の願いには、祈りには――
神の力さえ、及ばない。
「ケイン様の傷!! 治した時!! ハンカチ!! ハンカチぃ!!」
「…………」
「…………」
慌てふためくその姿は、数秒後のアワン達の姿だ。
レイラの反射のような、むしろ鳴き声のようなそれが、やがて言語として定まり、次第に脳に染み込んでいく。
そして、一筋の雫が、過去の記憶を引き出す。そうだ、アワンは――
『私に何かできることはありますか!?』
既にムメイの血を、その手に持っていた。
「あああっ!! ハンカチ!! ハンカチぃぃ!!」
「ハンカチ!! ハンカチよ!!」
三人で立ち上がり、ハンカチと連呼する。その顔は、隠し切れない希望の色に染められていた。
アワンは自身の身体をまさぐる様に探し、二人はそんなアワンを囲む様にして捜索を手伝う。
誰もが冷静ではなかったのか、それともその瞬間を無意識に焦らしていたのか――幾度の遠回りの果てに、アワンは懐から、それを見つけ出す。
希望の、光を。
「赤い!!」
「血よ! 血だわ!!」
変なテンションで二人の知能が大幅に低下しているようだったが、アワンに馬鹿にする感情は一切なかった。
むしろアワンも一緒になって飛び跳ね、その真っ赤なハンカチを高らかに掲げる。
「乾いた血でも、触媒になるでしょうか!?」
「これだけの量なら十分のはず!! だってアワンの血は一滴でいいんでしょ!?」
「そうですよね!!」
ここに、全ての条件はそろった。
後は、進むだけだ。
「やりましょう!! 二人とも、協力してください!!」
ユウキは、誰かの力を奪う者だった。
そしてアワンは――
皆の力を、借りる者だった。
***
『悪じゃない』
『お前がこの世に生まれてきたことは、絶対に間違いじゃない』
宿敵であるはずの男。
本来であれば、そんな相手の言葉はまともに受け止めないのが当然だろう。
耳を貸さず、また何かの間違いで聞こえてきたとしても、一笑に付すべきもの。
敵からの甘言など、当たり前に策略の一部。耳障りの良い言葉を並べて、篭絡を狙う悪魔の言葉。
そして敵からの同情は、上から目線の説教に等しい。到底ユウキのことを思いやったものではない。他者への同情など、自分を気持ちよくするための行為でしかないのだから。
分かっていた。
敵の言葉に、まともに取り合ってはならないことくらい。
分かっていた。
今更そんなことが、許される立場ではないことくらい。
だが――
「ふっ……うっ! くっ……! うぅ……」
ユウキは、流れ出る涙を、止めることができなかった。
「…………」
それは、これまで溜め続けていたものが決壊したと、見る者に思わせる感情の高ぶり。
アワンから離れたこれまでの7年間、彼にはその機会がなかったのではないかと――そう確信させるだけの、慟哭だった。
そんな姿を、笑うことも、馬鹿にすることも、また一欠片の同情さえ向けることなく静かに眺め続けるのは、敵だ。
人間ではない、吸血鬼。ユウキと同じ異種族であり、どこまでも同じ彼の片割れ。
ユウキでさえ、己の分身であると思うほどに、もはや他人とは思えない存在。
彼はやはり、顔色一つ変えず――
ただ目を逸らすことなく、ユウキを見守り続けた。
やがて、ユウキは我に返る。
この年頃の少年には、人前で泣くという行為は当たり前のように恥ずかしい。
彼らに違う点があるとすれば、精神の成熟性。吸血鬼は泣くという行為に、一分の恥も見出してはいなかった。
己が泣けない身であることを、呪うほどに。その行為は、尊く、羨ましい。
「ハンカチの一つも……差し出せないのか……」
冗談で煙に巻くが、その行為自体を誤魔化す程、ユウキも子供ではない。
出来るだけ自然に、話と空気を戻す。今の彼にあるのはその程度。そして見せられる精一杯の強がりも、残念ならがこの程度だ。
「ハンカチ持ってないから」
「…………ボクもだよ」
あまりにつれない、そして泣いている者を前にしてあまりに自然体なその姿に、ユウキは肩をすくめる。
この男の前で恥ずかしいとか、今更だと。
そして生まれてこの方ハンカチなど持ったことがないユウキは、クシクシと目元を手で擦る頃で、あふれ出るものを何とか誤魔化す。
だが、本人の意思を無視し、構わず流れ続ける涙を前に――ユウキももう、構うことをやめた。
「どうして……」
「ん?」
そして、その男に再び向き直る。
ユウキのことを間違いではないと言ってくれた、唯一の男に。
「どうしてそんなに、ボクに優しくしてくれるんだ?」
「…………」
そうではないと、ユウキにも分かっていた。
しかしそう思ってしまうのも、無理からぬ話だった。
なぜなら実際に、ユウキの心は救われている。戦いを振り返っても、ムメイはユウキのためになる言葉しかかけていない。
それはユウキの主観的な認識ではあるが、客観的にも間違いとは言い切れない事実だった。
だが、いやだからこそ、その男はそう簡単には首を縦に振らない。
「優しくしてるつもりは全くないな。俺は命懸けの死闘の末に『お前は良い奴だ。だから殺さない』とか言って最後に気持ち悪い同情を見せるような奴が、世界で二番目に嫌いだ。そういう奴に限って最初は滅茶苦茶相手のこと非難するだろ? そっちが完全な悪って面でさ」
勘違いされたくない、そして勘違いさせたくないとばかりに、露骨に殺しを明言してくる。
だが当然、ユウキにはそんなことは分かっていた。この決着に両者の命が懸かっていることなど、それこそ最初から示し合わせていたことだ。
今更命乞いなど通るとは思わないし、通す気もない。だからそれは、ムメイの勘違いだ。
「確かに。他にも結局殺すくせに、最後に妙な優しさ見せる奴とかいるよね。『ちゃんと罪を償うんだ。そうすればきっと、来世では良い奴に生まれ変われるよ』みたいな言葉かける真っ直ぐな馬鹿。そう言う奴も自分の方が正しいと思ってるから、上から目線で同情の言葉をかけたりする。虫唾が走るよ」
「え? 俺に言ってる?」
「虫唾が走るよ!」
「俺じゃん」
当然ムメイのことを言っているのではない。
この吸血鬼に同情というものがないことは、もう分かり切っている。そんな安っぽい感情に振り回されるタマではないことも。殺しに情を持ち込むほど無責任ではないことも。
彼は最初から何のために戦うのかを、しっかりと己の中で定めているタイプだ。だからブレない。
だからこそこんなに――強い。
「要するに……自分が気に入った敵は殺さない。自分が気に入らない敵は殺す。そういう奴が嫌いなわけね?」
「ああ、だってそれって普通の殺人と何が違うんだ? 正義の仮面被ってるだけの私的な殺しだよ。大義も糞もない」
「間違いないね」
例えば勇者が人間を害する異種族を殺すことは、人間の世界では正義となるだろう。
当然勇者は正義マンという顔をして異種族を殺しまくる。
しかしこの時、勇者が気に入った奴を一人でも見逃せば、これまでの数々の殺しの正当性はどうなるのかという話だ。
世界を救うため、正義のために手を汚すという大義名分が崩れる。気に入った奴を殺さないということは、逆説的に気に入らない奴だけを殺すということになってしまうからだ。
それは普通の殺人と何一つ変わらない。社会では悪とされ、当たり前に法で裁かれるべき愚行だ。
まあ要するに――
「はいはい……君がボクを殺したくて殺したくて仕方がないってことはよく分かったよ。だからボクの質問に答えてもらえるかな?」
結論は変わらない。ムメイはどうであろうと、ユウキを殺す。
だがこの吸血鬼は、殺したくて殺しているわけではない。それもユウキには分かっていた。
ただ責任を果たすために、ちゃんとケジメはつける。前述のパターンとは真逆だ。
ユウキはこの時点でムメイからかなり気に入られているという自覚があったが、それで見逃して貰えるかという問題は、やはり全くの別問題なのだ。
きっとムメイは、アワンのこれからのために容赦はしないだろう。そしてそこには、ユウキのためという思いも、確かにあるはずだ。
それもユウキには、分かっていた。
「答えたろ? 別に優しくしてるつもりはない。俺の考えは最初から一貫してる」
(本当に……優しい吸血鬼だ)
自分への厳しさの中に、確かな他者への優しさがある。
だからこそ、ここまでの責任感を持てるのだろう。感情のままにただ戦うユウキとは、そもそものステージが違った。だから――
最期はユウキも、自分が何のために戦うのか。何のために生きるのか――
自分の答えを、見つけたかった。
「ボクが気づいていないとでも? 時間がないんだろ?」
「なんのことだ?」
当然、知らぬ存ぜぬ。
ここまできても余念がない。見習うべき徹底ぶりだが、ユウキは苦笑を浮かべた。
「ボクもそうそう鈍くない。君に時間がないことは分かってる」
根拠はない。
時間に切迫している様子も、ムメイからは微塵も感じ取れない。
だが、分かった。今のユウキには、ムメイの全てが分かった気がした。
「だから聞きたいんだよ。何でボクの話に付き合ってくれたんだ? 最期だからか?」
「…………」
同情でも、説教でも、気まぐれでも娯楽でもないのだとしたら。
すぐにトドメを刺せる敵に己の時間を分け与え、その結果己の命を危機に晒してまで、彼が今、ここにいる理由とは――
「教えてほしい」
この時間の意義を――
この最期の会話の意味を――
それはずっと、ユウキが知りたいことだった。
ユウキがずっと求めていた――言葉だった。
「なんでって……友達だろ?」
瞬間――時間が、止まった。
いや、ようやく動き出したのだ。ユウキの――止まっていた時間が。
「とも……だち……?」
過去に囚われていた獣は、今ここに、その呪縛から解放される。
ようやく未来へと、進み始める。
「友達と話したいって、そんなにおかしいか?」
「友達って……ボクは敵だぞ? 今の今まで、殺し合いをしてた。それに……まだ大して仲良くもなってない……」
「友達ってそんなもんだぞ? 友達いる?」
「…………」
それは一度問いかけられたことのある言葉だった。そしてその時の答えも、ユウキは覚えている。
未来に進み始めているアワンを、過去へと引き戻そうとした。
ユウキでもレイラでもない、全く新しい友達ができることは、アワンが未来に進むことを意味するから。
人の世界に希望を持ってしまう。この世界に未練を持ってしまう。だからアワンに新しい友達ができることを許さず、またユウキはアワン以外の友達を決して作らなかった。
未来に進めば、もうここには帰れないから。
だけど――
「いるよ……ここにいる」
今は、違う。
ユウキはようやく――
自分の意志で、未来に進むことを決めた。
「ボク初めてだよ。アワン以外に友達できたの」
「多ければいいってもんじゃないだろ? なるほど……これがお前の言う優しさって奴か」
「それは慰めだね」
それも、自分自身への慰めだ。この様子だと、きっとムメイも友達は多くないのだろう。
ユウキは、笑う。変わらず涙を流しながらではあるが、心から。
こうしてようやく、ユウキはこの世界で笑顔を取り戻した。
最後にできた、友達のおかげで。
「それにしても……友達でも殺すんだね」
「うん。俺の友達、大体俺が殺してるし」
「何その必殺の罠」
ムメイと友達になった時点で確定死だ。罠にもほどがある。
そんな馬鹿みたいなことを考えながら、ユウキは気持ちを切り替えた。過去から飛び出すことを決めたのならば、未来に進まなければならない。
不満はなかった。ユウキもそれを、心から望んでいた。
(命より……意志か……)
この短い時間でも、変われるだろうか――
未来に何かを残すことはできるだろうか――
心から、笑ってもいいのだろうか――
ユウキは、ここに――
全力で生きることを、決める。
「そろそろいいか? あんまり慣れ合って、情が湧いてもな」
ユウキの様子の変化に気づいたムメイは、もう一度確認するように言葉を紡ぐ。
時間も差し迫っているというのに、ユウキの準備が万端となるのを待つのは、万全のユウキを叩き潰したいからだろうか。それともやはり、優しさからだろうか。
分からないが、ユウキの取るべき行動だけは分かっている。
野暮な時間に付き合わせたのだ。せめてここからは、互いの望む戦いを。
「人狼め」
ムメイの軽口にニヤリと笑みを作ったと同時――ユウキは動き出す。
獣気が膨らみ、それに押し出される様に体から噴き上がるのは、毒だ。
それは皮肉にも、ここにきて過去最大の威力でもって猛威を振るう。
それは生存本能か、はたまた闘争本能か。人生を左右するこの局面、手抜きなど許さないとばかりに、決別の証はここ一番で輝きを放った。
それに感化されるように対岸で光るのは、ムメイだ。
静かなる鬼気と共に、雷の力は、変わらぬ脅威のうねりをユウキへと届ける。
莫大な力の奔流は、美しさすら見出せるほどに――ユウキの目には、輝かしく映った。
両者戦闘準備は十全に整い、正真正銘、最後の時間が幕を開け――
そして同時に、この長い戦いの――幕引きの時間が迫る。
後は拳を交じ合わせるのみ。だがこの一世一代の瞬間を――ユウキは一秒たりとも無駄にはできなかった。
だから最後の友に、想いを託す。言葉で、願いで。
「負けるつもりは毛頭ないけど……もしボクが死んだら、アワンのこと頼むよ」
アワンの未来は、彼にしか託せない。
どこまでも自己満足であり、どこまでも身勝手なその想いは――
「自分でやれよ。俺に勝つんだろ?」
やはり、受け入れられなかった。
「ああ……そうだったね」
分かっていた答えに、ユウキは遣る瀬無く笑う。
そういう男だと分かっていた。安請け合いは決してせず、責任のない約束など絶対にしない。
分かっていても告げたのは、一方通行でもいいから、託したかったからだ。
きっとそんなユウキの想いも、全て見透かしているのだろう。
本当に腹が立つほど、カッコイイ男だ。
だが、ユウキも最後までやられっぱなしでは面白くない。
だから――
ここにきて、ユウキは正真正銘、最後の切り札を切る。
「ところで、ボクが奪った君の能力についてだけど……」
「ん?」
一瞬で引くことができた興味。
揺らがない戦闘意欲と、冴えわたる思考。その絶対の意識の隙間を――
ユウキは、狙い撃つ。
「ボクを殺したら、二度と戻らないから」
「なっ!? なにぃっっ!?」
そして心から楽しげに――笑ったのだった。
***
大聖堂、大祭壇の間を歩くのは――祓魔の姫。
穢れなき彼女は再びバージンロードを練り歩き、己の過去、現在、未来を、一歩ずつ確かめる。
その名は、アワン・コロノス。
改め、アワン・ラーヘル。
勇者の血を引く彼女。
その実態は、未だ何者にも成り切れていないただの少女。
しかし今日、彼女は成る。
弱き者を救う者にして、誰かを助ける者。そう――
勇者へと。
「…………」
右を向く。
そこには、祈る様に胸の前で手を組む、レイラの姿が。
ようやく仲直りすることができた、アワンの姉。
離れていても、思いは同じだった。彼女もこの日、この時のために――ずっと戦っていた。
『レイちゃんも手伝ってくれるよね?』
幼き日の想い出が、アワンの目頭を熱く焦がす。
いつか勇者になることを、約束した二人。
きっとレイラも勇者になれると、アワンは信じて疑わなかった。
そしてアワンは、自分の見る目は正しかったと、今ここに確信する。レイラは確かに、アワンの勇者だったと。
「…………」
左を向く。
そこには、泰然と立ち、毅然と胸を張るルルワの姿。
これから仲直りを控えている、アワンのもう一人の姉。
近くにいたはずの彼女のことを、アワンは何も見ていなかった。彼女に重ねた自分だけを見て、ルルワのことを分かった気になっていた。
『しっかりしなさい。勇者でしょ?』
それでも彼女は、アワンのことを同じ勇者だと信じてくれた。仲間だと言ってくれた。
尊敬し、その背中を追いかけたいと思えた、憧れの女性。
きっと追いついて見せる。いつかルルワの横に並び立つことが、アワンの目標だ。
「…………」
血の紋様に身を重ねれば、程なくして儀式用の台座へと辿り着く。
聖杯を前に懐から取り出したのは――吸血鬼の涙を拭った、一枚のハンカチ。
(ムメイさん)
その男は――アワンの救いだ。
彼という存在がなければ、今ここに、アワンは立っていなかった。それほどの、アワンの未来に、なくてはならない男。
過去からアワンを連れ出し、未来で迎えてくれた存在。
彼はいつも、アワンに勇気と力を貸してくれる。
涙に濡れたそのハンカチで、アワンは己が涙を拭う。
人を救いたいと願う血に、人を救うための血を重ねる。ムメイとアワンの血が重なり、溶け合い――今、一つに。
「術者、ユウキ――」
ハンカチを聖杯に投げ込み、アワンは詠唱へと入る。
確かな緊張と静かなる興奮で塗りつぶされた意識は、容易く彼女を、儀式とは別の場所へと誘った。
(ユウキ……)
アワンの、友達。
酷いことを言われても、彼が多くの人を殺したと分かっても、嫌いにはなれなかった。
離れていた7年間。虚しさと切なさだけが募り続けていた。
何でこんなことになってしまったのか。何が間違っていたのか。なぜ世界はこんなにも、アワンとユウキを苦しめるのか。そう思わない日はなかった。
世界を恨み、人々を恨んだ。アワンはずっと、過去に囚われていた。悪夢から、抜け出せずにいた。
でも――
『ボクも勇者になったら、誰かを救えるのかな?』
今は、違う。
(あなたを……助ける!!)
ユウキが誰よりも優しいことを、アワンは知っていた。
本当は、人なんか殺したくない。こんなことはしたくない。この国から、この地から、悪夢は始まったのだ。
苦しんでいるのは、悪夢に囚われ続けているのは――アワンだけではない。
だから――
(これ以上!! あなたに人は殺させない!!)
――友達を、助けるために。
勇者とは、誰かを救う者。
今ここに、アワンは過去の全てへと――
再び、立ち向かう。
「<最上級不義>!!」
アワンの祈りが、コロノスの空を穿った。
***
最後の戦い。
開戦のゴングを鳴らしたのは、これまで常に先手を取ってきた吸血鬼ではなく、未来への挑戦者だった。
それも、ムメイをして衝撃の幕開け。最期の置き土産とばかりに投げられた爆弾。その処理に、彼の手が塞がれた瞬間――
獣は、最速で動き出す。
「さあ!! 最終楽章と行こうか!!」
最後に、ムメイに一泡吹かせることができた。その喜びに高笑いを隠さないユウキが、初手に選択したのは――
ムメイからこっぴどく説教を受けた技にして、最高のアドバイスを貰った技。
<一触即動>。
吸血鬼は三度、空へと舞い上がる。
ここに、聖域の決戦。これまでの全てにケリをつける戦いが、幕を開けた。
「また空か!!」
「君の世界なんだろ!?」
今回ユウキが<一触即動>で操作したのは、ムメイ自身。強力な念動力によって、ムメイが成すすべなく遥か空へと吹き飛ばされたことにより――
再び戦場は――空へ。
吸血鬼の世界での決着を、ユウキは望んだのだ。
その最高の心意気に、ムメイは空から笑う。
大地からそれを見上げるユウキも、時を同じくして、笑った。
両者、精神の高ぶりは易々と天上を突破し――
踊る心は、それぞれ生涯の極地へと到達する。
二人して競うように、生き急ぐ。
今この場所こそが――世界。
「サービスが過ぎるんじゃないか!?」
「そうでもないさ!!」
今、最高の戦いに身を投じたユウキは、迷うことなくその手を選択する。
もうこれ以外は、あり得ないと。
「はあぁぁっっ!!」
「っ!?」
畳みかけるように発動したのは、再びの<一触即動>。
もはやこれで決着をつけることは当然とばかりに、ユウキは勇猛に、果敢に、挑発に似た挑戦を繰り返す。
言われっぱなしでは気が済まない。鼻を明かさないことには終われない。
ユウキは心のままに、思いのままに、この時間を魂で楽しんだ。
「聖域を!?」
天に翳されるは、祈りの両手。
獣の願いに呼応するように、今、聖域が動き出す。
強力な念動力は、地面を容易く引き裂き、大地ごとそれを持ち上げる。
半径49m、高さ11mを誇る雄大なる聖域が――
今、空へと舞い上がった。
「奇襲力が強みなんだろ!?」
聖域。それは、ユウキの全て。
これを自らの手で破壊し、コロノスの地から取り除くという行為は、ユウキが過去と決別し、また完全に離別したことを意味する。
それは、彼が未来へと進んだ証。これは未来を掴み取る戦いだと、彼が見做した何よりの証。そして――
ムメイの覚悟に、心に――ユウキが応えたいと思った、何よりの証だった。
「そんなに月に行きたいなら、このまま連れてってやるよ!!」
この最終戦。ユウキの狙いは、ムメイを神の世界へと送ること。
およそ弱点というものが見当たらないムメイに対し、現時点で分かっている唯一の欠点こそが、空。
今のムメイは、空を飛べない。ユウキはやはり、ここを突くしかない。
空では成すすべがないムメイを、このまま聖域と共に違う世界へと吹き飛ばし、もう二度と帰ってこれないようにする。
戻って来られるのは唯一、空を飛べるユウキだけ。
「へぇ……付き合ってくれるのか!?」
「友達だからね!! ボクは途中で帰るけど、文句ないだろ!?」
上昇するにつれ、みるみる速度を帯びる大地は、遥か空を舞うムメイへと容易く追いつく。
空の聖域による、片道切符の世界流し。
これを阻止するためには、ムメイは即座に大地へと逃げるか、聖域を操るユウキ本体を時間内に何とかするしかない。
だがムメイは絶対に、前者だけは選ばない。それをユウキは――確信していた。
ここで逃げ出すような男なら、今、ユウキはここにはいない。
ここで命を惜しむような男なら、今、ムメイはここにはいない。
必ず乗って来る。
それはもはや予測ではない。変えようのない、確かな未来だった。
しかし――
「大ありだね!! あくびが出るぜ!!」
「なに!?」
ムメイの選択は、やはりユウキの予想を――飛び超えた。
空へとフィールドを移した、この聖域の上での決着を、ユウキは思い描いていた。そこからどれだけ時間を稼げるかの勝負だと。
ほとんど玉砕覚悟、捨て身の作戦。ムメイはこの聖域に帰り、この大地の上で、ユウキの命を取りに来ると。
しかし――
「<偉大一歩>!!」
吸血鬼が選んだのは、やはり――空だった。
ムメイが聖域へと降り立ったのは、時間にしてわずか1秒。
そこからは、あまりに早い。着地とほぼ同時、ムメイは離陸準備を終える。そして空にできた足場を頼りに、ムメイは自らの足で、遥か空へと舞い上がったのだ。
雷の衝撃波が巻き起こり、聖域が悲鳴をあげる。
その頃には、ムメイの姿はもうここにはなかった。
(どうして……)
それは、行動の理由――ではない。
最大の弱点であるはずの太陽に、自ら身を投げるような勢いで飛び立つ彼の姿を――ユウキは、見上げた。
翼を持つはずのユウキが、大地から空を見上げ――そしてそんなユウキを、空の支配者が見下ろす。そんな不思議な構図にも、今だけは疑念を抱かない。
ユウキの想いは、ここにきて、一点に集約された。それは――
(どうしてそんなに……迷いがないんだ。どうして……そこまで戦える)
眩しいものでも見るように、ユウキは目を細める。
それは、尊敬であり、憧れだった。
命を省みない、無謀なまでの強い覚悟。
一切の迷いの無い、確固たる信念。
誰かに連れていかれるなど癪。空には自分の足で行く。
己の世界を汚すものを許さない傲慢と、更なる高き空を目指す強欲。
太陽の光を塗り潰すが如き――鮮烈な光を放つ男。
そう、彼こそが――
「ムメイ……ヤレーアハ!!」
その名は、高らかに空へと響き渡り、世界へと轟く。
瞬間――名を呼べば応えるように、ムメイは光に包まれたのだ。
「眠たい決着がお望みか!? 眠気覚ましをくれてやるよォ!!」
それは、爆発的な力の奔流。天を荒れ狂う、災害。
ユウキは直感する。これは――
(雷!!)
ここにきて、使えないと高をくくっていた力が、牙を見せる。
それも、ユウキの喉笛を引き裂くだけの、鋭い鬼歯が。
「酔い止めの約束だろ!?」
雷の力。
ムメイが記念すべき初撃――<月の狂気>で気が付いたこと。
それこそが、雷の指向性。
ムメイが真っ直ぐに放った雷は、大地に吸い込まれるようにして放電を遂げた。
そして三回目の<撃退の唸り>の時間を使い、ムメイはこれを聖域外で再検証。雷は確かに大地へと向かうことを確認し、ここに引導の一撃が決まった。
雷の放電は、電位差が最も大きく、最も通りやすい経路へと向かう傾向にある。
この法則を、ムメイは知っていたわけではない。しかし、雷は導電しやすい場所に向かうというその性質を――
ムメイは、見逃さなかった。
(本当に……凄いや)
天に迸る――白き雷。
それは無数の大蛇を思わせる気配でうねり、絶えず形を変え続ける。空気を裂くような不協和音が木霊し、その振動だけで痺れを予感させるような、莫大なるエネルギーが空を荒れ狂う。
空が、世界が揺れている。ただ一人の男の躍動に、震えている。
ユウキはその光景を、胸を焦がすような敬意でもって――見上げた。
ここまでの全てが、ムメイの策略。それは分からない。
だが、確かに大地は浮きあがり、確かにムメイは、その上を取っている。
その間に挟まれるのが、全身が涙に濡れたユウキだ。雷が上に、大地が下に。雷の通路が、これ以上ないほどに出来上がってしまっている。
この結果を思えば、<一触即動>の使い方についてわざわざユウキに説いたことも、何の意味もなかったとは思えない。
誘われたと思うに、些かの矛盾もない。
そしてこれまで雷の能力を温存していたのは、この一撃に全ての魔力を捧げるため。
ムメイは最初から、この決着を思い描いていたのだ。
全ては、空で、雷で、聖域で、決着をつけるため。
全ては、この時間のために――
ユウキは、笑う。
これほどの男に人生の幕を下ろされるなら――本望だった。むしろ望むところ。いや、彼以外は絶対にあり得ない。
そしてそれを、今一度確かめるために――
ユウキは、叫ぶ。
「ボクを殺せば!! 能力はもう二度と戻らないぞォッ!!」
それは、まごう事なき真実。
ユウキの<妖精の丘>は、生涯に一度の切り札。だから他人の能力を奪う力も、生涯に一度。
これらはユウキが聖域内で自ら返却しなければ、二度と使用者の元へ戻ることはない。つまり今、ユウキと共に聖域そのものを破壊しようとしているムメイには、奪われた能力はもう帰らない。
しかし、いや、やはり――
「やるよ。ちょうど餞別を悩んでたとこだ」
「ははははっ!!」
最高の男は、些かの躊躇もなく――
数々の強能力を、まとめて手放した。
過去など興味がない。今を生きなければ意味がない。
その男は、常に未来を目指しているから。だから――
「<浪漫非行>!!」
「っ!!」
ユウキは、聖域を飛び立つ。
最後に、自らの手で聖域を捨て――
友の翼で、未来に飛び込むことを――選んだ。
アワン。
ボクにも、新しい友達ができたんだ。
嘘じゃないよ。
こんなボクを、友達だと言ってくれた。間違いじゃないと、そう言ってくれた。
ボクの最後の友達だ。だから――
彼に託すよ。
これでボクも――
やっと――
未来へ――
「<赤天の霹靂>!!」
それは、目覚めの角笛。
そして――
悪夢を終わらせる――暁光だった。
***
「――そうか……」
天からの落雷が、少女と獣の過去の遺物、聖域を消し飛ばした時――
コロノスの中心では、天高く立ち昇る光の柱が、空を貫いていた。
その煌々とした光は、まさに悪夢を晴らす輝き。
悪しき夢に縛られる者達の目を覚ます、朝日の祝福だった。
「…………」
そんなコロノス、いやコイラスにまで広がる空の光を、見届ける者がここにいた。
それは、物語をこの国に迎え入れた男にして――彼女を待っていただけの、ただの男。
そう――彼はずっと、待っていたのだ。
彼女が、帰って来るのを。
「アダ……見ているか……」
コイラスを救う光。
その上にいるであろう息子と共に、男は悪夢の終わりを見守る。
長かった。
7年。醒めない悪夢の中に、国はあった。
この国もまた、ずっと過去に縛られ、そして過去を彷徨っていたのだ。
だがここに、ようやく未来へと進み出すことができる。夜は明け、次の朝を迎えることができる。
彼女のおかげで。そう、彼女こそが――
「俺たちの勇者が、ここにいるぞ」
勇者。
悪夢が醒める時――
そこには、人の夢だけが――残る。




