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吸血鬼転生~最強なのに太陽の光で死ぬ俺は、唯一の希望”処女の血”を吸わせてもらうため、お姫様勇者のペットへと成り下がる~  作者: 兄貴
第一章 約束の丘の祓魔姫

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第076話 馬鹿なだけの男

 

 戦局の鍵を握る吸血鬼と犬妖精。

 彼らが別空間で試練という名の命懸けのゲームに興じている頃、世界の流れは止まっている――

 などということは勿論なく、むしろ時は加速するように、事態は切迫の道を辿り続けていた。


「――やっぱり、これしかないわ」

 

 長考の果て、ルルワは確信する。これこそが、今自分のやるべきことだと。

 外野から見ればあまりにあっさりした決断ではあったが、ルルワからすればあまりに遅いくらいだ。

 今だって外野――アワンの煮え切らない態度に、焦りと苛立ちが隠せない。


「ですが……ルルワ様は目的因オロジストです。外側に力を加える作用因キネシストは、最も相性が悪いはず」


「そうね」


秩序術コスモスとはいえ、かなりの余白を消費します。今後のことを考えると、非常に勿体ない使い方です」


「…………」


 ルルワが導き出した策は、簡単に言えば新しい能力の取得だ。 

 修得ではなく取得。つまり己の手で創り出す混沌術カオスではなく、既存の術を選択する秩序術コスモス

 

 ――<信仰の賜物(ピスティス・カリスマ)

 天術作用因キネシストの中にあってこの術は、己の天力を他者へと分け与えられるというもの。貸すのではなく、施し。与えれば帰っては来ない。

 もちろん対象者は天術師に限られ、分け与えられる天力量は対象の容量に依存する。

 仲間内ではあまり使い道のないスキルだろう。特に最前線を受け持つ前衛タイプのルルワには、不要なものだった。

 しかし、この状況ではもはや必須と言えるほどのスキル。だからこそデメリットに目を瞑ってでも取得を考えているのだ。なぜなら現状、打つ手がない。

 

 アワンの<最上級不義アディキア・メギステー>が、一回しか使用できないという事実。そしてすでにその一回を使用してしまったというどうしようもない現実が、ここにはある。その原因は、彼女の天力量。

 発動にはアワンの天力の大部分を消費し、それは儀式の成功失敗に関係なく神へ捧げられる。つまり、この天力残量の問題を何とかしない限りは、お話にならないのだ。

 まず第一にこれの対策を考えるのは当然。そしてルルワからすれば、現状もうこれ以上の答えはなかった。むしろ――


「でも、今は使える。これ以上なく。むしろ解決策が一つでもあってラッキーだったわ。これでまだ足掻ける」


「…………」


 いつまでも煮え切らないアワンの姿に、どちらかと言えばせっかちなタイプのルルワはやはり小さくない苛立ちを覚えるが、彼女の気持ちも分からないわけではない。

 ルルワはこれまで、かなり頭を捻って己の術構成に励んできた。使用コストは最小限に、それでいて己の強みを前面に押し出す理想的な構築。その芸術的なまでの美しさは、客観的に見てほぼ完ぺきと言える水準。彼女に最適化されたスキル群。これはまごう事なき事実だった。

 それが同じ天術師であり、ルルワのスキルの内容も知っているアワンには分かるのだろう。だからどうしても、乗り気になれない。

 それは例えるならば、一枚の美しい絵画に唾を吐きかけるが如き蛮行。ルルワも正直、いい気分では決してなかった。これまでの努力を無に帰すとはいわずとも、台無しにする行為。

 アワンの今後に響くという発言は、見せかけの脅しではなかった。


 ちなみにルルワの術構成には、アベルという男の影響が多分に含まれている。

 彼はルルワの才能をいち早く見抜き、早い段階から数々の助言を行ってきた。それを愚直に守った結果、彼女は近接戦の中でも刺突特化の軽戦士の道を辿り、その強みを活かす形でスキルを揃えたのだ。

 ルルワの必殺技<銀の弾丸ボリース・アルギュラー>を主軸としたシンプルながらも美しい術構成には、彼の存在は欠かせなかった。

 ルルワ本人も、これは己の才能ではなく兄のアドバイスが大きかったと自覚している。現に彼女は今――


「それに壁を越えたことによって、今私の才能は有り余ってる。元々節約家だったんだから、こういう時くらいパァっと使わなきゃね」


 これは強がりではなく、事実だ。いや、やはり強がりなのかもしれない。

 ルルワは今、足踏みしていた。現状でもほぼ隙がないと言える自身の術構成を、この先どうしていけばいいのかが分からなかったからだ。

 ミサを倒し、壁を越えたことにより再び潤沢となった才能。しかしこの使い道が分からない。傍で的確を超える神の如き助言を授けてくれた兄は、もういない。これからは己一人で模索する必要があるのだが、現状幸せなことに今ある力だけでもなんとかなっているため、いまいち踏み出せなかった。


 だからこそ、今回のこれはいいきっかけだ。

 諦めの境地、投げやり、思考放棄とさえ言われるかもしれないが、その汚名を被ったとしても構わない。一歩踏み出して見ないことには先など分かるはずもなく、一歩踏み出してみるだけで何かが変わることもある。

 そして何より――


「私はやるわ。あなたも、いい加減腹を括りなさい」


 人の命がかかっている。

 今目の前の人間を救えるのなら、本望だった。


(分かってる)


 大局を見て、慎重に判断しなければならない立場に己があることは。

 ルルワの構成軸のブレは、未来のブレに直結する。少しのミスが、破滅の未来へと繋がることは。

 だが、中々ムメイのようにはなれない。最も大事な目的を達成するためであれば、他の全てを即座に斬り捨てる。

 それが正しいと分かってはいても、今のルルワには不可能だった。もしかしたらの未来の可能性と、今救えるかもしれない数万人の命では、天秤の対は右に大きく傾いた。ルルワ自身の手で、分銅を右に乗せたから。


「…………分かりました」


 アワンの重々しい頷きには、ルルワへの心苦しさだけではない理由がある。

 ルルワたちがこれまで何をしていたか。二人は儀式失敗の原因、その所在を探していた。

 床の血の紋様、鍵となる聖杯、聖衣たる大祭服――大聖堂内部を隈なく、どこかに破損、もしくは何者かによる妨害の影はないかと。

 しかし――見つからなかった。何も、一切。


 どこにも異常は見当たらない。何が原因なのか分からない。

 だが、このまま手をこまねいて現状を眺めているだけでは、事態は収まらない。そしてそんなことは、勇者の名が許さなかった。


 そしてルルワたちは、消去法的に答えを導き出す。

 それは、ユウキの術への理解が不足していたこと。

 他者を汚染源にし、操る能力。この新能力についての知識が抜けていたこと。これこそが失敗の原因だと。

 もうそれ以外に考えられなかった。だから――


「もう一度やるしかない。今度は何が何でも成功させなさい」


「はい!」


 答えが見つかった今、迷っているような時間はない。これを答えと決めつけて前に進むしかない。

 ルルワの天力量なら、アワンの術数回分に匹敵するだろう。しかし信仰の賜物(ピスティス・カリスマ)というスキルも、一人の術者に天力を分けられるのは一日一回までだ。

 秩序術コスモスの宿命――制限型。

 次こそは、もう本当に失敗は許されない。正真正銘のラストチャンス。


 ルルワとアワンがようやく心を一つにし、過ちの未来へと一歩を踏み出そうとした頃――

 彼女はやってきた。


「アワン様ぁ~~!!」


「えっ!? レイちゃん!?」


 大祭壇の間に転がる様にして駆けこんできたのは、眼鏡と豊満な胸が特徴のメイド。汚染源となり、街を練り歩いていたはずのレイラだった。

 ルルワはその声が聞こえた瞬間、ユウキの操作を警戒しアワンの前に出るが、一目で様子が変わっていることに気が付く。

 なぜなら――レイラの体から、毒が出ていない。


(毒がない。解放された?)


 ならば現在の彼女は、操られていないのか。

 もしまだユウキの影響下にあるのであれば、ケインが自由にするはずがないだろう。不意打ちをするなら大声で注意を引き付けるのもおかしな話。


 ルルワが冷静にレイラの現状を把握している間、非常に顔色の悪い彼女は、バージンロードの上をふらふらと歩く。位置的にルルワたちは新婦の入場を迎えるような形だが、こんな体調の悪そうな新婦は嫌だと、ルルワは女ながらに思った。


「ひっ……ひぃっ……」


「あっ!」


 アワンの警告、いや、反射的に出された声は、彼女を案じたものだ。

 自身の足に足を取られたレイラが、顔から床へと倒れに行く。

 だがアワン、そして本人までもがそう思った時には――

 ルルワは既に、彼女の元へと辿り着いていた。


「大丈夫?」


 床とレイラの間に滑り込むようにして入り、両手で受け止める。そしてほぼ同時に彼女をひっくり返すと、横抱きに抱えた。

 まるで姫を救い出す王子もかくやとばかりに抱き抱えたのは、拘束するためだ。未だユウキの手中にあるという可能性が捨てきれない今、戦局の鍵を握るアワンに彼女を近寄らせるわけにはいかない。だからルルワは自ら接近することで、動きを封じたのだ。

 そして仰向けにしたのは、顔色を確認するためだ。足元がおぼつかなく、息も荒い。これを見て中毒を疑わない者はいないだろう。彼女はつい先ほどまで毒を振りまく立場でもあったのだ。まだ毒が残っているという警戒は、やはり当然のものだった。

 しかし――


「か……かっこいい……」


「…………」


 腕の中に収まる同い年の少女は、なぜか頬を染め、目を潤ませる。

 毒による体温の上昇、発汗だと思いたいが、顔色はそこまで悪くない。息も荒いが、これは走っていたことによる呼吸の乱れだと思いたい。

 だが、背後から聞こえてきた全く同じセリフに、ルルワは現実逃避を諦めた。


(これ……多いわね)


 ルルワはなぜか、異性から可愛いと言われるよりも、同性からカッコイイと言われることの方が多かった。それも非常に。

 小さな子供などから憧れの目を向けられるのは純粋に嬉しいのだが、アワンやレイラのように年の近い者達からこのような感情を向けられるのは、何とかなくむず痒い。決して嫌なわけではないのだが、言外に男っぽいと言われているようで若干の忌避感はあった。

 ルルワはこのパターンに直面するたびに、同性からの本気のラブレターを貰った記憶などを思い出す。それが過去に複数回あるのだから、意識するなと言う方が無理な話。

 レイラやアワンにはそんなつもりは毛頭ないのだろうが、中々難しい問題だ。たぶんルルワはアワンからラブレターを貰った日などには、本気で困り果てるだろう。まだムメイに渡してくれた方が、許せるかどうかはさておいて、気は楽だ。

 ちなみに許さない。内容をしっかりと確認した後、細かくちぎってから燃やす。そして二度と書く気が起きないように話し合う。何時間でも、何日でも。


(…………ムメイのせいね)


 それもこれも、満足な誉め言葉の一つも贈ってくれない彼氏のせいだと、ルルワは八つ当たりすることでこの問題を終わらせにかかる。

 彼氏からカワイイと褒められれば女はもっと可愛くなるものなのだ。だから現状カッコイイが優勢なのは、全てムメイのせいだと。


(もっと可愛いとか好きとか言いなさいよ……。キスとかしてきなさいよ……あのファッション処女厨め……)


 小さな火種はさらに飛び火し、ムメイの普段の行いにまで。

 普段あれだけ、「ぷひー……ぷひー……王女? 処女? ぐへへ……じゅるる……」みたいなことを言っておいて(言ってない)、全く手を出してくる素振りがない。

 ルルワがどれだけ誘っても躱される。いざそういう雰囲気になったら、興味ないんで――とばかりにつれない態度だ。

 いや、もちろん死活問題なのだから、一線を越えないように努めるムメイの方がどこまでも正しくはあるのだが――正しいから間違いではないというわけではないのだ。一人の乙女としては、やはり複雑な心境は避けられない。

 これだけ心を通わせているのだ。客観的にもラブラブカップルのはずだ。

 その前段階くらいには至ってもバチは当たらないどころか、もっと関係を深めていてもおかしくはない。それが未だにキスすらないとは。ルルワにとってもこれは全くの想定外だった。


(やっぱりあの夜に叩いたのが悪かったのかしら……男の人は最初のトラウマを引きずるって言うし……)


 あの夜のあれについては、最善の判断だったと思っている。初めての吸血行為で、ルルワの理性も危なかった。あそこで無理やりにでも冷静さを取り戻さなければ、おそらくそのまま流されて最後まで突き進んでいたことだろう。

 だが頭では分かってはいても、惜しいと思ってしまうのも人間だ。あの夜だけだ。彼の方からルルワを求めてくれたのは。


「レイちゃん!! 無事で良かった!! でも大丈夫なの!?」


 レイラを見ているようで、ルルワが全く違う場所を遠い目で眺めていると、遅れて駆け寄ってきたのはアワンだ。

 その声で、ルルワは我に返る。そんな馬鹿なことを考えている場合ではないと。

 アワンは重い聖衣を引きずってこの場へと合流し、胸を大きく上下させるレイラを覗き込む。

 当然毒の心配だろう。別れ際の様子と現在のこの状態を見せられれば、やはり当たり前の懸念だ。


「ち、ちがうっ……の。苦しく……て……」


「毒が!?」


 胸に手を当て、レイラは必死に呼吸を整える。思い返したような表情は、やはり苦しそうだった。

 よく見れば大粒の脂汗を浮かべ、衣服も多量の汗で濡れている。出産直前の妊婦を思わせるような気配は、見る者の不安を静かに誘う。が――


「走る……のが……」


「「…………」」


 ルルワとアワンはゆっくりと顔をあげ、何も映さない表情を揃って見合わせる。

 そしてそのまま、再びレイラを見下ろした。


「レイちゃん……お菓子食べ過ぎるから……」


 その声は、もはや呆れとかではなかった。

 同情すら帯びたような気配に、レイラは急速に生を取り戻し、くわっと目を見開く。


「ち、ちがうもん! 往復何キロ走ったと思う!? 私日頃からそんなに運動しないし!! 同じ生き物と考えないで!!」


「あれだけ食べて運動もしないの? どうやって消化するの?」


「消化できてないからこうなってるのね」


 ルルワもアワンと同じく哀れみの視線を送る。

 同性としてのささやかなエールのつもりだったそれは、やはりレイラには逆効果だった。


「ケイン様の魔術途中で切れちゃったし! スカートが長くて走りずらかったし! あー……あと胸! 胸も重かったし!! アワン様は子供の頃からサイズ変わんないから!!」


「か、変わったよ!! よく見てよ、順調に大きくなってるもん!!」


「見えない……ここ?」


「そこはお腹!!」


 なぜか身体的特徴をあげつらった言葉の殴り合いにまで発展したことで、ルルワは静かにフェードアウトする。流石にそれほど低レベルな子供の喧嘩に巻き込まれるのは御免だった。

 ただ客観的事実として、レイラの胸は確かに凄まじいものがある。そしてアワンの胸も、別の意味で凄まじいものがあった。少なくとも、現状では全く勝ち目がない。勝負にすらならない。

 それを本人も自覚しているのか、薄っすら涙目で、レイラの眼鏡の度数について、果ては己の未来の可能性についてまで力説するアワンを、流石に見ていられなかった。

 そもそも、やはり今はそんな場合ではないのだ。


「レイラが無事で心底安心したんでしょうけど、そろそろ切り替えなさい」


 不毛な言い合いは、すぐに鳴りやむ。

 そこまで時間を無駄にしたわけではないが、今の状況ではこのような会話すら不謹慎だと思ったのかもしれない。二人ともそういったところは真面目だ。

 不謹慎と言えば、この状況で恋人への愚痴をこぼしているルルワの方がよっぽど不謹慎だが、ルルワに特に罪悪感というものはなかった。

 ルルワたちも決して遊んでいるわけではないのだから。

 それに、それら無駄な思考のおかげで、少し冷静になれたのも事実だ。

 今はレイラがこのタイミングでここにやってきた事実に、着目できる。


「それでレイちゃん……どうしたの? なんで毒が消えてるの?」


「決まってるでしょ、ムメイが勝ったんだわ」


 それしか考えられない。

 そして、当然の帰結だ。むしろ相手は、この時間まで良く粘った方だと言える。とにもかくにも、これで汚染源についての心配をする理由はもうなくなった。


 その確信を帯びたルルワの声に、微妙な顔をするのはアワンだ。

 彼女は神妙な面持ちで顔を伏せる。まるでそうではないと信じたいかのように。

 そんなアワンを後押しするわけではないが、レイラが導き出した答えはルルワの予想とは違った。


「…………たぶん違うと思います。私から毒が消えた途端に、ナトゥの体から毒が出始めたんです。まるで乗り移ったみたいに。今彼女と、ケイン様が戦っています」


「ナトゥ!?」


(憑依能力の応用!! レイラを起点とした迎撃発動型!!)


 アワンがナトゥという新たな敵の存在に驚きを示す時、ルルワは敵の能力の一端について改めて理解する。


 新たな汚染源が二人出現したという報告。そしてレイラからナトゥへと乗り移ったタイミングからして、これらはほぼ同時刻。

 ならば、最初をレイラ単独にしていたことの意味も変わって来る。あれは獲物に食いつかせるため。レイラを止めれば術が発動する仕組みの、迎撃発動型。そして――


(威力乗算型でもある! まずいわ……新たに出た二人も、やっぱり止めるわけにはいかない!!)


 兵士が伝令に来た時点で、ルルワはこれらを推測、伝達までしていたが、ここにきて嫌な予感が当たる。間違った警告をしなかったことを喜ぶべきか、それとも状況の悪化を悲しむべきか。

 そしてこの事実は、ムメイの勝負がまだ終わっていないことを意味する。

 毒の拡大を防ぐためには、即座にユウキを無害化するのが一番手っ取り早く、そして最大の正解だ。それを分からないムメイではないだろう。ならば――


(そこまでの強敵なの!? あの子供が!?)


 12使徒に数えられるほどの強敵。それは分かっていた。

 だがレイラからの話を聞いた限り、彼は鍛え始めてまだ数年といったところだろう。外見で判断するなという教訓はルルワも承知の上だが、それでもまだ幼過ぎる。

 誰がムメイと互角に戦えると思うのか。それも、これほどの時間を。


(…………)


『あんな奴らに!! 勝てるわけがないんだよ!!』


『人間が勝てるわけがない!! そう言う次元じゃないんだ!! そういう話じゃないんだ!!』


 思い返される、兄の言葉。ルルワがこれほど賢いと思う人間は、ムメイを除けば彼だけだった。 

 死に際のその言葉が、ここにきて重くのしかかる。

 ルルワはムメイという存在が味方に付いたことで、状況は変わったと思っていた。だが現状、彼は12使徒より確かに強くとも、その戦局を抱えながら戦場を無双できるレベルにはない。おそらくそんなことができる存在は、そもそもこの世にいないのだろう。

 ここから考えれば、事はそう単純ではないことがよく分かる。仮に今のムメイが魔王を凌ぐ個だったとしても、彼一人の存在など誤差だと言えるほどに――


(やめなさい!!)


 ルルワは、最悪の答えに辿り着きそうな思考を、振り払う。

 そんな答えは、あの森に置いてきたはずだ。そしてルルワは己の答えをもう見つけたはずだ。

 

(私がもっと強くなるしかない!! 一刻も早く、彼に追いつく!!)


 それしかないのだ。

 今のままでは、本当に危ない時に彼の足を引っ張ってしまうだろう。それが致命的な結果に繋がる可能性が、当然のようにある。

 ルルワは再び横道に逸れた思考を強引に引き戻すと、現実へと帰った。


 「…………そう。やっぱり彼女グルだったのね。これをしでかした犯人も、やっと分かったわ」

 

 そして話の内容を利用して、意図的に二人から視線を切る。

 レイラは今気が付いたとでも言うように、部屋の惨状に声をあげた。


「え? あっ!? なにこれ!? 酷い!!」


(ナトゥはあちら側……取り押さえて情報を引き出す? いえ、ここは離れられない。それに……)


『レイラのことは、俺に任せてくれないか?』


『任せる』


 彼が任せると言っていた。

 ならば、ケインの力はあてにしていい。きっとナトゥをなんとかしてくれるはずだ。ならばやはり――


「そっちの状況は大体わかった。どのみち、私たちのやるべきことは変わらないってことも」


「はい。一刻も早く、毒をなんとかしないと」


 アワンも同じ考えのようだ。

 ケインへ援軍はいらない。ルルワたちはここから離れるわけにはいかない。


「それでこちらはどうなってるんですか? 正直、もう儀式は始まっているものかと……」


 率直な意見は、状況の把握にはありがたかった。

 レイラの考えはほぼ全員の考えと思っていいだろう。あちらでは、もう儀式は当然行われているものと考えられている。さらなる混乱を避けるためにも、やはり早期の解決が要求される。

 

「ええ、儀式はもう行ったの。そして、失敗したわ」


「え!? 失敗!?」


「うん。たぶんレイちゃんを操った能力についての理解が抜けてたせいで、上手く発動できなかったんだと思う。だから今から、もう一度発動するつもり」


「あなたが持ってきた情報は、欠かせないものだわ。でも、もう失敗はできない」


 残り一回のチャンス。これを聞いたレイラの表情は、当然硬い。

 これを失敗したら、もう打つ手はない。その先は7年前を超える地獄だ。


「…………納得してるんですか?」


 その問いは、ルルワたちの心境を見抜いたうえでのものだと即座に分かった。

 100%の確信ではないのだと。


「するしかないという感じね。他に見つからないの」


「うん。本当に分からないの。もう考えられるだけ考えた」


「…………」


 レイラは考えるように視線を下げ、その後顔ごと周囲を見渡し始めた。

 この場所から見つけられるような異変ならば、もうルルワたちがくどいくらいに探しきっている。しかし、ルルワに無駄だという思いはなかった。

 術師ではない者の視点は、案外馬鹿にならない。二人よりも三人の方が気づきの可能性はやはり高く、そしてこういった場面では意外な人間が救世主になったりするものだ。

 そんな幻想は、早々にして打ち砕かれる。


「ああ!! 扉!!」


「やっぱり!?」


 彷徨うレイラの視線は、今は亡き大扉で固定された。そして強い賛同を示すように、アワンの視線まで。

 だがそれは間違いだと、ルルワだけが知っている。だから若者たちの過ちは、正すのが大人の仕事だ。


「勇者の勘が言っている……原因は扉ではないと。絶対に、扉だけはあり得ないと」


「絶対に……」


「勇者の勘が……」


「ええ」


 こちらを見上げる二つの尊敬の視線に、ルルワは自信を持って頷く。

 正直もう扉が原因なんじゃないかとルルワでさえ思っているが、本当にどうしようもないから仕方なかった。

 ルルワの断言に、再びレイラは考え込む。しかし、今度は早かった。

 彼女は正解を導き出したとは思えないほどにあっさりと、それを告げる。


 それはまさに――意外な者が救世主となる。

 それを体現するような――あっけない姿だった。


「毒が違うんじゃない?」




***




「――殿下!!」


「あ?」


 死の境地――それほどの極限にまで達していた集中状態から、ケインは浮上する。飼い主に呼びかけられた犬の如く反射的に声の出処に目を向ければ、そこには見慣れた者達の顔があった。

 家屋を巻き込みながら登場したケインを、驚愕の気配で迎えるのは、住人の避難誘導に動員していた騎士たちだ。

 つまりは――


(くっそ!! もうこんなとこまで!!)


 どれほどの距離を移動させられたのか、また自分がどのあたりにいるのかさえさっぱり分からないが、今の状況が良くないということだけはケインにもはっきりと分かる。時間がないということも。


「殿下、肩を――」


「いい。それより報告を。避難はどうなっている?」


 ケインは思うように力の入らない体に鞭打ち、自力で立ち上がる。

 やはりふらつくし、正直手を借りたいところではあるが、既にケインの体の大部分を蝕む毒に触れさせたくはなかった。人から人への感染はほとんどないとは知っているが、気持ちの問題だ。

 ケインの気持ちを汲んでくれたのか、近寄ってきた騎士たちもごねるようなことはせず、即座に報告へと移る。


「順調です。殿下の作成されたマニュアル通りに進んでおり、我々東ブロックは完了」


「最も被害の大きかった西に関してですが、現在毒の進行スピードが著しく低下しており、この隙にできるだけ避難を進める方針です」


「移り変わった汚染源に関してですが、ルルワ・シェメシュ様の指示により放置しております。威力乗算型、もしくは迎撃型の可能性があるらしく、放置が最も無難だと」


「訓練と比べ多少の遅れは出ておりますが、現状許容ラインかと。想定よりも遥かに犠牲者の数を抑えられております」


「そうか! そうか、よくやった!」


 騎士たちの報告に、ケインは声をあげる。

 こんな体でもなければ、肩を叩き合って喜びを分かち合いたいほどだった。


 7年前の悪夢を受け、コイラスでは対ユウキの対策チームが発足された。本格的に稼働したのはユウキの12使徒入りの事実が明らかとなってからではあるが、その現在の代表こそがケインである。

 ケインはこういう日がいつかやって来ることを、半ば確信していた。根拠はないが、きっと来ると。だからこそいつどのような時に起きても良いよう、厳格なマニュアルを作成し、定期的に騎士たちと訓練を行い、これに備えてきたのだ。


 もちろんマニュアルの内容に関しては、ケインはほとんど携わっていない。

 邪魔になると分かり切っている分野に口出しする程、ケインは我が強い太刀ではなく、足を引っ張って平気でいられるほど、面の皮が厚いわけでもなかった。そういう意味では、ケインは知者と言えた。

 優秀な文官たちとレイラが知恵を出し合って作成してくれた対策マニュアルの通りに、ケインは騎士たちとの訓練を自身が率先して主導する程度のことしかしていない。

 愚直な王子、臆病な王子――そのように貴族たちから嘲笑と陰口を受けることなど常だ。来る日も来る日も黙々と、影も形すらない7年前の悪夢に備えているのだから当然。

 定期的に訓練の協力を要請する街の者達からも、いい顔はされなかった。何の意味があるのか、一つの事件に固執し過ぎではないか。民衆からすれば、7年前の事件などもはや過去だ。当事者でなければ過去ですらない、別世界の話。いつか自分の番が来るなどと思う者はいなかった。


 誰も拒みはしないが、快く協力してくれる者はいない。

 それもそうだろう。ケインの働きは、王家はあの一件にちゃんと向き合い続けているんですよ、ちゃんと反省しているんですよ――というポーズにしか見えない。

 これをアダと顔立ちが非常によく似ているケインが主導しているというのは、もはや皮肉だ。

 客観的に見て、あの事件の一番の被害者は――完全な無関係の人間の中で言えば、ケインだった。

 ケインもまた、味方の少ない中、ずっと戦い続けてきた者の一人だ。

 だから――


(無駄じゃなかった……無駄じゃなかった!!)

 

 ケインは絶望しかなかった旗色に、ようやく希望の色が塗られ、心を震わせる。何より自分の力が、少しでも人を救うためになったというのであれば、これ以上の喜びはなかった。

 だがやはり、たった一つの光では、夜を塗り潰すことはできない。

 現実は、そう甘くはなかった。


 十数人の騎士たちのうち、小隊のリーダーと思われる男が、兜を外し、顔を見せる。脂汗が滲み、苦渋の心までが滲み出るその顔を。


「しかし、問題が。住人の受け入れ先だったロフォス家が機能しておらず、このままではあぶれる者達が出てきます」


「は? なんだよ機能してないって。どういうことだ?」


 ケインは体の痙攣を隠す努力はもはやせず、全力疾走直後のような荒い呼吸も、そのままにする。もはや体裁を取り繕うのもシンドイ領域に、やせ我慢もやめた。

 だが心配の声はない。相対する騎士たちの状態も、ケインに近かったからだろう。毒の脅威から人々を逃がしているのだから当然だ。

 ここには、既に満身創痍の者達しかいなかった。


「ロフォス家の者達は、逃げ出したようです。ですので、命令系統が上手く機能せず、現在陛下自らが現地で指揮を取っておられます」

 

「はあ!? 逃げ出し……!! いや、何やってんだよあのジジイ!! はっちゃけすぎだろ!!」


「…………はい」


 無礼――そんな小言はなかった。むしろケインに同意するように騎士たちは頷く。その表情からは、強い遺憾と無念の意が伝わってきた。

 当然だ。一国の王には一番安全な場所に、一刻も早く移動してもらいたいと思うのが忠誠を誓う者達の心情だろう。ロフォス領はここコロノスのすぐ隣の領地。距離は離れているとはいえ、この規模の戦いではまごう事なき前線だ。

 きっと、いや絶対に、騎士たちは反対したはずだ。ケインでも反対する。今も全員が、気が気ではないことだろう。


「マジで何やってんだよ……今王位継がされても困るぞ俺は……」


「…………はい」


 ケインに同意するように、騎士たちは揃って頷く。深く。

 王に死なれては困るという部分に同意したのだろう。それ以外に理由があるとは思えない。少なくともケインには思い至らなかった。


「まあいい。それでロフォス家がなんて? 逃げたってどこ逃げんだよ。馬鹿なのか?」


 真っ先に思いついたのが亡命だが、受け入れ先があるのだろうか。今の世界情勢で、北領域ローラシアのどこが受け入れるというのか。少なくとも東二国はあり得ないだろう。西は戦争中だから死にに行くようなものだ。

 考えられるなら中央か北だが、北は純粋な人間種は少ない上に遠すぎる。中央の国々は人にあだなす者達を決して許しはしないだろう。

 ユウキの毒で死ぬよりは幾分かマシかもしれないが、やはり未来がない。一体何を考えているのか。


「いや、そっちはもうどうでもいいか。つまりこれってロフォス家は裏切り者だったってことか? ユウキはずっとロフォス家にいた……てことになったりするのか?」


「可能性は高いです。どのみちもうこの国には居場所がないと思ったのでしょう。自ら戸口を開いたという可能性も出てきました」


「戸口を……なに?」


「7年前、瀕死のユウキを匿ったということです。タイミング的に考えても矛盾はありません」


「…………くそ!!」


 ケインは理解した瞬間、怒りという感情を発散する。

 そして八つ当たりのように足元の木箱を蹴り飛ばした。


 同じ国の仲間が、裏切っていた。そしてその事実にずっと気が付かなかった。

 国の中にいた敵の存在にも気づかず、長期の潜伏を許した。ケインが気づいていれば、今回のようなことも起こらなかったかもしれない。

 もっと早く、人々を救えたかもしれないのだ。


「…………」


 無言で見守る騎士たちの目が合っても、ケインは中々この怒りを抑えることはできなかった。

 上に立つ者として、失格だと分かっている。感情を振りまいて情けない大人だということも分かっている。しかし、怒りが収まらない。今までこれに気付かず、のうのうと生きていた自分に。

 だが、切り替えなければ。これ以上情けない男に成り下がるのは、ケインも御免だった。


「はぁ……で? 陛下が指揮を取って、なんで避難の受け入れが上手くいかねぇんだ?」


 ようやく顔をあげたケインに対し、騎士たちは口ごもる。それは、言い出しづらいことなのだと、ケインでもすぐに察せられるような姿だった。

 そして予想通り、業火の中に、さらなる薪はくべられる。


「まず、ロフォス家の者達が抜けた穴埋め作業による遅れ。そして致命的な訓練不足による遅れです。現地の騎士たちを動員することで土地勘の不足を補っておりますが、その騎士たちがそもそも内容を十全に把握しておらず……中にはそういった作戦が進んでいたことすら知らない者さえいたようです」


「はぁ!?」


 それは、怒りさえ吹き飛ばすような驚愕の事実だった。

 曲がりなりにも一国の王子が筆頭となって進めているプロジェクトを、把握していないとは。

 いや、そもそもケインはロフォス家の者に定期的な騎士たちへの訓練を願い出ていた。その報告書の提出も。改善案をまとめたレポートの提出なども。

 ここまで徹底して、まさかスカされているとは思わない。どころか、内容すら知らされていない者達までいるなど、笑い話だ。

 もちろん、全く笑えないが。


「馬鹿にしやがって……マジでぶち殺してやりてえよ。いや、絶対殺してやる」


 ケインは心に決める。ロフォス家の者達は地の果てまでも追って、必ず捕まえ、引きずってでも連れ戻すと。

 何年かかっても責任を取らせる。絶対に、このまま逃がしてはやらない。


「…………騎士たちに非はありませんが」


「たりめえだろ!! ロフォスの奴らだよ!!」


 流石に事情を知らなかった騎士たちに八つ当たりするほど、ケインは子供ではない。だから「ほっ、良かった……」みたいに安堵する騎士たちの姿は、どこまでも釈然としなかった。


「アホ共の処罰の話も、やっぱ後回しだ。今は避難先だ。何か手はないのか?」


 コイラス王の件も、ロフォス家の件も、感情的には決して後回しにしたくないものではあるが、この状況でいつまでも引きずるほどケインも馬鹿ではない。

 今は目先の問題だ。人の命が懸かっているのだから。だが、いい案が出せるかと言われればそれはまた別の話。だからそこは、適材適所となる。

 こういった自己理解と、人に素直に聞ける点が、ケインの優秀なところだった。


「近隣の村々に騎士を走らせ、現在頼み込んでいるところです。しかし何分急なことですので、交渉は遅々として進んでおらず。それに、この辺りは悪夢の被災地となりますれば、感染の恐怖が色濃いようです」


「感染はしねえって!! 何言ってんだよ!?」


「もちろん陛下の名もお借りして重々説明しておりますが……やはりあの件の対応に関しては、我々も強気には出れません。時間がかかります」


「…………それで間に合うのか?」


「…………間に合いません」


 一夜で万を超える死者を出した悪夢。それを引き起こしたのは、ブーノス家出身のアダとされている。つまりは、王家の人間だ。

 この件に対する王家への信頼は低い。だから必死に尻拭いに奔走するケインへの風当たりも強かった。世間からも、貴族たちからも。

 信用されないのは当然だと、ケインでさえ思う。信用してもらうのに時間がかかるのも、当然のことだ。だからケインはずっと、これまで頑張った来た。時間をかけて、なんとか悪夢をこの国から取り払おうと。だが――


「何やってもいいから、どうにかあぶれた住民たちをすぐに受け入れて貰えるようにしろ。頭こすり付けてでも頼め。それでも無理なら剣使って脅せ」


「殿下!!」


 今は時間がない。

 本当なら、ケイン本人が赴くことで王家の誠意を見せたいところではあるが、それもできない。ケインにはまだ、ここでやるべきことがある。

 

「それでも無理ならガキを人質に取れ。何人か見せしめにボコってもいい。殺さなきゃ何やってもいいから、これ以上時間をかけるな」

 

「殿下!! そんなことをすれば王家の威信が!! 殿下のお立場が――!!」


「うるせぇ!!」


 どこまでもケインのことを思いやった忠告――それを、切り捨てる。

 それはまさに、癇癪を起した子供のように。

 そう――ケインは子供だった。その心は、子供のように純粋なものだった。


「人が死んでるんだぞ!? 今ここで、人が死んでるんだ!!」 


「…………」


 直属の上司から感情のままに言葉をぶつけられる騎士たちは、一斉に押し黙る。

 分かり切っていることを子供のように。社会に生きる者達からすれば、どこまでも子供の癇癪。相手にする価値のない感情的意見。

 だが――


 騎士たちは、言葉を挟めなかった。皆一様に、彼の言葉を聞きたかった。


「ジジイもババアも、女も、ガキまで死んでる!! 俺の妹と同じくらいのガキが!! 俺たちが殺してるんだ!! 俺が殺したんだ!!」


 ケインの目には、薄っすらと涙さえ浮かんでいた。

 それを見て見ぬふりをする――ようなことはせず、騎士たちはしっかりと彼の姿を目に焼き付ける。ケインという男の全てを。

 笑う者などいない。同じ戦場で命を懸ける者達が、この姿を笑えるはずもなかった。


「全部が片付いた後、俺が一人一人に頭下げて回ってやる!! どれだけ時間がかかろうが、全員にだ!! 殴りたいって奴には好きなだけ殴らせてやる!! 責任とって死ねって言うんなら、俺の首くらいくれてやる!!」


 事はそう単純ではない。

 それはやはり、社会というものを何も知らない男のたわごと。どこまでも無鉄砲、夢見がちな子供の戯言。

 しかし、その覚悟は――


「だからやれ!! とにかく一人でも多くの人間を! 一刻も早く! この街から逃がすんだ!!」


 本物だった。

 彼は――本物だ。

 それが、今ケインと相対する者達には、はっきりと分かった。


「殿下……」


 毒の影響か、疲労困憊の表情は、死人の領域に片足を踏み入れている。過呼吸のような荒い息は、泣いているようだった。

 それは、騎士たちも同じだった。明るい顔をしている者は一人たりともおらず、誰もが視線だけで射殺すほどに、ケインを強く見つめる。

 部下たちの前で情けなく息を乱し、涙を流し、そして必死に叫ぶ男の姿を。


「その時は、我々もお供させていただきます」


「っ!」


 ケインは重い顔をあげ、涙とは別の理由で霞み始めた視界で、騎士たちの姿を収める。

 そしてその全ての顔を確認すると、力なく笑った。


「あたりめえだろ。アホ上司のミスは、デキる部下の責任だ。俺の尻はレイラだけじゃ拭い切れねえからな……ご愁傷様」


「光栄です」


 ケイン・ブーノス。

 学生時代は一匹狼。友人と呼べる存在は未だにレイラくらい。

 微妙な立場故、貴族たちからは煙たげられ、デスク作業への適性の無さから政治からも縁遠い。

 お飾りの英雄となる事しか求められていないような、愚直な王子。

 しかしその良くも悪くも真っ直ぐな生き様から、部下たちからは多大な尊敬の念を集めていた。


 それを――本人だけが、知らない。


「<イチジクの葉(フェロン・スュケース)>!!」


「ちっ!!」


 押し寄せてきた爆風に、ケインは即座に土の壁を作り出す。

 しかし、風の脅威に土塊はどんどんと削られていき、その形を保つことはできなかった。

 だから――


「行け!! 早く行け!!」


「殿下、ご武運を!!」


 野生の獣を追い払うように、乱暴に邪魔だと告げる。

 騎士たちはこんな時だというのに立派な敬礼を見せると、全力で走り去った。

 本当に、優秀な部下たちで助かる。守らなくてはならない人間に近くにいられる方が、ケインはずっと戦いにくかった。


 騎士たちの背中を見守る視線は、風に崩された土の壁で引き戻される。

 遮るものが無くなった途端に叩きつけるは、毒の風。もう何度となくケインの身を襲ったそれは、これほど弱ったケインにも容赦なく降りかかった。


(くそ!! やっぱ土属性パネシスト風属性メネシストと相性が悪すぎる!!)


 そして毒の霧は、これ以上に無いほどに風と相性が良すぎた。

 本当に、残酷なほどに、相性が良い。


「なに話してたのかしら? 遺言でも預けてたの?」


 風を巻き起こす女が、したり顔で歩み出る。

 毒を拡大させるのに、これ以上最適な能力はない。そして今は彼女自体が汚染源。やはり最悪の組み合わせだ。


「あ? お前の悪口だよ。決まってんだろ?」


「ほんと男って生き物はいやよね。考えなしの馬鹿ばかり」


「群れないと何もできないお前よりはマシだ」


「あら? 私一人に追い詰められてるように見えるけど?」


「…………」


 その通りだ。

 ケインは確かに、ナトゥ一人に追い詰められていた。この国で唯一、同じレベル50であるはずのナトゥに。

 その理由を、ケインは薄々、本当に薄々勘付いていた。


「鈍いあなたでも、流石に分かってきたかしら? 私が壁を越えているという事実を」


(ナトゥのやつ、やっぱ壁超えてたのか!! おかしいと思った!!)


 毒があるとはいえ、流石に一方的にやられ過ぎじゃないかと、ケインも思っていたところだ。

 それもそうだ。でなければ被害を抑えようとしているとはいえ、ここまで一方的な戦いになるはずがない。


 レベル50の壁。これを突破した者とそうでない者とでは、強さに隔絶の差があるとされる。属性相性不利、そして毒や場所の不利を考慮してもなお、これほど戦況が傾くのはおかしな話だった。


「隠してたのか?」


「いえ、つい最近のことよ。まあどちらにしろ、あなたは気づかなかったでしょうけどね。同級生のレベルアップの方法にも気づかなかったくらいだもの。マヌケ過ぎるわ」


「何のことだ?」


 本当に心当たりがない話に、ケインは目を丸くする。

 そんな姿に、ナトゥはやはり、小ばかにする様に鼻を鳴らした。


「みんな私――いえユウキ様の庇護を受けて、レベルアップしていたのよ? 馬鹿みたいに自力でやってたのは、あなただけ。悪いけど、もう馬鹿とかそういう次元じゃないわね」


「…………」


 開いた口が塞がらないとは、まさにこのこと。

 本当に寝耳に水。当然のように、皆同じだけの努力をして肩を並べていると思っていた。ケインはそれに感化されるように、さらなる強さを目指していたのだから。

 ケインは自分が慕われていないことを理解しつつも、学園の者達を、仲間だと思っていた。


「先に言わせてもらうけど、それで八つ当たりとかは辞めてね? 同じ結果なら効率の良い方を選ぶのは当然だもの。努力とか言って無駄な時間をかけたところで、特に何も変わらないでしょ? たぶんこの件に関してはあなたみたいな人間の方が少数派だと思うわ」


 ナトゥの言葉は、あながち暴論とも言い難い。

 彼女は意外にも、人間の真理を突く。それはやはり自己を正当化するための方便に過ぎないが、確かな正論でもあった。

 事実、全く同じ結果を得られると分かっているのなら、より効率の良い方を選ばない人間はいない。ナトゥの権力と同調圧力に流された者達を大っぴらに責められる人間は、それこそ自分に甘い者だけだろう。そういう人間こそ、甘い蜜の誘惑には抗えない。


「ああ、あの子もそうね。馬鹿なだけの女。そういうところも真似たの? だから弱いのね」


「…………」


 馬鹿なだけの女――誰のことか分からない程、ケインは鈍くはなかった。

 いや、今だけは鈍くはなれなかった。毒で思うように動かない体、もはや手放したいとさえ思える意識――

 

 それらを強引に持ち直し、ケインは今、敵に立ち向かう。その言葉だけは、到底見過ごすわけにはいかなかったから。


「たぶん……お前じゃ勝てないよ」


「はぁ?」


 粗い呼吸の間をすり抜けるように吐き出された言葉。

 それは、願いではない。信頼でも、望みでもない。

 ただ、事実。ケインはそれを、誰よりも知っていた。


「お前なんかじゃ、アワンには勝てない」


「…………」


 血色も悪く、大きく震える唇から、確かな言葉を紡ぐ。

 細かく痙攣する瞳。そこに譲れない信念を乗せて、ケインは睨みつける。

 これだけは、譲れなかった。絶対に、譲るわけにはいかなかった。


「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど……こんなに簡単な計算もできないなんて。きっと数字だからいけないのね」


 ナトゥは心底呆れるように、息を吐きだす。

 しかし、ケインには分かっていた。ナトゥのこれ以上にないほどの不機嫌が。

 彼女はアワンを最も敵対視している。だから彼女より下と言われたことが、許せないのだ。怒っていた。


「私は壁を越えている。あの子は壁を超えていない。そしてこれから生き残るのは私。死ぬのはあの子。全てにおいて私が上なの。お分かり?」


 だから――


「大きな計算違いだな。お前が馬鹿じゃねえのか?」


 ケインは笑う。

 生れて初めて、人を心から馬鹿にした。


「なんですって?」


 馬鹿と見下す男に笑われた事実に、とうとうナトゥの笑みは消え去る。

 どのみち最初から大した仮面ではなかった。化けの皮が剥がれたとも思わない。ケインから見ても、ナトゥはその程度の女だ。

 だからこそ、彼女の相手はケインが相応しい。


「悔しかったら俺に勝ってみろよ。壁を超えていない、勇者でもない――」


 この程度のつまらない敵の相手を、アワンにさせるわけにはいかない。

 彼女はいずれ、世界を救う勇者なのだから。


 だから、比べるのも烏滸がましい小物の相手は――


「馬鹿なだけの男によ」


 俺で、十分。

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