第074話 覚醒
ムメイの言葉の何がユウキに届いたのか――それは分からない。
もしかしたら、それは言葉でさえなかったのかもしれない。
その生き方か、その在り方か、それとも彼という存在そのものか、果てはもっと別の何かか――。
きっかけは定かではない。理由さえ定かではない。しかし――
かくしてユウキという未開の蕾は――ようやくそこへ辿り着いたのだ。
力へ見合った、心へと。
心身ともに戦士の極地へと到達した両者。
吸血鬼が心より欲し、望んでいた戦いは、こうしてようやく実現にこぎつける。
運命の鎖によって導かれし、宿命の二人。
世界を変える戦いにして、ただ一人の少女の未来をかけた戦い。
その記念すべき一戦に、開幕の狼煙をあげたのは――
「<月の狂気>」
当然この男。
突き付けられたのは、裁きの予言。
真っ直ぐに伸ばされた指先は、ユウキの中の原罪を指し示すかのように、狂いなく標的を捉える。
そして、狙いを見つけたとでも言うように指先が鋭い光を帯びた時――
月の力は、狂気の産声を上げた。
「ワンッ!!」
瞬間――獣は吠える。
それは条件反射にして、確信の判断。
そして起こった結果としては、ユウキという個の革新であり、この勝負の核心でもあった。
最高最速の先手を取ったはずの吸血鬼は、再び聖域を追い出される。
残ったのは、空間を荒れ狂う力の奔流。彼がつい先ほどまでそこにいたと証明する――力の残滓だけだった。
それはユウキの身には僅かに届かず、行き先と帰り先を同時に失った迷子のように不安定な気配をこの場へと残す。
しかしその純然たる力は、迷える子羊と表現するにはあまりに恐ろし過ぎた。
(っ!)
手に掴めないような不確かな存在――世界にさえ、ダメージを刻むような電撃。
その威力と猛威に戦々恐々としながらも、ユウキは全く逆の感情を内に呼び起こす。
それは――勝機。
この戦いに、勝利の可能性を見たのだ。
(やっぱりだ!! コントロールできてない!!)
ユウキが聖域外へ追い出したこととは無関係に、雷の指向性が定まらない。
破壊の力を伴った青白き光は、大気中を彷徨うように蛇行し、そして最終的には大地に吸い込まれるようにして放電する。
技としては、明らかに未完成。明らかに未熟。それは才能ある能力を極限まで突き詰めてきたユウキだからこそ、一見で分かるものだった。
能力を、使いこなせていないと。
(奴は魔術を使ったことがない!! だから魔力の扱いに長けていないんだ!!)
――<撃退の唸り>。
生涯で3回、この戦いでは残り2回しか使えない切り札をユウキが初手で切ったのには、いくつかの理由があった。
まずユウキが絶対的に着目したのが、この能力はユウキにとって未知だが、ムメイにとっても全くの未知であるということ。
ムメイでさえ、どんな能力が与えられるのかは与えられてからのお楽しみ。この<月夜見>で与えられた能力の最大のデメリットは、術者が即座に使いこなせないことにある。
力には、理解が不可欠。理解が及ばなければ力には結びつかず、そして修練がなければ力の全ては引き出せない。
ユウキは神にも等しい力、その表面上の脅威に誤魔化されず、本質を見通した。能力は結局術者の使い方次第。どれほど強力な力だろうが、使いこなせなければ意味はないと。
そしてその事実に相乗的にかけ合わされるのが、ムメイという男の戦闘、いや術経験値の圧倒的低さ。
肉弾戦のキレは恐らく世界的に見ても他の追随を許さないレベル。それは単純な身体能力の話だけではない。300年という長い時間によって培われた圧倒の身体操作技術。ユウキはこの分野ではムメイの足元にも及ばないと既に自覚しており、そしてそれはまごう事なき事実だった。
客観的に見ても、ムメイの近接戦闘の腕は個の極地に到達している。それは同じだけの時と魂を修行に捧げたイコラオスが白旗を降るという驚異のレベル。
しかしその事実は、ユウキの理解と修練こそが力という考えを後押しする確かな材料でもあった。
そしてユウキには、ムメイに勝るものがある。それが術に対する経験と知識。
ムメイが天術魔術の原理原則、というよりその存在自体を知ったのは、ここ数週間以内の話。
当然それらを扱うにあたり使用される、天力や魔力という概念も知らなかった。その扱い方も、その存在すらも。
ユウキが見た限り、これまでのムメイの技は全て吸血鬼の種族的能力に該当する。これらも鍛えなければ決して強さには結びつかず、ムメイのこれまでの姿を見る限り各種能力は既に成長の限界にまで到達していることが伺える。
しかし、いややはり、魔力を扱う類のものは一つとして見られなかった。ここから考えられるのは、ムメイの魔力制御技術の未熟。それ以前の経験皆無。
以上全てから導かれる結論。それは――
(大規模な雷は撃てない!! ボクに届く前に放電する!!)
戦闘開始から僅か3秒を切るようなこの時間――ユウキは早々にムメイの能力の本質を見抜く。
そして、それは事実だった。
ムメイに与えられたのは、雷という無尽蔵の莫大なエネルギー。しかしこれを扱うためには、多量の魔力を消費する。
それは条件云々ではない、この世界の絶対の法則。魔術に該当する力は、どうあっても魔力で扱う必要があるのだ。
つまり最近になってようやく魔力の存在を知り、そして今日初めてその魔力を運用したようなド素人には、これを初見で扱うのは容易ではなかった。
ユウキは、まず最初の賭けに勝つ。
そしてムメイを聖域から追い出した、もう一つの理由は――
(急げ!! <霊魂奉納>をオートに!!)
――<霊魂奉納>。
神託聖域で神の器と成り果てた人間たちの魂を、己という器に収める能力。
魂は文字通り人間一人分の生命力に値し、これを己の生命力とすることでダメージを回避する。
その命の数、数にして4048。
ならばユウキを倒すには、彼を4048回攻撃しなければならないのか――否。
繰り返すが、魂は人間一人と同等の生命力。ムメイの攻撃はただの蹴りであっても、人間一人程度の命では決して賄えない。
現に、都合4回に渡るムメイの<夜王の先翔蹴>で削られた魂の数は、脅威の196。単純計算で一回の蹴りにつき約50人の人間が死ぬ計算となる。
つまり<霊魂奉納>という能力の実態はこうだ。
最初に受けた二発の蹴り。この時ユウキはまだ<妖精の丘>を発動していなかった。
魂の数にして約100人分、ユウキの生命力の約2,5%を削るこの驚異の威力を前に、ユウキに切り札発動の是非はない。
そして<霊魂奉納>で受けたダメージを補填。ユウキの生命力はこれにより完全復活を果たす。
その次も、その次も、同じ仕様だ。単純なダメージもさることながら、絶大な痛みを残すこの攻撃を、ユウキは他者の魂でやり過ごした。
当然発動にはユウキの天力を消費する。このコストバランスを考えた上で、ユウキは発動するタイミングを考えていたということだ。
そして今行おうとしているのは、この術の自動発動化。要は詠唱なしでも勝手に魂の補填が行われるようにする。
当然、これまで行わなかったのには理由がある。
その最大の理由が天力の消費、その燃費の悪さ。ムメイの処女の血を利用した回復とは異なり、こちらはこまめに使うほどコストを抑えられる。発動しっぱなしでは著しく天力を消費するのだ。
しかし、もはやそうも言っていられないのが現状。
もしも祝福の際に見せられたような規模の落雷を落とされれば、ユウキの生命力一つでも賄えない可能性がある。そうなれば死だ。<霊魂奉納>で削られた生命力を補えるのは、相手の攻撃がユウキの生命力を上回らない場合に限る。ユウキが死ねば回復も糞もないからだ。
だからこその、自動回復化。何かの間違いでユウキの詠唱がムメイの攻撃の威力に間に合わなかった場合を考えての措置。
ここに至るまで――時間にして僅か5秒。
ユウキが瞬時に戦闘方針を固め、<霊魂奉納>の用途を切り替えようとした、ちょうどその時――
それは――来た。
「<夜王の>――」
「――っ!?」
何かが目の前に来た。
そう思った瞬間には、ユウキの視界には身に覚えのない影が差していた。
瞳が、視線が、まるで時の流れを遅くしたかのように――いや、まるでユウキの肉体の動きを鈍化させたかのように、それを追う。
そして、ユウキがその姿を捉えたと認識した瞬間、時間の流れは加速度的に巻き戻っていき――。
ムメイの蹴りが、ユウキの顔面へと迫った。
「<先翔蹴>」
「っ!!」
首を刈り取られた。
瞬間的なユウキの認識は、それだけだった。
その後肉体を襲ったのは、絶大なる衝撃と、そこからなる絶望のダメージ。痛みはまだ、ついてこなかった。
あれほど静かな訪れ。音も、気配も、その余韻すら残さない出現に反し、解き放たれたのは圧倒的な暴力。それは蹴るというよりも、もはや爆発だった。空気が急速膨張し、爆発的衝撃波を巻き起こす。
その結果として、もはや当たり前のように宙を舞い、木々をなぎ倒しながら、ユウキは吹き飛ばされた。
あっという間に数十メートルの距離を離され大地を転がれば、今になってようやく体の感覚が意識に追いついたのか、遅れてやってきた信じ難いほどの痛みに苛まれる。
それは、ユウキがこのまま、感覚の全てを永遠に手放してしまいたいと思うほどの――
恐怖だった。
「ぎゃあ"あ"あ"っっ……!?」
まず全身に襲い掛かったのは、感電による痺れ。
肉体の機能を余すことなく鈍らせる電撃が、競うように迸る。神経が強制的に誤作動を起こし、身勝手な全神痙攣を引き起こす感覚は、まさに恐慌の具現だ。
一秒にも満たない接触だけで、これほどの電気ダメージ。
しかし、これすらもまだ優しいと思えるほどの恐怖が、そこにはあった。
それは――
「顔がぁぁ!? あ"あ"あ"あ"っっ!!」
熱。
体毛は一瞬にして焼け焦げ、その下にある表皮も蒸発。
血管内の水分が瞬間膨張したことにより、ユウキの顔は吹き飛ばされた。インパクトの瞬間に破裂した鼓膜のダメージが可愛く思えるほどに、猛威を振るう熱の脅威。
それは不退転の覚悟を心に宿していたはずのユウキが、一瞬このまま楽になりたいとすら思うほどの地獄だった。
しかし――
『認めるよ。今のアワンを――受け入れる』
地獄から、ユウキは這いあがる。
「<霊魂奉納>!!」
魂は、あるべき場所に収まり――神は、あるべき姿を取り戻す。
消費した魂の数に絶大なる驚愕を覚える――そんな時間すら、ユウキには与えられなかった。
ユウキには、分かっていたから。
(来るぞ……来る!!)
ムメイは、必ず追撃してくると。
そしてこの瞬間を、狙って来ると。
「来い!!」
ダメージから回復し、ユウキが目を見開いた瞬間には――やはり、それは迫っていた。
つい先ほど顔面そのものを剥ぎ取られたユウキの、その顔面にさらなる追撃を繰り出さんと振り抜かれた右足。
恨みの欠片もない敵に対し、この容赦の無さ――まさに鬼。そしてやると決めたらどこまでも残酷になれる精神性は――やはり人間だった。
しかし、ユウキにその事実に対する他意は、一切なかった。
むしろ誇らしくさえ思う。魔王にも匹敵する最強の吸血鬼が、自分を対等な敵と見做している――その事実に。
神の力を手にしても尚、最短最速で命を刈り取らねばならない。この吸血鬼が、それほどの強敵と今のユウキを見做している――その喜びに。
だから――
「<喜犬の庭駈け>!!」
全身全霊で、それに応える。
「っ!!」
踏み抜かれた大地。そこにはもう、ユウキの姿はない。
そんな中、地面を抉り、奥深くにまで突き刺さるムメイの右足は、束の間の不自由を約束する。が、この吸血鬼の身体能力に限って、長時間足を取られるということはないだろう。しかし引き抜く瞬間、力を籠める際の刹那の肉体硬直は避けられない。
この時間でユウキがすべきは、少しでも距離を取り、先の時間で叶わなかった<霊魂奉納>の自動発動化を試みることだろう。
それが最善、それが最良の選択。
しかし――
「っ!?」
ユウキは、ここで前に出ることを――決めたのだ。
あれほどのダメージを受けた直後ともなれば、怯んで当然。開戦の初撃でこの痛みは、戦意が根元から折れてしまったとしても不思議ではない。
そこまでいかなくとも、人生初の真の死闘を前に足踏みしてしまうのは、もはや確定の未来とも言える。
そこに上乗せされるのが、先も言ったように<霊魂奉納>のオート切り替えだ。
これを行わないことには、ムメイとの戦闘に臨むどころではない。
そこがせめてものスタートライン。この能力なしには全く勝機がない。
そもそもムメイに接触するだけでも、感電と熱のダメージは避けられないのだ。この力を確認した時点で、ユウキが選ぶべきはどう転んでも遠距離からの攻撃。そうに決まっている。
距離を取る。これが最適解。これこそが答え。
――だからこそ、ユウキは前に出るのだ。
そして己の今出せる最高速度で、ムメイへと肉薄する。
(ここでやれなきゃ――!! これまでのままだ――!!)
獣は――丘を駈ける。
それは、決して論理的な考えのもとに導き出された答えではない。
やけになったと言われても、否定はできないほどの――衝動。
前に出ろと叫ぶ魂が、彼の背中を蹴とばしたのだ。
(ここで変わるんだ――!! でなきゃ――!!)
ユウキは――丘を駈ける。
しかし、たった一つの正解でもあった。
事実、ムメイはユウキがこのタイミングで攻勢に出てくるとは思わず、虚を突かれる。戦闘において不動を誇る吸血鬼の精神が、獣の気迫に確かに揺らされたのだ。
その気迫を呼び起こす幻は――
『お前全然強くないよ。たぶんアワンと戦っても負けるんじゃないか?』
(こいつに勝てるはずがない――!! こいつから、アワンを奪えるはずがない――!!)
丘を駈ける。
全力で駆けているというのに、いつまでも目的地に辿り着けないような不思議な感覚を超えて――ユウキはようやく、そこへと辿り着く。
それは、人生をかけて超えるべき壁にして、その男と対等に並び立てる場所。
策も、恐れも、迷いも、己の全てを手放すほどの覚悟でユウキが繰り出したのは――
生涯最高の、一撃だった。
「<岩裂>!!>」
巨大な岩山に谷を形成するほどの一撃が、ムメイに迫る。
直撃すれば、ムメイでも大ダメージは避けられない程の、確かな威力を宿した猛撃。
しかし――
「う"ぐっ!?」
外れる。
ムメイが繰り出した裏拳によるカウンターが、先にユウキの顔面を正確無慈悲に捉えたからだ。
生涯最高の一撃は、衝撃に流れた体につられるようにして、天を仰ぐ右手と共に虚しく宙へと浮きあがる。
いくら虚を突かれようと、いくら大地に足を取られていようと、近接戦のセンスでムメイの右に出ることは許されない。
だからこそ、これまでユウキの攻撃は、ムメイの身に掠りもしていないのだ。
「ぐう"う"う"う"っっ……!!」
ただ腕を振るうだけで、頬を焼き、顔面の一部を吹き飛ばす絶望の一撃。
追撃する電撃が肉体の自由を奪い、尋常ならざる熱の脅威が、ユウキの精神と気迫をも同時に溶かしていく。
だが――
ユウキは半分以上飛ばされた意識の中、再び破壊された両の鼓膜で――確かに聞いた。
『あなたの名前はユウキ。とても勇気のある子だから』
名前をくれた。そして勇気をくれた――少女の声を。
その祝福の奇跡によって、頬の傷が治る――などということは勿論ない。
依然痛みはそこにあり、むしろ意識を取り戻すほどに鋭くなる。
もうやめてしまいたい。もう潔く負けを認めてしまいたい。もう楽になりたい。
一瞬でも気を抜けば泣き言を溢してしまいそうなほどの、悪夢。両の瞳から溢れる涙を止める術がないほどの、地獄。
だから――
ユウキは今再び――
『ボクも、勇者になれるかなぁ?』
勇気を、奮い立たせるのだ。
(――っ!!)
そして、痛みと恐怖を血と共に噛み殺し、大事なものに――
今度こそ、手を伸ばす。
「オ"オ"ォォォォッッ!!」
「っ!?」
口に溜まった血肉を吐きだすように、獣は吠える。
突き刺さった拳でさらに頬を削りながら、流れる体を強引に引き戻す。
その時の鋭い眼光、そして強大なる気配は、一瞬にも満たない僅かな時間とはいえ――
最強の吸血鬼を、確かに怯ませた。
勇気。
この言葉を聞くと、不思議と力が漲る。
ただそれだけで、ユウキは強くなれるのだ。
勇者は――丘を駈ける。
「<勇者の一撃>!!」
昼の世界を汚す闇の悪意を、勇敢なる者の一撃が――
今――捉える。
「くっ!!」
生涯最高の一撃を瞬く間に塗り替え、そして突き放すは――まさに勇者の偉業。
その発現は、ムメイがこの戦いで初めてダメージを負った瞬間であり――
ユウキの名が世界に刻まれた――瞬間でもあった。
(待っててくれ……アワン!!)
二度目の試練に直面し、ようやく若き力は、その領域へと足を踏み入れる。
蕾は必ず花開くように、人は必ず壁を超えるように――
最大の試練を前に、いずれ魔王にも届くと目される天才が今――
(こいつの未来から――君を連れ去る!!)
覚醒する。




