第072話 神の力
天術と魔術。
この世界はこれら二つの力によって均衡が保たれている。
均衡――そう、バランスだ。
それこそが、この世界の核であり絶対の真理。世界のバランスを取るために力は生まれてきたと言っても過言ではない。
その最たる例が――頂上の力を持つ者達の存在にある。
魔王という強者がこの世に生まれ堕ちれば、それに匹敵する勇者がどこかで芽吹く。これは古の時代から脈々と受け継がれてきた絶対の法則。
とどのつまり、彼らでさえ、この世界のバランスを取るための装置の一つに過ぎないのだ。
そして今回着目するのは、もう一つの絶対の装置。
この世界に必須にして不可欠の巨大な歯車。
――術。
これまでは薄いベールで覆い隠されていたその原理原則について、ここでは話したい。
説明に当たってイメージがしやすいのは、やはりこの世界の一個として生まれた人間の、その成長過程だろう。
この物語は現時点で、あまりに例外で溢れている。世界に選ばれた勇者、その勇者の血を引く娘、神の寵愛を受けし獣、そして森を出た時点で最強だった吸血鬼。
やはり例としてはあまりに不適当。だからこそこれまでは、局所的な具体例と、それに比例する漠然とした理解しかそこにはなかったのだ。
だからここからは、さらに一歩――踏み込む。さあ、異世界へようこそ。
まずこの世に誕生した赤子は、一律でレベル1から始まる。やはりこの世には例外はあるが、今はそれら例外は蚊帳の外と認識してもらいたい。
このレベルは、その人間の現在の力量を示し、そしてこの上限は当人の潜在能力を漠然と示す。残念ながら、誰もが100レベルを目指せるわけではないのだ。絶対の強者で溢れる世界は、バランスとは程遠い。
つまりここでいうバランスとは、絶対の不平等。その前提でどれだけ世界を平等に見せかけられるか。歪んだ世界を修正する力。それこそが均衡というものなのだ。
だからこの世は、基本的に、かつ絶対的に――不平等なのである。
この前提を基本の土台として頭に植え付け、その上でこの先の全てを理解していただきたい。不平等をどれだけ平等に見せられるか。傾いた世界を直そうとする力――それがバランスだと。
話を戻し――レベル1の赤子は、何事もなければ両親に育てられ、一人で立ち、やがて一人で歩けるようにまでなるだろう。
この時その子供が何もしなければ、当然レベル1のままだ。つまりはムメイが転生する前の世界の者たちと相違ない。そしてその割合は、この世界でも大多数となる。術師の道を進む者は、実は全体の1割にも満たないのが現実だ。
そのあたりも説明したいところだが、この場は省略。当然今回着目されるのは後者。珍しく例外とまでは言わずとも、確かな少数派に属する者達だ。
さて術師の道を選んだ人間は、まず何をするか。余計な要素が入り乱れないよう、種族的能力を持たない人間種で考えて行こうと思う。
第一は、やはりレベル上げだ。ある程度のレベルを重ねない分には話にならない。
自身の保有する才能の大きさ、天力量、魔力量、そしてそれら全てを含めた伸びしろ。これが見えてくるのは、ある程度力を育んでからとなる。一流スポーツ選手となるような人間も、ある程度真面目にそれを試して見なければ、その才能を見抜くことなどできないように。
レベルアップに関しては、いつかも説明したように、他者の命を己の手で奪う必要がある。これは、早い話狩猟でも構わない。例えば鹿、猪、熊などの野生動物を殺したとしても、経験値は取得できる。もちろん微々たるものだが、毎日続けて行けば確実にレベルはあがるだろう。
推奨レベルは最低3、欲を言えば7。大まかにこの辺りにまで到達すれば、天術魔術の属性判定へと移れる。
そしていよいよ属性と系統が分かれば、力を得ることができるというわけだ。
もちろんここに至るまでには地道なレベル上げ、何より正しい師から正しい知識を学ぶことが不可欠ではあるが、やはりここでは語らない。
特筆すべきは、才能の多寡はあれど、誰もが力を得られるということ。そしてその具体的なロジックだ。
天術師と判定された者は、まず信仰する神を選定する。
もしこれまでに信じていた神がいればそれが最もいい。他に目移りし、一箇所に留まれないような者は人間の社会でだってあまり良い目では見られない。それは神の世界も同じだ。
長く、それも無垢なる時代から信仰していたという事実は、人間が思うよりも大きな力に結び付く。だからこそ、変える理由はない。
対して信仰を持たない者は神の選定に苦労するかもしれないが――信仰先は主神、小神、神霊、民族神、果ては邪神でも構わない。
重要なのは己の祈りと合致するか。その存在に深い信仰を捧げられるかどうか。
そしてその神に祈りが届いた時、初めて対価として力は得られるのだ。世界の意味、そして目的を操作する超常の力が。
対して魔術の場合は、己との戦いになる。
まずすべきことは、信仰の放棄だ。もし神の教えを信じていた者がいるとすれば、その神への背信を永遠に誓わなければならない。
次に、欲望。己の最大の望みを見つけ、それを言語化できるまでの深い理解が必要となる。
その欲望が悪魔に届いた時、初めて対価として力は得られるのだ。世界の構成要素、根源を操作する超常の力が。
もうお気づきかもしれないが、実はこれらは、比較的簡単に誰でもこなせることだ。
つまりこの世界において、力を得ること自体はそう難しいことではない。
あとは保有する才能の分だけ、秩序術を選択していける。もちろん強力な術者となるためには、自系統にあった術の統一、バランスのいい術構成などのセンスが要求され、それらはやはり個々人の調整力にかかっている。
レベルを上げ才能の枠を増やしていき、必要なピースで穴を埋め、やがて自分だけの一枚の絵を完成させる作業。
これがこの世界の力、その基本だ。そして――
ここからが混沌の力――混沌術。
ごく限られた天才たちだけが踏み込める――禁忌の領域となる。
大前提、この世のほとんどの術者は秩序術のみを取得し、それらの力を扱って戦う。そういった者達は往々にして己の得意分野を伸ばし、一芸特化と言えるスタイルを確立するのだ。
それで戦いになるのかという反論は、ここでは的を射ない。この世界の基本的な戦闘は、個ではなく軍。最低でも数人の集団による連携戦闘が基本であるからだ。
だから力の系統、性質は狭くて構わない。不足した能力は、他にできる者に任せればいいのだから。そして軍の戦いは個に勝り、より多くの術を持てば対応能力へと結びつく。
手数が増え、汎用性に富み、攻守ともにバランスの良い安定したスタイル。それが秩序術を取得する術者の最大の強みだ。
安定こそが強さ。それは高き視点から見ても、正しい認識だった。
つまり例外は――どこまでいってもこの物語の主役たち。個で覇を競い合う化け物たちにある。
そんな彼らが当然のように持つのが、混沌術。より強い信仰心と欲望が求められる、禁忌の術だった。
まず大前提、混沌術の道へと踏み込むためには、その許可を得るための代価を支払わなければならない。
それが神と悪魔に覚悟を示す行為――”奉献”。
これにより術者は、目的の神と根源の悪魔に、初めて、本当の意味での接続を果す。
この時奉献する代償が大きければ大きいほど、取得する混沌術の力に繋がることはもはや語るまでもない。
奉献の具体例をあげるとどうか。
例えばアワン。彼女は生涯に渡って貞操を守ることを誓い、家庭という未来を永遠に手放した。これにより彼女は、34というレベルで混沌術の道へと踏み込むことを許されたのだ。
例えばユウキ。彼が捧げたのは、愛する家族の命。彼は己を殺そうとした父と母を筆頭に、部族の者達を一人残らずその手で殺めることで、決別の意志を示した。
己の手で己の帰るべき居場所を屠った。彼は捨てられて尚父と母を深く愛していたため、愛する者の命を奪った血濡れの手を、目的の神は評価したのだ。
これが混沌術という禁忌の力を得るための、供物。つまりこれらは、能力を得るための前提代償に過ぎない。
そしてこれこそが、バランスでもある。
強大な力を得るためには、同じく大きな何かを支払わなければならない。そうでなければ、この世界で更なる力を得ることは許されない。
才能だけで他を圧倒できるほどの力を有することは、まず不可能。真の強さを手にするためには、この世界のルールに従った上で、賢く立ち回る必要がある。
それでも絶対無双は不可能だからこそ、世界はこうして慎重に進んでいるのだ。早い話、魔王も北領域勢力の誰かに後れを取る可能性があるから、軽はずみな行動はとれない。
個としての頂点――ムメイであっても、南領域で無双は決してできない。それがバランスによって力を保たれた、この世界の真実だった。
だが繰り返すが、これらは大前提だ。
ここから強力な術を得られるかどうかは、本人の調整力にかかっている。
奉献の覚悟によって、その中に含まれる信仰心や欲望の多寡によって、目的の神と根源の悪魔はその人間にどれだけの力を与えていいものかを判断する。
ここで必要となってくるのが、調整。つまりどれだけ自分の望みを通し、そしてそれをどれだけコストをかけずに得られるか。
アワンが語った余白の消費を抑える行為が、そっくりそのままこれに該当する。
これが俗に言う神との対話、そして悪魔との対話。この巧さで、能力が決まると言っても過言ではない。
それこそが、条件型契約。
目的の神との契約を――シナイ契約。
根源の悪魔との契約を――ファウスト契約。
どこまでも世界のバランスを考慮する神と悪魔。
超常的概念とも実在する思念体とも言われるそれらとの――命を懸けた賭け引き。
突出した強者を出さないためのシステムであり、あくまで力の均衡を保とうとする神と悪魔に対し、どれだけ己の要求を通せるかが勝負。
自身への制限で難度を課し、リスクを高め、保有する才能と照らし合わせながら能力を模索する行為。これが混沌術の真骨頂だった。
正しい理解には、やはり適切な具体例は必要不可欠だろう。
例えばアワンの<最上級不義>。
この能力開発には、このような駆け引きがあった。
※文章はあくまでイメージです。
「うーん、コロノスの人たちに残ったユウキの毒をなんとか浄化したいなぁ。でも私のレベルと才能じゃあ、こんなに強い能力には対抗できないよね? どう?」
「こちら目的の神。不可能です。レベル94とレベル34の能力では、あまりに釣り合いが取れません。これを許すことはできません」
「うーん、じゃあ……この目で必ず一度は見たことがある術。そして術の構造を正確に理解するほど成功率はあがるっていうのはどう?」
「だめです。いくら天術の能力傾向が集団的にあるとはいえ、対象の人数が多すぎます」
「えーなんでよ。乙女が永遠の処女を約束してるんだよ? それくらい許してよ」
「駄目です。公平公正な審査です」
「うーん、じゃあ分かった。多人数を対象とする場合は、それにふさわしいだけの儀式の場を整えるよ。どれくらいの規模のものを用意すればいいかな?」
「であれば、最低でもこれくらいは必要でしょう」
「えー!? そんなの無理だよ!? お金どこから出すの!?」
「知りません。出しなさい」
「でもそれなら発動していいんだね? 二言ないね?」
「いいでしょう。ですが使用可能な回数に関しては、あなたの天力量を考慮してこちらで決めるものとします。今のあなたがユウキの毒を祓うには、日に一度が限度です」
「うんうん」
「対象術の理解は正確無比に、針の穴を通すような覚悟で臨みなさい。それができなければ容赦なく発動できないものとします。いいですね?」
「わかった~!!」
これが己の余白との相談であり、神との条件型取引。
目的の神に提案し、そして審査され、世界のバランスと前提代償たる奉献を考慮した上で適切な能力が与えられる。
この審査は神や悪魔の匙加減――というわけでもない。むしろ厳密なルールブックが存在するのではと思えるほどに公正であり、この審査を通るのはおよそ楽な作業ではない。
それはレベルにして94とこの世界の頂点組にあたり、さらに莫大な才能を持って生まれたユウキでも同じことだった。
※文章はあくまでイメージです。
「聖域で戦えば、無敵ってのはどう? かなり範囲も狭いし、獲物をおびき寄せる手間とか考えると使用頻度もきっと低いよね。これだけの制限かければいいでしょ?」
「だめだめ~。無敵の力なんか許せるわけねえだろ。俺たちは無双が一番嫌いなんだ」
「はあ? ボクは愛する両親の命を支払ったんだぞ? 別に限定ヵ所で最強ってくらい許せよ。当然の権利だろうが」
「だめだ。それじゃあ強すぎる。お前はもう能力3つも持ってて才能の余りもそれほど多くない。甘えんじゃねえよ」
「うーん、じゃあさ! 神託聖域で奪った人間の魂を使えるってのはどう? 残機増やすって感じで。もちろん聖域の中だけだ」
「おー……お前は能力の応用だけはやたら上手いな。それならお前の能力だから、許してやらんこともない」
「でさ、後は聖域の外へ敵を追い払う能力とかも欲しいんだよね。あと敵の能力を奪うとかさ。ほら、ボク守護神だし」
「それはちょっと強すぎるな……まあ追い出しは3回くらいならありにしてやるか。
だが能力を奪うのは完全にやりすぎだろ? まともな提案できねえのか」
「じゃあ丘の外で予めその能力について知ってないと奪えないことにするよ。しかも丘の中で直接目にしたものしか奪えないってのも追加で。良い制限じゃないか?」
「それなら許してやるか……ただやっぱ強すぎるな。これが使えるのは人生に一回きりだ」
「はあっ!? なんだよそれ!! ふざけんなよ!!」
「ふざけてねえよ。大真面目だ。獲物おびき寄せるなんざお前の能力駆使すれば大した手間でもねえ。能力奪うことに関してもな。小ズルいんだよ考え方が。絶対に勝てる戦いなんて一生に一回認めてやるだけでもありがたいと思えや」
「分かったよ。じゃあ聖域内では移動能力に補正も追加で。あと人間の魂の使用に上限はなしだから。無限残機だ。一生に一度ならこれくらいしないと割に合わない」
「まあいいだろう。しゃーなしだぞ?」
と、このようになる。
何が言いたかったか――やはりバランスだ。
徹頭徹尾、首尾一貫にしてこれに尽きる。
目的の神も根源の悪魔も、絶対に個人の無双は許さない。だから一人の存在が一騎当千できるような世界では、そもそもからしてないのだ。
つまり7人の魔王たちも、この絶対のルールに従って力を得た者達。とどのつまり、正当なる成功者たちというわけだ。
神と悪魔は、これに対抗し得る力の可能性も、平等に与えている。そのうえで世界に不平等が発生するというのならば、致し方なし。
だが実際は、この世界は曲がりなりにも均衡を保っていた。見せかけの平等によって、世界は安寧を享受していたのだ。
しかし――
この日、とうとうそのバランスが崩れる。
世界の均衡を傾かせるほどの力が、個人に与えられたのだ。
それは――この世界の異物。
女神の気まぐれによって送り込まれた――別次元からの刺客。
しかしてその実態は――
世界の理など知らぬ存ぜぬとばかりに身勝手を気取り、底なしの強欲と傲慢を併せ飲み、それらを糧に際限なく自我を吐きだす――
最低最悪の、反逆者だった。
***
闇の空へと舞い上がり、深淵に飲み込まれていった光の妖精。
大地の獣たちは、軌道と光跡を追いかけ、その先の天を見上げる。
何かが起こる。確定した未来への予兆を前に――言葉なく、固唾を飲んでその時を待つ。待つしかなかった。
(なんだ……? ――っ!?)
試練を乗り越えた男への、祝福。
その在処を追い求めて、男たちはそれぞれ異なる胸中を抱えながら空を見る。
小さな光が吸い込まれていった地点を、己の視線と意識さえ吸い込まれるような感覚を覚えながら、それでも見つめ続ける。
黙して待ち続け、ただ待ち続け、やがて天への入り口がどこかも分からなくなった頃――
それは、顕現した。
(ばっ……か、な…………)
それは――神だ。
神が生み出したとされる創造物。もしくは神が姿を変えたとされる化身。
人は超常の現象に、神を結びつけずにはいられない。それはもしかしたら、人々の願いの形であるのかもしれない。
――月。
夜の神にして、人が見上げるだけの存在。
底なしの天から現れたのは、今だけは決して見られないはずの存在だった。
(違い過ぎる……何もかも……)
荘厳な光と、圧倒されるほどのその実体に、ユウキは息を飲む。呼吸が上手くできているのかさえ、もはや分からなかった。
それも当然だろう。
落下すればユウキの聖域など簡単に吹き飛ばせるだけの質量、圧倒的スケールを放つ巨大な天体が、闇の空を覆い尽くしているのだから。
まさに天が落ちてきたとしか例えようのない光景。神の怒りに触れた――誰もがそう思い、許しを請い、祈りを捧げるであろうほどの現実。
能力の規模が違う。
どれほどの才能を保有していれば、これほどのことができるのか。
本来驚くべきその事実を、今だけは思考の端に追いやり――ユウキはこの圧巻の現実に対し、ただ空を見上げることしかできなかった。
(神の……力……)
自分は今、神話の中にいるのではないか。
冗談ではなく、本気でユウキに思わせる――まさに神のごとき力。
しかし――
それは正しくもあり、間違ってもいた。
主の、大いなる恐るべき日が来る前に――
太陽は闇となり――
月は、血に変わる。
「――っっ!?」
それは、突然だった。
――光った。
ユウキの動体視力をして、そうとしか言い表せない現象。
何が起こったのかを理解できたのは――現象の結果を認識した時だった。
もはや時間とさえ言えない程の刹那の時空を遡れば――まず震えたのは、空気だ。
それは不可視の道を形作る様に月から落ち、同時に地面から駆け上がったようにも見えた。それらが中央で接続された瞬間、世界に歪みが生じた。
つまり、闇を切り裂く閃光は、突然ではなかったのだ。
見えぬ先触れが空を翔け、大地がそれに快く応じた瞬間――
天と地は、直結する。
そして即席の見えない道を辿る様にして、それはやってきたのだ。
つまりは――
天からの、落雷である。
「――くっ!?」
時が巻き戻り、現実へと帰った瞬間――ユウキは目を細めた。
それだけではない。両腕を駆使し、必死に顔を庇う。
世界が一瞬、白紙になった。その世界という紙を縦に割くような神の児戯。
信じがたい高温、高圧。空気が爆発的に膨張し、衝撃波が荒れ狂う。
遅れて轟くのは、鼓膜を突き破らんとするような轟音だ。まるで天の怒りをそのまま届けるように、雷鳴が大地を、空を、世界を駆ける。
膨大なエネルギーの躍動。青白い閃光の爆発。天の脅威を目の当たりにし、ユウキは押し寄せる熱風に押されるようにして一歩引き下がった。
目と鼻の先にこんなものを落とされては、それも当然の反応。本音を言えば、今すぐこの場から逃げ出したかった。
しかしユウキがそれを選べなかったのは――
月から落ちた光の柱を――
神の裁きをその身に受ける者が、目の前にいたからである。
(な、なんだ!? これが祝福なのか!?)
今だけは、生存本能よりも、知的好奇心の方が刺激された。
それは決して良い類のものではなかったが、この状況では決して譲れないものでもある。ユウキは荒れ狂う世界から逃げ出さず、その世界の中心に立つ男となんとか相対し続ける。
ユウキはこれを、見守る義務があった。
そんな中考えるのは、やはり目の前に突如として起きた現象について。
能力を授かる時は、落雷をその身に受ける。
そういう演出であれば、この現実にも納得できた。
しかし肌を焦がす熱さが、目を開かせまいとする暴風が、何より荒れ狂う世界が――それを否定する。
これはイメージではなく、リアルだと。
確かに雷はそこに存在し、その脅威を猛然と振るっているのだと。
ユウキの五感全てに訴えかけるのだ。
だが、それでは――
(ムメイ!!)
ユウキはただ一つの事実を頭に描きながら、今だけは敵の身を案じる。
それは――死。
これほどの暴力をその身に受けて、生きられる者がいるとは思えない。
今も尚、稲光が枝分かれしながら、闇の空を翔ける。その軌跡が目の奥に焼き付いて離れない。
一瞬のできごとであるはずなのに、まるで時間が世界に固定されているかのように、進んでいかない。いや、意識に追いつかない。
現にそれが終局を迎えたのは、ユウキの意識が、今目の前で何が起こったのかをはっきりと認識した頃だった。
だから――ようやく気が付く。
ユウキの心配は、いとも簡単に裏切られたのだと。
そしてそれを上回る恐怖が――届けられたのだと。
「――っ!!」
圧縮された桁違いの暴力が――爆ぜる。
荒れ狂う暴風が押し流され、見ているだけで火傷しそうな高熱で歪んだ空間の中には、一人の男が。
本来ならば立つことさえ、いや、生を繋ぎ止めることさえ不可能なほどの暴力をその身に受けて――顕在。
まるで何ごともなかったかのように、ムメイはそこに立っていた。
(無傷!? 馬鹿な!? 確かに直撃した!!)
事実だ。なぜならユウキは見ていたのだから。
目を逸らすことなく、目の前の現実から逃げなかった。
やはりこれはこの世界が作り出したまやかし、そんなことをユウキが思い始めた時――
それは、始まる。
「っ!!」
せき止められていた水があふれ出たかのように、体から飛び出す白雷
そして水の流れをならすように静かに、そして大きく鳴動するエネルギー。
絶え間なく続けられる放電現象は、針のように外へと細かく弾けながら――やがて人の形に収まり、肉体の表面を衣のように包み込むのだった。
その正体に、思い当たらないユウキではなかった。
獣の勘、いやこの世界の一個としての本能が――否定しなければならない現実にユウキを辿り着かせた。
(電気!? いや違う!! これは――!!)
――電気属性。
基本四大属性のどれにも当てはまらないこの力は、やはり例外となる。
原属性。世界は不可視の粒子から成ると銘打つ、究極の物質理解の魔術師だけが、この力を扱うことができた。
電気。それは希少にして強大な力。保有する者は滅多と存在せず、十全に扱える者となるとさらに数は限られる。しかし――
例外を超える例外。希少を超える希少。
ここにあるものがそれとは全く別のものだと、ユウキは肌で感じ取った。
似て非なるもの。全くの別物。それは――
(熱い!! それに光まで!! これは……これは神の力だ!!)
近づくのを躊躇うほどの高音、高圧。目を逸らしたくなるほどの眩い光。
電気とは異質の力。だからこそ、ユウキは驚愕を禁じ得ない。
もちろんそんな力を個人の身で得たことにもだが、今だけは違う。今だけは、それを受けて平然とその場に立ち続ける男に、ユウキは臆した。
古より、己の理解が及ばない未知の現象にこそ――
人は、恐怖する。
(生きていられるはずがない!! 一体どうなっているんだ!?)
ユウキの疑問は、正しかった。
これほどの膨大なエネルギーをその身に宿し、なお生を保ち続けるのは、本来であれば生物には不可能。それは不死身の吸血鬼であっても例外ではない。
この現象には、ユウキの知らないあるトリックが存在した。
――<月夜見>。
それはムメイが今持っている才能の全てを献上して生み出した――唯一無二の力。
その実態は、当然混沌術に該当する。
これにあたって、ムメイは例に倣い奉献を行うことで、この力を扱う資格を得た。そして例にもれず、根源の悪魔との取引に臨んだのだ。
それこそが、トリック。彼が悪戯鬼を自称する答え。
ムメイは――悪魔を騙したのだ。
※文章はあくまでイメージです。
「対戦よろしくお願いします」
「おいなんだお前、才能凄いな。いやほんとなにこれ。え、お前この世界にいちゃだめじゃね?」
「外界から完全に隔離された自分だけの世界を創って、そこで試練を行いたいんです。そういう能力って作れますか?」
「話聞かない……怖い。っていうか何だよその能力。なんか意味あんのか?」
「試練をクリアしたら、妖精からご褒美が貰えます。ご褒美は、その試練に釣り合うだけの力でお願いします」
「だから何だその能力は? 意味分からんけど……まあいんじゃね? それくらいならお前の才能でどうとでもなるよ。発動条件は一般的な魔力量換算でいいだろ」
「ありがとうございます。では空間の展開と維持には魔力を、そして妖精の顕現には私の中の処女の血を使えるようにしてください。妖精はこんな感じのイメージで」
「細か!? これお前下手したらコイツ生み出すのに結構余白潰すぞ。いいの?」
「はい、どうせ余りなんて必要ないので。私はこの能力に自分の才能を全て注ぎ込みます」
「え……なに? え?」
「あと試練は対戦相手がいる場合、その相手が最も勝率の高いものでお願いします。それでもし私が負けたら、死んでもいいですか?」
「はっ!? 死……はぁっ!?」
「私の能力はこれ一つだけなので、奉献で得られる恩恵に関しても全部この能力に当ててください」
「え……死ぬって、絶対要らねえだろ。もう奉献で十分魂は捧げられてるし……もっと、いやかなり才能の消費抑えられるぞ? 内容はそっくりそのままで。何がしたいんだ?」
「あと試練を繰り返すことが前提の能力なので、そうですね……7年に1回は必ず試練を受けることにします」
「もう頭痛い。分からん。いやバランス取らないと。ええっと……うん、文句ないな。何も問題ない。まあ外界から完全に隔絶した異空間を作り上げるとなるとかなり魔力を消費するが……この魔力量なら一日二回くらいはイケるかな」
「能力は私が生み出した妖精に決めさせますね。試練へのご褒美なので」
「ああ。だが当然一つの試練につき得られる能力は一つだ。そして一度発動したら試練を行わない限り解除できないようにする。これが条件だな」
「いいでしょう。もう何もないですか?」
「何も文句ないね。もっと要求して欲しいくらいだ」
「じゃあ空間に一緒に飲み込める対象も私が選べるようにしていいですか? あといくつか妖精に能力を――」
「ぜーんぜんいいよ」
条件調整。悪魔との取引――ファウスト契約。
根源の悪魔が世界の均衡を保とうとするこの力を、ムメイは利用できると踏んだ。
吸血鬼は、この世界の絶対の法則である――バランスに気が付いたのだ。
代償を支払えば、必ずそれに相応しいだけの対価が得られる。しかしそこに至るまでには、悪魔の監視をすり抜ける必要がある。つまり悪魔の審査さえ潜り抜けることができれば、後は世界の法則に能力は従うというわけだ。
ならばこの時、悪魔が要求するものを超えるほどの、過剰な代償を支払った場合はどうなるのか。ムメイは発想を逆にした。
消費する才能をできる限り押さえ、その中でできるだけ望む力を引き出すこの条件調整のシステムを、ムメイは逆手に取ったのだ。
悪魔が条件云々と自ら言い出せないほどの代価を、あえてこちらから先に差し出す。世界トップクラスの才能の全てと、前提条件たる奉献での代償をまとめて。
さらに己の能力の中でも試練と銘打ち、なぜか命を懸ける。しかも、その後も何度となく命を捨てることを条件によって約束する。極めつけは、己に圧倒的に不利な内容を自ら提案して。
これ以上は不可能というレベルの逆条件の献上。圧倒的マイナスへの調整。
敢えて過剰とも言える代償を支払うことで、ムメイは意図的にバランスを崩したのだ。
するとどうなるか。
世界の方が、バランスを取る。
悪魔の審査を潜り抜けた今、それ以外に、条件を釣り合わせる手段が残されていないからだ。
そしてこの時、最も自然な調整方法が、授ける能力の強大化。
ムメイは一つ一つ丁寧に逃げ道を塞いでいき、最後には必ずそこへ行きつくように巧みに誘導した。この条件の場合、最も不自然なくバランスを調整するためには、与える能力で賄うしかないと思わせるように。
ムメイではなく、妖精に能力を決めさせるのもその一つ。具体的な能力がまだ決まっていないのであれば、根源の悪魔はそこに踏み込めない。なぜならムメイに要求されていないから。条件を提示されていないから。姿形もまだ不確かなものには、悪魔も条件を付けることはできない。
ムメイの能力はあくまで、妖精の試練を超えれば、それに相応しいご褒美が得られるという能力。能力によって起こる結果にまでは悪魔は口だししてこないのではと、ムメイは考えたのだ。
魂そのものを献上するに等しい代価。その巨大な見せ餌によって、本当に欲するものを隠す――まさに詐欺師の手口。
ムメイの狙いは当然最初から、強大なる力。そのために着目した、世界のバランス。その結果に辿り着くためだけに思いついた、試練のシステム。
つまり――全ては建前だったのだ。そして、大きな賭けでもあった。
悪魔が条件を差し込む余地がないほどのマイナス条件を自ら提示し、契約に無理やりサインさせる。その工程さえクリアしてしまえば、あとは世界の法則が、最も自然な形で勝手にバランスを取るのではないかと。
つまりは――
生を超越した不死なる存在――その命に相応しいだけの能力。
ムメイの差し出した魂に釣り合うだけの対価。さらに――
常人では人体が破壊されるほどの高温高圧にも――無傷。
膨大なエネルギーは決して尽きることなく――無尽蔵。
回数制限も時間制限も場所制限も、悪魔の条件は何一つとして――課されない。
この世界において唯一無二の――自由な力。
悪魔を超える悪魔が、最悪の能力を手にしたのだ。
(だめだ……)
それは、不退転の覚悟を決めたユウキが、敗北を悟り、嘆きを溢す声――ではない。
ユウキは確かに恐怖していた。それは間違いない。
しかしその時、彼が抱いていたのは――責任だった。
眼も眩むような閃光が、弾ける。
迸る白き雷が、大地を裂く。
人の身では決して生み出すことのできない、膨大なエネルギーの出現。
青白い雷が雄大な大地を裂き、威嚇するようにユウキの足元まで到達する。
太陽が顕現したかのような威圧感。月が落ちてきたかのような躍動感。そして悠然とした大地そのものを幻視させる圧倒的存在感。
まさに規格外の力。自然の驚異そのもの。
(こいつは――!! この世界にいてはだめだ――!!)
この世界に生きる者の一人として、ユウキはその存在を否定しなくてはならない。
直感したのだ。この男に、いずれ世界は壊されると。
だからユウキは、絶対なる責任感から、ムメイの殺害を心に決める。
誰かがやらなくてはならない。
誰かがこの世界を――守らなくては。
それは、太陽と並ぶほどの――天の脅威。
頂上の世界よりもたらされる――神の意思。
――雷の力。
世界の均衡が今――壊された。




