第068話 ルーニー
「<月夜見>」
――瞬間、世界は変わり始めた。
どこからともなく聞こえ出したのは、鐘の音だ。その音は、鈍鐘にして深鐘、そしてどこまでも重き鐘声。
空を、空気を、大地を、世界そのものを震わせるような重低音が――計三回。
その音に導かれるようにして広がるのは――無明の闇だ。
悪魔が世界に絵の具を垂らすかごとき光景。瞬く間に空を隠し、雲を隠し、太陽さえ呑み込んだ漆黒は――
三回目の鐘の音が余韻に浸る頃には――
この世から、天を消した。
(なんだ……この力は……)
魔が術を囁いた途端に、待っていましたとばかりに動き出す世界、発現する力。
その圧倒的インパクト、スケール、リアリティに、言葉が出ない。
それはまるで、能力発動とはこういうものだという――手本。
詠唱のトーン、技名の発音、そこに至るまでの雰囲気作りまで、全てが完璧。そして何より――
匂い立つ、己の能力への絶対的自負と圧倒的自信。
ユウキをして見習いたいと思うほどの能力発動だった。
魔術の人生初お披露目としては、文句のつけようがない。
それほど、敵であるはずのユウキでさえ――
一瞬にして、ムメイの世界に飲み込まれた。
(夜……太陽か!!)
しかし――
ユウキはわし掴みにされた少年心をなんとか取り戻し、現実に帰る。
天を見上げれば、そこにはぽっかりと大穴が広がっていた。それはまさに、深淵だ。触れればもう二度と帰ってはこれないと思わせる、巨大な穴。
見たくもないような本能的恐ろしさを感じさせる光景――だが、確認しないわけにはいかない。
そこには、先ほどまで顔を見せていた天の力――太陽の姿がなかった。
(吸血鬼の弱点を一時的に消す力。なるほど……理にかなってる)
ユウキはこの能力の本質を、即座に看破する。
吸血鬼最大の弱点である、太陽の光をカバーする能力。発想としては平平凡凡の域を出ず、やはり能力を練り上げる時間が不足していたと感じさせるが、ユウキに馬鹿にする感情はない。
むしろ、感心したほどだ。基本に忠実なのはむしろ美徳。
この近接戦の強さで下手に奇をてらう必要はない。むしろいくつかの秩序術を取得するだけで取れる手は格段に増えると、ムメイはもうそういう次元の存在だ。
アワンからのアドバイスを愚直に取り入れ、プラスではなく、どれだけマイナスを埋められるかという思考で能力開発に着手した。
戦闘中、太陽の脅威を気にする必要がない。これだけでムメイにとっては圧倒的なメリットだろう。贔屓目はもちろん皮肉でもなく、良い能力だ。
そして――
(既存の秩序術ではない……これは混沌術!!)
突然の世界の変化に、どうしようもない不安に掻き立てられていた獣は――その身に多大な衝撃を味わいながらも、直感する。
このスケール。この感覚。これは疑いようもなく混沌の力――混沌術だと。
(ハッタリじゃなかったのか……こいつ!! たった二週間で混沌術を……!!)
勇者の血を引くアワンでも、混沌術の取得には7年もの歳月をかけた。これに関しては、ユウキも似たようなものだ。むしろそちらの方が普通。本来混沌術とはそういうもの。
だからこそ驚愕すべきは、能力開発へと踏み切れるだけの才能――ではない。
特筆すべきは、その度胸。
習ったのは基本事項のみ。期間は二週間。
この条件で混沌術を生み出すには、その存在を知ったその日から術の開発に着手する必要があるだろう。
つまりムメイは、その時点から独自の能力を生み出すと心に決めていたということになる。
これは例えるなら、免許を取得したその日にスーパーカーで日本を縦断しようと心に決めるに等しい愚行。
資格もある、馬力もある。確かにルール違反ではなく間違いとも言い切れない。
だがスーパーカーでやるか、ピカピカの一年生でやるかと、そう言う話だ。要は――
(正気じゃない!! アワンから一体何を教わったんだ!?)
同じ流派を輩出したはずのアワン、そして兄弟子たるユウキをして――前代未聞、空前絶後の珍事。
天才が驚くほどの馬鹿げた現実。
まさに混沌。世界的にも前例皆無の奇行だった。
しかし、そんなものでは終わらない。
ユウキはこの日、本物の狂人とはどういうものかを――
知ることとなる。
「――ん~~!! ぴょん!!」
「っ!?」
突如聞こえてきたのは、鈴を転がすような声だ。
それはまるで、ユウキの心の準備が整うのを見計らっていたかのようなタイミングで――
この世界に、現れる。
「もう!! いつまで待たせるのよ! 待ちくたびれたんだからね!」
それは――妖精だ。
夜の世界に顕現したのは――犬妖精であるユウキをして、妖精としか言いようのない姿。
大きさは、15cmを超えるくらいだろうか。かなり小さい。しかし、目が離せない不思議な存在感を放っている。
いや、そんな表現では生ぬるい。それは、そんな趣味はないはずのユウキが、目をくぎ付けにしてしまうほどの強烈な気配を帯びた存在。
空を飛び、まるで自分が世界の中心とでもいうような空気を身にまとっている。
そんな妖精は、ユウキも見たことのある姿形をしていた。あれは――
「このあたしを誰だと思ってるの!? もう許さないんだから!!」
腰に両手を当て、前傾に屈んで後ろへとお尻を突き出す妖精――
男には少し耳障りにも感じられるような甲高い声を発しながら、怒りに表情を歪め、唇を突き出す妖精――
短いスカート。フリルをふんだんに用いた上着。ユウキの見たこともないような不思議な衣服を身にまとっている妖精――
それは――勇者ルルワだった。
「すっっ……!! げええっっっっ~~~~!!」
ユウキが妖精の正体に気が付いたのとほぼ同時、吸血鬼の絶叫が木霊する。
それは、技の発動以降初めての声。死闘を匂わせる圧倒的緊張、絶対的緊迫。それらが全て幻であったかのように――
それはまさに、少年だった。
「すげえ!! すげえよ!! ほんとに凄い!! 全部俺のイメージ通りだ!!」
妖精の周囲を飛び跳ねる吸血鬼の姿――まさにおもちゃを買い与えられた子供。
サンタクロースの存在を信じ、その祝福の形と残り香だけで歓喜する、在りし日の少年だった。
ユウキは呆気にとられ、その光景を眺める。
あまりにもあんまりな状況に、ただ眺めることしかできなかった。
「ちょ、ちょっと! 気安く触らないでよ! バカ! エッチ! 変態!!」
「ミニスカだ! ツインテだ! セーラー服だぁ!!」
ムメイの叫びに、ユウキは我に返ったように気を取り直し、今一度妖精に注目する。
確かに改めて見比べてみれば、ユウキの記憶にある勇者ルルワとは少し違った。
まず服装が大きく違う。
本体は重々しい鎧を着用しており、スカートもひざ丈といったちょうどいい長さ。しかし妖精は、かなりギリギリを狙った挑戦的な丈の長さをしている。
違いはもちろんスカートだけではなく、服は広い襟、中央にタイ、そして袖が長めの変わった形状をした白服。強いて似ているものをあげるとすれば、勇士学園の制服が機能としては近いだろうか。
だが、綺麗なライン、シルエットの強調されるその衣服にフリルが多用されているのは、ユウキの目から見ても違和感が凄かった。
なんというか、真面目なのか不真面目なのか分からない感じだ。感覚としては和洋折衷に近い。
そしてもう一つ大きく違うのは、髪型だ。
勇者ルルワは長い金髪を後ろで括り、ポニーテールにしていた。しかし妖精は、左右で束ねてアップにした見慣れない髪型をしている。
男への媚びに全振りしたスタイル。やはり本家とは似ても似つかない姿だ。
「勘違いしないでよね!! 別に、あんたのために着てあげたんじゃないんだから!!」
「ツンデレだぁっっ~~!! あ"あ"あ"あ"っっ~~!!」
「っていうか、さっきからアホ面辞めてもらえますかぁ? 必死過ぎてキモイんですけど?」
「メスガキだぁぁっっ~~!! あ"あ"あ"あ"っっ~~!!」
吸血鬼の雄叫びと狂乱を遠い目で眺めながら――ユウキは能力の考察に取り掛かる。
というより、やることはそれしかない。この馬鹿げた時間は、未だ混乱の渦中から抜け出せずにいるユウキにとっても、有難かった。
(奴は四大元素系じゃない……確か、無属性だったな……)
無属性――アナクシマンドロシスト。
無限から万物は生じると銘打つ、闇の力。
無とは、何もないことではなく、定義不可能なもの。
つまりこの属性は、他の属性で定義不可能な力の拠り所とされている。
(武器製造やアイテム創造などを筆頭に、物質の具現化は本来土属性の畑のはず……。全属性魔術の要素を取り扱えるとか……そんなインチキじゃないよな?)
ユウキの知識でも、答えは見つからない。それも当然だ。
ムメイの無属性を筆頭に、原属性、数属性の三つは極端に術者の数が少ない。適性を持つ者がまず希少であるのに、それを十分に扱えるレベルの術者となると、まさに砂漠からダイヤを見つけるに等しい確率なのだ。
しかも、強力な術者ほど己の属性は隠すもの。情報が世に広く浸透するはずもなかった。
(まさか……生物じゃないよな? いや、あり得ない。生命創造なんてできるはずがない。あれはそういう概念が固定された具現物のはずだ。錬金生命体に近い)
ありえない程のリアリティとクオリティ、何よりその圧倒的な生命の輝きに誤認しそうになるが、既存の生物であればじゃあなんで空を飛べているのかという話だ。
あれはムメイの魔力によって作りだされた存在。だから能力発動中に姿を現した。つまり――
(あの妖精がこの空間の主……何らかの特別な力を有している)
限定空間を生み出し、その空間でしか存在できない妖精を生み出す力。
ならば、何か特別な力を持たせていると考えるのが自然。
太陽の脅威を夜で排除し、妖精の協力で戦闘を有利に進める。
(魔術師なら十中八九デバフ系だろうな……追い出す準備しとくか……)
ユウキは早くも、ムメイの能力の大枠を把握しきる。
だがそんなこととはつゆ知らず、ムメイは呑気なものだった。
「やばい……ほんとやばいよ。尊い……尊死しそう。もう戦いとかどうでもいいや……」
「何言ってるの? あたしのために死ぬまで戦いなさいよ。それがあなたの幸せでしょ?」
「あああっ!? コレなんだぁぁっ!? 分からんけどかわいいィィ!!」
あれだけ強烈な術展開で場の空気を支配しておいて、この体たらく。敵に能力考察の時間を与えるなど、まさに愚の骨頂。最初の完璧な滑り出しを己で無に帰す行為だ。
そんな呆れが、ようやくユウキに口を開かせる。
「なんでもいいのかよ」
「なんで今声かけた?」
「ぇ……」
軽いツッコミへの反応は、顕著だった。
表情の一切を消した無表情が、こちらに向けられる。その目には、およそ光というものが見当たらない。
闇より深い闇が、ユウキを見ていた。
「なんで今声かけたの? 俺今彼女と喋ってたよね?」
「いやっ、あのっ……。でも、戦闘中だし……ボクだって結構待ったっていうか……」
これまでにないその圧に、ユウキはたじろぐ。
ユウキが何をしようとも、ムメイがここまでの怒りを見せることは一度としてなかった。
普段怒らない人間が怒ると怖いという常識を、ユウキは初めて、その身を持って体験する。
「え、今取り込み中って分かんなかった? 明らかに話しかけるなオーラ出てたよね? え、まじ? 普通声かける? そこまで空気読めない感じ? 思いやりって知ってる? 俺なら絶対待ってあげるけど」
「でも……敵なんだし……」
血を宿したような赤い瞳、その瞳孔の全てがユウキだけを見つめる。
形を変えない表情の中にあって、口だけが動き続ける様は、かなり不気味だった。いや、怖かった。
「敵なら何やっても良いの? 一生に一度の出会いなんだよ? 俺が魔術使うの初めてなのも知ってるよね? 童貞卒業邪魔するやつっている? 素直に応援できないわけ? とりあえず一旦謝ってくれる?」
「…………ごめん」
ユウキは、折れる。
釈然とはしない。が、怖かった。なんか怖かったのだ。
そんなユウキを救ってくれたのは、先ほどまでユウキが追い出そうかと画策していた存在だった。
「謝ってるんだから、許してあげなさいよ!」
「だってさ。良かったなユウキ。ルルワ2に感謝しろよ?」
「え……ルルワ2? もしかしてそれあたしの名前じゃないよね?」
「名前だよ?」
向けられる水の行き先が変わったことに、ユウキは内心深く安堵する。正直、助かったとさえ思った。
ユウキはムメイには話しかけないことを心に決め、気を取り直す。
時間制限があるタイプではなさそうだと、素直に考察に戻った。
「ちょっと、ふざけないでよね! もっとカワイイのにしなさいよ!」
「え? ルルワって可愛くないの?」
「にっ!! にぃぃ!!」
「ああ、2が気に入らなかったのか。じゃあアガトス5で」
「なんでぇ!?」
(表情が豊かだな……これほど精巧なものを創るのに、一体どれだけの才能を使ったんだ?)
コロコロと変わる表情、自然に上下する声の抑揚、そして醸し出される空気感。人間と相違ない。これほど微細に、精細に、精密に作り上げられた装置だ。消費コストに見合う強大な能力を持たせているに違いない。
そして人間と変わらないコミュニケーション能力までわざわざ搭載させたということは、意思疎通こそがキーなのだと思われる。
「じゃあルルワ2のアレンジでいいんじゃない? 響きが可愛ければ文句ないだろ?」
「カワイイのなら……まぁ……」
(敢えて会話する様子を見せているのは……意思疎通ができることをボクにアピールしているとも考えられる)
そうなると、妖精に話しかけさせる――などが能力の発動条件という可能性もある。
未だ能力発動の兆候が見られないのがその理由。この時間は、ユウキが何かするのを待っているのか。
「その代わり、とびっきりカワイイのにしなさいよね! 変なのつけたりしたら、ただじゃおかないんだから!」
「そうだな……じゃあ”ルーニー”で」
「ルーニー……」
(ルーニー……)
妖精の復唱をなぞる様に、名を呼ぶ。
なんとなく、ピッタリなような気がする。少なくともこれといった違和感はない。
「うん。名は体を表し、名は実の賓。お前にぴったりの名前だよ、ルーニー」
「ふんっ! まあそれでよしにしてあげるわ! 感謝しなさいよね!」
「ああ、気に入らないんだな。じゃあアガトス5に……」
「わあ! なんて素敵なお名前なの! あたし気にいっちゃった! ご主人様だーいすき!♡」
「いい子いい子」
「えへへ~」
指の腹で転がすように、小さな頭を撫でつけるムメイ。それにまんざらでもなさそうなルルワ2――いやルーニー。
いつの間にか、逆転した立場をユウキが違和感なく受け入れている頃、ようやく、ムメイはこちらへと振り返った。
「悪い、待たせたな。俺も初めてで、かなりテンション上がってたんだ」
普段通り――というほど彼を深く知るわけではないが、ユウキの知るムメイが戻ってきたことで、ようやく場は動き出すのだと悟った。
ユウキはもう声を出していいのかとムメイの顔色を何度か伺ったあとに、それでも慎重に声をかける。
「…………いやいいよ。名前は確かに大切だ」
「ほーん……お前って結構話分かるな。俺も名前が一番大事だと思う」
「ボクもそう思うよ」
こればっかりは、嘘ではなかった。
ユウキにとってアワンから貰った名前は、何物にも代えがたい宝物だ。きっとムメイもそうなのだろう。
ザッと大地を踏みしめ、こちらへと改めて向き直るムメイ。そしてそんな主人の頭上へと舞い上がる妖精の姿に――
ユウキも身構える。始まると。
「じゃあルーニー、進行よろしく」
「あたしに命令しないで!」
「お願いします!」
「仕方ないわね! 今回だけ、特別なんだから!」
もはやお決まりのようなやり取りを挟みながら、ルーニーが前に踊り出て、注目を集める。
そして、今――
内に秘めたるその能力を――解き放った。
「では、ルールの説明を開始します。今回はムメイ様が能力初使用となりますので、本魔術――<月夜見>の取り扱い説明から進めさせていただきます。対戦者ユウキ様におかれましては、何卒ご了承ください」
これまでの姿とは一転して変わった機械的な口調に、空間は静まり返る。
動揺は、両者ともに凄まじい。
向かい合うどちらも、こんなことは想定していなかったというように、大きく目を見開いた。
(ルール……対戦者だと!?)
「え? あ、ちょ、え? ルーニーさん?」
「なんでしょうか?」
「いや、急に口調違くない?」
ユウキがルーニーの語った内容に関して驚いている中、ムメイは違う。
彼はそう、まるで機械が誤作動を起こした時のような取り乱し方をしていた。
「事前に頂きました指示書の内容に従った場合、円滑な進行に差し支えると判断いたしました」
「指示書とかもやめて? 急にそんなふうに喋られるとさ、現実に引き戻されるっていうか……Vチューバーには中の人がいるって言われたような気分になるんだよ。分かる?」
「すみません、よくわかりません」
「Ciriやめて?」
(やっぱり性格や口調、モーションなんかも全部自分で設定したのか。何やってんだコイツ?)
ユウキをして舌を巻くほどの精巧なクオリティではあるが、だからこそ、絶対にこだわるところはそこではない。
対戦ということは、ルーニーも口にしていた通り、彼女の役割は進行や審判にあたるのだろう。ならば、これまでに見せられたような機能は丸ごと必要ない。むしろ不純物だ。
衣装のデザインやディティールへの追及に当てた時間を、もっと別のところに回すこともできたはず。馬鹿としか言いようがない。
「基本プログラム通りにお願いします。俺も君の生成に結構な額貢いでるんだからさ……ほんと頼むよ」
「畏まりました…………ぴょーんぴょん! 呼ばれて参上! あなたのルーニーちゃんだぞ♡」
「まーじでカワイイ。頼んだらやってくれないかなぁ……無理だよなぁ……」
(無理だろ)
頼んだらとは、勇者ルルワのことを言っているのだろうが、絶対に無理だ。
あの女がこんな馬鹿みたいな恰好を、馬鹿げた挙動をするはずがない。そんなことは付き合いの全くないユウキにだって分かること。
ムメイも実現しないと分かっているからこそ、自分の能力によって実現させたのだから。
(ほんと何やってんだコイツ?)
冷静になってみると、本当に頭がおかしいとしか言えない。
恋人に届かない欲望を、自分の世界でもう一人の恋人を作り出してぶつける。ルルワはこれを知っているのだろうか。
たぶん知らないのだろう。もし知っていたら、絶対に別れ話を切り出されているはずだ。
「さーて、みんなあたしに注目しなさい! 何にも知らないあなたたちのために、ルール説明を始めてあげるわ!」
高らかな宣言と共に、光を振りまきながら舞い上がる妖精。
その光子の祝福が分けるように向かい合うのは、運命の二人。
「ようやくだな……楽しくなってくるぜ?」
「どうだか?」
睨み合う両者は――ほぼ同時に笑みを浮かべる。
かくいうユウキも、期待と不安、相反する感情により、静かなる興奮が抑えられなかった。
そして――
ようやく、それは始まる。
「恋の試練を与えるわよ! あなたがあたしに相応しい男かどうか、試してあげるわ!!」
「っ!?」
(恋の……試練だと!?)
ユウキの反応に、ムメイは笑みを深める。
まるでその反応が見たかったと言わんばかりに、本当に楽しそうな表情で。
ユウキが混乱の崖際に立たされている間も、ルーニーの進行は進む。
「試練にクリアしたら、私が特別なご褒美をあげる! エッチなのはなしなんだからね!」
(ご褒美だと……なんだ? 一体どうなってる?)
崖際で踏ん張っていた足は滑り、たちまち奈落へと。
そんなユウキをフォローしたのは、信じがたいことに、つき落とした張本人だった。
「特別なご褒美ってなんだよ? エッチなことでもしてくれるのか?」
「はぁー!? あんた馬鹿ぁ!? 話聞いてなかったの!? エッチなことは禁止! あたしがあなたに新しい能力を授けてあげるわ! ありがたく受け取りなさい!!」
(能力!? そんなことが……!!)
奈落から上を見上げ、なんとか理解に届かせようとするユウキに、ムメイはやはり助けるように上から手を伸ばす。ルーニーへの質問という形に変えて。
「おいおい……それはちゃんと、この状況を打開できるような能力なんだろうな?」
「知らないわよそんなの! あたしがあげるものなら、何でも喜んで使いなさいよ! 使いこなせないならその程度の男ってことだわ!」
「貰える能力がどういうものかは、貰ってみてのお楽しみってことか……悪くない」
これまでのゆったりとした経過が嘘のように、とんとん拍子に進んでいく状況に、ユウキは多大なる不安感に見舞われる。
それは、獣の直感だ。このまま思い通りにさせるのはまずいと、勘だけで辿り着く。
だが、勘だけではない。しっかりとした理屈も、そこにはあった。
(新能力!! まずいぞ!!)
ユウキの<妖精の丘>で能力を奪うには、いくつかの条件をクリアする必要がある。
ユウキは聖域の内側をブルー、外側をシーヘンと定め、この境界の内外によって力を区分していた。
聖域で他人の能力を奪うには、丘の外側でその能力について予め理解し、そして丘の内側でその発動を見る必要がある。
この手順をクリアしなければ能力を奪うことはできない。だから丘の内側で初めて出される初見の能力は、どうあっても奪うことはできないのだ。
(全く未知の能力は奪うことができない!! やらせてはまずい――!!)
ムメイも口にしたように、新たに手にする能力が、この状況を打開する奇跡の能力とも限らない。
いや、これだけ大見え切って発動した能力だ。その可能性は高い。だから――
「それで、その試練っていうのは? 俺たちは一体何をすればいいんだ?」
ムメイの視線がこちらから逸れた瞬間――ユウキは動き出した。
「ワン!!」
狙いは――妖精。
ユウキの遠吠えは、丘の内側への侵入者を追い出す警戒音。これをぶつけられた者は、いかなる例外もなく丘の外側へと飛ばされる。
つまりは、妖精の排除。空間系の能力は、その異空間のルールを破綻させれば解除されることが多い。
この<月夜見>という能力には、おそらく妖精の存在が必要不可欠。絶対の構成要素のはず。
ならばその妖精を追い出してしまえば、魔術は形を保てなくなる道理。
だが――
「え~なにそれ? 今何かしましたかぁ?」
「――っ!?」
必殺、必中のユウキの遠吠えをして――顕在。
妖精は嘲笑うように、丘の内側を遊覧する。
「ワンワン吠えて負け犬みたい。ざーこ!」
「なんだとォ!?」
「え? ご褒美じゃね?」
ユウキは沸騰しかけた思考を、何とか冷ます。そんな暇はないと、無理やりに落ち着かせた。
(クソ……一回無駄にした。いや、切り替えろ。ベストの判断だったはずだ)
やるかやらないかなら、やった方が良かった。
妖精には攻撃が通らないことが分かったのだから。ならばパターン的に、この妖精もユウキを直接害するような力はない。
だがそんな慰めは、徒労に終わる。慰めの体をした明らかな攻撃に、打ち崩されたのだ。
「安心して! 今の分はカウントしないであげるから! だから後二回使っていいわよ! 優しいあたしに感謝しなさいよね!」
「っ!?」
悪意の籠っていない無垢な声。
しかしその裏にいる人間の確かな悪意を、ユウキは鋭敏に察知する。
(能力の詳細を……!! コイツ……!!)
ユウキの遠吠えは、一度に三回までしか発動できない切り札。
これは本来、<霊魂奉納>では賄えないレベルの攻撃をやり過ごすためのものだ。
今回の戦闘では、ユウキは<狂月の漸近鬼>を無効化するため、既に一回使用している。
本来であれば今ので二回。残り発動可能回数は残り一回となるところだった。それを思えば、一見救われたように思える。
だが、ユウキの心中は穏やかではない。
(ムメイに知られた! 回数制限型だと! それも、あと二回しか使えないことまで!)
回数制限の能力は、その使用回数の限度が分からないからこそ威力を発揮する。あと何回使えるか分からないというのは、攻撃の取捨選択、その是非にすら届くほどの重大事項だからだ。
大技をやり過ごせるのは、後二回。この情報は、ムメイにとってもユウキにとっても大きく響く。この時、どちらが有利になるかなど、もはや説明するまでもない。
(妖精への攻撃は無駄。そして妖精を攻撃すれば、その能力を術者にバラすのか)
考えている。異色な存在感を放つ妖精は、この空間にあって一番の注目の的だ。そして敵であれば、この妖精こそが能力の鍵だと思うのは至極真っ当な発想。そこから真っ先に排除に動こうとすることも。
その心理を読んだ対策。これで最低でも一つは相手の能力が分かる。
そしてこのやり取りが挟まれることで、この先妖精の進行が邪魔されることもなくなるというわけだ。
(流れをちゃんとイメージしている。付け焼刃とは思えない)
短期間で思いついたとは思えない巧みな仕様だ。
自分が能力を使う時のことをしっかりイメージできていなければ、この想定には辿り着かない。
「いいわ! 本当はルール説明が終わってから発表の予定だったけど、待てができないワンちゃんもいるみたいだし、先に試練を発表してあげる!」
(試練……)
やはり、ユウキが巻き込まれるのはもはや当然のことのようだ。
能力によって、対戦相手を強制的に試練へと誘う。この空間が展開されてしまった以上、これに抗う術はない。
「今回の試練はぁ~~ドゥるるるるるるっ……!!」
お手製のドラムロールは、酷い不協和音。
そのマヌケさまでもが、能力の計算だとでもいうように――一貫してムメイのペース。
そして満を持して、試練はここに発表された。
「アワンクイ~ズ!!」
「「っ!!」」
それは、試練というにはあまりにも可愛らしい内容。
これまでの緊張と警戒を返せと言いたくなるほどに、子供の遊びだった。
「問題は全六問!! どちらがアワンについてより詳しいか、勝負して貰うわ!!」
「え~ちょっとルーニーちゃん! そりゃないよ~!」
「何よ何よ! あたしのやることに文句があるわけ!?」
「初回だからってちょっとヌルゲー過ぎるよ。これじゃあ到底試練とは言えないんじゃない?」
ムメイの指摘は、当然のものだ。だがそれを能力の発案者が言うのはどうかと思うが。これらも全て、ムメイが考えた能力の仕様。妖精はそれを代弁しているに過ぎない。つまりムメイは既に、全てを知っているのだ。
そもそもそのセリフは、本来ユウキが口にするべきものだろう。
そして、その通りだった。ムメイは、ユウキの代弁をしたに過ぎない。
「ちっちっちっちっちっちっちっ~~!!」
明らかに余分な指ふりは、あざとさに溢れていた。
これもムメイの好みなのだろうが、ユウキはここにきて、少しだけイラっとしてくる。
だが、そんなある種能天気なことを考えていられるのは――ここまでだった。
ユウキは、深淵を超える――更なる深淵へと叩き落とされることとなる。
「試練に躓くような男に、私を愛する資格はないわ!! もし負けた時は、あなたの命で償ってもらうんだからね!?」
「なっ!? なんだと!?」
それは、驚愕。そんなものでは収まらない――衝撃。
言葉が脳に染み込まない。心になど届くわけもない。
それほど、何を言われたのかが理解できなかった。いや、理解はできる。理解したくないだけだ。
そんな中、変わらずアホなやりとりを続けるのは、この術を定めた者と、それに従う者。
衝撃に言葉もないユウキと違い、ムメイは平然とその宣告を受け止める。
「背中を包丁でめった刺しにしてあげるわ! 念入りに刺し殺してあげるんだから!!」
「おかしい……こんなのプログラムしてないのに。怖いよぉ……」
「月に代わって、おしおきよ!!」
「それはほんとに怖いからやめて」
その場違いな空気感が、ユウキを馬鹿にしているようで、さらに彼を苛立たせた。
いや、もはやユウキは怒りを抑えることができなかった。それと同じくらいに急速に募る――恐怖も。
「おい! ふざけんなよ!? どうなってんだよこれは!?」
そんな胸中が、およそ意味のない類の言葉を吐かせる。
八つ当たりのようなその感情にも、ムメイは冷静に答えた。
「ん? 聞いてなかったのか? ルーニーが出す試練をクリアすれば新しい能力が貰える。それが俺の魔術だ」
「違う! 負けたら死ぬって部分だ! なんでボクが君の試練に巻き込まれなきゃならないんだよ!!」
――理不尽。
そうとしか言えない力だ。勝手にゲームに巻き込み、それに敗北した方には死。こんなふざけた能力はない。しかも勝負から下りることもできないなど、クソゲーにもほどがある。
だが、そんな正統性しかないユウキのクレームは、今回ばかりは的外れだった。
「あ~ごめん勘違いさせた。ルーニーの説明がへたくそだから、あいつ勘違いしちゃったじゃんか。こらっ」
「大変申し訳ありません。システムを修正。よりよい進行のため、不要なモーションを全てカット致します」
「ごめん、勘違いさせた」
突然エラーを起こすルーニーに再三の注意を行ったあと、ムメイはこちらへと振り返る。
そして、ユウキの顔を見て苦笑した。それほど今の自分は余裕のない表情をしているのかと、ユウキに悟らせるほどに。
何笑ってんだとなお苛立つユウキに対し、ムメイは安心させるように言葉を紡ぐ。
「誤解を解くと、仮にお前が試練で負けたとしても、お前は死なないんだ」
「…………」
安心――とはならない。むしろクエスチョンマークが踊った。
それでは、ユウキを無理やり巻き込み、対戦をさせる意味とは。
だがその突発的な疑問を、ユウキは飲み込む。釈明はまだ続くと分かっていたから。
「敵を巻き込んで発動した場合、試練は自動的に対戦形式になるんだ。だってその間お前が暇だろ? でも試練の内容は俺もお前と同じタイミングで知らされたから、そこは安心してくれ。むしろできるだけ相手に有利な内容にしてくれと指示してある。貰える能力についても、俺は本当に知らない」
「しかも! 対戦相手は一回だけ試練の変更権が与えられるのよ! もちろん、ムメイには権利なんてないんだから! 170cmない男に、権利なんてないんだから!」
「要はまあ……お前にとってはミニゲームみたいなもんだから気楽にやってくれ。死ぬことも無ければ、そっちに何らかのペナルティが発生するなんてこともない。これはあくまで、俺の試練だ」
「…………」
その説明にようやく、ユウキはこの魔術――<月夜見>の全体について理解する。
簡単に要約すればこうだ。
ルーニーが出す試練を乗り越えれば、その試練に釣り合うだけのご褒美――新しい能力が授けられる。
だが試練というからには、簡単にクリアできるようなものであってはならない。その時利用できるのが、対戦者の存在。
つまり一対一の形式で、相手側に圧倒的に有利なゲームが展開される。今回の場合、それがアワンに関するクイズ。
確かにこれは、アワンの記憶を全て見ているユウキがどう考えても有利だ。まだ数週間の付き合いであるムメイとは、明らかに条件は対等ではない。
ここから分かるのは、おそらく対戦者の最も勝率が高い勝負が選定されるのだろう。そうなれば、その相手と戦うことになるムメイは圧倒的に不利になる道理。
そしてゲームに勝利し、試練をクリアすれば、能力が貰えるというわけだ。
それがムメイの魔術――<月夜見>。
つまりは――
(こいつ……!! 天術魔術の原理原則を、自分の能力にしやがった!!)
どこかで聞いたことのあるようなシステム。これはまさに、天術と魔術の体系。その模倣だ。
神や悪魔に代価を支払い、その代わりに力が得られるのが術の基本システム。それを、丸々自分の能力にしたのだ。
つまり神や悪魔の代わりがルーニー。彼女に支払う代価が、己の命だ。
(どんな生き方をしたら、そんな発想になるんだ!? 誰が思いつく!?)
この世界に生きとし生きる者達は、大小差はあれど、基本的に目的の神と根源の悪魔に敬意を払う。なぜなら唯一、超常の力をくれる存在だからだ。
だから無神論者は滅多とおらず、この術のシステムにも絶対的敬意を払う。この法則に従わない者はいないと言っていい。だから――
神でも悪魔でもない、別の存在から力を貰おうなど、そんな馬鹿な発想には絶対にならないのだ。
考えついても普通やらない。というかできない。
(そもそも、これは意味があるのか!? 魔術で同じことをすればいいだけじゃないのか!? 一体何のために――っ!!)
予想のはるか上を行く奇想天外な能力に、ユウキは飲み込まれる。しかしなんとか理解に努めようとする。なぜか考えれば考えるほどに理解から遠ざかっていくが、とにかく考え続けた。
考え続けないと、怖かったから。
そして、辿り着く。今の恐怖が生ぬるいと感じるほどの、恐ろしい事実へと。
(そうか……分かった! 分かったぞ!! こいつの狙い!!)
己の命と引き換えの能力は、やはり強大となる。
神や悪魔は生物の命そのものに大した価値は付けないが、やはり生物にとっては命こそが最も大切なものとなるからだ。
基本的には代価は、その人間がどれだけそれを大切にしているかに左右される。
だから時間を超えるほどの、究極の代価が命という評価は、極めて妥当なもの。
しかし命を献上する場合、当然発動できる能力は一回限り。得られる能力は一個限り。なぜなら生物に命は一つだから。
仮に今回のムメイの力と全く同じことを悪魔に要求すれば、おそらく実現自体は可能だろう。だがやはりそれは、一回限りとなる。
だからムメイは、天術魔術のシステムを、己の能力とした。何度でも命を懸け、何個でも能力を得られるように。
つまりこれは――
(複数回試練を行うことが前提の能力!! こいつ、正気じゃない!! これをこの先も続けるつもりなのか!?)
繰り返すが、アワンに対する知識では、アワンの記憶を全て有するユウキが圧倒的に有利。ユウキが最も勝てる可能性のある勝負が選定されている。負けるはずがない。
ただの遊びなら笑える話だが、これに命が懸かって来るとなると全く笑えない。それは対戦相手であるユウキでさえもだ。
しかもどんな内容の試練が課されるのかはその瞬間まで本人にも分からない。その試練を超えて、どれほどの能力が得られるのかも分からない。
こんなの――
(馬鹿げている!! いや、神や悪魔をまとめて馬鹿にしている!! こんな術が許されていいはずがない!!)
ユウキの<妖精の丘>は、生涯に一回限りという条件を神と約束した能力だ。一度発動すれば、もう二度と同じ能力は使えない。ユウキの正真正銘、最後の切り札。
通常はそういった方法で神に覚悟を示し、さらなる力を得るのが一般的だ。ユウキのこれはむしろ上限いっぱいの最大級の代価に値する。
つまり命なんか懸けなくとも、少し工夫すればこれだけの強能力を得ることができるのだ。
ムメイの才能は、少なく見積もってもユウキと同等だろう。
ならば、わざわざこんな能力にする必要はない。こんなことをしなくとも、力は手に入る。不確かな能力を得るために、何度も己の命を差し出すことなどせずとも。
それも、相手は神でも悪魔でもない。自分が生み出したふざけた妖精に――
(そんな……そんなに追い詰められてなかっただろ!? まだそんな状況じゃなかったはずだ!!)
視界が揺れる。
唇は震え、手も、足まで震える始末。
ユウキは理解不能の狂人を前に――はっきりと恐怖した。
確かにユウキの思い通りに事は進んでいた。
しかし、ユウキはまだ、ムメイ相手に一撃も入れることはできていない。それも事実。
大局的に見れば、切り札を切るタイミングとしてはこれ以上ないものだったのかもしれない。だが、早々に命を懸けるほどの局面でもなかったはずだ。
それは、覚悟の違い――ではない。
思想、人格、魂――もっと奥深くの、人間的な根底の大きなずれ。
それに直面したユウキは、震えあがった。
相手は同じ人外であるはずの――吸血鬼。
しかしユウキは初めて、この日、この瞬間――
真の意味で、人の恐ろしさを知った。
「能力一つを得るために……命を? そんな……馬鹿なことが。それも……自分に不利な内容で……。ありえない……」
「だから試練だろ?」
恐れが形として出て行ったユウキの言葉に対し、当然のように答える吸血鬼の姿に――
獣は震え、慄く。
決してハッタリや強がりの類ではないという確信が、その表情と、何より揺るがない気配に現れていたから。
理解を超える――狂人の思想。
まるで別の世界から迷い込んだ――異形の怪物。
化け物が、嗤う。
凡才と才能を比較し、それで満足する天才を――嘲笑う。
「アワンに教えて貰ったのさ。術は、その人間の本質を表すと。理解こそが、力だと」
それは――強欲にして、傲慢。
神をも揶揄う――悪戯鬼。
悪魔に遊びを持ち掛ける――狂鬼。
「月が見れることを、当たり前のことだと思うんじゃねえよ」
ムメイ・ヤレーアハ。
この世界の――異物だった。
(こ、こいつ……!! イカレてる!!)




