第067話 月夜見
「――君さ……もしかして勝てると思ってない?」
<反教底位>の反動に頭を押さえて苦しんでいたユウキは、ようやく立ち直る。
その間俺はというと、ようやく実感してきた毒の脅威に体を慣らしていた。
つまり今の時間、互いに特に必要もない、自業自得の産物に苦しめられていたというわけだ。
調子に乗って汚染源を蹴りまくったツケと、調子に乗って他人の能力を使いまくったツケ。
馬鹿二人は、ようやくそれぞれのツケを新たなツケによって清算し(できてない)、戦場への復帰を果たす。
「そりゃ思うだろ。負けると思って戦う奴いるか?」
「いるでしょ。戦うみんながみんな命懸けだと思うなよ? ジャイアントキリングなんて実際そうそう起こるもんじゃなし。時間稼ぎとか玉砕覚悟とか、現実じゃむしろそっちの方が多いくらいじゃないか?」
「間違いないな」
体のいい言い訳は、正論で返される。
この時点で分かった。ユウキの言いたいことはそういうことではないと。
俺にとっては、図星を突かれたと言っても良い。いや、それ以上だ。
「どーせ最終的には自分が勝つって心のどっかで思ってんだろ? 毒はアワンが見事浄化して、毒源のボクは君が叩いて一件落着。コロノス領に再び見舞われた悪夢は勇者たちの手によって無事解決されましたとさ! めでたしめでたし!」
「…………」
当然それが俺たちの理想だ。
しかも、実際にそうなりつつある。つまるところ、ユウキが言いたいのは――
「そういう流れを思い描いてんだろ? だってもうそのための舞台が整っちゃってるもんね。決まった結末に誰かが向かわせようとしているみたいだ」
「…………」
「と思えば敵は特に何もせず馬鹿正直に吸血鬼と一騎討ち。気持ちよくサンドバックになってくれる話の分かる奴……まるで舞台装置だよ。違和感とか持たないのかな?」
――そうはならない。そううまくはいかない。
俺たちが思い描く未来は決して訪れることはないと、ユウキはそう言いたいのだ。
その確固たる自信が、ユウキにはある。
(ハッタリじゃないな……少なくとも、考えなしではない)
俺はユウキの言い分を、喉につっかえることもなくするりと飲み込む。
ここまで言うからには、彼なりに、何らかの根拠があるのだと。
ここまで戦ってみた感じ、突発的な事態への対処などから鑑みれば、ユウキは確かに想定が甘いところがある。
それは俺という脅威を測り間違えていた点から始まり、何度も同じ技にやられる対応力の低さ、想定外の反撃に一々取り乱す精神的若さ――総じて、見積もりが甘い。それは確かだ。
しかし、決して考えなしではない。それはアワンをこの国の、この領地に見事帰してみせたことや、俺をこの聖域におびき寄せ、閉じ込めた手腕から見ても疑いようのない事実。
ガリライヤーでの威力偵察から、いずれ吸血鬼との戦闘は絶対に避けられないと想定し、戦うならば自分に有利なフィールドでなければと自覚し、ここに色々と戦いの準備なども用意していた。
この辺りを総合すると、12歳の子供としては至って妥当。むしろ賢いとすら言える。全部が全部完璧ではないあたりも、かなりリアルな相手だ。
運でこの状況を引き寄せたという見方も確かにできるが、そうなると確かな運も持っているということになる。
むしろ決して舐めてかかっていい相手ではなく、12使徒という看板も名前負けしていないという見方は妥当。戦闘経験の少なさをカバーして余りある膨大な才能と能力を有した――強敵。
事ここに至って、俺もユウキを格下とは全く思っていなかった。
だが、負けると思っているかという問題ならば話は別だ。
俺は勝つことを前提にここまで戦っているし、最終的に決して負けるとも思っていない。
この程度の試練は数々乗り越えてきたという自負と確かな実績が、俺に敗北の未来 ――そのビジョンを取り上げる。このイメージはいい意味でも悪い意味でもそうそう振り払えるものではない。
なぜなら俺には、初戦で魔王に勝ったという絶対の経験がある。この実績はおそらくこの世に唯一俺だけ。これまでも、そしてこれからも塗り替えられることはないだろう。
だがらユウキの言いたいことも分かるというもの。そういう空気が俺から薄っすらと醸し出されているということだろう。どうせ勝つのは俺という空気が。
相手に舐められているかどうかなんて、日常生活の中であってもなんとなくの感覚で分かるものだ。厳密には俺は舐めているわけではないが、そんな言い訳を口にすることに意味はない。
結論として、ユウキが言いたいことはつまりこうだ。
吸血鬼は一騎討ちに勝つ絶対の自信を持っている。そして毒の方もアワンがきっとなんとかすると信じている。そうなることが当然であるかのように。その未来しかないとでもいうように。
だが、そうはならない。なぜ敵がいてその未来を許すというのか。
どちらも見通しが甘すぎる。決してそんな都合の良い未来が訪れることはない――と。
(俺のことも言ってるんだろうが……今言いたいのあっちだろうな)
「お前がアワンの妨害に動かないことには、確かに違和感を持っていた。だが俺一人に圧倒されている今、不自然とまでは言い切れないだろ?」
ユウキの立場になってみれば、アワンに好き勝手動かれるのは容認できない事態のはずだ。
彼はアワンの記憶を見ている。ならば彼女が行おうとしている儀式がどういった目的で何のために行われているのか、既に知っているということだ。
毒の脅威を取り除かれるということは、人という悪霊をこれ以上祓えなくなることを意味する。すなわちそれは、ユウキの敗亡。
だが、ここに吸血鬼との死闘という要素が入り込めば、アワンを見送ることも不自然とまでは言えない。
現状ユウキは、まだ俺に満足なダメージすら与えることもできずにいる。こちらに手一杯で、他に気を回す余裕がない。既に中毒した毒を無効化されようとも、その後再び自分の手で毒を振りまけばいい。
そのためにはまず、最も厄介な吸血鬼の排除を優先。コイツさえ倒せば後はどうとでもなる。
――そのような考え方が、この状況では自然と言えるだろう。現に俺がユウキの立場ならそう思う。
全精力を傾け、真っ先に叩くべきはムメイだと。
こちらからしても同じことだ。結局は、ユウキ本体をなんとかしないことには話にならない。彼が生きている限り、今行われているはずのアワンの天術も本当の意味で活きることはない。
最初から分かっていたこと。勝つためには、俺とアワン。二つの成功が不可欠だと。
「確かにね。でもこう考えてもいいんじゃないか? こんなところで吸血鬼と遊んでいられるのは、既に妨害は終わっているからだと」
「っ!」
目を見開く俺に、ユウキの笑みは深まる。
それは――悪意だ。それも最も厄介で、邪悪な類。
人の心を弄ぶ――無邪気な子供の悪戯。
「ああ……今の君には分からないんだったね。じゃあボクが代わりに見てあげるよ。<反教底位>」
人間の聴覚では聞き取れない、超音波。
微細な振動によって揺れる空気の音まで、吸血鬼の聴覚は容易く聞き取る。
その音がどこへ向かっているのかも、俺には分かった。まあ、この会話の流れで分からない者も少ないだろうが。
「い"!? ……ってぇなほんと!! なんだよこれ!! 欠陥能力なんじゃないか!?」
再び負担を超える情報量が脳に流れ込んできたのだろう。ユウキが瞬間的な痛みによる苛立ちを発露する。
俺にとっては、結構新鮮な発見だった。他の人間が使うとどうなるのかという問題への答えが、こうして見られるのは。
「こんなのどう頑張ったって一瞬しか無理だろ!! 使いものにならない!! ゴミみたいな力だ!!」
「じゃあ返せよ」
「やだね!!」
(…………改めて考えると、不思議だな)
吸血鬼でもないのに、超音波が出せるらしい。
だが脳の負担は俺ではなく、術者本人。他の技にしてもそうだ。吸血鬼の種族的能力は、本来吸血鬼の俺しか発動できないはず。
俺の頭の常識では、その体が俺でない限り使えない――となるのだが、やはり異世界の法則に異世界人の常識は通用しないようだ。
ただ起こっている現実を素直に受け入れるしかない。文句を言っても誰も助けてはくれないのだから。
「まあでも一瞬でも知りたいことは知れたよ。やっぱりボクの勝ちみたいだ」
「…………」
分かることは、向こうで何かがあった。
しかし、今の俺にはその具体的な内容までは分からない。
あと一つ分かることと言えば――
「希望なんかあるわけないだろ? だから悪夢なんだ」
事態は、俺の想定を超えているということ。
***
場所は代わって、中心街。
もう一つの汚染源たるレイラを食い止めるのは、ケイン・ブーノス。
彼の作戦は無謀な特攻にして肉の壁。自身がレイラの動きを封じている間に、展開した騎士たちによる速やかな避難誘導。
これまでは直線で進んでいた毒が、一箇所に留まり、全方向へと緩やかに散布される。これにより指向性の不規則がなくなり、誰がどこへ向かって逃げればいいかがはっきりとする。
ケインの馬鹿げた策は、確かに人の命を救っていた。
しかし――
「――ケイン様……」
毒は着々と、ケインの体を蝕む。
呼吸と脈は乱れ、体温も暑いのか寒いのか分からない。
手足は震え、舌が痺れる。ケインは自身の終わりが近づいてくるのを、確かに感じていた。
だから――
「レイラ……俺がもし死んだら、ケイン・ブーノスは割とやる男だったって語り継いでくれ。脚色でいいから、できるだけ話盛っといてくれ」
ケインは目を閉じ、最期の言葉を残す。
遺言にしてはあまりにも情けない、むしろ懇願のような内容。
些か早い気もするが、喋れるうちに喋っておきたかったのだ。毒の進行具合などケインに分かるはずもないし、彼は気短な性格でもある。
自身の口元が緩やかに動いていることにも、ケインは気が付かない。
「ケイン様!」
「いやよくないことだってのは、俺だってわかってるよ? けどありのまま伝えられると俺も立つ瀬がないって言うかさ……誰にだって尖ってる時期はあんだろ? 特にアワンとの一騎討ちの件なんかは伏せてくれ。学園での素行とか、その辺も上手く隠してもらえると……」
レイラの声が責めているように感じ、言い訳がましくなってしまう。
だが、そこまで高望みな要求ではないだろう。客観的に見て、ケインの行動も語り継がれるに値するはずだ。少しばかり死に行く者の心を汲んでくれてもバチは当たらないというもの。
「ケイン様! ケイン様!!」
「分かってるってカッコ悪いってことは。でも俺だって最期くらい――」
「聞け! この馬鹿王子!!」
「い"っ!?」
突然顎に激突した固いものに、ケインの顔は仰け反る。
信じがたい威力の突き上げだ。石頭という言葉が脳裏にチラつき――そんな意識さえも一瞬手放しそうになるほど。
誰がそんなことをしたのかは、考えるまでもない。これで犯人を間違うほど、ケインも馬鹿ではないのだ。
死にかけの男に対してなんてことをするのかと、苛立ちに目を見開く。そこには当然、犯人の顔があった。
「――ってぇな! なんだよ食いしん坊メイド!!」
馬鹿王子のメイドは、食いしん坊だった。特に甘いものへの執念が凄い。
ふんだんの生クリームホイップが泥パックのように塗りたくられたホールケーキを、丸々一つ平らげたところを見た時は、ケインですらドン引きしたほどだ。
あれでケインの中の女への幻想は粉々に砕かれた。ケイン宛に贈られたお菓子などをレイラがかなりの頻度でつまんでいることも、彼は知っている。
だがそんなある種呑気な怒りも、レイラの次の言葉によって吹き飛ばされた。
まるで、そう――毒の霧が晴れるかのように。
「毒!! 消えてます!!」
「あ?」
目をかっ開き、視界を広げれば、確かに大気中に色が見えない。
十分に確認したあとレイラの体を見れば、つい先ほどまで絶えず彼女から吹き上がっていたものは、今は見る影もなかった。
見えるのは、希望に染まった女の表情だけ。
眼鏡越しに見える瞳は涙で潤み、真っ直ぐにケインを見つめていた。
その視線に、毒のことなど一瞬忘れて、ケインは我に返る。
先ほど口にした言葉が、いやそれよりも前に口にした言葉も、レイラを抱きしめているこの現状も相まって、途轍もなく恥ずかしかったのだ。
「ほ、ほらな!! だから大丈夫だっつったじゃねえか!! やっぱ動き止めれば毒も止まるよ!! なはははっ!!」
慌ててレイラから離れ、彼女の体を手放す。
全く想定外の事態ではあったが、これこそ怪我の功名。
ただでは転ばない男だと、ケインは内心自賛する。なぜこんなことになっているのかは、さっぱりわからなかったが。
だが有難いことに、答えを知っている者が目の前にはいた。
「いえ……おそらく儀式が済んだのでしょう。アワンがやったんです」
「っ!!」
ケインの拘束から解放されたというのに、動き出さず、また再び毒が出てくる様子もない体を、レイラは確認する。
レイラを救ったのは、ケインではなかった。
だがそのことに対し、ケインに落胆も嫉妬もない。ただあるのは――
「そうか……そうか!!」
鼓動を早めるような興奮と、胸を焦がすような熱気。
分かっていたことだ。ケインには分かっていた。だが、これを喜ばずにはいられない。
ケインはずっと前から知っていたのだ。
彼女こそが――
「そうか……アワンが!! アワンがやったのか!!」
「はい! ああっ……アワン……」
アワンこそが、勇者だと。
(やったんだな……アワン)
解放された喜びから、そして安堵から、涙を流し続けるレイラを、ケインは再び抱き寄せる。
恥ずかしいとか照れくさいとか、確かにあった。だがケインも、誰かと喜びを分かち合いたかった。
それに、泣いている女には胸を貸さなければならない。これくらいのルールは流石にケインも男として知っていた。
だが想いだけは、別の女へ。いつか世界を救うと信じ、憧れていた女の成功を、心から祝福した。
女を抱きしめながら、別の女のことを想うという最低の暴挙。しかし今だけは、レイラも文句は言わない。
彼女も、同じ気持ちだったからだ。
これで、悪夢は終わる。
そう信じて疑わない人の心に――
悪魔は、付け込む。
「<イチジクの葉>!!」
「きゃあっ!?」
詠唱が聞こえた瞬間、ケインの体は即座に動き出す。
それは、ほとんど反射だった。毒によって鋭敏化した神経が、意識よりも前に察知したのかもしれない。
しかし同じく毒により鈍化した肉体の動きにより、回避までは叶わなかった。
強風、いや暴風に成すすべなく飛ばされながら、レイラを庇うように抱きしめることで精一杯。しかし体幹を駆使し、なんとか空中で体勢を維持する。
(何が!? 誰だっ!?)
渦巻く混乱と、流れる視界の中、ケインは確かに捉える。その姿を。
そして着地し、大地の上を滑っていく時には、既に正体にも辿り着いていた。
「ナトゥ!!」
それは、本来ケインの仲間であるはずの女だった。
味方からの攻撃。しかしここにきて何かの間違いだとか思うほど、ケインも楽観的ではない。
嫌な予感、いやはっきりと、裏切りという文字が脳内に浮かびあがる。
ただ――
「お前も操られているのか!? どうやって拘束を解いた!?」
仲間を信じたいという心までは、捨てきれなかった。そんな微妙な胸中が、二つの問いをケインの口から吐き出させる。
吸血鬼の暴力によって、両足の機能を奪われたナトゥ。
しかし彼女は回復が使えることから、四肢を完全拘束、詠唱ができないよう口も封じた上で、大聖堂の一室に避難させていた。
これはナトゥの微妙な立場による措置だ。敵に操られていたというのなら、彼女に非はなく、ロフォス家がどこまでユウキに手を貸し、今回の一件にどこまで関与しているのかも未だ不透明。この現状化では、公私ともにまだ処罰という段階ではない。
だから、安全な場所に匿うという体裁で、拘束していたのだ。ナトゥ一人ではどうにもならない程度の拘束を施したはず。
ならば自然に考えて、誰かが彼女を解き放ったということだ。協力者がいる。
「操られる? そんな安っぽい女と一緒にしないでいただけるかしら? 拘束も自分で抜け出したのよ。造作もなかったわ」
(意識がある……憑依じゃないのか? レイラと同じパターンでもない?)
口調、態度、表情――どれもケインの知るナトゥだ。しかしケインは、ナトゥの中にユウキが乗り移っていたという事実を見破れなかった。
今回もそうでないという保証はない。しかし、本当になんとなくではあるが、目の前に立つのはナトゥ本人であるような気がした。
ならば――
「レイラ……下がれ」
ケインはレイラを背中に隠し、これ見よがしに剣を抜く。
そんなケインの態度にも、動じないナトゥの姿に、警戒はさらなるものとなった。
不意打ちの攻撃。明らかな敵対行動を取っている者を、例え仲間でも心を許すわけにはいかない。そしてもしナトゥが敵なのであれば、これを止めるのはケインの役目だ。
「じゃあ裏切りってことだよな? 俺の頭のデキは知ってるだろ? 敵か味方かのどっちかで教えてくれ。あとできるだけ分かりやすい言葉で説明してくれ」
「説明することは当然みたいに進めるのね。まあいいわ、私は《《あなたの》》味方だから」
「え!? 味方!?」
その答えには、流石にケインも驚く。
空気的に敵に回ったのだと思っていたから。ケインもさすがにそういった雰囲気を悟れない程鈍くはない。しかし本人は余裕綽々の笑みで味方と言い切る。得物を手に取ったケインへの警戒も感じられない。これは――
(もしかして……まだ残ってた毒を吹き飛ばしてくれたのか? 助けてくれた?)
そう考えると、そんな感じもしてくる。
アワンの術の成功を知らないのであれば、レイラは彼女の目から見て汚染源だ。そんな女に密着しているケインを助けようとしたのでは。そんな気がしてきた。
「そんなわけないでしょ!? この馬鹿!!」
だが、そんな思考は、物理的衝撃によって消え去る。
後頭部を叩かれたことで、ケインの頭の中から追い出されたのだ。
「叩くなよ! あいつ味方って言ってんだろうが!!」
「《《あなたの》》味方って言ったの! つまりあなた以外は全員敵ってこと! あなたは皆を救いたいんだから、つまり彼女はあなたの敵になるの!! 分かる!? というか分かれ!! お約束でしょうが!!」
「ややこしいこというなよ!! じゃあ結局どっちなんだ!?」
「敵!! 敵敵敵敵!! てきぃ!!」
脳に刷り込むような連呼に、ようやくケインも実感してくる。敵なのかと。
確かにそう言われると、このタイミングで出てくるのは敵のような気もする。
味方なら、もっとピンチの時に駆けつけてくれるはずだ。
「目障りな女だわ……いつもケインの周りをチョロチョロと。死ねばよかったのに」
「これは……敵だ!」
「はぁ……良かった」
その発言から、ようやくナトゥを敵認定したケインの姿に、ほっと胸を撫でおろし、安堵の息を吐きだすレイラ。
一見おふざけのような空気だが、ケインは大まじめだった。
なぜなら仲間が、敵になっているのだから。それも、間違いでなければ自分の意志で。衝撃も、動揺も、ことさら大きい。
「ナトゥ……どうしてなんだ?」
「どうしてって、逆に私はどうするのが正解なの? このまま指を咥えて眺めてるだけじゃ、どう転んでも私は幸せにはなれないでしょ?」
ユウキを生み出した責任問題の話だろう。
彼女はさらに王族の一人を刺している。操られていたとはいえ、実行犯だ。自暴自棄になるのも分かるというもの。だが――
「んなことねえだろ。そりゃあロフォス家は何らかの罰を受けるかもしれないが、アワンの例だってある。俺を刺したことなら仲間内のゴタゴタで不問にしてやるから……そしたらお前にも情状酌量? の余地はあんだろうが!」
「凄い……成長しましたね」
「うるせえ!」
頭が痛くなるくらいに考え、なんとか説得の言葉を吐きだす。
後ろから聞こえた深い感嘆の声を茶化しだと一蹴し、ケインの視線と注目は変わらずナトゥへと。
だが、そんなケインがここでは浮いているかのように――
「ほんとに可愛いわね。大型犬を見ているようだわ。だけどお生憎……私は悲劇のヒロインに収まるほどカワイイ女じゃないの」
「知ってます。別に可愛くないですし」
「口を開かないでくれるかしら? ブスが移るわ」
「気づいてないんですか? もう移ってますよ」
――二人は既にお互いを完全な敵として認識しているようだった。
未だ覚悟か固まっていないのはケインのみ。そう思いたくはなかったが、続けてナトゥの口から聞かされた事実には、ケインでさえ、己の思い違いを受け入れざるを得なかった。
「力で無理やり従わされていた者達と、私は違う。私は自分の意志であの御方に手を貸していた。今ここにいるのも、私の意思」
「っ!?」
それは――人だ。
人間という種の、狂気。
「約束したのよ。あの御方がこの国を落とした暁には、私をペットとして飼って下さると。だからどれだけ死のうとも、私だけは生き残る。この先人類がどうなろうとも、私だけは。12使徒の庇護を受ける……これほど安全な場所もないでしょ?」
それを、ごく当たり前のことのように淡々と語るナトゥの姿に――
ケインは生まれて初めて――人を知った。
「私は勝ち馬に乗るの。あなたにも分かるようにはっきり言ってあげましょうか? 私のものになりなさいケイン。あなたを、助けてあげるから」
それは、毒の影響なのか。
膝が震え、足元すら不確かな感覚。ここは本当に地面の上なのか、いや、ここは本当にケインの知る世界なのか――それすらも分からない。
全く未知の世界に迷い込んでしまったのではとすら思わせる。正直ケインは、怖かった。
しかしそんな中、平静を崩さないのは、人を知る者だ。
彼女はケインよりも、もっとずっと前から、人の醜さを知っていた。
「勝ち馬? 敗者に未来はありませんよ?」
「呆れた……本気で勝てると思ってるなんて」
まるでナトゥがそんなことをする人間だと分かっていたかのように、平然と言葉を交わす。むしろ敵に回る方が自然だとばかりに。
「それはこちらのセリフです。今あなたの主人が戦っている相手が、誰だか分かっていないようですね? 彼は戯れで壁を粉砕する怪物。足の傷をもうお忘れですか?」
「…………」
思い出したのか、ナトゥが苦い顔をする。
その通りだ。あの吸血鬼は、壁に到達しているナトゥをいとも簡単に無力化してみせた。相手がケインであっても結果は同じだろう。薄い壁が二枚になるようなもの。あれに勝てる存在がいるとは思えない。
「ここにいるのが主人ではなくあなたであり、毒も成すすべもなく排除されている現状こそが答えです。あなたのご主人様は、きっと今それどころじゃないんですよ。今頃泣きべそかいてるんじゃないですか?」
レイラの言葉は、正論だった。
なぜならユウキは未だ、街に姿を見せていない。ユウキ自身が毒を振りまいた方が効率がいいことなど、ケインにも分かることだ。
ならば、それができない理由があるのだ。しかも、アワンの術の発動さえも許している。
どう考えても、今有利なのはこちら。
正論だった。そう――《《だった》》のだ。
「毒を……なんですって?」
だが、そのどこまでも邪悪な、途轍もない悪意を孕んだ笑みに――幻想と悟る。
そして打ち砕かれた幻想は、瞬く間に現実と化した。
「レイラ、行ってくれ」
ナトゥの体から噴き出したものの正体。
それに言葉さえ出せず立ちすくむレイラを、ケインは後ろへと下がらせる。そして、背後の壁を解除した。
「行くって……どこに?」
まだ絶望から浮上しきれていない。震える声が、それをケインに教える。
しかし、慰めているような時間はなかった。既に毒に侵されているケインには時間がなく、これからどこまで時間を稼げるかも分からない。
ケインをして、やはり命懸けだ。今は一刻も早く、レイラをここから遠ざけたかった。
「決まってるだろ、アワンのところだ。<大地の祝福>」
ケインは振り返ることなく、魔術を発動する。
大地の上を駆ける者の移動速度を上昇させるスキルだ。レイラはケインの術を知っているので、言葉にしなくとも意図は伝わるはず。
「きっと、お前の力が必要だ。彼女を……助けてやってくれ」
それは、ここから逃がすための方便――ではない。
ケインは直感だけで、それこそが正しいと悟る。そしてそれは、間違っていなかった。
「行け!!」
「行かせるわけないでしょ!!」
叫びは、ほぼ同時。ナトゥのターゲッティングは、走り出したレイラの背へ。
しかし――
先手を取ったのは、ケインだった。
「<ゴルゴタの丘>!!」
地の利のあるケインが、この場を先制した。
大地が動き出す。
それはまるで、世界から二人だけを閉じ込めるかのように。
レイラを送り出すように優しく、背を押すように力強く――瞬く間に作り上げられた巨大な丘。
その中にあって、波打つ地に立ち続け、即席のリングに残ったのは、たったの二人。
コロノスの大地で向かい合ったのは、壁に到達した――
選ばれた勇士たちだった。
「ナトゥ……俺は手加減が苦手だ。戦うとなれば、女だろうと容赦はできない」
それは、ケインにとって苦い記憶。
そして共通のその記憶を、ナトゥは鼻で笑った。
「含蓄があるわね。でもそれって矛盾してるんじゃない? 本当に女に容赦しない男は、そんなこと言わないと思うわよ?」
己の弱さを的確に見抜いた挑発に、ケインは言葉を返せなかった。
ケインはまだ、人を殺したことがない。そして、それを平然と行える類の人間でもない。
ことここに至ってでさえ、ナトゥを傷つけたくないと思っていた。
だが――
「ナトゥ……最後の警告だ。殺したくない」
「あなたこそ大丈夫? 毒……結構効いてるんでしょ?」
かつてコイラスからは――英雄が消えた。
しかし、英雄は――
***
「――そんな!? どうして!?」
突然様子の変わったアワンの気配に、ルルワは多大な不安感を覚えながら、駆け寄る。
彼女は今にも頭を抱え込みそうな表情で、取り乱していた。
聖杯を確認し、床に描かれた血の紋様を確認し、何を確認すればいいのか確認するように、一点を見つめる。
しかし答えがどこにも見当たらなかったのか、瞳だけが細かく左右へと揺れ、ブツブツと口の中で何らかの言葉を転がす。
明らかに、平静ではなかった。
「どうしたの!? 何が起こったの!?」
半ば答えを知りながらも、それでもルルワは問いかける。問わないわけにはいかない。
滑り込む様にアワンの前へと回り、答えを待つ。
アワンがゆっくりと顔をあげる。その顔を見た瞬間に、ルルワは悟った。
それは――絶望だと。
「失敗しました……。儀式が……失敗したんです!!」
「そんな……」
これだけ用意して、これだけ万全で挑んで――
満を持して発動した術が――失敗した。
血の気が引いていくような感覚。対照的に、焦りだけは加速する。
だが、ルルワは努めて冷静を心がけた。冷静であったのではなく、冷静を決め込む。
焦っても事態は動かない。嘆いても誰かが助けてくれるわけでもない。
それをルルワは知っていたから。だが、彼女も混乱は避けられない。
「たまたま上手くいかなったって可能性は……ないのよね?」
「あり得ません!! そんな!! こんな……こんなことが!!」
「落ち着いてアワン!! 取り乱してる時間はないでしょ!?」
思った以上の狼狽。涙さえ瞳に溜める程の狂乱を、ルルワは物理的に抑え込む。
両肩を力強く掴むと、それだけでアワンの身動きは封じられた。
その隙にルルワは顔を突き出し、無理やり目を合わせる。自身の中の不安は、丸ごとその仮面の下に隠して。
「しっかりしなさい。勇者なんでしょ?」
「は、はい!!」
これが一番効くと分かっている言葉を、内心ズルいとは思いつつも、ぶつける。
覚悟ならとっくに決めているはずなのだ。予想通り、アワンは責任を思い出し、強引に己の心を静めた。
だがそれはスタートラインに過ぎない。心を落ち着ければ、問題と向き合う必要がある。
「とりあえず、失敗の原因を究明するしかないわね。何か思い当たることは?」
「扉……」
「それ以外にないかしら?」
それは、失敗したという言葉を聞いた瞬間に、ルルワの頭にも真っ先に飛び出たことだ。その時は慌てて握りつぶしたが、今回は念入りにすり潰した上で見ないふりもする。とにかく原因はそれじゃないと信じたい。というかそうだった場合、もうどうしようもない。
「慎重に、じっくり考えましょ。別に一回限りの能力ってわけでもないんでしょ?」
ルルワは自身に言い聞かせる。
だから予想と違う、期待と違うアワンの答えに、心が折れかけた。
「術自体は、何度でも行使できます。ですが……」
絶望は――畳みかける。
「私の天力では、一日に一度が限度なんです」
「なんっ……ですって……」
つまり、今日はもう発動できないということ。
7年前は、一夜にして一万人が死んだ毒。それが――
「――シェメシュ様!! 勇者ルルワ・シェメシュ様!!」
その時、大聖堂に訪れたのは、騎士の一人だ。
声が聞こえた瞬間に、ルルワはそれが伝令だと理解する。だから、即座に声を張り上げた。
「ここよ!! どうしたの!?」
その声に導かれるように、大祭壇の間へと騎士は駆け込む。
密かに吉報を期待していたルルワへ、さらなる凶報を届けに。
「新たな汚染源が発生しました!! それも全く別の場所から、同時に二つです!!」
「なんですって!?」
絶望は――終わらない。
それはまさに――悪夢だった。
***
「――記憶も見れると言ったろ? 無駄なんだよ、何をしようとね」
ユウキが説明した現在進行中の現状に、自軍のこの上ない旗色の悪さを俺は痛感する。確かに、ユウキが勝ちを確信するだけはあると。
「基本的に……<混沌術>は一度創るとやり直しが効かない。後から多大な余白を消費して能力を付け足すことなんかは出来るけど、修正はできない。だからみんな、長い時間をかけて慎重に能力を生み出すんだ。一生に一度の混沌――それこそが混沌術」
「…………」
ご高説は、耳に入る頃には説教へと移行する。
俺の中にある罪の意識が、勝手にそう思わせただけだが。
「でも、特異点により授けられた力は、少し違う。勝手に余白を潰した理不尽へのささやかなご褒美なのか、多少であれば改変も可能なんだ。もちろん能力の性質や方向性自体を曲げることはできないけど、今回はそれで十分」
「なるほどな……つまり、7年前とは毒そのものが違うのか」
「その通りさ」
だからアワンの儀式が失敗した。
アワンの記憶を見ていたユウキは、アワンの天術の内容すらも理解していた。だから毒の構造を少し改変するだけで良かったのだ。それだけでアワンの能力は無力化する。
つまりユウキは妨害できなかったのではない。する必要がないことを知っていたのだ。なぜなら、儀式の成功など、最初からあり得ないから。
「ボクがこの国にいる間、何もしていないと本当に思ってたのか? 毒の構造改変だけじゃない。汚染源の対象も、予め仕込んでおいたのさ」
「最初を一人だけにしたのは、確実に止めさせるためか」
「その通り! それが起動の合図なんだ。最初の一人が何らかの方法で動きを止められれば、毒はボクが予めマーキングしていた対象へと乗り移る。しかも、次は倍の二人! そこからはネズミ算的に増えていく仕様。だから最初の一人の選定こそ最も重要なのさ!」
毒の拡散者が一人だけだったのは、それが能力の上限だからだと思っていた。
そしてレイラを指名したのは、私怨だと。しかし、そうではない。ユウキは分かっていたのだ。レイラなら、アワンが必ず止めに動くことを。
その予想は狂い、今回アワンは儀式の方を優先したが、同じことだ。一人ならなんとかできるだろうと、俺も思っていた。
「もう一つの混沌術――憑依能力との併用さ。自能力同志の相互作用によって消費コストはある程度抑えられるんだ。どうせそういった応用術も知らないんだろ? また勉強になったね」
「…………」
術者は似た系統の能力でピースを揃えた方が、才能のコストは抑えられ、威力も強力になる。魔術師なら得意属性の術で固めた方が強力な術者になれるように。その基本前提の応用というわけだろう。
混沌術でも、元ある自分の能力を埋め込んだり引用したりする形にすれば、才能の消費をかなり抑えることができるようだ。
確かに勉強になったが、俺が今考えるべきことはそんなことではない。
「本当はあの女をアワンに止めさせるつもりだったんだ。助けた、助かったと思った感動的瞬間に、別の人間たちに毒は移る。その絶望の表情を見るためにこの能力をわざわざ付け足したっていうのに……また計画が狂ったよ」
「…………」
「まあでも、その代わり最高の顔が見れそうだし、いっか! 7年間必死扱いて準備した一世一代の術が失敗した時の表情って、一体どんなんだろうね? 今から見るのが楽しみでしょうがないよ!」
歪んだ愛。
自分のものにしたくて仕方がない。そのためには、心さえ折る。
いや、ユウキは最初から一貫していた。アワンの心を砕き、居場所を奪い、自分の元へと帰って来させる。
それだけが目的なのだ。アワンさえ手に入れば、それでいい。
(全部自分の思い通りって感じだな……今なら口も軽くなるか……)
「あっちの状況が良くないってことはよく分かった。だが結論は変わらないだろ? 結局は俺とお前、どっちか勝つかって話だ」
「その通りさ」
確かに大番狂わせ。こんなことは全く予測していなかった。
だがアワンが毒をなんとかできなくとも、ユウキがここで死ねば変わらない。俺たちの視点から見れば確かに痛手ではあるが、最悪ユウキさえ何とかすればまだ未来は開ける。
結局重要なのは、この戦いだ。ユウキがここで勝てないのなら、いくらあちらが思い通りに進んでいようが、関係ない。繰り返すが、それはこちらも同じ。
「またアワンに乗り移れる機会があるとでも? 俺に勝てるのか?」
「君こそ、まだ自分に勝ち目があると思ってるわけ? ハッキリ言わないと分かんないかな?」
太陽に雲がかかり、冷たい風が丘の上を走る。
それは――向かい風だ。ユウキの毒が風で運ばれ、俺の全身を包み込む。
「いいよ、君の疑問に答えてあげる。僕の<霊魂奉納>は、実質無制限だ」
それは、この勝負の根幹にして肝。
俺が最も知りたいことであり、ユウキが最も知らせたいことでもあった。
「……実質?」
「ここまできて、無駄な問答は君も臨んでいないだろう。神託聖域さ」
(っ! …………なるほど)
シンプルな回答。
それだけで、俺は答えに辿り着く。
「人間の魂を使って、自分の命を増やしているのか」
「ああ……だから実質、無制限なのさ」
「…………」
神託聖域によって、神の器と成り果てた人間たちの魂。それらを、己という器に閉じ込める力。
実質というのは、何人殺したかなど覚えていないということだろう。
少なくとも、俺が毒で動けなくなるまでに殺し尽くせるような数ではないと、ユウキは確信しているようだ。
つまり、実質無限の残機に等しい。脅威の力だ。それも、毒のタイムリミットと並行させられるこの状況では、必殺の力。
(なるほど……天才か……)
ようやく本当の意味で納得する。
能力同士の親和性が尋常ではない。これがアワンの言っていた、調整力というものなのだろう。
吸血鬼が納得の境地に至った時、空気は変わる。
それは勝ちを確信した者の高ぶり。ユウキは両手を広げ、少し気の早い勝利を迎え入れた。
「分かるか? 君は無限の命を持つボクの命を刈り取らなければならない! それも、いずれ毒で動けなくなる前に! 能力のほとんどを奪われたその状態で! 無敵の聖域で! できるか!? できないだろう!?」
風が吹く。
草花が揺れ、大気さえ揺れ動く。
それは、聖域が呼応しているようだった。少なくとも俺の目には、そう映った。
「ボクがこの地にいる時点で! この力を神から授かったその時点で! もう勝負は決まっていたんだ! これこそが神の力! これこそが天術だ!!」
神の寵愛を一身に受けた、黙示録の獣。
その姿は――聖域の光を帯び、どこまでも膨らむ。
「全ては神の思い通りになる!! この国はボクの聖域となる!!」
風は、どこまでも逆風。
まるでユウキを祝福するかのように、彼の背後から風は起こる。
「アワンはボクのものだ!!」
神が――
世界が――
確かに、彼の味方をしていた。
「…………」
神にも世界にも、何なら悪魔にも恐らく嫌われているだろう俺は、それを黙って見守ることしかできない。
いや、静かに、準備を進める。
神への反逆の意志を。世界に牙を剥く覚悟を。
それは――覚醒の狼煙だった。
「そもそも君が魔術師である時点で、端から条件は対等じゃないんだよ」
「何の話だ?」
一転、落ち着きを見せる急激な気配の変化には、もう慣れたものだ。
それよりも、悟りすら開くような穏やかな表情から繰り出されたその言葉の方が、俺には気になる。
こればっかりは、全く心当たりがなくて。
「だって神と悪魔じゃ、神が勝つに決まってるだろ? 神と人なんて言わずもがな。人の方が価値が高いとか宣う奴は、どれだけ思いあがってるんだろうね。勘違いも甚だしいよ」
『神と人、あなたはどちらの方が価値が高いと思いますか?』
教師の声が反芻する。
そして、ユウキが何を言いたいのかを――察した。
「そうか……お前もアワンから術を教わったんだったな」
「基礎をカジッた程度の君と横に並べられるのは、不服だけどね。あと君はボクのこと弟って言ってたけどさ、ボクは兄弟子に当たるから。兄より優秀な弟なんていないのさ。答え出ちゃったね」
(…………アワン)
できるなら、使わずにこの難局を乗り越えたかった。
それができると思っていた。いや、それくらいできなければ、この先魔王になんて勝てるわけがないと。
しかし、いややはり、そう甘くはなかった。
確かに俺はまだ一撃も貰ってはいない。毒のダメージも命を危ぶめるほどではない。切羽詰まっているかと言われれば微妙なところ。策を練れば、肉体能力だけでも勝利を収められる可能性はあるだろう。
だが――
『だから、私はあなたと戦う!! あなたに立ち向かう!!』
『もう、逃げない!!』
(ああ……信じてるよ)
俺は、決断する。
毒のことは、アワンに任せた。彼女ならきっとなんとかすると信頼する。
だから、ここで命を――魂を懸けよう。
「なら、試してみるか?」
「なに?」
勿体ないとか言っている場合ではない。
この戦闘で命を出し惜しんでいるようでは、これから先だって命を懸けられるはずがないのだ。
「ちょうどここに魔術師と天術師が揃ってるんだ。弟子対決であり、天才対決でもある。これ以上ない機会なんじゃないか?」
だから俺は、言葉によって自身の心を高ぶらせる。精神を奮い立たせる。
絶好の機会だと。ここしかないと。
「はぁ……ボクは同じことを何度も言うのは嫌いなんだけどな。言ったろ? 記憶も見れると。君がアワンから術を教わってから、まだ二週間も経ってない。それも、基礎基本だけだ。ハッタリもいい加減にしろよ」
ユウキは俺の気配から、その正体に思い至ったようだ。
だから俺は――笑う。最高の敵だと。
シチュエーション、掛け合い、頃合い、機会、場所、タイミング、雰囲気――全てが完璧。言うことがない。文句のつけようがない。
今ここでやらなければいつやるのかというレベルの境地。これ以上ない舞台。
本当に、最高だった。
俺はこの時を、この瞬間を――
ずっと待っていた。
「知ってるか? 別の世界では、神が追放という消極的な手段でしか対処できなかったものこそが――人の欲だということを」
「…………」
警戒と緊張が入り乱れる空間にあって、聖域は、その瞬間だけは、別の存在のものとなる。
その唯一無二のタイミング、刹那の一瞬を――
俺は、見逃さなかった。
「見せてやるよ。俺の欲望――」
それは――欲望の具現。
魂を代価に悪魔が授けるとされる――奇跡。
吸血鬼の強欲が、今――
世界を汚した。
「<月夜見>」




