第066話 誰かが誰かの勇者
絶望色濃いレイラの前に躍り出たのは――待ち望んでいた救援だ。
しかし、一番来てほしくなかった男でもある。
アダに似た顔立ち。似ても似つかない性格。
似つかわしくない、もはや似合わないと言えるほどの真剣な表情でレイラを待ち受けるのは――
「ケイン様!!」
ケイン・ブーノス。レイラの主人。
本来こんなところにいてはならない尊き血が、レイラの前に立ちはだかった。
「レイラ!! もう大丈夫だ!!」
「大丈夫じゃありません!! 逃げてください!!」
「っ!?」
ずっと待っていた助け。レイラを安心させようとする声を、拒絶する。
確かに助けは待っていた。しかし、彼ではない。
正直に言えば、レイラが待っていたのは本命で吸血鬼ムメイ、対抗で勇者ルルワ。あわよくば二人同時。早い話、この状況でもなんとかできるだけの力を持つ、絶対的強者だ。
確かにケインも、常人の域にはいない。それは間違いない。
しかし、あのアダでさえ衰弱させ、死に至らしめるほどの猛毒。それに打ち勝てる男だとは、到底思えなかった。
むしろ――
アダに似た顔立ちが、レイラの過去が、彼にこれ以上近づくことを――拒絶する。
「逃げてって……俺は助けに来たんだぞ!! 救援だ!!」
「だから!! 全然助けにならないから!! 逃げてぇ!!」
「はあっ!?」
まさか助けに来て帰れと言われるとは思っていなかったのか、さっきまでどこの英雄かと言わんばかりに凛々しかった表情が、いつもの馬鹿面へと戻る。
そんなケインの後方数メートルには、人の高さを超えるような土の壁。しかし、今のレイラからすればあまりに心もとない。
あんなものでレイラを止められると思っているのだろうか。これまでにも、障害物で道を塞いで止めようとした、勇気ある者達がいた。
しかし、全て失敗。正面を止めても、側面へ。側面を止めても、後ろに引き返して別の道へ。それをレイラの意志に関係なく体が勝手に行う。
目を閉じ、道が見えないようにしても無意味だった。まるでこの領地の地図は全て頭に入っているとばかりに、最短で脱出を図る。妨害者はその動きについて行けず、それよりも前に毒で死ぬ。
これまでのパターンから行動を予測すれば、レイラはこのまま十数メートル直進し毒圏内へとケインを巻き込むだろう。
壁が見えるからといって、今この場で方向転換するほど搭載されたナビの気は早くない。きっと壁の直前にまで到達したあとに、ルートを変える。そうなると、ケインは間違いなく毒に侵される。あと十数秒と経たずにだ。
だから、焦る。これ以上なく。
レイラを助けられる者が、この状況をなんとかできる者が、ケインだとは思えない。だから、レイラは叫び続けた。
「良いから逃げて!! 私の方が賢いでしょ!? ほんとに死んじゃうからぁ!!」
「…………」
子供のように泣きじゃくるレイラに対し、ケインは――
自ら、一歩を踏み出した。
レイラという女の人生を語るのに、そう時間はかからない。
英雄を生み出し、そして英雄を終わらせた女。
今から約17年も前の話、ロータル大谷グランド要塞を超えて北領域へと侵入した怪物がいた。
試練と呼ばれるその存在を迎え撃ったのは、勇者の血――エバ。しかし国際租界で起きたその激戦を終わらせたのは、彼女ではなかった。
生まれたばかりの赤子を人質に取る人外の敵に対し、窮地に陥った勇者を救ったのは、なんと護衛対象である王族の一人。
本来守られるべき存在が剣を取り、この状況を打開したのだ。
幼少期より勇者を夢見、高みを目指し続けた青年。しかし、初めての実戦。
彼はこの戦いで――英雄と呼ばれるようになった。
その時、彼に拾われた赤子こそがレイラ。彼女はこの世に新たな英雄を生み出した子供だった。
しかしその十数年後、他ならぬ彼女が英雄を終わらせる。
きっかけは人外。赤子を人質に取るような、悪。
もしかしたら彼女の持つ人外への忌避感は、記憶にすらない確かな記憶の残滓によるものなのかもしれない。
かくにも、レイラの行動によって、アダは死んだ。彼女だけが、そう思い続けている。
そして、今――
(また……!!)
何をトチ狂ったのか、自らも近づき始めるケインの姿に、レイラの頭はパニックに陥る。
もはや涙で視界さえ悪い状態だが、これだけは分かった。
レイラが近づき、ケインも近づく今、もはやぶつかるのは時間の問題ということが。そして――
また、一人死ぬ。レイラの――大事な人間が。
『勇者になる!! それが僕の夢だ!!』
『俺も同じだ。俺も……勇者になるのが夢だ』
勇者を夢見る――男が。
時間の感覚がゆっくりになる――ということもなく、その時はあまりにもあっけなくやってくる。
まさに心臓が止まるような衝撃。
だが、止まったのは別のものだ。
「ほらな……大丈夫だ」
「っ!?」
これまでは、ウンともスンとも言うことを聞かなかった肉体が――止まる。
それは、壁に遮られたからだ。それも前方、側方、後方までを封じる逃げ場のない壁に。
涙に濡れる目を見開けば、そこにはケインの顔。
彼は――レイラを抱きしめていた。
「なっ!?」
衝撃は、大きい。
当然だ。直接接触がどれだけ危険であるかは、レイラも、ケインもよく知る所。おそらくはユウキの毒に最も詳しい三者が、アワンを筆頭にしたレイラたちだろう。
つまり、ケインは知っているのだ。絶対に触れてはならないことを。
だから、レイラは想定できなかった。こんな馬鹿げた行動は。
「馬鹿っ!? 何やってるの!? 本当に死んじゃう!!」
「くっ……ぐっ! 大丈夫だ……俺の部下たちが、今必死に避難誘導してくれてる。だから……もう大丈夫だ」
目に見えて、余裕のない様子。
接触箇所から毒の煙が噴き出る。ほぼ全身だ。それは身を焼く熱気のように立ち昇り、これ以上にないほどの嫌な音を立てるから――
それがケインの命を削る音のように聞こえて、レイラは我慢できないのだ。
「違うでしょ!? あなたが死ぬの!! 何やってるのよ!! 馬鹿じゃないの!?」
「う"っ……! ぐう……!?」
自分の意志か、それとも操っているものの指示か、拘束を振り解こうと暴れるレイラの肉体を、ケインはそれでも離さない。
両手を回し、がっしりと抱え、抱き寄せ、密着させる。
こんな状況でもなければ、レイラでさえときめくほどの熱い抱擁。だが今は、本当にそんな場合ではなかった。
死が、にじり寄る。レイラにとっては、自分の死よりも恐ろしかった。
「やめて!! 本当に!! 早く離れて!!」
レイラにここまでさせるのは、やはり死に際のアダの姿が、脳裏にチラつくからだ。
最期には見る影もなくやせ細り、無念の中で死んでいった英雄の顔が。
その姿に、顔立ちの似たケインを重ねるなという方が無理な話。
トラウマが、呼び起こされる。彼女の身に、心に刻まれた、確かな傷が。
しかしそのトラウマを、悪夢を振り払うのは――
「うるせえッ!!」
「っ!?」
至近で浴びせられた男の怒号に、レイラの体は反射的に強張る。
涙も声も、まとめて引っ込んだような気分だった。男の怒鳴り声は、女性にとっては本能的な恐怖。それが、レイラの口を強制的に閉ざした。
「お前がどれだけ説得しても、どれだけ抵抗しても、俺は絶対離れん!! 馬鹿には何言っても無駄だから!! 諦めて大人しくしてろ!!」
「…………」
言葉が出なかった。馬鹿としか言いようがない。
自分が汚染源たるレイラを止めている間に、騎士たちに住人の避難を行わせる。
考えたって、思いついたって普通はやらない。こんな体当たりのような策を、本気で実行するなど。
ケインは分かっていないのか。このままレイラを止めていれば、自分がいずれ死ぬということを。
それも、早ければ今日の内だ。 今日死ぬのだ。恐ろしくないのか。
いや、気づいていないはずがない。
ケインという男はそこまで馬鹿ではない。ならば、なぜ――
(どうして……そこまで……)
レイラは毒に囲まれる視界の中、その男を見上げる。
自分を助けに来たという、馬鹿な男を。
「もっと……良い作戦はなかったんですか?」
「ああ? 時間が無かったんだよ。あの吸血鬼、頭良いくせに俺に作戦教えずに行っちまいやがった……。俺の頭じゃこれが限界だろ。むしろよく思いついたわ」
レイラは抵抗を諦め、ケインに身を預ける。
心なしか、体を動かす強制力も弱まった様な気がした。
毒の霧の中、男と女は抱き合う。
こんな状況だと言うのに、今だけは現実を忘れさせ、レイラを不思議な気持ちにさせた。
「レイラ、なんかいい考えないか? 助けてくれ」
「ぷっ! ふふっ……!」
だが、それも一瞬だ。
助けに来たという男が、助けられる女に対し助けを求める。
そのケインらしさが、レイラはおかしかった。彼はやはり、英雄というタイプの男ではない。図体がデカいだけのやんちゃ坊主だ。
不器用なだけの、真っ直ぐな男。
そして――割といい男だ。だから――
「ケイン様。お気持ちは嬉しいですが、どうか離れてください」
「あ?」
「私にとって、ケイン様は大恩あるお方。死なせたくないです」
「…………」
レイラの身分は、本来王族のメイドとして仕えられるようなものではない。周囲からのやっかみは避けられなかったはず。それでもケインは、レイラを側近として拾ってくれた。
それは、アワンへのご機嫌取りの一つだったのかもしれない。しかし、レイラが大きな恩を受けたのは事実だ。
職務の合間に、己の目標への時間もそれに取り組む許可も与えられた。それが今回役だったのだから、それらは全てケインのおかげなのだ。
ケインがいなければ、アワンとも再び会えず、また仲直りもできてはいなかった。
『お前頭いいな! 俺馬鹿だから、勉強教えてくれよ!』
なんとなく認めたくなかったが、今なら分かる。
彼は――いずれ英雄になる男だ。
こんなところで、死んでいい男ではない。
「俺もさ」
「え?」
ふとした声に、レイラは見上げる。
そこには、苦く、険しい表情。既に多量の汗を流し、顔色も悪い男の顔だ。
だが、彼は笑っていた。
「俺もこれ以上……お前に殺させたくない。お前を……死なせたくない」
「…………」
それは、レイラの心中を察しているような瞳だった。
レイラはもう、死にたかった。当然だ。これだけ殺した。もう今後の人生を、笑って生きられる気はしない。もう笑えない。
レイラの未来は、死しか残されていないのだ。楽になろうとした。それが間違いだと教えられても、この絶望に再び立ち向かえる気がしなかった。
それが分かっているから、ケインはきっと今、レイラを抱きしめている。
レイラを、死なせたくないから。
主人と従者。
ケインとレイラの関係は、ただそれだけだ。もちろん、他のメイドたちとは一線を画す扱いだ。それはレイラも自覚していた。
確かに、気に入られてはいた。それでも、やっぱりただのメイドだ。
それなのに、どうして――
「どうして……そこまで……」
「どうしてって……友達だろ?」
答えは、本当にシンプルだった。
混ざり気なしの、男の本音。
「とも……だち……?」
何を言っているのかという顔に、レイラも同じような顔で迎え撃つ。
彼の口から聞くにはあまりに場違いな、似合わない言葉に、レイラは呆気にとられた。
だがそんな時間も、短い。死を望む人間の心など、人を救いたい者の力の前では無力だと――
はっきりと、告げられる。
「友達一人救えない奴が、勇者が夢とか言えるかよ」
その顔は、レイラをしてそんな顔ができるのかという――表情。
レイラにとって初めて、いい意味で、二人が重なった瞬間だった。
(アダ様……)
死にかけていた心が、再び救われる。
レイラを救ってくれたのは、やはり英雄だった。
「お前がいなきゃ、今後の俺の世話は誰がするんだよ。勇者への道を誰がサポートするんだよ」
救いだ。
彼も――人を救う者。
いや――
「手伝ってくれるだろ?」
彼は――レイラを救う者だったのだ。
レイラはこの日――想う。
彼がいずれ、勇者と呼ばれる存在となるのかは、分からない。
でも――
「…………はい」
勇者を目指す彼を、助けてあげたい。
頑張る彼を、側で手伝ってあげたい――
そう、想った。
***
「<一触即動>!!」
まさか、他人の口からそれを聞くことになるとは、思いもよらなかった。
それも、立て続けに。
人外の動体視力が捉えるのは、迫りくる小隕石。
予測を超えた事態に、俺の肉体は硬直――するようなこともなく、最速最善の動きへと移行する。
――はずだった。
(なにっ!?)
度重なる異変。
俺は既に、3つ目の能力も――奪われていたのだ。
(馬鹿な!? <日神月歩>まで!! いつの間に!?)
その事実に気が付いた時には、空を埋め着くほどの質量が迫る。
<日神月歩>でこの投石の網を掻い潜り、敵に接近。そこから攻撃へと転じるつもりだった。それが俺の得意なパターンだからだ。
相手が必勝と確信するほどの攻撃。それをいなし、無力化し、正面から粉砕することで相手にプレッシャーをかける――超積極型カウンター。戦闘を通し、とにかく前に出る姿勢。回避にしろ、引くことだけはない。
俺という人外の身体能力の存在に前に出続けられることが、敵からすれば一番の脅威だと知っているからだ。
そんな、これまで一貫していた戦闘思考。体に染みついた動きが、今回は裏目に出る。
これまでは当然のようにできていた動きができない――この事態に初めて陥ったことで、肉体は瞬間的パニックに陥る。
だからこその――結果。
思考だけが時の中を走り続けるような感覚の中、その刹那を体感するように硬直した肉体に、重量は襲い掛かったのだ。
「――くっ!!」
人間大を超えるほどの大岩が、目算、いやもはや勘算で約50個ほど。
それらが一挙に圧し掛かり、連続して畳みかける。
まるで小型トラックに立て続けに衝突され、総計すれば、大型船に真上から押し潰されるかのような衝撃。確かな速度を伴った重みは、吸血鬼の肉体であろうとも重くのしかかる。
しかし――それだけだった。
「オォ!!」
圧殺に等しい圧力にも、俺の肉体は当然のように人の形を保つ。そして限界まで潰されたバネの反動のように体を開けば、密にたかる虫を思わせるような岩々を、一斉に吹き飛ばした。
気合でも、気迫でもない――ただ暴力が成せる業。
一個人の力の前に、自然の驚異は白旗をあげる。
前後左右、四方八方、天にまで飛ばされていく質量の数々。一つ一つがトン単位のそれらが、猛スピードで離れていく。
その後ろ姿を名残惜し気に、もしくは呆気にとられたように振り返る獣に対し――
俺はただ、敵だけを見ていた。
そして――
「新技がお望みだったなぁ!!」
「っ!?」
高速で丘の上を滑っていった岩、それらが残した筆痕を唖然と追っていたユウキが、俺の警告に振り返る。
声をかけたのは、当然ワザとだ。
反射的にこちらを向いたユウキの姿に俺はほくそ笑むと、上方に吹き飛ばされ、慣性の法則によって空中で静止し、重力に従って落下してきた小隕石――それらを上を向くこともせずに両手でキャッチする。
人外の腕力が込められ、指先は当然のように埋もれる二つの小天体。破壊の産声を上げだす前に、俺はそれらを解き放った。
「<惑星衝突>!!」
「ぅえっ!?」
吸血鬼の腕力により放たれた大型の弾丸。その体感速度――まさに隕石。
音速を超え、何重ものソニックブームを発生させながら、二つの惑星は競うようにユウキの元へ。
着弾は必死の速度。しかし、いややはり、獣はそれを回避した。
「<喜犬の庭駈け>!!」
「…………」
同時に、俺は動き出す。初めから、誘導のための攻撃だったからだ。
丘の上を、音もなく、滑るように移動を開始した獣。その動きに並行するように、並列するように――追う。
躱すことを予期していたとしか思えない完璧なタイミングの追撃者の姿に、ユウキの目が見開く。
その時には、俺は辿り着いていた。
「<夜王の>――」
「<浪漫非行>!!」
特殊な移動法によって丘の上を流れていく獣は、方向を急転換。
またも特殊な移動法により、生物の肉体能力では凡そ不可能な動きをもってして、遥か空へと舞い上がる。
地上ではどれだけ躱そうとも、いつか必ず追いつかれると判断したのだろう。間違ってはいない。
だからこそ――間違いだった。
「<偉大一歩>」
「はっ!?」
一瞬にして高度10m以上にまで逃げ去ったユウキに、俺は一足で追いつく。もはや当然のように大地は悲鳴をあげ、巻き起こる土煙と共に俺を見送った。
地に残るのは、吸血鬼の足型のみ。それこそが、この大きな飛躍を生み出した、小さな一歩だった。
「<夜王の>――」
翼を奪ったくらいで、俺から空を取り上げたとか思っているのなら、それは大きな勘違いだ。
空は依然――吸血鬼の世界。
ここは、俺の聖域だ。
「<先翔蹴>」
「うぐぅっ!?」
繰り出した技を言語化するのならば、前方宙返りからのかかと落としになるのだろうか。
ただ、起こった結果だけを見れば、小型ミサイルの爆撃に等しい。
叩き落とされた存在は、己が守るべき聖域を破壊しながら、丘の形を瞬く間に変える。発生したクレーターから裂け目まで生まれ、引き裂かれる大地の音はまさに悲鳴を思わせた。
竜巻のように巻き上がる土煙の中を、俺は重力に従って落下する。
久しぶりの感覚に、少しだけ落ちるのが怖かったのはここだけの話だ。
「<霊魂奉納>」
(っ! 三回目……もう回数制限はないと思った方がいいか?)
この迷いの無さ。潔い使用頻度。もはや限界はないと考えた方が賢いかもしれない。それにしては強すぎる能力だが。
(才能か……確かに。戦闘童貞で俺とここまで戦いになるなら、確かに天才と言われるのも頷ける。いずれにせよ……)
この回復手段を何とかしない限り、ユウキの攻略は絶対に不可能だ。
それにまだ、<妖精の丘>の全容も見えていない。それも現状、俺の想定を超える事態にまで至っている。
言うほど余裕がない状況だ。到底油断はできず、予断も許されない相手。
「あああっ!! くそっ!! チクショー!! 何なんだよ!!」
「っ!」
地団駄を踏みならすように裂け目から生還したのは、当然ユウキだ。
それは怒りというより、八つ当たりのような姿。母親に目当てのおもちゃを買ってもらえなかった子供みたいだ。
「なんなんだよマジで!! もう……!! もうっ!! 何なんだよォ!!」
「何だよ? 新技使ってやったろ?」
土煙を追い払い、代わりに毒煙をあたりに振りまきながら、憤怒のユウキが躍り出る。
再三の相対。傷もダメージも見当たらないその立ち姿は、まるで戦いが全く進んでいないかのように俺に思わせる。
それは、ユウキもだった。彼も自分が思うほどには、前に進めてはいないようだ。
「違うだろうが!! どう考えてもボクの流れだろ!? ボクのターンだ!! 何平然とギャビってんだよ!! 蹴りすぎなんだよ!!」
「そんなこと言われたって……」
「能力三つも奪ってんだぞ!? もう形勢逆転の流れだろうが!? 空気読めよ!! 誰が望んでるんだよこんな展開!?」
(! 三つ……)
やはり、三つ。
予想を超えることが起こり過ぎていて、初めて予想が当たった気分だ。だが、喜べるかと言われればまた別の話。
「いやそれは俺のセリフだって。何回同じパターンやらせんだよ。これ観客とかいたら絶対飽きて帰ってるぞ。オッズ偏りすぎだし」
「お前が偏らせてんだァ!!」
まあ誰も見てないのでいいが。
俺は戦闘前から、できるだけこの戦いを長引かせたいとすら思っていた。とにかく俺に必要なのは、戦闘経験値。未知の術を持つ、それも強力な術者への対応経験だ。
だからこそ、ユウキの能力の発動を見送った。その前に仕留めることもできたが(たぶん)、それではこの先の戦いを乗り越えられないと判断して。
12使徒であり、強力な能力を保有するユウキは、絶好の試金石。魔術での戦闘童貞を捨てるにもってこいの相手。
もちろんユウキの天術が展開されて以降、俺は手を抜かず、むしろ本気で能力の攻略に取りかかっているが――
それでもなお出し抜かれている現状は、やはり俺の直感が間違っていないことを意味していた。
この試練を超えれば、俺はまた一つ強くなれる。
(<反教底位>……使えるな)
半径49m、高さ11mの円形の丘、その全貌を探知する。
今回調べたのは、罠の索敵。先ほど見せられた岩々や木々のことを思ってだ。そしてやはり――
(あった。これは……洞窟か? この戦いのために色々準備してたんだな……)
沢山のコウモリが住んでそうな大きな洞窟の中には、先ほど見たばかりの大岩などが敷き詰められている。鎖や大型の金属板、何に使うつもりなのか鏡などもあるようだ。
そして、丘の下の地面にも、分厚い金属板のようなものがいくつか埋められている。おそらく足止めや防御を目的としたものなのだろうが、自動的に発動される罠とは思えない。つまり――
これは明らかに、<一触即動>を俺から奪うことを前提とした用意。そうとしか考えられない。
(思ったよりも考えなしじゃない……。いや、それよりも――)
ユウキは<一触即動>を奪ったあとに、これらに触っていない。
だが、能力は発動できている。つまりは――
(能力を得るより前に触ったものでも動かせるのかよ……。なんだよそれ……)
我が能力ながら、インチキくさい。
いや、ちゃんと検証しなかった昔の俺が悪いのだが、能力習得前に触ったものが動かせるかなど考えたことすらなかった。勝手にそれ以降に触ったものしか動かせないと、当たり前のように思っていた。
まさかこれだけ年月が経って敵から教わることがあるとは、分からないものだ。ドッペルゲンガーを見た時はこんな気持ちなのかもしれない。
いずれにせよ――
(<反教底位>は使える。奴の動きから見ても、奪った能力は己の技として使用可能と見てほぼ間違いない)
ならば奪われた能力は、<浪漫非行>、<一触即動>、そして<日神月歩>の三つ。ここから考えられる条件は――
(俺が戦闘中に、ユウキの目の前で使った技)
技の目視、もしくは技名の聞き取り、認知。
それが条件。いや――
(技の詳細を知るほどに成功率は高い……みたいな条件もあるのかもしれない。こいつはアワンの記憶から俺の技を知っていたんだ)
<日神月歩>ではなく、<浪漫非行>を先に奪われた事実がその根拠。
ユウキに先に見せたのは、<日神月歩>のはずだ。この技によって、何度も俺の攻撃を食らわされていることから考えても、現時点のユウキにとっては<浪漫非行>よりも印象深い技のはず。
にもかかわらず、ユウキが先に奪ったのは<浪漫非行>。それは、俺が過去、アワンに貸したことのある能力でもある。
その時、アワンが借りる条件として、能力の正式名及び具体的な能力効果の認識というものがあった。もしユウキの力にもそれが当てはまるのだとしたら、納得できる。
アワンが俺の能力において最も理解が深いのが、彼女に貸した<浪漫非行>だからだ。その記憶を見ているユウキがこれを知るのは当然のこと。その可能性は十分に考えられる。
(既に保有能力の半分を……だがなぜだ? どうやってこれほどの力を……)
それだけが謎だ。
俺の能力は、俺の力の全てではない――どころかどちらかと言えばサポートよりの能力だからまだいいものの、その能力が奪われてしまえばもう何もできないという術者は結構多いはず。
これでは条件とか相性とか関係なく、ほぼ必勝の力だ。憑依能力との親和性による驚異の上昇と考えれば納得もできそうだが、やはり今一つしっくりこない。
やはり天術の鍵は、彼が支払っている代償にこそあるのか。
「っ!?」
その時――肉体のふらつきに、たたらを踏む。
意識が朦朧とする感じではなく、その認識すらできずに体から力が抜けかけた。これは――
(毒!? 速い!!)
毒の脅威は、ようやく俺の体に届き始める。
「はっ……! ははっ……! 見ろ!! 調子に乗ってバカスカ蹴るから!! 接触はほんとに危険なんだ!! はははっ!! 自業自得だ!!」
「…………」
高笑いしながらも、その様子はどこか安心しているようだった。
透けて見える心の声をそのまま言語化するなら、「や、やっとかよ!? あんまり平気そうな顔だから、毒効いてないのかと思ってた!! そういやボクには毒があったんだよ!! やっとボクのターンだ!! こっから反撃開始だ!!」みたいな感じに見える。たぶんそう大きくは外れてない。
(俺も正直あんまり気にしてなかったが……確かにこれは脅威だな)
現状どの程度の進行度なのかは分からないが、ただ一つ分かることは、痛みという感覚が研ぎ澄まされ、筋肉がひとりでに痙攣している。
痛みの感覚としては、幾万本の鋭い針で肉を指されているような感覚だ。それが全身。顔だろうが急所だろうが関係ない。
(俺には呼吸も脈も、体温すらないから……変化に気づきにくかっただけか。ようやく実感してきたな……)
俺の肉体にもこれほどの影響があるのなら、常人が即死するわけだ。
この感じは、ルルワでも数十分と経たずに動けなくなるのではなかろうか。もちろん直接接触すれば、の話にはなるが。
(<公序陵辱>を使ってみるか? いや、危険だ。そうか……駄目だ! 絶対にまずい!!)
あまりに遅い気づき。しかし能力の使用を試みる前に、気が付けた。
それは下手をすれば、この勝負の結果を左右するほどの重大な事実。
血に溶け込み、蝕む毒。ルルワの血を用いての回復能力ならば、もしかしたらなんとかできるかもしれない。太陽の傷さえ癒すことができたのだから、その可能性は高いだろう。しかし――
(仮に<公序陵辱>を奪われてしまった場合、ルルワの血がどうなるのかが分からない!! 絶対にダメだ!!)
<公序陵辱>は、吸血した他者の血を使って俺の肉体を回復させる能力だ。
吸血鬼博士ルルワが言うことには、吸血鬼が吸った血は体内のどこかにある特別な器官にプールされてあり、俺はそれを能動的に消費して傷を治す。それが<公序陵辱>。
ルルワの見解では、これが恒常的に行われているのが、処女の血を用いた太陽克服なのではないかという話だ。
つまり俺は、太陽から受けるダメージを常に回復し続けている状況にあるというわけだ。
この仮説を聞いた時、俺は当然のように思った。それならすぐにルルワの血無くならないかと。
右腕の欠損を復活させた時、俺はそれだけで己の中から多量の血が消費される感覚を覚えた。イコラオスの時もそうだ。
全身をミンチにされるほどの傷を回復するには、やはりルルワの血が必須であり、その消費コストも半端ではなかったと記憶している。
ならば太陽に焼かれる傷を治すのにも、かなりの血が要求されるはずだという考えはむしろ妥当だろう。下手をすれば、先の二例よりもさらに多くの血が求められるだろうと。
しかしルルワに聞けば、これはそういうものらしい。一度に治そうとするから消費が激しく、常にその状態を持続するのなら、消費は安く済むのだとか。
俺はこれを税金、保険現象と呼んでいる。
年間約100万円以上の税金は高いと感じるが、毎月給与から勝手に引かれればそこまで気にならない――ことはない。日本の税金は高すぎる。
というかこの例は感覚の差の話であって額自体は全く変わらないので、例えとしてはあまりに不適当だ。普通に文句言いたかっただけだ。忘れてほしい。
まあ結論として何が言いたかったかと言えば、<公序陵辱>だけは絶対に奪われてはならないということだ。
もしその能力が奪われてしまった場合、ルルワの処女の血を用いた自動回復も行えなくなる可能性がある。そうなれば、太陽に焼かれて俺は死ぬ。
先の<一触即動>の件のように、俺の関知しないルールもまだ存在しているかもしれない。楽観視はできなかった。
(ユウキの目の前での能力使用、もしくはこの聖域内での使用か? いや、同じことか。いずれにしろ、もう使えな――)
「<反教底位>。おおっ! これが君の見ている世界かぁ!! すご……い"!? いってぇ!? 何だこれ!? 頭いってぇ!?」
(もう使えない! 能力が奪われていようがいまいが!! もう何も使う訳にはいかない!!)
4つ目の能力が奪われた事実により、ユウキの前で能力を使用することは実質的に不可能となる。
俺の保有する6つの能力の内、アワンが<美意識過善>について知ったのはつい先ほどのこと。唯一この能力だけはユウキも知らず、有用性はある。しかし一騎討ちで<美意識過善>を使用する機会はないに等しい。
残る能力は<公序陵辱>のみ。だがこの能力は、同時に俺の生命線でもある。絶対に使う訳にはいかない。つまりは――
俺はこの肉体能力だけで、ユウキに勝たなくてはならないということ。
(毒の回復もできない。なるほど……12使徒か)
<反教底位>の反動に頭を押さえ、もがき苦しむユウキの姿を眺めながら、俺はこの勝負の生末を悟る。
どうやら、出し惜しみしている余裕はなさそうだと。
***
天術――形相因。
信仰美学の天術師とも言われるそれは、偽りの形を嫌い、術者の理想像に近いほど効果を発揮する。
アワンが定める本質と、究極の理想。それは人のあるべき姿。
呪いや毒により、選択を歪められている状態は、彼女にとって偽りの形。なぜならそれは、もうこうするほかないという諦めの境地だから。
だからこそ、人が自分で選び、自分の意志で苦しい道へと進めるよう、手助けする。
人があるべき姿へと、彼女は戻すのだ。
バージンロードを歩くのは、白無垢の花嫁ではなく、聖女。いや、祓魔の姫。
ルルワが力技で整えた場の上を、静かに闊歩する姿――まさに神聖。
観衆の姿は見当たらず、まして何者かの乱心により凄惨たるこの大祭壇の間に合って、彼女だけが穢れを知らない。
やがて足を踏み入れたのは、床に描かれた血の紋様。
床に敷かれたカーペットによって、これまでは隠されていたものだ。これは特殊な錬金溶液にアワンの血を混ぜて特別製の聖水を作り出し、それによって描かれたアワンの願いの形。
中央には儀式用の台座と、聖杯。
神との対話のために整えられた場に踏み込めば、行われることなど決まっている。
時間を無駄にするのも勿体ないとばかりに、足早に儀式は開始された。
聖杯に今――穢れなき血の雫が落ちる。
「術者、ユウキ。精霊、犬妖精、12歳。能力名、<犬吠精霊>。天術、目的因。初期影響――体温調節機能乱調、脈拍不規則、味覚、嗅覚の鈍化。進行――痛覚鋭敏化、神経伝達遮断、筋肉痙攣、意識混濁。重度――酸素欠乏、判断力低下、多幸感、代謝阻害、ホルモン異常、感情極端化。終末――死、即死」
――<最上級不義>。
アワンが長年の探求により辿り着いた、究極の天術。
必要なのは、正確無比な構造理解とより詳細な情報、および実見。そして代価。
彼女が神に捧げるのは、未来の選択肢の一つ。
それは、家族を持つ幸福。アワンは生涯子を産む行為を禁じることを己に課し、それを己の血に誓うことで、この能力を発動する資格を手にした。
だからこそ――不義。他者に選択を問う者が、奇跡によってあるべき姿を捻じ曲げ、己の手によって変えた未来こそが正しき姿と宣う。そんな女が、最も不自由という笑い話。
人が人たる――その皮肉を、目的の神は好んだ。
通常毒の解毒により命が助かったとしても、身体、人格に重大な後遺症が残る可能性は大きい。
さらに今回の毒は血を巡るという特異な特性を持つ。血は酸素、栄養、ホルモンや信号情報を全身に配る生命のインフラ。これを覆すことは容易ではなく、完全な対処はおよそ不可能という考えはむしろ当然の帰結。
実際、人々はこれまで、ユウキの毒に成すすべがなかった。どうにか延命を図り、なんとか命を繋ぐのがやっと。
しかし――
アワンの天術には、それがない。ただあるのは儀式の成功、失敗のみ。
正確には解毒でも解呪でもない、全く新たな力。
これは、彼女だからこその術。
少女の願いが、祈りが、今――
「<最上級不義>!!」




