第062話 未来へ
「――ここは……」
目が覚めた瞬間――アワンは既視感を感じる。
視界に入ってきた情報が、己の中の記憶と直結する感覚。確かにアワンの知る場所。それは目を見開く直前、いやもっと、ずっと前から、答えを知っていたかのように。
「聖域だよ」
背後から聞こえたその声も――確かな記憶と結びつく。
懐かしい声だ。そして、絶対に忘れられない声。
今、全てのピースがハマったように――確信する。
「アワン…………」
彼こそが、アワンが乗り越えるべき――
「やっと会えたね」
過去の象徴だと。
振り返れば、そこにいたのは人ならざる者だ。
黄に近い金の体毛。背丈は154cmのアワンよりもさらに低い。おそらく150cmもないだろう。
目立つのは、右肩から袈裟斬りにされた大きな傷跡。まるでつい数か月前に負わされたばかりと思われるほどに新鮮で、今もこの時も痛みを与えているかのよう。
人のような立ち姿だが、姿形は、いやその身に纏う気配すらも、およそ人間とは言い難い。
獣の気配。そして、隠しようもない悪の気配。
あの頃とは――全く違っていた。
「ユウキ…………」
この短い時間で、既にあの頃のユウキではないことを確信してしまったアワンの心は――当然のように傷つく。
それは傷つくなどという言葉では収まりきらないほどに、およそ表現しきれないような深く、暗い絶望。
薄々悟ってはいた。生きているという事実を知った時から。
そんな予感はしていた。橋の上で相対したあの時から。
だが、アワンは信じたかったのだ。そして、願っていたのだ。
ユウキがまだ、あの頃のままでいてくれていることを。
だが――
「サプライズはどうだった? 驚いたでしょ」
アワンの知るユウキは、もうそこにはいなかった。
人を傷つけ、人々を恐怖に貶めた先の一件を、サプライズだと言い放つ。
その屈託のない笑みに、アワンはようやく、心を諦めたのだ。
「ずっと……どこにいたの?」
「ん? ロフォス家だよ」
驚きはなかった。あったのは、納得と理解。
むしろなぜその可能性に今まで気が付かなかったのかと、歯噛みする。
彼はずっと、この国にいたのだ。
「まあ気が付かないのも無理ないかもね。ボクが12使徒になったきっかけはこの国じゃないし……各地で暴れてるって情報があれば、一箇所に留まっていると思う方がむしろ不自然な話だ」
慰めのような言葉は、アワンの思考を丁寧になぞっている。
現にそうだった。アワンはユウキの目撃情報、起こした事件などを今日まで全て、事細かに追ってきたが、それはこの国とは無関係の場所、それも遥かに遠い地で起こっているものばかり。
ユウキが12使徒入りを果たした一件などは、大陸最西で起こっているほどだ。
まさか、傷跡深いこの地にまだ残っているとは。心理的にも中々結びつかない。
だが、彼はずっとこの国にいた。ここから考えられるのは――
「乗り移った人間に、ユウキと名乗らせていたのね」
「ピンポーン! まあ最初の頃は自分でも動いてたんだけどね。部下ができてからはずっとそんな感じかな。ボクあの人のお気に入りだからさ、割と自由に動いても許されるんだ。でなきゃ12使徒が人の国になんかいられないよ」
あの人――気になる言葉だが、それよりもまずはっきりさせておくべきことがある。
それは、ユウキのこれまでと、そしてこれから。
まずは彼の足跡を聞き取り、そこから彼の最終目的がどこにあるのか。そのために何をしようとしているのか。聞き出さなければならない。
(おそらく私は憑依され、何らかの方法でここまで連れ去られた……。もしかしたら、私自身がみんなを攻撃したのかもしれない)
ムメイであれば、アワンのことなど簡単に取り押さえられるはず。
ならばそれができない何かがあった。今ここにムメイが追いかけてきていないのがその何よりの証拠だ。
アワンは自分が救われて当然と思うほど己惚れてはいないが、ユウキの存在をムメイが無視すると思うほど彼という男を知らないわけではない。
ムメイとルルワは必ずここにくる。ならば、それまでにできるだけユウキの情報を引き出す。それがアワンの役目だ。
「あなたのこれまでを、教えて。どういう経緯でロフォス家に入り、これまでずっと何をしていたのか。私に教えて」
だが情報戦などという柄ではなく、アワンは馬鹿正直に正面から聞く。
そこには、ユウキであれば答えてくれるのではないかという、確かな打算もあった。
そしてやはり――
アワンの言葉をどのように勘違いしたのか、ユウキは心から嬉しそうに微笑む。その笑顔だけは、確かに幼き日々の面影があった。残酷なほどに。
「そうだよね! やっぱり大切な相手の過去は気になるもんだ! 大丈夫、ちゃんと教えてあげるよ」
『もっと教えて! ボクもっとたくさん知りたいよ!』
『うん、教えてあげるね』
ふとした言葉が雫となり、記憶の池に波紋が広がる。
それが、切なかった。胸が、締め付けられる。
あの頃に戻れたらと、何度思ったことか。いや、今からでも――
(もうそういう段階じゃない!! 分かってるでしょ!?)
アワンは涙を呑み、丘を駆ける二人から、視線を切る。
そして、吐き気をこらえるような気持ちで、現実のユウキを見た。
苦しい。でも、見なければならない。
辛い。それでも、現実を見なければ。
「君はボクの最期をどう聞いているのかな? 人間至上主義、種差別思想持ちの偉大なパパから」
「…………」
今更ではあるが、過去のユウキは、ここまで流暢に喋ることはできなかった。
こんなに難しい言語も知らなかった。それが彼の成長と、離れていた時間の長さを如実に表す。そして、アワンの罪の重さも。
「相討ちで……あの傷では生きてないだろうって」
アワンの短い答えに、ユウキは鼻を鳴らす。
それは、アワンではない誰かを馬鹿にするように。そしてその相手が誰であるかは、言葉にするまでもない。
「相討ちかぁ……随分見栄を張ったね。まあ5歳の子供相手に相討ちが精一杯のなんちゃって勇者じゃあ、恥ずかしくて負けたなんて言えないかぁ……」
「…………」
それは、嘲笑であるようで、違うものだ。
それは――恨み。アダという男へ向けた、呪詛だった。
「ほんと恥ずかしい奴だよね。だって自分からわざわざ敵作っといて勝手に死んでるんだし。マッチポンプでもして名声を稼ぐ予定だったんだろうけど、相手が悪かったって奴かな。ボクにちょっかいさえかけなければ、もっと長生きできただろうにね。自業自得で悪者にされても、こっちも困っちゃうよ」
「…………」
こんなに、性格の悪い子ではなかった。
純粋だったからこそ、染まってしまったのか。それとも最初から素質があったのか。
後者とは思いたくない。だが、この姿が全くの偽りだとも思えない。
それほど、型にはまっている。当てはまり過ぎている。
こちらの姿の方が、本来のものとさえ思えるほどに。
「まあ、傷が深かったってのは本当だけどね。ボクは優しいから、一応彼の名誉も守ってあげるよ。アワンのパパをあんまり悪く言いたくないしね。5歳相手によく頑張った! 子供相手によく逃げなかった!」
「答えてくれる?」
いい加減アワンも苛立ち、言葉を挟む。
父親の悪口を聞かされて怒らない娘などいない。それに、これ以上彼の口からそんな言葉は聞きたくなかった。
ユウキは意外にも、すぐに話題を戻す。それはアワンの方が心の準備に遅れる程、不意のことだった。
「ごめんごめん。ちょっとお喋りが過ぎたよね。あの後ロフォス家が援軍に来ただろ? そこで拾われて、匿われたんだ。それどころか、傷の治療までしてくれたよ。なんでだと思う?」
「っ!!」
ロフォス家。
乗り移られたナトゥの姿を見た時から嫌な予感はしていたが、それはアワンにとって、いやコイラスにとっての最悪の答え。
下手をすれば、この国が傾くほどの。
「ボクも驚いたよ! アワンの家じゃ疫病神みたいな扱いだったのに、違う家じゃ福の神みたいな扱いさ! あのアダ・コロノス相手に互角に戦える才能を殺すのは惜しいってさ! アワンと同じ考えの人が他にもいたんだよ!」
(――なんてことを!!)
アワンは自身の過ちを棚に上げ、今だけはロフォス家の者達を全力で糾弾する。
彼らは軍事力のために、まだ幼いユウキを拾い、そして匿ったのだ。
人の手に負えない獣を飼い慣らそうとした。そして――失敗した。
「そこから数年かけて傷を治していって、並行してロフォス家の繁栄に手を貸したんだ。実は君の学校も、ボクの成果の一つなんだよ?」
ロフォス家の躍進には、そういうカラクリがあったのか。納得と驚きの狭間に差し込まれた新たな情報は、アワンの心を大きく揺さぶる
「みんな君よりもレベルが高かったろ? あれはボクが部下を使って経験値稼ぎさせてあげたんだ。ナトゥの体をいつでも自由に使わせてもらうことを条件にね。彼女は馬鹿だけど利口だから、ほんと話が分かる子だったよ。君もそう思うだろ?」
「…………」
言葉が出なかった。
経験値稼ぎ。単純ではあるが、言葉で言うほど簡単ではない。レベルアップとは俗に、他者のレベルを奪う行為だと言われている。つまりは、生者の殺害が必須。
彼は部下の命を、人間に奪わせていたのだ。ただレベルを上げるために、殺しをさせていた。片やそんなことを平然と行わせ、片やそんなことを平然と行っていた。そして何より、そんなこと恐ろしいことが、人の世界で平然と起きていた。
恐ろし過ぎる事実。人の国で、獣は静かに国を蝕んでいたのだ。
「12使徒になったのは二年前くらいかな? 人間の世界に広まるのはもうちょっと遅かったみたいだけどね。当然だけど、魔王の一人に仕えている。イコラオスと同じやつさ。ボクらは二枚看板だった」
「っ!?」
つい二年前に12使徒となったユウキが、すでにあのイコラオスの横に並び立てているという事実。
たった7年で、この成長性。この速度。
才能が――違う。
『どれだけの膨大な才能……恐ろしいのは今じゃない』
『12使徒は確実。僕の読みなら、いずれ魔王の席も奪うだろう』
アダの読みは、正しかった。
これほど成長が早い存在を、アワンは見たことがない。
だが、驚いてばかりもいられない。少しでも多くの情報を彼から引き出すのも、アワンの役目だ。これは自惚れではなく、アワンにしかできない。
「その……魔王って?」
「オピス」
それは――運命の悪戯なのか。
それとも――これが、運命というのか。
「君にとっては……因縁の相手になるのかな? 彼はルコスの後続だからね」
今から約250年以上前――
災厄の魔王ルコスに最初に立ち向かうこととなった――勇者。
アワンはその末裔であり、その勇者と同時にこの世に生まれ堕ちたとされる魔王こそが――
誘惑の魔王――オピス。
(魔王の配下に……12使徒が二人。改めて……人間とは戦力の規模が違う)
これがあちらの領域では当たり前のことなのか。
なぜこれほどの戦力差があって、人間はまだ無事でいられるのか。
あわよくば、そのあたりの世界の核心に踏み込みたかったが、やはり全てが自分の思い通りになるほど、現実は甘くはなかった。
「さて、ボクの話はこれくらいでいいかな? アワンの期待にはできるだけ応えてあげたいんだけど、ボクにもやることがあるからさ」
「……やること?」
それは、聞く前からおよそ分かっていた。
その言葉尻には、隠せない不吉が孕んでいたから。
「決まってるだろ? 君を、この世界から救うんだ」
「…………」
ユウキは真っすぐに宣言するのだった。
アワンを――助け出すと。
アワンは救い出さなければならない対象。
つまりは弱き存在。そう信じて疑わない目だった。
虐げられ、泣いて蹲るだけの弱者。
ユウキは、アワンのことをそのように見ているのだ。
それが事実だということは、始まった演説に直ぐに分かる。
「これまでの人生、どうだった? 14年間生きてきて、幸せだった?」
「…………」
悟りを開いたような穏やかな口調は、こんな声も出せるのかとアワンが驚くほどだった。
だが答えられなかった理由は、それだけではない。
「死ぬほど辛かったろ?」
「っ!!」
それは――答えだった。
アワンの14年という人生の――答えだ。
「ずっと楽になりたかったろ? ずっと誰かに助けてもらいたかったろ? 本当は、勇者なんてもう目指したくなかっただろ?」
アワンの心を見透かし、なぞり上げるような声。
それはアワンの表情に羅列された文字を、読み上げるように。
だからこそ、アワンは否定せずにはいられなかった。
「そんなことない!! 私は心から……勇者になりたいと思ってる!!」
本心だ。嘘ではない。
だが、完全な真実とも言い難かった。それは今だから言えることだ。
ユウキは――過去を見ていた。
「いいや、違う。君は本当は、勇者になんてなりたくないんだ。ただ周りがそれを許さないから、君は頑張らなきゃいけなかった。それがみんなの夢だったから」
「私の何が!? 何が分かるっていうの!? 勝手に私の心を決めつけないで!!」
追い込まれているのは――アワン。
なぜなら子供のように叫んでいるは、アワンだからだ。それは耳障りな言葉を振り払うように、聞き入れたくない言葉を拒絶するように。
だが、そんな逃げを、過去は許さない。
「分かるのさ、ボクには。だってずっと見てたからね」
ユウキは、薄く微笑む。
可哀想な子供を見るような、そんな表情で。
「ずっと……悪夢を見てたんじゃないか?」
「…………まさか」
それは、毎夜のこと。
この7年、アワンが満足に寝れたことは一度としてなかった。過去の体験が、彼女から安眠を奪ったのだと、本人でさえそう思っていた。
しかし――
「そのまさかさ。ボクは君の中に入っていた。君が意識を失っている睡眠中、君の体に乗り移っていたんだ」
聖域の守護者は、ずっと見守っていたのだ。
己の――聖域を。
「だからボクは知ってる。君の本心を。頭の中も、心の中も覗いたからね」
それは、事実を読み上げるように――
アワンに、嘘を尽かせないように――
どこまでも、追い詰める。
「君は、自分を苦しめた人間たちが、何よりこの世界が――」
それはやはり――答えだった。
「嫌いなんだ」
『化け物と仲良くなれるわけないでしょ!?』
『その子にも、お前にも、罪はない。だけど……その子は、人の世界にいてはいけない存在なんだ』
『見て分かるでしょ!? もうそういう段階じゃないのよ!!』
『勇者に……なりたかった!!』
『私……もう無理。無理なの……耐えられない』
『あんまり思いつめない方がいいよって声をかけようとしてたの。だって私なら死にたくなるもの。そこまでして生きようだなんて思わない。それが普通の人間でしょ?』
『みんなが望んだんなら、そいつは死ななきゃ。社会の常識よ?』
聖域は、人の弱さを曝け出す。
神の言葉は、良くも悪くも、弱っている人間にこそ届くから。
ここはずっと、アワンだけの世界。アワンを閉じ込める聖域。
だから――
「はぁ……土足で踏み込まないでほしいな。ここは聖域なんだけど」
「っ!!」
人の強さだけが――聖域を侵す。
「そうなの? 分かりにくいから看板とか立てといた方がいいよ?」
「それでもあなたは入るでしょ?」
過去から振り向けば、そこには――アワンの今。
そして――未来だった。
「うん。文字読めないからね」
***
「――お前……そんな感じだったのか! めっちゃ子供じゃん!!」
俺はアワンではなく、彼女に相対する矮躯に注目する。
この状況で、どこの迷子の子犬だろうか――などと思うはずもなく、彼こそが俺の戦うべき敵だとすぐに分かった。
イコラオスとの戦いを経て、俺にもそういう感覚が少しは身に付いたらしい。本能が、直感が――強敵であり、宿敵であると告げていた。
「あなたにだけは言われたくないと思うわよ?」
いつも通り、横に並んだ女からのツッコミに、俺は即座に反応する。
機会さえあれば、ずっと言ってやりたかったことを。
「いや、15歳って子供じゃないから。俺ずっと言ってやりたかったんだよね。子供子供言い過ぎ。あとチビチビ言い過ぎ。170cmない男をチビとか言う女って、世間じゃほんと嫌われるよ? もう本当に、すっごい嫌われるから」
本当に、尋常じゃないくらい嫌われる。
年収1000万以上の男じゃないと無理って言う女くらい嫌われる。
「私は言ったことないわよ」
「私もないです」
平然と合流したアワンも、知らぬ存ぜぬという素振り。
俺は毒に侵されていないことを横目に確認しながら、首をひねる。
「あれ? おかしいな。じゃあ誰が言ってんだ? 子供は言った?」
「言ってない」
「…………私もです」
まるで少し考えるような仕草。そして何かに思い至った様な視線の動き。
その些細な変化を、吸血鬼の動体視力は見逃さなかった。
「はいダウト。これ言ってるわ。あいつガキみたいって言っちゃってる。たぶんレイラと俺の悪口で夜通し盛り上がっちゃってる」
半分冗談だが、もう半分は冗談ではない。
人の悪口陰口が一番盛り上がる。元人間である俺はこの心理にして真理をよく分かっていた。
もし自分はそんなことしないとか言う奴がいれば、それはただの嘘つきだ。おまけにアホでもある。俺ならそんな奴とは絶対に友達にならない。なぜなら確定で悪口言われてるからだ。
俺の鋭い糾弾に、アワンはあたふたと慌てる。あまりにも黒側の動きだが、やましい隠し事に慣れてない者の動き。それだけが救いだった。
「わ、私じゃないです! 私は言ってなくて……あのっ……あっ! レイちゃんが言ってました!!」
「友達売ったよ」
「売らせたのよ」
俺は脳内に、レイラは俺のことを子供と言っていた――とメモしておく。
ついでにアワンも同罪、と。
俺はしっかり根に持つタイプだ。これが対等な友達関係というもの。
そんな俺たちのやり取りを、もはやいつも通りに静かに見守ってくれていた存在が、ようやく口を開く。
犬のような口をしているとは思えないほどに、人間のような喋り方だった。
「ボクはどっちも言ったよ?」
「おいあいつ庇いだしたよ。やっぱ友達だったんだな」
「ちなみにアワンは君を最初に見た時、生理的に無理って思ってた」
「アワン、友達選べよ」
お手本のように、上げて、落とす。いや、気のせいだった。全然上げてない。
俺は思わぬリークを確かめるように、当人へと視線を送る。アワンは遠い場所を見て、背を正していた。黒だ。
あまりにも、図星を突かれ者の反応。彼女は違うならば違うとはっきり言うタイプだろうから、つまりユウキの言葉は真実のようだ。
「んーそれはボクのセリフなんだけどなー。アワンは君のことやけに高評価みたいだけど、ぶっちゃけ君ってそんなに良い奴じゃないよね?」
「そりゃお前から見たら悪い奴だろ。俺から見たらイケメンは一律で悪い奴なように」
「私怨凄いわね」
俺から見たイケメンは悪い奴でも、女から見たイケメンは良い奴だ。
人間社会なんてそんなもんだ。自分に都合のいい人間であれば良い奴。そうでなければどんな善人であろうとも悪い奴だ。
アワンのことを悪い奴だと思う人間がいれば、良い奴だと思う人間もいるように、本人の善性と他人の評価は全く関係ない。
ユウキは俺たちのやり取りは完全無視で話を進める。一々付き合うと話にならないと思ったのかもしれない。正しい判断だ。
「だって君さ、さっきの一件……わざと見逃したでしょ? ボクが彼のこと刺すの待ってたよね?」
「…………」
口を閉じた俺に、ルルワとアワンの視線が集まる。
それぞれ表情は違ったが、確かに俺を見ていた。
「気づいてたでしょ? ボクだって」
「ああ」
俺の答えに、アワンは目を見開き、そして反対に、ルルワは目を閉じた。
正直、気づいていた。
ナトゥの様子が不自然。アワンに近づいている。これで警戒しない方がむしろアホだ。
発言の内容もそれっぽかったので、俺は彼女が壇上に上がる前から、既にユウキであるという懸念に辿り着いていた。もちろん、確定ではなかったが。
つまりはまあ、ケインの負傷を未然に防ぐこともできたわけだ。彼女がアワンに何かしようとした場合は、<一触即動>で引き寄せるつもりだった。まあ、無いとは思ってたが。
「でも未然に阻止したら自分が罪に問われるかもしれないから、暴れても怒られないように大義名分を作ったんだよね? 要は緊急時を作り出すために、君は防げる犠牲を見送ったんだ」
「…………」
全くもってその通りだ。
再三言っているが、俺の行動一つ一つが政治を左右する。この国では特に。
だから絶対に一人は犠牲者が必要だった。そしてそれに最も都合が良いのが、この国の王族。ケインに害をなした存在を取り押さえることは、この国では完全な正義となる。
その前に俺が暴れるわけにはいかなかった。正しいのは手順と、その順序。ここ如何で、同じことをするにしても、大人の社会では全く印象が違ってくるのだ。
「自分で傷つけて自分で助けるって、酷いマッチポンプだよ。それをこれ見よがしに見せつけて善人、いや善鬼アピールだ。気持ち悪ぅ~」
「…………」
俺がケインを助けたのは、彼への攻撃を見送った罪滅ぼし――ではない。
彼の力はこの先のコイラスに必要不可欠であり、さらに直面した事態においても無くてはならないものだと判断したからだ。
大量の血を使ってまで助けるメリットはないと思ったら、俺は王族だろうと彼の命は優先しなかった。
少数の命を拾って、さらに多くの人間を殺す事態に陥るのでは笑えない。やはり重要なのは優先順位。その場その場の感情に流されるわけにはいかない。
「それだけじゃない。追おうとするアイツを止めてまでアワンを見送ったのも、わざとだよね? あのまま止めたら、ボクの本体の居場所が分からないから」
「ああ」
俺は平然と頷く。そこまで筒抜けなら、やはり隠す理由はない。
俺の<反教底位>では、ユウキの居場所を特定することはできない。俺は強者のオーラみたいなものを捉えることができなければ、姿形を見たこともない存在をピンポイントで発見するようなこともできないからだ。
個別探知できる存在は、己の目で直接見たことがある者に限られる。つまりあの時点で、俺にユウキの本体を探る手段はなかったのだ。
だからこそ、アワンを一度見逃した。花嫁を連れ去ると言うユウキの発言から、彼女の行く先が分かったからだ。
だからアワンを追い越したりしないよう、ゆっくりと彼女を追ってきた。ユウキの居場所を、確実に特定するために。
「聞いた? こういう奴なんだよ。表では良い奴ぶって、本当は腹黒い。下の街で、今どれだけの犠牲が出てるか分かってる? 君の選択でどれだけの人間が苦しんでいるかをさ。可哀そうだとか思わないわけ?」
「思うよ?」
今、レイラの放つ毒に侵されている者達には、確かに悪いとは思う。
最悪死人も出ている頃だろう。レイラの気持ちを考えても、胸は痛い。
しかし、俺はこの決断が間違ってるとは思っていない。
元凶であるユウキという猛毒を浄化しなければ、目先の命を拾い上げる意味がないからだ。そしてここには、アワンとレイラを見逃さなければ決して辿り着けなかった。
まあ人間たちには恨まれるかもしれないが、戦場で戦う者とはそういうものだ。正義面する善良な市民たちの糾弾を一々聞き入れていれば、向かう先は破滅のみ。
彼らは戦いを知らない。結局は、自分の信じた道を進むしかない。
「開き直りだよ。カッコイイとでも思ってるのかな? 全部バラされてどんな気持ち?」
「…………」
これをルルワやアワンがどう判断するのかは分からないが、俺は譲るつもりも、謝るつもりもなかった。
俺の役目は、ユウキを何とかすること。目的を見失えば、待ち受けるのは敗北だ。この国の人々を救うためにも、俺は絶対にユウキを何とかしなくてはならない。
「はぁ……まあいいよ。それよりも、できれば邪魔しないで欲しかったなー……。今アワンを口説いてる最中だったんだよ?」
空気はコロッと変わり、ユウキの話題も急に変わる。
なんというか飽きっぽいと言うか、本当に子供みたいだ。脈絡がない。
「そうなの? 言っとくけど、俺がそう簡単に首を縦に振ると思うなよ? アワンにはまだそういうのは早い」
「お父さん?」
俺とルルワのやり取りに、ユウキは不快げに目を細める。
それは俺たちを見ているようで、見ていない。俺たちの姿に、誰かを重ねたようだった。
その後、邪悪な笑みは深まる。俺たちに不幸を届けようという笑みだ。
「まあ悪いことばかりでもないか。せっかくだし、君たちにも聞いてもらおう」
もしかしたらユウキも、俺たちがここに来るのを、待っていたのかもしれない。
「君たちってこれまでに、アワンからたくさん酷いこと言われてきたよね? 本当に色々と」
最も心当たりのあるアワンの表情は大きく歪み、ルルワは眉を顰める。
それは、触れてほしくない部分だ。今の彼女たちには特に。なぜならまだ、解決していないから。
「そうだっけ? 確かによくよく思い返してみると……生理的に無理は結構効いたな」
「直近じゃない」
だが、ルルワは表面上は落ち着いていた。
それが表面上であることは、ユウキも分かっているらしい。
「吸血鬼の方は本当にさして気にしてないみたいだけど、君は違うだろ? 結構傷ついてたよね?」
鋭い指摘であり、図星を突く言葉。
しかしルルワは開き直りのように、それを認める。
「ええ。私は彼と違って、心があるから」
「割と酷くない? 恋が冷めそうだよ?」
「あなたの心は私が奪ったもの」
「瞬間沸騰だよ」
急速冷凍からの、急速解凍。いや、もはや怪盗だ。
完全に俺の心を盗んでいった。俺の彼女がイケメン過ぎて辛い。
展開されるイチャイチャを、ユウキはやはりスルーする。もうそういうもんだと諦めたようだ。
「まあーどれもこれも聞くに堪えない……おまけに完全なブーメラン発言ばっかりだったけど……特に酷いのは――」
記憶を探るような素振り。
しかしそれが見せかけであることを、俺は直感した。彼はそれを、用意していたのだと。
「あなたたちのせいで、ロータル大谷の戦いも起こったのよ!? あなたが敵に出し抜かれたせいで、世界は今荒れているの!!――かな?」
アワンは、顔を伏せる。
過去の発言の数々を最も気にしているは、彼女だろう。
だが俺は、そんな彼女の心配をすることはできなかった。なぜなら、なぜ敢えてその発言に着目するのかが、理解できないから。
アワンを傷つけることが目的なのであれば、もっと相応しい言葉がいくらでもあるはず。客観的に見て、それはそこまで酷い発言ではない。なぜなら事実だから。
「傑作だったよ! なーんにも知らないでさ! 敵に出し抜かれてるのは自分の方なのにね!」
だがその答えは、ユウキの口からすぐに明らかとなる。
彼は早く答えを言いたいとばかりに、止まらなかった。
「アワン、言ったろ? ボクは君に憑依していたと。君の記憶は全て覗けるんだ。何があったのか、誰に会ったのか……全部ね」
「っ!!」
その時――俺はようやく気が付く。
そして全てが、一本に繋がったような感覚を抱いた。
「ロータル大谷にイコラオスを呼んだのは……ボクさ」
「「――っ!?」」
二人の動揺は、凄まじい。
だからこそ、俺はまだ冷静でいられた。それよりも、その前の発言から、さらなる最悪の予感を悟ってしまったから。
「厳密には、上に情報を伝えただけなんだけどね。勇者は生きてるって。あとなんか変なお供連れてるって」
「ルルワ、言われてるぞ」
「あなたよ」
ルルワのツッコミにも、いつものキレがない。それほどの衝撃ということ。
まあ気持ちは分かる。アワンは絶句してそれどころではないようだし、話を進めるならやはり俺だろう。
「でもそれって矛盾してないか? 時間的に間に合わないだろ」
俺とルルワが到着したのは夕方頃。
それから俺たちは早めに休んだが、アワンが眠った時間は常識的に考えて日が落ちてからだろう。
おそらくユウキがアワンに憑依したというのは、彼女の意識がない睡眠中のこと。
確かルルワが目覚めたのは夜中の1時過ぎくらいのことだったはずだから、彼女が眠っていたのはどんなに多く見積もっても数時間。
その間に彼女の記憶を読み、そしてゴンドワナに情報を伝達、それからイコラオスが動き出すのではあまりに遅い。到底間に合わない。
「転移だよ」
(…………なるほど)
あまりにもシンプルな答えは、それが全てということだろう。
確かにミサとは違い、イコラオスは部下を連れている様子がなかった。彼は一人でやってきたのだ。いや、すぐに動けるのは転移ができる彼しかいなった。
つまりは――
(あの狸ジジイ!! 全部知ってたのか!! やけにすぐルルワのこと勇者だって見抜いたわけだよ!! いるって知ってたのか!!)
白々しい爺さんの演技を思い出し、腸が煮えくり返る。勝負に勝ったのに、なぜか負けた気分だ。
だが確かに、イコラオスが動くような事態はおかしいとグランド要塞の者達も口を揃えて言っていた。
ユウキの報告を聞き、魔王がどのように判断したのかは分からないが、イレギュラーの理由にはしっかりとした理由があったのだ。
「吸血鬼だとは伝えたけど……まさか12使徒が出て、それも負けるなんてね。流石にそれはボクにも想定外だった」
その発言のニュアンスが、微妙に引っかかる。
本音だからこそ、透けて見えた。
「お前イコラオスと会ったことあるのか?」
「ないよ。どころかボクはあっちに行ったことすらないんだ。実は魔王も見たことないんだよね」
「…………」
どうということもないようで、重大な情報だ。
この戦いでは特に。
「まあ何が言いたかったと言うと、こっちで起こった全ての戦いは君が発端ってわけ。全部君のせい。おーけい?」
確かに、アワンの頭を覗いて得た情報を、ユウキが報告し、それによってイコラオスが進撃した。
橋で起こった戦いも、アワンを目的としたもの。
そして、この戦いですら。
全て、アワンが関わっている。俺たちが人領域に入ってからの戦いは、彼女の戦いだったのだ。
だが、最悪の事実はそれだけではなかった。
最悪を容易く塗り替える最悪が、ここに畳みかける。
「あーとおまけにプレゼント。そっちの勇者の能力も、吸血鬼の能力も、ボクはアワンの記憶を見て知っている。吸血鬼の弱点と、その対処法もね。そしてそれらの情報は、全てあちらに伝達済みだ」
「「――っ!?」」
それこそが、最悪の予感の正体。
敵に出し抜かれてるのは自分の方――絶望の真相だった。
「もう勝ち目なんて完全に無いんだよ。お疲れさん」
瞬間――アワンは崩れ落ちる。
なんとか立っていた身体が、悲鳴をあげたのだ。
今の彼女の気持ちは、想像だにできない。
ルルワの能力、そして俺の能力を、敵に売り渡したに等しい行為。さらに吸血鬼の最大の弱点である太陽。その唯一の対処法までバラしてしまった。
これは、冗談ではなく危機的状況だ。
ただでさえ苦しい状況が、致命的なまでの不利に陥る。
そして俺たちの勝利の可能性が下がるということは、延いては人類の滅亡を意味するのだ。
「もう足引っ張るとかいう次元じゃないよね。今でさえ役立たずどころかお荷物なのに、完全に裏切り者じゃん。自分がしでかしたこと分かってる? これほんとにヤバいよ?」
「ボクならもう恥ずかしくて誰にも顔向けできないかな。これからどんな顔で彼らと過ごすの? 裏切り者なのに」
「分かる? もう君の居場所は、人の世界にないんだよ」
「…………」
「…………」
言葉もなく、ぐったりと俯くアワンの背を、俺たちは静かに見守る。
駆け寄るようなこともしなければ、声をかけるようなこともしない。
まるで裏切り者を突き放すかのように、静観を決め込む。
そんな俺たちの姿に、ユウキは嘲笑を浮かべた。
「君たちも冷たいねー……今回は慰めてあげないわけ?」
「口説くんだろ? どうぞ?」
俺は手で指し示す。
ご自由にやってくれと。今も尚、打ちのめされているアワンを快く差し出した。
「へー……余裕だな。父親じゃなかったの?」
「違うな。俺たちはただの友達だ」
「…………」
俺はアワンのことを見ない。
同情は、しなかった。
「彼女に関して特に責任とか持ってないから、口出ししないよ」
「ええ」
俺たちは、ただ、見守る。
決めるのは――アワンだ。
***
もう何度目になるだろうか。こうして打ちのめされるのは。
なぜ世界は、こうもアワンばかりに試練を課すのか。何か悪いことをしたのか。何か気に障るようなことをしたのか。
分からない。ずっと分からなかった。
『君は、自分を苦しめた人間たちが、何よりこの世界が――嫌いなんだ』
事実だった。いや、真実だった。
アワンはずっと憎んでいた。自分からささやかな幸せすら取り上げた――この世界を。
ずっと家族といられれば、アワンはそれでよかった。
その中にユウキも加え、皆で勇者を目指す。勇者になることが大切なのではない。皆でそれを夢だと言って笑い合う、それが一番大切だったのだ。
なぜ、その未来では駄目なのか。
多くを望んではいない。わがままとも言い切れない願いのはずだ。
それがなぜ――こんなことに。
アワンが自分を責めていたのは、それしか責められる相手がいなかったからだ。本心を言えば、悪いのはアワンの方ではなく――
――世界。
ユウキのような優しい子を追い詰めた世界。
幸せな家族から全てを取り上げた世界。
アワンだけを執拗に苦しめ続ける世界。
それが、アワンの本当の想いだった。
「――ボクと君の気持ちは、一致してるんだよ。アワン」
優しい声。
アワンのことを全て理解し、心から思いやるような声に、顔をあげる。
そこにはやはり、アワンの過去がいた。
「ボクも同じさ、体験から、過去から答えを得た。君と同じ答えを」
どこまでも、アワンに寄り添うような気配。
彼は確かに、アワンの代弁者だった。
「人間こそが、悪霊だよ」
それは、聖域の神の言葉。
その神託は、人の傾聴を促す。
「ボクを拾ったのは誰だ? 育てたのは? 生み出したのは? ボクにこんな考えを、こんな力を持たせたのは――一体誰だ?」
人間だ。
人間が触れなければ、ユウキという化け物は誕生しなかった。
「君を否定したのは? 裏切ったのは? 虐めたのは? 君をここまで打ちのめし、ここまで苦しめたのは――一体誰だ?」
人間だ。
人間が追い詰めなければ、アワンという悲劇の少女は誕生しなかった。
「全部人間じゃないか! 全部全部! 現に、君はずっと人に苦しめられていたじゃないか! ボクは間違ってるか!?」
間違っていない。
アワンは人の社会に出てから、初めて人の悪意に触れた。
それはユウキのような人外の悪意と、何一つ変わらない。いや、もっとどす黒く、歪なものだった。
ユウキの過去と比べれば、人間という種が持つ生来の醜さは、比較にならない。
「少なくともボクといた時、君は笑ってた! 心から! 君だって、あの頃が一番幸せだったはずだ!! 間違っているか!?」
間違っていない。
アワンはただ、それだけで良かった。
アワンが最も幸せだった時をあげれば、それはやはり過去だ。
家族と日常を送る。ユウキとこの丘で遊ぶ。それが――何よりの幸せだった。
「14年でこれだ! この先君がどんなに人のために頑張っても! どんなに世界のために戦っても! 今よりもっと辛い! ずっと苦しい!! 人の世界にいる限り、君は幸せにはなれないんだ!! だから――!!」
それは――どこまでも正しかった。
本当に、正しかった。
「だからボクが、君を悪霊から救い出す。全部殺して、ボクと君だけの聖域を創ろう」
これまでのユウキの言葉は、全てアワンのためを思ってのことだったのだ。
その裏返しだった。アワンと同じだ。
アワンもそうやって、ルルワとムメイを傷つけていた。
(…………ユウキ)
こんなにも、アワンのことを大切に思ってくれている。
こんなにも、アワンのことを想ってくれている。
ずっと、アワンのために。悩み、苦しみ、考えて考えて、彼はこの道を選んだのだ。
このままユウキと共に行けば――
彼はきっと、アワンを傷つけないだろう。それどころか、きっと幸せにしてくれるだろう。
嫌なことも言わない。イジメたりしない。理不尽な世界からアワンを救い出す、それだけの力が、今の彼にはある。
過去に戻れば、アワンは幸せに――
『大事な人がいてくれることが、一番幸せなんだよ?』
聞こえたのは、家族の声。
アワンをこれまでずっと苦しめていた、レイラの声だった。
『アワン。あなたはどうしたいの?』
その声に、アワンは振り返る。
後ろから、聞こえたような気がしたから。
「…………」
そこに立つのは、アワンの未来だ。
優しい表情はしていない。アワンに優しい言葉もかけてはくれない。
傷つき、傷つけられ。これ以上にないほど迷惑をかけ、きっとこれからも、アワンは迷惑をかけ続ける――そんな存在。
ただ、そこにいる。アワンを、見ている。
『私は――』
簡単なことだったのだ。
アワンは――
「――あの時……逃げてごめん」
「っ!!」
ユウキへの返答は、イエスでもノーでもない。謝罪だった。
それはユウキの胸にずっと刺さっていた棘であり、同じくアワンの胸にも刺さっていた棘。
アワンはそれに――向き合う。
怖かった。体は震え、唇まで震える。
だが、立ち向かった。
「あなたの言う通りだと思う」
ユウキは、正しい。
間違っていたのは、アワンの方だ。
「人間って実はすごい嫌な人が多いし、正直私は人と関わること自体あんまり好きじゃないんだと思う。人間嫌い!!」
開き直り――とも言い切れない。
アワンは本心を、本音でぶつかってきたユウキだからこそ、全てを曝け出せた。
「なんか世界もやたら私にだけ厳しいし、かと思ったら私が嫌いな子にはなぜか甘いし……採点基準がよく分からないよね。ほんとに理不尽で、大っ嫌い!!」
公平性がなく、平等でもない。
アワンは不平等が、最も嫌いだった。
「でもそんな中にも、好きな人がいるから」
アワンは、ユウキを見る。
「大切な人がいる世界は、壊せないよ」
ユウキも、アワンを見ていた。
「また人じゃないか! 誰かのために、なんで君が我慢する必要があるんだ!!」
アワンの言葉を黙って聞いていたユウキは、ここぞとばかりに声を張り上げる。
自身の、旗色の悪さを感じ取ったからだろう。空気、気配、第六感――何が、それとも全てか、彼は、アワンの答えを既に確信したのだ。
「ううん、違うの。自分のため」
そんなユウキに、アワンはどこまでも本音を打ち明ける。
7年経った。裏切られ、裏切った。
それでも、アワンにとってユウキは――
「私がただ、一緒にいたいの。だからそのためなら、どんなに世界が私に厳しくたって、頑張れる気がする」
ユウキは――大切な友達だ。
アワンから拒絶されたユウキは、絶望に喘ぐ。
口を開き、閉じるが、言葉にならない。
だから、アワンは続けた。彼に、本心を贈る。ただ自分の言葉を、届けたかった。
「それに、やっぱり私は勇者が夢だから……」
アワン・コロノスではない。
それは、アワン・ラーヘルの――
「いつか私が救い出すために、世界にはちょっとくらい悪い子でいて貰わないとね」
夢だ。
アワンが選んだのは――幸せな過去ではなく、未来。
彼女は、自分を傷つけると分かっている世界に、不透明な未来に――
立ち向かう。
「だから、私はあなたと戦う!! あなたに立ち向かう!!」
そして今、やり残した最後の過去に――
「もう、逃げない!!」
戦いを、挑んだ。
「ムメイさん」
「ん?」
アワンの本音にも、宣言にも、顔色一つ変えない――そんなつれない男に、アワンは振り返る。
「私が戻るまでの間、ユウキの相手をお願いできますか?」
しかしアワンのその言葉には、ニヤリと笑みを浮かべた。
「お安い御用だ、勇者様」
続いて、アワンは隣の女性に目を向ける。
普段は女性代表みたいな顔をしているくせに、いざという時は隣の男をどこまでも立てる――そんな完璧な女を。
「私は儀式を。ルルワさん、手伝ってください」
「もちろん」
彼女も、アワンの言葉に力強く頷き、そして微笑んだ。
完全に吹っ切れ、今、己の過去の全てにケリをつける覚悟で、戦いを挑もうとする少女。
だが当然、それに納得する者ばかりではない。
ここには、彼がいるから。
「まただ……あいつらと同じだ……」
わなわなと怒りに震えあがる肉体。
その小さな体が、今は何倍にも膨れ上がって見える。
それは、霊気とでも言うべきもの。空間を歪ませるほどの膨大な気配が今――
「そうやってボクから!! またアワンを奪い去るんだぁ!!」
爆発する。
「行け!!」
「はい!!」
ムメイの命令と、アワンの返事。
獣の初速は、その間を当然のように掻い潜る。
「っ!?」
それはムメイを信頼し、二度と振り返らないとの覚悟を固めたアワンが、背を見せるよりも遥かに速い。
まさに、一陣の風。いや、直線に形を変えた台風だった。
「この悪霊がぁぁっっ!!」
丘を縦に切り裂くような猪突猛進に、アワンの体は強張る。
それは、肉体が反応することを拒絶した。いや、諦めたような現実。
事実、アワンはそれを目で追うことすらできず、ただその一撃を受けるために、その場に立ちすくむしかなかった。
しかし――
「<夜王の>――」
人外の速度に追いつく人外が――
ここには、いた。
「<先翔蹴>!!」
「ふぎぃっ!?」
過去を、未来が迎え撃つ。
今ここに、勇者に救われた二人の戦いが――
幕を開けた。




