第061話 犬吠精霊
「――いやー……ほんと人間って思った通りに動かないよね。悪い王子が強権発動して可哀想なお姫様を無理やり我が物に――って普通そのパターンでしょ。なんで奇をてらうわけ? 要らないんだよお前にドラマなんか。誰も求めてないっつの」
軽々しい口調、飄々とした態度。
一周して似合っているとまで思えるような姿は――子供だ。
己の予定通りにならなかったことに苛立つ、ただの子供。
「ふっ……ふっ……」
アワンが動けなかったのは、腹を貫かれ、今も大量の血を吹き出すケインの姿に動揺したから――ではない。
ケインには悪いが、既にアワンには、倒れている彼を気にするような余裕はなかった。
目の前に立ち、まるで友人のように気安く語り掛けてくる存在から、目が離せない、意識が逸らせない。
懐かしき過去の憧憬が彼女に重なり、その正体へと容易く結びつく。
流石に一度目の当たりにした力に既視感を抱かないほど、彼女の感覚は鈍くはなかった。
それ以前に、アワンの中にある心残りが、唯一にして無二の答えを導き出す。
彼は――
「何が勇者になるだよ雑魚の癖に。夢とか恥ずかしいからほんとやめてほしいよね。身の程知らない奴が一番見ててキツイってどうして――っっ!!」
ガリライヤーの時と同じだ。
アワンの思考が過去へと誘われ、心までもが想い出の中に囚われかけた、その時――
それは、来た。
「ぎっ!?」
歯を擦り合わせるような苦悶の声をその場に残し、ナトゥはアワンの前から一瞬にして消え去る。
まさに目にも留まらぬ速さ。アワンでさえ、何が起こったのか全く分からなかった。
しかし数秒後に、結果だけがアワンの視界へと映り込む。
発現した気配を慌てて追えば、そこには大祭壇に押し倒されるナトゥと、そんな彼女を踏みつけ、冷ややかに見下ろす吸血鬼の姿。
最も早く動き出した彼は、二人目の勇者が壇上に辿り着くよりも前に、闖入者の片足を踏み折る。
骨が折られ、肉が踏みつぶされる耳障な音が大聖堂を満たした時――これまでの遅れを取り戻すかのように、場内はパニックへと陥ったのだ。
そこからの事態は、まさに一気呵成。
誰もが予測できる通りに、予め決まっていたことを成し遂げるかのように足早に事は進む。
逃げ惑う人々、狂乱の神殿の中にあって――静かなのは、やはり舞台上のみ。
その刹那だけは確かに――
たった二人の存在に、スポットライトは当たっていた。
「凄いなぁ……女の子相手に。可哀そうとか思わないわけ?」
「思うよ?」
両者の視線が――交錯する。
しかしその時間は、あまりに短い。
急遽エントリーを果した吸血鬼――ムメイは、まるで確認するべきことは終わったとばかりに、視線を切る。
その後作業のようにもう片方の足も踏みつぶすと、彼はその後をもう一人の勇者に任せた。
「ルルワ」
「ええ」
ドレス姿の美女が、役割を引き継ぐ。
アワンを庇うように前に立ち、敵対者を睨みつけるのは、勇者ルルワ。
彼女も、敵を間違えない。ナトゥの背後にいる存在を、確かに見ていた。
アワンがようやく正常な意識を取り戻したのは、その頃だ。
そして、未だ動き出していないのは――彼女だけだった。
「――っ!!」
瞬間、少女を襲ったのは、立ち眩みのような敗北感。
今一度、痛感させられる。本物の勇者たちとの、圧倒的な実力差を。
自分が一番近くにいたというのに、何もできなかった。この中でアワンが一番、事情を知る者だというのに。
純然たる事実だからこそ、浮き彫りとなる格の差。
勇者としての資質――その真価を問われた気分だった。
それは、やはり自分では無理なのではないかと、再びアワンが自失の領域に足を踏み入れかけてしまうほど。
それだけ、ムメイとルルワの二人は、アワンから見て鮮烈だった。
しかし時間にして数秒にも満たないその迷いは――こちらを静かに見据える男の視線で、吹き飛ぶ。
「…………」
護衛たちに逃走を促されるのは、この場で最も価値の高い命。
必死の説得にも、断固として応じない姿勢は、まるでまだやるべきことが、見届けるべきことがあるとばかりに――
彼は、その場へと残っていた。
『彼女がお前を超えると? ここで負った負債を、未来の彼女は賄えるというのだな?』
『僕は信じてる』
この国の王として、そして一人の息子の父親として――彼は、それを見届ける。
瞬間――アワンは顔をあげた。
彼が、彼らが、アワンを見ている。
それを自覚した時にはもう、彼女は前だけを見ていた。
「ムメイさん!!」
ケインの傍らに膝を付き、腕を捲り上げているムメイの元へ。
情けなくてもいい、誰かに頼っても良い――ただ、この場にあって何もできない。何もしようともしない。そんな女にはなりたくなかった。
遅いかもしれない。呆れられたかもしれない。それでも、アワンは動いた。
「私に何かできることはありますか!?」
「剣を抜く。傷口を押さえててくれ」
「はい!!」
ムメイはアワンを一瞥すらすることもなく、指示を出す。
そこには、よく来たという賛辞も、動き出したアワンへの関心さえも、何一つとしてない。
ただ真剣な面持ちで、傷の具合を確認している。
アワンがここにいることなど、当たり前だとでもいうように。
それが――アワンにとっては、何よりの救いだった。
(何を考えているの!! 集中しろ!!)
開きかけた涙腺を、歯を食いしばることで無理やり閉じる。
そして白く、清潔なハンカチを懐から取り出すと、アワンは自らの呼吸を整えた。
「ごっ! こぷっ!」
合図はなかった。
ケインに対しても、アワンに対しても。ムメイは当たり前のように長剣を抜き去ると、鮮血を飛ばす。
素人目に見ても、肉体への負担は最小限の早業、いや、まさに神業だ。
それに張り合うような覚悟で、アワンは傷口を即座に押さえつける。
しかし臓器が損傷していたのか、アワンがもう一つの出口を塞いだ途端、血は逆流し、ケインの口元から噴き出た。
「頑張って!! もう少しだから!!」
などというが、アワンにはそれすらも分かってはいなかった。
ムメイがどんな手段でケインを救い出そうとしているのかすら、さっぱり分からない。それでもムメイが行動しているからには、何か策はあるのだと、そう信じていただけだ。
アワンが傷口を押さえている隙に、ムメイは引き抜いた血濡れの剣を、無造作に背後へと放り投げる。
それは放物線を描くような生ぬるい速度ではない。もはや投擲に分類されるような勢いだ。
しかしそれをルルワが難なく受け取り、ナトゥの喉元へとその切っ先を突き付けた時――時計の針は、ちょうど一分を刻む。
(すごい……)
場違いなことは分かっている。そんな状況ではないとも。
しかし――興奮、それと同等の敬意、羨望が、留まることを知らなかった。
お互いに、見もせずに。声さえもかけあうことなく。
どれほど互いのことを信頼していれば、ここまでの連携が取れるのか。
二人だって、こんな事態は全く予測していなかったはずだ。条件はアワンと同じだったはず。
(これが……勇者)
ここに並ばなければならない。
それがどれほど難しいことであるかを、アワンは改めて痛感した。
「少しずつ圧迫を緩めていけ。空気を隙間に入れるイメージだ」
「はい!」
半分何処かへと行っていた意識を、強引に引き戻す。
傷口を確認すれば、白のハンカチはあっという間に血に染まり、アワンの手すらも汚している。
凄まじい出血量。腹を貫かれたのだから当然だ。しかしその上から、さらなる血は振りかけられる。
「っ!?」
自身の手を切り裂き、そこから大量の血を流すムメイ。
突然の自傷行為に言葉も出ないが、それでも全く意味のないことをしていると思うほど、アワンはムメイという男を疑ってはいなかった。
むしろ、直感的に察する。彼は今、人を助けているのだと。
「隙間から、少しずつでいい。まずは傷口を浸すんだ」
「はい」
ムメイの血がアワンの手を満たし、ハンカチに浸み込んでいく。それを面にして包み込むイメージ。言われた通り、傷口を血で浸す。
「よし……ハンカチを抜き取れ。衣服を割いて傷口を晒すんだ」
「はい」
処置からまだほんの数十秒。本当に大丈夫なのか――そんな一抹の不安を追いやり、アワンは命令通りに動く。
剣で切り裂かれた衣服を強引に裂いて広げていけば、すぐに傷口の状態は明らかとなった。
(…………すごい)
「<美意識過善>」
既に塞ぎかかっていた傷口が、一気に修復していく。体温とは別の高温を放出するように、凄まじい熱気が立ち昇った。
それは、まさに神の所業だ。破壊された人体が、生物の定めに反して元に戻っていく。時間が逆行していく。
そして本当にあっという間に、ケインの傷口は完全に塞がったのだ。
「ムメイさん……この力は……」
「再生能力だ。俺の血は、同じく血の通う生物に限り――その肉体の損傷を修復することができる」
凄まじい能力。いや、奇跡の力だ。
そんなことができる吸血鬼の話など、アワンは聞いたことがない。
どれほどの代償を払えば、これほどの奇跡が――
「血を吐かせてやれ。それが終わったらここから――」
「あっ、もう終わった?」
ムメイの言葉は、そこで途切れる。
ムメイの急襲から、不自然なほどに喋らなかったナトゥが、再び口を開いたからだ。
その瞬間、ムメイは多大な警戒を滲ませる声で、能力を展開する。
彼は直感したのだ。嫌な予感を。何かが起こる前兆を。
「<反教底位>!!」
ムメイの警戒度がこれ以上に無いほど上がったことで、遅れてアワンも理解した。何かが起こるのだと。
きっとそれはアワンだけではない。緊張が緊張を呼び、もはや止めようもない混沌を招きよせる。
聖域が凶兆を帯び、今――
緊迫が――加速する。
「前も言ったけど……こんなに待ってくれるのはたぶんボクくらいだよ? ボクが話の分かる敵でよかったね?」
「本体が来るぞ!! 警戒を――!!」
「ばーか」
瞬間、アワンの意識は途絶えた。
***
「――っ!?」
事ここに至って、敵の正体が一体誰であるのか、そんな馬鹿みたいな考察をする時間はない。
ナトゥがケインを攻撃した瞬間、俺は直感した。来たと。
だがその気づきは、あまりに遅かったのかもしれない。
もはや呑気、平和ボケとさえ言えるほどに。
一度邂逅し、能力まで知っておきながら、この現実を想定できなかったとは。
「おー……君でもそんなに驚くことがあるんだね? 吸血鬼には心がないのかと思ってたよ」
似合わない表情、似合わない口調――記憶の中の彼女とは、似ても似つかない姿。
しかし、そこに立つのは――
「まあでも心中お察しするかな。能力知っておいてこの体たらくは、ボクでも死にたくなるもん。あれだけイキッといて、恥ずかしねぇ」
(…………アワン)
敵のような面持ちで相対するのは、仲間であるはずのアワン。
そして彼女が人質に選んだのは、レイラだ。彼女の首に手を回し、いつでも首の骨を折れるとアピールする。近づくなという要求は、明らかだった。
「ルルワ……その女から目を離すな。人数にも限りはないのかもしれない」
「分かってる」
意識を取り戻し、身に覚えのない痛みに苦悶の悲鳴をあげるナトゥが、演技でないとは限らない。生物である限り意識は一つのはずだが、やはりそうとも限らない。
様々な想定を繰り返しながら、俺は思考を続ける。
差しあたっては、目の前の状況。
既に<反教底位>は大聖堂を埋め尽くす範囲で展開しているが、まさかその内側で敵が動くとは、想定外だった。
両足を完全に砕き、動きを封じたことは、俺にとってもリスクのある判断。人形が使えなくなれば、本体が動くしかない道理。
だからこそ、いつか外からやってくるはずのユウキの本体ばかりを俺は警戒してしまっていた。
当然だ。12使徒本人がここに乗り込んでくることが、俺にとっては一番の脅威。これに真っ先に対応できる存在は俺をおいて他にいない。そこを突かれた。
(アワンを押さえられるか? 身体能力は憑依先に依存するはず)
ユウキがアワンの肉体を傷つけることは、まずないと思っていい。
それならわざわざ人質を取る必要がないからだ。この現状は、アワンの体を人質として使えないと言っているも同義。
ならばアワンさえ身動きができないように封じてしまえばいい話。そして俺の身体能力なら、アワンがレイラを殺すよりも前に彼女を押さえつけることも可能だろう。
だが――
「…………」
ニタニタと似合わない笑みを浮かべるアワンの表情に、踏み込めない。
決してハッタリではないと感じさせる何かが、そこにはあったからだ。例えれば手を触れた瞬間、爆発しそうな怖さがある。
「どういうことなんだ? 今レイラから近づいて行ったように見えたが……」
「ああ」
隣に並ぶのは、復活したケインだ。
助けられた礼などはなく、今必要な会話だけを選ぶ彼の言葉に、俺は相槌を打つ。俺にもそう見えたと。
俺が見ていた限り、レイラは突然起こった今回の事態を前に、静観という道を選択していた。
自分が出しゃばっても場をかき乱すだけだと思ったのだろう。正しい判断だ。壇上に上がれば、ユウキが彼女を人質に取っていたかもしれない。
だが群衆に混ざって逃げるほどここに必要ないとは思っていなかったのか、端の方で固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
そんな彼女が、突然大聖堂中央あたりへと移動を開始し、示し合わせたようにアワンも彼女の元へと向かったのだ。
ユウキが乗り移ったナトゥの行動と、本体の急襲にのみ警戒していた俺は、その二人の奇怪な動きを見逃してしまった。
まさかユウキが二人に乗り移ったなど、アワンが口を開くまでは全く気が付かなかった。それほど脈絡や兆候というものがそこにはなかったから。
「敵は7年前の悪夢だ。奴は憑依のような術を使う。この様子だと、対象にも人数にも限りはないのかもしれない」
「っ!」
端的な情報伝達に、ケインは目を見開き、即座に表情を引き締める。
敵がどれほどの存在か、今がどれだけの危機的状況か、悟ったのだろう。
「いやー違うよ? 乗り移れる対象にはちゃんと条件があるし、一度に操れるのは乗り移った一人だけだ。この子を操作してるのはまた別の能力なんだな~これが」
「っ! レイラ、意識はあるのか!」
「あ、あります!」
ユウキの能力開示に、レイラの表情を即座に確認する。
アワンの状態にばかり目を引かれてしまっていたが、確かに彼女には己の意識があるようだった。
だがやはり、演技の可能性は捨てきれない。
「一番大事なことはなんだ!?」
「一番は立ち向かうこと! 二番は何に対して謝るかです!」
(本人……本当に別の操作能力……)
これは、非常に厄介だ。
憑依能力の適用対象の条件すらまだ分かっていないというのに、別の操作能力まで存在する。こうなると、数の利はむしろ不利になる可能性も出てきた。
(俺は不可能だ。問題はルルワ……)
精神支配無効であり、レベル上限の俺には関係ない話ではあるが、ルルワが12使徒の能力に抵抗できるかどうかは本当に五分五分だ。
能力の性質次第でどちらにも転びうる。それはガリライヤーでの一件でも既に証明されていること。
そして一度彼女が敵に回れば、被害は甚大。俺も12使徒を捌きながら彼女の相手はできない。
「俺は邪魔か? 騎士たちは?」
「本体が出てくればそうなる。ただ現状では……まだ何とも言えない」
「ルルワ様を押さえる役か?」
「ああ」
ケインが頼りになりそうなことは、非常に嬉しい誤算だった。彼は戦力になると、大量の血を消費してまで復活させた甲斐があったというもの。
事が起こってからまだ5分弱。
既に会場内には観衆たちの姿はなく、王の避難も終えている。それに入れ替わるように突入してきた全身武装の騎士たちが陣形を展開し、大聖堂の色を変えた。
ケインが手信号のようなもので指示を出したのか、騎士たちは敵を間違えず、アワンに向けて武器を構える。
一触即発の状況ではあるが、ユウキの狙いが全く読めないだけに、動き出せない。
(時間稼ぎ? 自分から正体を明かしておいて?)
逃げるということはあり得ないだろう。
それでは何をしに来たのかという話だ。アワンに乗り移り、戦うというのもおかしな話。40試練程度では相手にもならないことは既に教えているのだ。今更人質程度でなんとかできるとは思っていないはず。
だからこそ、この意味のない時間が不気味だった。
「何の時間なんだ……これは? 相変わらずやることなすこと意味が分からないな」
「それは君が馬鹿だからだろ? 自分の理解力の低さを他人のせいにするのやめてほしいね」
この状況を楽しんでいるとさえ思えるような、余裕の態度。
本体がこの場にいないのだから当然ではあるが、それはあまり関係ない気がした。
真っ向から戦ったとしても、決して負けるとは思っていない。
その確固たる自信が、アワンの表情からは伝わって来る。
「まあいいさ。目的は二つ。一つは花嫁を攫うこと。そしてもう一つは――」
そしてその予感は、気のせいではなかった。
「宣戦布告だよ」
(…………なるほど)
わざわざ喧嘩を売るために、こんな遊びをしでかしたらしい。
随分な余裕だ。よっぽど自信があると見える。
「7年前の悪夢にケリを……良い機会じゃないか。こんな豪華なセットも用意してくれたみたいだし、ボクも乗ってあげようと思ってさ」
その時、レイラの体が――膨らむ。
いや違う。彼女の体の形に合わせるように、何かが飛び出たのだ。
それは、まさに悪霊を思わせる――
(まさか――!?)
「今、過去の全てにケリをつけよう……この聖域で」
邪悪な笑みが深まった時、俺は飛び出す。
しかし、その手が届く前に――
「<犬吠精霊>」
レイラの肉体から、毒は爆ぜた
***
「はははははっ!! ばいばーい!!」
一気に大聖堂の内部を包み込むほどの大量の気体が放出された時――まさに煙に巻くように、アワンは逃げ去った。
それも、毒を放出し続けるレイラを抱えて。それにいち早く反応したのは、ケイン。彼は逃げる敵を追いかけようと踏み込む。
しかし――
「逃げるぞ!? 追いかけ――!!」
「駄目だ!! 全員伏せろ!!」
俺と入れ替わるように前へと出ようとしたケインを、強引に床へと叩き落とし、警告する。そして警告の結果を確認もせずに、能力を発動した。
指定したのは、こんなこともあろうかと事前に触れておいた――巨大な大扉。俺は使えそうなものには日頃から積極的に触れることを心掛けている。その備えが、死中に活を開く。
「<一触即動>!!」
純大理石で造られた巨大な二つの扉を団扇のように見立て、仰ぐ。豪快な一薙ぎは大聖堂内に爆風を巻き起こし、唯一の風の通り道へと気流を運んだ。
それに乗って出ていくのは、まさに悪意が具現化した毒々しい気体。
突然の台風に見舞われた者達は、吹き飛ばされないように必死にその場へと伏せる。
彼らが顔をあげた頃には、そこには既に毒の大部分はなかった。しかし――
「ああああっ!?」
「っ!!」
絶叫は、一人から。そして伝染するかのように、それは広がった。
(早い!! 中毒速度が尋常じゃない!!)
対処は、最短だった。自画自賛をしても文句を言わせないほどの、完璧な対処。
しかし――あまりに遅い。
最も近くで毒を浴びた騎士たちが、悲鳴をあげ、苦しみに足掻き、悶える。
それでも毒を飛ばすのが早かったことが幸いしたのか、狂ったように暴れている――というわけでもない。
だが即死した方が楽だったと思える程度の痛みは、兜から見える大量の脂汗が証明した。
「どうする!? どうすればいい!?」
レベルが高いものはある程度抵抗できることは、アダの例からも既に分かっている。痛みに耐える騎士たちに手を貸すケインからは、毒の影響は見られなかった。
ハンカチで口元を押さえるルルワの気配も、大きく揺らいではいない。少なくとも、この程度の毒なら俺はもちろん、二人も大丈夫のようだ。
「通常の回復手段は効果がない。俺の血を試す。最も重症の者をここへ!」
「分かった!!」
ケインが最も暴れる一人の元へと即座に駆け、引きずるようにして連れてくる。
その隙間を縫うように、ルルワは俺へと声をかけた。
「二人はどこへ向かったの?」
「分かれたようだ。アワンは物凄い速度で人気の無い場所へ、逆にレイラは人が多く集まる場所へと向かっている」
探知範囲を広げ、すでに<反教底位>はコロノス領全域へ。
長時間これはかなりしんどいが、二人を追わないことには話にならない。今思うことではないかもしれないが、この能力を持っていて本当に良かった。
もしなければと思うと、ぞっとする。少なくとも、この状況では既に詰みだ。
「なるほど。アワンとレイラには毒の効果がないみたいね」
「ああ……でなければ二人ともさっきので即死だ。アワンは己の能力で無効化、レイラは術の使用上対象に適応されないんだろう。散布係が動けないんじゃ、話にならないからな」
つまりレイラの役割はそういうことだ。
毒を振りまき、中毒者を増やす。人から人へ感染することがないのであれば、源泉を増やすしかない。レイラはその役目に選ばれたのだ。
そしてアワンは――
「…………駄目か」
薄々そうではないかと思っていたが、やはり俺の<美意識過善>では毒に対処することはできない。
あくまで肉体の傷、損傷に限られる。体内の毒を吹き飛ばすような効果はないようだ。
「ナトゥは治癒が使える。彼女を動けるようにするか?」
作戦会議に加わったケインの提案を、俺は即座に否定する。
「いや、再び操られたくない。可哀そうだが彼女はそのままだ。それに、もし操られないにしろ、彼女がこちら側につくとも限らない」
「ロフォス家の裏切りを想定しているのか?」
「可能性はなくはない。娘を捨て駒に差し出したとは考えなくないけど」
いずれにしろ、壁に到達している彼女を自由にするわけにはいかない。味方を増やすメリットより敵を増やすデメリットの方が大きいからだ。
そしてどちらに転ぶか分からない以上、これが安全策。これ以上面倒事を増やすのは御免だ。
「ではどうする?」
「差し当たって対処すべきはレイラだが、彼女を押さえたところで毒の放出が止まるわけでもなし……既に事態の解決にはアワンの存在が必要不可欠な段階に至っている」
「だけど、時間をかければかけるほど、犠牲者は増えていくわよね。このままレイラを自由にさせるわけにはいかないわ。誰かが彼女を止めないと」
「ああ……ユウキの討伐、アワンの救出、レイラの足止め。これら三つを同時に、並行して行う必要がある。それも、出来るだけ早く」
事態は最悪に近い。
だが、希望がないわけでもなかった。7年前とは違い、毒の浄化手段がこちらにはあるからだ。アワンさえ取り戻せれば、即死の者以外は何とかなる。だからこそ、時間だ。
「レイラのことは、俺に任せてくれないか?」
「…………」
真っ先に己の役割を理解し、進言してきたケインと――俺は目を合わせる。
交錯した時間は一秒にも満たない。それだけで、俺はすぐに視線を切った。
「任せる。行くぞルルワ」
「ええ」
そして、即座に駆け出した。
目指すは、アワン。彼女こそが、この戦いの希望だ。




