第060話 悪夢の再来
「――いやー緊張してきたな。あいつあがってなきゃいいけど」
「父親?」
大聖堂の中を、俺たちは歩く。
吹き抜けの渡り廊下には、綺麗な庭園。定期的に庭師が入っているのか、芝も草木も花々も、それぞれが幻想的な美しさを見せる。そんな人工物と自然が調和した光景には、巨大な噴水から木々で形造ったよく分からない造形物まで――様々な趣向が置かれているようだが、俺にはその意図するところは分からない。
本当にこの庭が必要だったのかすら分からないくらいだ。たぶん必要ないと思う。
「俺がアワンを、ケインのところまで送り届ければいいんだよね? 予行演習とか呼ばれてないんだけど、何か手違いでもあったのかな?」
「間違いならあるわよ。あなたは父親じゃないもの」
「え、父親にならくてもいいんだ……ふーん」
「ちょっと待ってよ! ずるいわよそんなの! 引っ掛けだわ!」
俺たちはいつもとは違うドレスアップを遂げ、いつも通りのイチャイチャを繰り広げながら歩き続ける。
やがて幾本もの柱が左右へと立ち並ぶ、中央回廊へと差し掛かった。
空から降り注ぐ光の柱をモチーフとした通路。床も天井も壁も、いたるところが万華鏡のような柄に施され、ひかりものが苦手な俺は、目がチカチカすると心の中で愚痴を吐く。
入り口からここまで、歩くこと数十分。俺たちはようやく、メイン会場へと辿り着いた。
「これ今回の結婚のためだけに作ったの? 凄すぎない?」
通ってきた通路だけでも信じがたい規模だ。
もはや教会ではなく大聖堂、神殿とすらいってもいい。
冗談じゃなく神が住んでいそうだ。一体どれだけの金がかかったかなど、現在進行形かつ未来永劫の無一文が約束された俺では、想像もつかない。
「当然よ。たぶんこの国で一番の式になるわ」
そのあたりのお金の計算ができるルルワがここまで言うのだから、やっぱり今回のイベントは世界的に見てもかなりのものなのだろう。
というかこの規模の建物数週間で建てられるって、異世界の建築技術はどうなっているのか。これも天術や魔術の力なのだろうか。
(アイテムの生成は質量因だったな……でも設計にあたりそうだから形相因? 今度アワンに聞いてみるか)
今日の結婚式までの長いようで短い時間、俺は自身の能力開発に奔走しながらも、ルルワと何度となく話し合いを重ねた。
そしてお互いの理想と妥協点を探り合った結果、もう結婚してもいいんじゃないかという結論になったのだ。
俺の理想は、アワンがルルワとの問題をちゃんと解決し、俺たちとの友達関係を継続すること。
そしてルルワの理想は、アワンが仲間としてこれからも同行してくれること。
これらの理想は、別に結婚しても叶うものだ。現在保留となっているケインの提案に、こちらも要求を重ねたうえで同意させる。無論その要求とはアワンの帯同。
コロノス家当主に当主代理に据え、引き続き領地運営を任せ、ケインとアワンの夫婦で力を貸してもらう。
難しい要求だが、この結婚そのものを破断させるよりはまだ現実味があるだろう。というより、俺たちにはもうそれくらいしかできない。
(あとはちょっと待ったぁ!だけど……やっぱアホだよな)
吸血鬼の特攻で式そのものをぶち壊し、新婦を攫ってめでたしめでたし。俺の力なら彼女を世界の果てまでも攫えるだろう。物理的には可能だ。
だがやはり、これは何度考えてもアホの所業だ。後のことを全く考えていないとしか言えない。
ルルワの立場も、アワンの立場も同時に、それもこれ以上に無いほどに貶めることになる。この先の人間社会での立ち回りを考えると、本当に頭が痛い話だ。
現状この国にいることさえ、俺たちは綱渡りに綱渡りを重ねてなんとか乗り切っているところ。火種を業火に代え、それを世界に押し広げるわけにはいかない。むしろ是が非でも、ここで鎮火しておく必要がある。
この国はいいモデルケースであり、絶好の試金石。人外に苦しめられた過去を持つこの国で、吸血鬼の存在を認めさせることは、この先の旅を幾分楽にするはずだ。
(やっぱあの土下座は、ファインプレーだったよなぁ……)
我ながら本当によくやったと思う。
この国の凄惨な過去、複雑な政治体制を鑑みれば、奇跡の一手ではなかろうか。
あれがなければ、たぶん俺は今この会場に来られていない。なぜなら今回の儀式は、ユウキがこの地に残した毒を浄化し――過去を清算するためのものなのだから。
「入るわよ。アホ面やめて」
「キィ」
飼い主の命令に、俺は即座にペットへと移行する。慣れたものだ。このまますぐにでも四足形態にも移れる。怒られるのが怖いので流石にやらないが。
入場に際し、こなさなければならない手順がいくつかあるようだ。俺はルルワの背にぴったりと張り付き、彼女の真似をする。
まずは式場入口の洗い場で手を洗う。今日も今日とてハンカチを持っていない俺は、ルルワのものを貸してもらった。
その後、女祭司が手に持つお香の前に立ち、その煙を全身に浴びせられる。これらは神と対面するにあたり、最低限身を清めるための行為なのだそうだが、なぜか俺だけ重点的に香りづけされた気がした。しかも数人がかりで。
「なんか俺だけ扱いちがくなかった?」
「気のせいじゃない?」
俺たちは小声で、かつ耳元で囁き合う。
首元から香る香水の匂いが毒だ。剥き出しのうなじを舐めるように会話する。
これは言うまでもなく、俺の言語対策だ。周囲の者達にはたぶん「キィ? キュイキュイ、キュキュ!」みたいなことを喋っていると思われていることだろう。
そんな吸血鬼の言語をいとも簡単に理解して見せる勇者の姿に、感心するような視線が集まる。気持ちは分かる。上記の言葉を本当に理解しているのであれば、俺だって感心するだろうから。
列に流されるようにして、ようやく俺たちは目的地へと辿り着く。
神の御許へと続く出口にも、地獄の入り口にも見える重厚な扉を潜り抜ければ、そこは、荘厳かつ神聖な空気が充満している場所だった。
大聖堂の中央部にして最奥――大祭壇の間。ここが、挙式と儀式が行われる予定の式場だった。
「…………」
凄い。正直、惚れ惚れするような美しさに、飲めない息を飲みこむ。
内部は大きな十字架を模したような造りになっており、それは上下左右どの角度から見ても同じ。
左右の壁面には、空にかかる虹をそのまま閉じ込めたような――鮮やかなステンドグラスの数々。
奥には、複数の像に囲まれた小祭壇たち。その中央部分の大祭壇には、誰も入っていない聖棺が置かれていた。
音響、演出、空気、光の入射角――全てが計算され尽くしたような完璧な設計。
まさに大聖堂。これ以上儀式に相応しい場所が他にあるとは思えない。
「こっちよ」
おのぼりさんよろしくポケーと見上げていた俺を、ルルワが引っ張る。
俺は導かれるままに、席へと腰かけた。
座ってから気が付いたが、なんと最前列だ。しかも俺とルルワ二人用に小さなパーテーションのようなもので仕切られている。こっそりエッチなこともできそう、でもないか。前から丸見えだ。
流石にアワンも自分の結婚式中に俺とルルワのイチャイチャを見せられたらたまったものではないだろう。俺も気まずい。
席は中央から外れた端の辺りではあったが、だからこそ吸血鬼への配慮が感じられる。それは当然どちらにもだ。俺たちの微妙な立場を鑑み、考えに考え抜いた末の妥協案だと思われた。
「うー緊張する。いつ頃呼ばれるんだろ? カッコつけてメモ置いてきちゃったんだけど、やっぱ早まったかなぁ……」
「何のよ」
すぐ隣に、遅れてルルワが腰かける。
ドレスのスカートを寄せる仕草が、なんとも淫靡だった。
距離が近いので、まるで映画館のカップルシートを思わせる。小声で話せば会話も聞こえないと思われるので、俺も言語を取り戻した。
「友人代表スピーチに決まってるだろ? きっとサプライズ指名だと思うんだよね。そういうとこあるじゃんあいつ。どれくらい驚いたらいいかな? あんまりやり過ぎるとわざとらしいよね」
「知らないわよ。それに、父親じゃなかったの?」
馬鹿を見るように細められた目、呆れを隠さない表情。
俺は今気が付いたとばかりにハッとし、そして居たたまれなくなり、顔を逸らす。
「あっ……ごめんルルワ。君をさしおいて喜んじゃって。ルルワも十分仲良いとは思ってるよ? たぶん俺の方が話が上手いから指名されるんであって、決して友情に差があるわけじゃ……」
「架空の、それもあり得ない未来で同情しないで。あと、仮に友人代表スピーチがあるとしても、絶対にあなたじゃないから。アワンの友人代表はレイラだから」
「うん。だから俺が言ってたのはケインのことだよ」
「なんでなのよ」
逆になぜアワンだと思ったのだろうか。
アワンの友人代表はレイラに決まっているだろうに――そんな顔で怒り顔の勘違いルルワを眺めていると、それは来た。
「っ!!」
その気配を捉えた瞬間、俺はその場から即座に立ち上がる。
そして通路へ向けて最敬礼。深く頭を下げると、彼を出迎えた。
「その忠誠心は何なの?」
入場した王に直角に頭を下げる吸血鬼に、ため息を吐く勇者。
俺はそんな無礼者を無視し、最敬礼で王を出迎えたのだった。
***
挙式。
結婚を成立させるための儀式であり、本来結婚式では一番最初にこなさなければならない手順ではあるが、今回は違った。
まさに例外中の例外。式を挙げる前に、彼女には勤めがある。
新郎たるケインが聖域の心臓部たる大祭壇で彼女を待つのは、誓いの言葉を交わす為でも指輪を交換するためでもない。儀式を、見届けるためだった。しかし――
「…………」
ケインは、見惚れていた。
ウェディングドレスでもなければ白無垢でもない、聖衣たる大祭服に身を包んだ一人の少女。
その姿が、あまりに美しかったから。
それは、あの日、あの瞬間にも匹敵する――鮮烈だった。
(…………美しい)
頭部には、神の代行者の証たる聖冠。
金の輝きが月の輪を思わせる本体には、無数の宝石があしらわれ、そこから目元まで垂れる薄いヴェールが無垢なる表情を心ばかりに隠し、神秘性を匂わせる。
刺繍入りの聖衣は、神名や聖句、天術の効果を高める紋章、呪文――そのほか様々な文字が施され、その上に床を引きずるほどの重厚な外典衣が少女の体を包み隠す。
装飾も華美だ。腰や胸に巻かれる聖印帯は、権能を封じ、外すことでそれを解放するための楔。宝玉をあしらった神符飾りは、聖遺物。祈祷数珠に聖鎖、手袋、聖杯――肌を見せないことは当然とばかり、まるで重りさえ自身に背負わせるような姿。
しかし――神秘だった。
入場は一人。
まるで誰も触れることは許されないとばかりに、彼女だけ。
幾カ所から感嘆の吐息がこぼれ、熱のような視線が彼女へと集まる。そんな中を、少女は進む。
一歩ずつ、少しずつ、しかし着実にこちらへと近づいてくる、己の元へと向かっているアワンの姿に――
ケインは、懐かしき過去の憧憬を思い出していた。
『私はいずれ、7人の魔王を討ち滅ぼす者!! この世界を救う勇者です!!』
始まりは、あの瞬間――
あの時にはもう、ケインの心は奪われていた。
『そんなに私が怖いんですか?』
アワンを超えることだけが、ケインの目標だった。
そのために、ただひたすらに努力し、これ以上に無いほどに努力し、壁を目指した。
彼女に相応しい男になりたかった。彼女に見て欲しかったから。
『決闘しようぜ』
特別病院への支援もその一環。
これ以上彼女の心が傷つかないうように、彼女がいないうちに、何とかしてあげたかった。そのためにレイラを拾い、力を借りたのだ。
ケインに出来たことといえば、金の工面や設備の補充程度。所詮は自己満足の類だったが、それでも良かった。
『じゃあ俺が勝ったら……今日から俺が勇者な』
全ては、ケインの自己満足。自分勝手ですらある。
ケインはただ――
アワンのことが、好きだっただけだ。
「では、儀式を執り行いたいと思います」
壇上にあがったアワンは、ケインの手を取るようなこともなく、会場全体へと振り返る。
堂々たる立ち姿は、まさに神の代行者。彼女なら奇跡を見せてくれそうだと、当然のように思わせる。
彼女の天術の特性、そして条件上、神の前で夫婦の誓いを立てるわけにはいかない。だからそれらは、儀式が成功したあとになる。
つまりは、まだケインとアワンの結婚が確定しているわけではないのだ。この儀式の成功如何によって、この先の未来が決まる。
そして毒に苦しむ人々全員を救うことができた暁には、アワンは神への信仰を捨て、ケインの妻となることを承諾してくれた。
それがこの結婚式の全て。この式場は、人を救うための場所なのだ。
「ですがその前に……私に少しだけ、お時間をいただけますか?」
予定のない発言。
僅かに会場の空気が揺れる中、アワンはゆっくりと振り返る。目が合った瞬間に、ケインは全てを悟った。
だから――
「…………ああ」
ケインは、微笑む。
そして――静かに、目を伏せたのだ。
「まずは、感謝を。皆様のお力がなければ、私は今、こうしてこの場には立てておりません。私にこのような機会を与えてくださったケイン王子をはじめ、結婚をご承認いただきました陛下、並びに皆々様方には、本当に多大なる感謝の気持ちでいっぱいです」
「…………」
拍手はなかった。
誰もが場所を弁え、態度を弁える。彼らは7年前の悪夢を晴らす、歴史の生き証人としてここに呼ばれたのだ。与えられた役割と立場が、軽々しく動くような愚を犯させない。
「そして、謝罪を」
その言葉に、会場の空気が変わり始める。
沈痛な面持ちで瞳を伏せる祭司。そして今回の結婚式の新婦でもある彼女は――
この会場でただ一人――微塵も動揺していない新郎へと、振り返った。
「ごめんなさい。私はやっぱり、結婚はできません」
「…………」
大きく揺れ動き、どよめきがあがる会場の中にあって、その場だけが静かだった。
ケインは、ゆっくりと目を見開く。そして、アワンと向かい合った。
互いに見つめ合い、その心を伝え合うような時間。
アワンが言葉を続けようと口を開きかけた時、彼女は動いた。
「いまさら何を言っているの!? そんな我儘が許されるはずないでしょう!?」
立ち上がったのは、コロノス公爵。
最前列から放たれた彼女の言葉は、まさに正論だった。だから、アワンは甘んじて受け入れるとでもいうように、そちらへと向き直ろうとする。
それを、ケインは許さなかった。
「神の御前だ。儀式前の今、発言を許されているのはアワンと私だけのはず」
それは大公であろうと、また王妃であろうと関係ない。
神聖なこの場を汚す権利は、何人にも与えられていないものだ。ここは、コイラスの未来を左右する場所なのだから。
静かに立ち上がったコイラス王の手振りにより、コロノス公は着席せざるを得ない。いかに彼女といえど、王命と神命、この二つに抗う術はないのだから。
それでも、場内の喧騒が収まるわけではない。
誰もが、彼女の発言に注目する。
「聞かせてくれ、君の言葉を」
そんな中、ケインは続きを求めた。
そして不安と罪悪感に揺れるアワンに対し、精一杯、優しく声をかける。
不器用な王子の、不器用な優しさ――それが彼女に伝わったのかは分からない。
ただ、ケインにも分かることがある。
ケインはこの時を、待っていたということ。
相反する感情。二つの意思。どちらも彼の本音だ。
しかし、彼はずっと――その言葉を待っていたのだ。
「私は!! 勇者になりたい!!」
宣言に、ケインは目を見開く。光に照らされるように、眩しかった。
過去のアワンの姿と、今の彼女の姿が――重なる。
しかしその表情は、過去のものとは全く違っていた。
「…………そうか」
ケインは、その顔に笑みを湛え、頷く。
しかと、その言葉を受け止めた。
言い訳の言葉は一切ない。
ただ真っ直ぐな、あまりにシンプルな要求。
そんな中、ケインが思い出していたのは――
やはり、過去に贈られた、彼女からの言葉だった。
『夢を口にする度胸もない腰抜けが、私の邪魔をするな』
ケインを、打ちのめした言葉だ。
ケインに、勇気を与えてくれた言葉だ。
何もなかったケインに、彼女が与えてくれた。
大事なものを。
「俺も同じだ。俺も……勇者になるのが夢だ」
ケインは勇気を振り絞り、それを口にする。
アワンはケインに、夢を与えてくれたのだ。
こぼれんばかりに目を見開くアワンの表情に、ケインは苦笑する。
そりゃそうだよなと。
自分で言うことではないが、あまりに似合わない。それくらいは、ケインも己というものを知っていた。
だが、なりたいと思ってしまったのだから仕方がない。
アワンは、ケインの憧れであり、目標だったのだから。
彼女が夢を与えてくれたのだ。だから――
「競争だな?」
「っ!」
ケインは己の恋心に、今一度向き合うことにした。
捨てたわけでも、諦めたわけでもない。むしろ、これからだ。
ケインは――勇者を夢見るアワンに、惚れたのだから。
「はい、競争です」
花のように咲き誇る笑顔。
これまでに見たこともないその表情に――ケインは思った。
俺は、間違っていなかった。
ようやく、彼女と対等になれた。
「神前での無礼……心得ているが、これだけは問うておきたい」
ケインとアワン――二人だけの空間に水を差したのは、神の次に偉い存在だった。
責任を受け止めるように、アワンが正面から彼と向かい合う。ケインも同じ気持ちで、王と向き合った。
「両名納得の上だと言うのであれば、破談を見届けるのもやぶさかでは無し。だが今日を迎えるために、多くの者達が手を貸し、協力してくれた。そして今回の婚姻は、この先のコイラスの未来のための投資でもあった。それは理解しているな?」
王の言葉は、一言一句正論。
現状は、アワンとケインのわがままだ。あまりに身勝手な決断であり、それは当人同士が納得しているからどうという問題ではない。事態は、もはやそう言うレベルに収まる話ではないのだ。
文字通り国を巻き込んでいる。これを覆すのは容易ではない。
「この負債を、どう賄う? お前たちは一体、これにどう責任を取る?」
ケインは、口を開かなかった。
破談の申し入れを受け入れたケインも、ここに至ってはアワンと同罪だ。彼はそれをちゃんと理解していた。
それでもなお口を閉じるのは、最初に応えるべきは自分ではないと、ケインが弁えていたから。
いや、願っていたからだ。
それはもしかしたら、ここにいる誰もが、求めていた言葉なのかもしれない。
みな、願っていたのだ。
本当は誰もが――彼女を待っていた。
「私はいずれ、7人の魔王を討ち滅ぼす者!!」
英雄の――再来を。
「この世界を救う、勇者です!!」
勇者の血の――答えを。
「そうか……」
少なくとも、彼は待っていた。
懐かしいものでも見るように細まる瞳は、優しさに溢れていた。
彼は死に際に息子が残した言葉を、思い返していたのだ。不安ながらも、恐れながらも、それでも立ち向かう意志を示す少女の姿に――
王は、確かな可能性を見た。
「いずれ世界を救う者を、縛り付けることはできまい。人の未来のために、我も王として、この結婚に反対しよう」
王の決断に、会場は揺れる。
ケインは有無を言わさず、そこに畳みかけた。
「直近の問題である金銭面については、私が。その他諸々の責任も、言い出しっぺの私が取るつもりです。コロノス公に関しましては申し訳ありませんが、どうか妥協して頂きたく。ですが儀式が成功し、7年前の悪夢――その毒が浄化されれば、今回のことも決して無駄にはなりません。あとは――」
ケインは、アワンを振り返る。
不安と緊張に揺れる少女。だが、これ以上に無い勇気を振り絞る彼女を――ケインは、信じた。
「この先の彼女の働き如何ですが……私は彼女こそがこの世界を救う勇者だと、そう信じております」
それは決して、口だけではない。
ケインは、アワンこそが世界を救う者だと、心から信じる。
あの日からずっと、それを信じ続けていた。
「ああ……私もだ」
それは――王も。
彼もまた、彼女こそが勇者だと信じる者の一人。
本物に魅せられ、己を偽物と評価した勇者。
しかしそんな彼女を本物と思う者も、確かにいたのだ。
アワンが流す涙は、これまでとは趣が異なる。
まるで一本の線を描くように、その涙がこぼれ落ちようとした時――
「ちょっと待ったぁ!!」
甲高い声が、大聖堂に響き渡った。
「――っ!?」
それは、お約束のフレーズだ。誰もがその言葉を聞くだけで、即座に頭に思い描く。
式場に乗り込み、花嫁を攫いに来た――もう一人の男を。
しかし――
「その結婚、ちょっと待った」
待ったをかけたその存在は――
女だった。
「いや結婚って言うかさ、この展開にちょっと待ったなんだけど。何だよこの空気。この流れ。ほんと意味分かんないよ。誰もおかしいって思わないわけ?」
堂々たる態度、もはや開き直りとさえ思えるように軽々しく躍り出たのは、ドレス姿の美女だ。
その女を知らない者はここにいない。
この国の王家の――その血が流れている女を。
「ナトゥ……」
ナトゥ・ロフォス。
これまで固く沈黙と不動を保っていた女が、何がきっかけか、その重い腰をようやくあげたのだ。
「なんでみんなして許す感じになってんのか、ほんと意味分からん。全然美談じゃないでしょ、ただのわがまま女じゃんか」
「ナトゥ……どういうつもりなんだ」
このタイミングで異を唱えるナトゥの姿に、ケインは驚きを隠せない。
それは発言の内容にではなく、その行動にだ。
ナトゥは良くも悪くも普通の女だ。弱い立場の相手の前では強気に出れ、相手が強い立場では一転大人しくなる。
貴族とは思えないほどに、普通。ある意味小市民的な性格の女。
だからこそ、数多くの王侯貴族が揃うこの場で、自分から目立ちに行くような真似をすることが、信じられなかった。
「どういうつもりはこっちのセリフだって! お前もさーもっと怒れよ。俺様に恥をかかせやがって!ふざけんなよクソ女!みたいな感じにさ。殴ったりしろよ。どう見たってお前は日常的に女殴ってる顔じゃんか。お前はそういう奴じゃないと駄目だろ? 役割に徹しようよー」
ぶつくさと文句を垂れながら、軽やかな足取りで壇上へと赴くナトゥ。
この光景を静かに眺める吸血鬼が、ブロードウェイを歩くミュージカル劇団員のようだとそんな感想を抱いている頃、彼女は大祭壇の前へと到着する。
あまりの暴挙に、ケインとアワンは言葉を出せない。
ただただナトゥの奇行に、驚くだけだった。
「悪い王子から花嫁を救い出すってのがセオリーなのにさ。ほんと誰だよ脚本書いた奴。責任者呼んできて!」
それは、会場の人間たちもだ。
異質な存在感。まるで躁状態の人間を見守るように、大聖堂は独特の緊張感で包まれる。
誰もが呆気にとられ、言葉が出せない。
だがそれも、長くは続かなかった。
「まあいいか。ようやく待ちに待ったボクの出番だ。君も待ちわびてたよね」
二人の間に割って入ったナトゥは、アワンへと振り返る。
軽い挙動、軽々しい言葉。だからこそ、誰もそれを予測できなかった。
どこから取り出したのか、抜き身の剣が――ケインを貫く。
式場が鮮血に染まった瞬間――ようやく、人間たちは気が付いたのだ。
「アワン、助けに来たよ」
悪夢が――再来する。




