第058話 テトラー
「――コロノス様、お話中申し訳ありません。ブーノス様、そろそろお時間かと思われます」
レイラは畏まった態度で話に割って入る。
メイドごときに口出しされ、不快気に顔を歪めるのは――現コロノス家当主にして、アダの母。
レイラにとっては血縁的に無関係でありながら、決して無関係とまでは言えない人間だ。
そしてレイラを見て助かったとばかりに表情を弛めるのが、王子ケイン・ブーノス。
「申し訳ない。立て込んでおりますので、私はこれで」
「しっかり頼むわよ」
「ええ」
ケインは一礼すると、足早にレイラの元へと向かって来る。
早くこの場から去りたいという感情を、隠しもしなかった。
その感情は、合流した直後にレイラへとぶつけられる。
「ほんとうるせえな、あの婆さん。何回同じ話聞かされりゃいいんだよ。認知症にも限度があるぞ」
「私ももう何度目になるか分かりませんが、ご自分でなんとかしてください。私はただのメイドなんですよ? 政治に巻き込まないでください」
レイラはいつも通り、決してメイドとは思えない口調で王族に語り掛ける。
ケインは不快気に表情を歪ませる――ようなこともなく、むしろ甘える子供のような表情を見せた。
「そう言うなよレイラ。誰かに呼ばれた方が話は切り上げやすいんだ。その方が角も立たないだろ?」
「私に角が立ちます」
「お前は腹だろ?」
けらけらと笑う主人を、レイラが困ったように見つめるのは、日常茶飯事のことだ。まさに大きな子供。レイラがこうして世話を焼かなければ何もできない。
そんな茶飯事の日常とくだらないやり取りをこなしながら、レイラたちはコロノス領、旧アダ・コロノスの屋敷を後にする。
そして馬車に乗ると、さっそくレイラは切り出した。
「コロノス様はなんと?」
「またいつもの確認だ。アワンの罪を世界に認めさせろってやつ。年寄りの話は長くてやだよほんと、俺なら15文字以内で済むのにな」
「文字書けるんですか?」
「書けるよ?」
何言ってんだとばかりに睨まれるが、既にレイラの思考はそこにはなかった。
アダの母、現コロノス家当主による、今回の婚姻に対する要求は3つ。
一つ、コロノス家の権威復帰。
二つ、英雄の誕生。
三つ、アダの名誉を正式に取り戻す。
7年前、コロノス領におきた悲劇により、アダの名声は地に落ち、ここコイラスから一人の英雄が消えた。
その影響により、コロノス家の力は落ち、現在のようなブーノス家とロフォス家の二大体制となったのだ。
コロノス家を継ぐこととなったアダの母は、これをずっと快くは思っていなかった。英雄にまで育てあげた最愛の息子を失い、その代わりに負わされたこれらの負債を、なんとか清算しようと長年奮闘していたのだ。
そこへ舞い込んだのが、今回の婚姻話。
既に壁に到達しているほどの有望株であり、王家本元ブーノス家の血を引くケインをコロノス家へと迎え入れることで、格式を元の位置にまで戻し、旧体制のような三家での均衡を保つ。
さらにケインが勇者の旅に同伴することで、実質的にコロノス領の統治者は継続。三家合同による過去の事件における公式声明発表、およびアワンという勇者の血を再び家に迎え入れることで、アダの名誉も取り戻すことができる。
アワンを出汁に、美味しいとこどりができるという寸法だ。現実的に最も物的、影響的メリットがあるのは、コロノス家だろう。
「アワンにも許可は取ってるって何回言っても聞きやしねえ。あれじゃ息子を愛してたのか英雄を愛してたのかも微妙なとこだな」
「辛辣ですね」
「はぁ? 優しいくらいだろ。普通にぶん殴ってやりてえよあのババア」
「本当に口が悪い」
これがレイラの今の主人――ケイン・ブーノス。
若干二十歳にして壁に到達した天才。アダの後追い星とまで言われる男であり、現在のアワンの婚約者だ。
「式の準備はどうなってる?」
「まことに残念ながら順調です。あのコロノスとは思えないほどに、民たちも活気で溢れております」
「そうか……」
王家ブーノス家の王子と、コロノス家の姫の結婚だけあって、良くも悪くも大きな注目が集まっている。
そのほとんどが意外にも、好意的だ。
7年前の悪夢によりあがった多くの不満は、三家の体制復古と、より強いコイラスを作り上げるためという建前に押し流された。
ここ最近のゴンドワナ勢力の蠢動により、皆時代が動くのを肌で感じ取っていたのだ。
その脅威に対応するため、国一丸となって迎え撃つための結婚と言われれば、表立って批判するような度胸ある者はいなかった。
そもそもこの国は王家の血こそが最も尊く、重要視される国。その資格を持つアワンに、面と向かって何かを言える者はいない。7年前の悪夢は、王の言葉により正式に罪の座標が異なるのだから。
「情報操作が上手くいって良かったな。これもやけに積極的だったロフォス家のおかげだ」
「…………」
ロフォス家。
コロノス家当主がロフォス家の出身だったということもあり、今回の婚姻については三家合同での運びとなった。
そんな中にあって、ロフォス家の立場は端的に言えば、賛同。それも積極的支援を約束するほどに乗り気だったのだ。
これにはレイラも驚いたものだ。現在の二家体制は、ロフォス家の快進撃によって確立されたもの。これを脅かされる今回の結婚は、むしろ積極的に反対するのが正道だ。
(復興支援に積極的だったのも、いずれ自領にする算段なのかと思っていたけど……)
これはレイラだけの考えではなく、半ば公然の話題だった。
大金を投資し、早期から復興に手を貸したのは、権利関係に食い込むためだと。援軍として駆け付け脅威を排除した実績、さらに跡を継いだコロノス家当主はロフォス家の出。
これだけの材料が揃っていて吸収合併を画策してないと思う方がおかしい。
それが、手を貸すだけ貸しておいて見送るとは。これではただの慈善団体だ。
それに――
「最初はあれだけ反対していたナトゥ様が、急に意見を変えたことも気になります」
「まああいつは気分屋だからな。意見がコロコロ変わるのは割と普通だ」
「そうですか……」
女心に鈍感なケインは気づいていないようだが、ナトゥはおそらくケインに恋慕の情がある。
それを虐めていた過去を持つ女に横から掻っ攫われたのでは、当然いい気はしないはずだ。最初は大反対していたという話を聞いた時、レイラはこれを当然だと思った。
しかし今ではすっかり鳴りを潜め、むしろ望んでいる節さえある。この急激な考えの変化は、どこからきているのか。
「場所の指定もロフォス家からでしたよね? 何か目的があるのでしょうか?」
「指定というより提案だろ? コロノスの完全復興を祝うための結婚でもあるんだ。式をコロノス領で行うのはむしろ当然のこと、別におかしな提案じゃない」
「そう……ですね」
「娘を勇者の供にできるってのは、ちゃんとしたメリットだろ? 自分で言うのもなんだが、俺が先頭に立たなきゃ話にも出せない。ナトゥだけじゃ無理だ」
「確かに…………」
今回の婚姻を認めさせるにあたり、ケインが勇者へと提案した内容は、ロフォス家の、延いてはコイラスのメリットにもなる提案だ。
そしてナトゥだけが名乗りを上げても、それは決して叶わないだろう。だからロフォス家がケインの結婚を後押しするのは当然と言われても、一見おかしくはない気もする。
だが――
「着いたぜ。その雰囲気どっかやれよ。アワンに会いに行くんだ」
「はい、そうですね」
引っかかりはするが、それよりも前にレイラにはやるべきことがある。
それも、二つも。
他のことに頭を回す余裕は、もうなかった。
***
「――ブーノス様」
「おう」
ケインが姿を見せた途端、手を止め、すぐに駆け寄って来るアワン。
空気に色をつけるように広がる赤髪と、光源のように光る金の瞳。
4年振りの彼女は、同性であるレイラから見ても、非常に美しくなっていた。
「遠いところ、ご足労頂きありがとうございます」
「…………いや」
レイラでさえそう思うのだ。異性である彼の目にはまた違って映ることだろう。
口を閉ざし、つばさえ飲み込むような時間を、レイラは馬鹿にはできなかった。
「それより順調か? 不自由は?」
「おかげさまで、何一つとしてございません。ブーノス様にはなんとお礼の言葉を申し上げればよいか」
ケインが逃げるように逸らした視線、それをアワンも追う。レイラも釣られるようにまねした。
ここは――病院だ。7年前、コロノス領に建てられた特別病院。アダの墓場でもある。
レイラにとっては、決して忘れられない場所だった。それはきっとアワンもだろう。
「必要なもの、データ、サンプル、何でも言ってくれ。すぐに用意させる。いや、俺じゃなくレイラにな」
「ふふっ……今でも座学は苦手なんですね」
ケインの子供のような表情に、アワンも笑みを浮かべる。
あの頃のものと比べれば、自然な笑み。しかしレイラから見れば、随分大人びた笑みでもあった。
今の彼女からは、年相応の気配というものが全く感じ取れない。
「これでも頑張った方だぜ? お前に教えて貰えてたら、話は別だったんだろうがな」
「今からでも間に合いますよ?」
「勘弁してくれ……」
困ったようにポリポリと頭をかく姿は、まるで先生に怒られる生徒のよう。
アワンの方は一貫して他人行儀だが、ケインを嫌っているというわけでもない。むしろレイラの目から見て、アワンはケインという男に対し、好感すら持っているようだった。まあ、受けた恩を考えれば当然のことだが。
「それで、今日はどのようなご用件ですか?」
「あ、ああ……儀式に必要なものの最終確認だ。不備がないか確認してくれ」
レイラは手に持つリストを、アワンへと差し出す。
アワンはやはり、他人行儀にそれを受け取った。
「…………問題ないです。本当にありがとうございます」
「そうか。万全を期したいから、細かいことでも何でもいってくれ。俺も他人事じゃないからな」
「…………」
アワンは目を落としていたリストから、顔をあげる。
そして、ケインを見た。その表情は、若干の心苦しさを感じさせる。条件が対等ではない取引に、負い目を感じているようだった。
「何度も言いますが……本当によろしいのですか? 私は子を産めると、まだ確約できません」
「何度も言うが……それでいい。別にあとから無理だったでも、俺は文句は言わないよ。子供が全てじゃない」
「…………」
ケインの言葉は、王族としてはかなり異例の発言だ。
一般的に出産能力が確約されていない姫と結婚する王族など、狂気の沙汰。
しかもアワンは現状、それに準ずる行為ができないことが確定している。子を産めない、跡取りを作れない女と結婚する王子など、おそらく歴史を振り返ってもそうはいないだろう。
だからこそ、ケインの本気と覚悟が伝わる。彼は――
「時間を取らせた。作業に戻ってくれ」
「……はい。失礼いたします」
粛々と頭を下げ、アワンが部屋に戻っていく。
ケインとレイラは、その姿を静かに見送った。
しばらくして、ケインは呟くように告げる。彼には似合わない、優しい声だった。
「レイラ……アワンのこと頼むぞ」
「…………」
今回の結婚――
ブーノス家の思惑、コロノス家の思惑。
そしてケインの想い、アワンの想い。
それら全てを知るレイラには、返せる言葉が無かった。
「少しでも、彼女の力になってあげてくれ。俺じゃだめなんだ」
「…………」
レイラは、無言で頭を下げる。
これから、主人を裏切ることになるかもしれない。
その罪悪感と、多大なる不安と恐怖を胸に――
レイラはようやく、前へと進み出した。
***
「――失礼いたします」
「……どうぞ」
入室許可に、いつも通り固い返事が返って来る。
レイラは扉の前で一度立ち止まり――目を閉じ、息を吐き、再度心を決めると、アワンの待つ部屋へと入った。
「…………」
そこは、病室を改築したものだ。
ある英雄のために作られた最も広い部屋を、執務室に作り替えた。
今ではアワンの作業室となっているこの場所は、元はアダがいた場所。そして、アワンとレイラがアダを看取った場所でもある。
ケインは当然別の場所を勧めたが、ここは様々な資料も揃っているため、利便性が良かった。アワンも過去など気にしないとばかりに、その証明のように、率先的にこの部屋を利用している。
今もすまし顔で用紙に目を通すアワンの、その心までは、レイラには分からない。
彼女がこの大人びた顔を保つのに、どれだけの心を割いているのかも。
「紅茶はいかがでしょうか?」
「ありがとうございます。いただきま……す」
いつもの事務的なやり取りが、今日は初っ端から崩れる。
レイラがトレイに乗せて持ち込んだものを見て、アワンが息を飲んだからだ。
「それ……」
「ケーキです。いかがですか?」
ケーキスタンドに置かれているのは、一般的なスポンジケーキだ。生クリームがふんだんに使われてはいるものの、特段のデコレートもないシンプルなもの。今朝レイラが焼いた特製である。
それが手作りのものであると気が付いたのだろう。アワンは口をあけて、ケーキを凝視していた。
それが食い意地からきているものではないことなど、誰の目にも分かること。彼女は過去の想い出を、そこに見ているのだ。
だから――
「アワン様」
「っ!」
レイラはしっかりとアワンに向き直り、見せる。今のレイラの姿を。
アワンの仮面のような表情が、変わる。大きく目を見開き、口さえも開き、レイラを見つめていた。
レイラは張り詰めるような緊張の中、勇気を振り絞る。
そして――互いの過去へと、立ち向かった。
「こちらでいかがですか? 一緒に」
「…………」
アワンは弾かれたように――ではなく、まるで何かに導かれるように、ゆっくりと席を立ちあがる。
既に潤み出した瞳は、金の輝きを一層強くし、今――本当の意味で、レイラを映した。
その時にはもう、レイラは泣いていた。
「ごめんなさい」
「――っ!!」
7年の月日をかけ、ようやく絞り出せたその声は、震えていた。
それだけではない。あまりに小さく、あまりに情けなく、あまりに弱弱しい。
それでも、出せた。
『一番大事なことは、怖くても、ちょっとずつでも、立ち向かうことだ。二番目に大事なことは、何に対して謝るかだ』
極限状態で聞こえてきたのは、背中を押してくれた男の声。
レイラの人生を変えた、人外だ。人ですらない。
でも不思議と、ちょっとずつでいいから、前に進もうと思わせてくれるのだ。
怖くても、怯えていても、それは情けないことではないと教えてくれた。それは弱さではないと。
少しでも前に進む限り、少しでも向き合おうとする限り、それは――強さだと。
「あの時……逃げてごめん!!」
助けて貰って、背中を押してもらって――
レイラはようやく、なけなしの勇気を振り絞る。
それは無理やり叩き出したようなものだった。行く当てもなく走り出したような、若い思い。
だが、レイラはちゃんと向き合った。取り繕うような謝罪はしない。
「辛くて、向き合わなかった! 苦しくて、もう楽になりたいと思った! 一緒に苦しまなかった! 一緒なら、乗り越えられたかもしれないのに!!」
ずっと怖かった。
アワンともう一度、向き合うことが。
なぜなら、レイラは許されないことをしたから。
自分のたった一つの行動が、家族を壊したから。
「家族を見捨てて、自分だけ楽になろうとした! 大好きなのに、大切なのに……一番大事な時に、一番大事な人の傍にいてあげられなかった!!」
あの時レイラが、アダに伝えなければ。何度思ったことか分からない。何度後悔したことか分からない。
全部自分が引き金だと。全部自分のせいだと。
全部、レイラが――
だから、レイラはそれを、謝らなかった。
謝るべきことは、それではないから。
『ケーキとかお花とか成功とか、そんなんじゃないよ! 大事な日に、レイちゃんがここにいて、笑ってる! それが一番大事なことなんだから!』
「大事な時、あなたと一緒にいなくて……ごめんなさい!!」
女の泣き声が、室内に木霊する。
酷い声だった。きっと酷い顔でもあるのだろう。
自分がちゃんと立てているのかさえ分からない。
怖かった。向き合うことが。
過去に立ち向かうことが、こんなに恐ろしいとは思っていなかった。
だから同じだけの恐怖を、今アワンも味わっている。
それがレイラには、痛いほど分かった。
だから――
『でも、レイちゃんも頑張ったよ? 二人で頑張ったんだから』
だから――アワンも頑張れた。
「許すよ」
「っ!!」
弾かれるように顔をあげれば、そこにあったのは鏡だ。
涙を流し、鼻水を流し、まさに美人が台無しという表現が気後れするような顔。女の泣き声は、一つではなかったのだ。
「私も!!」
アワンは、叫ぶ。
二人は、一緒に過去へと立ち向かう。
怖くても、二人なら頑張れるから。
「私も、ごめん!! レイちゃんが苦しんでるって分かってたのに……自分のことに精一杯で! もっと相談するべきだった! もっとお話するべきだった!」
仮面が、剥がれる。
ずっと隠していた素顔が、ようやく晒された。
そこにいたのは、アワンだ。レイラがずっと、憧れていた少女。
「もっと弱音を言うべきだった!! もっと縋るべきだった!! 一緒に頑張れば、きっと立ち向かえたはずなのに!!」
アワンが、ここまで感情的に泣くところを初めて見たレイラは、その光景に動けない。
顔を大きく歪め、歯を食いしばって涙を流し続ける少女。そんな光景に、何も言えなくなる。
どこまでも真剣で、だからこそ近寄りがたい空気に――正直気圧された。
自分如きが、ここに手を加えてはならないような気がしたからだ。
しかし――
『大事な人がいてくれることが、一番幸せなんだよ? だから、いてくれるだけでいいの』
レイラは、今度は自分から動き出す。
躊躇わず、一歩を踏み出す。
そして固くなったアワンの手を取ると、それを握らせたのだ。
「これ……」
「うん……トリフュリオン」
それは、想い出の花だ。
アダに贈った、家族の花。
「今度一緒に、テトラー見つけてくれる?」
アワンの手には、花びら三枚のトリフュリオン。
レイラだけでは、テトラーは見つけられないから。
「うん!!」
一凛の花を添えられた少女。
そこには、花のような笑顔があった。
終わってみれば、こんなにも簡単なこと。
だからこそ、こんなにも難しい。
ただ一つ分かることは、今のアワンとレイラは、笑っているということ。
そしてきっと――
それが一番、大事なことなのだ。
***
「――レイちゃん、ありがとね。やっぱりレイちゃんは凄いや」
無事仲直りを遂げたレイラとアワンは、二人並んでソファに腰掛け、ケーキを食べる。
シンプルなスポンジケーキはしっかりと中まで焼き上がり、中央にへこみができているということもなかった。
レイラもワザと失敗するようなことはせず、完璧なものを用意する。今、二人で食べていることが、一番大事なことなのだと。
カロリーや糖質なんかは、今大事ではないと。脂肪にも、二人なら立ち向かえると。
「ううん、違うの。私も勇気が出なかったんだけど、背中を押してもらったの」
「ほえ?」
一口大よりも大きなものを頬張り、モキュモキュと頬で押しつぶす姿は、まるでリスだ。
しかも生クリームをふんだんに口元に塗りたくっている。ここ最近のアワンからは考えられないような幼い姿。
そんな子供のような無垢な表情に、レイラは自然と笑みがこぼれる。あの頃のままだと。
「あの人……カッコイイね」
「んぐっ!? ムメイさんに会ったの!?」
背中を押された。カッコイイ。これらの単語だけで、誰のことを言っているのかアワンは即座に理解したようだ。
ということは、彼女もきっと、彼の言葉に救われたことがあるのだろう。まあ当然と言えば当然だ。たぶん彼は、アワンのことを大切に思っているからこそ、レイラのことを叱ってくれたのだから。
「うん、勇者様にも会ったよ。お似合いのカップルだよね。最初は正直えって思ったけど、喋ってみると納得」
レイラもカットされた一切れごとフォークで持ち上げ、被りつく。
ホールケーキを消費するにはこれくらい豪快でないとと、自分とお腹の肉を騙しながら。
「やっぱりかー……レイちゃんでもそう思うんだ。実は私もね、最初は趣味悪いなって思ってたの。レイちゃんと全く一緒」
「顔は普通だもんね。子供っぽいし」
第一印象は、暗い雰囲気の子供。背はルルワと同じくらいで平均の範疇だが、それを加味しても平凡だ。
冴えない上に、ファッションセンスが壊滅的で目も当てられなかった。たぶん誰も勇者とそういう関係とは思わないだろう。あまりに釣り合っていない。
「うん。でもね、中身は全然子供っぽくないの。いや、やっぱ子供っぽいのかな? 子供っぽい時もある? でもなんかね、大人の余裕みたいなのがあって。考え方が違うっていうか……凄い大人!!」
「分かる!! ちゃんと芯があるよね! 全然ぶれてない!」
「そう!! それが言いたかったの! しかもね、全然偉ぶったり、ひけらかしたりしないんだよ? あんなに凄いのに! 普通自慢しちゃうよね?」
アワンも同じように感じたと言うことは、レイラの前で見せた姿は一過性のものではないということだろう。
自分の罪から逃げることに必死だっただけのレイラとは、全く土俵が違った。もしかしたら外見と年齢が異なるのかもしれない。短いやり取りだけでも、精神的に成熟しているという印象を受けた。
「やっぱほんとに凄い人って謙虚なんだね。なんかアダ様に似てない?」
「えーパパには似てないよー。流石にそれはレイちゃんでも許せない」
「なんで急に辛辣なの?」
レイラたちは笑いあり、ケーキを頬張る。
甘未を紅茶で流し込み、胃の中を甘いもので満たす。そして甘ったるい吐息をお互いにかけあった頃、アワンはポツリと呟いた。
「でもね……正直パパくらいカッコイイかも。あんな人、会ったことないもん……」
「…………」
ケーキをのどに詰まらせる――ようなことはなかったが、手に持つフォークを落としてしまいそうではあった。
まさか――という予感。それは同性だからこそ、いやアワンのことをよく知るレイラだからこそ分かるもの。
それにアワンが気が付いているのかどうかはまだ分からないし、そもそもそれが確かなものなのかすら分からない。
だからレイラは、とりあえず話題を変えることにした。
「……ルルワ様はどんなお方なの?」
「ルルワさんもすっごくカッコイイよ! 全然男の人なんか目じゃないくらい! 戦ってもすっごく強いの!!」
レイラの問いに、アワンはまるで今のやり取りが丸ごと無かったかのように元通りになる。そこに、横恋慕への負い目などというものは見受けられなかった。
(…………気のせいなのかな?)
「ほへー……やっぱりそうなんだ。確かにあの人は見るからに人と違うもんね。オーラっていうの? なんか全身輝いてる気がする」
あと怒ったら凄く怖い。本当に凄く怖い。
ケインも凄く怖かったと震えて泣いていた。できればもう会いたくないと。レイラも正直会いたくない。だって怖いから。
「うん、大人の女性って感じ。立ち姿もかっこいいし、自分の意見もはっきり言えるし、髪とかサラサラで綺麗だし、良い匂いもするんだよね。お肌とかツルツルなんだよ? 産毛とかも全然生えてないの」
「変態みたい」
「えー変態じゃないよ。ムメイさんも言ってた」
「変態じゃん」
レイラから見れば、アワンも全然負けてないくらいに美人だが、本人はそのあたり相変わらず無頓着のようだ。流石に自分が美人なことくらいは自覚できるようになってて欲しいが、この分では望み薄。
だがそのくらいの女の子の方が、男の人は可愛らしいと思うのかもしれない。
ルルワは確実に自分が美人であると自覚しているタイプだろう。男は恐れ多いのではないだろうか。
「でもちょっと完璧すぎるよね。美人過ぎて、男の人が気後れしちゃいそう。女の人が自分より凄い上だと、男の人って嫌がりそうじゃない?」
「うん、でもね。そんなルルワさんが、あの人の前ではただの女の子になっちゃうんだよ? 凄くない?」
「凄い。なんか萌えるね」
「萌えるの」
アワンの過去を聞き、心の弱ったルルワがムメイに抱き着いていたのを思い出す。
確かにあれは、女の子だった。
仕方ないみたいなフリをしていたが、抱き着きたい甘えたいという感情が駄々洩れだ。むしろムメイの方がやれやれまたかといった感じだった。
レイラは絶句して言葉も出せなかったくらいだ。だがあれが二人の日常だというのなら、ちょっとどころではなく萌える。
表と立場や関係性が全く逆だ。
「でもね、ルルワさんが無理に合わせに行ってる感じじゃないの。なんて言うんだろ? ルルワさんは凄くカッコイイんだけど、それを平然と上回っちゃうくらいムメイさんが凄いっていうか……。あれだけ完璧でカッコイイルルワさんがパートナーでも、それでも釣り合って見えるのは、やっぱりムメイさんがそれ以上にカッコイイ人だからだと思う。ルルワさんはムメイさんだから、きっと甘えられるんだよ!」
鼻息荒く力説する姿は、まるで推しカップルを紹介しているかのようだ。ムメルル推しだ。
そして、今日からレイラも同担だ。
「いいなー……私もそんな彼が欲しい」
「レイちゃんならきっとできるよ! レイちゃん可愛いもん!」
「ムメイさんレベル落とせる?」
「あっ……いや……」
「なんで急に辛辣なの?」
レイラは、笑う。
一人ではなく、アワンと。二人で。
やがて、信じがたいことにホールケーキを二人だけで消費した頃、満腹中枢を気合で振り払い、レイラは切り出す。
背中を押してもらった恩でも、義務感でもない。むしろ恩を仇で返すような行為。
しかし、これこそが、レイラの望みだった。
「アワン様。私は今回の結婚には、反対です」
もう逃げない。
傍観者でも、告げ口をするだけの女でもない。
レイラが、アワンを助けるのだ。




