第056話 アワン・コロノス(6)
「――ラーヘルさん? 自己紹介の時間なんだけど……お名前言わないと」
突然立ち上がったと思ったら、これまた突然の宣誓。
当たり前のように、クラス内はざわつく。室内の全注目――好奇の視線や変なモノを見るような視線の中、アワンは我に返った。
「…………アワン・ラーヘルです。よろしくお願いします」
そして、座る。
アワンが俗に言う大やらかしをしてしまった後も、時間は止まることはなく、また自己紹介も滞ることなく次の者に順番は回っていくが――不審な者を見る目は、中々離れない。
当然だ。いかに英雄を志すための学園とはいえ、それは一理念に過ぎない。本当に英雄となれる者など数えるほど、もしかしたら皆無というレベルだ。ここにいる者達は、子供ながら、いや子供だからこそ、その現実を重々分かっている。
そんな中、勇者になるという宣言はまさに異色。もはや奇怪とすらいえるほどの暴挙だった。
(いや……間違っていないはず。最初が肝心よ。私は変わったのだから……)
半分予定していた、それでもやはり半分は突発的な行動を、アワンは慰める。
何一つ嘘でも間違いでもなく、それがアワンの夢なのだから。それを宣言することは恥ずかしいことではない。むしろ覚悟を固める儀式として必要とさえ思えた。
だが――
――学園デビュー失敗。
誰の頭にも、それがよぎる。それは本人でさえも。
後に続く者達は、ハードルが大幅に下がったことに感謝の念を贈り、それ以外の者達は遠巻きに嘲る。
誰も口には出さないが、既にアワンというピエロを馬鹿にする空気ができあがっていた。
仲良くなるとっかかりなど何でもいいところに、格好の餌が投げ込まれたのだ。それに飛びつくのは当然のこと。
他人の悪口が、最も盛り上がるのだから。
そんな中を、その男は立ち上がる。
「無理だろ」
「っ!」
アワンの視線は、当然声の方へ。
ちょうど自己紹介をしていた生徒は、その男の声に震えるように口を閉ざすが、彼が声をかけたのはその生徒ではないと、アワンは直感で理解していた。
それは対象が自分だと察していたが故のもの。だからこそ、アワンはその男を睨むつける。
(……誰?)
立ち上がると言う表現は所詮比喩――それを表すように、彼はこちらに背を向けたまま座っていた。
教師がいるにもかかわらず、後頭部に両手を組み、両足を机の上に乗せるよう体勢。あまりにも不遜――というより生徒失格だ。
だがそれを教師を筆頭に誰も注意せず、むしろ積極的に触れないような空気さえ漂う。
だから――
「私ですか?」
だアワンは、自ら触れに言った。
別に注目を集めたかったわけでも、反骨心からでもない。
夢を無理だと否定されて、黙っているわけにはいかないからだ。その夢だけは、誰にも否定させない。
「なんだ、やっぱ自覚あるんじゃん。無理だって」
その男は、誰にも見せつけるようにゆっくりと立ち上がると、大げさに振り返る。
そしてその整った顔立ちをアワンに見せつけた。
「っ!?」
「自分で無理だと思ってることを夢とかほざいてんじゃねえよ。サムくて見てられねえから」
アワンは、思わず目を見開く。その男の姿に。
身長が高く、骨格や肉体も成長期。十中八九アワンよりも年上だろう。それ自体はおかしなことではない。
この学園は入学が認められるのは12歳からという規約こそあれど、事実上上限はないからだ。だから同期でも、年齢が異なるのはザラ。目の前の男はアワンよりも数歳は年上だろう。
だからアワンが驚いたのは、そのことではなかった。
(…………お父さん)
その男の外見が、亡くなった父アダに、あまりに似ていたからだ。
雰囲気は全く異なるが、顔立ちはよく似ている。アダが若返り、さらに粗暴に、粗野に、粗雑にすれば――こんな感じになりそうだ。
「……名を名乗って頂けますか? 常識だと思いますが」
「その通りだな。さっきその常識すっ飛ばして変な宣言してた女もいたけどな」
男の言葉に、クスクスと笑い声が起きる。
単純に面白かったのだろうが、アワンからすれば面白くない類の笑いだった。
ホームルーム中でも構うことなく席から立ち上がる男に、アワンも立ち上がる。それは礼儀などではない。挑戦を受ける構えだ。
やがて男は、アワンの元へと辿り着く。鼻につく笑みを携えながら。
「ケイン・ブーノス。分からねえのも無理ねえか。会ったことねえもんな」
「っ!」
アワンの予想は当たっていた。
王家ブーノス家の血縁者。つまりは、アダの親族の子だ。
「俺の親父とお前の親父は兄弟だが……仲が悪かったらしいぜ。今でもよく愚痴ってるよ。知らなかったか? アワン・コロノスさん」
「――っ!?」
瞬間――室内の空気は一変する。
コロノス。この家名を聞いて、笑っていられる者など子供でもいなかった。
5年前の悪夢は、まだ誰の記憶にも新しい。
「まあそんなことはどうでもいい。で? なんだっけ? もう一度言ってくれよ、さっきの面白い奴。魔王がどうだら……」
「…………」
アワンは冷めた視線で男――ケインを眺める。
むしろ、怒りすらあった。アワンを侮辱している。いや、アワンと、皆の夢を侮辱している。
表情の節々にアダの面影を感じることもあって、まさに顔も見たくなかった。
「知らねえみたいだから教えてやるよ。魔王ってのは壁を越えた存在よりも遥かに強いと言われてる。お前のレベルは? 勇者を目指すってことは、当然もう試練の一つくらいは乗り越えたんだよな?」
「…………」
「現実をなんも理解しないで、子供みたいなこと言ってんなよ。いや、今どきガキでも言わねえよ、魔王を7人倒すなんて。一人くらい倒してから言えっつの」
クスクスと、やはり笑い声が聞こえてくる。
それは、同調の笑みだ。誰もがケインの言葉に共感しているからこそ、アワンを笑っているのだ。
それ自体は、間違っているとは言えない。実際今のアワンが魔王を7人倒せるかと言われれば不可能だ。それは未来の話であったとしても、現実的ではない。アワンもそんなことは分かっている。
「おいなんだよその顔。勘違いすなよ? 俺は親切で言ってやってるんだぜ?」
「…………」
「夢とか恥ずかしいからやめてくれ。身の程知らねえ奴が一番見ててキツイから」
だがそれは、夢を見てはいけない理由にはならない。
人は、夢を口にしていいのだ。
『勇者になる!! それが僕の夢だ!!』
『ボクもきっと、勇者になるから。約束』
「そんなに私が怖いんですか?」
「……あ?」
危険な角度に吊り上がる眉、大きく歪む口元。
年上の男のすごみを前にしても、アワンは一歩も引かなかった。
むしろ、大きく胸を張る。先ほど恥ずかしいなどと少しでも思った、自分こそを恥じた。
「私は!! 勇者になる女だ!!」
「っ!」
至近でそれを受けたケインが、息を飲む。
いや、彼だけではない。クラスの者達全員が、口を閉じた。
静寂が舞い降り、複数の嘲笑を、ただの一喝が打ち払う。
「夢を口にする度胸もない腰抜けが、私の邪魔をするな」
「…………」
狂気の輝きさえ灯すアワンの眼光に、ケインは怯む。
誰もがどちらが上かを、悟った瞬間だった。
「それから、馴れ馴れしく私の名前を呼ばないでいただけますか? あなたには勿体ないので」
「…………」
「できればお前もやめてほしいですね。女を下に見てるんですか?」
こうして王子は、人生で初めて、恥をかかされる。
王家の直系にも一歩も引き下がらないアワンの態度は、状況に流されるだけの弱き者達をも、黙らせた。
***
学園での初日を無事(?)終えたアワンは、女子寮へと帰る。
現在コロノス領は、アダの母が跡を引き継いでいる状態だ。彼女はロフォス家の出であるため、王族の血を引き、さらに復興支援に手を貸すロフォス家との連携面から見ても都合がよい存在だった。
つまり実質的に、コロノス領はロフォス家とコロノス家の合同管理。新しい体制と大改革で、過去の傷跡を既になきものとしつつあった。
一方軍職に復帰したエバは、ロータル大谷重要拠点グランド要塞へと赴いている。
英雄が消えた今、エバほどの巨大な戦力を遊ばせておく余裕はコイラスにはなく、また英雄の残した罪が彼女の平穏を許さなかった。
エバがこれまで戦わなくて良かったのは、彼女を超える強者――アダがいたからだ。勇者の血から役目を取り上げ、ただの女にした。だからその男がいなくなった今、再び女は戦場へと戻ったのだ。
アワンの名前が変わったのも、その影響だ。
コロノスの名を名乗ることは許されず、エバとアワンは実質的に家を追い出された。しかしこれは同時に、アワンへの配慮でもあった。コロノスの名を持ち続けることは、彼女にとって良くない未来を招き寄せるだろうと。
民衆というのは、犯罪者の家族にも当然のように牙を剥く。質が悪いことに、アワンもそれを望んでいた。
だからこれは、必然のことだったのかもしれない。
「アワン・ラーヘルさん?」
「はい、そうですが……」
残っていた荷ほどきの手を止めたのは、来客だ。それも複数名。
アワンの部屋を訪れたのは、まるで上級生のような顔をした同級生たちだった。
「ナトゥ・ロフォスです。よろしく」
「っ!」
ロフォス家。
その名前はここ最近躍進を続けている。
元々軍事方面に力を入れていた家は、先進的改革によって様々な分野に影響力を広げ、この勇士学園の方針転換にも関わっているとか。
そしてアワンにとっても無関係ではない。5年前の事件では援軍として駆け付け、さらにアダの命を救ってくれた家だ。そして今は、コロノス領の復興に手を貸してくれている――いわば大恩人。
アワンは即座に手を止め、立ち上がった。
「ご挨拶が遅くなりました。アワン・ラーヘルです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。そんなに畏まらないで、同級生なんだから」
アワンの差し出した手に、ナトゥはにこやかな笑みで応える。
この学園で初めて善意で受け入れられ、ずっと気を張っていたアワンの精神が少しだけ緩んだような気がした。
「ロフォス家の方々には、いつか直接お礼を言いたいと思っていました。私の家名はもう知られてしまったので、これで心置きなく感謝を伝えられます」
「良いのよ、困った時はお互い様だわ。それにしても、男って生き物は嫌ね。あんな大勢の前で言うことないのに」
「お心遣いありがとうございます。ですが、私は気にしていません」
本当に気にしていない。
出自を知られたからといって今更どうということはない。アダの罪によって被る被害は、アワンにとっては当然受け入れるべきものだ。それは元々、アワンの罪なのだから。
この事実で学園生活に影響が出たとしても、因果応報。甘んじて受け入れる覚悟だった。むしろ、責められた方が心は楽なほどに。
「まあ……お強いのね。でも本当に困った時はいつでも相談して。私たちはあなたの味方よ」
「ありがとうございます」
ずっと感謝を伝えたかったロフォス家の娘と友人になれそうなことは、アワンにとって少なくない希望だった。
もちろんここには友達作りに来たわけではないが、やはりアワンも年頃の娘。同じことをするにしても、楽しくないよりは楽しい方が良いに決まっている。
「実は、私もずっと聞きたいことがあったの。あなたに会えたら、聞かなくてはならないと思っていたことが。少し付き合ってくださるかしら」
「もちろんです。私で答えられることであれば」
アワンは特に考えることもなく即答する。
まさかそんな話になるとは、つゆほども思っていなかったのだ。
「良かったわ。アレを飼っていたのは、あなたなの?」
「…………え?」
それは、突然過ぎた。だが、理解にかけた時間は、ほんの数秒。
アレ。
一瞬で脳裏に浮かび上がる存在。
未だに夢に出てくる――アワンの友達。
「急すぎたわね、ごめんなさい。実は我々ロフォス家の間では、長年に渡ってずっと上がってきた議題なの。あの事件は、本当にアダ・コロノスが招いたことだったのかって」
「…………」
アワンは息を飲む。
口は開くのだが、言葉が出てこない。その間も、ナトゥは真剣な表情で言葉を続ける。
「だっておかしいでしょ? 英雄が、その立場を危ぶめるようなリスクを自ら犯すかしら? 大人であれば誰だって分かるわ。そんなことはしてはならないと。それは間違いだと」
「…………」
「だから私はこう考えたの。彼は、間違った誰かの罪を庇って死んだんじゃないかって。そしてその誰かは、彼に全ての罪を押し付けてのうのうと生きているんじゃないかって」
「…………」
二年。
周囲から同情の視線を受けながら過ごし、それを受け入れてきたつけがやってきた。
だが、アワンはその事実を口にするわけにはいかない。
アダの意志を無駄にすることは、最もしてはならないことだ。
「ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはないの。ただ私は、いずれロフォスを継ぐ者として、真実を知りたいだけ。ただそれだけなの」
ナトゥは、まっすぐにアワンを見つめる。
こちらを気遣うようなその視線に、アワンは目を合わせられなかった。
「アワン、こっちを見て」
「っ!」
両手で頬を支えられ、顔を向かせられる。
無理やり合わされた視線には、人の覚悟と信念が乗っていた。
それは――アワンの弱点。
「私も関係者。今後のコロノスをよりよくしていく者の一人として、真実を知る責任があるの。重要なのは過去より、未来でしょ?」
「…………」
「ここだけの秘密とすることを約束するわ。絶対に口外はしない。ナトゥ・ロフォスの名にかけて誓う」
「…………」
「だからあなたの口から聞かせてほしい。アレを飼っていたのは……コロノスを地獄に変えたのは――あなたなのよね?」
「…………はい」
――責任。
それはアワンにとって、最も重い言葉だった。
***
それから約一か月の月日が経過する。
アワンはクラスに馴染むとまでは言わずとも、上々のスタートを切っていた。
初日のケインとの衝突が尾を引き、恐れて近寄ってこない者も多くいるが、アワンの座学の成績を知り、教えを乞いに来る生徒もいる。
その大半が大人しめの女子生徒ではあるが、アワンは喜んでそれに答え、頻繁ではないが会話をする程度の友人は出来るに至った。
アワンからしてみれば、望外の待遇。もはや自分の居場所はどこにもないと悟っていた彼女の、一時の安楽の地だった。
そして今日は、記念すべき天術魔術の測定日。
クラスの全生徒が広い室内へと集められる。
「次、アワン・ラーヘル」
「先生。私は既に属性も系統も分かっていますが……」
アワンは一度申告したことを、もう一度念押す。どうせ無駄だろうなと思いながら。
「特例は許されません。並びなさい」
「…………はい」
意味のない作業だ。
差し当たって、なぜ衆目の面前で行うのかがさっぱり分からない。どう考えたって、それらの情報は公にすべきことではないだろう。弱点を自分から教えるようなものだ。
競争意欲を煽りたいのだろうが、愚策と言わざるを得ない。世話になっているロフォス家の意向だけに口には出せないが。
「天術師、形相因」
既に分かっていることを測定し、それを大っぴらに吹聴される。
その内容が間違いであればよかったのだが、そんなうまい話はなかった。
「凄い輝き……」
「あれ全部天力か? レベルはどれくらいなんだろ?」
「やっぱ勇者の血かぁ……」
「分かってたけど、口だけじゃないよな」
だが、少なくない恩恵もあった。
それはアワンの力が認められたこと。まだ12歳の少女には、周囲からの尊敬の念はそれなりに心地いい。
座学ではぶっちぎりのトップ。品行方正を地で行く優等生は往々にして嫌われる対象でもあったが、そこに確かな実力があればやはり文句を言える者はいなかった。
アワンの初日の宣言、そして父親の罪を加味しても――クラス内にはアワンを認めざるを得ない空気が形作られようとしていたのだ。
しかし、いややはり――
「流石は7人の魔王を倒す者だな。レベルはどれくらいなんだ?」
「…………」
そんな空気の中、ケインはいつものように躍り出る。
彼がアワンに突っかかるのは、入学から一か月にしてもはやお馴染みのことではあるが、周りの視線は既に冷たい。なぜならアワンは、いつもそれに真っ直ぐに立ち向かい、そして跳ね返してきたのだから。
ここに至って、ケインの味方に積極的に付く者は誰一人としていなかった。
それでもケインは、一人でだって動く。思い返して見れば、彼は最初から一人だった。周りなどどうでもいいとばかりに。
「言うわけないでしょう」
「なんだよ? 俺が怖いのか?」
ケインは構われることを喜ぶ子供のように、アワンの前に嬉々として立つ。
アワンも負けじと、挑戦者を睨み返した。
「夢を口にするのは怖くなくて、レベルを口にするのは怖いのか? 俺のレベルは12だ。もう青銅級に到達してるぜ?」
「…………」
一つ上の階級だ。
今年が一年生となるここの者達では、まだ一人としていない。
アワンを除けば――であるが。
「私は22です」
「――っ!?」
ケインの時よりも一層大きなざわめきが、室内に広がる。
レベル22は、既に銀級クラスに値する。重要拠点の兵士として志願できるほどの高レベルだ。アワンの幼さでこの域に到達する者など、中々いるものではない。
おそらくはこの学園にも、ほとんどいないことだろう。まさに大人顔負け。勇者の血の面目躍如だった。
「満足ですか?」
「いいや、全然。決闘しようぜ」
レベルが10離れていれば、およそ勝負にはならない。
その常識があっても、ケインは引き下がらなかった。むしろ剣を突き付け、戦いを申し込む。
何が彼にここまでさせるのか。どれほどアワンのことを嫌っているのか。であれば、嫌っている理由は一体何にあるのか。クラスの者達は、皆一様に疑問を募らせる。
しかし、同時に募った他の感情に、もはやそれどころではない。今目の前で起ころうとしている非日常と刺激に、目を輝かせた。
「やめておいた方がいいのでは? 恥をかきますよ?」
「怖いのか? 魔王は許してくれねえぞ?」
「…………」
売り言葉に買い言葉。アワンはすぐにその気にさせられる。
この辺り大人びていても、アワンはまだ子供だった。ムカツク奴を分からせてやりたいという人としてごく当たり前の感情が、彼女にもあったのだ。
この時点で、どちらにも非はない。いや、どちらも対等な咎人だ。
「いいでしょう。いい加減鬱陶しいと思っていたところです」
「良かったな。目障りな奴を公然とぶちのめせるぞ?」
決闘を受け、演習場に乗り上げた二人を、ヤジと歓声が包み込む。
英雄を目指す少年少女たちにとっては、やはり戦いは熱狂する演目の一つだ。それも勇者の血と、この国の王子による闘い。盛り上がらない方が無理からぬ話。
授業中だというのに、勝手をしても咎められないのは、ケインの力故だ。
ブーノス家が設立したこの学園では、腐っても彼は権力者だった。
「私が勝ったら、もう私に関わらないでください」
「じゃあ俺が勝ったら……今日から俺が勇者な」
スタートの合図は、ケインの挑発だった。
それはアワンが決して許すことはできない類の軽口。
――勇者。
それはアワンの夢だ。何が何でも叶えなければならない、皆の願い。
それを軽んじ、馬鹿にするこの男の存在を、認めてはならない。
アワンは片手を伸ばし、ターゲティングを施す。一般的に発動が遅いとされる天術を、恐るべき速度で繰り出そうとした、その時――
(っ!? 術が――!?)
自身の身に降りかかった異変に、少女はようやく気が付ついた。
ケインの肉体に指定した術が、この世に定着しないことに。
天術は――発動できなかった。
「――っ!?」
動揺の渦から何とか浮上したその時には、ケインの剣が迫っていた。
***
「――酷い怪我……普通女の子相手にここまでやるかしら……」
「…………」
アワンは医務室のベッドの上で、体を起こす。
そして怪我の状態が打ち身程度、骨には届いていないことをすぐに悟った。
「特に顔が酷いわ。ほんと、こんなに可愛い子の顔狙う?」
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
治癒を施してくれた女術師にお礼を口にする。
これほどの腕を持つ術師が常駐していると言う事実に瞠目しながら。
「ちゃんと抗議した方がいいわよ? またこんなことされたら嫌でしょ?」
「いえ……私も喧嘩を買ったので、同罪です」
「でも、女の子なのに……」
「はぁ……」
心配してくれるのはありがたいが、考えはアワンとはそぐわなかった。
言葉にした通り、決闘を受けた時点で同罪であるし、戦いに男も女もない。
男は女を傷つけてはならないというのなら、ケインは無抵抗でアワンに一方的にやられろというのか、意味が分からない理屈だ。
だから今回の怪我に関して、アワンはケインを責めるつもりはなかった。女相手に酷い男などとも思わない。むしろこれが男女平等のあるべき姿とさえ思う。
だが今はそのことよりも、取り急ぎ着手すべき問題があった。
「天術が発動できなかったんですが……これはどういうことか分かりますか?」
「これまではどうだったの?」
「問題なく発動出来ました。今日初めて……」
あんな感覚は初めてだ。
これまではごく当たり前に、それこそ自分の手足のように発動できたというのに。一瞬ケインの能力だと思ったほどだ。
「特定状況化ってことね。あなたの場合、心因性で間違いないのでしょうけど……」
「心因性?」
「トラウマってやつね」
「…………」
心当たりのあり過ぎる話だ。
本当に、心当たりが多すぎる。
「術ってね、意外に繊細なのよ。そもそも人自体が繊細な生き物だから当たり前だけど、身体機能の一部だからね」
「私はもう……天術を使えないということでしょうか?」
「うーん……そんなことはないと思うわよ。今はできるけどできないって状態なだけ。祈りが結びつけば、また使えるようになるわ」
「…………」
勇者とは、誰かを救うために、誰かを殺す者。
その現実を知ってしまったことが、アワンから誰かを傷つける力を取り上げた。
この致命的な障害により、アワンは足踏みすることを強いられ、また彼女の実力は軽んじられるようになる。
そして、傷口に塩を塗るかのように、悲劇は畳みかけた。
この日、ロフォス家が声明を発表。
コロノスの悪夢はアダ・コロノスではなく、アワン・ラーヘルが招いたものであり、アダはこの罪を不当に被らされているに過ぎないと。
5年という月日の果てに唐突に投げ込まれた爆弾は、慎重に起爆の合図を待つ。なぜなら王の言葉を軽はずみに疑うような者は、コイラスには存在しなかったからだ。
しかしアダの実の母でもあるコロノス家当主がこれに正式な抗議文を送らなかったことで、ようやく爆弾は起爆した。
それは正に毒ガスのように、じっくりと、少しずつ広がり、着実にコイラスを蝕んでいく。
最終的に、王の意志を是としながらも、アワン真犯人説は公然の黙認となり、また周知の事実ともなった。
これにより大っぴらにアワンを責めることは出来ずとも、彼女の居場所をコイラスから取り上げる空気は、少しずつではあるものの、次第に確かなものとなっていく。
しかし子供は大人程慎重ではない。
学園では入学初日の堂々たる宣言から始まり、その後ケインに惨敗。それをきっかえに術を奪われ、さらにナトゥが噂の吹聴を画策したことによって――
アワンの居場所は、学園から完全に無くなった。
***
それから数日も経たずして、アワンを取り巻く状況は一変した。
「――あっ、そこはね……」
「ごめんなさい」
分からない箇所を教えてあげようとした善意は、空振りに終わる。
以前までは会話をしていた者達も、露骨にアワンを避けるようになった。クスクスと嘲笑の声が聞こえる。それは至る所から。
アワンは気にしない。
荷物をまとめ、足早にクラス内を出ていく。
目を向ければ無関心を装うくせに、アワンが視線を切ると一斉に注目してくる。大げさな笑い声をあげて話しているくせに、アワンが声をかけると一斉に口を閉ざす。
それが日常。皆の総意。
あっという間に、一人になった。
だが、それはアワンにとっての当たり前だ。
(大丈夫……私は大丈夫……)
入学からまだ間もないのに、なぜか汚れた制服姿で辿り着いたのは、いつもの場所だ。
アワンは図書室で調べ物をするのが、もはや日課だった。
そのためにこの学園に入ったと言っても過言ではない。ここにはいくつもの貴重なアイテム、貴重な蔵書が保管されている。これを読めるのは生徒の特権だ。
(処女の血……)
今日調べるのは、天術の代価について。
多数の参考文献の中には、気になる内容があった。
それらを、アワンはつい最近買ったはずのボロボロのノートに書き写す。
(神にのみ捧げられた器は、強大な力を得られる……)
処女を貫き、貞操を守る。
貞操を守ると言うことは、その身体が誰のものでもないことを意味する。
これを神との専属契約とすることで、遥か昔の術者たちは巨大な力を操っていた。
(女性の血、性、出産は強すぎる生命の力……欲望と対極に位置する天術師こそ、力が増す)
かなり使えると、率直に思う。
アワンは処女であり、いつか子供が欲しいと願っている。この未来を神に捧げれば、その恩恵は大きい。
「…………」
アダ、エバ、レイラ、そしてアワン。幸せな家族が一瞬映るが、直ぐに振り払った。あの未来を捧げてこそ、代価は得られるのだ。
あの幸せな未来を。過去を失った今、それはアワンにとっての全てに等しい。
(やっぱり、血こそが重要。私の血を……特効薬に……)
ビジョンは見え出し、形も定まってきた。
後は並行してユウキの毒の解析と構造理解を進め、神に捧げる代償についてさらに詰めていく。
心的障害も何とか乗り越えなくてはならない。発動できなければ意味がないのだから。
(あと2年で完成。それを目標にしよう)
全ての才能をつぎ込む覚悟で臨まなければだめだ。そのためなら、何であろうと支払う。どんなことでもする。
(若く、美女であればなお効果が高い。美女かぁ……)
エバは良く美人だと言われていたし、アワンから見ても文句なしの美人だ。その血を引くアワンも領民にはよく可愛いと褒められたものだ。
しかし、今はどうか分からない。贔屓なしの率直な意見が欲しいところだ。
(私が嫌われてなかったら、男子たちに聞いて回ったんだけど……無理だよね)
学園の誰にも避けられている現状では、それは不可能だろう。
自分がどれほどの美人にあたるのかという問題は、ひとまずアワンは棚上げした。
***
それから約半年、アワンは一人きりの学園生活を送った。
腫れもの、空気のような扱い。直接的な暴力などはなく、所詮は嫌がらせの類。しかしその少しずつの積み重ねが、長い時間をかけて着実にアワンの精神を蝕む。
それは客観的にも、アワンでなければ耐えられないレベルのものだった。
「――何か私に用があるなら、ハッキリ言ったらどうですか?」
「…………」
アワンは初めて、自分から動く。
しかしそれは、アワンの不満が爆発した――というわけではなかった。
アワンはこの程度の扱いは、己の罪への罰だと甘んじて受け入れる覚悟を持つ。ただそのやり方が気に入らなかっただけだ。
誰が主導し、誰がこのような空気を作りだしているのか。アワンはとっくに気が付いていたから。
「え、なに? どうしたのアワンさん、怖い顔して。凄く怖いわ、ねえ」
「うん、怖い。どうしたの急に」
「何急に怒ってるの?」
先ほどまでアワンの悪口で盛り上がっていた女子たちは、そこにアワンが来た途端に一斉に白を切る。
これはアワンも最近知ったことだが、女という生き物はこういうものらしい。
自分ではないという顔をして、影から裏からコソコソと、集団でなければ何もできない。いや、集団だからこそ機能する。罪を一箇所にまとめないのだ。
これなら正面からぶつかってきたケインの方が、まだ潔かった。彼はあの決闘からアワンに絡んでくることは終ぞなくなったが、それに入れ替わるように女子の蠢動を許した。
「いえ、私に何か言いたいことがあるのかと思ったのですが。私の名前が聞こえたような気がしたので」
「私たち、あなたのこと心配してたのよ。だってあなたずっと一人でいるでしょ?」
「うん、全然私たちと関わろうとしないから」
「一人が好きなのは分かるけど……そんなことしてたら誰も関わってくれないよ? もっと周りの人に合わせた方が良いと思う」
「…………」
アワンは思わず、ズボンのすそを握りしめる。
スカートは切り裂かれていて、穿けない状態だ。
「願い下げなので大丈夫です。関わりたくないので」
「なんでそんな酷いこと言えるの? 私たち心配してあげてるのに」
「みんなが可哀想だと思わないの? クラスの空気悪くしてるよ?」
「もうやめましょうよ皆さん。彼女には何を言っても無駄みたい」
アワンは元凶であり、全ての黒幕でもある女を睨みつける。
ここ半年様々な目にあって来たが、彼女が直接手を下してきたことは一度としてなかった。
一番ムカツク女だ。
「あなたのお話をしてたっていうのは確かよ。でも、やっぱり私たちは心配してあげてたの」
「…………」
ナトゥ・ロフォス。
彼女がこの学園を支配している存在。そして、自分では何もできない稀代の臆病者だ。
「だって、あなたの立場を考えたら、可哀想で仕方ないもの」
「うん。お父さんに罪を擦り付けて、平気なの?」
「どんな気持ちで父親に罪を被せてたの? 何で平気な顔してられたの? 私なら生きていけない」
「自分のせいで一万人以上が死んだって考えたら、笑えないよ。私なら二度と笑えない」
「今も苦しんでいる人たちがいるのよ? そして今も死んでいってる。そんな中、学校に通ってて……心は大丈夫かなって」
「この国から、世界から、英雄を奪った。救えたはずのたくさんの命が死んで行ってる。それが全部あなた一人のせいなんて……」
「あんまり思いつめない方がいいよって声をかけようとしてたの。だって私なら死にたくなるもの。そこまでして生きようだなんて思わない。それが普通の人間でしょ?」
「…………」
アワンがここ半年で知ったのは、人間の恐ろしさ。人間という生き物の――底知れない悪意。
それは地獄を知った少女に畳みかけた、さらなる地獄。
彼女の居場所はこの世のどこにもないと告げる、神と悪魔による同時宣告だった。
ここまでの仕打ちを受けても、彼女に平穏が訪れることはない。
この数か月後、ユウキが12使徒となったことが北領域へと広まる。
世界から英雄を奪い取った罪。
世界に12使徒を生み出した罪。
これにより、アワンの居場所はコイラスから、完全になくなったのだ。
それから彼女はエバの伝手を頼り、グランド要塞へ。
これがアワン・コロノスという少女の――過去の物語。その全て。
そして物語は現在へ、続く未来へ。
約7年の時を経て――
再び、少女は運命の出会いを果す。
「それでルルワ様。失礼ですがあちらのモノは――」
「ええ、紹介するわね。ムメイおいで」
数年ぶりに再び巡り合い、勇者となっていた少女が連れていた存在は――
「この子は私が最近支配した吸血鬼よ」
彼女の人生を狂わせた、人外。
そして――
遠からぬ未来、アワンを救い出す――
「…………吸血鬼」
運命の――男だった。
「キィ?」




