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吸血鬼転生~最強なのに太陽の光で死ぬ俺は、唯一の希望”処女の血”を吸わせてもらうため、お姫様勇者のペットへと成り下がる~  作者: 兄貴
第一章 約束の丘の祓魔姫

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第051話 アワン・コロノス(1)

 

 コロノス家とは、ある一人の男のために作られた新興の貴族家である。

 その男はコイラスに語り継がれる大英雄にして、吟遊詩人の歌に謳われるほどの王子。

 勇者に代わるほどの男と、勇者の役目を取り上げられた女のラブストーリーは、他国に伝え広がるほどの恋愛叙事詩ではあったが――それはまたの機会。


 物語は、そんな二人の子供から――始まる。


「――レイちゃん急いで急いで!」


「急いでます~」


「もっと急いでぇ!」


 街中を駆ける少女たちがいた。

 一人は、重い赤髪を軽やかに弾ませる美しい少女。

 まだ蕾だが、いずれ大輪の花を咲かせる未来が既に確約されている――誰もがそう信じて疑わないほどの美姫。

 簡素なドレス姿に軽やかな動き、そして満面の笑みは、まさに地を照らす太陽の輝きを彷彿とさせた。

 アワン・コロノス。ここで別の誰かを紹介していたら頭がおかしいと言うレベルで当たり前の如く、彼女こそが――この物語の主人公だった。


 そしてそんな彼女が後ろを振り返り、しきりについてきているかを確認するのが、この物語の語り部。

 コロノス家に仕えるメイドの一人であり、アワンの家族であり、友人でもある少女――レイラだった。


「もう! 遅いよレイちゃん!」


「アワン様が早いんです~」


「え? そうかな? まあ確かに私は、男の子にだってかけっこ負けたことないけどね。スカートでも勝てちゃうよ。サービスってやつ?」


「ハンデじゃないですか? あと、褒めてないです!」


「褒めてよ!」


 立ち止まり、胸を張るアワンの前で、レイラは背を丸め、息を整える。

 しかし両腕に抱えているものが決して潰れないよう、器用にバランスを保った。


「大丈夫? 私が持とうか?」


「だ、大丈夫……です。なんとか……」


 レイラは呼吸を整えながら、花の状態を確認する。 

 大丈夫、潰れてはいない。アワンが確認したのは花ではなくレイラの状態ではあったが、レイラはそのことに気が付かなかった。

 レイラが考えていたのは、自分より重いものをアワンは持ってくれているのだから、せめてこれくらいは自分が持たなければ――というメイドとしての矜持である。

 メイドとは名ばかりに、彼女の役目は基本アワンの遊び相手であったが。

 

「なら頑張って、あともう少しだから! 時間は押してるよ! 

それもすっごく!」


 アワンが再び走り出す。 

 彼女が走り出したらレイラも続かなければならない宿命。それはいつでもどこでも、どんな時もだった。

 レイラは悲鳴をあげる肉体に鞭打ち、動き出す。

 ちなみにこのやり取りは既に5回は繰り返されているものだった。


「アワン様がトリフュリオンのテトラー探そうって言ったからじゃないですか~!」


「トリフュリオンはテトラーじゃないと駄目なの! 特別じゃないと!」


「7時間で一輪は割に合わないです~」


「合う~!!」


 そんな少女たちの姿を、微笑ましく見守る街の者達。

 彼らにとっては、このような光景は既に日常のものだった。


 ここはコロノス領。別名”聖なる丘”とも称される――アワンの家だった。




***




「――テイアおばさんいる!? アワンだよ! あーわーん~だよ!」


「アワン様、ここお肉屋です」


 二人の少女が辿り着いたのは、どう見てもお肉屋。

 店前のケースに赤身が並んでいるのだから、誰にだって分かる。

 アワンからケーキを作るための材料の買い出しと聞いていたレイラは、当然のように首を傾げた。


「知らないの? お肉屋はなんでも揃ってるんだよ? その中でも、テイアおばさんは何でも知ってるし、何でも持ってるの」


「何でもですか? 凄い!」


 額面そのままに、レイラは受け取る。

 彼女はよく言えば素直。悪く言えば、アワンの言うことはすぐに鵜呑みにする少女だった。

 レイラは今年で10歳だったが、彼女よりも3歳は年下のはずのアワンは、レイラにとってはまさに全知の神のような存在だからだ。

 レイラの知らないことをたくさん知り、それをいつも丁寧に教えてくれる存在。


 そんなアワンが全知全能と称するおばさん――テイアが、奥から暖簾をくぐって出てきた。

 レイラは自然と背筋を伸ばし、失礼のない態度で全能の神を出迎える。


「あら~アワンちゃん来てくれたの? お友達?」


 神は意外と、人間味があった。


「うん! レイちゃん! 今日はね、一緒にお花詰んだんだよ! レイちゃんがテトラー見つけてくれたの!」


「そうなの! 凄いわね~」


「そんな……」


 アワンが自慢げにレイラのことを紹介し、テイアが満面の笑みで褒めてくれる。

 レイラは照れるように、身をよじらせた。


「あっ! おばさん今日は時間が無いの! 急がないとパパ――じゃなくて、お父様が帰って来ちゃう!」


「もちろん知ってるともさ。おめでたいおめでたい。彼はコイラスの誇りだよ」


 アワンの父――アダは、元は王家の、つまりブーノス家出身の王子だった。

 彼が勇者の血筋であるエバを娶ったことを機に作られたのが、コロノス大公家。

 つまり建国時に誕生したロフォス家に続く家は、ここ最近生まれたばかりの新興貴族家ということだ。


 そんな領地は、今お祭り騒ぎだった。

 領主であるアダが、見事試練を打ち破り、本物の英雄となったからだ。

 これを喜ばない者はコロノスには、いやコイラスにはいない。

 今回の式典は国に大々的に告知され、コイラス中がここ数日に渡ってお祭り状態だった。

 

「私も誇り! レイちゃんも誇りだよね?」


「うん、誇りです!」


 嘘偽りなく、心から同意する。

 レイラはそんなアダの手によって救われ、コロノス家に拾われた過去を持つからだ。

 恐れ多くて口には出せないが、親がいないレイラにとっては、アダは父親のような存在だった。

 尊敬、敬愛、親愛――それは一般的な娘が父親へ抱く感情よりも、大きく強いものかもしれない。


「アワンちゃんはほんとにお父さん大好きね~」


「うん! パパの方が私のこと大好きだけどね! いい加減娘離れしろって、いっつもママに怒られてる!」


 もちろん、それはアワンも同じだ。

 彼女も父のことを心から尊敬し、強く慕っている。レイラはそれを知っていた。

 本音としてはもう少しばかりアダについて話したいところではあったが、レイラは誘惑を全力で振り払う。

 そのアダのために、レイラたちは今こうしているのだから。


「あ、アワン様……急がないと」


「そうだよ! 急がないと!」


 思い出したように、アワンが飛び跳ねる。

 そしてお肉屋の神に、願いを伝えた。


「おばちゃん! 私たちケーキ作るの! ケーキの材料売って!!」




***




「――どうしよ。凄い荷物になっちゃった」


「うん」


 良いお肉もついでに持って行ってくれとおまけ――おまけというには些か豪華すぎる質と量――を手渡されたことにより、二人の手は完全に塞がる。

 そればかりか、これでは走れないことは確実とばかりの大荷物となった。


「馬車を使いましょう!」


 もうこれ以上走りたくないレイラは、ここぞとばかりに提案する。 

 しかし、アワンの顔色は優れない。


「うーん……今日お祭りだから、馬車いっぱいかもしれない」


「ああ……」


 ここまでの道のりも、実は凄い人ごみではあった。

 アワンたちが曲がりなりにも走れていたのは、他の者達が気を使って道を開けてくれたためだ。

 領主の娘であり、英雄の娘でもあるアワンは、当然ながらこの街ではそれに相応しいだけの影響力を持つ。

 そんな中彼女が過度に敬われたり近づきがたいものとして扱われていないのは、本人の人徳と人柄の成せるところだろう。

 要するに、アワンは領民から慕われていた。


「でも、アワン様なら順番譲ってもらえるかも?」


 それは、人としてどうとか反論できない程度には、ごく当たり前の思考だった。

 特権階級に立つ者であれば当然その権利を使用し、むしろそうでないものの方がこの感覚は受け入れやすいかもしれない。

 これは贔屓とかではなく、当然のことだ。身分の差色濃いこの社会、この世界では、レイラの言葉はむしろ正論だった。しかし――


「駄目だよ」


「っ!」


 彼女は自分から下に降りてまで、平等を志す。


「ちゃんとルールは守らないと。みんな並んでるんだから」


「…………」


 レイラは、顔を伏せる。

 それは――羞恥心からだった。自分よりも年下の少女に諭され、彼女は恥ずかしくて顔をあげられなかった。

 そのようなことを思う時点で、彼女もれっきとした善人側であることが既に証明されているが、この年頃の少女にはまだ分からない。

 

「うーん……でもほんとにどうしよ。レイちゃん良い考えなぁい? やっぱり頑張って走るしかないのかな?」


「時間を変えてもらうとか?」


「駄目駄目、時間も守らないと! 約束したんだから!」


「うーん……」


 今朝、家から馬車を出してもらおうという提案をレイラはしたが、それはアワンによって却下された。馬車の貸し出しにはどうしても親の許可がいると。

 こっそり持ち出そうにも二人とも御者の経験などないし、使用人も隠し事の共犯にはきっとなってはくれないだろうと言われた。

 口では内緒にすると言っても、必ずこっそりと報告される。大人はそういうものだとアワンは言い、それを確信しているようだった。

 そしてそうなると、サプライズがサプライズではなくなるというわけだ。

 だからアワンとレイラ、二人による少数精鋭。今回の外出は、着の身着のままでの一大冒険だったのだ。


「お、アワンちゃんどした!?」


 その時――まるで見計らっていたようなタイミングで、目の前を馬車が通りかかる。

 アワンの姿を見咎めて停止したのは、二頭の馬を華麗に制御する御者の男だった。


「イオスおじさん!」


 その姿は、まるで戦場を駆ける騎士のよう。

 レイラの目には、救世主にさえ映る。


「はいイオスおじさんだよ! どしたこんなとこで? 迷子か?」


「迷子なんてなったことないよ! 子供じゃないんだから!」


(子供……じゃない?)


 当然のような顔で発せられたアワンの反応に――戦慄、走る

 レイラはアワンより3つ年上だったが、自分のことを子供だと思っていたからだ。

 それに、結構な頻度で迷子もする。レイラのような子供にとっては、領地は、いやそもそも屋敷からして、迷宮のようなものだった。

 別の部屋から自室に戻るだけでも、冗談ではなく迷路への挑戦。今なんか前人未到の未攻略ダンジョンに挑んでいる気分だった。


「いや~こりゃ失礼したよ。それでどうしたんだ? なんか困ってんのか?」


「パパが帰って来る前にケーキを作らなきゃならないの! でも時間がなくなっちゃった!」


 レイラは補足するように、続いて声を張り上げる。


「できるだけ早くお屋敷に帰りたいんです! 何かいい考えはありませんか!?」


 そこには、期待が籠っていた。

 同じ御者なら、もしかしたら、手が空いている馬車を知っているかもしれないと。

 だが、予想は良い意味で裏切られる。


「お客さん、ちょっと寄り道するが構わないかい? お代は結構だからさ」


「え!? だ、駄目だよ! 迷惑になっちゃうから!」


 そんなことになるとは思っていなかったと、アワンが慌てて要求を引き下げようとする。実際、そんなつもりはなかったのだろう。レイラはちょっと期待していたが、お客を押しのけてまで乗りたいと思うほど図々しくはなかった。

 しかし馬車に乗っていた一組の若い男女は、顔を見合わせると、ほぼ同時に微笑み合う。それはレイラでも、その先の答えが分かる雰囲気だった。


「今回の凱旋祭の主役でもあるアダ・コロノス様のお屋敷が見られるとは……まさに聖地巡礼ですね。お気遣いありがとうございます。最高の土産話になりますよ」


「お代はもちろん払わせていただきますね」


 若いカップルは、快く御者の提案を受け入れる。

 そこにコロノス家への媚のような感情は見受けられなかった。心からそう思っているように、少なくともレイラには感じられた。

 かなり無茶な要求をされているにも関わらず。


「お姉ちゃん、良い男捕まえたねぇ! きっと幸せにしてくれるよ!」


「はい。私もそう思います」


 手を繋ぎ、カップルはニコリと笑みを交わし合う。

 レイラはアワンと並んで、その光景を見上げた。


(いいなぁ……私もいつか、彼氏とかできるのかなぁ?)


 出生も不確かな自分では、そんな相手が見つかるとは思えない。身分だって、アダに拾われて初めて生まれたものだ。

 だが、アワンは違う。彼女なら、この国で一番の男性だって捕まえられるはずだ。

 

(きっと王子様とかだよね。いいなぁ……)


 嫉妬心は無かった。

 あるのはただ、憧れ。羨ましいという感情も、ドロドロしたものではなく泉の水のように澄んだもの。

 レイラにとってアワンは、常に自分の前を進む凄い女の子。どこまでも憧れの対象だった。


「何ぼさっとしてんだ! 乗った乗った!」


「おじさんありがとう! お兄さんたちも!」


 アワンはしっかりとした性格ではあるが、他人の善意を拒むほど融通が利かないわけでもなかった。

 3人の心遣いを、快く受け入れる。

 こうしてアワン達は、後れを取り戻すように屋敷へと帰宅したのだ。

 最後にお代を払おうとしたが、どちらにも突き返されたため、アワン達は摘んできた花をイオスとカップルにそれぞれ渡すことで、心ばかりのお礼とした。

 時間をかけて大目に摘んでいたことが功を奏し、こうしてレイラたちの大冒険は幕を閉じる。




***




「――残り時間は?」


「二時間ですアワン様」

 

「アワン先生」


「アワン先生!」


 冒険を終え、我が家へと戻ったアワンとレイラは、次なる戦場――厨房へと入る。

 そしてエプロンを身にまとい、三角巾まで頭に巻いて、完全なる戦闘態勢へと移行していた。

 やはり予定より時間は押しているが、時間いっぱいでなんとかなる残り時間でもある。今、アワンとレイラの底力が試されていた。


「これを見て」


「わぁ……凄いですアワン様」


「アワン先生」


「アワン先生!」


 テーブルに開かれたのは、一冊のノートだ。

 ケーキ作りの工程がしっかりとまとめられたノート。一見しただけでも綺麗で、内容も十分に思える。


(凄いなぁ……もう文字も書けるなんて)


 まだ満足に識字ができないレイラとは大違いだ。文字の美しさに関しても、アワンは言うことがなかった。


「材料も器具も揃ってる。レイちゃんは助手ね! 手順は覚えなくていいから、私の指示通り動いて!」


「はい、アワン先生!」


「時間が無いから、ミスは絶対に許されない! 一発勝負よ!」


「うん!」


 気合十分の少女たち――

 アワンとレイラの戦いが――今、始まる。


「よし! 後は焼くだけね!」


 そして、終わった。

 しかもお手本のようなミスもなく、ここまで完璧に工程を進める。

 それは一重に、アワンという少女の能力の高さゆえだった。初挑戦、それも子供のものとは思えないほどに、その出来は児戯の枠を容易く超える。


「残り時間は?」


「えーっと……50分くらいかな? 間に合いそう?」


「ギリギリかな……」


「先生……」


「助手……」


 ギリギリの戦いを前に、少女たちはお互いの顔を見合う。

 どうしてこんなことになったんだと、時間という概念の足の速さを呪った。


「火を強くしたら、早く焼き上がるんじゃない?」


 レイラが問いかける。

 彼女は外ではアワンに敬語を――できるだけ――使っているが、二人っきりの時には口調を変える。それがアワンの望みだからだ。


「それだと表面だけが焼き上がって、中が焼けないんだって。強すぎは何でも注意なんだよ」


「そうなんだ……」


 言っていることの理屈はほとんど分からないが、アワンが言うのならそうなのだろう。

 最初にバターを溶かす時、中々溶けないのに焦れてレイラが火を使って早く溶かそうと言った時も、バターは焦げやすいからと却下された。

 レイラはそちらの方が早いし、ちょっとくらい焦げても大丈夫とは思ったが、そういうものらしい。

 卵と砂糖を混ぜるのも力を込め過ぎないようにとか、混ぜ過ぎはだめとか――正直注文は多かったが、それでも結果が伴うのだから文句は言えない。

 それどころか、レイラはさらにアワンへの尊敬の念を強めた。アワンはいつも、レイラを正しい道に導いてくれる。

 

「間に合わないかもしれないけど、メモ通りの温度で焼こう! きっと大丈夫! 神様を信じよう!」


「うん!」


 レイラは神――アワンの言葉を信じることにした。

 だが、彼女がエプロンなどを解き、部屋を出て行こうとするのには流石に驚く。


「え、見とかないの?」


「うん。私たちもお着換えとか、準備とかしなくちゃ。時間になったらまた集まろ」


「分かった!」


 レイラはアワンに続くように、厨房を後にする。

 アワンにしっかりと扉を施錠するように言われながら、レイラは火で火事になったりしないよう、ちょくちょく進捗を確認しに来ようと思ったのだった。




***

 



「――ふっ……う"っ、うう……う"うぅ……」


 アダが王城での式典から始まり、自領までの凱旋パレードを終え、ようやく愛すべき家族の元へと帰って来た時――

 そこにはアダへの祝福ムード――ではなく、言葉も出せないような重々しい空気が展開されていた。


(な……何が起きたんだ?)


 分かることから挙げて行けば、まず娘が泣いている。

 それはアワンではなく、レイラだ。

 彼女は数年前の遠征の際にアダが窮地を救い、そしてそのまま拾ってきた孤児だ。国際租界のスラム出身の彼女は、今では大事な家族。

 アダはもう一人の娘として彼女を育ててきたつもりだ。エバもそうだろう。

 そんな娘が、先ほどから涙を流し続けている。


(エバ……なにこれ? ねえ?)


 アダは助けを求めるように、妻の方へと視線をやる。

 目が合った彼女は、力なくその視線を下に落とした。しかしそれは回答の拒否ではなく、回答を指し示す動きだったのだ。


 テーブルの中央には、花束と、ケーキ。

 どちらも手作りであることは、大人の目には一目瞭然だった。アダとしても不出来などという表現はしたくないが、それでも精巧さという面ではやはり本職には大きく劣る。それを否定するつもりもなかった。

 しかし、子供が作ったとは思えない程度には立派な出来だ。だからこそ、ミスも分かる。というより出来が良いからこそ、ミスが目立つのだ。

 そう、ケーキも花束も、ミスをしていたのだ。


「う"ぅ……う"う……。ごめっ、ひっくっ……」


(…………なるほど)


 まず一番目につくケーキ。

 デコレーションによって必死に隠蔽しようとしているが、中央が大きく陥没し、生地も膨らみかけで萎んでしまっている。

 おそらくは温度が下がり、上手く焼き上がらなかったのだろう。これはオーブンの温度調節をミスったというより、室温が下がったことによって起きた失敗のように思えた。


 そして花束。

 幾本の花のほぼ全てが、トリフュリオン。

 大型鑑賞花の中では非常に珍しい、現在発見されているものの中では唯一の花びら三枚の花だ。

 植物学的に、大型の花ほど花びらの枚数は多くなる傾向にある中、花びら三枚で花束としてこれだけの存在感を放てるのは、トリフュリオンだけだ。

 そしてその花束の中央に見られるのが、トリフュリオンのテトラー。つまりは、花弁が四枚の超希少な花だった。

 しかし――潰れている。主役なだけに、その力ない姿は特に目立っていた。


「レイちゃん……泣かないで……」


「ひっく……ひっく……。う"ぅ……」


 ハンカチでレイラの顔を拭うアワンの姿を見て、アダはこの失敗の原因が誰にあるのかを察した。なぜ彼女が泣いているのかも。

 そして、かける言葉に悩む。気にするなというのは簡単だが、それを祝われる側の自分が言っていいのかと思って。

 娘の今後のために、父親はためになる言葉を選ばなくてはならない。そしてその判断は、父親としての能力が大きく不足している(自己採点)アダには、一層の慎重に駆られるものだった。


 もちろん、今回の娘たちの失敗に対しアダに含むところはない。

 さらに当然、足を引っ張った者がさらに場の雰囲気を悪くしてどうする――などといった感情も微塵として無かった。

 むしろ、心から嬉しい限りだ。そもそもこの程度はミスのうちに入らない。アダの混じりけなしの本音を言うのであれば、アワンとレイラ、二人でここまでできたことがまず凄い。たぶん自分にはできないから。

 だからこそ、対応が難しい。だが、何かを言うのであればアダだろう。

 彼は必死に考え抜いた末に、ようやく言葉をかける覚悟を決めた。


「う"ぅ……ごめっ……。ごめんなっ……さい……」


 これまでは半強制的に出るしゃくり声とえずきで、中々形作られなかった謝罪の言葉。

 それが聞こえた直後、アダは口を開いた。

 しかし――彼女の動きは、タイミングを伺っていたアダよりも早かった。


「何で謝るの?」


「っ!」


 それは、止まらないレイラの涙を拭っていたアワンだった。

 アダは即座に口を閉ざし、見守る体勢に入る。エバと視線を交らわせ、静観の思いを共有した。


「だって……ひっく……。アワン様がこんなに頑張ったのに……うぅ……。私の、せいでぇ……」


 やはり、アワンが完璧にこなしていた分、レイラには引け目があったようだ。

 アダの目から見ても、アワンは非常に要領が良い。それこそ神童、秀才、大人顔負けなどという表現は、7歳にして既に聞き飽きていると言えるほどに――優秀だ。

 対して、レイラは本当に普通の少女だった、一般的な10歳と比べれば数段しっかりしている方ではあるが、やはりアワンと比べると相手が悪い。

 娘の能力を比べるなど父親として最低ではあるが、それら客観的事実を否定するほどアダは盲目ではなかった。

 もちろん、どちらの方が良いなどの話となれば全く毛色が変わる。そんな議題があがるような席にはつきたくないし、そんなことは考えたくもない。

 アダは娘二人、どちらのことも同じように愛していると、心から断言できた。

 

「でも、レイちゃんも頑張ったよ?」


「っ!」


 決して慰めの類ではないその言葉は、アダの心にすっと入り込んだ。

 彼女は決して努力を褒めているのではないと、直感的に悟る。彼女はレイラの力も確かにそこにあったと言いたいのだ。

 

「厨房に何度も見に行ってくれたのも、火とか異常とかを心配してくれたんだよね? お花が潰れちゃったのも、テトラーだけは絶対に無くさないようにでしょ?」


「うっ……うう……」


 ケーキの失敗は、やはり室温の変化によるものだったらしい。

 火での事故や焼き上がりの失敗を警戒したレイラが、何度も厨房に足を運び、その度に扉を開閉してしまったのだ。そのために、冷たい廊下の空気が部屋に入ってしまったのだろう。

 テトラーは、おそらく無くさないようにそれだけを別の場所に避けていたのだ。

 その時何かの拍子に潰してしまった。

 どちらも子供らしい――というより、全然あってもおかしくないミスだ。

 しかし繰り返すが、アワンが完璧だっただけに、レイラは自分のミスが許せない。


「優しい気持ちで動いてくれたのに、レイちゃんが謝るのはおかしいよ。二人で頑張ったんだから」


「ふっ、うっ……でも……せっかくアダ様の、大事な日なのに……」


「大事な日だからだよ」


「え?」


 レイラが泣き顔をあげ、隣のアワンと目を合わせる。

 見つめ合う二人の娘を、アダは静かに見守った。


「大事な日だから、笑顔のレイちゃんがいないと」


「っ!」


 瞳が盛り上がり、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 アダをして今一度教えられるような――そんな光景だった。


(…………良い子に育った)


 本当に、心から思う。

 この年にして、彼女は何が一番大事なことなのかを――よく分かっていた。

 それは大人でも、大人だからこそ、気づきにくいことだ。

 それを家族に向けて真っすぐに伝えられる人間が、この世界にどれだけいるだろうか。

 大人は知らず知らずのうちに、忘れてしまうのかもしれない。

 だから、彼女たちのような若い息吹に、また教えて貰うのだろう。


「ケーキとかお花とか成功とか、そんなんじゃないよ! 大事な日に、レイちゃんがここにいて、笑ってる! それが一番大事なことなんだから!」


「…………」


 花を摘みに行ったことも、ケーキ作りに奔走したことも、アダを喜ばせるためではない。それが主目的なら、アワン一人でもできたことだ。

 だから、アワンが大事にしていたことは、それではないのだ。

 アダを祝うために、レイラと共に頑張る。それを家族に伝える。特別な日だからこそ、特別な想い出を作ったのだ。

 そしてそれは、アダにとっても同じこと。

 娘二人が自分のために頑張ってくれたという事実は、その成果よりも遥かに大事なことだった。


「大事な人がいてくれることが、一番幸せなんだよ? だから、いてくれるだけでいいの」


「…………」


 アダは、微笑む。

 愛する妻と再び目を合わせれば、彼女も微笑んでいた。

 そうだ。エバ、アワン、レイラ。彼女たちがここにいることが、一番大事なのだ。

 能力でも、優秀さでも、強さでもない。

 彼女たちだから、ここにいてほしい。

 いてくれるだけで――それだけで良かった。




***




「――改めて、おめでとうございます」


「ありがとう、エバ」


 食事とお祝い会を終え、家族はリビングルームへと移る。

 ケーキは出来は悪かったが、アワンの作品なだけに、味に関しては最高だった。アダがお世辞ではなく、美味しいと口にするほどに。

 そんな今夜の主役は、ソファに座ってグラスを傾けている。

 彼に寄り添いお酒を注ぐのが、妻であるエバだ。


 アワンとレイラは二人で花の飾りつけの最中だった。

 しかしレイラは、夫婦が展開する空間に気付けばチラチラと視線を送ってしまう。親代わりではある二人だが、レイラから見れば年若い男女という側面もあるのだ。

 そんな中で、このような形容しがたい空気感が作り出された時などは、どうしても胸を高鳴らせながら注目してしまうものだ。空気に当てられると言うのか、ドキドキするのだ。アワンは全く眼中にないようだが。

 今もここはこっちの方がいいかな――などと呟きながら、花に夢中である。


「ついに……壁を越えましたね。本当に……本当に長かった。心から、あなたを誇りに思います」

 

「君のおかげだよ。君が支えてくれたから……僕の力じゃない」


 静かに語り合う二人の声は、注視しているレイラだからこそ拾える程度のものだ。子供には聞こえないようにという配慮と義務感が感じられる。

 それでもなお完全な二人っきりとならないのは、お酒による酔いがあってのことだろう。二人とも、この記念すべき日、そして瞬間に――浮かれていることが分かった。


 そして、それも分かるというもの。

 壁を超えるという表現を筆頭に、今回のアダの偉業に関し、レイラはこれらをアワンから聞いていた。

 慕っているアダのことだけに、大人の事情は子供には難しいからという逃げ口上を己が許さなかったのだ。

 理解できるまで何度も話を聞き、そしてアダの夢、目標、足跡、結果などを知った。

 だからこそ、アダが今どれだけの喜びを内に秘めているのかが、レイラにも分かる。

 レイラが先ほどの己の失態を嘆いたのは、アワンの足を引っ張ったことだけではなく、そんなアダを十分に祝ってあげられなかった悔しさもあったのだ。


「謙遜しすぎるのが、あなたの悪いところですよ?」


「いや、本当なんだ。本当に……みんなのおかげだ」


 それからしばらく、無言の時間が続いた。

 といっても、アダとエバだけだ。アワン達は変わらず花を飾り付け、今は潰れたテトラーをどうやって復活させ、また支えようかと吟味しているところ。

 レイラのミスの具現物だけに、手抜きなどは出来ず、気づけば集中して作業に取り組んでいた。

 だからだろう。それに気付くのが遅れたのは。

 部屋を移動して数十分が経った頃、すすり泣くような声に、レイラは再び視線を戻す。


「っ!」


 そこには、手で目元を隠し、体を震わせるアダと、その背を支えるエバの姿があった。

 その姿を見て、どうしたんだろ?――と思うほど、レイラは察しが悪いわけではない。いや、平時なら流石にそこまでの理解とはならなかっただろう。

 そんなレイラが彼らの態度とそこからなる心情を理解できたのは、今回のアダの偉業を筆頭に、彼女がアダの夢について詳しく理解していたことにやはり起因している。

 英雄に助けられた過去を持つ少女は、その夢を陰ながら、そして全力で応援していたのだから。

 

「すまない……すまない……」


「うん」


 流すつもりはなかった涙だけに、一度流れ出せば止まることはない。

 もはやレイラでなくても気が付くほどに、ボロボロと涙はあふれ出ていた。大人が泣くところを、そしてアダが泣くところを初めて見たレイラは、その光景に動けない。

 アダが顔を歪め、涙を流し続け、そして気付けばエバも涙を流し、彼を支えるように抱きしめる。そんな光景に、何も言えなくなる。

 どこまでも真剣で、だからこそ近寄りがたい空気に――気圧された。

 自分如きがここに手を加えてはならないような気がしたのだ。

 しかし――


「っ!」


 アワンに、固くなった手を取られる。

 そんなレイラの手を握ったアワンは、躊躇わずに踏み出した。

 いつもそうだ。アワンはレイラの前を歩く存在。そしてアワンが進み出せば、レイラも後に続かざるを得ない。


「…………」


 アワンが、アダに重なる。

 そしてレイラも真似する様に、アダの上へと重なった。

 感情を吐きだすアダに、寄り添う。アダは安心するように、さらなる想いを溢れさせた。


 いてくれるだけでいい。

 アワンの言葉が、レイラにも分かった瞬間だった。




***




「――すまない。もう大丈夫」


 そう時間をかけずに、アダはいつもと変わらない様子に戻った。

 いや、よく見ると少し気恥ずかしそうだ。子供の前で泣くのは、やはり恥ずかしかったのかもしれない。

 彼は照れ隠しをするように、レイラたちの頭に手を乗せ、髪を撫でる。


「かっこ悪いところを見せたね」


「かっこ悪くないよ?」


「「っ!」」


 涙を完全に拭い、しかし赤らんだ目元にその余韻を残すアダが、その目を大きく見開く。

 レイラも、同じだった。


「泣くことは、かっこ悪いことじゃない」


 断言するその姿に、レイラは眩しいものでも見るかのように目を細める。


 ――救いだ。

 彼女こそ、人を救う者。

 

 一体どういう育ち方をすれば、こんな子供になるのか。

 レイラは子供ながら、いや同じ子供だからこそ、不思議でならなかった。

 そしてそれは、どうやらアダたちも同じらしい。

 大人の彼らからして見ても、こんな子供は見たことが無いということだろう。


「そうだね! その通りだ! 泣くことはかっこ悪くないぞレイラ! 大人だって泣くんだから!」


 レイラはその冗談に救われる。

 アダも、正真正銘――人を救う者だ。


「今日はみんな泣いたね!」


「ええ、でも今はみんな笑ってる。だから幸せね」


「うん!」


 瞬く間に、皆に笑顔が戻る。

 アワンは人を幸せにする存在だ。泣いている者がいれば笑顔にすればいいと言わんばかりに、彼女という光は周囲を明るく照らすのだ。

 一番近くでその光を見ているレイラには、それが一番よく分かった。


「よーし勇気が出てきた! いい機会だ! みんな!! 僕の宣言を聞いてくれ!!」


 唐突に立ち上がるアダを、レイラは見上げる。

 突然なことに驚くレイラだったが、エバとアワンは、まるで待っていましたとでも言うように見守った。

 レイラも遅れてその列に並ぶ。

 大人になったら身長が伸びることはないと聞くが、気のせいか、この時のアダはいつもよりも大きく見えるような気がした。


 そして英雄となった男は、堂々と胸を張り、ここに夢を宣言する。


「僕は必ず、7人の魔王をこの手で打ち滅ぼし、世界を救ってみせる!!」


 試練を超え、真の英雄となった男は――


「勇者になる!! それが僕の夢だ!!」


 勇者となることを、ここに宣言したのだ。


 生き証人を任された三人の中にあって、レイラは――言葉が出せなかった。

 これを言うことがどれほど勇気のいることか、レイラは漠然とではあるが理解できたから。

 夢だった目標をようやく乗り越えたという矢先、さらなる高き目標を掲げる。

 この宣言は、アダの覚悟が見せかけでも気まぐれでもないことの、その何よりの証明だった。

 そしてその覚悟を持つ者は、この場に、なんと一人ではなかったのだ。


「私も!!」


 張り合うように、そしてどこまでも寄り添うように名乗りを上げたのは――やはり彼女。

 アワン・コロノスは、ここでも立ちあがる。


「私もおんなじ! お父様の夢は私の夢だよ! 私も勇者になって、世界を救うから!」


「…………」


「…………」


 アダとエバは、唖然と目を合わせる。

 そして、まるで懐かしい記憶でも共有するかのように、しばらく見つめ合った。

 その後、やはり微笑む。同じだというように。


「私もよ。お父様の夢は私の夢。アワンの夢も、私の夢だわ」


「じゃあ、皆で勇者になろうよ! 競争だね!」


「ああ! 競争だ! まあ僕はもう試練も超えて壁も超えてるから、圧倒的に有利なんだけどね!」


「大人げないですよ……」


 勇気ある者達の集い。レイラは、そこに入れなかった。

 なぜならレイラは、アワンとは違う。ただの、本当にどこにでもいるような子供だ。

 勇者の血を引いていなければ、貴族でも王族でもなく、それどころか何の才能も持ち合わせない。

 自分も同じ夢を共有したいなどとは、口が裂けても言えなかった。

 それは彼ら3人を、侮辱するような気がして。


「わ、わたし……」


「レイちゃんも手伝ってくれるよね?」


 そんなレイラに、彼女は振り返る。

 そして当然のような顔で、救いの手を伸ばすのだ。


「で、でも……私なんか、足引っ張ちゃうよ……」


「どうして? 私一人じゃ花束もケーキも作れなかったよ? テトラー見つけてくれたのもレイちゃんじゃん! 私のこと助けてよ!」


 アワン・コロノス。

 太陽のように明るく、そして温かい少女。

 レイラはこの日、確信した。


 彼女こそが――人々を救う者。

 彼女は必ず、いずれ人々から勇者と呼ばれる存在になると。

 その未来を、信じて疑わなかった。




***




 夢の宣言から三日後、アワンは今日も外出していた。

 だが今回はレイラのお付きは無く、一人だ。約束されたお説教と引き換えに彼女が得たのは、一凛のトリフュリオン。それも4枚咲きのテトラーである。


(レイちゃん……喜んでくれるかな?)


 これはアワンから心ばかりの、感謝の印だった。

 レイラはここのところ、勉強に精を出している。それはアワンが目指している学校へと入学するための勉強だ。

 アワンは12歳になったらそこへ入学する予定だが、レイラもついてくる覚悟を決めてくれたらしい。それもお付きのメイドではなく、生徒として。

 家の力を使えば試験なしでも入学できるだろうが、それはアワンはしたくはなかった。レイラも、アワンと同じく一般受験で入るつもりらしい。つまり、本気だ。


(私も、頑張らなきゃ)


 アワンは、父アダがどれほどの努力の果てに英雄となったのか、概要は知らずともその本質は理解していた。

 これまでの血の滲む努力が結果へと結びつき、そしてあの夜――溢れたのだと。

 アワンもアダが泣くのを見るのは、生まれて初めてのことだった。子供の前で激情が抑えられない程に、それほどに――

 アダは途方もない努力と信念の果てに――ここまで、ようやくたどり着いたのだ。


 それを知っているアワンに、慢心も油断も許されない。

 もっともっと努力して、頑張って、まずは父の背に追いつく。

 そしていつかは父を超え、勇者となるのだ。

 アワンは途轍もなく遠い道だと理解しつつも、自分はそれができると信じて疑わなかった。

 早熟の天才であるアワンの数少ない欠点として敢えてあげるのであれば、そのあたりの見通しの甘さ。

 だが、今のアワンの姿を見てその未来を描かない者の方が稀だ。現に領民たちからしても、アワンは期待のホープ。英雄の資質を確かに受け継ぐ大器だった。


「え?」


 そんな勇者を志す少女は、帰り道、不意に立ち止まる。

 それを見つけたのは、ほとんどたまたまだった。

 視界の端にチラっと映ったものを、なんだろうと思って進んでいけば、近づいてくごとにその全貌は明らかとなる。

 そこに倒れていたのは、一匹のコウモリだった。


「…………」


 力なく地に転がるコウモリを、見下ろす。

 まだ生きているようだった。だからこそ、希望が感じられない。苦しみ、痛みにもがくような肉体痙攣。命がつきかけているのは一目瞭然だった。


(衰弱? 餌を取れなかったのかな?)


 なんとなく、そうではない気がした。

 洞窟でもない場所で地に落ちている姿に、アワンはなんとなく、何かから逃げたのではないかと悟ったのだ。

 それは直感ではあったが、正解だった。

 ふと顔をあげれば、洞窟の入り口を見つける。この丘には既に片手で数えられない程度には足を運んできたアワンだったが、その洞窟の存在を知ったのは、今日が初めてだった。


「…………」


 何かの引力に引き寄せられるように、アワンの足は一人でに動く。

 洞窟の入り口をくぐり、太陽の成果から自ら離れた。

 歩みを進めるごとに、増えていくコウモリの骸。それは、アワンに道を示すかのように、続く。

 まるで、運命に導かれるかのように、少女は進み続ける。

 そして今――辿り着いた。


「人!? 獣!?」


 立て続けに真逆の言葉が出たのは、ほぼ同時にそれを思ったからだ。

 視界に飛び込んできた情報は、どちらにも汲み取れた。


 まず目に入ったのは輪郭。つまりは全体の形だ。

 太陽の光の大部分を拒絶する薄暗い洞窟の中では、それは一見人の――子供のように見えた。

 だがよく目を凝らすと、違うことはすぐに分かる。

 捉えたのは、金色の毛並み。それらがアワンの声に反応し、一斉に逆立つ。


 嫌な予感はしていた。

 それこそ絶望とまではいかないまでも、何かが起こるのではないかという期待と不安が、確かに波紋となって広がっていたのだ。


 獣の顔が、アワンを睨みつける。

 確かに両者の目が――合った。

 

 これが、二人の出会い。

 アワンの全てが始まった日。


 暗い洞窟の中で、男と女は――運命の邂逅を果した。

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