第050話 舌戦(2)
「――ご納得いただけたかな? であれば、そろそろ我々の話をさせてもらいたいのだが?」
「…………」
彼女は既に軍属ではなく、ただの勇者のお付きの一人に過ぎない。それも私的な命令で動いている、非常に曖昧な立場。
なぜアワンがその事実をケインに伝えたのか。
数日徹夜で考えた結果(標準)、これこそが唯一にして最大の切り札だったというのに。
(気づいていないのか? いや、そんなはずがない)
俺でさえ気が付いたのだ。賢いアワンがそれを見落とすはずがない。
ならば――
(何かおかしいとは思っていたが……まさかアワンも了承済みなのか?)
俺たちの前から突然姿を消したことも、その後現れないことも、彼女が抵抗どころか恭順の姿勢さえ示しているように感じられるのも――そもそもの話、アワンがこの結婚に乗り気だというのなら全て頷けることだ。
むしろ、今ある材料だけを見れば、そちらの方がしっくりとくる。
だがやはり感情的には受け入れがたいというのも当然のこと。あれだけ勇者を志していた彼女が、いきなり結婚を選択するというのはやはりどうしても違和感がある。
別に結婚していても勇者は目指せるが、今回の婚姻の場合は話が別だ。
「おい、聞いているのか?」
「失礼。そちらからお話があったとは。式の招待に関してですか?」
それくらいしかないだろう。
勇者を招待できれば、箔付という意味で彼にかなりのメリットがある。話題性も十分だ。
「それもあるが、その前に先の話がまだ済んでいないだろう? こちらとしても、不義理をするのは本意ではない」
(…………アワンという戦力を引き抜いた件か)
いかに法的に問題はなくとも、勇者の防衛戦力として既に見込まれている者を横から引き抜くのは、マナー的にどうなのかという当然の懸念。
そのあたりを上手くフォローするための提案を用意してきたらしい。まあ、考えれば当たり前のことだが。今のままでは勇者に正面から喧嘩を売っているだけのただのアホである。
繰り返すが法的に問題はなくとも、心証はこれ以上に無く悪い。勇者を怒らせてメリットなどないはずだ。それは先ほどのやり取りでも身に染みて分かっているはず。
(どうせ大した提案ではないのだろうが……その前に)
「話の腰を折って申し訳ありませんが、先に質問しておきたいことが」
「ちっ……なんだ」
苛立ちを隠さない態度に、俺は短気だな――などとは思わなかった。
彼が短気なら、彼女は耽々短気になってしまう。名誉のために誰とは言わないが、吸血鬼に会話の主導権を握らせながらも、今もなお虎視眈々と噛みつく隙を伺っている女のことだ。まさに血に飢えた獣。
「話に聞く限り、婿入りのようですね。王位継承権はいかがされるのですか?」
先ほどの声明文の中に相続や領地に関する扱いがあったが、驚いたことに今回の結婚はアワンの嫁入りではなく、ケインの婿入りという形らしい。
つまりケインは、コロノス家の跡取りになるということだ。これはかなり意外だった。
「放棄する。そしてそれこそが、我々から話したかったことでもある」
(継承権を放棄してまで……本当に、一体何が狙いなんだ?)
王族の婚姻に恋愛など最も縁遠い要素。
実はケインとアワンが愛し合っていた――なんて寝ぼけたことは流石の吸血鬼も思わない。
何らかのメリットを見出したからこそ、ケインは結婚に乗り出したのだ。だからこそ疑問は深まる。
アワンと結婚して、彼にどんなメリットが。
「今一度確認するが、アワンへの命令権はコロノス家に帰属する。婚姻の決定に関しても例外ではない。今回の結婚は王国法に順守し、王によって正式に認可された正当なものだ。よろしいか?」
「はい。異存ありません」
実際異論の挟める余地が無い。
これはアワンの意志に関係なく、完璧な正論だ。本来文句をつけているこちらの方が明確なルール違反をしている立場。
俺もこの状況で、本人の気持ちを蔑ろに――とか若いことを言い出すつもりはなかった。そんな感情論の応酬は水かけ遊びに等しい。ああいうのは子供であるから微笑ましく見ていられるのだ。大人であればただ体が冷えるだけだ。
「しかしだ。法的に何ら問題ないとはいえ、かの勇者の護衛を取り上げるというのは我々も心苦しい。そこでお互いにとって実りある提案を持ってきた」
「なるほど」
当然だが、法による正統性を絶えず主張してくる。
これが一番効果があると分かってのことだろう。実際効果があった。
ルルワはどうか分からないが、俺は基本的に法律は破るのではなく遵守する側だ。染みついた人間性は異世界に来たからといって、また吸血鬼になり果てたからといって変わるものではない。
そして、吸血鬼だからこそ、変えてはならないとも思う。少なくとも俺は今の段階では、この生き方を曲げるつもりはなかった。
「私はアワンとの結婚後、コロノス領を統治する立場となるが……実質的な領地運営はアワンに任せ、ゆくゆくは当主の座も彼女へと譲る予定だ」
「っ!」
(…………まさか)
正気かと思ったが、この流れでそれを口にするということは、答えは一つだ。
分からなかったケインの思惑が、これによってさらに不可思議なものと化す。
「そうだ。私が彼女の代わりに、勇者の力となる」
一国の王子が王位継承権を放棄し、そのうえで勇者の旅に随行する。
彼の強さであれば一見自然なようだが、その自然はここにあってはかなりの不自然だ。言葉を選ばずに言うのなら、正気とは思えない。
「私だけではない。私のパーティーにはナトゥと、あとはレベル49の者が二人いる。壁付近にまで到達した四人だ。彼女の代わりとしては十分だろう」
ナトゥの様子を見る限り、彼女にも既に話は通っているようだ。
だからこそ、なおのこと信じられない。戦力としては申し分ないどころか有難い限りだが、彼女たちはピクニックか何かと勘違いしているのではないか。
この提案には、そんな冗談が冗談ではなくなった。話が急すぎて、中々飲み込めない。というより一国の王族がこれほどの判断をあっさりしてしまえるものなのか。
「それだけではない。ブーノス家、ロフォス家、コロノス家――三家合同による長期的支援と援助を約束する。ゆくゆくは希望する勇士学園の生徒を勇者の供回りとして動員することも考えている。それがこちらからの提案、その全てだ」
「「…………」」
息を飲み、思わずルルワと目を合わせてしまう。
事の重大さを飲み込めないほど、俺も彼女も馬鹿ではなかった。
これは要するに、コイラスは国を挙げて、全面的に勇者を支援すると言っているのと同義。
話がうますぎるどころか、信じられない提案だ。なぜアワンとの婚姻一つにここまで躍起になるのか、不思議なほどに。
「…………こちらへの要求は?」
「ない。これは我々の誠意だ。そして人類の未来を想定した、当然の選択でもある」
「…………」
一見、正論だ。
人類の大局を見据えれば、グズグズしている暇などないことは敏いものであれば誰だって分かること。
それこそ彼らのように希少な壁への到達者は、喉から手が出るほど欲しい人材だ。
しかし繰り返すが、だからこそ信じられない。だってそうなると、彼は国のため、人類のためにアワンとの結婚を選んだようなものだ。
(本当に? だからアワンは彼との結婚を受け入れたのか?)
レベル34のアワンとレベル50近い彼らとでは、どちらが勇者の役に立てるかは言うまでもない。即座の――という枕詞こそつくが、即戦力を期待するのはどこの世界でも同じだ。
この提案を前面に押し出されれば、アワンが身を引いても理屈としてはおかしくない。
いや、今は――
(ケインの思惑がどうであれ、即座の判断はできない提案だ。冗談ではなく、人類の未来が左右される)
ここで彼らの協力姿勢を拒絶するのは絶対にダメだ。
ひとまず答えを保留にして時間を稼ぐしかない。できればアワンと彼らという二兎を一度に得たいところではあるが、そううまい話はないだろう。
だが妥協点を探り合うという意味でも、アワンについて調べるためにも、やはり時間稼ぎは必須。
幸いにも国が絡むほどの重大案件だ。あちらも判断は慎重にならざるを得ない。上手くやれば数か月は時間を稼げるはず。
そんな結論を己の中でまとめかけていた時だった。久方ぶりのように、空間に硬質な声が戻って来る。
そう――奴だ。
「いらない」
人類の救世主たる勇者は、その手を払いのける。
彼女は明確な敵意の感情を隠しもせず、友好的に歩み寄る人間を正面から拒絶した。
「私たちの要求は一つ。アワンを返して」
「…………」
まさに、竹を割ったような性格。
そしてぶれない真っ直ぐな意思。本当に困ってしまうくらいに、シンプルな要求だった。
「彼女のレベルは34。戦力という面で、彼女に固執する理由はないと思いますが?」
「じゃあ、アワンと会わせて。あの子と話をするから」
答えになっていないのは、答えるつもりはないということだろう。
彼女はここ数日一貫して、アワンと会うことを目標としている。彼女の意志を確認したいからだ。
きっと無理やり従わせられている――そんな答えが聞きたいのだろう。そう信じて疑っていない。
「これはできれば言いたくはありませんでしたが、他ならぬアワンが言っています。もうあなた方とは会いたくないと」
「「っ!」」
だからケインの答えには、本当に驚いたものだ。
嘘か本当か定かではないが、少なくとも俺たちの心を揺らしたのは確かだった。
そしてルルワは、嘘だと断じたようだ。眉が危険な角度に吊り上がり、大嘘つきを睨みつける。
「我々は犯罪者ではありません。拉致監禁などしていなければ、彼女のあらゆる自由を封じているわけでもない。これは、彼女自身が望んでいることだ」
「アワンを返して」
「…………」
話を聞いていたのか、そうケインが思うのも無理はないだろう。
ちゃんと代案まで持ってきて、丁寧に実りあるプレゼンを行った彼に対しこの仕打ちはちょっと可哀想だ。
今のルルワの姿は俺から見ても、子供の駄々と表現するに些かの躊躇もない。
これには流石のケインも、はっきりと不快の感情を顔に出す。
相手がルルワであろうと、もう関係ないと言わんばかりに。
「わがままもいい加減にしろよ。そもそも、この婚姻は王によって認められた正式なものであり、王国法にも則っている。王族とはいえ、他国の者であるお前が口出しできるような話ではないはずだ」
一言一句、正論。
正統性は一貫してあちらにある。しかし、ルルワは引き下がらない。
自分は間違っていないと言わんばかりに、彼女は大きく鼻を鳴らした。
「法律法律……情けない男。女の心を自分で奪ったことがないのね。結婚さえすれば好きになってくれるとかおめでたいこと考えてるわけ? 気持ちわる」
「っ!!」
机を蹴るような勢いで立ち上がるケインに合わせ、俺も立ち上がる。
そして、先んじて頭を下げた。
「無礼を謝罪いたします。ブーノス様のお言葉は、正道に即したものかと」
頭を下げる俺に、大きく気配を揺らしたのはルルワだ。
ケインも呆気にとられたように、その場に立ち尽くす。俺はその隙を見逃さなかった。
「では、いったん話を預からせて頂いてもよろしいでしょうか? こちらも急なお話でしたので、もうしばらくお時間を頂戴したく。お返事はいつ頃までに?」
「…………そうだな。式には参列して頂くんだ。婚姻に持ち込むような話でもないし、それ以降にまた改めて話をするとしよう」
「ご配慮感謝いたします。本日はご足労いただきありがとうございました」
怒りの矛先を見失ったケインを、転がす。
彼は回転の力のままに、最後には俺たちの部屋を大人しく出て行ったのだった。
***
「――何よ、あれ」
元通り二人きりとなった室内。
ソファに深く腰掛け、腕と足を組む少女が、こちらを睨みつける。
あれとは、ケインのことではないだろう。それが分からないほど、俺は察しが悪いわけではなかった。
「…………落ち着けよ」
だから、言葉を慎重に選ぶ。
今の彼女には、ふざけたことは言えなかった。
「落ち着けないわよ。仲間が奪われるのよ? それで本当にいいわけ?」
「落ち着け」
二度目の忠告に、返事はなかった。
彼女は話にならないとばかりに、瞳を伏せる。
俺相手に彼女がここまで不機嫌なのは、初めてのことだった。
(それも当然か)
ルルワが怒っているのは、何も先ほどの会談に臨む俺の態度が全てではない。ここ三日の俺の態度にもあるのだ。
アワンが帰ってこないことに俺たちが慌てたのと、両家の婚約発表はほぼ同じタイミングだった。
当然俺たちは何が起こっているのか知るために、情報集めに奔走した。そこで当たり前のように持ち上がったのが、俺の<反教底位>である。
これを使えばアワンの現在位置が一発で特定でき、アワンを迎えにいくなり、さらうなり説得するなり、まあ最低でも話をすることはできる。
だからこそ、ルルワは俺にこの能力の使用を頼んだのだ。
それを、俺は拒否した。
理由は、この国の法を順守するため。
緊急時以外による王城での許可のないスキル発動は、基本的に罪に問われる。それがこの国のルールだった。
そして俺は今回の件を緊急時とは捉えず、ルルワは緊急時と見做した。
この考えの相違に、まずルルワは苛立っていたのだ。
そしてアワンが帰ってこない苛立ち、勝手に婚姻が進められていた苛立ち。そこにケインとナトゥの登場により溜まっていたものが爆発した。
今日の彼女の不機嫌は、ここ三日の積み重ねによるものだ。そして俺も、その一端に関わっていた。
「どういうつもりなわけ?」
「ん?」
話にならんとばかり話を打ち切った彼女だったが、怒りが再燃したのか、戻って来る。
その口調はやはり、不満と憤懣に満ちていた。
「なんで提案に乗り気なのよ。代わりが見つかれば、アワンなんてもうどうでもいいってわけ?」
「…………」
やはり、相当キているようだ。
今日の彼女は、本当に彼女らしくない。
「俺は何度も同じことを言うのは嫌いだ」
「私もよ。できれば一回で済ませてほしいわね」
なおも挑発的な言動を続ける彼女に、俺は視線を送る。
自分でも、瞳の輝きが冷たいものになっているのが、分かった。
「気持ちは同じだ。これ以上何か言われるなら、もう何も言いたくない」
「…………」
俺も同じだ。アワンに帰ってきてほしい。
だが当のアワンの気持ちと、彼女の家の事情が全く分からない。
これが明らかになっていないうちは、下手に動くべきではないと俺は思った。ケインの提案を突っぱねるなどもっての他だ。友好的な関係を築いた方がアワンに関する情報も入って来る可能性が高まるし、二人のどちらかが口を滑らせることだって考えられる。
打てる手をできるだけ残し、選択肢をできるだけ広げるのが今やるべきことだ。
感情的になっても、アワンは戻ってこないのだから。
「…………ごめん」
俺の強い言葉が効いたのか、ルルワが顔を伏せる。
このあたり、本当に難しいところだ。女性を怖がらせたいわけではないのだが、俺にだって言いたい時はある。言わなければならない時も。
彼女をフォローするわけではないが、ルルワも、本気で疑っていたわけではないだろう。俺への苛立ちも理不尽とまでは言えない。
俺の態度は、どちらにもいい顔する奴みたいで、見ていて気持ち悪いだろうから。
少なくとも一貫しているルルワの方が、気持ちのいい性格だ。
「え?」
俺はおもむろに立ち上がると、ソファに腰掛けるルルワの方――ではなく、扉の前へと立つ。そしてやはり、おもむろに扉を開いた。
「どうぞ、入って」
「失礼いたします」
驚きに目を見開き、遅れて頭を下げたのは、ケインたちと共に先ほど部屋を出て行ったはずのメイドだ。
理知的な眼鏡をかけた真面目顔が、俺を見上げた。
***
「知り合い……なわけないわよね」
「うん。戻ってきたから、何か用があるのかと思って」
「…………使ってないのよね?」
「うん、音」
当然能力は使ってない。あくまで足音が聞こえただけだ。
そして戻って来るなら、彼女しかいないとも思っていた。
「それで? 何か用? 忘れものってわけじゃないんでしょ?」
「アワンについてだろ?」
このタイミングで俺たちの部屋を訪ねる理由は、それしか考えられない。
もしそれ以外なら即座にお帰り願う。というより追い出す。
「はい。私は現在、アワン様のお世話係をケイン様の命により任されております」
「「っ!」」
しかしその事実までは、流石に予想できなかった。
ルルワは血相を変え、彼女に問いかける。
「アワンは!? あの子は無事なの!?」
あんまりな言い方だが、不自然とまでは言えなかった。
彼女がどんな扱いを受けているかは、全く不透明なのだから。
「はい、お変わりなく過ごしておいでです。生活に特に不自由は見られません」
「そうなのね、良かった……」
流石に王の承認を得てまで決まった結婚。その婚約者に拉致監禁のような真似をしているとは思っていなかったが、この感じ、本当に不自由はしていないらしい。
あくまでこのメイドの話を信じるのであれば、の話だが。
「アワンは私たちに何か言ってた? この結婚は、アワンの意志なの?」
ルルワはもったいぶることなく、直球で問いかける。
メイドは少し考えるように、いや、まるで一度悩んだことを再び悩むかのように瞳を伏せると、次に見開いた時には、再び理知的な輝きをそこに宿していた。
「そうであると言えますし、そうでないとも言えます。少なくとも、ケイン様の発言に嘘はありません」
「「…………」」
つまりアワンが俺たちに会いたくないと言ったのは、本当だと言いたいのか。
俺はこの段階で、胡散臭い話だと思い始めていた。
アワンの世話係のメイドがこのタイミングで俺たちの部屋へと一人でやって来る。違和感を持たない方がおかしいだろう。
「ですが、全てを語っているとも言えません。ですから、私が参りました」
「私たちが知りたいことを、教えてくれるってこと?」
「はい。この国で最も確度の高い情報を、お伝えできるかと思います。もちろん、あくまでアワン様に関してのことのみとはなりますが」
「大した自信だな。根拠は?」
無駄話に付き合っているほど暇ではない――そんな思いを、俺は隠さなかった。
同時に、全く信じていないという感情も匂わせる。メイドは当然だとでも言うように、それを受け入れたが。
そしてここに、途轍もない事実を明らかとする。
「私は幼少期、アワン様と同じ屋根の下で生活を共にしておりました」
「「っ!?」」
それは、本当に予想だにしていないことだった。
だが確かにそうであれば、情報に自信を持つのも分かるし、今アワンの世話係を任されるのも納得だ。
しかし――
「コロノス家に仕えていたのか」
「はい」
ならばなぜ、彼女は今ブーノス家のケインに仕えているのか。
やはりまだ信頼には足らない。彼女を信頼するかどうかは、話を聞いてみてからになるだろう。
「私も立場を危ぶめておりますこと、ご理解いただけましたか?」
「君の独断ということか。アワンにも?」
「はい。誰にもこのことは言っておりません」
「…………」
これは、難しい話だ。
彼女はケインにもアワンにも内密に、自分の意志でここにやってきたらしい。
まず、これを信じていいものか。ケインの策略なのであれば、変な難癖をつけられないためにもさっさと追い出した方が良い。
それに――
「ルルワ、どうする?」
「聞くわ」
即答。本当に気持ちのいい性格だ。
しかし、だからこそ俺は彼女を止める立場でないといけない。
「いいのか? 俺たちはずっと、アワンにそれを聞かなかった。彼女から話してくれるのを待っていたからだ」
アワンの過去に並々ならぬ何かがあったことは、俺たちは当然気づいていた。
ロータル大谷での喧嘩から始まり、国際租界での衝突、そして12使徒の襲来。アワンという人間を知るには、彼女の過去を知ることが不可欠であると。
だからこそ、俺たちは敢えて聞かなかったのだ。いつか彼女の口から語ってくれると信じて。
「ここでアワン以外の者から聞くのか? 君は後悔しないか?」
「…………」
俺は正直、アワンの口から聞きたかった。
彼女は俺たちを仲間と信頼し、辛い過去を自らの口で語ってくれると信じていたから。
きっと、ルルワも同じ思いだったはずだ。
しかし彼女は――決断する。
「聞くわ。アワンがいなくなる方が、きっと後悔するから」
「…………そうか」
ならば、俺も同じだ。
気持ちは同じなのだから。
「頼めるか? アワンについて、君の知る全てを教えてほしい」
「畏まりました」
メイドは頭を下げる。
彼女がもう一度顔をあげた時――
ようやく――アワンという少女の、物語は始まった。
51話から56話まで、アワンの過去編になります。




